「きまぐれオレンジ☆ロード」には小説版がある。
その小説版が出来たいきさつは、そのあとがきに著者自らの言葉によって書かれている。しかし私はそれを読んで、かえって混乱した。
そのことについて考えたことを書いてみた。
基本的な事実
まず「きまぐれオレンジ☆ロード」の小説版について基本的な事実について書く。
「きまぐれオレンジ☆ロード」の漫画、TVシリーズ、劇場版、小説版の時系列は下の記事↓
小説「新きまぐれオレンジ★ロード そして、あの夏のはじまり」
小説「新きまぐれオレンジ★ロード そして、あの夏のはじまり」は1994年7月9日に集英社から書き下ろしとして出版された。
漫画「きまぐれオレンジ☆ロード」の作者まつもと泉先生と、そのTVシリーズのシリーズ構成、劇場版の脚本を担当した寺田憲史氏がともに著者に名を連ねるというかたちになっている。
寺田憲史氏が小説の執筆を担当し、まつもと泉先生が挿絵を担当している。
JUMPjBOOKS
小説「新きまぐれオレンジ★ロード そして、あの夏のはじまり」は「JUMPjBOOKS」(集英社)の一つとして出版された。
「JUMPjBOOKS」は「漫画⇆小説の新しさ!!」、「BIGネーム&人気漫画家の共演!!」を売りにするもので、それまでに「バスタード」、「電影少女」など「週刊少年ジャンプ」で連載されている漫画の小説版や、オリジナルの小説に漫画家が挿絵を描いたものが22冊出版されていた。
「JUMPjBOOKS」は、1991年8月21日にVol.1が出版された「jump novel」(集英社)という「小説+漫画」をうたった雑誌がもとになっているようである。「きまぐれオレンジ☆ロード」の小説版の2冊目、3冊目は「jump novel」に掲載されている。
劇場版
その後に小説「新きまぐれオレンジ★ロード そして、あの夏のはじまり」をもとにした映画「新きまぐれオレンジ★ロード あの夏のはじまり」が作られて、1996年11月2日に公開された。
劇場版
私は小説版を読む前に、小説版をもとにして作られた劇場版を観ていた。
私は2013年に「きまぐれオレンジ☆ロード」に対する関心が再燃した時にはじめて劇場版の存在を知った。その時にはじめて劇場版1作目「あの日にかえりたい」とともに2作目の「そして、あの夏のはじまり」を観たのである。
私は劇場版「あの日にかえりたい」もいいと思わなかったが、劇場版「そして、あの夏のはじまり」は、それとは違う方向でよくないと思った。そしてそういう出来になったのは、寺田憲史氏によるところが多いのではないかと思っていた。
衝撃
私が衝撃を受けたのは、小説「新きまぐれオレンジ★ロード そして、あの夏のはじまり」の「postscript」でまつもと泉先生が小説版について次のように語っていたからであった。
今回の小説は「その後」の話である。これは「言いだしっぺ」の私の仕事である。しかし一介のマンガ家が一夜漬けで、いきなり小説などという大それたものを書けるほど世の中甘くない。それならば、と私が「生みの親」であるなら、ここはひとつ「育ての親」に御頼みするのが良いと考え、私はプロットまでを作ることにし、後はアニメのまどか達を創造した張本人、寺田憲史さんにお願いした。
「新きまぐれオレンジ★ロード あの夏のはじまり」、244頁
まつもと泉先生はこの小説版について「これは「言いだしっぺ」の私の仕事である。」と言っている。そして自ら寺田憲史氏に小説版を依頼したと言っている。「寺田さんにはこのまつもとが「ぜひとも!」と、お願いして快く引き受けていただいた。」とも書かれている。(同、244頁)
私は、小説版は主に寺田憲史氏が作ったものだと思っていた。
ところが、まつもと泉先生はそれを「「言いだしっぺ」の私の仕事」とよんでいる。
私は、まつもと泉先生は小説版に対しても寺田憲史氏に対しても自分から離れたものと考えていると思っていた。
ところが、まつもと泉先生は自ら寺田憲史氏に依頼するのがいいと考えて依頼したと語っている。
しかし考え直してみると、まつもと泉先生が自ら寺田憲史氏に依頼するのがいいと考えて依頼したということには疑問がある。そういうことはなかったのではないかと思う。
依頼
まつもと泉先生が自ら寺田憲史氏に依頼するのがいいと考えて依頼したということを、私がそのまま受け取ることができないわけを語る。
それまでの寺田憲史氏
第一に、それまで寺田憲史氏は、TVシリーズでも、劇場版でも、原作と違うものを作ってきた人である。
原作と違うものを作る寺田憲史氏を、まつもと泉先生が消極的に受け入れることはあるであろうが、積極的に選ぶことはないのではないか?
