フレッド・アステアは、バレエとどういう関係にあったのか?
ここでは、「バンド・ワゴン」以後の映画―「足ながおじさん」、「パリの恋人」、「絹の靴下」をとりあげる。
フレッド・アステアが映画デビューしてからRKOでジンジャー・ロジャーズと共演している間のこと↓
フレッド・アステアがRKOから離れ、ジンジャー・ロジャーズから離れてから、「ブルー・スカイ」で引退するまで↓
フレッド・アステアが「イースター・パレード」で復帰してから、MGMで「バンド・ワゴン」を生み出すまで↓
「ホワイト・クリスマス」
まず、1954年に公開されて大ヒットした映画「ホワイト・クリスマス」( “White Christmas” )をとりあげる。
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「ホワイト・クリスマス」とフレッド・アステア
「ホワイト・クリスマス」にはフレッド・アステアは出ていない。
しかしフレッド・アステアと関係のない映画ではない。―「ホワイト・クリスマス」はもともとフレッド・アステアが出演する映画として企画された。
その前にフレッド・アステアは
・「スイング・ホテル」(1942年)
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・「ブルー・スカイ」(1946年)
ブルー・スカイ [DVD]
でビング・クロスビーと共演していて、「ホワイト・クリスマス」はそれに続くものとして企画された。
ところがフレッド・アステアは「ホワイト・クリスマス」に出演することをことわった。
「コレオグラフィー」
「ホワイト・クリスマス」には、アーヴィング・バーリン作詞作曲の「コレオグラフィー」( “Choreography” )と題する楽曲がある。
Choreography [feat. The Skylarks]
まず、バレエダンサーの女性たちに囲まれて自分もバレエダンサーの恰好をしたダニー・ケイが、バレエ風の踊りをしながら歌う―かつてはタップダンスが流行していたが、今ではバレエが流行している、と。
タップダンスは過去のものであって、現在ではバレエが流行しているという歌なのである。
そこにヴェラ・エレンが現れてタップダンスを見せる。
一方でヴェラ・エレンがタップダンスを踊り、一方でダニー・ケイがバレエを踊るというかたちになる。
バレエはコミカルにされて、それに対してヴェラ・エレンのタップダンスが輝くように演出されているところをみると、この映画はタップダンスに傾いているようにも見える。
「ホワイト・クリスマス」にはその他にも「エイブラハム」(” Abraham” )など、ヴェラ・エレンがタップダンスを見せるところが多い。
Abraham [feat. Ken Darby Singers & John Scott Trotter And His Orchestra]
「足ながおじさん」
これからフレッド・アステアが出演した映画。
1955年に公開された映画「足ながおじさん」( “Daddy Long Legs” )。
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レスリー・キャロン
「足ながおじさん」でフレッド・アステアの相手役のレスリー・キャロンは、バレエダンサー。
フレッド・アステアはまたバレエダンサーを相手とすることになったのである。
フレッド・アステアが亡くなった時に、レスリー・キャロンはその時のことについて語っている。
Fred Astaire: His Friends Talk
レスリー・キャロン曰く「「足ながおじさん」でフレッド・アステアの相手役になることをもとめられた時、気が気でなかった。私はローラン・プティのバレエ団で「シンデレラ」を踊ったばかり。私はタップダンサーではなく、タップダンスのやり方を知らなかった。」
When he asked for me for Daddy Long Legs, I was really beside myself. I had just danced Cinderella with Roland Petit’ s company. I wasn’t a hoofer, I didn’t know how to tap.
“Fred Astaire His Friends Talk” p.14
レスリー・キャロンは、フレッド・アステアの相手役をするためにはタップダンスができなくてはならないと考えていた。
レスリー・キャロンが得意とするバレエを、フレッド・アステアはやらないと考えていたのである。
フレッド・アステアはバレエが好きでなかったともレスリー・キャロンは語っている。
He didn’t like ballet -ballet was a bore for him.
“Fred Astaire His Friends Talk” p.14
ローラン・プティ
「足ながおじさん」の振り付けは、フランスの振り付け家ローラン・プティ(Roland Petit)。
レスリー・キャロンはローラン・プティのバレエ団で踊っていたバレエダンサーであった。
ローラン・プティによると、それまでローラン・プティがやってきたようなクラシックバレエの振り付けを「足ながおじさん」でもやろうとしたが、うまくいかず、リハーサルは大惨事になった。
“Being a classical choreographer, it was difficult for him to do the kind of steps I did to my classical dancers. So we had the first rehearsal was just a catastrophe.
「フレッド・アステアのすべて」
そこでローラン・プティはやめると言った。
ところがフレッド・アステアはローラン・プティを引き留めて、
・ローラン・プティはレスリー・キャロンのダンスを担当する
・フレッド・アステアは他の人をよんで自分のダンスをやる
というかたちにすることを求めた。
“You stay please, and do Leslie’s dance and everything, and I would try to manage by myself.
「フレッド・アステアのすべて」
以上のローラン・プティの発言は「フレッド・アステアのすべて」でのもの。
「フレッド・アステアのすべて」はコスミック出版の「ミュージカル・パーフェクトコレクション フレッド・アステアサードステージ」に入っている。
DVD>ミュージカル・パーフェクトコレクション<フレッド・アステアサードステージ (
「足ながおじさん」の踊り
具体的にはどうなったか?
