フレッド・アステアとバレエの因縁③映画「バンドワゴン」の意義

広告
フレッド・アステア
Photo by Nihal Demirci Erenay on Unsplash
広告

(※当サイトはアフィリエイト広告を利用しています)

 フレッド・アステアとバレエとの関係について考える。

 第3弾は、「イースター・パレード」から「バンド・ワゴン」まで。

 第1弾は、フレッド・アステアが映画デビューしてからRKOでジンジャー・ロジャーズと共演している間のこと↓

 第2弾は、フレッド・アステアがRKOから離れ、ジンジャー・ロジャーズから離れてから、「ブルー・スカイ」で引退するまで↓

 1946年に公開された映画「ブルー・スカイ」を最後として、フレッド・アステアは一度引退していた。


ブルー・スカイ [DVD]
広告

「イースター・パレード」

 1947年、引退していたフレッド・アステアは、リハーサルの間にけがをしたジーン・ケリーの代わりに映画に出演することをたのまれた。

 その映画が「イースター・パレード」( “Easter Parade” )である。


イースター・パレード [Blu-ray]

 1948年6月に公開された「イースター・パレード」は大ヒットとなった。

 「オン・ユア・トーズ」以後、そして「オクラホマ!」以後、アメリカのミュージカルではバレエが重視されるようになってきていた。(「オン・ユア・トーズ」のことは第1弾、「オクラホマ!」のことは第2弾で述べた)

 フレッド・アステアも、その流れと向き合うことになった。

 ところで、「イースター・パレード」には、「オン・ユア・トーズ」のような、「オクラホマ!」のようなバレエはない。

「イースター・パレード」以後

 「イースター・パレード」で復帰してから、フレッド・アステアは次々とミュージカル映画に出演した。

「ブロードウェイのバークレー夫妻」

 「イースター・パレード」の次にまたフレッド・アステアとジュディ・ガーランドが共演する映画が企画された。-「ブロードウェイのバークレー夫妻」( “The Barkleys of Broadway” )である。

ジンジャー・ロジャーズ

 制作の途中でジュディ・ガーランドは病気で出演することができなくなって、ジンジャー・ロジャーズがその代わりに出演することになった。

 「カツスル夫妻」(1939年)以来の共演である。

 そこで、ジュディ・ガーランドのために作られていたものを、ジンジャー・ロジャーズに合うように作り変えることになった。

 バレエに関することでは、その時に「ポエトリー・イン・モーション」( “Poetry in Motion” )というコミックバレエが外されたと言われている。

Rogers and Garland as performers were dissimilar, and changes had to be made, particularly in the Warren and Gershwin score. “Natchez on the Mississip’,” “The Courtship of Elmer and Ella” (a hillbilly number) and “Poetry in Motion” (a comic ballet) were dropped.

“MGM’s Greatest Musicals” p.246~247

M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

 バレエをやることになっていたが、ジンジャー・ロジャーズに合うようにそのバレエは外されることになったようである。

 「ブロードウェイのバークレー夫妻」は1949年5月に公開された。


ブロードウェイのバークレー夫妻 [DVD]

「翼のある靴」 “Shoes With Wings On”

 「ブロードウェイのバークレー夫妻」には、 “Shoes With Wings On” (翼のある靴)という曲目がある。

 靴屋が舞台で、客が帰ってしまった後に、一人残った店長の前で靴が勝手にタップダンスを踊りだすというもの。

 この曲目は、バレエの影響を受けたものと思われる。

 特に1年前に公開された映画「赤い靴」( “The Red Shoes” )の影響を受けたものと思われる。


赤い靴 デジタルリマスター・エディション Blu-ray

 映画「赤い靴」は、アンデルセンの童話をもとにして作られた映画で、中盤に童話をもとにした長尺のバレエがある。

 そのバレエでは、主人公が靴屋の靴を履くと、その靴が主人公をいつまでも踊らせることになっている。

 「ブロードウェイのバークレー夫妻」の「翼のある靴」で、主人公が靴屋の靴を履くと、その靴が主人公を踊らせることは、「赤い靴」のバレエと似ている。

 はじめに少しバレエが出て来るところも、関係を示しているのかもしれない。

 ただし「ブロードウェイのバークレー夫妻」の「翼のある靴」では、フレッド・アステアはバレエではなくタップダンスをやっている。

 「赤い靴」のバレエはドラマティックであったが、こちらはコミカル。

 多くの靴が踊りだすところは、「赤い靴」にはないところ。

「土曜は貴方へ」


土曜は貴方に [DVD]

