「ローマの休日 Roman Holiday 」は1953年に公開されたアメリカ映画。日本では1954年に公開された。
この映画によってオードリー・ヘプバーンはスターになった。
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あらすじ
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ヨーロッパの王国の王女アン(オードリー・ヘプバーン)は、ロンドン、アムステルダム、パリ、そしてローマを訪問していた。
ローマを訪れた夜、王女は公務に対する不満が爆発して、ひそかに町に抜け出した。
ところがその前にうたれていた眠り薬のために道端で眠りかけていた。
そこに新聞記者のブラッドリー(グレゴリー・ペック)が通りかかった。
やりとりの末、ブラッドリーは相手をアン王女と知らないまま自分の部屋に連れて行った。
翌朝、ブラッドリーが寝坊して職場に行って、自分の取材対象のアン王女の写真をみると、昨夜自分が部屋に連れて行った女性であった。
ブラッドリーはアン王女の記事を書こうと考えた。
アン王女は、この機会に自分のやりたいことをやろうと考えていた。
ブラッドリーはアン王女のやりたいことを手伝うというかたちで、アン王女に気づかないふりをして一緒に過ごした。
ローマの町で一日遊んで、追手から逃れるなどしている間に、2人の間に恋愛感情が生じた。
おとぎばなし
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「ローマの休日」の物語は全体的におとぎばなしのようである。
王女という高貴な身分の人物の話。
いつも暮らしているところとは異なるところを冒険する話。
休日
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「ローマの休日」は「休日」の話である。
王女
アン王女は公務を休んで遊ぶ。
そういう意味で「休日」である。
アン王女は公務によって疲労していた。
そのために自分で「休日」をとったのである。
新聞記者
ブラッドリーも「休日」を装ってアン王女の「休日」に付き合っていた。
しかし実は仕事のつもりであった。
ところがブラッドリーはアン王女と遊んで、そのことを仕事とすべきか、悩むようになった。
休むこと
「休日」は、仕事をしない日である。
仕事をせずに、休み、遊ぶ日である。
「ローマの休日」は、「休日」に遊ぶところを描いた映画である。
もともと観客は、「休日」に遊ぶために映画を観にきている。
その映画で登場人物が「休日」に遊んでいるところを観て、共に遊ぶ気持ちになる。
「休日」に人はいつもと異なるものになる。
王女は王女でなくなる。新聞記者は新聞記者でなくなる。
「ローマの休日」はその可能性を描いている。
関係
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恋愛
「ローマの休日」では、アン王女と新聞記者ブラッドリーの恋愛が描かれている。
一緒に遊んでいるうちに
2人にはそれぞれ他にやりたいことがあって、そのために「休日」を一緒に過ごしていた。
アン王女はそれまでできなかったことをやろうと思っていた。
そのためにブラッドリーと一緒にいた。
ブラッドリーはアン王女の記事を書くために、アン王女と一緒にいた。
ところがそうして2人で「休日」を遊んでいる間に、2人の間に恋愛感情が生じた。
別れ
しかし2人はそれぞれ元に戻っていった。
王女は王女に。新聞記者は新聞記者に。
恋愛感情がありながら、2人は結ばれることなく別れた。
恋愛以外
映画の最後に2人が別れることには、恋愛が成就しなかったということのほかの意味もある。
元に戻ったアン王女は、目の前にブラッドリーが新聞記者として来ているのを見る。
そこでブラッドリーがそれまで嘘をついていたことを知るのである。
これからブラッドリーは自分の利益のために、「休日」のことを記事に書くかもしれない。
ところがブラッドリーは「休日」の写真をアン王女に渡して、その記事を書かない気持ちを示した。
そのことによって、ブラッドリーはアン王女に対して、裏切らないことを示したのである。
「ローマの休日」の最後に描かれているのはそういうことである。
そのことは「休日」の写真を撮っていたカメラマン(エディ・アルバート)も同じである。
カメラマンも、写真を公にすることによって得られる利益を捨てて、アン王女に対して、裏切らないことを示しているのである。
成長
ブラッドリーはそれまで自分の利益のために、嘘をついてアン王女に近づいて記事を書こうとしていたが、アン王女と「休日」を過ごして、アン王女を裏切らないことを重んずるようになった。
アン王女にとっては、それまで王女としての公務に対してただ不自由を感じていたが、庶民の生活を身をもって体験したことによって、庶民のことを知ったと同時に、王女としての公務に対してもまじめに取り組むようになった、ということがある。
「楊貴妃」
1955年に公開された溝口健二監督の映画「楊貴妃」で、主人公お楊貴妃が庶民の祭りを自ら楽しむところがある。
設定は違うが、「ローマの休日」と似ていると私は思った。
作劇
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「ローマの休日」では、それぞれの登場人物の動機が巧みに組み合わされている。
王女と新聞記者とそれぞれ異なる考えをもちながら一緒に遊ぶところなどそうである。
都合
王女が抜け出して新聞記者の男性の部屋に泊まるなどしながら、きれいなことだけですんでいるところは、都合のいいところであるが、気にならないように脚本が作られている。
たとえば、新聞記者のブラッドリーが、道端に寝ているアン王女に近づいたのは、落ちそうになったからである。
アン王女をタクシーに乗せたのに、寝ぼけていて行き先を言わないゆえに、ブラッドリーの部屋に行った。そしてタクシーの運転手に預けて行こうとしたが、タクシーの運転手が拒否したゆえに、ブラッドリーの部屋に連れて行った。
このようにそれなりに根拠はつけている。
しかし道端に寝ていた見知らぬ若い女性を、独身の男性が自分の部屋に連れて帰って寝させることは、奇妙なことではある。
カメラマン
「ローマの休日」の脚本で一つ私が気になることがある。
ブラッドリーがカメラマンに対してやることが乱暴すぎるのではないかと思うのである。
カフェにブラッドリーとアン王女がいるところにカメラマンが来る。
カメラマンはアン王女に対してアン王女に似ていると言おうとする。また、ブラッドリーと自分の職業を言おうとする。
ブラッドリーはアン王女に気づいていないふりをしてアン王女の記事をつくるつもりであるゆえに、カメラマンを突き飛ばしたり、飲み物をかけたりして妨害する。
しかしそもそもカメラマンが来た時に、ブラッドリーからカメラマンに事情を伝えることはできたのではないかと思うのである。(2人で仕事の話をすると言って)
嘘が知られそうになるという面白さがあることはわかるが、カメラマンが必要もなく傷つけられすぎているように思うのである。
ブラッドリーが編集長にアン王女の記事はできなかったとうところにカメラマンが写真を持って来たときにも、同じようなことがある。
オードリー・ヘプバーン
この映画において第一に輝いているのはオードリー・ヘプバーンである。
オードリー・ヘプバーンは、ヨーロッパの王女という役を納得させるような気品をそなえている。
そして町に抜け出して遊ぶところも、魅力的である。
監督のウィリアム・ワイラーはアン王女を演ずる女優を次のような条件で探していたという。
「王女役にはアメリカ的アクセントの無い女性がほしい。王女として育ったことが信じられる女性が。それが一番の条件だ―演技と容姿と個性以外ではね」
「オードリーの愛と真実」、日本文芸社、平成5年、118頁
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オードリーの愛と真実―映画より華麗でドラマチックなオードリー・ヘプバーンの生涯
オードリー・ヘプバーンはその条件にあてはまっていたようである。
オードリーの母はオランダの男爵の家系であった。
その気品はそのことと関係があるようである。
オードリーはそれまで、英国、オランダを行き来していた。
「アメリカ的アクセント」がないのはそのためである。
ウィリアム・ワイラーはラッシュを観た時のことを次のように語っている。
オードリーはまさに王女だった―あの悠揚迫らぬ身のこなし…バレエの経験とおかあさんの貴族的家系を考えれば充分うなずけるがね。それだけじゃない、彼女は初めてローマに来て夢中になっている若い娘をみごとに体現していた。実に自然でのびやかにそんな情熱につき動かされている彼女を見ている内に、涙があふれてきた。
「オードリー・ヘプバーン 映画に燃えた華麗な人生」、近代映画社、1986年、81頁
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オードリー・ヘプバーン―映画に燃えた華麗な人生
グレゴリー・ペック
新聞記者のブラッドリーを演じたのはグレゴリー・ペック Gregory Peck である。
映像特典によると、はじめにワイラーがオファーしたのはケーリー・グラントであった。
しかしケーリー・グラントは脚本を読んで、新聞記者ブラッドリーより王女アンが中心になる作品だということで、出演を拒否した。
そこで代わりにグレゴリー・ペックが選ばれたのである。
グレゴリー・ペックは、ケーリー・グラントに断れた役がくることが多かったと語っている。
ケーリー・グラントの代わりになると考えられていた俳優だったのである。
「ローマの休日」は、ケーリー・グラントが考えたように、王女アンが輝く話になっている。
グレゴリー・ペックが演じたブラッドリーはそれを支える役になっている。
舞台
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「ローマの休日」は、ローマの町をそのまま背景に使っている。―コロッセオ、マルグッタ通り、スペイン広場、トレヴィの泉、ブランカッチョ宮殿などがそのまま背景になっている。
それまでのハリウッド映画では、その場所に行かずに、スタジオで撮影してしまうことが多かった。
ウィリアム・ワイラー監督がローマでのロケをもとめたと言われている。
観光
「ローマの休日」がローマの町をそのまま背景にしていることには次のような効果がある。
第一に、観客が映画を観ている間にローマに行った気持ちを味わうということである。
第二に、観客が映画を観た後に、映画で観たところに行こうと思うことである。
その二つの意味で、「ローマの休日」は観光と関係がある。
映画そのものが休日におけるローマの遊び方を示しているということもできる。
精神
スタジオで撮る方が、ロケで撮るより、作り手がコントロールすることができる。
「ローマの休日」でも、交通を制限するとか、周囲の騒音を排除するとか、気温の高さに対処するとか、ストライキやデモに対処するとか、様々な問題があったようである。( 「オードリー・ヘプバーン 映画に燃えた華麗な人生」、 76~78頁)
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オードリー・ヘプバーン―映画に燃えた華麗な人生
ウィリアム・ワイラー監督は何故にローマでロケすることをもとめたのか?
それまでウィリアム・ワイラー監督の助手をしていたレスター・コーニッグが共産主義者と判明してハリウッドから追放された。
ところがウィリアム・ワイラー監督はそのコーニッグを「ローマの休日」のロケに同行させたという。(「ハリウッド「赤狩り」との闘い」、175~179頁)
「赤狩り」にもかかわらずコーニッグに仕事をさせるためにローマでのロケを行ったようである。
1977年のコーニッグの死に際してウィリアム・ワイラーが贈った讃辞には次の言葉があったという。
我々はローマを解放した最初のアメリカ軍の部隊のひとつだった。
「ハリウッド「赤狩り」との闘い」、 180頁
これによると、ウィリアム・ワイラー監督とコーニッグとの間には、「ローマの休日」より前に、「ローマを解放した最初のアメリカ軍」ということがあったようである。
以上のことは 「ハリウッド「赤狩り」との闘い」 による↓
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ハリウッド「赤狩り」との闘い:「ローマの休日」とチャップリン
まとめるとこういうことであろうか。
第2次世界大戦が終わるまでは、映画を撮るのに、米国からローマへ行くことは、政治的に容易でなかったのではないか。
ところが米国を中心とした連合国がローマを「解放」したということになった。
ウィリアム・ワイラー監督には自身その「解放」に加わったという自負があった。
映画の歴史では、第2次世界大戦後に、イタリアでネオリアリズモとよばれる運動が起こった。
その代表作「無防備都市 Roma città aperta 」などで、ローマの町が舞台として撮影された。(1945年公開)
ウィリアム・ワイラー監督にも、その「解放」されたローマを、セットによってではなく、ロケによって撮影したいという考えがあったのかもしれない。
英国王室
「ローマの休日」が公開された時は、ちょうど英国王室が注目されている時でもあった。
1952年2月6日にエリザベス2世が英国王に即位した。1953年6月2日に戴冠式が行われた。
エリザベス2世の妹マーガレット王女はタウンゼント大佐と交際していたが、周囲に反対されて、1955年10月の出会いを最後に、別れることになった。
マーガレット王女のことは、「ローマの休日」の話と似ている。
オードリー・ヘプバーンが出演したその他の映画↓
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