町山智浩氏の「天気の子」論について

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 2021年10月中頃、著名な映画評論家・町山智浩氏が新海誠監督の映画「天気の子」を論じた文章を収めた著書が売り出されたと聞いて、参考にしようと思って、発売日に書店に買いに行った。


「最前線の映画」を読む Vol.3 それでも映画は「格差」を描く (インターナショナル新書)
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「天気の子」の位置づけ

 「「最前線の映画」を読む Vol.3 それでも映画は「格差」を描く (インターナショナル新書)」で町山智浩氏は13本の映画をとりあげているが、「天気の子」を最後にとりあげている。

 「天気の子」を最後にしたことには意味があるようである。インタビューで町山氏は次のように語っている。

一番おとなしそうな映画に見えて、一番恐ろしいメッセージを持っています。「親の世代がやってきたことで子供たちが犠牲になる必要はないんだ」という話ですからね。

主人公の男の子たちは、おそらく最初から貧富の差が激しいところに生まれたから、豊かさも、贅沢(ぜいたく)も知らない。その分、『パラサイト』の父親と違って負けた経験さえないから卑屈にならず、「愛にできること」の側に立てる。そこに可能性を見ている作品だと思うので、最後にしました。やっぱり最後は希望を感じてもらいたいから。

週プレNEWS 『万引き家族』『パラサイト』『ジョーカー』『天気の子』……「格差映画」多発現象から読み解く、現代社会の闇

 「天気の子」は「一番おとなしそうな映画に見えて、一番恐ろしいメッセージを持って」いるものであるという。また「最後は希望を感じてもらいたい」ともいう。そういう意味で最後に置いたというのである。


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気になるところ

 読んで気になるところをとりあげてみる。

青空

 まず次のところでひっかかった。

『天気の子』は、新海誠監督の作品の最大の魅力だった青空をほとんど封じて、雨か曇天ばかりにすることで、逆に空の美しさ、晴天の美しさを強調している。

「最前線の映画」を読む Vol.3 それでも映画は「格差」を描く (インターナショナル新書)」 、248頁

「最前線の映画」を読む Vol.3 それでも映画は「格差」を描く (インターナショナル新書)

 そうだったのか?

 青空が「新海誠監督の作品の最大の魅力だった」のであって、「雨か曇天ばかりにすること」は、「新海誠監督の作品の最大の魅力だった青空をほとんど封じ」たことであったのか?

 新海誠監督の作品と言われると、「天気の子」、「君の名は。」とさかのぼってすぐに「言の葉の庭」を思い出すが、「言の葉の庭」は新海誠監督が雨を描くことに力を注いだ作品である。

 「言の葉の庭」は、「新海誠監督の作品の最大の魅力だった」青空を「ほとんど封じ」た作品であったのか?


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地球温暖化

 町山智浩氏は映画「天気の子」を地球温暖化と関係づけている。

 新海誠監督も「天気の子」に近年の気候変動を取り入れたと語っている。

僕はこれまで、映画の中で、日本の美しい穏やかな四季を折々の天候も含め、情緒として描いてきました。でも近年、猛暑が続いたりゲリラ豪雨が当たり前になったりするなかで、「天候が変わってきた」と強く意識するようになりました。こうなると天気は、情緒というより、人間に相対するもの、備えなくてはならない対象に変わってきます。そういう生活実感が時代の気分の中にあるので、天気を通じて、今の気分を映画の中に持ち込めるんじゃないかと考えたんです。

YAHOO!ニュース 「『君の名は。』に怒った人をもっと怒らせたい」――新海誠が新作に込めた覚悟

 町山智浩氏はそのことを世代論と関係づけている。

 「天気の子」の大人をその気候変動をもたらした世代として、主人公たち子どもをその世界で生きなくてはならないものとして、対立させている。( 「「最前線の映画」を読む Vol.3 それでも映画は「格差」を描く (インターナショナル新書)」 、 252頁)

