「きまぐれオレンジ☆ロード」の劇場版「あの日にかえりたい」においては、登場人物の性格が原作とは大きく違うものになっている。
「あの日にかえりたい」は、登場人物の性格が原作と大きく違うことによって、話も原作と大きく違うものになっている。
「あの日にかえりたい」の檜山ひかるの性格が原作と大きく違うものになっていることについては、前にも述べた。
鮎川まどかの改変
第一に、「きまぐれオレンジ☆ロード」のヒロイン、鮎川まどかが、「あの日にかえりたい」においては、原作と大きく違うものにされている。
冒頭
「あの日にかえりたい」のはじめに、春日恭介、鮎川まどかの二人が大学の合格発表を見に行く途中、春日恭介の後を鮎川まどかがついていくところが描かれている。
私はそこから違和感がある。
鮎川まどかが春日恭介の後について二人で大学の合格発表を見に行く姿は、私の頭の中にある春日恭介、鮎川まどかと一致しない。
キャラクターの容姿
「あの日にかえりたい」の鮎川まどかの性格が原作から大きく離れていることは、絵によっても現わされていると私は思う。
「あの日にかえりたい」の鮎川まどかの絵は、容姿も衣装も、原作から離れている。原作と同じ精神を表現しようとしたとも思えない。
漫画「きまぐれオレンジ☆ロード」の鮎川まどかの絵は、その容姿、衣装によって、孤高の性格を表現している。
「あの日にかえりたい」の鮎川まどかの絵は、原作から離れたことによって原作の精神からも離れている。原作の鮎川まどかのかっこよさが全くなくなっていると私は思う。―「あの日にかえりたい」の鮎川まどかの顔は、原作に比べてかっこよさがなくなっている。「あの日にかえりたい」の鮎川まどかの髪型も衣装も、原作の鮎川まどかがしないと思われるものが多いが、いずれも原作に比べてかっこよさがなくなる方向に進んでいると思われる。
キスのことを聞いて怒る
「あの日にかえりたい」の鮎川まどかは、春日恭介が檜山ひかるとキスしたと聞いて、怒って春日恭介と会わなくなる。
そのことについて、深草プロデューサーは「アニメディア」1988年10月号で次のように説明している。
まどかにとっては、二人のキスは衝撃なんですね。「恭介は自分を愛してる」そんなまどかの自信は崩れ去り、ひかる、恭介との関係を本気で考え始めるんです。(深草P・D)
「アニメディア」1988年10月号、119頁
鮎川まどかは勝手に「恭介は自分を愛してる」という「自信」を持っていて、二人のキスを聞いて、その「自信」が崩れ去って、ひかる、恭介との関係を本気で考え始めるというのである。
「あの日にかえりたい」の鮎川まどかは、勝手に「恭介は自分を愛してる」という「自信」を持っているようなかっこわるいキャラクターになっている。二人のキスを聞いて、勝手に持っていた「自信」が崩れ去ったということもかっこわるい。
原作の鮎川まどかは、そのようなかっこわるいことはしない。勝手に「自信」を持つこともなく、その「自信」が崩れ去って衝撃を受けることもない。
内面
望月智充監督は、「あの日にかえりたい」について次のように語っていた。
ひかると恭介との間にはいって苦しむまどかの姿を中心に、少女ふたりの内面を心理ドラマとして見せたいと思っています。
「アニメージュ」1988年8月号、25頁
ところが「あの日にかえりたい」においては、鮎川まどかの「内面」は「心理ドラマ」として描かれていないようである。
原作の鮎川まどかは、檜山ひかるのことを思いやっていた。そのことによってその「内面」は複雑になっていた。
「あの日にかえりたい」の鮎川まどかは、檜山ひかるのことを思いやらず、春日恭介を自分のものにすることばかり考えている。その「内面」は単純である。―春日恭介は自分のものだという「自信」を勝手に持っていた、しかしその「自信」が崩れ去って衝撃を受けた、それから「自信」を取り戻した。このように単純である。
「ひかると恭介との間にはいって苦しむまどかの姿」は、原作にはあったが、「あの日にかえりたい」にはない。
「あの日にかえりたい」の鮎川まどかは、「ひかると恭介との間にはいって苦しむ」ことはない。
「あの日にかえりたい」では、鮎川まどかが、自分の部屋でそのことを思って、ひとりで泣き出す場面があるが、自分のものだと思い込んでいたものがとられたことを悲しんでいるだけであって、幼児がおもちゃをとられて泣いているのと同じような精神性である。
ついでに、「あの日にかえりたい」の鮎川まどかが春日恭介と予備校の授業中に痴話げんかをしているところが気になったので書いて置こう。
「あの日にかえりたい」の鮎川まどかは、ひかるが恭介とキスしたと聞いて、予備校で恭介を待って、そのことについて聞いて、けんか別れしているのであるが、予備校の授業中に、他の人が聞いているところで、そういう話をすることを、恥ずかしいと思わないのであろうか? たとえば予備校に行く前の電話で聞いて、そしてつき放すのでいいのではないか?
