マイケル・ジャクソンとフレッド・アステアの関係

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フレッド・アステア
写真ACから
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 フレッド・アステアは1899年生まれ。(~1987年)

 マイケル・ジャクソンは1958年生まれ。(~2009年)

 いずれも歌と踊りによってアメリカのエンターテインメントの、そして世界のエンターテインメントの第一人者になった人である。

 二人は年が離れていたが、互いに敬愛し合っていた。

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マイケル・ジャクソンの幼時

 マイケル・ジャクソンは若いころからフレッド・アステアに対して敬意を抱いていたようである。

 マイケルは自伝「ムーンウォーク」において、若い時に観た本物のショーマンとしてフレッド・アステアをジェームズ・ブラウン等とともに挙げている。

When I was young, the people I watched were the real showmen-James Brown, Sammy Davis Jr., Fred Astaire, Gene Kelly.

Moon Walk, p.70

Moonwalk

 日本語版では、田中康夫氏は次のように訳している。

幼い頃、僕が見てきたのは、本物のショーマンたちでした―ジェームズ・ブラウン、サミー・デイヴィス・ジュニア、フレッド・アステア、ジーン・ケリー。

「ムーンウォーク」、87頁

ムーンウォーク: マイケル・ジャクソン自伝

 マイケルは1993年のグラミー特別功労賞伝説賞(Glammy Legend Award)をプレゼンターの妹ジャネットから受け取ったが、その時のスピーチで、小さいころによくジャネットにジンジャー・ロジャーズになってもらって自分はフレッド・アステアをやったと語っている。

 その映像は「デンジャラス~ザ・ショート・フィルム・コレクション [DVD]」に入っている。


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モータウン25

 マイケル・ジャクソンは早くからフレッド・アステアを尊敬していたが、フレッド・アステアがマイケル・ジャクソンを称賛したのは1983年のテレビ番組でのマイケル・ジャクソンのパフォーマンスによってであった。

 そのことをきっかけとして、二人の関係は深くなった。

 1983年4月、 モータウン25周年を記念する番組「モータウン25:昨日、今日そして永遠」( MOTOWN 25: YESTERDAY, TODAY AND FOREVER)でマイケルは「ビリー・ジーン」( BILLIE JEAN)を歌い、踊った。

 そこでマイケルは初めて「ムーンウォーク」を披露した。

 その番組は5月16日にテレビで放送されて、約5000万人が観たといわれている。


Motown 25: Yesterday Today Forever [DVD]

 「ヒストリー・オン・フィルムⅡ」には、マイケルの「ビリー・ジーン」のところだけの映像が収録されている。


ヒストリー・オン・フィルム VOLUME II [DVD]

 その放送の翌日、フレッド・アステアがマイケルに電話をかけてきた。

 フレッド・アステアはその番組を観た5000万人のひとりだったのである。

 そして、マイケルのパフォーマンスを絶賛した。

 マイケルはその讃辞を次のように記している。

You’re a hell of a mover. Man, you really put them on their asses last night.

Moonwalk: A Memoir (English Edition), p.213

 日本語版では、田中康夫氏は次のように訳している。

ホントよく動くな。昨日の晩、みんな腰抜かしとったぞ。

ムーンウォーク: マイケル・ジャクソン自伝、228頁

 マイケルはそのフレッド・アステアの言葉を人生で最大の讃辞であると言い、唯一信じたいと思ったものであったと語っている。

It was the greatest compliment I had ever received in my life, and the only one I had ever wanted to believe.

Moonwalk: A Memoir (English Edition), p.213

 マイケル・ジャクソンにとってフレッド・アステアの讃辞はそれだけ大きなことであった。

 その後にフレッド・アステアはマイケルを自宅に招いてまた絶賛した。

 マイケルはその時にフレッド・アステアとともに撮った写真を自伝「ムーンウォーク」にも載せて「 My friend Fred Astaire 」(私の友、フレッド・アステア)というキャプションをつけている。(214頁、日本語版では232頁)

 フレッド・アステアは1987年に亡くなった。

 マイケル・ジャクソンの自伝「ムーンウォーク」のはじめにはフレッド・アステアの写真が載せられていて、その上にこの本をフレッド・アステアに捧ぐと書いてある。( “This book is dedicated to FRED ASTAIRE” )


Moonwalk

 日本語版。訳者は田中康夫。


ムーンウォーク: マイケル・ジャクソン自伝

フレッド・アステアとマイケル・ジャクソン

 マイケル・ジャクソンがフレッド・アステアの讃辞をそれほど大きく受け取ったのは、フレッド・アステアを尊敬していたからであろう。

完全主義

 フレッド・アステアはマイケル・ジャクソンの「モータウン25」でのパフォーマンスを称賛してから間もなく、1987年に亡くなったが、その後に、フレッド・アステアと親しかった人の言葉を集めた本が出版された。


Fred Astaire: His Friends Talk

 その中にはマイケル・ジャクソンの言葉もある。

Nobody could duplicate Mr. Astaire’s ability, but what I never stop trying to emulate is his total discipline, his absolute dedication to every aspect of his art. He rehearsed, rehearsed, and rehearsed some more, until he got it just the way he wanted it. It was Fred Astaire’s work ethic that few people ever discussed and even fewer could even hope to equal.

