カテゴリー: フレッド・アステア

  • 「イースター・パレード」における性別の転換について

    「イースター・パレード」における性別の転換について

     1948年に公開された映画「イースター・パレード」では、性別の転換が重要な意味を持っている。


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     映画終盤にジュディ・ガーランドの演ずる人物がアーヴィング・バーリンの名曲「イースター・パレード」を歌うところは、映画の中で重要なところであるが、そこで性別の転換が行われているのである。

     男性が女性に対して歌うところを、女性が男性に対して歌うようにしているのである。

    Warner Bros. Entertainment
    Easter Parade | Digital Trailer | Warner Bros. Entertainment

     「イースター・パレード」の歌詞は、女性とイースター・パレードに行く約束をしていた男性が、朝、ドアを開けてその女性の美しい姿をみて、気持ちが高まるというものである。

     映画「イースター・パレード」では、その歌をジュディ・ガーランドの演ずる女性が歌っている。

     そのために歌詞を変えているところがある。

     たとえば、相手をレディ( “lady” )とよぶところを、奴( “fellow” )と変えている。

     しかし変えずにそのままにしているところもある。

    帽子

     たとえば、相手の女性の、帽子の上をフリルで飾った姿の美しさを歌うところを、そのままにしている。

     ジュディ・ガーランドがそう歌う時に、前にいるのはフレッド・アステアである。

     フレッド・アステアはトレードマークのトップ・ハットをかぶっている。

     ただしそのトップ・ハットにはピンクのリボンが巻かれている。

     ジュディ・ガーランドはそのピンクのリボンを巻いたトップ・ハットを指しながら、帽子の上をフリルで飾った姿の美しさを歌うかたちになっている。

     そう見立てているということができる。

     そもそもそのリボンを巻いたトップ・ハットは、その直前にジュディ・ガーランドの演ずる人物が、フレッド・アステアの演ずる人物に贈ったものであった。

    膝の上に

     ジュディ・ガーランドが歌に合わせて膝の上にフレッド・アステアを座らせるところがあるが、男性と女性が入れ替わっていると考えることができる。

    ドアを開けて

     そもそも男性ではなく女性であるジュディ・ガーランドが、朝ドアを開けて、出かける前の相手の姿を見に来るところから、性別の転換が行われている。

     男性が女性の美しさを見て歌うのではなく、女性が男性の美しさを見て歌うというかたちになっている。

     相手の部屋に入ってきて、腕を組んで相手をみて、「まだ支度ができていないの? 男はこれだから」( “Aren’t you ready yet? Just like a man.” )と言うところも。

    性別の転換の理由

     何故に性別の転換は行われたのか?

    裏の事情

     裏の事情を考えると、ジュディ・ガーランドに歌わせたかったからであろう。

     「イースター・パレード」の映画では、当然楽曲「イースター・パレード」を歌うことになる。

     フレッド・アステアは踊りの人、ジュディ・ガーランドは歌の人であるから、「イースター・パレード」を歌うのはジュディ・ガーランドになる。

     しかし「イースター・パレード」は男性が女性に対して歌う歌であるゆえに、ジュディ・ガーランドが歌うと、性別の転換が生ずるのである。

    劇中の意味

     「イースター・パレード」の歌での性別の転換は、劇の中で意味があることになっている。

     ジュディ・ガーランドの演ずる人物が性別の転換を行って「イースター・パレード」を歌うことは、その人物がそれまで抱えていた問題を解決することになっているのである。

     その前の夜、ジュディ・ガーランドの演ずる人物は、フレッド・アステアの演ずる人物が好きであるにもかかわらず、つきはなしてしまう。

     しかしやはり好きなので、その夜は眠れずにすごした。

     次の朝、部屋に訪ねてきた友人(ピーター・ローフォード)を迎え入れて、自分の気持ちを述べると、好きな相手には自分の気持ちを伝えればいいと言われる。

     それに対して、そういうことは男性には容易なことであるが、自分は男性ではないので容易なことではないと答える。

     すると、なぜ? と聞かれる。

     それを聞いて、ジュディ・ガーランドの演ずる人物はひらめいたように目を輝かせる。

     その時ひらめいたのが、性別を転換して「イースター・パレード」を歌うことである。

     そしてニューヨーク五番街のイースター・パレードでのデートに誘うことである。

     ふたりは前にイースター・パレードでデートをしようと約束していた。

     そもそもふたりで仕事を始めたのは前の年のイースターの日であった。ふたりでニューヨーク五番街のイースター・パレードをみて、次の年のイースター・パレードの時にはジュディ・ガーランドの演ずる人物がスターになっているとフレッド・アステアの演ずる人物は語っていた。

     ふたりでディリンガムのショーをやることになった時にも、ふたりでイースター・パレードに行こうと言い合っていた。

     ふたりはそのディリンガムのショーで成功した。

     ところがジュディ・ガーランドの演ずる人物は、フレッド・アステアの演ずる人物をつきはなしてしまった。

     そしてどう関係を修復すればいいか、わからなくなっていた。

     そういう状況で、ジュディ・ガーランドの演ずる人物が男性のように振る舞って、「イースター・パレード」を歌うと、関係は修復した。

    第三段階

     映画「イースター・パレード」は、性別の転換だけで終わっていない。

     ジュディ・ガーランドはピンクのリボンを巻いたトップ・ハットを指して歌うが、その歌の途中でフレッド・アステアはトップ・ハットに巻かれたリボンを取り除いている。

     ジュディ・ガーランドはフレッド・アステアを膝に乗せるが、フレッド・アステアはすぐに立ち上がっている。

     フレッド・アステアは女性のようにも振る舞うが、男性に戻る。

     元の歌詞では、男性が相手の女性の美しい姿をみて自分はイースターパレードで最も誇らしい男になると歌うが、ジュディ・ガーランドは、自分たちは最も誇らしいカップルになると歌う。

     いわば男性の目線の歌であったのを、ふたりの目線の歌にしているということができる。

     フレッド・アステアはリボンをとり除いたトップ・ハットを、ジュディ・ガーランドは自分で持ってきた飾りのついた帽子をかぶって、ふたりで部屋を出てイースター・パレードに行く。

     そもそもこの映画は、フレッド・アステアの演ずる人物が女性(アン・ミラー)のためにイースターの帽子を買うところから始まっていた。

     その女性は去って、一年後にフレッド・アステアの演ずる人物にトップ・ハットを贈る女性とともにイースター・パレードに行くことになっているのである。

     そしてニューヨーク五番街のイースター・パレードでは、フレッド・アステアが「イースター・パレード」の後半を歌っている。


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  • フレッド・アステアの映画「ベル・オブ・ニューヨーク」

    フレッド・アステアの映画「ベル・オブ・ニューヨーク」

     「ベル・オブ・ニューヨーク」( “The Belle of New York” )は1952年に公開されたフレッド・アステア主演のミュージカル映画。

     ダンスのうまいヴェラ・エレンを相手役として、またソロでフレッド・アステアが踊るところをみることができる。

     監督はチャールズ・ウォルターズ。

     作曲ハリー・ウォーレン、作詞ジョニー・マーサー。


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    「ベル・オブ・ニューヨーク」のあらすじ

     1910年代が舞台。

     フレッド・アステアは金持ちの家のプレイボーイの役。

     たまたま救世軍の女性(ヴェラ・エレン)に出会って惚れ込んで近づこうとするが、まじめに働くことをもとめられる。

    フレッド・アステアの思い入れ

     フレッド・アステアはこの映画に対する強い思い入れを述べている。―「ヴェラ・エレンという良いダンサーを相手役として、最高のダンスナンバーができた。~「ベル・オブ・ニューヨーク」は私の好きな映画だ」

    As my partner I had a girl who was a good dancer, Vera-Ellen. And some of the best dance numbers you could ever get. ~ The Bell of New York was one of my favorite films.

    “MGM’s Greatest Musicals” p.366

    M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

     ヴェラ・エレンは当時傑出したダンサーであった。

     そのヴェラ・エレンを相手役として、フレッド・アステアはこの映画のダンスを作ったが、そのダンスは最高のものになったというのである。

    「ベル・オブ・ニューヨーク」の楽曲

     作曲ハリー・ウォーレン、作詞ジョニー・マーサー。

    “When I’m Out With the Belle of New York”

     町の男たちがヴェラ・エレンに歌いかける歌。

    “Seeing’s Believing”

     フレッド・アステアはこの前の映画「恋愛準決勝戦」で重力に挑戦するダンスをやったが、「ベル・オブ・ニューヨーク」でも違うかたちで重力に挑戦するダンスをやっている。

    “Baby Doll”

     キリストの教えを説くヴェラ・エレンを、フレッド・アステアが口説こうとするところがダンスで表現される。

    “Oops!”

