「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズのシリーズ構成は、原作と大きく違うものになっている。
そのことと関連して、この作品のヒロイン、鮎川まどかの性格も、大きく違うものになっている。
両者を比較して、それぞれを明らかにしてみよう。
テレビシリーズの構造
まず「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズのシリーズ構成について。
「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズの大きな流れは、小黒祐一郎氏が次の記事でまとめている通りだと思う。
TVシリーズは、第5話での鮎川まどかの発言を「まどかを描くキー」とする。第7話、第19話でその発言をもとにして話を進めて、小黒氏の言うように、「19話で終わっていた」というかたちになっている。
テレビシリーズ第5話
春日恭介は、たまたま入った店で鮎川まどかがアルバイトしているところに出会って、自身もその店でアルバイトすることになった。
アルバイトの最終日、打ち上げでアルコールを飲んだ後、二人はバス停に来たが、すでにバスはなくなっていた。
そこで鮎川まどかは春日恭介に「今晩泊めてくれない?」と言った。
そこに迎えが来て、二人は別れた。
テレビシリーズ第7話
春日恭介は鮎川まどかと二人で夜の街へ行って酒を飲んだ。その帰りに、春日恭介は鮎川まどかにキスをしようとして、怒りを買ってしまう。
次の日、春日恭介は鮎川まどかに、謝罪しようとするが、鮎川まどかから「私も同じ」と言われる。
「お酒飲むのってよくないね。あたしだってバイトの帰り、酔って春日くんに。やっぱりよくないと。」
「きまぐれオレンジ☆ロード」テレビシリーズ第7話
「でも、あの時一度だけよ。もっと不良だと思っていたんでしょ。」
鮎川まどかは、第5話で自分が「今晩泊めてくれない?」と言ったことをもちだして、それは春日恭介が第7話で酔って鮎川まどかにキスをしようとしたことと「同じ」ことであって「やっぱりよくない」ことであったという。「不良」のするようなことだったという。
テレビシリーズ第19話
春日恭介、鮎川まどかの二人は、無人島に行って帰るすべがなくなった。
日も暮れて、二人で火を囲んでいる時に、鮎川まどかは「アバカブで最初に、一緒にバイトした帰りのこと」を言い出す。そこで第5話の「今晩泊めてくれない?」というセリフが映像とともに出て来る。
鮎川まどかはそのセリフについて「聞かなかったことにしてくれない?」という。「今を大切にしたいってそうおもってるんだ」というのである。
テレビシリーズまとめ
ここまでをまとめる。
第5話において、鮎川まどかは春日恭介に対して、不良のやり方で、酔って「今晩泊めてくれない?」と言った。
しかし、第7話で、鮎川まどかは、第5話の自分の言動は、不良のやり方であって「よくない」ことであったと反省した。
そして、第19話で、春日恭介に対して、第5話の自分の言動を撤回して、「今を大切にしたい」と言った。
「今を大切にしたい」という言葉の意味は必ずしもよくわからない。小黒氏は「普通の女の子として恋をしたいという意味とも解釈できる」と言っている。
その直前に、春日恭介から渡された食いかけのりんごの食いかけのところにわざわざ口をあてて(春日恭介の「それは「間接キス」というやつなわけで・・・」という独白がある)、春日恭介に対して色目を使っているところを見ても、鮎川まどかはここで春日恭介に対して好意を示しているようである。
鮎川まどかはここで、かつて不良のやり方で春日恭介に求愛したことを撤回して、不良のやり方とは違う「今」のやり方で春日恭介に好意を示そうとしているようである。
小黒祐一郎氏はそこで次のように語っている。