 「天気の子」は大人と対立する若者を描く作品であるが、その対立は気候変動をめぐってなされているのである。

 大人と対立する若者を描いているということについて↓

貧困

 町山智浩氏は映画「天気の子」を、現代の貧困と関係づけている。

 新海誠監督も是枝裕和監督の「万引き家族」と近いところがあると語っている。

随分テイストは違うし『天気の子』より遥かに社会派ではあると思うんですけど、僕は『万引き家族』(是枝裕和監督の映画)を見たときに、ちょっとだけやりたいと思ってることは近いな、と感じたんです。子供がいてお姉ちゃんがいておばあちゃんがいて少年がいて。

KAI-YOU 新海誠『天気の子』インタビュー前編 「変化する東京の街並み」への思い

 町山智浩氏は「「最前線の映画」を読む Vol.3 それでも映画は格差を描く」で「天気の子」の一つ前で「万引き家族」をとりあげている。

 ただし「天気の子」では町山智浩氏の語るような貧困は描かれていない。

 町山智浩氏は非正規雇用の増加と関係づけて日本の貧困について論じている。( 「「最前線の映画」を読む Vol.3 それでも映画は「格差」を描く (インターナショナル新書)」 、255頁)


「最前線の映画」を読む Vol.3 それでも映画は「格差」を描く (インターナショナル新書)

 しかし「天気の子」では、非正規雇用の増加などと関係のある貧困は描かれていない。

・主人公の貧困は高校生でありながら家出して東京で生きようとすることによるものである。

・ヒロインの貧困は親が亡くなったにもかかわらず、役所から隠れて弟と二人で暮らそうとすることによるものである。

・須賀は経済的に成功している。

「千と千尋の神隠し」

 「『天気の子』は、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』(01年)に通じている」と町山智浩氏は語る。(「「最前線の映画」を読む Vol.3 それでも映画は「格差」を描く (インターナショナル新書)」、258頁)


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 どういうことか?

『千と千尋の神隠し』の主人公の少女・千尋は、神へのお供え物を食べちらかして豚になってしまった両親の罪を贖うため、湯屋で働かされる。千尋の親はバブル世代、飽食と贅沢のバブル世代の後、日本は経済的な停滞に突入し、若い世代は生きるために仕事を選りごのみできなかった。湯屋、つまり性風俗すら。
『天気の子』では、大人たちの欲望の街に、大人たちの欲望の果ての地球温暖化が雨を降らせる。陽菜はその犠牲として身をすり減らし、号泣するように凄まじい豪雨をもたらす。ついには天空に消えてしまった陽菜を取り返すため、帆高は拾った拳銃を発射する。

「最前線の映画」を読む Vol.3 それでも映画は「格差」を描く (インターナショナル新書)」 、 258頁

「最前線の映画」を読む Vol.3 それでも映画は「格差」を描く (インターナショナル新書)

 気になるところがいくつか。

 第一に、「天気の子」の雨は「大人たちの欲望の果ての地球温暖化」とされていないのではないか?

 「天気の子」での陽菜の犠牲は、「大人たちの欲望の果ての地球温暖化」に対するものとはされていないのではないか?

 「陽菜はその犠牲として身をすり減らし、号泣するように凄まじい豪雨をもたらす」というが、豪雨は陽菜が自身を犠牲としないことによって起こったのでは?

 「天気の子」と「千と千尋の神隠し」とで共通するところは、主人公が親から独立するところ、公開された時の日本の現実と関係するところがあること、空中で若い男女が手を取り合って落ちて行くという絵、このくらいではないか?

