「いちご100%」という漫画は2002年から2005年にかけて「週刊少年ジャンプ」で連載されていた作品である。
私はその連載が終わってから十年以上たった時に読んだ。そのことは下の記事に書いた↓
上の記事でも書いたように、「いちご100%」という作品は、私の心に刻まれた作品である。何よりもその終盤の流れによって心に刻まれた。
その「いちご100%」の終盤について考えてみようと思う。
衝撃
私が衝撃を受けたのは、東城につきあっている男がいるのではないかという話から、真中が西野に好きだと言ってキスをするまでの流れである。第142話の終わりから第145話までである。
「いちご100%」のタイトル表参照↓
流れ
その流れは次の通り。
真中が教室に来ると、東城が文化祭のイベントに天地、真中以外の男と参加するということについて天地が問いただしていた。
天地はそこに来た真中を外に連れて行って、二人はふられたという。
真中は部室で東城にそのことをたしかめようとした。ところが東城は濡れた服を脱いでいるところであったので、真中から逃げるかたちになった。
真中が窓の外を見ると、ちょうど東城が見知らぬ男の胸にとびこむところであった。実はその男はたまたま来ていた東城の弟であった。しかし真中には「東城が選んだ男」に見えて、衝撃を受けた。
真中はそのことが気になって、東城が来ていると思われる塾に行った。ところが東城はまだ来ていなかった。そこで真中は模試の順位が「塾内ビリ」と聞いてまた衝撃を受けた。
真中が思わず西野のアルバイト先まで歩いてくると、たまたま出て来た西野と出会った。
西野との帰り道で真中は自分は西野に似合わないダメな人間だと言った。それに対して西野は「甘えてよ」と言った。そこで真中は西野を抱きしめた。そして西野に「好きだ」と言って、公園のベンチでキスをした。
決着
上の流れで真中は西野を選んだ。
ここで真中が西野を選ぶことは、この「いちご100%」という作品の決着をつけることである。それだけ重要なことである。
しかし上の流れは納得しがたい。
決断
第一に、真中が西野を選ぶという決断は、理性的、主体的なものではない。
真中が西野を選ぶという決断は、真中が東城のことと勉強のことでへこんでいる時に、西野に「好き」と言われ、「甘えてよ」と言われたことによるものである。言わば、病理的、受動的な決断である。
真中自ら次のように言っている。
こんなに頭の中
JC17巻、23頁
ぐちゃぐちゃの状態で
西野に会っちゃ
ダメだったんだ
真中自ら「西野に会っちゃ/ダメ」と思うような「頭の中/ぐちゃぐちゃの状態」であった。
そういう状態で決着をつけたのであるから、納得できないのである。
比較
第二に、他の選択肢との比較が十分になされていない。
真中が西野を選んだということは、東城、北大路、向井などを選ばなかったということである。ところが真中は西野を東城、北大路、向井などと十分に比較した上で西野を選んだのではない。
それどころか、真中は東城が他の男を選んだと誤解してへこんでいる時に西野を選んでいる。比較のために重大な欠陥がある状態で西野を選んでいるのである。
十分に比較した上で選んだのでなくては納得できない。
作者の言葉
作者はそのことに関して、JC19巻の巻末に次のように書いている。
お互い好きあってても事情やタイミングなんかで
「いちご100%」JC19巻、176頁
一緒になれなかったりする、
そういった恋の不条理な部分ってあるじゃないですか。
真中が西野を選ぶ流れは、作者自ら語るように「お互い好きあってても事情やタイミングなんかで/一緒になれなかったりする」かたちになっている。
一般論として「お互い好きあってても事情やタイミングなんかで/一緒になれなかったりする」という恋愛物語がいけないとは私は思わない。
しかし「いちご100%」のような作品でそういうかたちで決着をつけることは、どうかと思う。
「いちご100%」は、それまで3年の連載、140話、JC16巻をかけて、主人公が複数の女性にとりかこまれて、その中から一人を選ぶことができないという話を繰り返してきた作品である。
それだけ長い間、時間の制約なしに、主人公は複数の女性と関係してきたのである。
そういう作品が「事情やタイミング」によって―時間の制約によって―決着がつけられるても、納得できない。
細かいところ
細かいところが色々と気になる。
天地
まず、天地がおかしい。
天地は、東城が文化祭のイベントに天地、真中以外の男性と参加すると聞いただけで、東城にふられたと思い込んでいる。
しかし東城が文化祭のイベントに天地、真中以外の男性と参加するということだけでは、東城に天地、真中以外につきあっている男がいるということの証拠にならない。東城自身、つきあっているのではないと言っている。
天地は東城とつきあうためにそれまで周りにいた多くの女性との関係を捨てた人である。それだけ東城にかけていた人である。
東城が他の男とつきあっているかどうかということについては、確かな証拠をつかむまで追及しなくてはならないのではないか?