     街路を歩くヴェラ・エレンに、馬車からフレッド・アステアが声をかけて、馬車を使った二人のダンスとなる。

     「トップ・ハット」で馬車の御者に扮したフレッド・アステアがジンジャー・ロジャーズに語り掛けるところが思い出される。

    “Naughty but Nice”

     ヴェラ・エレンが悪女の振りをして踊る。

     ドレスの色彩が鮮やか。

    “I Wanna Be a Dancin’ Man”

     フレッド・アステアが舞台で一人で砂を撒いてその上で踊る。

     フレッド・アステアの重要なダンス。

     「トップ・ハット」での砂の上の踊りが思い出される。

    季節に合わせたダンス

     カリヤー・アンド・アイヴズ( Currier and Ives)風の四季の背景、衣装でフレッド・アステアとヴェラ・エレンが踊るところが見どころ。

     秋の背景でヴェラ・エレンが歌うところから始まる。

     春は緑の背景の中、黄色が印象的な衣装でバドミントンからのダンスでブランコを使う。

     冬はアイススケートで踊る。

     夏は超絶技巧のタップダンス。

    原作

     映画「ベル・オブ・ニューヨーク」は1897年のブロードウェイ・ミュージカル「ベル・オブ・ニューヨーク」をもとにしている。

    「ベル・オブ・ニューヨーク」のDVD

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  • フレッド・アステアの映画「絹の靴下」 ミュージカル版「ニノチカ」

    フレッド・アステアの映画「絹の靴下」 ミュージカル版「ニノチカ」

     「絹の靴下」(原題は “Silk Stockings” )は、1957年に公開されたミュージカル映画。

     パリに来たソ連の女性の役人に、アメリカ人の映画プロデューサーが惚れ込んで口説く、という話。

     ソ連の女性の役人をシド・チャリース、アメリカ人の映画プロデューサーをフレッド・アステアが演じている。

     「バンド・ワゴン」の次にフレッド・アステアとシド・チャリースが共演した映画で、この映画の二人のダンスも見どころが多い。

     この映画の後、フレッド・アステアはミュージカル映画に出演しなくなる。(その次は10年後の1968年)


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    「絹の靴下」の話

     映画「絹の靴下」は、1939年に公開された映画「ニノチカ」をもとにしている。


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     問題を解決するためにソ連の女性の役人ニノチカがパリに来る。

     パリでその問題に関わっていたフランスの侯爵は、ニノチカが資本主義的な享楽を否定することに驚くが、惚れ込んで口説く。

     「絹の靴下」の話は大体において同じ。

     ただしニノチカを口説くのは、フランスの侯爵ではなく、アメリカの映画プロデューサーになっている。

    主題

     話が変わったことによって主題も変わっている。

    対立

     「ニノチカ」は、資本主義に反対するソ連の文化と、資本主義を代表するバリの文化との対立を描いていた。

     「絹の靴下」は、資本主義に反対するソ連の文化と、資本主義を代表するアメリカの文化の対立をパリを舞台として描いている。

    アメリカ文化

     主人公をアメリカの映画プロデューサーとしたことによって、「絹の靴下」はアメリカの文化を正面から扱うことができた。

     アメリカ映画はアメリカの文化を代表するものである。

     そういうアメリカ文化がソ連の文化と対立する。―たとえばソ連の音楽と対立する。

    ソ連の文化

     ソ連の文化が資本主義と対立するものと描かれていることは同じ。

     「絹の靴下」ではソ連の音楽の特殊性が問題となる。

     また、ソ連がバレエの国として特徴づけられている。―そのことによってシド・チャリースのバレエが生きる。

    「ニノチカ」から「絹の靴下」へ

     1939年に公開された映画「ニノチカ」はヒットした。

     そこで映画「ニノチカ」をもとにしたミュージカルが作られた。

     音楽はコール・ポーターが作った。

     そうしてできたブロードウェイ・ミュージカル「絹の靴下」は1955年に開幕した。

     映画「絹の靴下」はそのブロードウェイ・ミュージカルをもとにして作られて、1957年に公開された。

    「絹の靴下」ということ

     日本語の題は「絹の靴下」とされているが、原題は “Silk Stockings” 、シルクのストッキングである。

     シルクのストッキングが、資本主義的な享楽を象徴するものとされているのである。

     映画「ニノチカ」では、そのことは帽子によって表現されていた。

     ニノチカがシルクのストッキングを履くところに、コール・ポーターは「絹の靴下」( “Silk Stockings” )という楽曲を作った。

     映画「絹の靴下」では、ニノチカがそれまで着ていた服を脱いで、絹の靴下を身に着けていくところは、シド・チャリースのバレエによって表現されている。

     豪華なホテルの中で豪華な下着姿の伸びやかな踊りが美しいところ。

     しかしその下着姿での踊りは、撮影当時、ヘイズオフィスの検閲によって問題があるとされたと言われている。

     映画「絹の靴下」の日本語版のポスターには「おシャレをしたい女性はゼヒ!コウ奮したい殿方もゼヒ!」と書いてある。(「華麗なるミュージカル映画の世界」、98頁)


    ’S Wonderful―“Musical” The Graphic Work 華麗なるミュージカル映画の世界。

     そういう映画でもある。

     映画女優役のジャニス・ペイジが下着姿で「サテンとシルク」( “Satin and Silk” )を歌うところも、そういう方向だということができるかもしれない。

    ナンバー

     「絹の靴下」、「サテンとシルク」以外の楽曲について。

    「あなたのすべて」 “All of You”

     フレッド・アステアがニノチカ(シド・チャリース)を口説く「ロマンティック」な歌。

     この楽曲によって対立していた二人が踊りを合わせていく。

    「結ばれる運命」 “Fated to Be Mated”

     フレッド・アステアがシド・チャリースと意気投合したところで歌う。

     そして二人で広い空間で楽しそうに踊る。

     やはり二人の踊りには独特の魅力がある。

    「ザ・レッド・ブルース」 “The Red Blues”

     ソ連に帰ったニノチカが、大勢の隣人とともに踊る。

     たのしい踊り。

     シド・チャリースはうまい。

    「ステレオフォニック・サウンド」 “Stereophonic Sound”

     1950年代後半に映画が売りにしていたテクニカラー、シネマスコープ(横長の画面)、ステレオフォニック・サウンドをからかう歌。

     ジャニス・ペイジとフレッド・アステアが歌い、踊る。

     ダンスの流行がタップダンスからバレエに移ったことも。

    「ザ・リッツ・ロール・アンド・ロック」 “The Ritz Roll and Rock”

     フレッド・アステアの最後の見せ場。

     フレッド・アステアはコール・ポーターに当時流行り出したロックンロールをとりいれた楽曲をもとめた。

     そうしてできたのがこの曲。

     フレッド・アステアはトップハット姿で踊る。

    「絹の靴下」のDVD

     「絹の靴下」はDVDが出ている。

     特典映像「コール・ポーター・イン・ハリウッド Satin and Silk」では、シド・チャリースのナレーションによって映画撮影の時の様子が語られている。―監督ルーベン・マム―リアンのこと、作詞作曲家コール・ポーターのこと、フレッド・アステアのことなど。


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  • フレッド・アステアとバレエの因縁④「足ながおじさん」「パリの恋人」「絹の靴下」

    フレッド・アステアとバレエの因縁④「足ながおじさん」「パリの恋人」「絹の靴下」

     フレッド・アステアは、バレエとどういう関係にあったのか?

     ここでは、「バンド・ワゴン」以後の映画―「足ながおじさん」「パリの恋人」「絹の靴下」をとりあげる。

     フレッド・アステアが映画デビューしてからRKOでジンジャー・ロジャーズと共演している間のこと↓

     フレッド・アステアがRKOから離れ、ジンジャー・ロジャーズから離れてから、「ブルー・スカイ」で引退するまで↓

     フレッド・アステアが「イースター・パレード」で復帰してから、MGMで「バンド・ワゴン」を生み出すまで↓

    「ホワイト・クリスマス」

     まず、1954年に公開されて大ヒットした映画「ホワイト・クリスマス」( “White Christmas” )をとりあげる。


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    「ホワイト・クリスマス」とフレッド・アステア

     「ホワイト・クリスマス」にはフレッド・アステアは出ていない。

     しかしフレッド・アステアと関係のない映画ではない。―「ホワイト・クリスマス」はもともとフレッド・アステアが出演する映画として企画された。

     その前にフレッド・アステアは

    「スイング・ホテル」(1942年)


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    「ブルー・スカイ」(1946年)


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    でビング・クロスビーと共演していて、「ホワイト・クリスマス」はそれに続くものとして企画された。

     ところがフレッド・アステアは「ホワイト・クリスマス」に出演することをことわった。

    「コレオグラフィー」

     「ホワイト・クリスマス」には、アーヴィング・バーリン作詞作曲の「コレオグラフィー」( “Choreography” )と題する楽曲がある。


    Choreography [feat. The Skylarks]

     まず、バレエダンサーの女性たちに囲まれて自分もバレエダンサーの恰好をしたダニー・ケイが、バレエ風の踊りをしながら歌う―かつてはタップダンスが流行していたが、今ではバレエが流行している、と。

     タップダンスは過去のものであって、現在ではバレエが流行しているという歌なのである。

     そこにヴェラ・エレンが現れてタップダンスを見せる。

     一方でヴェラ・エレンがタップダンスを踊り、一方でダニー・ケイがバレエを踊るというかたちになる。

     バレエはコミカルにされて、それに対してヴェラ・エレンのタップダンスが輝くように演出されているところをみると、この映画はタップダンスに傾いているようにも見える。

     「ホワイト・クリスマス」にはその他にも「エイブラハム」(” Abraham” )など、ヴェラ・エレンがタップダンスを見せるところが多い。


    Abraham [feat. Ken Darby Singers & John Scott Trotter And His Orchestra]

    「足ながおじさん」

     これからフレッド・アステアが出演した映画。

     1955年に公開された映画「足ながおじさん」( “Daddy Long Legs” )


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    レスリー・キャロン

     「足ながおじさん」でフレッド・アステアの相手役のレスリー・キャロンは、バレエダンサー。

     フレッド・アステアはまたバレエダンサーを相手とすることになったのである。

     フレッド・アステアが亡くなった時に、レスリー・キャロンはその時のことについて語っている。


    Fred Astaire: His Friends Talk

     レスリー・キャロン曰く「「足ながおじさん」でフレッド・アステアの相手役になることをもとめられた時、気が気でなかった。私はローラン・プティのバレエ団で「シンデレラ」を踊ったばかり。私はタップダンサーではなく、タップダンスのやり方を知らなかった。」

    When he asked for me for Daddy Long Legs, I was really beside myself. I had just danced Cinderella with Roland Petit’ s company. I wasn’t a hoofer, I didn’t know how to tap.

    “Fred Astaire His Friends Talk” p.14

     レスリー・キャロンは、フレッド・アステアの相手役をするためにはタップダンスができなくてはならないと考えていた。

     レスリー・キャロンが得意とするバレエを、フレッド・アステアはやらないと考えていたのである。

     フレッド・アステアはバレエが好きでなかったともレスリー・キャロンは語っている。

    He didn’t like ballet -ballet was a bore for him.

    “Fred Astaire His Friends Talk” p.14

    ローラン・プティ

     「足ながおじさん」の振り付けは、フランスの振り付け家ローラン・プティ(Roland Petit)。

     レスリー・キャロンはローラン・プティのバレエ団で踊っていたバレエダンサーであった。

     ローラン・プティによると、それまでローラン・プティがやってきたようなクラシックバレエの振り付けを「足ながおじさん」でもやろうとしたが、うまくいかず、リハーサルは大惨事になった。

    “Being a classical choreographer, it was difficult for him to do the kind of steps I did to my classical dancers. So we had the first rehearsal was just a catastrophe.