TVシリーズ
寺田憲史氏はTVシリーズのシリーズ構成を担当した人であるが、TVシリーズには原作漫画と違うところが少なからずあった。
まつもと泉先生も、問題としている「postscript」で「というワケで…と寺田憲史的口調にいきなり変わっちゃったりして。」と書いているところがある。(同、242~243頁)
「寺田憲史的口調」という原作にないものがTVシリーズに入れられていたことをわざとやってみせているのである。逆に言うと、そのようにつき放したかたちでなく取り入れることはないということではないか?
そういうことに対するファンからの疑問もまつもと泉先生に寄せられていた。「ジンゴロとかいう猫がアニメに突然出て来たりしたとき」も、なぜかという質問がきたという。(同、242頁)
そして「そういう人の質問には「私はそれに関わってないから分かりません。それは作られた方の個性じゃないんですか。」と答えることにしてきた」と語っている。(同、242頁)
まつもと泉先生はアニメに対して次のような考えをもっていたという。
今まで、アニメなどの原作のマンガ以外のオレンジロードは、絵に関しても、ストーリーに関しても所詮、他人の手で描かれるため、良いものになろうが、つまらなかろうが「オレンジロード風ガイドライン」からそう逸脱したものにならなければ、私はなるたけ関わる必要がないと決め込んでいた。だからアニメと私の原作とではストーリーが少しくらい違っていても、あまり注文など口は出さないようにしてきた。
「新きまぐれオレンジ★ロード あの夏のはじまり」、242頁
要するに、まつもと泉先生は、TVシリーズにおいて寺田憲史氏が原作と違うことをやってきたことに対して、自分から離れたものとしてみるという立場をとっていた。
ところでまつもと泉先生が、積極的に寺田憲史氏に小説版の執筆を依頼したとすると、それまで自分から離れていたものとして見ていたものを、自分から積極的にもとめたことになる。おかしくないか?
「あの日にかえりたい」
寺田憲史氏は、劇場版「あの日にかえりたい」の脚本を担当した人でもある。劇場版「あの日にかえりたい」は、TVシリーズより原作から離れたものになっている。
まつもと泉先生も「映画のオレンジロードと原作のオレンジロードとでは、なぜ話が違うの?」と質問されたと書いている。(同、242頁)
まつもと泉先生は、原作と違うものになっても、なるべく口を出さないようにしてきたというが、劇場版「あの日にかえりたい」に対しては、口を出したと言われる。実情はわからないが、寺田憲史氏の「postscript」には次のように書かれている。
ぼくが(映像スタッフと練り上げた)オリジナルのプロットをまつもとさんにお見せすると、たった一言「寺田さん、ひかるちゃんをあまりまり可哀想にしないで下さいね」とだけおっしゃった。
「新きまぐれオレンジ★ロード あの夏のはじまり」、246頁
まつもと泉先生が口を出したということは、「あの日にかえりたい」は「オレンジロード風ガイドライン」から逸脱したということではないか。
寺田憲史氏は、原作と違うものを作ってきただけでなく、まつもと泉先生の考える「オレンジロード風ガイドライン」から逸脱したものを作った人でもあった。
そういう人に対してまつもと泉先生が積極的に小説版の執筆を依頼するであろうか?
