京都大学大学院医学研究科教授の理論疫学者、西浦博氏が6月末にBuzzFeedのインタビューで五輪に関して語ったことは、当時話題になったと記憶している。
そのインタビューにおける西浦氏の発言について、考えてみる。
「国際的に恥をかく事態」
タイトルは「おもてなしどころか、国際的に恥をかく事態も」である。
東京五輪を開催すると、「国際的に恥をかく事態」になる、と西浦氏は予測しているようである。
西浦氏の予測
インタビューの中で西浦氏はそのことについて次のように語っている。
BuzzFeedNews「おもてなしどころか、国際的に恥をかく事態も」 医療崩壊も想定される東京五輪で考えておくべきこと
そういうかたちで 「国際的に恥をかく」「リスク」があると語っている。
そして「政府がリスクと向き合えていないこと」を問題としている。
BuzzFeedNews「おもてなしどころか、国際的に恥をかく事態も」 医療崩壊も想定される東京五輪で考えておくべきこと
西浦氏は「オリンピックのリスク評価に政府が正面から対峙していないこと」を第一に「怖いこと」だと言っている。
可能性と現実
実際には、オリンピック、パラリンピックの間、西浦氏が語るように、五輪関係で来日した人が感染して重症化して、酸素投与や人工呼吸の提供を受けられず、「国際的に恥をかく」ということはなかった。
起こらなかったことを政府は「説明しないといけなかった」のであろうか?
ところで西浦氏は次のようにも語っている。
BuzzFeedNews「おもてなしどころか、国際的に恥をかく事態も」 医療崩壊も想定される東京五輪で考えておくべきこと
これによると、西浦氏は「可能性がたとえ小さくとも残されて」いることについて語っていたようである。
しかし西浦氏が可能性が低いと考えていたとすると、そのことを可能性が高いことであるかのように語っているのは、どういうことなのか?
また、政府が可能性の低いことを可能性が高いことのように扱わなかったことは、「リスクと向き合えていないこと」なのであろうか?
西浦氏は後のところで次のようにも語っている。
リスク評価や科学的分析が軽視されていると言われますが、本当の意味で軽視されているかどうかはわかりません。けれども、適切に取り入れた上で政策判断ができているかといえばやはり怪しい。
BuzzFeedNews「おもてなしどころか、国際的に恥をかく事態も」 医療崩壊も想定される東京五輪で考えておくべきこと
西浦氏は「オリンピックのリスク評価に政府が正面から対峙していないこと」を第一に「怖いこと」だと言っているのに、「本当の意味で軽視されているかどうかはわかりません 」とも言っている。
どういうことか?
朝日新聞の思想
このインタビュー記事は、「BuzzFeed News Editor, Japan」の岩永直子氏によるものである。岩永直子氏の思想を表現するものでもあると思われる。
岩永直子氏の思想は、五輪中止を求めた朝日新聞の社説に通ずるものと思われる。
この朝日新聞の社説では、五輪の中止を求める理由の一つとして次のようなことを言っている。
朝日新聞(社説)夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める
西浦氏がインタビューで問題としていることと同じようなことを問題としている。
西浦氏は、可能性が低いと思いながらも、朝日新聞の社説の論調に合わせて、可能性が高いかのように語ったようにも見える。
五輪中止論
朝日新聞の社説は五輪の中止を求めたが、このインタビューの後半でも、五輪の中止について論じられている。
考え方
岩永直子氏の考え方は次の言葉に現れている。
ーー専門家がどれだけデータを示しても、世論調査やアンケートで中止や無観客を求める人が多くても反映されてきませんでした。先生は「諦めてはいけない」と自分に言い聞かせるかのように何度も呟いています。
BuzzFeedNews「おもてなしどころか、国際的に恥をかく事態も」 医療崩壊も想定される東京五輪で考えておくべきこと
この時には組織委員会は観客を入れると言っていた。そこで、「無観客を求める」ことも、中止を求めることと並べられている。ここでは中止のことだけを考える。
岩永直子氏は、まず「専門家」が五輪中止に関する「データを示して」いるという。五輪中止の科学的な根拠を示しているということのようである。
次に、「世論調査やアンケートで中止や無観客を求める人が多く」いるという。国民の多くが五輪中止を求めているというのである。
そして西浦博氏も、同じように並べられている。五輪中止を科学的に根拠づける「専門家」の一人ということであろうか。
それに対して政府はそういう「専門家」の声も「世論調査」も無視して「開催に向かって突き進む」ものとされる。
こういう考え方も先に取り上げた朝日新聞の社説と同じである。
人々の当然の疑問や懸念に向き合おうとせず、突き進む政府、都、五輪関係者らに対する不信と反発は広がるばかりだ。