この時点で、まどかにとっての物語は7割くらい終わっている印象だ。彼女の恋愛準備段階はここで終了。この後、ひかるの存在がなく、恭介と交際を続ければ、あっという間にでき上がってしまいそうだ。
「WEBアニメスタイル」「アニメ様365日」「第369回 『オレンジ☆ロード』のまどかの告白」
それゆえに「19話で終わっていた」というのである。
たしかに、恋愛物語としては、鮎川まどかはここで、春日恭介に対する好意を、不良のやり方ではないやり方で、明らかにしていて、それに対して春日恭介に反対の意思はないのであるから、相思相愛となる。
原作の構造
原作の話は、TVシリーズの話と大きく異なる。
TVシリーズ第5話、第7話、第19話は、いずれも原作の話をもとにしているが、それぞれもとの話とは違うものになっている。
TVシリーズ第5話
TVシリーズ第5話は、原作の第8話「秘密のアルバイト」をもとにしている。
鮎川まどかのアルバイトしている店で春日恭介もアルバイトして、最終日に打ち上げで飲んだ後に、バス停で鮎川まどかが「今晩…とめてくれない?」という。ここまでは同じ。
しかし色々なところが違う。
私はTVシリーズ第5話を初めて見た時、演出がまずいと思った。さらに言うと、演出がダサいと思った。
ダサいところ
原作では、二人が向き合って立っているところで、鮎川まどかが「今晩泊めてくれない?」と言って春日恭介にもたれかかってきたが、見ると眠っていた、ということになっている。
TVシリーズでは、鮎川まどかは、春日恭介の横に座って、春日恭介に色目を使って「今晩泊めてくれない?」と言って、横に座っている春日恭介に抱き着いている。
原作では、鮎川まどかがどういうつもりで「今晩…とめてくれない?」と言ったのか、春日恭介にも、読者にも、わからない。春日恭介に対して気があることを示しているのか、からかっているのか、疲れてしまっただけなのか、わからないのである。
それに対してTVシリーズでは、鮎川まどかは春日恭介に色目を使っている。春日恭介を求める気持ちをあらわにしている。
原作では、鮎川まどかは春日恭介に対して優位にあるのに、TVシリーズでは、劣位にある。
中学生の女の子が同級生の男の子に対してすることとしては、おかしいとも思われる。
TVシリーズの第7話、第19話では、鮎川まどかの第5話の言動は悪いこととされている。TVシリーズの作り手は、第5話の鮎川まどかをわざとダサくしたようである。
私は数年前に「きまぐれオレンジ☆ロード」を久しぶりに読み返した時に、この、鮎川まどかが「今晩…とめてくれない?」というところは「きまぐれオレンジ☆ロード」という作品を象徴するところだと思った。
気があるのかないのかわからないところに、鮎川まどかというキャラクターの本質はある。「きまぐれオレンジ☆ロード」の「きまぐれ」ということはある。そう思ったのである。
ところがTVシリーズの作り手は、それをなくしてしまったのである。
TVシリーズ第7話
TVシリーズ第7話は、原作の第12話「アルコールぶるうす」、第13話「ちぐはく気分」をもとにしている。
すでに言ったように、TVシリーズ第7話は、鮎川まどかが第5話の自分の言動を反省することで終わっている。
原作では、春日恭介が、酒によってしたことを謝罪し、鮎川まどかに対する気持ちを伝えて、鮎川まどかがそれをうけいれることで終わっている。
成長
原作は、春日恭介の成長物語であるが、TVシリーズは、鮎川まどかの成長物語になっている。
原作では、春日恭介が自分のしたことについて鮎川まどかに謝罪し、釈明することによって成長して、決着はついた。
それに対してTVシリーズでは、鮎川まどかは、第5話の自分の言動について反省することによって成長して、決着はついたことになっているのである。
私は原作を先に読んだからか、TVシリーズの終わり方では、すっきりしない。
TVシリーズの作り手は鮎川まどかの成長物語に作り替えたつもりでも、もとの話にあった春日恭介の成長物語の要素は残っていると思うからである。春日恭介は成長しなくてはならないのに、成長しないで終わったことになっていると思うからである。
