2024年1月1日に起こった能登半島地震では、ヘリコプターを巡る議論が激しくなっていた。
ヘリコプターを多用すべきであったにもかかわらず、多用していないという批判が早くから行われた。それに対して、多用することができない状況があったという反論がなされた。
そのやり取りの中での「知識人」の発言は注目に値すると思われた。
ヘリコプターを多用すべきだったという主張
ヘリコプターを多用すべきであったという主張の例として、五百旗頭真ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長の言葉を挙げよう。
五百旗頭氏は「元防衛大学校長で東日本大震災の国の復興構想会議で議長を務めた」人物である。
◆自衛隊の初動は今回、手抜かりがあったとみている。陸上自衛隊の全ての駐屯地に「ファスト・フォース」と呼ばれる初動部隊がある。24時間代わる代わる待機し、大きな災害があったらすぐに出動する部隊だ。最も被害が深刻だった石川県の輪島市や珠洲市は陸自の駐屯地がある金沢市から100キロも離れていた。道路が寸断され陸路から行けないと分かったら、すぐに海と空から救助に向かうことを決断しなければならなかった。
毎日新聞 五百旗頭真氏がみる能登地震の対応 「自衛隊の初動に手抜かり」
ただ、海底が隆起して海から上陸することも難しかった。実際、発生2日目にはヘリ数十機の態勢を取ったというが、輪島市や珠洲市の寸断された集落への救助に時間を要した。今の自衛隊の能力からみればヘリ100機を出せたのではないか。陸からも、海からも大量の人員で救助に向かうことができないとなれば、空からの救助にすぐ切り替えなければならないのに、それができなかったのは非常に遺憾だ。
(この記事は2024年3月2日に配信されているが、五百旗頭真氏は3月6日に亡くなっている。亡くなる直前の記事である。)
五百旗頭氏は能登半島地震に、他の地震と違う特殊な事情があったことを認めた。
・「道路が寸断され陸路から行けない」
・「海底が隆起して海から上陸することも難しかった」
「陸からも、海からも大量の人員で救助に向かうことができないとなれば、空からの救助にすぐ切り替えなければならない」と五百旗頭氏は語る。
ところが「今の自衛隊の能力からみればヘリ100機を出せた」にもかかわらず、「それができなかった」ことを五百旗頭氏は問題とする。そのことをもって「自衛隊の初動は今回、手抜かりがあったとみている」と言っているようである。
現場の声
「朝日新聞」の4月3日の記事「能登地震直後 自衛隊副師団長が呼びかけた情報共有、見えた支援方針」では、陸自第10師団の兵庫剛・副師団長のインタビューが載せられている。
まず『元日夕の発災直後、石川県庁の対策本部経由で自衛隊に「数百人単位のヘリコプター空輸」を要望された』というように、発災直後に石川県から「数百人単位のヘリコプター空輸」が求められていた。
ところが「趣旨がわからない」という。
・「被災状況がわからない」
兵庫氏は1月2日未明に石川県庁に着いた。そして「危機対策課に自衛隊と警察、消防が集まった」が、「現状認識が共有されない」状態であった。
そこで兵庫氏が「情報を『見える化』しましょう」と言ったという。
以上の兵庫氏の発言によると、五百旗頭氏が語るように「ヘリ100機を出せた」にもかかわらず出さなかったのではなく、「被災状況がわからない。被災地へどうやって行けばいいかもわからない。」という状況に対応せざるを得なかったようである。五百旗頭氏が語るように初動に「手抜かりがあった」のではなく、そうせざるを得ない状況があったようである。
鬼木防衛副大臣は次のように語っている。
―初動が逐次投入との批判がある。
情勢認識の差だ。地理的条件がほかの震災と全く違い、たくさんの人を入れられる状況ではなく、効果的でもなかった。政府はそこを認識した上で、適切な手順で人を入れた。きちんと状況を把握しつつ動くべきだ。2次被害もある。
時事ドットコム 能登、大量投入「できる状況になし」 鬼木防衛副大臣インタビュー
伊賀治氏と地元民のやりとり
SNSでは、ヘリコプターを使うことについて激しい論争が行われていた。
