「いちご100%」という作品との出会い

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いちご100%
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 「いちご100%」は、2002年から2005年にかけて「週刊少年ジャンプ」で連載されていた「ラブコメ」漫画である。

 「いちご100%」が連載されていたころ、私は「週刊少年ジャンプ」から、というよりマンガから離れていたので、その存在すら知らなかった。

 数年前にたまたま「ラブコメ」というものに関心をもった。その時にはじめて、この作品の存在を知った。しかし、しばらく読む機会がなかった。

 2018年9月に、たまたま全巻を手に入れる機会があって、2、3日で読み通した。

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玉石混交

 この作品は「玉石混交」だと私は思う。非常にすぐれたところもある。しかし非常に悪いところもある。

 たとえば「エロ」が多すぎる。

 少年漫画の「ラブコメ」には「エロ」があってもいいと思う。しかしこの作品では必要のない「エロ」が多すぎると思うのである。

 はじめから「いちごパンツ」が出てきて、主人公はその「いちごパンツ」の女の子を追い求めるという話になる。私には、「いちごパンツ」が必要とは思えない。「いちごパンツ」がない方がいいと思う。

 たとえば、主人公が学校の屋上に来てみると、美少女が一人さびしげにたたずんでいた、とか。あるいは、主人公が屋上に行く途中で美少女とすれちがって、屋上に来てみるとノートが落ちていた、とか。

 そうした方が、作品の印象もよくなるし、読者も話についていきやすくなる、と私は思う。

 「いちご100%」のタイトル表↓

終わり方

 「いちご100%」という作品は、その終わり方のために、私の心に刻まれた作品となった。

 それまでのところで、色々とどうかと思うところはあった。しかしそのくらいで終わっていたならば、それなりにいい作品として認めることができた。

 ところが、そのくらいで終わらずに、大きな傷をのこして終わった。

 私は「いちご100%」を読む前に、作品の結末に賛否両論があると聞いていたので、どういうことかと思いながら読んでいったが、その結末の衝撃は予想を超えた。

 主人公真中が最後に東城でなく西野を選んだことにはおどろいたが、それよりその選び方におどろいた。

 私は東城派でも西野派でもない。

 キャラクターの設定、それまでの話を考えると、主人公真中は東城と結ばれた方がいいとは思う。東城は、真中でなくてはならないが、西野は、そうではない。西野が真中から去って、真中と東城が結ばれれば、皆しあわせになることができる。

 しかし、真中が西野と結ばれる話でもいいと思う。読者を納得させることができればそれでいいと思う。

 実際には、読者を納得させる話にならなかった。無理な誤解によって結末が決まってしまった。(JC16巻第142話から)

 それではいけないという流れで、それから最後まで突っ走っていった。

 主人公が二人の女性についてどちらを選ぶべきか考えて、そのうちの一人を選ぶ、ということが当然あると私は思っていた。しかし実際には、そういうことはなかった。

 「ドラゴンボール」でたとえると、フリーザ(西野)が世界(真中)を征服しようとするのに対して悟空(東城)がどう戦うかと思っていると、キュイ(向井)に苦戦している間に、フリーザが世界を征服してしまった、という感じである。

 悟空が負けたことより、悟空が戦わずに終わったことが残念であった。

 終盤の流れについては下の記事で詳しく考えてみた↓

考察

 「いちご100%」の終わり方に衝撃を受けて、インターネット上の他の人の考えをあさってみると、その終わり方でいいという人が少なからずいて、さらに衝撃を受けた。

 近年の「ハーレムラブコメ」論議では、「いちご100%」の終わり方が理想的であったかのように言う人を複数見た。

 「いちご100%」の終わり方は理想的であったのか?

 「いちご100%」の結末は読者の人気によってきまったといわれているが、そうであったのか?

コメント

  1. 井汲 景太 より:

    こんにちは。
    連載時から20年近く経って、新たにこんなに力が入った考察が出てきたことに驚きました。内容も、本作について触れた他の多くの意見と違って、強く同意できる点が多々あることを嬉しく、また頼もしく思います。
    3本の論考に対し、拙サイトにて個人的に思ったことを綴ってみました。一部意見が異なる点もありますので、ご覧になる場合はその点お含みおきください。

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