世間との対立

 「天気の子」において主人公が世間と対立することについて、町山智浩氏は次のように語っている。

 帆高に対して「大人になれ」と言う人もいるだろう。でも、「大人になれ」と言った大人たちが作ったのが今の世界だ。毎年、すごい暑さや山火事や豪雨や洪水で人が大量に死んで、極地の氷が溶けて沈みゆく世界だ。これが経済や国家を優先させた大人の世界の結果だ。
 だから、たったひとつの間違いなく大事なことは、自分の愛する目の前の人を命を懸けて戦って守ることだけではないか。君の愛する人と世界が戦うなら、世界全部を敵に回してもいい。

「最前線の映画」を読む Vol.3 それでも映画は「格差」を描く (インターナショナル新書)」、261頁

「最前線の映画」を読む Vol.3 それでも映画は「格差」を描く (インターナショナル新書)

 「「大人になれ」と言った大人たちが作ったのが今の世界だ。」というところまではいいとしても、大人たちが作った今の世界は「毎年、すごい暑さや山火事や豪雨や洪水で人が大量に死んで、極地の氷が溶けて沈みゆく世界だ。これが経済や国家を優先させた大人の世界の結果だ。」ということは、「天気の子」という作品の中にはないのではないか?

 「天気の子」の作品の中にはないことを町山智浩氏は「天気の子」におしつけているのではないか?

 現実世界の町山智浩氏の政治的主張を「天気の子」に持ち込んでいるのではないか?

 町山氏はその後にも「消費税が上げられる」とか「コロナでこれだけの死者が出ても政府は税金を使って全国の病院からベッドを削減する」とかいうことをそのまま「天気の子」と関係づけている。(「「最前線の映画」を読む Vol.3 それでも映画は「格差」を描く (インターナショナル新書)」、262頁)

 そういうことは町山智浩氏の政治的主張であって、「天気の子」そのものとは関係ないのではないか?

 「天気の子」の主人公と世間との対立は、あくまでも作品の中で描かれた主人公と世間とによって考えるべきではないか?

ラスト

 この映画の結末にはどういう意味があるのか?

 その問いに対して町山氏は次のように答えている。

「僕たちは世界を変えてしまった」
 帆高は言う。しかし、東京は水没していく。彼らは何を変えたのか? これでハッピーエンドなのか?
 その答えは宮崎駿の作品にある。
 宮崎駿監督は水没を何度も描いてきた。『未来少年コナン』(78年)でも、『パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻』(73年)でも、『ルパン三世 カリオストロの城』(79年)でも。それは災いではなく、穢れたものを洗い流す浄化と再生の儀式として描かれる。
『崖の上のポニョ』(08年)では、人間の男の子、宗介と、さかなの女の子ポニョとの恋が嵐を呼んで、世界を水没させてします。人間の文明と大自然が結婚して、両者が共存する新世界が生まれるために。
『天気の子』では、水没した地区はもともと海だったんだ、という。つまり、人間が長い間かけて変えてきたものが元に戻っただけなんだと。これは滅びではなく、はじまりなのだ。

「最前線の映画」を読む Vol.3 それでも映画は「格差」を描く (インターナショナル新書)」、265頁

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 まず、町山智浩氏が「天気の子」で、水没したところはもともと海であったというところをとりあげて、「これは滅びではなく、はじまりなのだ」と結んでいることに疑問がある。

 「天気の子」で、水没したところはもともと海であったと語ったのは、主人公ではない。むしろ「大人」の側の人物である。

 その言葉に対して主人公は釈然としていない。

 最後の場面での主人公の確信は、その言葉によることではなく、その後にヒロインと出会ったことによることである。

 最後に主人公が確信したのは「元に戻っただけなんだ」ということではなく、主人公たちが「世界を変えてしまった」ということである。

 新海誠監督の作品を宮崎駿監督の作品によって解釈するということによって、新海誠監督の作品そのものに向き合わなくなっているのではないか?


パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻

おわりに

 「最も危険なアメリカ映画」でもそうであったが、この著書でも町山氏は映画を政治とからめて論じている。

 そのせいか私には、政治論としても、映画論としても、中途半端になっているように見える。

 映画に特定の政治思想がおしつけられて、映画そのものに向き合うことが十分にできていないように見える。

 政治思想も、すでにきまったものとして与えられて、掘り下げられることはない。

 その他にも、宮崎駿監督の作品によって解釈することによって、「天気の子」そのものをとらえそこなっているところがないか?


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