    「フレッド・アステアのすべて」

     そこでローラン・プティはやめると言った。

     ところがフレッド・アステアはローラン・プティを引き留めて、

    ・ローラン・プティはレスリー・キャロンのダンスを担当する

    ・フレッド・アステアは他の人をよんで自分のダンスをやる

    というかたちにすることを求めた。

    “You stay please, and do Leslie’s dance and everything, and I would try to manage by myself.

    「フレッド・アステアのすべて」

     以上のローラン・プティの発言は「フレッド・アステアのすべて」でのもの。

     「フレッド・アステアのすべて」はコスミック出版の「ミュージカル・パーフェクトコレクション フレッド・アステアサードステージ」に入っている。


    DVD>ミュージカル・パーフェクトコレクション<フレッド・アステアサードステージ ()

    「足ながおじさん」の踊り

     具体的にはどうなったか?

    守護天使

     レスリー・キャロンの演ずる人物は、フレッド・アステアの演ずる人物について、守護天使としていつも背後で自分を見守っていて、危険から守り、望むものをもたらしてくれる、と空想する。

     その空想(夢)が踊りで表現される。

    ・レスリー・キャロンはバレエを踊る。

    ・フレッド・アステアはレスリー・キャロンの後ろで、その動きに合わせた踊りをする。

     レスリー・キャロンのバレエと、フレッド・アステアの独自の踊りが、合わされるのである。

     レスリー・キャロンはそうしてそれぞれ異なる踊りが一つに合わさっていいものになったと語っている。(「フレッド・アステアのすべて」)

    悪夢のバレエ

     「足ながおじさん」の終盤に、レスリー・キャロンの演ずる人物の悪夢を表現したバレエがある。

     この映画で最も大がかりな踊りである。

    フレッド・アステア

     このバレエでは、レスリー・キャロンを中心として多くの人が踊っているが、フレッド・アステアは踊っていない。

     はじめは観客席で観ているだけ、次は奥の席に座っているだけ、そして奥で歩いているだけ。

     多くの人が踊る中でフレッド・アステアだけが踊らずにいるというのは、ミュージカル映画で珍しいことである。

     このバレエは、レスリー・キャロンの演ずる人物がフレッド・アステアの演ずる人物を愛しているにもかかわらず、遠くに行ってしまった、ということを表現するものである。

     フレッド・アステアが踊らず、奥にいるだけということは、そのことを表現しているということもできる。

     しかしフレッド・アステアも踊って、その後で遠くに行ってしまうというかたちでもいいのではないか?

     それまでのミュージカル映画では、似たような位置の人物も踊っていた。

    ・フレッド・アステアの演ずる人物の悪夢を表現した「ヨランダと盗賊」のバレエでは、相手役のルシル・ブレマーも踊った。


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    ・「巴里のアメリカ人」でジーン・ケリーの演ずる人物の、悪夢というより空想を表現したバレエでは、相手役のレスリー・キャロンも踊った。


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     「巴里のアメリカ人」のバレエはジーン・ケリーがレスリー・キャロンを想うというかたち、「足ながおじさん」のバレエはレスリー・キャロンがフレッド・アステアを想うというかたちになっている。

    推測

     上に引用したローラン・プティの言葉から考えると、次のようなことが推測される。

    ・はじめはフレッド・アステアも踊るバレエをローラン・プティはかんがえた。

    ・ところがうまくいかなかった

    ・そこで、バレエはやるが、フレッド・アステアは踊らないことになった。

    「パリの恋人」

     1957年に公開された映画「パリの恋人」( “Funny Face” )


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     「パリの恋人」でフレッド・アステアはオードリー・ヘプバーンを相手役とした。

     オードリー・ヘプバーンは、映画女優となる前にバレエダンサーになろうとしていた人である。

     振り付けはユージーン・ローリング。

     芝生の上で二人が踊るところなど、オードリーのバレエの素養と合わせた振り付けになっている。

    「絹の靴下」

     1957年に公開された映画「絹の靴下」( “Silk Stockings” )

     1939年に公開されてヒットした映画「ニノチカ」のミュージカル版。


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    ソ連の位置づけ

     もともと「ニノチカ」は、資本主義の享楽に反対するソ連を代表する女性ニノチカ(グレタ・ガルボ)が、パリで資本主義の享楽を代表するフランスの伯爵(メルヴィン・ダグラス)と出会って、資本主義の享楽を認めていくという話。

     「絹の靴下」もそのことは同じ。

     ただし「絹の靴下」では、ソ連はバレエの国と特徴づけられている。

     そしてニノチカは、以前にバレエをやっていた人とされている。

     そこでフレッド・アステアの演ずる人物がニノチカをダンスに誘うところは、

    ・「ニノチカ」と同じく、自分のたのしみより国家に奉仕することを上とする考えを持つ人を、自分のたのしみに誘うことでもあるが、

    ・アメリカのタップダンサーが、ソ連のバレエダンサーとともに踊ってみようと誘うことでもある。

     フレッド・アステアが「バンド・ワゴン」の時と同じように、バレエダンサーのシド・チャリースと二人で踊りをつくってみるということでもある。

    「ステレオフォニック・サウンド」

     「絹の靴下」には、「ステレオフォニック・サウンド」( “Stereophonic Sound” )というナンバーがある。

     当時の映画で、他のことよりテクニカラー(色)、シネマスコープ(横長の画面)、ステレオフォニック・サウンド(響く音)が重視されているということを風刺する歌である。

     その歌に、以前はタップダンスが流行していたが、当時はバレエが流行していたということも付け加えられた。

     そういう歌をフレッド・アステアがジャニス・ペイジと歌っているのである。

     DVDの特典映像には、シド・チャリースがそのことに言及しているところがあって興味深い。

    ロックンロール

     「絹の靴下」の最後に、フレッド・アステアは「ザ・リッツ・ロール・アンド・ロック」( “The Ritz Roll and Rock” )という楽曲を歌って踊る。

     これは当時流行していたロックンロールのような楽曲をフレッド・アステアがもとめてコール・ポーターが作ったものである。

     その楽曲に合わせてフレッド・アステアはトップハット姿で踊っている。

     フレッド・アステアはこのように新たなものを取り入れていく人であった。

     しかしバレエに関しては、苦労してきたのである。


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  • フレッド・アステアとバレエの因縁③映画「バンドワゴン」の意義

    フレッド・アステアとバレエの因縁③映画「バンドワゴン」の意義

     フレッド・アステアとバレエとの関係について考える。

     第3弾は、「イースター・パレード」から「バンド・ワゴン」まで。

     第1弾は、フレッド・アステアが映画デビューしてからRKOでジンジャー・ロジャーズと共演している間のこと↓

     第2弾は、フレッド・アステアがRKOから離れ、ジンジャー・ロジャーズから離れてから、「ブルー・スカイ」で引退するまで↓

     1946年に公開された映画「ブルー・スカイ」を最後として、フレッド・アステアは一度引退していた。


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    「イースター・パレード」

     1947年、引退していたフレッド・アステアは、リハーサルの間にけがをしたジーン・ケリーの代わりに映画に出演することをたのまれた。

     その映画が「イースター・パレード」( “Easter Parade” )である。


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     1948年6月に公開された「イースター・パレード」は大ヒットとなった。

     「オン・ユア・トーズ」以後、そして「オクラホマ!」以後、アメリカのミュージカルではバレエが重視されるようになってきていた。(「オン・ユア・トーズ」のことは第1弾、「オクラホマ!」のことは第2弾で述べた)

     フレッド・アステアも、その流れと向き合うことになった。

     ところで、「イースター・パレード」には、「オン・ユア・トーズ」のような、「オクラホマ!」のようなバレエはない。

    「イースター・パレード」以後

     「イースター・パレード」で復帰してから、フレッド・アステアは次々とミュージカル映画に出演した。

    「ブロードウェイのバークレー夫妻」

     「イースター・パレード」の次にまたフレッド・アステアとジュディ・ガーランドが共演する映画が企画された。-「ブロードウェイのバークレー夫妻」( “The Barkleys of Broadway” )である。

    ジンジャー・ロジャーズ

     制作の途中でジュディ・ガーランドは病気で出演することができなくなって、ジンジャー・ロジャーズがその代わりに出演することになった。

     「カツスル夫妻」(1939年)以来の共演である。

     そこで、ジュディ・ガーランドのために作られていたものを、ジンジャー・ロジャーズに合うように作り変えることになった。

     バレエに関することでは、その時に「ポエトリー・イン・モーション」( “Poetry in Motion” )というコミックバレエが外されたと言われている。

    Rogers and Garland as performers were dissimilar, and changes had to be made, particularly in the Warren and Gershwin score. “Natchez on the Mississip’,” “The Courtship of Elmer and Ella” (a hillbilly number) and “Poetry in Motion” (a comic ballet) were dropped.

