「きまぐれオレンジ☆ロード」の劇場版第一作目、「あの日にかえりたい」は、「きまぐれオレンジ☆ロード」に決着をつけるという話であった。
何故に劇場版第一作目で決着をつけることにしたのか? 決着をつけない話にすれば、それより多くの作品を作ることができたのではないか?
深草礼子プロデューサーの言葉
「アニメージュ」1988年10月号において、プロデューサー深草礼子氏がこの映画の企画について語っている。
3角関係を清算する話は、TVシリーズでは絶対にやれないテーマでした。やっちゃったらそれで終わってしまいますからね。だからTVでは3角関係の楽しい面だけを追っていたんですが、それだけに”清算”はスタッフのみんながいちばんやりたかったテーマでした。映画を作ることになったとき、わたしも、これをやるしかない、と思っていたところ、監督の望月智充さんが、3角関係に決着をつける話にしたいと言ってきて、わりとすんなりとストーリーが決定しました。
「アニメージュ」1988年10月号、63頁
アニメ版の作り手は、「きまぐれオレンジ☆ロード」の「3角関係を清算する話」は「やっちゃったらそれで終わってしまいます」というものだとわかっていた。
それゆえにTVシリーズではやらなかった。
ところが、映画を作ることになった時には「これをやるしかない、と思っていた」と深草礼子プロデューサーはいうのである。
疑問

私が問題とするのは、何故に、劇場版第一作目で「やっちゃったらそれで終わってしまいます」という作品を作ることにしたのか? ということである。深草礼子プロデューサーは「これをやるしかない、と思っていた」とまで言っている。
後がない状況であれば、それで終わってしまう作品を作るしかないということは理解できる。
しかしこれは第一作目である。
「きまぐれオレンジ☆ロード」は、1990年代にも、小説版をもとにした映画が作られたくらいの作品である。第一作目をそれで終わってしまう話にしていなかったならば、80年代のうちに、複数の映画を作ることもできたのではないかと思われる。
そういう状況で、何故に、それで終わってしまう作品を作るのか? それだけでなく、「これをやるしかない」と思うのか?
何故に、それで終わってしまうのではない映画を作ることを考えないのか? それで終わってしまう話はその後でいいではないか? それで終わってしまう映画を作ることによってひろがる可能性を、何故に否定するのか?
原作の話でまだアニメ化されていないものは多くあった。その他に話を作る可能性もあった。
何故に、作り手が自分で自分の創作の可能性、興行の可能性を否定するのか?
OVAシリーズ
ところで、TVシリーズの作り手は、劇場版が公開されて間もなく、原作のアニメ化されていない話をもとにしてOVAを作っている。
深草礼子プロデューサーが劇場版について「やっちゃったらそれで終わってしまいます」と語った次の「アニメージュ」1988年11月号では、そのOVAの宣伝がなされている。
さて、TVシリーズ番外編のこと。これはTVでやりきれなかった原作から、スタッフが「ぜひやりたい」といって選んだよりすぐりのストーリー。まどかたち3人の関係もTVシリーズそのまま。映画版ではふられてしまったひかるも、仲良く登場して”明るい3角関係”で楽しませてくれる。
「アニメージュ」1988年11月号、39頁
映画のノリが、TVのノリとはまったくちがっていたことを、寂しく感じた人には、このOVAシリーズはうれしい贈り物ではないだろうか。
これもよくわからないことである。
10月号で深草礼子プロデューサーは、「やっちゃったらそれで終わってしまいます」という「3角関係を清算する話」を映画でやると言った。
ところが、11月号では「TVでやりきれなかった原作から、スタッフが「ぜひやりたい」といって選んだよりすぐりのストーリー」をその後にOVAでやるという。
それで終わってしまう話を作ることを決めたすぐ後に、やりきれなかったことをやるということは、おかしくないか? 「やりきれなかったこと」はないと考えたからこそ、それで終わってしまう話を作ることを決めたのではないか?
やりきれなかったことをやる考えがあったならば、何故に、その前に、それで終わってしまう話を作ることを決めたのか?
「スタッフ」の考えもよくわからない。
10月号では「スタッフのみんな」が、それで終わってしまうという「清算」の話を「いちばんやりたかった」ゆえに、そういう話を映画にすることになったと言っていたのに、11月号では、「スタッフ」は「TVでやりきれなかった原作から」、「ぜひやりたい」といって選んでOVAを作ったと言っている。
「スタッフ」は、それで終わってしまう話をやりたかったのか、やりきれなかった話をやりたかったのか、どちらなのか?
望月智充監督
私の思うに、「きまぐれオレンジ☆ロード」の劇場版「あの日にかえりたい」は、望月智充監督によるところが大きいのではないか。
深草礼子プロデューサーは、望月智充監督がその劇場版の企画を「言ってきた」と語っている。望月智充監督が言い出したことだというのである。
ただし深草礼子プロデューサーは、望月智充監督がそのことを言いだす前から、「これをやるしかない、と思っていた」とも語っている。また、「”清算”はスタッフのみんながいちばんやりたかったテーマでした」とも語っている。「スタッフのみんな」に同じ思いがあったかのように語っている。
実際には、望月智充監督が言い出したことにスタッフがついていった、ということではなかったか?
「きまぐれオレンジ☆ロード」の映画を作ると決まった時には、様々な可能性があった。それにもかかわらず、「スタッフのみんな」が「清算」の話を考えていたとは、思えない。
スタッフの中には、「TVでやりきれなかった原作」をアニメ化したいという考えもあったのではないか? それゆえに、その後にOVAが作られたのではないか?