その上に、春日恭介は、成長すべきところで成長しなかったにもかかわらず、ヒロインの好意を受けることになっていると思う。
第7話の前半でも、原作で、春日恭介が鮎川まどかのために戦ったことによって、鮎川まどかから好意を受けているところを、TVシリーズでは、春日恭介が「些細なことでむきになっちゃった自分がひどくがきんちょのようにおもえたわけであり、鮎川の振る舞いの方が・・・。恥ずかしいです」と卑下して、反省する、と変えている。
TVシリーズでは、原作にあった春日恭介の成長がなくされて、逆に子供っぽいことをしたことにされているのである。そしてそれにもかかわらず、ヒロインはそういう主人公に好意を寄せることになっているのである。
ついでにいうと、TVシリーズには、このように、主人公に原作の主人公の言動を否定させるところが他にもある。そのことによって筋が通るのであればいいが、逆に筋が通らなくなっているように見える。原作ファンにとって気持ちよくないところだと思う。
TVシリーズ第19話
原作の第21話「禁じられた恋の島」がもとになっている。
二人で無人島に行って帰るすべがなくなるというところまでは同じ。
ただし、TVシリーズ第19話で鮎川まどかが「聞かなかったことにしてくれない?」と言い、「今を大切にしたいってそうおもってるんだ」というところは、アニメで付け加えられたところであって、原作にはないことである。
TVシリーズ第19話で、鮎川まどかは第5話で自分が「今晩泊めてくれない?」と言ったことについて説明している。私はそれをみて、びっくりした。
私は、鮎川まどかの「今晩…とめてくれない?」と言う言葉は、真意がわからないことがいいと思っていた。鮎川まどかは、ミステリアスであることに魅力があるキャラクターだと思っていた。そのことに「きまぐれオレンジ☆ロード」という作品の核心はあると思っていた。ところがTVシリーズでそれを鮎川まどか本人に説明させてしまった。「きまぐれオレンジ☆ロード」の核心をぶちこわすことだと思った。
ついでにいうと、この話は、二人が無人島に来て、帰るすべがないという状況があっての話であるが、TVシリーズでは、その状況と、鮎川まどかが「今を大切にしたい」と言うこととは、ちぐはぐになっていないか?
変わったところ
これまでのところで、TVシリーズが原作を変えたことについてまとめよう。
成長物語
成長物語という観点から見ると、原作は主人公春日恭介の成長物語であるが、TVシリーズは鮎川まどかの成長物語になっている、ということができる。
そのために鮎川まどかは、まず成長する前の状態にあるものとされた。かっこわるいものとされた。それが成長する話とされた。
鮎川まどかの成長物語とするために、春日恭介の成長はなくされた。もともと春日恭介の成長物語であったのに、春日恭介の成長がなくされたので、作品がいびつになっているように見える。原作を先に読んだからであろうか?
恋愛物語としてみると、春日恭介が成長しないのに、鮎川まどかの好意を受けるという話になっている。
鮎川まどかというキャラクター
鮎川まどかというキャラクターは、「きまぐれオレンジ☆ロード」という作品にとって重要な存在であるが、TVシリーズは原作から大きく変えている。
「ちょろイン」
私は「ちょろイン」という言葉を聞いて、TVシリーズの鮎川まどかのようだと思った。
「ちょろイン」とは、「ニコニコ大百科(仮)」によると、「登場時の高圧的な態度から一見、攻略難関と思ったら、意外とちょろかったヒロイン」のことである。
「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズ第1話で、鮎川まどかがこわい顔をして主人公を殴ったこと、第2話で、主人公は原作でやったことをやっていないのに甘くなってしまっているところなど、まさにその通りではないか?
