石原裕次郎がドラムを叩くシーンが有名な作品。(敬称略)
音楽の歴史

このごろ音楽の歴史を聞きかじったので、この映画に対して今までと違う見方ができるようになった。
ジャズ
「嵐を呼ぶ男」は、ジャズバンドのドラマーの話である。石原裕次郎の演ずる主人公がジャズバンドのドラマーになる話である。ジャズバンドの話であることは、はじめから明らかにされている。
ところでこの映画が公開されたのは1957年である。
「五〇年代の中ごろまではまだ、ジャズっていう洋楽がポピュラーの代名詞になってた時代」(大瀧詠一「分母分子論」、1983年)であった。
それまでと同じようにジャズが「ポピュラーの代名詞」、流行音楽の代表であった。ジャズはアメリカで流行音楽の代表となった。そして、その影響を受けた日本でもそうなっていた。
「嵐を呼ぶ男」で、石原裕次郎がジャズバンドのドラマーの役をやるのは、ジャズが「ポピュラーの代名詞」だったからであろう。
ロックンロール
ところで1957年には、アメリカの流行音楽に新しい流れが起こっていた。
1950年代中ごろに、ロックンロールが流行音楽の代表になったのである。エルヴィス・プレスリーがその代表的な存在であった。
1957年は、エルヴィス・プレスリーが映画「監獄ロック Jailhouse Rock」で、「監獄ロック」を歌い、踊った年である。
つまりアメリカでエルヴィス・プレスリーが「監獄ロック」を歌っていた1957年に、日本で石原裕次郎はジャズのドラマーをやって、歌っていたのである。
映画「嵐を呼ぶ男」にも、エルヴィス・プレスリーの影響は見られる。
「嵐を呼ぶ男」はジャズバンドの話であるが、そのジャズバンドがはじめにやるのはエルヴィス・プレスリーの影響を受けたと思われる歌である。
ジャズバンドの前に、リーゼントヘアで、ギターを弾きながら、エルヴィス・プレスリーのように下半身を動かしながら歌っている。歌詞に「ジャズ」という言葉が繰り返し入っている。
ウィキペディアに「冒頭でロカビリーを歌っている歌手は平尾昌晃である」とある。平尾昌晃は日本のロカビリーの代表的人物である。
若者文化
石原裕次郎は、兄慎太郎とともに、1950年代中頃に、日本の「若者文化」を代表する存在として有名になった人である。
映画「嵐を呼ぶ男」も、その「若者文化」を代表する石原裕次郎が演ずる若者を中心とした「若者文化」の作品ということができる。
石原裕次郎等の「若者文化」は、同じ1950年代中頃のアメリカのジェームズ・ディーンやエルヴィス・プレスリーによって代表される「若者文化」と通ずるところがあると思う。
しかしまた、違うところもある。
たとえばエルヴィス・プレスリーはロックンロールをやって当時の「若者文化」を代表となっていたが、石原裕次郎は「嵐を呼ぶ男」において、ジャズをやっていたのである。
村松友視は「裕さんの女房 もうひとりの石原裕次郎」(青志者、2012年)において、「衝撃のデビュー時の石原裕次郎は”ロック的”な受け取り方をされていた」が「石原裕次郎の芯にひそむ香りの源はジャズだったのではなかろうかという気がしてならない」と書いている。(12頁)
私の思っていることと同じかどうかよくわからないが、私も、石原裕次郎はロックよりジャズではないかと思った。
あらすじ