    “MGM’s Greatest Musicals” p.246~247

    M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

     バレエをやることになっていたが、ジンジャー・ロジャーズに合うようにそのバレエは外されることになったようである。

     「ブロードウェイのバークレー夫妻」は1949年5月に公開された。


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    「翼のある靴」 “Shoes With Wings On”

     「ブロードウェイのバークレー夫妻」には、 “Shoes With Wings On” (翼のある靴)という曲目がある。

     靴屋が舞台で、客が帰ってしまった後に、一人残った店長の前で靴が勝手にタップダンスを踊りだすというもの。

     この曲目は、バレエの影響を受けたものと思われる。

     特に1年前に公開された映画「赤い靴」( “The Red Shoes” )の影響を受けたものと思われる。


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     映画「赤い靴」は、アンデルセンの童話をもとにして作られた映画で、中盤に童話をもとにした長尺のバレエがある。

     そのバレエでは、主人公が靴屋の靴を履くと、その靴が主人公をいつまでも踊らせることになっている。

     「ブロードウェイのバークレー夫妻」の「翼のある靴」で、主人公が靴屋の靴を履くと、その靴が主人公を踊らせることは、「赤い靴」のバレエと似ている。

     はじめに少しバレエが出て来るところも、関係を示しているのかもしれない。

     ただし「ブロードウェイのバークレー夫妻」の「翼のある靴」では、フレッド・アステアはバレエではなくタップダンスをやっている。

     「赤い靴」のバレエはドラマティックであったが、こちらはコミカル。

     多くの靴が踊りだすところは、「赤い靴」にはないところ。

    「土曜は貴方へ」


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     1950年に公開された映画「土曜は貴方へ」( “Three Little Words” )の振り付けはハーミーズ・パン。

     「土曜は貴方へ」にも「オクラホマ!」のようなバレエはない。

     フレッド・アステアは過去にジンジャー・ロジャーズなどとやってきたタップダンスや「ロマンティック」なダンスを発展させているように見える。

     たとえば「タップダンサー夫妻の家庭生活」( “Mr. and Mrs. Hoofer at Home” )はタップダンスによって夫婦の家庭生活を表現するものである。

    Warner Archive
    Mr. and Mrs. Hoofer At Home | Three Little Words | Warner Archive

     これは、「ロバータ」(1935年)の “I’ll Be Hard to Handle” でフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズがタップダンスで男女のやりとを表現したのを発展させたもののように見える。

     「土曜は貴方へ」のフレッド・アステアの相手役のヴェラ・エレンは、バレエもタップダンスもすぐれた人であるが、この映画ではフレッド・アステアとともに、バレエではなく、タップダンスや「ロマンティック」なダンスをやっている。

    「恋愛準決勝戦」

     1951年に公開された映画「恋愛準決勝戦」( “Royal Wedding” )


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    モイラ・シアラー

     バレエとの関係では、フレッド・アステアの恋人役に、映画「赤い靴」( “The Red Shoes” )で有名なバレエダンサー、モイラ・シアラー( Moira Shearer )が考えられていたということが重要である。


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     モイラ・シアラーがフレッド・アステアの相手役として考えられたということは、「赤い靴」のバレエのような長尺のバレエを2人でやることが考えられたということではないか?

     フレッド・アステアはモイラ・シアラーとの共演について「彼女はすばらしいが、彼女を相手にして私に何ができるのか?」と言ってことわったという。

    “I know she’s wonderful, but what the hell could I do with her?”

    “MGM’s Greatest Musicals” p.298

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     フレッド・アステアは、モイラ・シアラーと組んでもいいものはできないと考えていたのである。

    サラ・チャーチル

     モイラ・シアラーの代わりにフレッド・アステアの恋人役に選ばれたのは、ウィンストン・チャーチルの次女サラ・チャーチルであった。

     モイラ・シアラ―の代わりにサラ・チャーチルが選ばれたことと関連して、フレッド・アステアが恋人役と踊るところがなくされたと思われる。

     モイラ・シアラーが考えられていた時には、「赤い靴」ほどでなくても大がかりなバレエをやることが考えられていたのではないかと思われる。

     ところがサラ・チャーチルにかわって出来た映画では、2人が踊るところは、初めのオーディションのところに少しあるだけになっている。

     フレッド・アステアがサラ・チャーチルを想って “You’re All the World to me” の音楽に合わせて壁、天井を踊るところは、この映画の最大の見どころであるが、フレッド・アステアが一人で踊るのであって、サラ・チャーチルは写真だけ。

     フレッド・アステア主演のミュージカル映画で恋愛が2人のダンスによって表現されていないことは珍しいことである。

     このことは「恋愛準決勝戦」という映画の構造と関わることと思われる。

     「恋愛準決勝戦」は兄と妹を描く映画であって、そのことが多く描かれていることは当然のことであるが、兄妹それぞれの恋愛を描く映画でもあるのに、フレッド・アステアとサラ・チャーチルの恋愛の占める割合が少ないのではないかと思われる。

     ちなみにフレッド・アステアがジェーン・パウエルその他大勢とおどる “I Left My Hat in Haiti” でのフレッド・アステアの恰好は、「ヨランダと盗賊」の夢のバレエの時の恰好と似ているようにも見える。

    「ベル・オブ・ニューヨーク」

     1952年に公開された映画「ベル・オブ・ニューヨーク」


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     この「ベル・オブ・ニューヨーク」という映画は、フレッド・アステアの映画の中で重要な意味をもっていると思われる。

    オスカー・ハマースタイン二世

     「ベル・オブ・ニューヨーク」は、フレッド・アステアが「ブルー・スカイ」で一度引退する前から企画されていた映画である。

     1943年10月14日にプロデューサーのアーサー・フリードがオスカー・ハマースタイン二世に送った手紙に、「ベル・オブ・ニューヨーク」の音楽をオスカー・ハマースタイン二世とリチャード・ロジャーズが担当することを求めているところがある。

    Regarding The Belle of New York. We have a fine outline for the story and I am still counting on you and Dick Rodgers to do the score.

    MGM’s GREATEST MUSICALS p.152

    M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

     アーサー・フリードが二人によって「ベル・オブ・ニューヨーク」をどういう作品にしようと考えていたのか?

     「オクラホマ!」と近いところのある作品にしょうとしていたのではないか?

     オスカー・ハマースタイン二世とリチャード・ロジャーズは、初めて組んで作ったミュージカル「オクラホマ!」(1943年3月にブロードウェイで開幕)によってミュージカルに革新をもたらしていたところであった。

     具体的には、「オクラホマ!」のようにバレエを入れることを考えていたのではないか?

    引退

     フレッド・アステアは「ヨランダと盗賊」の後に「ベル・オブ・ニューヨーク」をやることになっていた。

     ところが「ヨランダと盗賊」が失敗して、失敗を繰り返したくないということで「ベル・オブ・ニューヨーク」を断って、「ブルー・スカイ」をやって引退している。

    メトロでの次の仕事は『ベル・オブ・ニューヨーク』。数か月後に始まることになっている。この映画のアイディアはあまり気に入っていなかった。脚本もなかなかかたちにならない。『ヨランダ』が強力な映画にならなかったことで、わたしの不安もつのっていた。この上また軽量級の作品を重ねたくはない。「弱い作品」が二本続くと自分の価値も下がってしまう。

    「フレッド・アステア自伝」365~366頁

    フレッド・アステア自伝 Steps in Time

     原文。

    Next on the roster for me at Metro was Belle of New York, due in a few months. I didn’t like the thought of it too much-there was some difficulty getting a script in shape. The fact that Yolanda had turned out to be a weak one worried me. I didn’t want to do another light-weight right on top of it. Two “weakies” in a row can reduce you.

    Steps in Time p.281-282

    Steps in Time: An Autobiography

     フレッド・アステアが「ベル・オブ・ニューヨーク」のどういうところを「あまり気に入っていなかった」のか、よくわからない。

     強力な映画にならなかったという「ヨランダと盗賊」と同じように「ベル・オブ・ニューヨーク」も強力な映画にならないのではないかと不安になったというところから考えると、「ベル・オブ・ニューヨーク」は「ヨランダと盗賊」と近い作品であったことが不安だったのではないか?

     具体的には、「ヨランダと盗賊」と同じく「オクラホマ!」の影響を受けたバレエがあって、それが不安だったのではないか?

    映画化

     フレッド・アステアは「ブルー・スカイ」で一度引退した後、「イースター・パレード」で復帰した。

     そして数年後、一度ことわった「ベル・オブ・ニューヨーク」をやることになった。

     ところがそうして作られた「ベル・オブ・ニューヨーク」は興行的に失敗した。

     それにもかかわらずフレッド・アステアは強い思い入れを語っている。

     「ヴェラ・エレンという良いダンサーを相手役として、最高のダンスナンバーができた。売れなかったにすぎない。私の好きな作品であったゆえに、腹が立った。」

    As my partner I had a girl who was a good dancer, Vera-Ellen. And some of the best dance numbers you could ever get. It was just a musical show that did not make it; and it makes me so mad, because The Bell of New York was one of my favorite films.

    “MGM’s Greatest Musicals” p.366

    M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

     どういうことであろうか?

     「ベル・オブ・ニューヨーク」ははじめ、「オクラホマ!」のようなバレエを伴うミュージカルとして企画されていたと思われる。

     ところが1952に公開された映画にはバレエはない。全体として「オクラホマ!」に似ているところはない。

     タップダンスなどフレッド・アステアがそれまでやってきたダンスを発展させたものが多い。

     事情はよくわからないが、もともと「ヨランダと盗賊」と同様に「オクラホマ!」の影響を受けてバレエを取り入れた作品が考えられていたのが、フレッド・アステアが復帰した後、バレエを取り除いて作られたのではないか?

