「いちごブロンド」と「或る日曜日の午後」

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映画
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 1941年に公開された映画「いちごブロンド」は、ジェームズ・キャグニー主演、ラオール・ウォルシュ監督のロマンティック・コメディーの名作。


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 「いちごブロンド」は、1933年のブロードウェイの舞台劇「或る日曜日の午後」をもとにして作られている。

 1933年には、同じ舞台劇をもとにして、「或る日曜日の午後」と題する映画が公開されている。

 主役はゲーリー・クーパー。


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 その二つの映画を比較してみよう。

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同じところ

 話の大きな流れは同じ。

・或る日曜日、歯科医ビフのもとに、ヒューゴが虫歯の治療をもとめてやってくるところから始まる。

・そこでビフは、好きだったヴァージニアをヒューゴに奪われたことを思い起こす。―その回想の場面が繰り広げられる。

・虫歯の治療をもとめてきたヒューゴに麻酔をかけている時に殺そうかとビフは考える。

 その間の様々の出来事の流れも大体において同じ。

違うところ

 二つの映画には大きく異なるところがある。

 二つの映画から受ける感じは大きく異なる。

コメディーか否か

 まずコメディーか否かということで違う。

「いちごブロンド」

 「いちごブロンド」はロマンティック・コメディーである。―明るく楽しい。

「或る日曜日の午後」

 「或る日曜日の午後」はコメディーではない。

 「或る日曜日の午後」では、コメディーの要素は主人公ビフの友人(ロスコ―・カーンズ、「いちごブロンド」でギリシャ人の友人にあたる人物)ひとりだけ。

主人公のキャラクター

 二つの映画の主人公の感じは異なる。

「いちごブロンド」

 「いちごブロンド」の主人公(ジェームズ・キャグニー)は、自分の信念、正義感にもとづいて動いている。

 それゆえに観客は共感できる。

「或る日曜日の午後」

 「或る日曜日の午後」の主人公(ゲーリー・クーパー)は自分勝手に動いている。

 それゆえに観客は共感しがたい。

ヴァージニアに対する主人公の態度

 それぞれの映画の主人公の性格の違いは、ヴァージニアに対する態度にも現れている。

「いちごブロンド」

 「いちごブロンド」の主人公は、ヴァージニアに自分の理想をみていた。

 これも観客が共感できるところ。

「或る日曜日の午後」

 「或る日曜日の午後」の主人公も、はじめからヴァージニアに対して好意をもっていたことになっているが、「いちごブロンド」の主人公ほど純粋に見えない。

 「或る日曜日の午後」では、ヴァージニアはビフに会う前からビフに対して悪い印象を持っていたことになっている。そのヴァージニアに対してビフが当然自分のものになるべきだと考えているかのように動いていることは、自分勝手に見える。

初見

 ビフとヒューゴがはじめてヴァージニアとエイミーと出会った時のことは、二つの映画で違う。

「いちごブロンド」

 「いちごブロンド」では、ヒューゴ―は強引にヴァージニアと一緒になった。

「或る日曜日の午後」

 「或る日曜日の午後」では、ビフが強引にヴァージニアと一緒になっている。ヴァージニアは迷惑そうにしている。

 「或る日曜日の午後」ではその後、ビフが豚を追いかける競技をやっている時に、ヒューゴがヴァージニアを連れてどこかに行ったことになっている。

 ビフは裏切られたと怒っているが、そもそもヒューゴはヴァージニアに会いに、ヴァージニアはヒューゴに会いに来たのに、ビフが割り込んでいるのであるから、二人だけになってもそれほど悪いとは思われない。

プレゼント

 女性が誰からかわからないようにして出したプレゼントを男性が選ぶという催しは、「或る日曜日の午後」にあるが、「いちごブロンド」にはない。

 「或る日曜日の午後」では、ビフが来る前にヴァージニアがヒューゴに自分のプレゼントを教えたが、その後に来たビフがそのことをエイミーから聞き出して、自分がヴァージニアのプレゼントをとっている。

 ここでもヴァージニアとヒューゴが相思相愛であるのに、ビフが割り込んでいるように見える。

 ついでに、その前後でビフが喧嘩しているところも、ビフという人物の暴力的な暗い面を現わすことのように見える。

 「いちごブロンド」の主人公も喧嘩っ早いキャラクターであったが、そのことはコミカルに表現されている。

結婚

 ビフとヴァージニアがデートを約束した時間に、ヴァージニアがヒューゴと結婚していた、ということは二つの映画で同じであるが、かたちが違う。

「或る日曜日の午後」

 「或る日曜日の午後」でビフがヴァージニアに水曜夜8時に会う約束をしているところは、自分勝手に見える。

・そもそもヴァージニアはヒューゴに好意を持っていて、ビフには持っていなかった。

・その上にプレゼントのことでは、ビフが割り込んだことに対する反感があった。

・その上にビフが喧嘩して店から追い出されることになって、ヴァージニアからもう二度と会いたくないと言われた。

 そういう状況で、ヴァージニアの答えを聞かずに、水曜夜8時に待っていると言って去ることは、自分勝手に見える。

 ヴァージニアがビフの待っているところに行かなくてもそれほど悪いとは思えない。

 あの話の流れでは、ヒューゴがヴァージニアを奪ったということにはならないのではないか?