 1950年に公開された映画「土曜は貴方へ」( “Three Little Words” )の振り付けはハーミーズ・パン。

 「土曜は貴方へ」にも「オクラホマ!」のようなバレエはない。

 フレッド・アステアは過去にジンジャー・ロジャーズなどとやってきたタップダンスや「ロマンティック」なダンスを発展させているように見える。

 たとえば「タップダンサー夫妻の家庭生活」( “Mr. and Mrs. Hoofer at Home” )はタップダンスによって夫婦の家庭生活を表現するものである。

Warner Archive
Mr. and Mrs. Hoofer At Home | Three Little Words | Warner Archive

 これは、「ロバータ」(1935年)の “I’ll Be Hard to Handle” でフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズがタップダンスで男女のやりとを表現したのを発展させたもののように見える。

 「土曜は貴方へ」のフレッド・アステアの相手役のヴェラ・エレンは、バレエもタップダンスもすぐれた人であるが、この映画ではフレッド・アステアとともに、バレエではなく、タップダンスや「ロマンティック」なダンスをやっている。

「恋愛準決勝戦」

 1951年に公開された映画「恋愛準決勝戦」( “Royal Wedding” )


恋愛準決勝(字幕版)

モイラ・シアラー

 バレエとの関係では、フレッド・アステアの恋人役に、映画「赤い靴」( “The Red Shoes” )で有名なバレエダンサー、モイラ・シアラー( Moira Shearer )が考えられていたということが重要である。


赤い靴 デジタルリマスター・エディション Blu-ray

 モイラ・シアラーがフレッド・アステアの相手役として考えられたということは、「赤い靴」のバレエのような長尺のバレエを2人でやることが考えられたということではないか?

 フレッド・アステアはモイラ・シアラーとの共演について「彼女はすばらしいが、彼女を相手にして私に何ができるのか?」と言ってことわったという。

“I know she’s wonderful, but what the hell could I do with her?”

“MGM’s Greatest Musicals” p.298

M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

 フレッド・アステアは、モイラ・シアラーと組んでもいいものはできないと考えていたのである。

サラ・チャーチル

 モイラ・シアラーの代わりにフレッド・アステアの恋人役に選ばれたのは、ウィンストン・チャーチルの次女サラ・チャーチルであった。

 モイラ・シアラ―の代わりにサラ・チャーチルが選ばれたことと関連して、フレッド・アステアが恋人役と踊るところがなくされたと思われる。

 モイラ・シアラーが考えられていた時には、「赤い靴」ほどでなくても大がかりなバレエをやることが考えられていたのではないかと思われる。

 ところがサラ・チャーチルにかわって出来た映画では、2人が踊るところは、初めのオーディションのところに少しあるだけになっている。

 フレッド・アステアがサラ・チャーチルを想って “You’re All the World to me” の音楽に合わせて壁、天井を踊るところは、この映画の最大の見どころであるが、フレッド・アステアが一人で踊るのであって、サラ・チャーチルは写真だけ。

 フレッド・アステア主演のミュージカル映画で恋愛が2人のダンスによって表現されていないことは珍しいことである。

 このことは「恋愛準決勝戦」という映画の構造と関わることと思われる。

 「恋愛準決勝戦」は兄と妹を描く映画であって、そのことが多く描かれていることは当然のことであるが、兄妹それぞれの恋愛を描く映画でもあるのに、フレッド・アステアとサラ・チャーチルの恋愛の占める割合が少ないのではないかと思われる。