望月智充監督がそれだけ自分の考えを通すことができた背景には、第一に、スタジオぴえろが「うる星やつら」のアニメ版で、押井守監督に暴走させて「ビューティフル・ドリーマー」を成功させていたということがあったと思われる。
第二に、望月智充監督は当時大変に期待されていたということがあったと思われる。望月智充監督はその後にジブリで「海がきこえる」の監督を務めるに至る道の途中にあった。
「アニメージュ」
この作品に対する「アニメージュ」関わり方が興味深いと思った。
「アニメージュ」1988年6月号
当時の「アニメージュ」の投稿欄を見ると、決着をつけるのとは違うかたちの映画化をもとめる投稿が載せられていることが目に付く。
「アニメージュ」1988年6月号の投稿欄では、「恭介・まどか中心に映画化してほしい‼」という投稿が載せられている。(132頁)―「ストーリーは、オリジナルでも、やっていない原作でもいい」といって、原作の「広瀬ハワイ篇」、あるいは「早川みつる篇」を挙げて、「このふたつのうちのどちらかがいいと思います」と書いているものである。
この投稿は、映画の内容が明らかにされる前のものである。
選者のコメントに「映画化はきまったようだし、ビデオ化のうわさも…?」とある。その時点では、映画の内容はまだ明らかになっていなかったのであろうか。
「アニメージュ」の投稿欄にこういう投稿が載せたということは、「アニメージュ」のスタッフにもそういう考えがあったことを示しているのではないか?
ただし同じ「アニメージュ」1988年6月号には、映画についての記事があって、内容が明らかにされている。
テレビシリーズ版の最終話では、はっきりとした結末を示さなかった恭介、まどか、ひかるの三角関係を、はっきりとした形で描いて見せる、ということで現在、製作の進んでいる長編「きまぐれオレンジ☆ロード」。
「アニメージュ」1988年6月号、76頁
望月智充監督の言葉もある。
ストーリーは、原作とかなり違えています。雰囲気も今までの明るくて陽気、という感覚ではなくて、もっとずっとシリアスなものにしていきます。というのも、僕はやはりあの三角関係の決着がそう簡単につくとは思えないからなんです。
「アニメージュ」1988年6月号、76頁
「ひかるが悲しい仕打ちを受けそうなこの映画」ともある。(同、76頁)
つまり「アニメージュ」1988年6月号が出された時には、映画は「はっきりとした結末」を描くものときまっていたのである。
「アニメージュ」1988年8月号
「アニメージュ」1988年8月号の投稿欄には「決着つけてほしくない」という投稿が載せられている。(135頁)―6月号の映画化についての記事が「気にいらない」というのである。「初めての映画化なのに、いきなり『三角関係の決着』をつけるのはどうかと思う。ボクは、原作やオリジナルの映画化もしてほしいし、簡単に決着をつけてほしくない。」という。
決着をつける映画の製作が進んでいるということに反対する投稿である。
これは多くのファンの自然な気持ちをあらわしたものだと私は思う。まだ様々なことができるのに、映画第一作目で終わりにしてしまうことに反発するファンは多かったであろう。
「アニメージュ」のスタッフは、こういう投稿を載せることによって、自分の考えをあらわしているとも思われる。
しかし、選者のコメントには「「映画で、三角関係のほんとうの結末を見たい」というファンからも、やっぱり手紙は来ています。」とある。映画の作り手の意に沿う投稿もあったということによって、作り手を擁護しているのである。
6月号と8月号を見ると、「アニメージュ」のスタッフは、はじめは決着をつける話とは違う映画を期待していたが、映画の作り手が決着をつける話を作ると知ると、それを擁護する立場をとっているようである。アニメ版の作り手がファンの声と反対の方向をとると見るや、ファンの声を切り捨てて、アニメ版の作り手を擁護しているのである。
「あの日にかえりたい」が公開された後の「アニメージュ」については次の記事。
まとめ
「きまぐれオレンジ☆ロード」の劇場版第一作目の「あの日にかえりたい」で終わりの話を描いたことは、TVシリーズで原作より大幅に早く終わる話にしてしまったことと通ずることということができる。
TVシリーズについては次の記事にまとめた。
「アニメージュ」がそれに追随したことも同様である。
「あの日にかえりたい」の作り手は、TVシリーズと同様に、自分の好きなように作った。「アニメージュ」はそれを擁護して、批判の声を抑えた。ところが「あの日にかえりたい」の作り手は、TVシリーズでもそうであったが、作品を早く終わらせることに力を注いで、作品を伸ばそうとしなかった。
押井守監督は「うる星やつら」で暴走したが、番組は長く続き、映画も多く作られた。
望月智充監督は「きまぐれオレンジ☆ロード」で暴走して、その後に、番組を続けることも、映画を作ることも難しくした。
コメント
> 私の思うに、「きまぐれオレンジ☆ロード」の劇場版「あの日にかえりたい」は、望月智充監督によるところが大きいのではないか。
(中略)
> 実際には、望月智充監督が言い出したことにスタッフがついていった、ということではなかったか?
それを裏付ける発言が、望月監督自身から出ています。
https://ameblo.jp/mangetsuhakase/entry-12633919173.html
すでにご存じだったかもしれませんが、念のため。(他の記事で触れられている、寺田憲史氏語る作者コメントに関する疑義も提示されています。望月氏の言う通り「作り話」かどうかはさておき、寺田氏の記憶違いか何かで、事実と異なる記述になっている可能性は高いと思われます)