室井佑月氏の永寿総合病院に対する発言について

広告
政治
まぽ (S-cait)さんによる写真ACからの写真
広告

(※当サイトはアフィリエイト広告を利用しています)

 7月2日の夜、「#室井佑月に謝罪を求めます」というのがトレンドに上がっていることに気づいた。

 しらべてみて、かんがえるところがあったので、書いておこう。

広告

流れ

 7月2日の昼、TBSの「ひるおび」で、室井佑月氏が永寿総合病院について発言した。
 そのことについて、どこかの看護師@Zn_its氏が「♯室井佑月に謝罪を求めます」というハッシュタグを作った。それを受けて、黒瀬深@Shin_kurose氏が皆で広めようと言った。

 その結果、トレンドに上がるまで盛り上がった。

室井佑月氏は何を言ったか?

 室井佑月氏の発言が出てきたのは、7月2日、TBSの「ひるおび」で、永寿総合病院のことをとりあげた時である。

 7月2日の「ひるおび」では、まず、7月1日の、永寿総合病院院長の会見をとりあげた。
 はじめに、その会見において院長が謝罪する動画を出して、次に院長が院内感染について詳しく説明し、反省を述べたことを「東京新聞」の記事によって伝えている。

 「ひるおび」では、その次に、同じく「東京新聞」に載せられた「永寿総合病院 看護師の手記」をとりあげた。これは院長の会見において参考資料として出されたものではないかと思われる。
 その「看護師の手記」では、感染して死亡した患者に対する「おわび」の気持ち、スタッフが感染していくことの恐怖、苦悩、その中で自ら立ち向かっていったスタッフに対する感謝の気持ちが語られていた。

 室井佑月氏の、問題とされた発言が出てきたのは、その後である。

 室井佑月氏が番組で言ったことを、正しく文字に起こしてみよう。

 「一言言っていい?(前髪に手をやって)あのー、そのー、医療の現場の人たち? ましてコロナにかかってきた人たちは、被害者なわけだからー、責めてはいけないと思うし、だけどこういう美談を出してきて、個人は悪くないよ、でも病院はー、その、やっぱり熱が出た人たちがいたりするわけだから、こんなにそのコロナの患者を出しちゃったっていうことは、やはり責められるべきでー、あのー、病院側、経営者は、反省すべきなんだよね。なんかちょっとすり替えっぽく感じる。」

TBS「ひるおび」2020年7月2日から

 これで正しいと思うが、どうだろう?

ひっかかるところ

 室井佑月氏の主張をまとめると、病院側は「責められるべき」であるのに、「美談」によって話を「すり替え」て、責任から逃れている、ということのようである。

 多くの人がひっかかったのは、室井佑月氏が、病院側が「責められるべき」だときめつけたことによってだと私は思う。

 あの日の「ひるおび」で伝えられたことから、病院側が「責められるべき」だという人は少ないと思われる。

 室井氏の発言の直後に、「東京歯科大学市川総合病院呼吸器内科部長として感染症予防対策を指揮する責任者 日本感染症学会専門医」の寺嶋毅氏が、永寿総合病院で集団感染が起こった時には、まだ情報が少なかったので、永寿総合病院で起こったことは「他のどこの病院でも起こりえたこと」だったと説明している。
 永寿病院は「責められるべき」ではないというのである。

 専門家が「責められるべき」ではないと言っているのに、専門家でもない室井佑月氏が、特に証拠を出すこともなく、「責められるべき」だと断言しても、多くの人はついていけないであろう。

 室井氏は「こんなにそのコロナの患者を出しちゃったっていうことは、やはり責められるべきでー」という。
 しかし専門家が当時の事情について様々なことをとりあげて、「責められるべき」ではないと論じているのに、当時の事情を考えずに、感染者を出したゆえに「責められるべき」だというのでは、話が後退している。
 当時の事情を考えた上で「責められるべき」だというならば、それだけの証拠を出さなくてはならない。

