オードリー・ヘプバーンの映画「パリの恋人」が出来るまで

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オードリー・ヘプバーン
Photo by Dippyaman Nath on Unsplash
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 映画「パリの恋人」は明るく華やかな映画である。

 映画「パリの恋人」は、その裏側でもネガティヴなことは少なかったようである。

 当時パリで降り続いた雨など、映画にとってよくないこともあった。

 しかし共演者、スタッフの間には創造的な関係があったようである。


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「結婚の日」

 映画「パリの恋人」のもとになったのは、「結婚の日」(”Wedding Day”)という脚本であった。

  「結婚の日」 は、「パリの恋人」の脚本家レナード・ガーシュ( Leonard Gershe )が書いたものである。

 レナード・ガーシュは、親しくなっていた人気ファッション写真家リチャード・アヴェドン( Richard Avedon )をモデルにした。

 リチャード・アヴェドンは、ファッションモデルを発見して、育てて、結婚していた。そのことをもとにして「結婚の日」は作られたのである。

MGM

 「結婚の日」はその後にMGMで映画化されることになった。

 そしてその写真家の役にミュージカル映画のスター、フレッド・アステアが考えられた。

 フレッド・アステアはカクテルパーティーで出会ったMGMのプロデューサー、ロジャー・イーデンスに「結婚の日」に出るように言われた。 (「フレッド・アステア自伝」、407頁)


フレッド・アステア自伝 Steps in Time

ファニー・フェイス

 「結婚の日」の映画化の企画が進むうちに、タイトルが「ファニー・フェイス」( Funny Face )にかわった。(「パリの恋人」の原題は「ファニー・フェイス」)

 「ファニー・フェイス」とは、1927年にフレッド・アステアがブロードウェイでやっていた公演のタイトルである。

 新たに作る映画のタイトルを「ファニー・フェイス」にして、1927年の「ファニー・フェイス」から、話はとらず、ガーシュウィンの作った楽曲をとることにしたのである。

 ところで、当時「ファニー・フェイス」の権利を持っていたのはワーナー・ブラザーズであった。

 MGMはガーシュウィンの楽曲を映画に取り入れるために、ワーナーブラザーズから「ファニー・フェイス」の権利を買った。

パラマウント

 フレッド・アステアの自伝によると、フレッド・アステアがMGMのプロデューサー、ロジャー・イーデンスに「結婚の日」に出るように言われた時に、オードリー・ヘプバーンも乗り気になっていた。

 ところが、当時オードリーと契約していたパラマウントは、オードリーをMGMに貸し出すことを受け入れなかった。

 パラマウントが映画「ファニー・フェイス」を製作することになった。

 そしてロジャー・イーデンスなど、MGMで映画を作っていた人も、パラマウントで働くことになった。

 この映画のBlu-rayに特典映像が入っていないのはそのことと関係があるのではないか?


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 DVDには、オリジナル劇場予告、フォトギャラリーの他に「パラマウントin1950’s」というのが入っている。

 「パラマウントin1950’s」というのはその名の通り1950年代のパラマウントの作品を紹介する10分足らずの映像であって、その中でオードリー・ヘプバーンの映画も紹介され(グレース・ケリーの映画も紹介され)、その中で「パリの恋人」も紹介されているというものである。


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オードリー・ヘプバーン

 フレッド・アステアがロジャー・イーデンスに「結婚の日」に出るように言われた時には、オードリー・ヘプバーンが相手役になるという話になっていた。(「フレッド・アステア自伝」、407頁)

 オードリーは脚本を受け取ってすぐに出演を決めたと言われている。

 その時オードリーと結婚していたメル・ファラーは、その時のことについて次のように語ったという。

「オードリーはふつう脚本を読んで検討するのに三日かかるところを」と、メルが語っている。「この脚本は二時間で読みおえてしまった。それからわたしが仕事をしていた部屋にとびこんできて叫んだ。『これよ! わたしはうまく歌えないけど、でも、ああ、フレッド・アステアと一緒にこの映画に出られさえしたら!』」

「オードリー・ヘップバーン物語」上、264頁

オードリー・ヘップバーン物語(上) (オードリー・ヘップバーン物語) (集英社文庫)

 その脚本はそれだけオードリーの気持ちにあっていたのである。

 オードリーにとって、フレッド・アステアと一緒にその映画に出ることは、それだけ望ましいことであった。

 オードリーはその前の映画「戦争と平和」で深刻な役をやって、その次には軽い作品がいいと考えていたとも言われている。


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 オードリーの母エラは「パリの恋人(ファニー・フェイス)」の脚本を読んで、脚本を書いたレナード・ガーシュに次のように言ったという。

彼女を知らない人が書いたものだとは信じられなかったわ。彼女のあらゆる面がそこにあるじゃないの。ほんと、これこそオードリーよ。

「オードリー・ヘプバーン物語」上、267頁

オードリー・ヘップバーン物語(上) (オードリー・ヘップバーン物語) (集英社文庫)

 オードリーの母にとってオードリーそのものと思われるような脚本だったというのである。

 レナード・ガーシュも「ファニー・フェイス」のガーシュウィンの歌詞などオードリーにぴったりだと思ったという。

 「パリの恋人」は、オードリー・ヘプバーンにとって夢を叶えた作品であった。

 オードリーは幼いころからバレエを習っていたが、踊りによって世に出ることはできず、映画によって世に出ていた。

 「パリの恋人」でオードリーは、フレッド・アステアの相手役としてミュージカル映画で踊ることができたのである。

フレッド・アステア

 フレッド・アステアが「パリの恋人」の企画に乗り気になったのは、オードリーが相手役になると聞いたからであった。

 フレッド・アステアは次のように語っている。

偉大なる美しきオードリー・ヘプバーンと共演できるのは、これが唯一にして最後の機会であるかもしれない。この機会を逃したくはなかった。

「フレッド・アステア自伝」、408頁

フレッド・アステア自伝 Steps in Time

 フレッド・アステアもそれだけオードリー・ヘプバーンとこの映画で共演することを望んでいたのである。

しあわせな作品

 オードリー・ヘプバーンはフレッド・アステアと共演することを望み、フレッド・アステアはオードリー・ヘプバーンと共演することを望んだ。

 映画が企画されてから、製作されるまで、MGMからパラマウントに移るなど、大変なことがあった。

 しかし2人が共演することを強く望んでいたゆえに、映画「パリの恋人」は出来た。

 そうして作られた映画「パリの恋人」は、しあわせな作品であった。

  フレッド・アステア は次のように言っている。

この映画は何もかもが楽しかったので、終わるのがいやだとみんな思った。

「フレッド・アステア自伝」、410頁

フレッド・アステア自伝 Steps in Time

 オードリー・ヘプバーンとフレッド・アステアとはその後も敬愛し合っていた。


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