「いちごブロンド」

 「いちごブロンド」では、はじめにビフとした約束をヴァージニアが忘れていて、もう一度約束をしたのにすっぽかされたかたちになっている。

 ヴァージニアが悪くて、ビフが可哀想な話。

エイミーに対する主人公の態度

 それぞれの映画の主人公の性格の違いは、エイミーに対する態度にも現れている。

はじめの設定

「いちごブロンド」

 「いちごブロンド」では、エイミーとビフは次第に親しくなっていく。

 エイミーは、はじめからビフに好意を寄せていたのではない。

「或る日曜日の午後」

 「或る日曜日の午後」では、エイミーは劇が始まるより前の学生時代からビフに対して好意を寄せていたことになっている。

 エイミーは、はじめからずっとビフのことが好きなのである。

 ところがビフはそういうエイミーを前にしながら、ヴァージニアばかりを気にして、エイミーをかえりみない。

 そういうエイミーのかわいそうなことが繰り返される。

 エイミーがはじめからビフに対して好意を寄せているゆえに、ビフがエイミーをかえりみないことがかわいそうに見えるのである。

 「いちごブロンド」では、そういうことがないゆえに、かわいそうということもない。

 ビフがエイミーではなくヴァージニアが好きだということは、ビフの自由である。しかし「或る日曜日の午後」では、ビフが自分に対して好意を寄せていると知っているエイミーに対して気を遣わずに振舞っているように見える。

結婚

 約束の時間に、ヴァージニアはヒューゴと結婚していて、ビフのところに来ず、その代わりにきたエイミーとビフは結婚することになった。

「或る日曜日の午後」

 「或る日曜日の午後」では、ビフはただエイミーの語ったことに乗っただけのように見える。

 ヴァージニアが失われたところに、エイミーが婚約してもいいと言ったので、代わりにエイミーにおさまったのである。

 はじめからエイミーがビフに好意を寄せてきたという設定があるので、エイミーがここでビフと結婚してもいいということは自然である。

 しかしその結婚は、それまでのエイミーの気持ちに、ビフがしかたなく乗ったというかたちであるから、両者とも盛り上がらない。

「いちごブロンド」

 「いちごブロンド」でも、ビフの本命はヴァージニアで、ヴァージニアがヒューゴに奪われたゆえに、本命ではないエイミーと結婚した、ということは同じ。

 ただし「或る日曜日の午後」と違って、ビフとエイミーの結婚には盛り上がりがある。

・「いちごブロンド」のエイミーはもともとビフに好意を寄せていたということはない。

・この時点でエイミーは、ビフが恥をかかないように嘘をつくくらい、ビフと親しくなっていた。

・ビフはヴァージニアを失って、それまで自由思想家として振舞っていたエイミーによって欲求不満を処理しようとした。そこでエイミーは自由思想家ではない自分の孤独な本音を見せた。それに対してビフがやさしさを見せた。

 このように盛り上がって二人は結婚したのである。

まとめ

 「いちごブロンド」の主人公は共感しやすいが、「或る日曜日の午後」の主人公は共感しにくい。

 「或る日曜日の午後」では、そういう共感しにくい主人公が次々と対立を起こしていく。―主人公に対してよく思っていないヴァージニアを自分のものにしようとして、ヴァージニアの反感を買っていく。主人公に対して好意を寄せているエイミーを繰り返し傷つく。

 「いちごブロンド」の主人公は共感しやすい。―ヴァージニアはそういう主人公をだます。エイミーは、はじめからビフが好きということはないので、「或る日曜日の午後」ほど傷つくこともない。

 もともとこの話は、遠くの理想にあこがれていたのが、近くの幸福を尊重するに至るという話である。

 成長の物語ということもできる。

 「或る日曜日の午後」では、主人公の成長は終盤にあって、それまで主人公は共感しにくいキャラクターのままである。

 「いちごブロンド」では、主人公は不器用ではあるが、はじめから自分の信念をもった人物である。すでに成長しているということもできる。

 「いちごブロンド」は売れた。

 「或る日曜日の午後」は売れなかったと言われている。

 「或る日曜日の午後」のような暗い作品より、「いちごブロンド」のような明るい作品の方が売れるということであろうか?

 「或る日曜日の午後」は、ゲーリー・クーパーの作品としては珍しく売れなかったと言われている。

 ゲーリー・クーパーの主演した映画で、これほどゲーリー・クーパーの演じた人物が共感しにくい人物になっていることは珍しいのではないか。

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