寺田憲史氏の小説版の企画
劇場版「あの日にかえりたい」は過去のことにとどまらない。まさに今回の小説に関わることである。
「あの日にかえりたい」の続編
小説「新きまぐれオレンジ★ロード そして、あの夏のはじまり」は劇場版「あの日にかえりたい」の「その後」の話になっているのである。小説の中で「あの日にかえりたい」のことが語られている。
大学受験に明け暮れていた去年の夏、ぼくとひかるちゃんはキスをした。それが、鮎川の心を深く傷つけた。それから、三人の関係は音を立てるように崩れていった。
「新きまぐれオレンジ★ロード あの夏のはじまり」、39頁
・そこで恭介が「結局ぼくは、ひかるちゃんにもう二人だけでは会えないことを告げた。」とか、
・それに対してひかるがまどかに対して「まどかさん! まどかさんは、ずるいですよ。まどかさんは、春日先輩に何かしましたか?」、「わたしは、なんだってできます。先輩のためなら。先輩のためなら、なんだってできます」と言ったとか、
・恭介に対して「だめですか? …あたしじゃだめですか? あたし、春日先輩のこと、諦めきれないんですよ。ちゃんとあたしを見て下さい。無視しないでよ~!」と言ったとか、(39頁)
いずれも「あの日にかえりたい」に出て来たことである。
「きまぐれオレンジ☆ロード」の小説版を、劇場版「あの日にかえりたい」の後の話にすることを企画したのは、まつもと泉先生とは思えない。
まつもと泉先生
まつもと泉先生が「きまぐれオレンジ☆ロード」の「その後」の話を企画したときに、「あの日にかえりたい」の「その後」の話を企画したとは考え難い。
「あの日にかえりたい」は、原作とは異なる終わり方を描いたものである。
原作者が「あの日にかえりたい」の「その後」の話を企画する必要はない。原作の「その後」の話を企画すればいいのである。
劇場版「あの日にかえりたい」の「その後」の話を小説にしたいのであれば、そうしてもいい。しかしそのように原作を捨てて「あの日にかえりたい」の続編を企画するほど、まつもと泉先生は「あの日にかえりたい」を好ましいと思っていなかったようである。むしろ好ましくないと思っていたと言われている。そういうものの「その後」の話を積極的に作りたかったとは考え難い。
まつもと泉先生は「postscript」で小説版について、「その後」の話とだけ言って、「あの日にかえりたい」の「その後」の話と言っていない。それだけ「あの日にかえりたい」に対して反発する気持ちを持っていたと読み取ることができるのではないか。
寺田憲史氏
それに対して寺田憲史氏には、「あの日にかえりたい」の「その後」の話を企画する理由がある。「あの日にかえりたい」は、寺田憲史氏が(映像スタッフとともに)作ったものだからである。
寺田憲史氏は「postscript」を「あの日にかえりたい」のことから始めている。(原作者が「あの日にかえりたい」という言葉を一度も使わないことと対照的である)
寺田憲史氏はまた「今回のノベルスは、『あの日に―』の<その後の恭介たち>である。」と書いている。(246頁)
恭介とまどかは、二十二歳である。ひかるは二十歳。それぞれに、様々なコトがあったはずである。時に傷つき、時に燃えて、…だからこそ、それぞれが、<とても居心地がよかった時=あの日>は、ふと立ち寄ってみたくなる。でも…。
「新きまぐれオレンジ★ロード あの夏のはじまり」、247頁
この小説の企画が寺田憲史氏から出たと思われるもう一つの理由がある。
寺田憲史氏は「postscript」の最後に、この小説の「その後」の話を書きたいと書いている。
機会があったら、またこの三人の<その後>を書いていたいと思っている。そのため、ノベルスでは、敢えて<新>と付けさせて頂いた。最後にまどかの意味深なセリフ。
「新きまぐれオレンジ★ロード あの夏のはじまり」、247頁
「わたし、いつか超能力者、産むのかな?」
こうなったら、そこまでこの三人の青春を追っかけてみようか、などと考えてしまっている今日この頃なのである。
―三人の夏は、もうすぐ!
この小説の題が「新きまぐれオレンジ★ロード」となっているのは、「またこの三人の<その後>を書いていたいと思っている」からだというのである。
「新きまぐれオレンジ★ロード」は寺田憲史氏の企画したもののようである。
考察
小説「新きまぐれオレンジ★ロード そして、あの夏のはじまり」の「postscript」のまつもと泉先生の言葉も、寺田憲史氏の言葉も、そのままで受け取ることはできない。何が起こっていたか、考えてみよう。
二つの選択肢
「postscript」で気になるところを考えなおしてみよう。
まつもと泉先生は「postscript」のはじめに、「この小説の依頼話が来た時、私の頭にはとっさに二つの考えが浮かんだ。」といって、「作者としても描くべきではない、という考え」と、「どうせなら今までのストーリーの中に番外編を入れるくらいじゃ面白くないから「恭介やまどかの、その後」を描いてみるのも良いかもしれない、という考え」との二つの考えが浮かんだと語っている。
そしての二つの考えの間で「あれこれ悩んだ末、とにかく引き受けることにした。」と語っている。
これは奇妙ではないか? 何故にその二つしか選択肢がないのか? 何故に「今までのストーリーの中に番外編を入れる」という選択肢がはじめから排除されているのか?