夏祭りの夜の電話
「あの日にかえりたい」の鮎川まどかは、春日恭介が檜山ひかるとキスをしたと聞いて、春日恭介に会わなくなる。
ところが夏祭りの夜、突然春日恭介に鮎川まどかから電話がかかってきた。
鮎川まどかは電話口で泣いていた。そして「あなたの気持ちわかってたつもりで安心してたから、その気持に甘えてた罰かもしれない。今回のひかるのこと」といった。
それに対して春日恭介は「そんな・・・俺の方こそ、俺の方こそ・・・。俺、鮎川のこと・・・好きだよ」といった。
鮎川まどかは「春日君、会いたい」と言い、「(すすり泣いて)馬鹿だね私。春日君、私、そんなに強くないよ」と言った。
春日恭介は鮎川の家に駆けつけた。
ところが春日恭介がキスをしようとすると、鮎川まどかは顔をそむけた。春日恭介が「あの、やっぱり、ひかるちゃんのことが?」と聞くと、鮎川まどかは「ううん。ひかるのことは別に。それよりも春日君の気持ちの問題なの」と答えた。それを聞いて春日恭介は「わかった」と言った。
この場面を初めて見た時、私はびっくりした。原作の鮎川まどかと相いれないからである。
この場面はこの映画の重要な転換点である。しかしどうも筋が通っていないのではないかと思われる。
鮎川まどか
まずこの場面の鮎川まどかの言動が原作の鮎川まどかと相容れないということについて。
深草プロデューサーはこの場面について次のように語っている。
三人の関係に思い悩むまどかは混乱し、どうしていいのかわからないまま、恭介に電話をしてしまいます。これはテレビシリーズではありえない、まどかの生身の姿ですね。
「アニメディア」1988年10月号、120頁
理性によって感情を制御することができないまま、そういう状態の自分を春日恭介にさらけ出したというのである。
脚本を書いた寺田憲史氏はこの場面について次のように語っている。
大人向けは別にして、漫画のヒーロー、ヒロインは、とかく「陽」の部分が前面に出ていて、「陰」の部分を丁寧に描くことが少ない。だがこの作品では、鮎川まどかというなんでも格好いいヒロインが、どこにでもいる一八歳の少女のようにボロボロと泣きながら、切ない自分の気持ちをしゃべるシーンが出てくる。
「ルーカスを超える」、194~195頁
ぼくはそういった彼女の「孤独」を描くことで、観客である若者たちに、今まで「強く、凛とした」少女が、じつは彼らと同様に、もろくはかない魂の持ち主であることを気づかせたかったのである。
寺田憲史氏は、「なんでも格好いいヒロイン」の「陰」の部分を描いたという。
私はこの場面で「なんでも格好いいヒロイン」の「陰」の部分が描かれているとは思わない。この場面の鮎川まどかの言動はあまりにかっこ悪い。
そもそも「あの日にかえりたい」において鮎川まどかは「なんでも格好いいヒロイン」として描かれてはいない。いつでも自分の欲望を優先するという「陰」の部分だけが描かれたキャラクターである。
「あの日にかえりたい」の鮎川まどかは春日恭介に「会いたい」と言いながら、駆け付けてきた春日恭介にキスを許さず、恭介の「気持ち」を問題としている。自分のものはなるべく人に与えず、人からそれより多くを受け取るというのである。自分の所有欲を第一とする考え方は揺るがない。
「あの日にかえりたい」の鮎川まどかは、ひかるのことを全く思いやらず、春日恭介に檜山ひかるをつき放させている。
春日恭介
鮎川まどかの電話は、春日恭介の気持ちを変えた。それまで檜山ひかるに傾いていたのに、それから鮎川まどかに傾いて、檜山ひかるをひたすらつき放している。この映画の重要な転換点である。