そもそも天地は、東城にとって真中が重要な存在であることを知った上で東城に迫っていた。そういう人が、東城が他の男とつきあっているかもしれないという疑惑だけで、確かな証拠もないのに、ふられたと思い込んで落ち込むであろうか?
天地は東城にふられたと思い込んだ時に、真中を連れて教室の外に出て行っているが、何のためにそうしたのか、理解できない。
天地の行動としては理解できないが、作者が、真中が東城に直接話を聞く機会を奪ったとすると、理解できる。
真中と東城
そもそも東城につきあっている男がいるかどうかということは、真中と東城が二人で少し話せば容易に明らかになることである。
東城は、天地とのやりとりを真中に聞かれたと気づいた時に、困った表情をしている。真中に説明しなくてはならないと考えたのではないかと思われる。
真中は天地のようにそのことを信じておらず、それから東城に聞こうとしている。
ところが真中と東城がそのことについて直接話すことは妨げられる。―真中は天地によって教室の外に連れ出される。部室で二人きりになった時には、東城が下着のことで真中から離れている。
そして東城につきあっている男がいるのではないかと真中に思わせるようなことが続く。―東城は真中から離れた。そして見知らぬ男の胸に飛び込んだ。
このように、なくてもいいことによって、二人が話し合うことができなくなっているところは、作者がわざとそうしたと思われる。
その後
上に書いたように、決着がついたのは第145話である。
ところが最終話は第167話である。「いちご100%」は、決着がついた後に長く続いているのである。ジャンプコミックスでいうと、17巻のはじめに決着がついたが、最終話は19巻である。
私が初めて読んだ時には、決着がついた流れに衝撃を受けたまま最終話まで読んだ。それゆえにその後に描かれたことについて特に考えることはなかった。
今度読み返して、その後のことについて理解できたところがあったので、そのことについて書いてみよう。
タイトル表参照↓
北大路
まず真中が西野に告白してキスをした次の日に、北大路に西野とまたつきあい始めたということを告げるという話がある。(第146話から第147話にかけて)
東城に告げる
その次に、真中が東城に、西野とまたつきあっているということを告げるという話がある。(第149話)
ただし東城の場合は、北大路の場合より複雑な話になっている。
次のように美鈴が関わっている。
「今は秘密に」
第147話で、真中がまた西野とつきあうことにしたと映研のメンバーが知った時に、美鈴は「今はまだ/東城先輩には/秘密に―」と言っている。(JC17巻79頁)
「あのセリフ」
第149話で、文化祭の前日に、美鈴は真中と東城の「主演のお二人の/ための試写会」を開催している。そして東城に「先輩!/勇気出して/もう一度映画の/あのセリフ…」と言い(同、118頁)、一人で「映画のヒロインの/セリフそのまま/言えばそれで…」と独白している。(同、125頁)
そこで真中は東城に、また西野とつきあっていると言った。それを聞いて東城は涙を流した。
責める
第150話、文化祭当日に美鈴は真中に対して真中の鈍さに怒っていると言い、「東城先輩は/真中先輩のこと/好きなんですよ」という。
美鈴の言動について
以上の美鈴の言動はおかしい。
秘密
真中が西野とつきあい始めたことを美鈴が東城に知らせないようにしたことは、おかしい。
東城のためを思ってのことのようでもあるが、そのことによって東城はその間、真中が西野とつきあい始めたことを踏まえた上での行動をとることができなくなっている。
試写会
真中が誰ともつきあっていない時であれば、「映画のヒロインの/セリフそのまま/言えばそれで…」と考えても問題はない。
しかしこの場合には、真中はすでに西野とつきあっている。すでに西野を選んでしまっている。そういう状況では「映画のヒロインの/セリフそのまま/言えばそれで…」ということにはならない。
東城と真中が結ばれるためには、真中がすでに西野を選んでしまっている状況を踏まえた上で、どうすべきかを考えなくてはならない。
結果はどうであっても、東城に告白させるということであるならばそれでいいが、それでは東城のためにならない。
責める
西野とつきあっている真中に対して、東城の気持ちがわからない真中の鈍さを責めることは、おかしい。
考察
作者は何故にこういう話を作ったのか?