ジャズバンドのプロモーター福島美弥子(北原三枝)は、人気ドラマ―・チャーリー(笈田敏夫)が自分の許から離れ始めていることに苛立っていた。
ある日、チャーリーが突然休んだので、その代わりに、国分正一(石原裕次郎)を起用した。その少し前に正一の弟の英次(青山恭二)という学生から売り込まれていたのである。ところが国分正一は、喧嘩して留置場に入っていたような「荒い」青年であった。
チャーリーは福島美弥子から離れて競合相手の持永(安倍徹)についた。それに対して福島美弥子は国分正一(石原裕次郎)と正式に契約した。そして福島家に住ませてドラムを上達させた。
国分正一は母(小夜福子)に嫌われていた。それに対して正一は母に認められるためにドラムに力を注いだ。
国分正一に、持永からチャーリーとのドラム合戦が申し込まれた。
ドラム合戦の前夜、国分正一は、持永の子分と喧嘩して、左手をけがしてしまう。
けがした左手でドラム合戦に出た国分正一は、途中でドラムを叩くことができなくなった。ところが、とっさにマイクをとって「嵐を呼ぶ男」を歌った。そして観客から拍手を受けた。
国分正一は人気者になって、ついに投票で一位になった。しかし母はそういう正一を認めなかった。
国分正一は福島美弥子と恋仲になった。
評論家左京(金子信雄)は、福島美弥子に惚れていた。
チャーリーを福島美弥子から引き離して持永に近づけたのは、そのためであった。
左京は評論家として、国分正一を持ち上げて、チャーリーを貶めたが、それは国分正一が左京と福島の間をとりもつと言ったからであった。
ところが国分正一は福島美弥子と恋仲になった。そこで左京は、国分正一と敵対する側になった。左京は国分正一に、弟英次のリサイタルを邪魔すると脅した。
国分正一は、弟英次のために福島美弥子の家を出た。母の家に帰ってきて、みどり(芦川いづみ)と結婚しようと考えた。ところが、母に、みどりは弟英次と結婚することになっていると言われた。そして家から追い出された。
国分正一は、一人で飲んだくれているところを、メリー(白木マリ)に救われて、メリーの家で寝ていた。
その時にメリーは持永の情婦になっていた。
持永は、左京によってそのことを知って、大勢の部下によって国分を痛めつけた。
その時に、正一の弟英次のリサイタルが始まっていた。福島美弥子も正一の母も、そこに来たメリーによって、正一の真意を知った。そして二人はバーのラジオで、傷だらけで、弟英次のリサイタルを聞いていた正一を探し当てた。
そこで母は正一に謝罪した。
ドラム合戦

有名なドラム合戦は、中盤にある。
ドラム合戦で石原裕次郎演ずる国分正一がマイクを持って歌いだすところは、有名なところであるが、おかしいところでもある。
ドラム合戦であるのに、歌を歌って勝つことができるのか?
ドラム合戦の勝敗を決めるのは、ドラムではないか?
私の思うに、この場面は、石原裕次郎の歌声の力によるところが大きい。心地よく包み込むような歌声がそれなりに長く続く。観客の多くはその歌声に満足して、ドラム合戦ということはどうでもよくなる。
見返していて、ドラム合戦の後、テレビで左京(金子信雄)が「国分は手の負傷をものともせず、体全体でドラムを叩かんばかりの熱演ぶりで万雷の拍手を受けた」と言っているところが気になった。これはあのドラム合戦のことをどう伝えているのであろうか?
若者

この映画で石原裕次郎が演ずるのは、若者である。ドラムによって成功することを志す若者である。
粗削りな、不良性のある主人公に石原裕次郎は合っている。
母親が石原裕次郎演ずる長男を嫌って、次男を大事にしているというのは、「エデンの東」と関係あるのであろうか?
左京

この話を裏から動かしているのは、金子信雄演ずる評論家左京である。
そもそも左京が福島美弥子(北原三枝)に惚れて、チャーリーを福島美弥子から引き離すために持永に近づけたゆえに、国分正一(石原裕次郎)が福島美弥子に起用されることはできた。
左京が国分正一に福島美弥子との仲を取り持つと言われて、国分正一を持ち上げチャーリーを貶めたことによって、二人の浮き沈みは決まった。
国分正一が福島美弥子と恋仲になったことを知った左京が、国分正一をやっつけるために持永と手を組んだことによって、国分正一はドラムを叩くことのできない体になった。
このように、左京の福島美弥子に対する思いが、この話を動かしている。
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