なぜか宮澤大輔氏と対決しない知念実希人氏 5~11歳のワクチンをめぐって

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政治
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 2022年2月21日、泉大津市は5~11歳のワクチン接種について、接種券を送付せず、希望者が申請すると発表した。

 それに対して知念実希人氏は、「とんでもない決定」、「許されない」こととするツイートを拡散した。

 そういう知念氏のやり方に疑問を感じた。

 そもそも接種券を送付しないということは、宮澤大輔氏によるところが大きい。ところが知念氏はなぜか宮澤氏と対決しない。そのことにも疑問を感じた。

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泉大津市の決定

 そもそも今度の5~11歳のワクチンは、オミクロン株に対するエビデンスが十分にないことから、努力義務の規定は適用されないことになっている。

 厚生労働省も次のように説明している。

小児については、現時点において、オミクロン株に対するエビデンスが確定的でないことも踏まえ、小児について努力義務の規定は適用せず、今後の最新の科学的知見を踏まえ、改めて議論することが適当であるとされました。

新型コロナワクチンQ&A なぜ小児(5~11歳)の接種は「努力義務」が適用されていないのですか。

 泉大津市の決定は、その厚生労働省の決定をもとにしている。

現在、この年齢層への接種の安全性やワクチンの効果などに関する十分な情報やデータが揃っておらず、予防接種法の努力義務の規定は適用されていないことから、接種券の一括送付は行わないため、接種を希望する人は、必ず事前に申請をしてください。

泉大津市 5歳から11歳の新型コロナワクチン接種について

 努力義務ということは、予防接種法に次のように定められている。

(予防接種を受ける努力義務)
第九条 第五条第一項の規定による予防接種であってA類疾病に係るもの又は第六条第一項の規定による予防接種の対象者は、定期の予防接種であってA類疾病に係るもの又は臨時の予防接種(同条第三項に係るものを除く。)を受けるよう努めなければならない。
 前項の対象者が十六歳未満の者又は成年被後見人であるときは、その保護者は、その者に定期の予防接種であってA類疾病に係るもの又は臨時の予防接種(第六条第三項に係るものを除く。)を受けさせるため必要な措置を講ずるよう努めなければならない。

昭和二十三年法律第六十八号 予防接種法

 努力義務とされると、「対象者」は「予防接種」を「受けるよう努めなければならない。」のであり、「保護者」は「予防接種」を「受けさせるため必要な措置を講ずるよう努めなければならない。」のである。

 知念氏は、「努力義務」ということは「任意」ではないということだと語っている。

 そして今度の5~11歳のワクチンでも「任意でいい」と語っている。

 泉大津市が接種券を一括送付せずに、希望者が申請するようにしたことは、接種を任意にするためではないか?

 それを知念氏のように「とんでもない決定」とか「許されないこと」とかいって、たたきつぶそうとすることには違和感がある。

 逆に、道徳義務の規定は適用しないとされたにもかかわらず、接種券を一括送付しなくてはならないという方が説明を要するのではないか?

 知念氏はツイッターの自己紹介に「エビデンスに基づいた有用な情報提供を心掛けております」と書いているが、今度のワクチンが「小児については、現時点において、オミクロン株に対するエビデンスが確定的でないこと」に「基づいた有用な情報提供」はできているのか?

反「反ワクチン」の問題

 知念氏は泉大津市長を「反ワクチン活動を行っている」として、その市長による決定を批判している。

 次のツイートでも、泉大津市長を「様々な反ワクチン運動にかかわっている危険人物」とよび、「非科学的なイデオロギーで市民の生命を危険に晒しています」と語っている。

 しかし接種券を一括送付しないということは、必ずしも「反ワクチン」ではない。必ずしも「非科学的なイデオロギー」ではない。

 それを「反ワクチン」ときめつけて攻撃することは、正しくないのではないか?

 接種券を送付するかどうかを問題としている時に、市長のその他の活動は関係ないのではないか?

なぜ宮澤大輔氏と対決しないのか?

 泉大津市のように、5~11歳のワクチン接種について、自治体が接種券を送付せず、希望者が申請するようにすべきだということは、宮澤大輔氏によるところが大きい。

 宮澤氏がその考えをツイッターで広めてきたのである。

 宮澤氏がツイッターでその考えを広めていく間、知念氏は放っていて、泉大津市の決定が出て突然大変なことが起こったかのように問題としていることは、奇妙に見える。

 知念氏が泉大津市の決定に対して「とんでもない」とか「許されない」とか考えるのであれば、それより前からそういう考えを広めていた宮澤氏と対決すべきではなかったか?

 日本全国の5~11歳の子どもにとっても、保護者にとっても、できるだけ議論を尽くすべきだと思われるのに、何故に知念氏は宮澤氏と議論を尽くさなかったのか?

 宮澤氏は繰り返し議論を求めていたのに、何故に答えなかったのか?

宮澤大輔氏と対決しない知念実希人氏

 知念氏はなぜか宮澤氏と直接に対決せずに、次のようなことをしている。

「殺害予告」

 知念氏は宮澤氏を「私に殺害予告をした医師」とよんでいる。そしてその証拠を出している。

 これは「殺害予告」であろうか? これをもって宮澤氏を「反社会的な人物」とよぶことができるであろうか?

 知念氏にとって宮澤氏は「殺害予告をした医師」として印象づけられたのかもしれない。

 しかし宮澤氏は多くの場合、新型コロナウイルスに関すること、ワクチンに関することで知念氏に問いかけていた。

 それにもかかわらず宮澤氏を「殺害予告をした医師」とよぶことは、偏った印象を与えることではないか?

 宮澤氏の主張と対決せずに、「殺害予告をした医師」という印象を与えているように見える。

 ここでも宮澤氏について「私に殺人予告をした眼科医」と言っている。

 知念氏が宮澤氏と対決してその主張をことごとく論破しているならば、「専門家でもなんでもなく、適当なことを言っているだけですよ」と言うことにも説得力があったかもしれない。

 実際にはそういうことはないので説得力はない。

「ありきたりの情報」

 宮澤氏の批判を受けた知念氏のツイート。

 宮澤氏が知念氏について「ありきたりの情報を偉そうに語ってる」というのは、下のツイートをもとにしている。

 宮澤氏のツイートと、それに対する知念氏のツイートとを比べてみると、知念氏に対して疑問を抱かざるを得ない。

 宮澤氏は知念氏に対して具体的な反論を出している。

 それに対してエビざんす氏のように「コロナ情報にオリジナリティはいらんやろ」と言い、「それこそ『ぼくのかんがえたさいきょうのころなたいさく』でしかない」と言っても、宮澤氏を論破したことにはならない。

 そういうエビざんす氏の、宮澤氏と対決せずに戯画化しただけツイートを、知念氏が引用して笑っている。

 ここでも、宮澤氏との対決という中身なしに、宮澤氏が笑うべき存在であるかのような印象をつくっているのである。

 前に書いたこともそのことと通ずるところがある↓

おわりに

 知念実希人氏等「医クラ」と言われる人々が子どものワクチン接種について積極的な発言をなす中で、宮澤大輔氏が異論を出していたにもかかわらず、知念氏等が宮澤氏に答えず、対決しないままで、子どものワクチン接種が進められていったことは、奇妙なことであった。

 そして泉大津市の決定が出たところで、知念氏が突然「非科学的」な「反ワクチン」として否定するように扇動したことも、奇妙なことであった。

 何故に議論を尽くさないのか?

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