しかし、そういう春日恭介の心の動きはおかしいのではないかと私は思う。
関係の逆転
この場面で鮎川まどかが電話をかけてきた時に、恋愛ゲームにおいて優位にあったのは春日恭介であった。
関係の再開を求めているのは、鮎川まどかであって、春日恭介ではない。
春日恭介は、鮎川まどかが春日恭介と会おうとしなくなった時に、鮎川まどかを追いかけて電話をかけたが、その後にいつしか追いかけることをやめている。そして、ひかるとの関係を進めている。
春日恭介は鮎川まどかを追い求めていないところに、鮎川まどかが春日恭介を求めて電話してきたのである。
ところがその電話の後に、春日恭介が鮎川まどかの家に行った時には、春日恭介は鮎川まどかに「気持ち」を求められて、そのまま従っている。そしてそれから檜山ひかるをつき放している。
いつの間にか鮎川まどかが優位になっている。
逆転の理由
どうしてそのような逆転が起こったのか?
深草プロデューサーは次のように説明している。
三人の関係に思い悩むまどかは混乱し、どうしていいのかわからないまま、恭介に電話をしてしまいます。これはテレビシリーズではありえない、まどかの生身の姿ですね。そんなまどかを見せられることで、遅まきながら、恭介は決断をするわけです。「僕はまどかが好きなんだ」と。(深草P・D)
「アニメディア」1988年10月号、120頁
「まどかの生身の姿」を「見せられること」によって、「恭介は決断をする」というのである。
しかし「まどかの生身の姿」とは、「混乱し、どうしていいのかわからないまま、恭介に電話をして」しまった姿である。そういう姿を見て、「まどかが好き」と決断するであろうか?
まどか自身「どうしていいのかわからない」のであるから、恭介はそれにもまして「どうしていいのかわからない」であろう。それでは「好き」と思うより、煩わしいと思うのではないか?
要するに、春日恭介の気持ちに大きな変化が起こらなくてはならないのに、その変化の原因になることがこの映画にはないのである。
考察
この場面は、この作品の重要なところであるにもかかわらず、脚本がおかしなことになっている。
この場面では、鮎川まどかは、春日恭介の心を決定的に動かすだけのことをしなくてはならないはずである。
それまでの話では春日恭介の心は檜山ひかるに傾いていたと描かれていたのであるから、その心を動かすだけのことがなくてはならない。
この場面で鮎川まどかが浴衣を着ているところを見ると、その浴衣によって心を動かそうという考えがあったようにも見えるが、実際には全く役に立っていない。
そしてあのわけのわからない泣き言によって「好き」と決断するといわれてもついていけない。
それまでに春日恭介の本命は鮎川まどかだと描かれていれば、春日恭介の決断も受け入れやすい。ところが「あの日にかえりたい」においては、そういうことは描かれない。逆に、春日恭介が鮎川まどかを追いかけずにいるところが繰り返し描かれている。
・春日恭介は、鮎川まどかを追いかけるのをやめて、ひかるとデートして再びキスをする。
・予備校の講師に、鮎川まどかのプリントを届けるように言われて、鮎川の家にプリントを届けるが、本人に会おうともせず、言葉も残さない。
・鮎川まどかからの電話を受けた時も、受験勉強をしていたのか、休んでいたのか、よくわからないが、いずれにせよ、鮎川まどかのことを考えていなかったようである。
このように、春日恭介は鮎川まどかを追い求めていなかったことにしておいて、その心が鮎川まどかのわけのわからない泣き言によってひっくり返ったと描いているので、ついていけないのである。