まつもと泉先生自身はその後に「今までのストーリーの中に番外編を入れる」ことしかやっていない。そういう選択肢がはじめから排除されているのである。
まつもと泉先生が「でも、正直いうなら、どうせなら今回は自分で小説を書きたいと思った。」というところに、まつもと泉先生の本心はあったのではないか?
TVシリーズでも、劇場版「あの日にかえりたい」でも、まつもと泉先生の思うようなものにはならなかった。それでもまつもと泉先生は、他の人が作ることであるから、「オレンジロード風ガイドライン」からそう逸脱したものにならない限りしかたがないと考えていた。
しかし「正直」な気持ちは違った。
とはいえ、まつもと泉先生自ら小説を書くことはできず、まつもと泉先生の思うような小説を書く人をよんでくることもできなかった。
そこでこれまでと同じように寺田憲史氏の作る原作と違うものを、他の人が作るから仕方がないものとして受け入れることにしたということではないか?
「その後」
実際には「「恭介やまどかの、その後」を描いてみるのも良いかもしれない、という考え」が採用された。
ところで「恭介やまどかの、その後」ということには、原作の「その後」の話も含まれると思われるが、実際には「あの日にかえりたい」の「その後」の話となった。
そのことを考えると、はじめの選択肢の段階で「あの日にかえりたい」の「その後」の話として考えられていたのではないかと思われる。
まつもと泉先生に小説版の話が来た時には、「あの日にかえりたい」の「その後」の話にするか、それともやめるか、選択肢は二つだけになっていたのではないか? その時点で寺田憲史氏の考えが取り入れられていたのではないか?
寺田憲史氏に依頼したということ
まつもと泉先生に小説版の話が来る前に、担当編集者の根岸氏か、他の人かわからないが、寺田憲史氏を執筆者の候補として話をしていたのではないかと思われる。
寺田憲史氏はTVシリーズのシリーズ構成を担当していたので、話が早かった。
「きまぐれオレンジ☆ロード」の小説版を書きたいという人は多かったのではないか、と私などは思うが、まつもと泉先生も、担当編集者の根岸氏も、そう思っていなかったのではないか。
現に平井和正氏は1994年に「きまぐれオレンジ☆ロード」に魅了されて、1995年に「ボヘミアン・ガラス・ストリート」という小説を出している。(アスベクト、1995年3月4日)
小説版の話を聞いた寺田憲史氏は、「あの日にかえりたい」の「その後」の話にすること、「新きまぐれオレンジ★ロード」にすることを主張したと思われる。
まつもと泉先生に小説版の話が来た時には、寺田憲史氏の主張を受け入れるか、小説版をやめるか、選択しは二つに一つとされていた。他の執筆者に依頼することもできたと思われるが、なぜか考慮されなかった。
まつもと泉先生が「これは「言いだしっぺ」の私の仕事である」と言い、「寺田憲史さんにお願いした。」と言い、「寺田さんにはこのまつもとが「ぜひとも!」と、お願いして快く引き受けていただいた。」と言っているのは、その決断はあくまでもまつもと泉先生がなしたものだからと考えられる。
実際には、まつもと泉先生からみると、小説版は、TVシリーズと同じような位置にあるものと思われる。「きまぐれオレンジ☆ロード」の名を使って、他の人がやるのである。
「そしてまた私はしばらく少し離れたところからそっと見守っていることにする。」(244頁)というところも、小説版に対して、TVシリーズに対してしたのと同じように離れて見守るという立場をとることを明らかにしている。
そこでまつもと泉先生は「あの日にかえりたい」の「その後」の話にすることを認める代わりに、「オレンジロード風ガイドライン」から「そう逸脱したもの」にならないことを求めたのではないか。
以上、私の推測である。
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全く同感です。