1980年代後半の「アニメージュ」と「きまぐれオレンジ☆ロード」の関係

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きまぐれオレンジ☆ロード
Chris ThorntonによるPixabayからの画像
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 アニメ雑誌「アニメージュ」と「きまぐれオレンジ☆ロード」との間の関係は、あまり話題にならない。

 1980年代後半の「アニメージュ」は、1985年にできたばかりのスタジオジブリに力を注いでいたように見える。

 「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズ(1987年4月から1988年3月)、劇場版「あの日にかえりたい」(1988年10月公開)の頃には、「となりのトトロ」、「火垂るの墓」が「アニメージュ」の表紙を飾り(1987年6、12月号、1988年1、5月号)、特集が組まれた(1987年6月号、1988年2、5月号)。

 それに対して「アニメージュ」と「きまぐれオレンジ☆ロード」との関係は、それほどではないにちがいない。

 しかしそれほどではないとしても、「アニメージュ」は「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズ、劇場版「あの日にかえりたい」を推していた。

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「アニメージュ」の論調

 「アニメージュ」のスタッフは「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズを推し、劇場版を推していた。

 ただしはじめからではない。

 TVシリーズが始まって間もない、「アニメージュ」1987年6月号、7月号では、「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズに対して批判的な「アニメージュ」のスタッフの声が多く載せられていた。

 ところが1987年8月号で、小黒祐一郎氏がTVシリーズをよしとする記事を出してから、小黒氏を中心として、TVシリーズをよしとする論調になった。―原作と違うTVシリーズをよしとする論調である。

 その論調の変化は、それまで批判的であった人が肯定的になったことによるのではなくて、それまで批判的であった人は発言は載らなくなり、肯定的な人の発言が載るようになったことによると思われる。

 「アニメージュ」の論調について詳しくは下の記事↓

「アニメージュ」の投稿欄

 その時期の投稿欄も、その論調によって構成されていたように見える。

 「アニメージュ」の投稿欄では、「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズ、劇場版「あの日にかえりたい」の前後の時期に、原作ファンが原作をもとにしたアニメを批判する投稿を多く採用していた。

 TVシリーズが始まる前の「アニメージュ」1987年3月号では、「アニメージュ」の読者の中に漫画「きまぐれオレンジ☆ロード」が好きだという人が多くいることが明らかにされていた。

 ところが「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズが始まってから終わるまでの「アニメージュ」の投稿欄(1987年7月号~1988年5月号)では、原作ファンがTVシリーズについて論ずる投稿は、番組が終わった後の5月号の一つだけであった。

 「アニメージュ」1987年3月号で多くいるといわれていた原作漫画のファンの声を、TVシリーズの放映されている間、わざと取り上げなかったのではないかと思われる。

 そこに「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズを推す「アニメージュ」の作為があったと思われるのである。

 投稿欄について詳しくは↓

「シティーハンター」との比較

 当時の「アニメージュ」の小黒氏等が「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズを持ち上げただけでなく、同時に始まった「シティーハンター」以上に持ち上げていたことも気になる。

 作品としては、「シティーハンター」のアニメ版の方が「きまぐれオレンジ☆ロード」のアニメ版よりうまくいったように見えるからである。

 「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズは1年で終わった。

 「シティーハンター」は次の年の4月から「シティーハンター2」を始めて1年と3カ月やっている。そしてその3か月後から3カ月「シティーハンター3」をやっている。1991年には「シティーハンター’91」をやっている。その後にも3本テレビスペシャルをやっている。

 「きまぐれオレンジ☆ロード」は劇場版が1本だけ(もう1本は小説版の映画化)であるが、「シティーハンター」は劇場版が3本、そして2019年にもう1本作られている。

 「シティーハンター」の方が長く続けやすい題材ではあるであろうが、「きまぐれオレンジ☆ロード」は原作の多くをアニメ化せずに終わったのでもある。

 TVシリーズ放映前には、「アニメージュ」の読者の中でも「きまぐれオレンジ☆ロード」のファンの方が「シティーハンター」のファンより多かった。(「アニメージュ」1987年3月号)

 「アニメージュ視聴率」というのがある。「アニメージュ」の読者の視聴率のようである。それによると、はじめの3カ月は「きまぐれオレンジ☆ロード」の方が高かった。

 ところが、1カ月目には35あった票差が3カ月目には1しかなくなって、7月10日以降は「シティーハンター」が上になっている。

 「シティーハンター」の方がうまくいったのに、「アニメージュ」がそれより「きまぐれオレンジ☆ロード」を推していたことは、偏ったことのように見える。

 「アニメージュ」1987年6月号の両作品第1話に対する批評で、小黒氏、原口氏が「シティーハンター」に対しては酷評しながら、「きまぐれオレンジ☆ロード」に対してはそこまで言っていないことも気になる。

 要するに、小黒氏等は放映の始まる前から「きまぐれオレンジ☆ロード」に偏っていたのではないか? 期待して推していたのではないか?