    ジーン・ケリーとバレエ

     フレッド・アステアが「イースター・パレード」で復帰してから「ベル・オブ・ニューヨーク」までの時期(1948年~1952年)に、同じMGMのアーサー・フリード制作の映画で、ジーン・ケリーはバレエを取り入れていた。

    ・1948年3月に公開された映画「踊る海賊」( “The Pirate” )。


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    ・1948年12月に公開された映画「ワーズ&ミュージック」( “Words and Music” )―「十番街の殺人」(”Slaughter on 10th Avenue”)など。


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    ・1949年12月に公開された映画「踊る大紐育」( “On the Town” )―「ニューヨークでの一日」(”A Day in New York”)など。


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    ・1951年に公開された映画「巴里のアメリカ人」(”An American in Paris” )―「巴里のアメリカ人」など。


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     「巴里のアメリカ人」の主役にはフレッド・アステアも考えられていたが、バレエにはジーン・ケリーが向いているということで、フレッド・アステアではなくジーン・ケリーが選ばれたと言われている。(Blu-rayの特典映像参照)

     ジーン・ケリーはバレエに向いていたが、フレッド・アステアはバレエに向いていないと考えられていたわけである。

    ・1952年に公開された映画「雨に唄えば」( “Singin’ in the Rain” )―「ブロードウェイ・バレエ」。


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     フレッド・アステアは、1940年代中頃に、MGMで「ジーグフェルド・フォリーズ」の「ライムハウス・ブルース」、「ヨランダと盗賊」の夢のバレエをやっていた。

     ところが「ヨランダと盗賊」の後、バレエから離れていた。

     その間に、ジーン・ケリーは映画にバレエをとりいれて、1948年に公開された映画「ワーズ&ミュージック」から映画の終盤に大がかりなバレエをやる作品を連発した。

     ミュージカル映画では大がかりなバレエを入れた作品が主流になってきた。

    「バンド・ワゴン」

     1953年に公開された映画「バンド・ワゴン」( “Band Wagon” )は、上に述べたような状況において作られた作品であった。

     「バンド・ワゴン」でフレッド・アステアは

    ・バレエダンサーを相手として、

    ・バレエに取り組んだ。

    バレエダンサーを相手とする

     映画「バンド・ワゴン」は、フレッド・アステアの演ずる人物が、シド・チャリース( Cyd Charisse )の演ずるバレエダンサーとどうやって共演するかという話とみることができる。

     同時に、フレッド・アステア自身が、バレエダンサーのシド・チャリースとどうやって共演するかということもある。

    ことわる

     フレッド・アステアの演ずる人物は、バレエダンサーと組むと言われた時に、まずことわっている。

     フレッド・アステア自身、映画「恋愛準決勝戦」でバレエダンサーのモイラ・シアラーとの共演をことわっていた。

    年の差

     シド・チャリースの演ずるバレエダンサーは、フレッド・アステアの演ずる人物はもはや過去の人物だという。それゆえに共演しても意味はないという。

     そういうことは、フレッド・アステア自身、シド・チャリース自身と全く関係のないことではなかった。

     シド・チャリース(1921年生まれ)は、1953年当時、バレエが流行する中ですぐれたバレエダンサーとして流行の先端にいた。

     それに対してフレッド・アステア(1899年生まれ)は、1930年代にタップダンスが流行する中ですぐれたタップダンサーとして流行の先端にいたが、1953年当時は、バレエの流行とうまくいっていなかった。

     映画の冒頭には、フレッド・アステアの演ずる人物が過去の映画で使っていたというトップハットや杖が競売に出されていて、しかも売れないさまが描かれていた。


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     トップハット姿は1930年代のフレッド・アステアを代表するものである。

    うまくいかない

     フレッド・アステアの演ずる人物は結局そのバレエダンサーと共演することになって、バレエの振付師に従って稽古を始める。

     しかしそれぞれ相手に対して疑問をもっていて、ダンスにおいても、人間関係においても、うまくいかない。

    仲直り

     2人は衝突した後に、仲直りする。

     そしてどうやって2人で踊りを合わせることができるかということになって、夜のセントラルパークで「ダンシング・イン・ザ・ダーク」( “Dancing in the Dark” )に合わせて踊る。

     それまで互いに相手を苦手としてきたタップダンサーとバレエダンサーが、どうやって踊りを合わせることができるか、という実験である。

     フレッド・アステアとシド・チャリースにとっての実験でもあった。

     それゆえにスリリングである。

     そうして何とも官能的なダンスができた。

    「ガール・ハント」

     「バンド・ワゴン」の終盤には大がかりなバレエがある。―「ガール・ハント」バレエである。

     ミッキー・スピレーンの探偵小説をもとにして、色彩鮮やかな背景で、ハードボイルド探偵(フレッド・アステア)が魔性の女(シド・チャリース)を相手とするところが表現されている。

     振り付けはマイケル・キッド。

     フレッド・アステアは、はじめマイケル・キッドに対して警戒していたが、次第にその振り付けを気に入るようになったと言われている。

     そうして「ガール・ハント」バレエも、魅力的なものとなった。

     「ガール・ハント」バレエのフレッド・アステアの恰好は、「ヨランダと泥棒」の夢のバレエの恰好と似ている。

     「ヨランダと盗賊」でとった方向を「ガール・ハント」バレエで成功させたようにも見える。

    「バンド・ワゴン」の構成

     「バンド・ワゴン」の構成は次のようになっている。

    ・フレッド・アステアの演ずる人物は、それまでのやり方ではいけなくなっている。

    ・そこでバレエダンサーを相手にしてドラマティックなバレエをやることをもとめられる。

    ・しかしそういうやり方ではうまくいかない。

    ・エンターテインメントに立ち返る。

    ・バレエをとりいれるが、ドラマティックなバレエではなく、エンターテインメントとしてのバレエにする。

     この映画ではシド・チャリースのことも描かれている。

     シド・チャリースは、はじめジェームズ・ミッチェルの演ずる人物とともにクラシックバレエをやっていた。

     シド・チャリースがフレッド・アステアと共演することになったのは、ドラマティックなバレエをやるからである。

     ジェームズ・ミッチェルは、シド・チャリースがエンターテインメントとしてのバレエをやることに反対する。

     しかしシド・チャリースはエンターテインメントとしてのバレエを選ぶ。

     ちなみにジェームズ・ミッチェルは「オクラホマ!」の振り付けを担当したアグネス・デ・ミルの下でバレエをやっていた人で、映画版「オクラホマ!」の夢のバレエで主人公の恋人役をやっている。


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     つづきは↓

  • フレッド・アステアとバレエの因縁②「ヨランダと盗賊」をめぐって

    フレッド・アステアとバレエの因縁②「ヨランダと盗賊」をめぐって

     フレッド・アステアとバレエはどういう関係にあったか?

     フレッド・アステアが映画デビューしてから、RKO制作の映画でジンジャー・ロジャーズと共演していた時のことは、下の記事に書いた↓

     ここではフレッド・アステアがRKOから離れ、ジンジャー・ロジャーズから離れてからのことについて書く。

    ジンジャー・ロジャーズから離れて

     フレッド・アステアは1939年に公開された映画「カッスル夫妻」を最後に、RKOから離れ、ジンジャー・ロジャーズとも離れた。


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     それから各社でフレッド・アステア主演の映画が作られた。

     いずれもタップダンスを中心とした映画になっている。

    MGM

     まず1940年、MGMの映画「踊るニューヨーク」( “Broadway Melody of 1940” )。


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     MGMのタップダンスのスター、エレノア・パウエルとフレッド・アステアが共演した映画で、見どころは二人のタップダンス。

    コロンビア

     1941年、コロンビアで映画「踊る結婚式」( “You’ll never Get Rick” )。


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     共演はリタ・ヘイワ―ス。

     フレッド・アステアはリタ・ヘイワ―スと二人で、また一人でタップダンスをやっている。

    パラマウント

     1942年、パラマウントで映画「スイング・ホテル」( “Holiday Inn” )。


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     共演はビング・クロスビー。

     ビング・クロスビーは歌を聞かせ、フレッド・アステアはタップダンスなどを見せる。

    ジーグフェルド・フォリーズ

     フレッド・アステアはその後にMGMに所属することになった。

     MGMでの第一に作られた映画は「ジーグフェルド・フォリーズ」。(撮影は1944年。公開は1946年)


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     映画「ジーグフェルド・フォリーズ」でフレッド・アステアの出番は複数あるが、その中の一つでまたバレエに取り組むことになった。

     フィリップ・ブレーム作曲の「ライムハウス・ブルース」( “Limehouse Blues” )によるバレエである。

     フレッド・アステアは「ライムハウス・ブルース」をやるためにMGMと契約したとまで語っている。

    私がメトロとの契約にサインした理由のひとつに、フィリップ・ブレームの「ライムハウス・ブルーズ」のようなナンバーを歌いたいというのがあった。この歌はずっと大好きな歌だったのだ。

    「フレッド・アステア自伝」、341頁

    フレッド・アステア自伝 Steps in Time

     原文。

    One of my main reasons for signing the Metro contract was to get an opportunity to put on some kind of number to Phillip Braham’s “Limehouse Blues,” which had always been a favorite song of mine.

    “Steps in Time” p.264

    Steps in Time: An Autobiography

     「ライムハウス・ブルース」は、フレッド・アステアが自ら積極的にやりたいと言ったものだったのである。

     そういうフレッド・アステアの要望を受けて、監督ヴィンセント・ミネリと振り付けのロバート・オルトンが「ドラマティックでかなり入り組んでせわしない、バレエとパントマイムのコンビネーション」(a pretty busy and intricate dramatic ballet pantomime combination)を用意したのである。(「フレッド・アステア自伝」、341頁。原文 “Steps in Time” p.265)

     「ライムハウス・ブルース」のバレエは、フレッド・アステアの演ずる人物の夢を表現するというかたちになっている。

    「オクラホマ!」

     「ジーグフェルド・フォリーズ」でバレエが取り入れられたことは、ブロードウェイ・ミュージカル「オクラホマ!」と関係があると思われる。

     リチャード・ロジャースがロレンツ・ハートと別れて、オスカー・ハマースタイン二世と組んで初めて作った「オクラホマ!」は、ミュージカルの歴史の中で画期的な作品であった。

     ミュージカルとバレエとの関係では、一幕終わりにヒロインの夢がバレエによって表現されているところが重要。

     それまでの話でヒロインが悩んでいたことがバレエによって表現されているのである。

     「オクラホマ!」がニューヨークで開幕したのは1943年3月。

     「ジーグフェルド・フォリーズ」のプロデューサーのアーサー・フリードは、「オクラホマ!」

     「オクラホマ」は1955年に映画化された。振り付けはブロードウェイ版と同じアグネス・デ・ミル( Agnes de Mille)。


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    「ヨランダと盗賊」

     1945年11月に公開された映画「ヨランダと泥棒」(”Yolanda and the Thief”)は、フレッド・アステアとバレエとの関係で重要な作品。


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     「ヨランダと盗賊」が公開されたのは1945年。