Fred Astaire His Friends Talk p.24

 マイケルはフレッド・アステアの完全主義について、誰もその能力を複製することはできないが、その作品のあらゆる面に対する絶対的な献身に対してはいつも負けないようにしてきた、という。

 マイケルはフレッド・アステアが自分が望むようになるまで何度もリハーサルを繰り返したことをとりあげている。

 マイケルも自分の作品に対して自分が望むようになるまで力を注いだ。

 マイケルはフレッド・アステアと自分はそういうことにおいて共通していると考えていたのである。

 マイケル・ジャクソンとフレッド・アステアは、そういう精神だけでなく、パフォーマンスにおいて共通するところがあった。

パフォーマンス

 フレッド・アステアもマイケル・ジャクソンも、体を細くたもっていた。特に脚が細く長かった。

 二人ともその細い体、長い脚を「エレガント」に見せて踊った。

 足を交差させて体を斜めにするとか体を回転させるとかの動きは、フレッド・アステアがよくやってエレガントに見せたが、マイケル・ジャクソンもよくやった。

 「モータウン25」でのマイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」の踊りには、フレッド・アステアと共通するところがあるようである。

 フレッド・アステアは重力をものともしないと評されていた。

 映画「恋愛準決勝戦」(原題は “Royal Wedding” )は特にそのことを表現した作品であった。


Royal Wedding 1951 by Fred Astaire

 マイケル・ジャクソンも、重力をものともしないと評された。


ポスターMICHAEL JACKSON SMOOTH CRIMINALウォールアート

 マイケルの自伝「ムーン・ウォーク」にジャクリーン・ケネディ・オナシスは次のような言葉を寄せている。(ジャクリーン・ケネディ・オナシスは、元ジョン・F・ケネディ夫人で「ムーン・ウォーク」の担当編集者。)

He is one of the world’s most acclaimed entertainers, an innovative and exciting songwriter whose dancing seems to defy gravity and has been heralded by the likes of Fred Astaire and Gene Kelly.

Moonwalk: A Memoir (English Edition)

Moonwalk: A Memoir (English Edition)

 日本語版。

世界でもっとも喝采を受けるエンターテイナーのひとりである彼は、革新的で刺激的なソングライターで、フレッド・アステアやジーン・ケリーたちと同様、重力を手玉にとるかのようなダンスの先駆者でもあります。

ムーンウォーク: マイケル・ジャクソン自伝

ムーンウォーク: マイケル・ジャクソン自伝

Smooth Criminal

 マイケル・ジャクソンはその後の楽曲「Smooth Criminal」において、フレッド・アステアを積極的に取り入れている。

 「Smooth Criminal」は、1987年のアルバム「Bad」に収録された曲である。


Bad

 1988年にシングルとして売り出された。(下は1996年のもの↓)


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 マイケル・ジャクソンのミュージックビデオの中でも特にスタイリッシュな作品である。

 「Smooth Criminal」のミュージックビデオは、フレッド・アステアの映画「バンド・ワゴン」の劇中劇「ガール・ハント」バレエをもとにしている。


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 マイケル・ジャクソンの恰好、白のハット、白のスーツ、青のシャツ、白のネクタイ、などは、「ガール・ハント」バレエのフレッド・アステアと同じである。

 いかがわしい酒場に入ってくるところも同じ。

 次々と出て来る悪者をやっつけるところも同じ。

複数のバージョン

 「Smooth Criminal」のミュージックビデオには複数のバージョンがある。

 「Number Ones」(2004年)に収録されているのは、踊りが編集されたものである。


Number Ones
Michael Jackson
Michael Jackson – Smooth Criminal (Official Video – Shortened Version)

 そのもとになっているのは映画「ムーンウォーカー」(1988年)。


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 「ヒストリー・オン・フィルムⅡ」(1997年)には映画「ムーン・ウォーカー」の中の「Smooth Criminal」のところが抜き出されている。


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Michael Jackson
Michael Jackson – Smooth Criminal (Official Video)

「ムーン・ウォーカー」

 「Smooth Criminal」は映画「ムーン・ウォーカー」(原題は “Moon Walker” )に入っていた。

 「ムーン・ウォーカー」はマイケル・ジャクソンが総指揮を務めて1988年に公開されたミュージカル映画である。

内容

 この映画は様々な映像によって構成されている。

Man in the Mirror

 まずマイケル・ジャクソンがライブで「Man in the Mirror」を歌い踊る映像に、キング牧師、ケネディ、マザー・テレサ、ジョン・レノンなどの映像がさしこまれているもの。

Michael Jackson
Michael Jackson – Man In The Mirror (Official Video)

