高市大臣の「政治的公平について」のレク、出席者全員記憶がない!?

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 令和5年3月22日に総務省は「「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について」と題する文書を出した。

 3月初めに小西洋之参議院議員が出した文書に対して、高市早苗経済安全保障担当大臣は、文書に記されている平成27年2月13日のレクなどは事実に反すると主張してきた。

 総務省がその大臣レクに出席したと文書に記載されている人物に聞き取りを行った結果が、上の文書である。

 それによると、問題の大臣レクに出席していたと記載されている人物の中に、その大臣レクの記憶がある人はいないようである。

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各人の発言

 文書には「②レクや電話連絡の有無及びそのテーマ」と題して、その大臣レクに出席していたと記載されている人に大臣レクの有無などについて聞き取りをした結果が記されている。

 大臣レクは、総務省が公表した文書の30枚目に記載されている。今度の文書では「文書整理 No.21」とよばれている。

 大臣室に6人が出席して行われたと記されている。

 今度の文書では「関係者A」「関係者B」「関係者C」「関係者E」「関係者F」と高市元総務大臣と記されている。

 「関係者A」「関係者B」「関係者C」は文書の作成に関わった人。

 「関係者A」は文書の「原案」作成者。「関係者B」は「確認しながら進めていた」、「関係者C」は「それほど多くの修正は必要なかった」という人。「それほど多くの修正は必要なかった」ということは「修正」をしていたということではないか?

 3人とも「修正の有無」について記憶は定かではないと語っている。

 文書作成に関わった「関係者A」「関係者B」「関係者C」は、大臣レクはあった、あるいは、なかったとは考えにくいという。

 「関係者A」―「大臣レクは行われたのではないかと認識している」

 放送法4条の解釈という重要な案件を大臣に全く報告していないというのはあり得ないと思う。
 具体的な日付については、約8年前でもあり、詳細についての記憶は定かではないが、日頃確実な仕事を心がけているので、上司の関与を経てこのような文書が残っているのであれば、同時期に放送法に関する大臣レクは行われたのではないかと認識している。

総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

 「関係者B」―「大臣レクが存在しなかったとは認識しにくいのではないかと思う」

 このような資料が残っているのであれば、また、本件の大きな流れとして、個々の発言内容は別として、放送法第4条に規定する「政治的公平」について大臣レクが存在しなかったとは認識しにくいのではないかと思う。
 礒崎補佐官自身が官邸内を仕切られるご意向だったので、こちらはその前に高市大臣へのご説明とご了解が得られることが大前提であるとの認識で動いていた。

総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

 「関係者C」―「大臣レクがなかったとは考えにくいと認識している」

 作成者と同様の事実認識を有しており、当時の放送法第4条の解釈についての全体の対応は、大きな流れとして、放送法第4条の解釈について大臣レクがなかったとは考えにくいと認識している。

総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

 高市大臣はそのような大臣レクはなかったという。―「担当局からレクや資料を受けたことはない」

 平成 27 年2月中旬の時期に、NHK予算やそれに付す大臣意見に関するレクを受けた可能性はありうるとは思うが、放送法の政治的公平の補充的解釈について、同年2月 13 日を含め5月 12 日の答弁前夜より前の機会に、担当局からレクや資料を受けたことはない。

総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

 「関係者E」「関係者F」は、レクに同席していたとされている人。

 「関係者E」は文書に記載されているような大臣レクがあったとは思わないという。―「文書にあるような内容の大臣レクがあったとは思わない」

 この時期には、NHK予算など放送に関するレクがあったとしてもおかしくはないが、個々のレクについては覚えていない。
 放送法の政治的公平の答弁に関しては、5月 12 日の委員会前日に大臣の指示を受けて夜遅くまで答弁のやりとりがあったことを覚えており、その前の2月に文書にあるような内容の大臣レクがあったとは思わない。

総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

 「関係者F」は記憶にないという。―「大臣レク文書に記載された内容のレクについても記憶にない」

 NHK予算の時期でもあり、この時期に放送に関するレクが何らかあったとしてもおかしくないが、8年も前のことであり、個々のレクの時期や内容は記憶にない。この2月 13 日付けの大臣レク文書に記載された内容のレクについても記憶にない。

総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

記憶がある人はいない

 このように、

・文書作成に関わった「関係者A」「関係者B」「関係者C」は、大臣レクはあったと思うと語っている。

・高市大臣、「関係者E」「関係者F」は、なかった、あるいは記憶にないと語っている。

 興味深いのは出席したとされる6人のうち、1人も大臣レクの記憶があるという人はいないということである。

 高市大臣、「関係者E」「関係者F」は、レクはなかった、あるいは記憶がないと言っているので当然である。

 問題は、大臣レクはあったという「関係者A」「関係者B」「関係者C」。3人は、自分の記憶を根拠としていない。

 「関係者A」は「詳細についての記憶は定かではない」と語っている。大臣レクがあったとする根拠は「このような文書が残っているのであれば」ということである。

 「関係者B」も「このような資料が残っているのであれば」ということを根拠としている。

 もう一つの根拠は「本件の大きな流れ」ということである。

 「関係者C」も「大きな流れ」ということを根拠としている。

 「③平成 27 年2月 13 日のレクにおける個別の発言内容について」と題するところでは、その3人は次のように答えている。

 「関係者A」

 個々の発言内容は記憶が定かではないが、上司の関与を経てこのような文書が残っているのであれば、概要として間違っていないと認識している。

総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

 やはり記憶は定かではなく、「このような文書が残っているのであれば」ということを根拠としている。

 「関係者B」

 個々の発言内容は必ずしも記憶が定かではないが、このような資料が残っているのであれば、当時の情報流通行政局の同席者間での受け止めはこのようなものであったと思っている

