映画「イースター・パレード」の出演者・監督・脚本家の変更について

広告
ジュディ・ガーランド
広告

(※当サイトはアフィリエイト広告を利用しています)

 1948年に公開された映画「イースター・パレード」は大ヒットした作品であるが、製作の途中で出演者、スタッフが大きく変わった作品でもある。


イースター・パレード [Blu-ray]
広告

1947年2月の発表

 1947年2月に発表された出演者は次の通りであった。

 ジュディ・ガーランド、ジーン・ケリー、フランク・シナトラ、キャスリン・グレイスン、レッド・スケルトン。

はじめの脚本家

 「イースター・パレード」の脚本は、はじめフランシス・グッドリッチとアルバート・ハケットが書いていた。

監督交代

 1947年9月18日、それまで5日監督をしていたヴィンセント・ミネリが監督をやめた。

 理由はジュディ・ガーランドとの関係にあった。

 ヴィンセント・ミネリは当時ジュディ・ガーランドと結婚していた。

 ヴィンセント・ミネリはそれまで映画「踊る海賊」(原題は “The Pirate” )の監督をしていたが、主役のジュディ・ガーランドが当時心身脆弱で、映画撮影がうまくいかず、結婚生活にも支障をきたすに至っていた。

 それゆえに、「イースター・パレード」でまたジュディ・ガーランドの映画の監督はすることは避けた方がいいということになったのである。

 ヴィンセント・ミネリの代わりにチャールズ・ウォルターズが監督になった。

フレッド・アステア

 1947年9月にはリハーサルを始めていたが、10月13日にジーン・ケリーがリハーサルの間に遊んでいる時に足首を骨折した。

 そこでフレッド・アステアにジーン・ケリーの代役をたのむことになった。

 フレッド・アステアは、1946年の映画「ブルー・スカイ」で引退していたが、話を聞いて快諾した。

シドニィ・シェルダン

 新たに監督になったチャールズ・ウォルターズは、映画の脚本がよくないと考えた。

 それまでの脚本では、ジーン・ケリーの演ずる人物は自己中心的な男であったが、それではよくないと考えたという。

 ジーン・ケリーはブロードウェイの「パル・ジョイ」でそういう役でスターになった人であり、映画デビュー作「フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル」でもそういう役であった。それゆえにこの映画でもそういう役とされたと言われている。

 そこでチャールズ・ウォルターズはシドニィ・シェルダンに書き直させることにした。

 シドニィ・シェルダンは後に小説家として有名になった人である。

 シドニィ・シェルダンによって、それまでシリアスであった脚本はコメディーになったと言われている。

アン・ミラー

 映画「イースター・パレード」でアン・ミラーが演じている人物は、もともとシド・チャリースがやることになっていた。

 1947年9月にリハーサルを始めた時にもシド・チャリースがやることになっていたようである。

 ところがシド・チャリースは靱帯を損傷して、映画に出演できなくなってしまった。

 そこでオーディションが行われてアン・ミラーが代わりに選ばれた。

 アン・ミラーが選ばれたことも、映画がシリアスでなくコミカルになった原因と言われている。

まとめ

 ジュディ・ガーランド、フランク・シナトラ、キャスリン・グレイスン、レッド・スケルトンが出演する映画と発表されていたのに、

 リハーサルが始まるころには、ジュディ・ガーランド、ジーン・ケリー、シド・チャリースが出演する映画になっていて、

 その主要人物のうちの2人が抜けて、ジュディ・ガーランド、フレッド・アステア、アン・ミラーを主要人物とする映画になったのである。

 ジュディ・ガーランド以外は全く違う人になっている。

 監督もヴィンセント・ミネリからチャールズ・ウォルターズにかわって、

 脚本もフランシス・グッドリッチとアルバート・ハケットからシドニィ・シェルダンにかわっている。

 はじめは自己中心的な男を主人公としたギスギスした三角関係などを描くシリアスな物語であったのが、出演者・スタッフがかわったことによって明るくコミカルな物語になったと言われている。

 そうして大ヒット作品となった。

資料

 ジュディ・ガーランドについてのサイト。


イースター・パレード [Blu-ray]

コメント

タイトルとURLをコピーしました