 その次にジャクソン5時代のマイケルの歌う映像。

 そして成長してソロで歌い踊るマイケルの映像。

 「Bad」を子役がやった後に、マイケルが出て来たところをスタジオツアーの客に見つかって、追いかけられる。

 マイケルが逃げるところが、アニメーションを交えた映像によって描かれている。

Leave me Alone

 そして「Leave me Alone」のミュージックビデオ。

Michael Jackson
Michael Jackson – Leave Me Alone (Official Video)

 ここまでで35分くらい。

 それから1時間弱のマイケルと子どもが悪者に追われるという話がある。

 「Smooth Criminal」はその話の中で出て来る。

 悪者はジョー・ペシ (Joe Pesci、「ホーム・アローン」の悪者)。

 マイケルが夜の街で悪者に追い詰められて、空も飛ぶ高性能の車で逃げるところは、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」とか「バットマン」とかのようである。

 「Club 30’s」で、子どもたちはマイケルと待ち合わせていたが、「Club 30’s」は廃墟のようであった。

 そこに、白のハット、白のスーツ、青のシャツ、白のネクタイのマイケルが現れた。

 入り口から入る時に光る煙に包まれる。

 そうして入ると多くの着飾った男女がいるいかがわしい店になっていた。

 「Smooth Criminal」はそこから始まる。

 「Club 30’s」というのは1930年代のことを示しているのであろうか?

 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のようでもある。


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フレッド・アステアとの比較

物を投げる

 「Smooth Criminal」のはじめにマイケル・ジャクソンがコインを投げて遠くのジュークボックスに入れる。

 物を投げてうまくおさめるということは、フレッド・アステアもよくやっていたことであった。

 フレッド・アステアはよく杖を投げてうまくとるということをやっていた。映画「パリの恋人」では、傘を投げて遠くの箱に入れた。

女性

 フレッド・アステアの「ガール・ハント」バレエは、ミステリアスな、危険な女性の話である。

 その女性が中心になっているということもできる。

 「Smooth Criminal」は、「ガール・ハント」バレエのような、ミステリアスな危険な女性の話ではない。女性の存在はそれほど大きくない。

 そもそも「ムーン・ウォーカー」という映画は、マイケルと子供たちの話であって、マイケルが女性と恋愛する話ではない。

 子供目線の映画であることは、1980年代のスピルバーグ監督作品「E.T.」などに通ずるところがあると思われる。

 ただし「Smooth Criminal」でも、危険な雰囲気の場所で、マイケルがドレスを着た女性と踊るところがある。

 マイケルが赤のドレスの女性と少し踊るところの動きには、フレッド・アステアと似たところがある。

映画

 フレッド・アステアもマイケル・ジャクソンも歌と踊りのスターであるが、映画との関係は違う。

 フレッド・アステアは映画スターであった。

 フレッド・アステアの多くの歌とダンスは映画で観ることができる。

 マイケル・ジャクソンも歌と踊りのスターであったが、フレッド・アステアのように映画出演を中心としていたのではない。その力はミュージックビデオに注がれた。

 「ムーン・ウォーカー」が作られた1980年代には、1930年代から1950年代と違って、歌と踊りのスターがミュージカル映画のスターとなることは少なくなっていた。

 そういう時代においてマイケル・ジャクソンはそれまでの時代のように映画というかたちではなく、ミュージックビデオというかたちで自分の歌と踊りを映像で表現した。

 マイケル・ジャクソンは自分の作ったミュージックビデオのことを「ショート・フィルム short films 」と呼んでいた、と自伝「ムーン・ウォーク」の担当編集者を務めたシェイ・アーハート Shaye Areheart は伝えている。(「ムーン・ウォーク」の2009年版に寄せた言葉)

 マイケル・ジャクソンのミュージックビデオは、その前の時代においてミュージカル映画というかたちでやっていたことを違うかたちでやっているという面がある。

 しかしまたマイケル・ジャクソンは、数は少ないがミュージカル映画もやった。


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 「ムーン・ウォーカー」は、マイケル・ジャクソンが映画として自分の思うように作ったものであった。

 そこでマイケル・ジャクソンはフレッド・アステアの「ガール・ハント」バレエを学んだのである。


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Dangerous

 マイケル・ジャクソンが1991年に出したアルバム「Dangerous」に収録された「Dangerous」という楽曲にも、フレッド・アステアの映画「バンド・ワゴン」の劇中劇「ガール・ハント」バレエの影響があると思われる。


デンジャラス

 「彼女は危険だ」というマイケルの初めの独白は、「バンド・ワゴン」の「ガール・ハント」バレエでのフレッド・アステアの独白に似ている。

 「ガール・ハント」バレエのフレッド・アステアの独白は、アラン・ジェイ・ラーナー(「マイ・フェア・レディの作詞者)が作ったものであった。

Michael Jackson
Michael Jackson – Dangerous (Audio)

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 1995年のMTV VIDEO MUSIC AWARDSで、マイケルは「Dangerous」を歌い、踊っている。

 銃撃のところなど、「ガール・ハント」バレエのマイケル・キッドの振り付けに似ている。

 「SMOOTH CRIMINAL」が「Dangerous」の間に差し込まれているところがある。

 そのパフォーマンスは「ヒストリー・オン・フィルムⅡ」に収録されている。


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