そもそもこの映画の春日恭介は鮎川まどかと同じ大学に行くつもりで同じ予備校の夏期講習を受講していたはずである。その鮎川まどかが途中から予備校に行かなくなったことは、春日恭介の大学受験とかそのための予備校の夏期講習とかに影響を与えることと思われるが、春日恭介は何事もなかったかのように、そのまま受験勉強を続けて、予備校に通い続けている。
予備校の授業中
予備校の授業中、鮎川まどかは春日恭介に紙を渡して、ひかるをつき放すことをどれだけ進めたか、聞いている。
鮎川まどかの性格が悪く描かれている。
「あの日にかえりたい」の鮎川まどかは、妹分の檜山ひかるが傷つけながら、その傷を癒すために動くことは全くない。
夜のアバカブ
夜のアバカブにひかるが訪ねてきて、鮎川まどかと言葉を交わす。ここでもなぜか鮎川まどかの性格が悪く描かれている。
謝罪
鮎川まどかはそこで檜山ひかるに対して「わかったわ、ひかる。ごめんなさい」と言っている。
ひかるが訪ねて来たことを受けてはじめてしかたなく謝罪する、というかたちになっているのである。
妹分を傷つけたのに、自分から謝罪することもしない、悪い性格に描いているのである。
別れ
ひかるがアバカブから出て行こうとするときに、鮎川まどかは「ひかる、私たちもう、三人ではいられないんだね」と言っている。
鮎川まどかがひかるに三人でいることを求めるのが自然ではないか?
それに対してひかるが拒んでもしかたない。
ところがこの場面の鮎川まどかは、なぜか自分から、「三人ではいられない」と言っている。
三人でいる努力を全くせず、三人でいることを否定してしまっている。
吹きすさぶ風
春日恭介にひかるとの最後の別れのことを聞いた鮎川まどかは「こんなふうになっちゃったけど、私には信じさせてくれるよね、春日君の気持ち? 春日君のこと、責めないよ。私まで責めたら、春日君、気持ちのやり場がなくなっちゃうもんね。」と言う。
この映画では、鮎川まどかが春日恭介にひかるとの関係を絶たせた、と我らは思っていたが、この映画の鮎川まどかは、春日恭介が責められるべきであって、鮎川まどかも春日恭介を責めることができる立場にいる、と考えているようである。
わけがわからない。
檜山ひかる
「あの日にかえりたい」の後半の檜山ひかるに関してはすでに論じた。
「あの日にかえりたい」の檜山ひかるは、その他にも原作と違うところが少なからずある。
演劇
「あの日にかえりたい」においては、檜山ひかるは演劇に打ち込んでいることになっている。
春日恭介と鮎川まどかが大学受験のために予備校の夏期講習に行くことに対して、檜山ひかるは演劇に打ち込むことにしたのではないかと思われる。
春日恭介と鮎川まどかは、大学受験のために同じ予備校に行くことによって、関係を深める。
それに対して檜山ひかるは、春日恭介と離れて演劇に打ち込んで、春日恭介と別れることになる。
そういうかたちになっている。
しかし私の頭の中にある檜山ひかると、演劇に打ち込むということとは、どうにも調和しない。
この後の小説版で、それぞれの登場人物のその後の姿が描かれているが、どれも私には木に竹を継いだように見える。全く自然に見えない。
恋愛対象としての魅力
「あの日にかえりたい」の檜山ひかるは、絵も、言動も、恋愛対象としての魅力がないように私には見える。
絵
私は「あの日にかえりたい」の檜山ひかるの絵に全く魅力を感じない。原作のひかるの絵には魅力を感ずることもある。
原作では軽い感じのショートカットが、「あの日にかえりたい」では妙に重い感じになっているところなど好きになれない。
声
あの甲高い猫なで声は、私にはどうにも耳障りである。