     「ジーグフェルド・フォーリーズ」はそれより前、1944年に撮影されたが、公開されたのは1946年で、「ヨランダと盗賊」より後になった。

     「ヨランダと盗賊」の中には、大がかりなバレエがある。―劇中でフレッド・アステアの演ずる人物がみる夢(悪夢)がバレエで表現されるのである。

     「ジーグフェルド・フォーリーズ」の「ライムハウス・ブルース」を発展させたということもできる。

     監督は同じくヴィンセント・ミネリ。

     振り付けは変わってユージーン・ローリング(Eugene Loring)。

     「ライムハウス・ブルース」は中国風であったが、「ヨランダと盗賊」のバレエはシュールレアリスムを取り入れたものになっている。

     「ヨランダと盗賊」のバレエは、「ライムハウス・ブルース」以上に、その後のミュージカル映画の先駆けとなっているところがある。

    後のミュージカル映画との関係

     劇中でフレッド・アステアの演ずる人物がみる夢がバレエによって描かれる。

     その人物の心の中にある問題がバレエによって描かれる。

     その後のMGMミュージカル映画で、「踊る大紐育」(1949年)、「巴里のアメリカ人」(1951年)は、夢ではないが、主人公の心の中にある問題がバレエによって描かれている。

     MGMではないがフレッド・アステアの「足ながおじさん」(1955年)では、夢(悪夢)というかたちで主人公の心の中にある問題がバレエによって描かれている。

    美術

     映画「ヨランダと盗賊」のバレエにおいては、主人公の夢(悪夢)=心の中にある問題を表現するために、背景にシュールレアリスムが取り入れられている。

     背景にシュールレアリスムが取り入れられていることは、「巴里のアメリカ人」においてフランス印象派の画家の絵が取り入れられたことと通ずるところがある。

     地面に高いところと低いところがあることも「巴里のアメリカ人」と似ている。

     いずれも監督はヴィンセント・ミネリ。

    フレッド・アステアの恰好

     「ヨランダと泥棒」のバレエでのフレッド・アステアの恰好は、後の映画「バンド・ワゴン」(1953年)の「ガール・ハント」バレエの時のフレッド・アステアの恰好―白のハット、青のシャツ、白のスーツ―と似ている。

     映画「トップ・ハット」以来の、トップハット、白の蝶ネクタイ、燕尾服という姿とは異なる姿が作り出されている。


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    「ヨランダと盗賊」の興行成績

     「ヨランダと泥棒」は、ミュージカル映画の卓越した作り手たち力を結集させて作った作品であった。

     MGMで多くのミュージカル映画の傑作を制作したアーサー・フリードは、この映画のために自ら作詞を担当するほど力を入れていた。

     ところが映画「ヨランダと盗賊」は興行的に失敗した。

    「ブルー・スカイ」

     「ヨランダと盗賊」が失敗した後、フレッド・アステアは映画「ブルー・スカイ」( “Blue Skies” )に出演した。(1946年)


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    フレッド・アステアが「ブルー・スカイ」に出演した気持ち

     フレッド・アステアはそのことについて自伝で次のように語っている。

    この上また軽量級の作品を重ねたくはない。「弱い作品」が二本続くと自分の価値も下がってしまう。

    「フレッド・アステア自伝」、366頁

    フレッド・アステア自伝 Steps in Time

     原文。

    I don’t want to do another light-weght right on top of it. Two “weakies” in a row can reduce you.

    “Steps in Time” p.282

    Steps in Time: An Autobiography

     フレッド・アステアは「ヨランダと盗賊」の失敗から立ち直るために「ブルー・スカイ」に出演することを決めたというのである。

     フレッド・アステアは「ブルー・スカイ」に出演するために、MGMからパラマウントに貸し出されることになった。

     フレッド・アステアは「ブルー・スカイ」で引退することをも決めた。

    わたしはこの映画の撮影中、これを最後に引退する気持ちを固めた。わたしが必要だと思う要件を『ブルー・スカイ』は満たしていた。ヒットになりそうだと思えたのだ。

    「フレッド・アステア自伝」、366頁

    フレッド・アステア自伝 Steps in Time

     原文。

    I made up my mind during the shooting of this film that I wanted to retire on it.Skies measured up to the requirements I considered essential: It looks like a hit.

    “Steps in Time” P.282

    Steps in Time: An Autobiography

     フレッド・アステアは映画「ヨランダと盗賊」での失敗の後では「ヒット」がなくてはならないと思っていた。

     「ヒット」した上で引退したいと思っていた。

     フレッド・アステアが「ブルー・スカイ」で引退しようと考えた理由は他にもあると言われている。

     いずれにせよ、フレッド・アステアは「ヨランダと盗賊」の失敗によって大きな傷を負って、次の映画でその傷から立ち直らなくてはならないと考えていたのである。

    映画「ブルー・スカイ」の方向

     フレッド・アステアが「ヒットになりそうだと思えた」という映画「ブルー・スカイ」はどういう作品であったか?

    「スイング・ホテル」

     「ブルー・スカイ」は、1942年に公開された映画「スイング・ホテル」と似ている。


    スイング・ホテル [DVD]

    ・ビング・クロスビーが歌を聞かせ、フレッド・アステアが踊りを見せる

    ・ビング・クロスビーとフレッド・アステアが同じ女性を取り合う

     フレッド・アステアが「ブルー・スカイ」に出演することは、「スイング・ホテル」に帰ることということができる。

     「スイング・ホテル」は大ヒットしたが、「ブルー・スカイ」も大ヒットした。

    映画「ブルー・スカイ」のダンス

    「ヒート・ウェイヴ」 ”Heat Wave”

     映画「ブルー・スカイ」の終盤には、アーヴィング・バーリンの楽曲「ヒート・ウェイヴ」による大掛かりなダンスがある。

     そのはじめには、「ヒート・ウェイヴ」を歌うオルガ・サンフワンにフレッド・アステアが「ヨランダと盗賊」の夢のバレエのように近づくところがある。

     しかしその後にはフレッド・アステアがソロのタップダンスを存分に披露している。

    「プッティン・オン・ザ・リッツ」 ”Puttin’ on the Ritz”

     映画「ブルー・スカイ」で最も有名なダンスは、楽曲「プッティン・オン・ザ・リッツ」( “Puttin’ on the Ritz” )によるフレッド・アステアのタップダンス。

     劇中では「ヒート・ウェイヴ」より前にあるが、フレッド・アステアの引退前の最後のダンスとうたわれた。

     そこでフレッド・アステアはトップ・ハット姿(モーニング)になっている。

    回帰?

     映画「ブルー・スカイ」でフレッド・アステアは、

    ・「ヨランダと盗賊」で切り開いたバレエも取り入れているが、

    ・トップハット姿でタップダンスを踊るという、前に成功したやり方に帰っているようである。

     振り付けはハーミーズ・パン。

     ハーミーズ・パンは、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズが共演した映画でフレッド・アステアとともにダンスを考えていた人。

     ハーミーズ・パンを起用したことも、フレッド・アステアが前に成功したやり方に立ち返ろうとしていることを現わすことのように見える。

    まとめ

     フレッド・アステアは映画「ヨランダと盗賊」において、夢を表現する大がかりなバレエに挑戦した。

     ところが「ヨランダと盗賊」は興行的に失敗してしまった。

     フレッド・アステアとバレエの出会いはうまくいかなかったのである。

     フレッド・アステアは映画「ブルー・スカイ」において、トップハット姿で、タップダンスを見せるという前に成功したやり方に帰った。

     そうして引退しようと考えた。

     バレエから、それまでに成功していた姿に帰って引退しようと考えたのである。

     続き↓

  • フレッド・アステアの映画「ヨランダと盗賊」

    フレッド・アステアの映画「ヨランダと盗賊」

     「ヨランダと盗賊」(原題は “Yolanda and the Thief” )は、1945年に公開されたミュージカル映画。

     MGMで多くの傑作ミュージカル映画を作ったプロデューサー、アーサー・フリードがフレッド・アステアを迎えて作った力作。

     背景美術も見どころ。


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    映画「ヨランダと盗賊」のあらすじ

     架空の国の話。

     その国の大富豪の娘ヨランダ(ルシル・ブレマー)はその親の莫大な財産を相続していた。

     その国に来た泥棒(フレッド・アステア)は、ヨランダの財産を盗もうとヨランダに近づくが…。

    楽曲

     映画「ヨランダと盗賊」の音楽は、ハリー・ウォレン作曲、アーサー・フリード作詞。

     プロデューサーのアーサー・フリードはもともと作詞家として成功した人。

     映画「ヨランダと盗賊」では自ら作詞を担当するほど力を入れている。

    「ヨランダ」 “Yolanda”

     ヨランダの豪邸でフレッド・アステアがハープを弾きながらルシル・ブレマーに歌う。

     その間にフレッド・アステアは少し踊る。

    「コーヒー・タイム」 “Coffee Time”

     波打つ黒と白の床の上で、フレッド・アステアとルシル・ブレマーが踊り、大勢の男女が踊る。

    バレエ

     映画「ヨランダと盗賊」には大がかりなバレエがある。

     映画の中盤で、フレッド・アステアの演ずる人物がみる悪夢がバレエによって描かれるのである。

     監督ヴィンセント・ミネリによるシュールレアリスムの世界観、ユージーン・ローリングの振り付けによるフレッド・アステア等のバレエで悪夢が表現される。

     「ヨランダと盗賊」のバレエは、MGMのミュージカル映画の歴史の中で重要。

     後の映画「巴里のアメリカ人」(1951年)の終盤の大がかりなバレエ、映画「バンド・ワゴン」の終盤の「ガール・ハント」バレエの先駆けとなっている。

     いずれもヴィンセント・ミネリ監督作品ということでもつながっている。

     フレッド・アステアの作品としても、「ヨランダと盗賊」と「バンド・ワゴン」とでつながるところがある。

    映画「ヨランダと盗賊」と映画「ジーグフェルド・フォリーズ」

     映画「ヨランダと盗賊」には、映画「ジーグフェルド・フォリーズ」に通ずるところがある。


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     映画「ジーグフェルド・フォリーズ」は、公開されたのは「ヨランダと盗賊」の次の年であるが、撮影は「ヨランダと盗賊」の前の年に始まっていた。

     「ジーグフェルド・フォリーズ」の中で、いずれもフレッド・アステアとルシル・ブレマーが共演した”This Heart of Mine” と「ライムハウス・ブルース」 “Limehouse Blues” は、「ヨランダと盗賊」に通ずるところがある。

    “This Heart of Mine”

     まず”This Heart of Mine”。

     ”This Heart of Mine” は、フレッド・アステアが泥棒で、金持ちのルシル・ブレマーから財産を盗もうとするが、恋愛感情が芽生えて、…という話。

     「ヨランダと盗賊」の主題と同じ。

    「ライムハウス・ブルース」 “Limehouse Blues”