朝日新聞(社説)夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める
五輪開催には「人々の当然の疑問や懸念」があるのに、「政府、都、五輪関係者ら」はそれに「向き合おうとせず、突き進む」というのである。
西浦氏は上の岩永直子氏の言葉に対して同意も反対もしていない。
しかし西浦氏がこのインタビューで「政府がリスクと向き合えていないこと」を問題としていることは、政府を、岩永直子氏や朝日新聞の社説と同じように描くことである。
「今の突っ込み方で五輪に突入した政治家が恥をかく」とか、「リスクと向き合っていない中で、突進するとこういう問題が起こり得る」とか「意地になって開催しようとしている結果、支払わなければいけないツケです」とか言うのは、朝日新聞の社説と同じように政府を「人々の当然の疑問や懸念に向き合おうとせず、突き進む」ものとすることである。
専門家有志の提言
インタビューでは専門家有志の提言で、中止ということが書かれなかったことが問題とされている。
岩永直子氏に、専門家有志の提言で中止を書くべきだったかと聞かれて、西浦氏は次のように答えている。
リスク評価をする立場で、「中止は最もリスクが低いです」と明確に言うべきだったと思います。
BuzzFeedNews「おもてなしどころか、国際的に恥をかく事態も」 医療崩壊も想定される東京五輪で考えておくべきこと
一方で、「中止してください」とか「中止しかない」と書くのは、専門家の提言の範囲を逸脱していると思います。
「専門家の提言の範囲」は「科学的」な「リスク評価」にとどまるべきだと西浦氏は言う。
専門家は科学の範囲にとどまるべきであって政治の範囲に出てはならない、ということであろうか?
ところで西浦氏は「政治で決まってしまったからという前提がある中で」提言は出されたと言う。
BuzzFeedNews「おもてなしどころか、国際的に恥をかく事態も」 医療崩壊も想定される東京五輪で考えておくべきこと
本来中止というべきであるのに、現在、専門家は政治権力の下にあってそういうことができなくなっている、と西浦氏は主張しているようである。
考察
突進
政府は、西浦氏が言うように、「リスクと向き合っていない中で、突進する」ものであったか?
実際には無観客で開催したように、批判を受け入れていたのではないか?
西浦氏自身「リスク評価や科学的分析が軽視されていると言われますが、本当の意味で軽視されているかどうかはわかりません。」と言っている。
中止ということ
西浦氏が言うように、専門家が五輪前に中止に言及することが、本来あるべきことであったか?
科学的に考えると、五輪を中止しなくてはならないという場合には、専門家がそう言わなくてはならないであろう。
今回のオリンピック、パラリンピック開催中に感染が減少したことをみても、開催後にやってよかったという声が多かったことをみても、五輪を中止しなくてはならない場合であったとは思えない。
西浦氏が言うように専門家が中止を言うと、逆に、科学的には五輪を「中止」しなくてはならないということと受け取られるおそれがある。
現にこのインタビューはそのように受け取られた。
このインタビューの中での西浦氏の発言も、そのような印象を与えるものになっている。
科学と民主主義
感染が拡大する中で五輪を開催することについて、開催しようとする政府、都、組織委員会と、危険について心配する専門家との間で、一致しないところがあることは当然のことである。
しかしだからといって、対立の一方の専門家の側にいる西浦氏が、他方の政府等を悪者であるかのように言うことは正しいことではない。
民主主義ということからも問題となることである。
専門家は専門家の立場から国民のために考えるが、政府等も政府等の立場から国民のために考える。専門家が自分の主張が正しいとし、政府等は正しくないとすると、政府等が代表している国民の利益、国民の意思も抑圧されることになる。
専門家が正しい場合はそれでよい。
しかし今度の場合はそうではない。
五輪を行うか否かは、国民が自由な意思によって判断すべきであった。
西浦氏のような専門家が、専門家としての権威によって政府等を悪者に仕立てることは、国民の自由な意思を委縮させることであった。
五輪の中止を求めた朝日新聞の社説も、岩永直子氏も、政治的な発言をしているのであって、科学的な認識を伝えているのではない。
感染拡大に対する不安を利用して、政府を国民と対立する悪者のように描いているのである。
このインタビューは、そういう主張を専門家西浦氏の言葉によって権威づけようとするものである。
西浦氏には、専門家は科学にとどまるべきだという考えがある。西浦氏の認識は、この記事の与える印象と違うと思われるところもある。しかし西浦氏がそういう印象に寄与しているところもある。
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