総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

 やはり記憶は定かではなく、「このような資料が残っているのであれば」ということを根拠としている。

 「関係者C」

個々の発言内容は記憶が定かではない。

総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

 やはり記憶は定かではない。

 小西議員は大変な出来事のように語っているのに、当事者には記憶がないのである。

大きな流れ

 大臣レクがあった、あるいはなかったと語っている「関係者A」「関係者B」「関係者C」にも、大臣レクの記憶はなく(記憶は定かでなく)、その代わりに文書が残っていることと、「大きな流れ」ということを根拠としている。

 「大きな流れ」とは、文書のはじめにまとめられているように、平成26年11月から礒崎補佐官(当時)と総務省とのやりとりから平成27年5月12日の高市大臣の答弁までの「流れ」であろう。

 しかしその「流れ」について、大臣レクがあったという「関係者A」「関係者B」「関係者C」と、高市大臣、「関係者E」「関係者F」とで、認識が違っている。

 前者は、それまでの礒崎補佐官と総務省のやりとりが2月13日の大臣レクにつながり、そして5月12日の大臣答弁につながったという「流れ」があったという。

 それに対して後者は、2月13日の大臣レクはなく、5月12日の大臣答弁は礒崎補佐官と関係がないという。

 高市大臣はそもそも礒崎補佐官と放送法について連絡をとったことがないという。

 まず、総務大臣たる私の権限の範囲の話について礒崎補佐官が動いておられることを知った時点で、補佐官ご本人に直接連絡をとり、意図や内容をお尋ねしていたはず。私と礒崎補佐官が直接連絡をとりあっていないことは本件資料からも明らかである。

総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

 礒崎氏も。

 高市大臣は、5月12日の答弁の前に大臣レクがなかった根拠として、答弁前夜に明け方近くまでドタバタしていたことを挙げている。

 本件の内容からみて、仮に、担当局から前もってレクを受け了解していたのだとすれば、5月 12 日の答弁前夜になって明け方近くまでドタバタすることはあり得ない。時間がない中、自分が納得いくまで、大臣室と担当局との間で前例や理論構成を詰めてもらったのが先日提出したペーパーであり、その上で答弁に臨んだ。

総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

 奇妙なことに、答弁前夜のことについても、人によって認識が違っている。

 高市大臣の認識は上の通りである。

 「関係者E」の認識も同じようである。

 委員会前日に大臣が答弁案をチェックした際、大臣から指示があり、担当課に資料を作ってもらったこと、担当課とのやり取りが深夜までかかったことを覚えている。大臣が答弁案を了承されたのか、不安に思っていた記憶がある。

総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

 「関係者F」も。

 答弁前日に高市大臣の確認が行われ、大臣から答弁に関する論点について原局に整理するよう指示があり、原局から提出された資料を確認した上で答弁されたことは覚えている。

総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

 それに対して「関係者A」は、「大臣室からの指示で資料を作ったか」ということについては「はっきりしない」と語っているが、答弁前夜の「ほぼオールナイト」のやりとりを記憶している。

 大臣室からの指示で資料を作ったかもしれないが、はっきりしない。ほぼオールナイトで大臣室とやりとりしていた記憶はある。

総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

 ところが「関係者B」は「大臣室からの指示で資料を作った」という「記憶はない」という。

 大臣室からの指示で資料を作った記憶はない。

総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

 「関係者C」はやりとりについての記憶がないという。

 答弁前夜の大臣室とのやりとりについての記憶はない。

総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

 「関係者B」「関係者C」が答弁前夜の大臣室とのやりとりについて記憶がないというのは、そういうやりとりはなかったということであろうか?

 高市大臣は「大きな流れ」がなかった根拠として答弁前夜のドタバタを挙げた。そのドタバタがなかったということは、「大きな流れ」と整合性があるか。

 しかし「関係者A」は「大臣室からの指示で資料を作ったか」は「はっきりしない」と言いつつも、「ほぼオールナイトで大臣室とやりとりしていた記憶はある」と語っている。

 高市大臣等と同じように答弁前夜に「ほぼオールナイトで大臣室とやりとりしていた記憶はある」のに、「大臣室からの指示で資料を作った」のではない、ということはあるだろうか?

 「関係者B」「関係者C」が語る「大きな流れ」は、「当時の情報流通行政局の同席者間での
受け止め」として共有された物語であったかもしれないが、そのことが事実であったかというところに問題はある。

 文書がある、ゆえにその文書に記されたことがあったと考えることは、自然なことである。

 しかし文書に記された相手に確認をとっていない。

 その相手に、事実に反すると言われている。―高市大臣のみならず、他の同席者もそう語っている。

 それに対して文書作成者の側は「記憶が定かでない」。

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