 ちなみにフレッド・アステアがジェーン・パウエルその他大勢とおどる “I Left My Hat in Haiti” でのフレッド・アステアの恰好は、「ヨランダと盗賊」の夢のバレエの時の恰好と似ているようにも見える。

「ベル・オブ・ニューヨーク」

 1952年に公開された映画「ベル・オブ・ニューヨーク」


ベル・オブ・ニューヨーク [DVD]

 この「ベル・オブ・ニューヨーク」という映画は、フレッド・アステアの映画の中で重要な意味をもっていると思われる。

オスカー・ハマースタイン二世

 「ベル・オブ・ニューヨーク」は、フレッド・アステアが「ブルー・スカイ」で一度引退する前から企画されていた映画である。

 1943年10月14日にプロデューサーのアーサー・フリードがオスカー・ハマースタイン二世に送った手紙に、「ベル・オブ・ニューヨーク」の音楽をオスカー・ハマースタイン二世とリチャード・ロジャーズが担当することを求めているところがある。

Regarding The Belle of New York. We have a fine outline for the story and I am still counting on you and Dick Rodgers to do the score.

MGM’s GREATEST MUSICALS p.152

M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

 アーサー・フリードが二人によって「ベル・オブ・ニューヨーク」をどういう作品にしようと考えていたのか?

 「オクラホマ!」と近いところのある作品にしょうとしていたのではないか?

 オスカー・ハマースタイン二世とリチャード・ロジャーズは、初めて組んで作ったミュージカル「オクラホマ!」(1943年3月にブロードウェイで開幕)によってミュージカルに革新をもたらしていたところであった。

 具体的には、「オクラホマ!」のようにバレエを入れることを考えていたのではないか?

引退

 フレッド・アステアは「ヨランダと盗賊」の後に「ベル・オブ・ニューヨーク」をやることになっていた。

 ところが「ヨランダと盗賊」が失敗して、失敗を繰り返したくないということで「ベル・オブ・ニューヨーク」を断って、「ブルー・スカイ」をやって引退している。

メトロでの次の仕事は『ベル・オブ・ニューヨーク』。数か月後に始まることになっている。この映画のアイディアはあまり気に入っていなかった。脚本もなかなかかたちにならない。『ヨランダ』が強力な映画にならなかったことで、わたしの不安もつのっていた。この上また軽量級の作品を重ねたくはない。「弱い作品」が二本続くと自分の価値も下がってしまう。

「フレッド・アステア自伝」365~366頁

フレッド・アステア自伝 Steps in Time

 原文。

Next on the roster for me at Metro was Belle of New York, due in a few months. I didn’t like the thought of it too much-there was some difficulty getting a script in shape. The fact that Yolanda had turned out to be a weak one worried me. I didn’t want to do another light-weight right on top of it. Two “weakies” in a row can reduce you.

Steps in Time p.281-282

Steps in Time: An Autobiography

 フレッド・アステアが「ベル・オブ・ニューヨーク」のどういうところを「あまり気に入っていなかった」のか、よくわからない。

 強力な映画にならなかったという「ヨランダと盗賊」と同じように「ベル・オブ・ニューヨーク」も強力な映画にならないのではないかと不安になったというところから考えると、「ベル・オブ・ニューヨーク」は「ヨランダと盗賊」と近い作品であったことが不安だったのではないか?

 具体的には、「ヨランダと盗賊」と同じく「オクラホマ!」の影響を受けたバレエがあって、それが不安だったのではないか?

映画化

 フレッド・アステアは「ブルー・スカイ」で一度引退した後、「イースター・パレード」で復帰した。

 そして数年後、一度ことわった「ベル・オブ・ニューヨーク」をやることになった。

 ところがそうして作られた「ベル・オブ・ニューヨーク」は興行的に失敗した。

 それにもかかわらずフレッド・アステアは強い思い入れを語っている。

 「ヴェラ・エレンという良いダンサーを相手役として、最高のダンスナンバーができた。売れなかったにすぎない。私の好きな作品であったゆえに、腹が立った。」

As my partner I had a girl who was a good dancer, Vera-Ellen. And some of the best dance numbers you could ever get. It was just a musical show that did not make it; and it makes me so mad, because The Bell of New York was one of my favorite films.