概要に「主にラノベやエロゲのアニメ版において、主人公のどういうところに惚れたのかよくわからないヒロインや、主人公の些細な行動で胸をときめかせるようなヒロインを指すことが多い。」とある。
アニメ化において起こるといわれている。
「ラノベやゲームを原作とするアニメは尺の都合上、様々な描写が省かれる傾向にある。特に物語の導入部分を省かれることが多く、その中にヒロインが主人公に惚れる過程が含まれていることも少なくない。そういった場合にデレる切っ掛けのエピソードが極端に簡素化されたり、全く別のものに置き換えられたりすることでチョロインと化してしまうのである。」
「ニコニコ大百科(仮)」の「ちょろイン」の項
「尺の都合」によると説明している。「アニヲタWiki(仮)」でも同様である。
「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズの場合、「尺の都合」というより、作り手の考えでそうなったのではないかと思われるところがある。
「きまぐれ」
「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズは、原作の鮎川まどかのミステリアスなところをなくしてしまっている。「きまぐれオレンジ☆ロード」の「きまぐれ」をなくしてしまっている。
原作の核心を変えてしまったのである。
これは原作ファンに反発されることだと私は思う。
客観的に考えても、そのことによって原作のもっていた可能性が生かされなかったということができる。
近年、「からかい上手の高木さん」という漫画が話題になった。漫画「きまぐれオレンジ☆ロード」にはその「からかい」の要素があったのに、TVシリーズはその要素を生かさなかった。
鮎川まどかの性格を変えたことによって、話が原作より大幅に早く終わることにもなった。
終わり急ぐ
小黒祐一郎氏が言うように、「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズは「19話で終わっていた」。
「きまぐれオレンジ☆ロード」は、主人公春日恭介とヒロイン鮎川まどかとの関係を中心とする話である。
TVシリーズのように、鮎川まどかが春日恭介に対して明確に好意を示してしまうと、春日恭介の側に反対の意思はないのであるから、相思相愛となる。すでに話の中心は終わっている。その後に話を広げることはできない。
小黒氏は「シリーズ後半の方がバラエティに富んでおり、それはそれで面白かったのだが、作品としての進む方向を半ば見失ってしまっているように感じていた。」と語っているが、すでに「19話で終わっていた」からではないか?
原作では、鮎川まどかは、最後の第156話で「Like or Love?」と聞かれて、「Like!/限りなくLoveに近い…ね!」と答えている。最後まで「Love」とは言わないのである。それゆえに長く続いたということもできる。
TVシリーズは、鮎川まどかの性格を原作と違うものにしたことによって、原作より早く話が終わるようになっているのである。
小黒氏はそのことに関して次のように語っている。
恭介は、『タッチ』の達也のように彼女を甲子園に連れて行く必要もなければ、『めぞん一刻』の五代のように彼女に釣り合うような男になるために大学を卒業し、就職する必要もない。ラブコメの主人公がスポーツなどでステップアップしなくてはいけないわけではないが、『オレンジ☆ロード』では、3人の関係がほぼ固定されたままであり、しかも、主人公のステップアップのような物語を支えるものがない。そのため途中からは、物語的に足踏みを続けているような状況が続く事になった。
「WEBアニメスタイル」「アニメ様365日」第368回 『オレンジ☆ロード』の三角関係
小黒氏はそのことを「きまぐれオレンジ☆ロード」という作品の問題にしている。しかしTVシリーズによるところがあるのではないか?
「タッチ」の、どういう試合があって、どういう結果になった、ということとか、「めぞん一刻」の、主人公が教育実習にいったり、保父の試験を受けたりとかいうことは、TVシリーズも従わざるを得ない。
「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズの作り手にはそういう制約はない。作り手によって、シリーズ構成を伸ばすことも縮めることもできるのである。そういう状況でTVシリーズのスタッフは、原作より早く終わらせることにしたのである。
まつもと泉氏は2014年の「MANGA姉っくす」において、日本テレビのプロデューサーから5年やろうと言われたと語っている。
しかし「19話で終わっていた」というTVシリーズでは5年も続けることはできない。
たしかに原作者は、プロデューサーが5年続けるというのに対して、TVシリーズの途中で原作漫画を終わらせてしまった。とはいっても、TVシリーズが始まる前に、原作は14巻、120話以上出ていた。それだけのストックがあった。
プロデューサーが長く続けることを望んでいて、原作のストックは大量にあったにもかかわらず、寺田憲史氏は、何故に、第19話で決着がついてしまうようなシリーズ構成をしたのであろうか?