     「ライムハウス・ブルース」 “Limehouse Blues”では、フレッド・アステアの演ずる人物の夢がバレエによって表現されている。

     「ヨランダと盗賊」でも、フレッド・アステアの演ずる人物の夢がバレエによって表現されている。

    映画「ヨランダと盗賊」のDVD

     日本語版DVDが出ている。


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  • 映画「ジーグフェルド・フォリーズ」 レヴュー形式のMGMミュージカル映画

    映画「ジーグフェルド・フォリーズ」 レヴュー形式のMGMミュージカル映画

     「ジーグフェルド・フォリーズ」(原題は “Ziegfeld Follies” )は、1946年に公開された映画。

     MGMで多くのミュージカル映画の傑作を作ったプロデューサー、アーサー・フリードがブロードウェイのレヴューの形式で作った映画。

     MGMが力をかけた映画で、興行的に成功した。

     フレッド・アステア、ジーン・ケリー、ジュディ・ガーランドをはじめとするスターによる歌、踊り、寸劇等を観ることができる。

     豪華な背景、衣装も見どころ。


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    「ジーグフェルド・フォリーズ」とは

     「ジーグフェルド・フォリーズ」とは、フロレンツ・ジーグフェルド(1867~1932年)が製作したブロードウェイのレヴュー。

     1907年に第1弾が上演されてから、1年に1本製作された。

     映画「ジーグフェルド・フォリーズ」は、亡くなって天国にいるジーグフェルドが、新たにジーグフェルド・フォリーズを構想してできたものというかたちになっている。

     天国にいるジーグフェルドを演じているロバート・パウエルは、1936年に公開された伝記映画「巨星ジーグフェルド」でもジーグフェルドを演じていた。


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    映画「ジーグフェルド・フォリーズ」の構成

     映画「ジーグフェルド・フォリーズ」の構成は、映画としては特異な構成になっている。

     多くの映画は、一つの話を展開する。

     映画「ジーグフェルド・フォリーズ」は、それぞれ独立した歌、踊り、寸劇が次々と出て来る。

     天国にいるフロレンツ・ジーグフェルドが構想したということはあるが、フロレンツ・ジーグフェルドが出て来るのははじめだけ。

     多くの映画のように統一された作品を期待しても、満足することはできない。

     相互に独立した歌とか、踊りとか、寸劇とかが並んでいるものとみなくてはならない。

    “Here’s to the Girls”

     まずフレッド・アステアが出て来て、ジーグフェルドは女性を美しくしたと言って、歌い、少し踊ると、ジーグフェルド風の女性が次々と出て来る。

     そこで出て来たシド・チャリースとフレッド・アステアが少しからむ。

     ルシル・ボールの踊りなどもある。

    「水のバレエ」 “Water Ballet”

     エスター・ウィリアムズが水の中で踊る。


    ブロマイド写真★エスター・ウィリアムズ/プールサイドで水着

    「ナンバー・プリーズ」 “Number Please”

     キーナン・ウィン(Keenan Wynn)によるコメディー。

     電話をかけても、なぜかつながらない。

    「椿姫」 “Traviata”

     ヴェルディのオペラ「椿姫」の「乾杯の歌」を、ジェームズ・メルトンとマリオン・ベルが歌い、大勢で踊る。

     豪華な背景、豪華な衣装。

     振り付けはユージーン・ローリング。

    「2ドル払ってくれ」 “Pay the two dollars”

     ヴィクター・ムーアとエドワード・アーノルドによるコメディー。

     ヴィクター・ムーア演ずる人物は、電車の中につばを吐いたということで、警察から罰金2ドルを言い渡される。

     ところが、エドワード・アーノルド演ずる弁護士は自信満々で、2ドル払わなくてもいい、法廷で勝ってみせるという。

     しかし事態はどんどん悪くなっていく…

    “This Heart of Mine”

     フレッド・アステアとルシル・ブレマーのダンス。

     豪華なパーティに招かれた客のような顔をして入ってきたフレッド・アステアは泥棒。

     パーティ客の一人の女性ルシル・ブレマーに狙いを定めて、二人で外で踊る。

     フレッド・アステアとルシル・ブレマーの陶酔させるようなダンス。豪華な背景。

     作曲はハリー・ウォレン、作詞はプロデューサーのアーサー・フリード。

    宝くじの話 “A Sweepstakes Ticket”

     平凡な夫婦が買った宝くじが当たったが、大家に家賃の代わりに渡してしまっていたという話。

     主婦を演ずるファニー・ブライスは、ブロードウェイのジーグフェルド・フォリーズにも出ていた人。(バーブラ・ストライサンド主演のミュージカル「ファニー・ガール」のもとになった人でもある)

     監督はロイ・デル・ルース。

    「愛」 “Love”

     レナ・ホーンの歌。

     監督はレミュエル・レアーズ(Lemuel Ayers)

    「テレビの初期」 “When Television Comes”

     コメディアンのレッド・スケルトンによるコメディー。

     テレビでジンの宣伝をするが、どんどん酔っぱらって…

    「ライムハウス・ブルース」 “Limehouse Blues”

     フレッド・アステアとルシル・ブレマー。

     霧の立ち込める薄暗いチャイナタウンを歩いていた黒い服の中国人(フレッド・アステア)は、チャイナドレスを着た若い女性に目を奪われるが…

     D.W.グリフィス監督の映画「散りゆく花」( “Broken Blossom” )の世界観。


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     フレッド・アステアが演ずる中国人は、「散り行く花」でリチャード・バーセルメスが演じた中国人青年のよう。

     その青年の夢がバレエで表現される。

     その背景美術は凝っている。―赤と青、「陰影」

     フィリップ・ブレイアム作曲、ダグラス・ファーバー作詞。

    「偉大な女性のインタビュー」のA Great Lady Has “An Interview”

     大物女優が話を聞きに来た多くの記者に答える。

     その大物女優をジュディ・ガーランドが演じている。

     次の出演作は、安全ピンを発明した「偉人」クレマトン夫人の映画であるということから、クレマトン夫人の歌、踊りになる。

     作曲ロジャー・イーデンス、作詞ケイ・トンプソン。(いずれもアーサー・フリードユニットの重要人物であり、ジュディ・ガーランドを育て支えた人)

     おかしなことをまじめにやっているというような歌。

     振り付けはチャールズ・ウォルターズ。

    “The Babbitt and the Bromide”

     フレッド・アステアとジーン・ケリー、二人のダンス。

     二人のスターの数少ない共演。

     ベンチでフレッド・アステアとジーン・ケリーが出くわして、言葉を交わした後、二人でタップダンス。

    「美」 “Beauty”

     キャスリン・グレイソンの歌。

     ハリー・ウォレン作曲、アーサー・フリード作詞。

     泡に囲まれた異様な世界とか、背景が凝っている。

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     日本語版としては、DVDが出ている。


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     英語版ではBlu-rayが出ている。


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  • フレッド・アステアの映画「踊らん哉」 ガーシュウィンの楽曲によるミュージカルコメディー

    フレッド・アステアの映画「踊らん哉」 ガーシュウィンの楽曲によるミュージカルコメディー

     フレッド・アステアの映画「踊らん哉」の原題は “Shall We Dance” 。

     ”Shall We Dance? ” ではない。

     RKO制作で、フレッド・アステアがジンジャー・ロジャーズを相手役とした映画の一つ。

     1937年4月に公開された。

     ジョージ・ガーシュウィン作曲、アイラ・ガーシュウィン作詞の楽曲が豊富で、名曲が多い。

     その楽曲に合わせたフレッド・アステア、ジンジャー・ロジャーズのダンスも創意に富んでいる。


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    映画「踊らん哉」のストーリー

     フレッド・アステアの演ずる人物が、ジンジャー・ロジャーズの演ずる人物に惚れ込んで近づこうとするが、

    ・誤解によってうまくいかない

    ・ダンスによって仲良くなる

     という流れはそれまでの映画と同様。

     今回は、フレッド・アステアは有名なバレエダンサーで、ジンジャー・ロジャーズは有名なタップダンサーになっている。

    豪華

     映画「踊らん哉」は、それまでのフレッド・アステア、ジンジャー・ロジャーズの映画(「トップ・ハット」など)と同様に、背景や衣装が豪華。

     高級ホテルの広いスイートルーム、豪華客船などが舞台となる。

     ジンジャー・ロジャーズの白と黒があざやかな衣装が印象に残る。―ジンジャー・ロジャーズの衣装を担当したのはアイリーン(Irene、Irene Lentz)。

    楽曲、ダンス

     映画「踊らん哉」には、ガーシュウィン兄弟の名曲が多い。

    「ビギナーズ・ラック」”(I’ve Got) Beginner’s Luck”

     船の上でフレッド・アステアがジンジャー・ロジャーズに出会えてうれしいという気持ちを歌う。

     その前に、フレッド・アステアがレコードをかけてタップダンスをやるところ―レコードが・・・というところでも使われている。


    (I’ve Got) Beginner’s Luck

    “Slap That Bass”

     船の中で黒人たちがジャムセッションをしているところに、フレッド・アステアが入って、一人でタップダンスをやる。

     船のエンジンの音とからませたタップダンス。


    Slap That Bass (Remastered 2020)

    「みんな笑った」 “They All Laughed”

     ホテルの屋上のディナーで、オーケストラを背にしてジンジャー・ロジャーズが歌う。

     そしてフレッド・アステアと二人でタップダンス。


    They All Laughed

    “Let’s Call the Whole Thing Off”

     ニューヨークのセントラルパークで “either” を、フレッド・アステアは「アイザー」と発音し、ジンジャー・ロジャーズは「イーザー」と発音する、ということからフレッド・アステア、ジンジャー・ロジャーズが交互に歌う。

     そして二人でローラースケートでタップダンス。


    Let’s Call the Whole Thing Off – The George Gershwin Songbook, Vol. 1 (Original Album)

    「誰も奪えぬこの想い」 “They Can’t Take Away from Me”