ひかるが春日恭介の部屋で風鈴の音について「うるさいですか?」と聞くところがあるが、私は「ひかるも自分の声がうるさいとわかっているのか」と思ってしまった。
口調①
相手の顔を指さして「もやもやもや~ぱっぱっ」とか、「おちゃ~めさん」とか、「ダーリン! あは、ピンポンピンポン!」とかいう高校生の女の子は、私には恋愛対象として魅力的に見えない。
口調②
その一方で、「お名残り惜しい」など、いやに丁寧な言葉遣いをしているが、上のようなことを言う人の言葉としても、高校一年生の女の子が高校三年生の男の子に対してつかう言葉としても、どうも私には違和感がある。
デート
この映画で春日恭介と檜山ひかるが二人でデートしている場面は多い。
・はじめのアバカブで話している場面
・ひかるが春日家に来た場面
・ファーストフード店で二人で飲食している場面
・二人で飛行船を見上げている場面
・池端のベンチで会った場面
どの場面を見ていても、ひかるとのデートはたのしいようには見えない。上に挙げたように、絵も声も口調も魅力ない上に、話している内容がちっとも恋愛感情を高めているように見えない。
原作では、たとえば第55話「春=ショック!」のはじめに、3頁かけてひかるとのデートが描かれているが、そちらのデートはたのしそうに見える。
筋
「あの日に帰りたい」の前半では、春日恭介の心は檜山ひかるに傾くことになっている。
ところが、「あの日にかえりたい」の檜山ひかるにそれだけの魅力があるように見えないので、話についていけない。
それでも、春日恭介の心が檜山ひかるに傾いているところが描かれていたならば、そういう場面として受け取ることはできる。ところがなぜか春日恭介の心はほとんど描かれていない。何を見せられているのかと思ってしまう。
キスの場面
ひかるが春日恭介とキスをするところは、話が動く重要なところである。
ところがそこでも、春日恭介がひかるとキスをしてしまうほど魅力的に描かれているとは思えない。
春日恭介は檜山ひかるとキスをすることによって、それまでの人間関係を動かしてしまうことを知っているはずである。それにもかかわらず、ひかるとキスをしてしまうほどの魅力は、私にはちっとも感じられない。
詳しく論じてみよう。
キスの前に、ひかるがもってきた甘いものを春日恭介と二人で食べている時に、ひかるが「何だかこうしてると、あたしたち新婚さんみたいに思いません?」と言っているが、これがまずうまくないと思う。現在二股かけている男がそう言われても、気持ちが重くなるだけだと私は思う。
問題のキスをするところについて、深草プロデューサーは「この時の恭介の気持ちは、ひかるの一途な心をいじらしく感じて飛びついちゃった・・・。そんなところでしょう。」と語っている。(「アニメディア」1988年10月号、118頁)
しかし、高校3年生の男の子が、高校1年生の女の子に、大学受験に関して「何かもっとしてあげられることないかなって思って」とか、「大変さがわかってあげられない気がして」とか言われただけで、その「一途な心をいじらしく感じて」キスをしてしまうほど気持ちが高まるものであろうか?
この場面では、「和田加奈子の歌」はたしかに気持ちを盛り上げることに役立っていると思う。しかしその歌を除くと、絵も話も十分でないと私は思う。
和田加奈子の「鳥のように」は↓
和田加奈子 ゴールデン☆ベスト
まとめ
私は「あの日にかえりたい」の檜山ひかるに全く恋愛対象としての魅力を感じない。それゆえに檜山ひかるに心惹かれる春日恭介の気持ちが全くわからない。
他の人は「あの日にかえりたい」のひかるに、恋愛対象としての魅力があると思うのであろうか?