その中で1月9日、伊賀治名誉教授と「地元民」を名乗る人との間に興味深いやりとりがあったので取り上げよう。
1月8日、伊賀氏は画像を示して、被災地でヘリを使うことができないという主張を否定した。
「できない理由を創作される方」というように、伊賀氏は、できない理由を言う人は、創作していると決めつけている。ないことをつくり出しているというのである。
伊賀氏の主張に対して、地元民という人物が反論した。―ヘリが来ることのできるところにはすでに来ている。しかし能登には来ることのできないところが多いというのである。
伊賀氏はその反論に対して、写真を示してヘリが降せないという主張に反対した。
ここで「儲ける?」と言っているのは、伊賀氏の次の言葉に対するもの。
伊賀氏は突然「付き合いきれんな」と言って「無視する」ことにしている。
伊賀氏の主張と違うことが言われているのであるから、証拠を示して反論するか、相手の主張を受け入れるか、しなくてはならないと思われる。
ところが、そういうことをせずに相手を「無視する」ことにして、自分の主張は正しいとして、相手の言葉は「儲ける」ためのものと決めつけている。
「知識人」の陰謀論
伊賀氏は上のやりとりの少し前のポストでは、次のように相手を「バイト」ときめつけている。
「ヘリが少ない」「初動が遅い」という伊賀氏の主張に対して反論してくる者は「バイト」であるというのである。―その背後に伊賀氏の「ヘリが少ない」「初動が遅い」という主張を「嫌がってる」者がいて、その者が「バイト」を使って伊賀氏に群がるようにしているというのである。
しかしその背後に伊賀氏の「ヘリが少ない」「初動が遅い」という主張を「嫌がってる」者がいるということにも、その者が「バイト」を使って伊賀氏に群がるようにしているということにも、証拠はない。伊賀氏が想像しているだけのことのようである。
根拠なく背後に動く力があるときめつけることを陰謀論という。
仏文学者内田樹氏はそういう伊賀氏の言葉を引用して同意している。
内田氏は「政府が決して触れて欲しくない」と語っている。伊賀氏は「ヘリが少ない」「初動が遅い」という主張を「嫌がってる」者がバイトを使っていると語ったが、「決して触れて欲しくない」のは政府だというのである。
内田氏が『専門家だったら「ヘリを飛ばせるかどうか」の可否なんか自明のはず』と語っているところは重要なところである。内田氏も伊賀氏も、ヘリコプターを活用することはできるのに、活用されていない、という主張を「自明」のこととしている。
「自明」のことに反対して「絡む」のは、そのことに「決して触れて欲しくない」政府によって動かされているにちがいないというのである。
しかし上に挙げた伊賀氏と「地元民」のやりとりをみても、伊賀氏の正しさは自明ではないようである。
「戦史/紛争史研究家」山崎雅弘氏も伊賀治氏の言葉を引用して次のように語っている。
山崎氏も伊賀氏と同じように、伊賀氏に対する反論を「できない理由を創作」したものとみなしている。―「実際には「日本政府のやり方に問題はない」という結論から逆算して、それに都合のいい「知識の断片」だけをもっともらしく並べているだけです。」というように、日本政府のために正しくないことを「もっともらしく」語るものとみなしている。
しかし上に挙げた「地元民」とのやりとりをみても、伊賀氏の正しさは自明ではないようである。
逆に伊賀氏等の方が「実際には「日本政府のやり方に問題がある」という結論から逆算して、それに都合のいい「知識の断片」だけをもっともらしく並べているだけ」ではないかとも疑われる。
おわりに
2024年1月の能登半島地震では、能登半島の事情はどうなっているかということについても、どういう対応をしなくてはならないかということについても、議論が対立して、わかりにくくなっている。
震災の実情を知ること、そしてどういう対応をすべきか知ることは、誰もが求めることである。そのことを妨げることは問題とされなくてはならない。
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