     マンハッタンへのフェリーで、夜の霧の中、フレッド・アステアがジンジャー・ロジャーズに想いを歌う。

     抒情的な歌。


    They Can’t Take That Away From Me

    “Shall We Dance”

     映画のタイトルとなっている楽曲「シャル・ウィ・ダンス」( “Shall We Dance” )。

     軽快な歌。

     映画の終盤で、フレッド・アステアが歌って、ジンジャー・ロジャーズのお面をつけた多くのダンサーと踊る。


    Shall We Dance – (Remastered)

    その他

     その他にも、バレエの音楽、豪華客船でフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズが犬を連れて歩く時の音楽など、ガーシュウィン兄弟の楽曲は多い。

    タップダンスとバレエ

     映画「踊らん哉」には、タップダンスとバレエの融合という主題があった。

     そのことについては↓

    コミカル

     映画「踊らん哉」は、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズの競演した作品の中でもコミカルなところが多いのではないかと思われる。

     終盤にジンジャー・ロジャーズのお面をつけた多くの女性が踊るようなことは、それまでなかったのではないか。

     それまでのフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズの映画によく出ていたエドワード・エヴェレット・ホートン、エリック・ブロアもこの映画では特にコミカルな方面で活躍しているように見える。

    映画「踊らん哉」

     Blu-ray。

     作品解説がついている。


    踊らん哉 Blu-ray
  • フレッド・アステアとバレエの因縁①RKO時代 「オン・ユア・トーズ」と「踊らん哉」

    フレッド・アステアとバレエの因縁①RKO時代 「オン・ユア・トーズ」と「踊らん哉」

     フレッド・アステアはその卓越したダンスによってアメリカのミュージカルのスターになった。

     1920年代にブロードウェイのスターとなり、1930年代にミュージカル映画のスターとなった。

     ところがそれから間もなく、ミュージカルに新たな方向が出てきた。―バレエが重要になっていったのである。

     そこでフレッド・アステアはバレエとどういう関係にあったのか?

     この問題は、フレッド・アステア個人の問題としても、ミュージカルの歴史の問題としても、興味深いものである。

    バレエ以前

     フレッド・アステアは、1930年代に映画デビューする前に、ブロードウェイのスターであった。

     1924年開幕の「レディー、ビー・グッド」(”Lady, Be Good” 、1924年)で、フレッド・アステアはガーシュウィン兄弟と組んで成功した。

     ミュージカルにジャズを使った軽快なサウンドを取り入れた作品で、それに合わせたフレッド・アステアと姉アデル・アステアのダンスが賞賛された。

     フレッド・アステアはその後映画に進出して、「ダンシング・レディ」(1933年)に出演。


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     同じ年の映画「空中レビュー時代」( “Flying Down to Rio” )でのジンジャー・ロジャーズとのダンスによってたちまちスターになった。


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     そしてフレッド・アステアがブロードウェイでやっていた「陽気な結婚」( “Gay Divorse” 、1932年)をもとにした映画「コンチネンタル」( “Gay Divorcee” 、1934年)でジンジャー・ロジャーズとともに主役として成功した。


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     フレッド・アステアがスターになったミュージカルは「軽快」という言葉で特徴づけることができる。

    ・軽快なストーリー

    ・軽快な音楽

    ・軽快なダンス

     フレッド・アステアがブロードウェイでスターになったのは、そういう1920年代風の「軽快」なミュージカルであった。

     フレッド・アステアが1930年代に出演した映画は、それまでのブロードウェイのミュージカルをもとにしていた。

     1935年に公開されたフレッド・アステアの代表作「トップ・ハット」も「軽快」なミュージカルであった。

     「トップ・ハット」はフレッド・アステアと、トップ・ハット、白の蝶ネクタイ、燕尾服という礼儀正しい姿を結びつけた。


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    「オン・ユア・トーズ」”On Your Toes”

    Photo by Sudan Ouyang on Unsplash

     映画に進出して成功したフレッド・アステアは、間もなくバレエと出会うことになる。

     その第一の出会いは、「オン・ユア・トーズ」(”On Your Toes”)と題するミュージカルである。

     映画スターとなったフレッド・アステアがその次に出演するミュージカル映画として、ブロードウェイでヒットを連発していたリチャード・ロジャーズ(作曲家)とロレンツ・ハート(作詞家)のコンビが作ったのが「オン・ユア・トーズ」であった。

     ところがフレッド・アステアは、それまでの映画でのトップハット、白のタイ、燕尾服の人物像に合わないということで、ことわった。

    バレエ

     「オン・ユア・トーズ」は、それまでの映画でのフレッド・アステアの人物像と違う人物像を出しただけではない。

     ミュージカルの新たな方向を切り開いた作品であった。

     バレエを重要な要素として取り入れたのである。

     劇中では、バレエとタップダンスの間の葛藤が描かれている。―バレエが物語の重要な要素になっているのである。

     そして終盤に「十番街の殺人」( “Slaughter on Tenth Avenue” )というドラマティックな音楽を伴うバレエがある。


    On Your Toes / Slaughter on Tenth Avenue

     振り付けは、ロシア出身のバレエ振付師ジョージ・バランチン。


    George Balanchine: The Ballet Maker (Eminent Lives) (English Edition)

     フレッド・アステアは、バレエを重要な要素として取り入れることによってミュージカルの新たな方向を切り開いたまさにその作品と出会っていたにもかかわらず、ことわってしまったのである。

    その後

     リチャード・ロジャーズとロレンツ・ハートは、フレッド・アステアのことわられたので、「オン・ユア・トーズ」を舞台用に作り直した。

     そうして1936年4月11日にブロードウェイで開幕した「オン・ユア・トーズ」は成功した。

     フレッド・アステアの代わりに主演をやったレイ・ボルジャ―はスターになった。

    「踊らん哉」 “Shall We Dance”

     「オン・ユア・トーズ」の成功を受けて、フレッド・アステアも「オン・ユア・トーズ」のようにバレエを取り入れたミュージカルをやることを考えたと言われている。

     1937年4月に公開されたフレッド・アステアの映画「踊らん哉」は、バレエを取り入れたミュージカル映画であった。

     遅ればせながら、「踊らん哉」でフレッド・アステアはバレエを取り入れたミュージカルをやることになったのである。

    「踊らん哉」の設定

     「踊らん哉」は、設定から考えると、バレエを重要な要素として取り入れたミュージカルのようである。

     バレエダンサーを演ずるフレッド・アステアが、タップダンサーを演ずるジンジャー・ロジャーズに惚れ込んで近づこうとする、という話になっている。

     主役がバレエダンサーであるということによって、バレエは物語の重要な要素となることができる。

     タップダンサーとの恋愛において、タップダンスとバレエを合わせることもできる。


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    「踊らん哉」におけるバレエの割合

     ところが「踊らん哉」においてバレエの占める割合はそれほど大きくない。

     第一に、フレッド・アステアの演ずるバレエダンサーは、映画のはじめからタップダンスを好んでやっていて、バレエはそれほどやらない。

    フレッド・アステアのソロ

     フレッド・アステアが一人で踊るのも、バレエではなくタップダンス。(冒頭の個室、”Slap That Face” )

    二人のダンス

     フレッド・アステアの演ずるバレエダンサーと、ジンジャー・ロジャーズの演ずるタップダンサーとが二人で踊るところでも、タップダンスが多く、バレエの割合は少ない。

    “They All Laughed”

     二人が初めて一緒に踊る “They All Laughed” では、フレッド・アステアのバレエから始まるが、バレエは間もなく終わって、二人はタップダンスを一緒に踊る。そして意気投合している。

    “Let’s Call the Whole Thing Off”

     その次に二人が一緒に踊る “Let’s Call the Whole Thing Off” は、ローラースケートによるタップダンス。

    “Shall We Dance”

     「踊らん哉」の終盤に、フレッド・アステアとハリエット・ホクター(Harriet Hoctor)と大勢のダンサーによるバレエがある。

     そのバレエの後に、楽曲 “Shall We Dance” に合わせたタップダンスがある。


    シャル・ウィ・ダンス(『踊らん哉』より)

     ここでは、たしかにバレエの分量は多くなっている。

     しかしやはりタップダンスに中心はある。

     前半のバレエと、後半のタップダンスとでは、明らかに後者の方が重要である。

     そのバレエにおいても、フレッド・アステアより、ストーリー上意味のないハリエット・ホクタ―の方が中心になっているように見える。

    映画「踊らん哉」の問題

     映画「踊らん哉」は、バレエを大きく取り入れたミュージカル映画の初期のものである。

     しかしそのバレエの入れ方には疑問がある。

     タップダンスとバレエとの融合が企てられているはずであるのに、バレエの割合が少ない。

     フレッド・アステアのバレエの割合が少ないことに問題はある。

     バレエダンサーを演ずるフレッド・アステアがバレエを担当し、タップダンサーを演ずるジンジャー・ロジャーズがタップダンスを担当して、両者がのダンスが合わさって恋愛が成就する、というかたちにすればいいと思われる。

     実際には、フレッド・アステアの演ずるバレエダンサーはそれほどバレエをやらず、タップダンスを好んでやっていて、ジンジャー・ロジャーズ演ずるタップダンサーはタップダンスをやっているので、全体としてタップダンスに偏って、バレエは少なくなっているのである。

     バレエを取り入れたミュージカル映画として問題があるのみならず、一本の映画として構造的に問題があるということもできる。

     タップダンスとバレエとの融合を主題としているにもかかわらず、バレエの割合が少なく、融合はできていない。

     もともとタップダンスとバレエとの融合などということを主題とせずに、タップダンサー同士の恋愛とした方がよかったのではないか?

     バレエの要素が、むしろマイナスになっているのではないか?

     「踊らん哉」は、全盛期のフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズのコンビのためにジョージ・ガーシュウィンが作曲を担当したという豪華な映画であるが、物足りないところがある。

     たとえば「トップ・ハット」「有頂天時代」に比べると、物足りないところがある。

     それはバレエを取り入れながら、そのバレエが余計になっているからではないか?

     映画「踊らん哉」の収入は前作の半分以下であったと言われている。


    誰も奪えぬこの想い(『踊らん哉』より)

     映画「踊らん哉」について↓

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