春日恭介
「あの日にかえりたい」においては春日恭介も、原作と違うキャラクターになっている。
前半
「あの日にかえりたい」の春日恭介は、原作の春日恭介と違って、その時々に何を考えているか、よくわからない。
すでに書いたように、春日恭介がひかるのキスを受け入れた気持ちはよくわからない。その後にそのことについてどう考えていたのかもよくわからない。
深草プロデューサーは、その時に恭介はまだまどかにもひかるにも心を決めておらず、「一時的に、ひかるに心が傾いて」いる、と語っている。
恭介はこの時、まどかにもひかるにも心を決めてません。ただ一時的に、ひかるに心が傾いてますね。(解説/深草礼子プロデューサー)
「アニメディア」1988年10月号、118頁
しかしどう心を決めていないのかも描かれていない。
「あの日にかえりたい」の春日恭介は、原作と違って誰も本命としていなかったようである。
まどかにひかるとのキスについて聞かれた時にも、決めることはできなかったという。
ひかるとのキスをまどかに知られた恭介の胸中は、再びどっちつかずの思いでいっぱいです。
「アニメディア」1988年10月号
ここでもその恭介の気持ちは十分に描かれていない。
その時に鮎川まどかにひかるとキスしていないと言っているところを見ると、嘘をついて二人とうまいことやろうと思っていたようである。
「あの日にかえりたい」において春日恭介の気持ちが描かれることは少ない。描かれているところでも理解しがたいことは多い。そして原作より悪い性格にされている。それゆえについていけない。
つき放す
この作品の中盤以降、春日恭介はひたすら檜山ひかるをつき放している。
別れた後にひかるが二度目に電話した時も、ひかるが春日の家に来て駅までついてきたときも、階段の上で二人が会った時も、夜、ひかるが春日の家に来て二人で外を歩いた時も、春日恭介は厳しい表情で、厳しい口調で、ひかるをつき放している。ひかるを憎んでいるのではないかと思われるような表情になっている。
多くの人に批判されているところである。
春日恭介のひかるに対する思いやりをちゃんと表現していれば、観客も同情することができたであろう。しかしそういうことはほとんど描かれない。最後に痛みをかみしめるような表情を見せているが、それだけでは弱い。ひかるを憎んでいるかのような表情で突き放すところが繰り返し描かれている。それでは、主人公は悪者のようである。
深草プロデューサーはそのことについて次のように説明している。
恋愛に不器用な恭介は、ひかるとの別れ方も不器用で、彼女をつき放すだけなんですよね。監督によれば、恭介がひかるを家に入れない場面は、ひかるを自分の心の中に入れない恭介の信念を意味するのだそうです。三角関係に決着をつける三人の姿に注目です。(深草P・D)
「アニメディア」1988年10月号、121頁
作り手は、春日恭介の「不器用」なところを表現しようと考えていたようである。
しかし原作にない主人公の「不器用」さをぶちこんで、ラブコメをラブコメでなくしてしまうことはどうなのか、という問題がある。
主人公の「不器用」さより性格の悪さが伝わるのでは、作り手が「不器用」だったということになるようである。
まとめ
劇場版「あの日にかえりたい」においては、登場人物の性格が一々原作より悪くされている。そして性格の悪い描写が繰り返されている。
原作ファンの反発を買う作りになっているのである。
登場人物の性格を変えて、筋が通らなくなっているところもある。
主人公は、前半に檜山ひかるに傾き、後半に鮎川まどかに傾くが、いずれも、主人公の心がそのように傾くほど恋愛対象として魅力があるように描かれていないと私は思う。それゆえに筋が通らなくなっていると思う。若者の恋愛を中心とした映画であるのに、そういう映画の醍醐味と思われる恋愛感情の高まりが描かれていないと思うのである。
コメント
詳しく解説されていて脱帽です。
僕も、「あの日にかえりたい」を良くも悪くもオレンジロードの格好のネタにする一人です。Youtubeにて、この映画の解説をさせていもらっています。
各キャラクターの違和感について、同じ感想です。
まどかさんの利己的なところ、他人任せなところ。
恭介の変貌しすぎの性格、本当にひかるちゃんを好きだったのか、こいつは、と思えるようなあの突き放し。
ひかるちゃんに関しましては、僕は一定の魅力を感じています。
アニメージュで引用されたコメントが貴重でした。
ですが、深草さんにしろ、望月さんにしろ、何か本来のオレンジロードでないところへもっていこうとしていますよね。そこが気になりました。
実際、僕よりも辛辣な感想で、ちょっぴりびっくりでした。
でもすごいよく見ていらっしゃいますね。
感想のコメントとさせていただきます。