守護天使
レスリー・キャロンの演ずる人物は、フレッド・アステアの演ずる人物について、守護天使としていつも背後で自分を見守っていて、危険から守り、望むものをもたらしてくれる、と空想する。
その空想(夢)が踊りで表現される。
・レスリー・キャロンはバレエを踊る。
・フレッド・アステアはレスリー・キャロンの後ろで、その動きに合わせた踊りをする。
レスリー・キャロンのバレエと、フレッド・アステアの独自の踊りが、合わされるのである。
レスリー・キャロンはそうしてそれぞれ異なる踊りが一つに合わさっていいものになったと語っている。(「フレッド・アステアのすべて」)
悪夢のバレエ
「足ながおじさん」の終盤に、レスリー・キャロンの演ずる人物の悪夢を表現したバレエがある。
この映画で最も大がかりな踊りである。
フレッド・アステア
このバレエでは、レスリー・キャロンを中心として多くの人が踊っているが、フレッド・アステアは踊っていない。
はじめは観客席で観ているだけ、次は奥の席に座っているだけ、そして奥で歩いているだけ。
多くの人が踊る中でフレッド・アステアだけが踊らずにいるというのは、ミュージカル映画で珍しいことである。
このバレエは、レスリー・キャロンの演ずる人物がフレッド・アステアの演ずる人物を愛しているにもかかわらず、遠くに行ってしまった、ということを表現するものである。
フレッド・アステアが踊らず、奥にいるだけということは、そのことを表現しているということもできる。
しかしフレッド・アステアも踊って、その後で遠くに行ってしまうというかたちでもいいのではないか?
それまでのミュージカル映画では、似たような位置の人物も踊っていた。
・フレッド・アステアの演ずる人物の悪夢を表現した「ヨランダと盗賊」のバレエでは、相手役のルシル・ブレマーも踊った。
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・「巴里のアメリカ人」でジーン・ケリーの演ずる人物の、悪夢というより空想を表現したバレエでは、相手役のレスリー・キャロンも踊った。
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「巴里のアメリカ人」のバレエはジーン・ケリーがレスリー・キャロンを想うというかたち、「足ながおじさん」のバレエはレスリー・キャロンがフレッド・アステアを想うというかたちになっている。
推測
上に引用したローラン・プティの言葉から考えると、次のようなことが推測される。
・はじめはフレッド・アステアも踊るバレエをローラン・プティはかんがえた。
・ところがうまくいかなかった
・そこで、バレエはやるが、フレッド・アステアは踊らないことになった。
「パリの恋人」
1957年に公開された映画「パリの恋人」( “Funny Face” )。
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「パリの恋人」でフレッド・アステアはオードリー・ヘプバーンを相手役とした。
オードリー・ヘプバーンは、映画女優となる前にバレエダンサーになろうとしていた人である。
振り付けはユージーン・ローリング。
芝生の上で二人が踊るところなど、オードリーのバレエの素養と合わせた振り付けになっている。
「絹の靴下」
1957年に公開された映画「絹の靴下」( “Silk Stockings” )。
1939年に公開されてヒットした映画「ニノチカ」のミュージカル版。
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ソ連の位置づけ
もともと「ニノチカ」は、資本主義の享楽に反対するソ連を代表する女性ニノチカ(グレタ・ガルボ)が、パリで資本主義の享楽を代表するフランスの伯爵(メルヴィン・ダグラス)と出会って、資本主義の享楽を認めていくという話。
「絹の靴下」もそのことは同じ。
ただし「絹の靴下」では、ソ連はバレエの国と特徴づけられている。
そしてニノチカは、以前にバレエをやっていた人とされている。
そこでフレッド・アステアの演ずる人物がニノチカをダンスに誘うところは、
・「ニノチカ」と同じく、自分のたのしみより国家に奉仕することを上とする考えを持つ人を、自分のたのしみに誘うことでもあるが、
・アメリカのタップダンサーが、ソ連のバレエダンサーとともに踊ってみようと誘うことでもある。
フレッド・アステアが「バンド・ワゴン」の時と同じように、バレエダンサーのシド・チャリースと二人で踊りをつくってみるということでもある。
「ステレオフォニック・サウンド」
「絹の靴下」には、「ステレオフォニック・サウンド」( “Stereophonic Sound” )というナンバーがある。
当時の映画で、他のことよりテクニカラー(色)、シネマスコープ(横長の画面)、ステレオフォニック・サウンド(響く音)が重視されているということを風刺する歌である。
その歌に、以前はタップダンスが流行していたが、当時はバレエが流行していたということも付け加えられた。
そういう歌をフレッド・アステアがジャニス・ペイジと歌っているのである。
DVDの特典映像には、シド・チャリースがそのことに言及しているところがあって興味深い。
ロックンロール
「絹の靴下」の最後に、フレッド・アステアは「ザ・リッツ・ロール・アンド・ロック」( “The Ritz Roll and Rock” )という楽曲を歌って踊る。
これは当時流行していたロックンロールのような楽曲をフレッド・アステアがもとめてコール・ポーターが作ったものである。
その楽曲に合わせてフレッド・アステアはトップハット姿で踊っている。
フレッド・アステアはこのように新たなものを取り入れていく人であった。
しかしバレエに関しては、苦労してきたのである。
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