1987年ころのTVアニメをめぐる状況

 「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズが放映された1987年ころ、アニメ雑誌では、アニメの衰退が問題とされていた。

 オリジナル作品が少なくなり、漫画を原作としたアニメが多くなっていた。

 そこでアニメの創造性を求める声は、オリジナル作品を求めるとともに、「うる星やつら」のように漫画を原作としたが原作を逸脱して「暴走」した作品を求めた。

 「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズは、「うる星やつら」を制作したスタジオぴえろによって制作された。

 それゆえに「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズも、「うる星やつら」のように原作を逸脱して「暴走」した作品になることが期待された。

 「アニメージュ」の小黒氏等もそう期待していたと思われる。

 「アニメージュ」1987年8月号で、小黒氏は原作から離れたTVシリーズをよしとしていた。

 「アニメージュ」1988年4月号の「NURSE圭のVIDEO研究室「ビデオラボ」」の「「きまぐれオレンジ☆ロード」LD発売記念・トークパーティー」で、小黒祐一郎氏の「仲間である完全防音AVルームを誇るAV田村」氏が第40話に関して「こういう原作からはみだした「きまオレ」が実はみたかった」と語っている。(「アニメージュ」1988年4月号、213頁)

 ただしそのことは「期待」であった。

「アニメージュ」の「やり方」

 「アニメージュ」は、ただアニメを取り上げるにとどまらず、アニメに働きかけてきた。

 鈴木敏夫氏は「BEST OF アニメージュ アニメ20年史」(徳間書店、平成10年)において、編集長時代のやり方について語っている。

ついでだから、この際言っちゃうけど、強力な作品のない時期、面白い誌面を作るための打開策はどうしていたか? 僕はある時期から、人気作を追いかけるな、人気作は『アニメージュ』で勝手に決めようって、みんなに言うんです。これも今だから明かせることだけど。
(中略)
人気作を追いかけていくのは大変でしょ。それより新番組が発表になると、事前に情報を手に入れて人気作はこれだと決めちゃうの。そうすれば、何が人気が出るのか予想しなくてすむから楽でしょ(笑)。このやり方は、ある時期からかなり意図的に採用しました。
『ガンダム』にしても『マクロス』にしても結果的にうまくいって、その最たるものが『ナウシカ』の映画化でしょう。

「BEST OF アニメージュ アニメ20年史」、127頁

 鈴木敏夫氏は「人気作を追いかけるな、人気作は『アニメージュ』で勝手に決めよう」というやり方を採用していたというのである。

 そしてそのやり方の例として「ガンダム」、「マクロス」、「ナウシカ」を挙げている。

 いずれもアニメの歴史において重要な作品になっている。

 2020年4月から5月にかけて松屋銀座で「アニメージュとジブリ展」が行われたが、そこではそのことが主題とされていた。


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「きまぐれオレンジ☆ロード」の場合

 「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズ、そして劇場版でも「アニメージュ」はその「やり方」を採用したのではないか?

 鈴木敏夫氏はその時にちょうど「アニメージュ」の編集長になっていた。

 鈴木敏夫氏は「アニメージュ」1986年10月1日付で「アニメージュ」の編集長になっていた。「アニメージュ」1987年1月号からのようである。

 「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズが放送されたのは1987年4月からであった。

 鈴木敏夫氏は「アニメージュ」1987年6月号の「AM編集部24時」というコーナーで、「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズの第1話を絶賛していた。

あれが日活の青春映画の味なのだ。不良のみが知る純愛の世界。サックスも、冒頭の出会いのシーンもすべてよかった。黄金のパターンなのだよ。ふつうの男の子とつっぱって生きている少女とのラブストーリー。スケバンの純情。これはいける! 『きまぐれ』に比べると他はちょっと。

「アニメージュ」1987年6月号、213頁

 1987年4月に始まった番組の中で「きまぐれオレンジ☆ロード」が最もよく、「他はちょっと」と評しているのである。

 「これはいける!」と言うのは人気作になるということであろう。

 鈴木敏夫氏は「人気作は『アニメージュ』で勝手に決めよう」とか「人気作はこれだと決めちゃう」とか語っているが、「これはいける!」と言うのはそういうことではないか?

 ただし鈴木敏夫氏は当時スタジオジブリの仕事に力を入れていて、「アニメージュ」の仕事をないがしろにしていると批判されたとも言われている。

 高橋望氏はその時のことを次のように語っている。

「トトロ」と「火垂るの墓」のプロジェクトが始まったときには、当時編集長に昇格していた鈴木さんが何かというとジブリに行っていて編集部をないがしろにしている」と陰で批判の急先鋒になっていたくらいだ。

「あの旗を撃て!」、オークラ出版、2004年、204頁

 「となりのトトロ」、「火垂るの墓」の企画は1986年末までに決まっていたようである。(「あの旗を撃て!」、252~254頁)

 鈴木敏夫氏はその他のことに手が回らない状態であったかもしれない。

 鈴木敏夫氏以外の人によって鈴木敏夫氏の「やり方」が採用されたのであろうか?

劇場版「あの日にかえりたい」

 劇場版「あの日にかえりたい」も「アニメージュ」が特に推していたと思われる。

 そのことは投稿欄からもうかがうことができる。

 望月智充監督の「めぞん一刻 完結編」(1988年)と「海がきこえる」(1993年)の間の作品であるということからもうかがうことができる。

 「めぞん一刻 完結編」は「アニメージュ」で取り上げられており、「海がきこえる」はジブリ作品である。

 「きまぐれオレンジ☆ロード」の劇場版「あの日にかえりたい」はまさにその間に位置付けられている。

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