原作の多くを生かさなくても、それを超える作品ができると思ったのであろうか? よく考えないで早く終わらせてしまったのであろうか?
終わり方
「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズは、第48話で終わる。
TVシリーズの第47・48話は、原作の第130話から第134話までをもとにしたものである。
ただしTVシリーズはここでも原作を大きく変えている。
決着
・原作は、春日恭介が6年前の世界に行って、6年前の鮎川まどかと出会って、現在に帰ってくる、という話である。
・TVシリーズでも、春日恭介は6年前の世界に行って、6年前の鮎川まどかと出会う。ところが原作と違って、現在の鮎川まどかが6年前の世界に来て、春日恭介が超能力者であることを知って、二人で抱き合う。そして現在に帰ってきて、キスをする。
違いは色々あるが、今問題とするのは、次のことである。
・TVシリーズでは、鮎川まどかは春日恭介が超能力者であることを知って、二人で抱き合っている。そして最後に二人でキスまでしている。
・原作では、春日恭介と鮎川まどかとの間にある特別な関係が描かれたにとどまっている。
終わり方ということで両者を比較すると、次のように言うことができる。
・TVシリーズでは、春日恭介と鮎川まどかの関係の決着がつけられている。相思相愛に至ったのである。
・原作では、決着には至っていない。
原作は、そこで終わることもできるし、それから続けることもできるように作られているということができる。「シティーハンター」は、無印が終わった後に、2を始めたが、そういうことがやすいようになっていた。現に原作はこの話の後も続いた。
TVシリーズの作り手は、原作をわざわざ作り変えて、決着をつけてしまっている。
TVシリーズの作り手は、その後に、決着がつく前の話をOVAとして出している。決着がつく前の話をアニメ化するつもりであったならば、その前に決着をつけしまう必要はなかったのではないか?
三角関係の決着
「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズの最終話は、春日恭介と鮎川まどかの関係の決着をつけているが、三角関係の一角、檜山ひかるとの決着はつけていない。
小黒祐一郎氏はそのことについて次のように語っている。
最終回において、恭介とまどかの関係に進展はあるのだが、三角関係の解消には至っておらず、主軸であったはずの三角関係については、未消化なまま終わってしまった。
「WEBアニメスタイル」「アニメ様365日」「第368回 『オレンジ☆ロード』の三角関係」
小黒氏は、「アニメージュ」1988年5月号において次のように言っていた。
最終回でひかるちゃんの存在はほとんど無視され、三角関係には決着がつかぬまま終ってしまった。こんなラブコメってないよ。「続きはオリジナルビデオでみてね」なんていったら怒るぜ。
「アニメージュ」1988年5月号、139頁
小黒氏の言うように、「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズの最終回は、最終回としておかしなかたちになっている。
「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズも、主人公春日恭介が、鮎川まどか、檜山ひかる、という二人の女性の間で優柔不断でいるという話であった。
その最終回で、春日恭介は鮎川まどかと6年前の世界で抱き合った。ところが、檜山ひかるは現在の世界で待っていたのに、何の決着もつけずに終わった。三角関係の決着がつかないままで終わってしまったのである。
どうしてそうなったのであろうか?