真中が西野とつきあっていることを東城に告げることは、北大路に告げることと同じく、決着をつけた後を片づけることである。しかし東城の場合は、北大路の場合と違うものになっている。
以下、推測。
東城の真中に対する想いは大きく、重い。それを西野に対して巻き返す方向に向かわせるのではなく、他の方向に(後に述べる方向に)向かわせることを作者は考えた。そのために東城は、もはや巻き返すことができないほど遅れた状況に置かれた。
美鈴によって秘密にされたこともそのためであった。天地の誤解とか、下着のこととか、その他のことによって真中に誤解されたこともそのためであった。
そのことによって東城は、すでに真中が西野とつきあってしまって、巻き返すことが難しくなった後に、そのことを聞くことになった。
悲劇のヒロインとして描かれることになった。
高3の文化祭で公開する映画は、それまでの真中と東城のやってきたことの集大成という意味があるゆえに、その試写会で、真中が西野とつきあっていると東城がはじめて聞かされることは、悲劇的になる。
文化祭
文化祭の当日にまた劇的な場面がある。
流れ
文化祭で西野と歩いていた真中は、見知らぬ男と一緒に歩いていた東城と出会う。その見知らぬ男は東城の弟だとわかって真中はホッとした。
西野は真中のそういう表情を見て、帰って行った。(第151話)
高3の文化祭は、真中にとっても、東城にとっても、部活の最後の日である。真中も東城も、それまで高校1年から部活でやってきたことを思い返して、互いに会いたいと思った。(第152話)
真中が一人でいる部室に来た東城は、ドア越しに真中に告白した。それに対して真中は土下座して、「今は西野を/大切にして/いきたいんだ」と言った。(第153話)
真中はそのまま西野の家に行って、西野を抱いた。(第154話)
考察
ここで遅ればせながら東城の真中に対する告白がある。
前にも言ったように、東城の真中に対する想いは大きく、重い。真中が東城を選ばないとしても、東城がその想いを真中に伝えるところがなくてはならない。
しかし作者はそのことによって話をひっくり返すつもりもなかった。
そのために遅れた時に告白することにしたのではないか。
ここで東城が告白して、それを受けて真中がことわったことによって、女性側の意思表示が出そろった上で、それに対して真中がその女性の中から一人を選ぶというかたちができた。
外的な状況によって東城の告白が遅れたことを考えると公平とは言えないが、恋愛物語としての決着がついたかたちになっている。
夢
恋愛の決着が一応ついた後に、真中、東城、二人の夢の話になる。
流れ
「文化祭が/終わって」「「楽しい高校生活」も/もうおしまい」で、「地獄の/受験モード/突入」となった。(第155話。JC18巻48頁)
そういう時に、真中のところに映像コンクールの審査員が来て、コンクールに出した真中の映画がよかったと言って、真中にチャンスを与えた。
同じ時に東城は文学賞を受賞して、次の作品をもとめられていた。
二人は屋上で出会ってそのことについて言い合った。そしてそれぞれ「自分一人だけの力」でやっていこうとした。(第156話)
ところが東城は、真中なしでは小説が書けない。
真中は、それまで東城が担当していた脚本部分のレベルが低いと批評された。(第157話)
道で出会った二人は、互いにそのことを打ち明け合った。そして互いに力を合わせることになった。(第158話~第159話)
考察
「いちご100%」という作品では、主人公の恋愛をめぐる話と同時に主人公の夢をめぐる話が描かれてきた。
ここでは、主人公の恋愛をめぐる話の決着がついた後に、夢をめぐる話が描かれている。
真中が東城と結ばれる場合、主人公の恋愛と主人公の夢とは一つになる。
真中が西野と結ばれると、主人公の恋愛と主人公の夢とは分れる。
作者はそのことを次のように描いている。
真中、東城はそれぞれの夢のためのチャンスを与えられて、その夢に向かう。
二人は恋愛に関して別れているので、夢に関してもそれぞれ「自分一人だけの力」でやろうとした。
しかし二人とも互いに相手の力が必要だと考えるようになった。
そこで、恋愛と別に、夢に関して二人が力を合わせることになった。
もともと恋愛と夢とは一つであった。真中が西野を選んだ結果、両者は分かれることになった。そこで恋愛と別に、夢に関して二人が力を合わせるというかたちで、夢を生かすようにしたようである。
ただし東城にはまだ恋愛感情が残っていた。そのことが次の話につながる。
前進
東城に残っていた恋愛感情にけりをつける。
流れ
大学受験直前に落ち込んでいる真中のために、南戸が東城を家庭教師としてよんできた。家庭教師の途中で、真中が眠りに落ちた。そこで東城は眠っている真中にキスをした。(第161話)
東城が真中にキスをした後に、まだ目が覚めていなかった真中が東城と抱き合うかたちになった。それを見た南戸は、真中の受験の前日に、西野とつきあっているのに二股をかけてそういうことをしていることを責めた。(第162話)
受験から帰ってきて、真中は待っていた西野をおいて、東城に家庭教師の時のことを聞いた。東城は自分からキスをしたと言った。これで「やっと/前に進める気が/する」と言った。そして東城は去って行った。真中は後を追わなかった。(第163話)
考察
東城の独白、真中に対するセリフをたどっていくと、上の流れで東城が真中に対する恋愛感情にけりをつけていったことがわかる。
東城は家庭教師に来て「あとちょっとで/二人きりの時間も/終わりね…」と独白しているように、その家庭教師の仕事を最後の「二人きりの時間」と考えていたようである。
東城が眠っている真中にキスをしたことも、「それ以上/もう何も/望まないから」というように恋愛感情にけりをつけるつもりでしたようである。
「初めての/人は/真中くんが/いい」というように「初めての人」にすることだけが目的だったようである。
真中の受験の後に公園で真中に言ったように、そのことによって東城は「前に進める」ようになったようである。
気になるところ
しかし色々と気になるところはある。
東城
東城は自分の気持ちに整理をつけた。そのことは東城にとっていいことであったようである。
しかしそのことは真中に対しても西野に対しても悪い行為である。真中に対しては、その行為そのものだけでなく、その行為が真中の大学受験に影響を与えたという意味でも悪い行為である。
ところが東城はそのことについて十分に謝罪していないようである。真中に対して「勝手なことして/怒ってたら/ごめんなさい…」と言うだけである。
南戸
南戸が真中の受験前日に、真中の受験を失敗させるつもりで真中を責めているところはモヤモヤする。
真中のこれまでしてきたことについて、大学受験を失敗するくらいの罰が当たってしかるべきだ、という多くの読者の気持ちにこたえているということができるかもしれない。
しかし南戸が責めていることに関しては、真中はそれほど悪くない。大学受験の後に謝罪している通りである。
また南戸自身、真中が西野とつきあっていることを知っていながら、真中を東城と二人きりにしたことは、「二股」のためにはたらいたということができるのではないか?
西野
真中は受験が終わって帰って来て、待っていた西野にほとんど説明せずに、東城と話しに行っている。
東城との話をすますまでは、西野と話すことができないということかもしれないが、そうだとしてももう少し西野が傷つかないようにすることはできたのではないか?
白紙
「いちご100%」の終わり。
流れ
真中は東城と別れた後、西野に対して「俺たちの関係/…白紙に/戻せないかな」と言った。
真中は東城の小説を読んで、「真剣に映画の道/目指したい」と考えた。そのために西野に「甘えっぱなし」ではいけないと考えたというのである。
西野は真中の申し出を受け入れて、フランスに留学に行った。(第165話)
真中、東城も高校を卒業する。(第166話)
そして時が経って、小説家の東城と、賞をとった真中とが出会って、東城の小説を映画化する話をする。
真中は、フランスから帰ってきた西野とまた関係を再開する。
考察
「いちご100%」という作品には、恋愛と夢という二つの軸があった。
真中と東城が結ばれる場合には、その二つはそのまま一つになる。
真中と西野が結ばれるとすると、その二つは分かれる。
そこで恋愛は西野と、夢は東城と、と分けられた。
東城にはなおも真中に対する恋愛感情が、片づけることができた。
真中は東城の小説を読んで真剣に映画の道に進むことを考えた。そして西野に対して甘えずに成長するために「白紙」にすることをもとめた。
「いちご100%」にもともとあった夢にまつわる成長の主題が、ここでは西野との恋愛関係に持ち込まれて生かされているようである。
終わりに
「いちご100%」の終盤を通してみると、作者は長い見通しをもって、描くべきことを考えて描いたと思われる。
しかしまた「いちご100%」の終盤には、真中が西野を選んだ決断をはじめとして、おかしいところが多い。
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