 寺嶋氏の説明を聞いた後にも、室井氏は、「でも病院から広がるなんてことはやめてほしいですよね」と言い、恵氏が「ひろげたいと思っていたわけではないと思うんですよね」と言ったのに対してまた、「でももっと注意しなければいけなかったと思います」と言っている。

 すでに当時の状況において「責められるべき」かどうかが問題となっているのに、いまだに「もっと注意しなければいけなかった」と言っている。その根拠は何? 根拠もなしにそう言われてもついていけない。

院長の会見について

 室井佑月氏の発言を聞いて、私が次にひっかかったところ。

 室井佑月氏は、永寿総合病院は「責められるべき」だといい、「反省すべきなんだよね」と言っている。

 しかし、そもそも「ひるおび」でもとりあげているように、永寿総合病院の院長は、7月1日の会見において、謝罪し、院内感染の経緯について詳しく説明し反省している。7月1日の会見はそういうものだったのである。

jnpc
「新型コロナウイルス」(32) 湯浅祐二・永寿総合病院院長 2020/07/01

 当時の状況を考えると、永寿総合病院は「責められるべき」ではないと寺嶋氏はいうが、永寿総合病院の院長は、責任をとって謝罪し、反省している。
 それに対して室井佑月氏が「責められるべき」だといい、「反省すべきなんだよね」ということは、院長は謝罪したけれどもさらに「責められるべき」であり、反省したけれどもさらに「反省すべき」だということである。
 室井佑月氏がそれだけの根拠を示さないのにそのことについていくことはできない。

 院長は、院内感染の事情を詳しく説明して、そのことに対する反省を述べている。
 それにもかかわらず、「ちっとも反省しない」とか、「責任者はもっと反省しろ」とか言うためには、院長の反省が十分でないことを証明しなくてはならないはずである。しかし室井佑月氏は、全くそういうことをしない。

 室井佑月氏は、何の根拠も示さずに人を責めているのだから、それに対して多くの人は反発せざるを得ない。

 室井佑月氏の頭の中では、永寿総合病院の責任者は、「責められるべき」ことをしたことになっているようである。

 しかし多くの人は、永寿総合病院の責任者は「責められるべき」とは思っていない。良心的であるように見える。
 そういう永寿総合病院の責任者に対して、室井佑月氏が何の証拠も示さずに「責められるべき」だときめつけるから、ついていけないのである。「医療従事者なんてどうでもいいと思ってるから」ではない。

 自ら何の証拠も出さずに人を責めて、おかしいと思わず、人からおかしいと言われても、言う方がおかしいというのは、自己中心的な性格だからなのか? それともメンツのために、引くに引けなくなったからなのか?

 いずれにしても、不思議なほど偉そうである。

室井佑月氏の考え方

 室井佑月氏は、批判者に対して「ほんとうのことを調べもしないで、こいつを殴ると決めて、殴りにきてる」とみなしている。しかし室井佑月氏が証拠を出さずに、永寿総合病院の責任者は「責められるべき」だと言っていることは、まさに「ほんとうのことを調べもしないで、こいつを殴ると決めて、殴りにきてる」ことのように見える。

 室井佑月氏が何の根拠も示さずに永寿総合病院の責任者を責めているところをみると、室井佑月氏は、根拠を持っていて、その上で責めているのではなくて、根拠をもたずに、図式をそのままあてはめてしまったのではないかと思われる。