鮎川まどかの成長物語
「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズは、鮎川まどかの成長物語として作られている。鮎川まどかが成長することが第一の問題と考えられていて、その他のことはそれほど重視されなかったのではないか。
シリーズ構成の寺田憲史氏は著書「ルーカスを超える」(小学館、2000年)において鮎川まどかについて次のように語っている。
舎弟分のひかるが恭介にストレートに好意を示すのを横目に、素直になれない自分を持て余している。
「ルーカスを超える」、107頁
鮎川まどかの問題は「素直になれない」ことであるとすると、「素直」になればその問題は解決されることになる。
原作の鮎川まどかは、檜山ひかるのことを思いやっているが、TVシリーズの鮎川まどかも、劇場版の鮎川まどかも、檜山ひかるのことを思いやらずに、春日恭介のもとへ突き進んでいる。
劇場版との関係
小黒祐一郎氏は「「続きはオリジナルビデオでみてね」なんていったら怒るぜ。」と言っているが、たしかにTVシリーズの最終回を中途半端にして、劇場版に誘導しているようにも見える。
TVシリーズの最終回の演出を担当した望月智充氏は「アニメージュ」1988年8月号で次のように語っていた。
ぼくが最終回をやったときに、これは失敗だった、と感じたのは現在の時点でのひかるの存在が忘れられていたこと。そのせいで、3角関係の部分を無視した形になってしまった。あの最終回はまどかと恭介だけの世界でした。
「アニメージュ」1988年8月号、25頁
望月智充氏は、最終回は「失敗だった、と感じた」。劇場版によってそれをやり直すというのである。
望月智充氏がいつ「これは失敗だった、と感じた」のか、よくわからない。
いずれにせよ、TVシリーズの最終回において「現在の時点でのひかるの存在が忘れられていたこと」、「そのせいで、3角関係の部分を無視した形になってしまった」こと、「あの最終回はまどかと恭介だけの世界で」あったこと、という問題は、脚本を見た時にわかったはずである。わからなかったということは考え難い。
わざと最終回を失敗させたのではないかと思われるところもある。
TVシリーズの最終回の中ほどに、主人公がパラレルワールドに行く話が入っている。そのパラレルワールドの話は、原作の10巻にある話をもとにしたものである。TVシリーズの最終回の話は、原作の15巻から16巻にかけての話をもとにしたものである。原作の15巻から16巻にかけての話は、10巻のパラレルワールドの話と関係ない。TVシリーズの作り手は、原作において関係のないパラレルワールドの話をわざわざ入れたのである。しかしそのパラレルワールドの話は、TVシリーズの最終回に有機的に組み込まれてはいない。原作において無関係であったように、TVシリーズにおいてもその前後と関係のない話になっている。そういう話が最終回の中で10分を占めている。
TVシリーズの作り手は、最終回の中に10分も、最終回と関係のない話を入れているのである。
その一方で、ひかるが現在の世界で待っている、という原作にはないことを入れながら、ひかるを放置して終わっている。
TVシリーズの作り手は、もともと、原作と違うかたちにひかると決着をつける話を作っていたのではないか? ところが決着をつけないことに決めて、その代わりに関係のないパラレルワールドの話を入れたのではないか?
わざわざ現在の世界でひかるが待っているという原作にないことを入れながら、そのひかるを放置して終わるとか、関係のないパラレルワールドの話に10分も費やすとかいうことは、考えがあってやったのでないとすると、あまりに愚かなことである。
終わりに
インターネット上で、「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズのシリーズ構成について、原作より後に作られたので原作よりまとまっていると定説のように語られているのを何度か見た。
しかし原作ファンで同意する人は少ないのではないか? 少なくとも私は同意できない。
漫画「きまぐれオレンジ☆ロード」は、1984年に連載が始まってから、1987年にTVシリーズが始まるまで、途中で変わったところもあった。それをTVシリーズの作り手が後から見直して、まとめなおすことはできたと思う。
しかしTVシリーズの作り手は、そういうことをせず、原作とは違うようにまとめていったのである。
前にも言ったように、原作のいいところが10あるとすると、TVシリーズはその中から3しか生かしていないように私は感ずる。
上にも挙げたように、TVシリーズの作り手は、原作の話をもとにしても大きく改変する。そして原作で人気のある話をアニメ化せずに、終わってしまっている。
キャラクターに関しても、よく言われるように、原作で人気のある「あかね」など、TVシリーズで生かされていない。
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