“MGM’s Greatest Musicals” p.366

M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

 どういうことであろうか?

 「ベル・オブ・ニューヨーク」ははじめ、「オクラホマ!」のようなバレエを伴うミュージカルとして企画されていたと思われる。

 ところが1952に公開された映画にはバレエはない。全体として「オクラホマ!」に似ているところはない。

 タップダンスなどフレッド・アステアがそれまでやってきたダンスを発展させたものが多い。

 事情はよくわからないが、もともと「ヨランダと盗賊」と同様に「オクラホマ!」の影響を受けてバレエを取り入れた作品が考えられていたのが、フレッド・アステアが復帰した後、バレエを取り除いて作られたのではないか?

ジーン・ケリーとバレエ

 フレッド・アステアが「イースター・パレード」で復帰してから「ベル・オブ・ニューヨーク」までの時期(1948年~1952年)に、同じMGMのアーサー・フリード制作の映画で、ジーン・ケリーはバレエを取り入れていた。

・1948年3月に公開された映画「踊る海賊」( “The Pirate” )。


踊る海賊 [DVD]

・1948年12月に公開された映画「ワーズ&ミュージック」( “Words and Music” )―「十番街の殺人」(”Slaughter on 10th Avenue”)など。


ワーズ&ミュージック [DVD]

・1949年12月に公開された映画「踊る大紐育」( “On the Town” )―「ニューヨークでの一日」(”A Day in New York”)など。


踊る大紐育 [Blu-ray]

・1951年に公開された映画「巴里のアメリカ人」(”An American in Paris” )―「巴里のアメリカ人」など。


巴里のアメリカ人 [Blu-ray]

 「巴里のアメリカ人」の主役にはフレッド・アステアも考えられていたが、バレエにはジーン・ケリーが向いているということで、フレッド・アステアではなくジーン・ケリーが選ばれたと言われている。(Blu-rayの特典映像参照)

 ジーン・ケリーはバレエに向いていたが、フレッド・アステアはバレエに向いていないと考えられていたわけである。

・1952年に公開された映画「雨に唄えば」( “Singin’ in the Rain” )―「ブロードウェイ・バレエ」。


(初回限定生産)雨に唄えば 日本語吹替音声追加収録版 (4K ULTRA HD & ブルーレイセット)(2枚組) [4K ULTRA HD + Blu-ray]

 フレッド・アステアは、1940年代中頃に、MGMで「ジーグフェルド・フォリーズ」の「ライムハウス・ブルース」、「ヨランダと盗賊」の夢のバレエをやっていた。

 ところが「ヨランダと盗賊」の後、バレエから離れていた。

 その間に、ジーン・ケリーは映画にバレエをとりいれて、1948年に公開された映画「ワーズ&ミュージック」から映画の終盤に大がかりなバレエをやる作品を連発した。

 ミュージカル映画では大がかりなバレエを入れた作品が主流になってきた。

「バンド・ワゴン」

 1953年に公開された映画「バンド・ワゴン」( “Band Wagon” )は、上に述べたような状況において作られた作品であった。

 「バンド・ワゴン」でフレッド・アステアは

・バレエダンサーを相手として、

・バレエに取り組んだ。

バレエダンサーを相手とする

 映画「バンド・ワゴン」は、フレッド・アステアの演ずる人物が、シド・チャリース( Cyd Charisse )の演ずるバレエダンサーとどうやって共演するかという話とみることができる。

 同時に、フレッド・アステア自身が、バレエダンサーのシド・チャリースとどうやって共演するかということもある。

ことわる

 フレッド・アステアの演ずる人物は、バレエダンサーと組むと言われた時に、まずことわっている。

 フレッド・アステア自身、映画「恋愛準決勝戦」でバレエダンサーのモイラ・シアラーとの共演をことわっていた。

年の差

 シド・チャリースの演ずるバレエダンサーは、フレッド・アステアの演ずる人物はもはや過去の人物だという。それゆえに共演しても意味はないという。

 そういうことは、フレッド・アステア自身、シド・チャリース自身と全く関係のないことではなかった。

 シド・チャリース(1921年生まれ)は、1953年当時、バレエが流行する中ですぐれたバレエダンサーとして流行の先端にいた。

 それに対してフレッド・アステア(1899年生まれ)は、1930年代にタップダンスが流行する中ですぐれたタップダンサーとして流行の先端にいたが、1953年当時は、バレエの流行とうまくいっていなかった。

 映画の冒頭には、フレッド・アステアの演ずる人物が過去の映画で使っていたというトップハットや杖が競売に出されていて、しかも売れないさまが描かれていた。


トップ・ハット THE RKO COLLECTION [Blu-ray]

 トップハット姿は1930年代のフレッド・アステアを代表するものである。

うまくいかない

 フレッド・アステアの演ずる人物は結局そのバレエダンサーと共演することになって、バレエの振付師に従って稽古を始める。

 しかしそれぞれ相手に対して疑問をもっていて、ダンスにおいても、人間関係においても、うまくいかない。

仲直り

 2人は衝突した後に、仲直りする。

 そしてどうやって2人で踊りを合わせることができるかということになって、夜のセントラルパークで「ダンシング・イン・ザ・ダーク」( “Dancing in the Dark” )に合わせて踊る。

 それまで互いに相手を苦手としてきたタップダンサーとバレエダンサーが、どうやって踊りを合わせることができるか、という実験である。

 フレッド・アステアとシド・チャリースにとっての実験でもあった。

 それゆえにスリリングである。

 そうして何とも官能的なダンスができた。

「ガール・ハント」

 「バンド・ワゴン」の終盤には大がかりなバレエがある。―「ガール・ハント」バレエである。

 ミッキー・スピレーンの探偵小説をもとにして、色彩鮮やかな背景で、ハードボイルド探偵(フレッド・アステア)が魔性の女(シド・チャリース)を相手とするところが表現されている。

 振り付けはマイケル・キッド。

 フレッド・アステアは、はじめマイケル・キッドに対して警戒していたが、次第にその振り付けを気に入るようになったと言われている。

 そうして「ガール・ハント」バレエも、魅力的なものとなった。

 「ガール・ハント」バレエのフレッド・アステアの恰好は、「ヨランダと泥棒」の夢のバレエの恰好と似ている。

 「ヨランダと盗賊」でとった方向を「ガール・ハント」バレエで成功させたようにも見える。

「バンド・ワゴン」の構成

 「バンド・ワゴン」の構成は次のようになっている。

・フレッド・アステアの演ずる人物は、それまでのやり方ではいけなくなっている。

・そこでバレエダンサーを相手にしてドラマティックなバレエをやることをもとめられる。

・しかしそういうやり方ではうまくいかない。

・エンターテインメントに立ち返る。

・バレエをとりいれるが、ドラマティックなバレエではなく、エンターテインメントとしてのバレエにする。

 この映画ではシド・チャリースのことも描かれている。

 シド・チャリースは、はじめジェームズ・ミッチェルの演ずる人物とともにクラシックバレエをやっていた。

 シド・チャリースがフレッド・アステアと共演することになったのは、ドラマティックなバレエをやるからである。

 ジェームズ・ミッチェルは、シド・チャリースがエンターテインメントとしてのバレエをやることに反対する。

 しかしシド・チャリースはエンターテインメントとしてのバレエを選ぶ。

 ちなみにジェームズ・ミッチェルは「オクラホマ!」の振り付けを担当したアグネス・デ・ミルの下でバレエをやっていた人で、映画版「オクラホマ!」の夢のバレエで主人公の恋人役をやっている。


バンド・ワゴン [Blu-ray]

 つづきは↓

コメント

タイトルとURLをコピーしました