 組織の上に立つ者は悪者だという図式である。

 図式を現実の物事にあてはめるためには、あてはまるかどうか確かめなくてはならない。

 恐らく室井佑月氏は、その図式がその現実の物事にあてはまるかどうか確かめずにあてはめてしまった。

 それゆえに現実の物事にあてはまらないことになった。

 それゆえに多くの人の反感を買った。

 自分の頭の中で空想しただけのことが、いつの間にか、頭の外に本当にあることと思われる。しかも確信をもってそう思っている。

 これは自己中心的な考え方である。

 それゆえに室井佑月氏は偉そうに見える。
 何ゆえに、あのように偉そうに他の人を責めることができるのか? 自己中心的な考え方をもっているからである。

「すり替え」ということについて

 室井佑月氏によると、「病院側」は「責められるべき」であるのに、「美談」によって話をすり替えてその責任から逃れたようである。

 室井佑月氏は「看護師の手記」を「美談」とよんでいるようである。

 まず院長の会見に関していうと、院長は、はじめにも終わりにも、謝罪しているのであって、話をすり替えてその責任から逃れようとしてはいない。

 たとえばスタッフを送り出す気持ちを述べるところ。

それでも元気に病棟に向かっていく姿に、かける言葉が見つからず、彼らにこのような任務を背負わせたことに対し、院長として非常に申し訳なく思いました。

上の動画17:00あたり

 このように院長は、自分の責任から逃れようとしていない。

 次に「ひるおび」が「すり替え」を行ったか?

 「ひるおび」は、はじめに院長が会見で謝罪し、反省しているところをとりあげている。その後に「看護師の手記」をとりあげたからといって、院長が謝罪し反省しているところがなくなるはずがない。

「美談」ということについて

 永寿総合病院の院長の会見には、聞いている人を感動させるところがある。
 「看護師の手記」にも、読者を感動させるところがある。

 現場の医療従事者が感染の危険にもかかわらず、周囲から差別を受けたにもかかわらず、感染をおさえるためにはたらいてくれた、とか、周囲から激励の言葉や寄付を受けた、とかいうところである。

 室井佑月氏はそのことを「美談」と言っているようである。

 そしてその「美談」によって、本来責任ある人がその責任から逃げていると言っているようである。

 すでに書いたように、室井佑月氏が言うように「美談」によって話をすり替えている人は、見当たらない。

 ここで注意したいのは、室井佑月氏が、靖国神社のことを思い出しているということである。

 このように、室井佑月氏は、その「美談」ということを「英霊」のことと結びつけている。

 私の思うに、「ひるおび」でとりあげられた「看護師の手記」には、「仲間 戦地へ送る気持ち」という見出しとか、本文中の「仲間を戦地に送り出しているような気持になりました」という言葉とかがある。それをみて、戦前戦中の靖国神社のことなどを思い出したのではないだろうか?

 第二次世界大戦後の日本の左翼は、戦前戦中の日本を忌み嫌うということで凝り固まってきた。その忌み嫌うものに近づくと思うと、大騒ぎした。曰く、軍国主義の復活。曰く、国家神道の復活。必ずしも過去のことを客観的に知っているのでなく、主観的に悪ときめつけている。今度起こることがその過去の「悪」に近づくということも、必ずしも客観的に知っているのではなくて、主観的にきめつけている。

 今度の室井氏もそうである。

 靖国神社がどうであったかということは今はおく。
 責任者が自分の犠牲者を「英霊」としてまつることによって、自分の責任から逃れるという図式があるとして、今度の永寿総合病院はその図式にあたると室井佑月氏はかんがえているようである。
 そういうためには、永寿総合病院が「責められるべき」ことをした、そしてその責任から逃れるために、「美談」を利用した、そういう事実がなくてはならない。
 しかし室井佑月氏は、永寿総合病院が「責められるべき」であるということを証明していない。また、永寿総合病院が「美談」を利用して責任から逃れようとした事実もない。

 室井氏は、「ほんとにほんとに野蛮だと思うし~」と言っているが、何の根拠も示さずに、人を「責められるべき」悪者ときめつけて、その事実もないのに「美談」を利用して責任から逃れようとしているときめつけることこそ、「ほんとにほんとに野蛮」なことではないか?

改めてほしい

 室井佑月氏は、何の根拠もなしに、人を責めている。

 理不尽な専制君主のようである。

 現代のテレビ番組においてコメンテーターがそのようなことを言った場合、責められることは当然のことである。

 室井佑月氏には、このことを謝罪して、以後、考え方を改めてほしい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました