「犯人の思う壺」? 安倍元首相銃撃事件の後の世の中の動きについての考察

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備前焼 政治
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 2022年7月8日、安倍晋三元首相が銃撃され、死亡した。

 統一教会を恨んでいた人物が、安倍氏は統一教会とつながりがあると思い込んでのこと、と報道された。

 その後、マスメディア・野党は統一教会の問題を追及し、岸田首相もその方向に進んで、解散命令請求が行われるに至った。

 この流れは「犯人の思う壺」ではないか? という批判がある。

 その問題について詳しく考えてみよう。

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郷原信郎氏の主張

 まず郷原信郎氏の『“「統一教会問題」取り上げるのは「犯人の思う壺」”論の誤り』という2022年8月7日の記事を取り上げる。

 政党や新聞社、テレビ局の間で「この問題をめぐって極端に対応が分かれている」が、そのことには「「安倍元首相を殺害した犯人の思う壺にしてはならない」、という意見が影響しているように思える」と郷原氏は言う。

 そして「安倍元首相を殺害した犯人の思う壺にしてはならない」という意見を代表とするものとして、元自民党副総裁の高村正彦氏の発言を取り上げる。

 高村氏は過去に統一教会の訴訟代理人を務めたことについて週刊文春の取材を受けて、次のように語った。

勝共連合と統一教会がいいか悪いかは別として、この事件で統一教会が取り上げられることは、テロをやった人の思う壺なので正しいとは思えない

週刊文春7月28日号

 それに対して郷原氏は次のように言う。

 「犯人の意図どおりの結果となり、目的が実現してしまうことで、模倣犯や同様の殺人行為が誘発される」という問題に対しては、「厳正な刑事処分が行われる」ことによって「犯人の再犯を防ぐだけでなく、同種の犯罪を抑止する「一般予防」も図られる」。

 ところで事件の捜査においては「犯行動機に関する供述を裏付ける事実があるのかどうか」が問題とされる。

 この事件のように「社会の耳目を集める事件」では、そういうことについて報道されることは当然のことである。「様々な方法で取材が行われ、裁判で明らかになる事実を先取りする形で報道が行われることになる」ことも当然のことだという。

 事件の背景として統一教会の「信者勧誘」や「多額の献金」について報道されることも、安倍氏の統一教会との関係について報道されることも、当然のことだというのである。

 そして高村氏の「犯人の思う壺」論に対して次のように語っている。

山上容疑者の犯行の目的には、単に恨みを晴らすだけではなく、「最も政治的影響力が大きい旧統一教会のシンパであった安倍元首相」を殺害することで、社会の関心を旧統一教会の反社会性と、政権与党である自民党議員との関係に向けようとする「告発的動機」もあったように思える。実際に、事件を機に、その問題がマスコミ等で大きく取り上げられ、相当程度目的を実現している。

高村氏が言う「犯人の思う壺」というのは、このような「告発的動機」の目的が達成されることを問題にしているように思える。しかし、その点について犯人の意図するとおりの結果になったからと言って、犯行自体が正当化されるわけではないし、処罰が軽減されるわけでもない。問題は、山上容疑者が行った「告発」を契機として、そのような問題を、社会がどう受け止め、どう扱うか、それらについてどう判断すべきかということだ。

“「統一教会問題」取り上げるのは「犯人の思う壺」”論の誤り

 要するに、

・犯行に対しては厳正な刑事処分が行われることによって犯罪の抑止が図られる

・犯罪動機に関する供述を裏付ける事実があるのかどうかについて報道されることは当然のことである。そのことによって、提出された問題に対しては社会が判断すればいい

 ということである。

考察

 郷原氏の主張について考えてみよう。

統一教会問題の特殊性

 現実に起こっていることを考えると、郷原氏の主張には疑問がある。

 犯罪動機に関する供述を裏付ける事実があるのかどうかについて報道されることは当然のことのように思われる。

 しかし「犯行動機に関する供述を裏付ける事実があるのかどうか」ということは、まだ明らかになっておらず、これから明らかにされることであるにもかかわらず、犯人が語るような事実はある、という方向で報道されている。

 たとえば2023年に始まった京アニ放火殺人事件の裁判で、被告は京アニに「小説のアイデアを盗まれた」と主張している。

 そのことは犯人の思い込みと報道されてきた。

 裁判でも『検察は「京アニに小説のアイデアを盗まれたと一方的に思い込んだ筋違いの恨みによる復しゅうだった」と主張しているのに対し、被告の弁護士は責任能力はなかったとして無罪を主張して』いる。

 検察は一方的な思い込みであったと言い、弁護士は責任能力はなかったと言っているのである。

 安倍氏殺害事件でも、安倍氏と統一教会との関係は犯人の思い込みと報道された。

 しかしいつの間にか、犯人が語ることが事実であるかのように報道された。統一教会に関しても、犯人が語ることが事実であるかのように報道された。

 犯人が語ったことが事実であるかどうか明らかにされていないのに、事実であるかのように報道された。

 そもそも犯人が語ったことが事実であるかということは、慎重に考えられなくてはならないことであるのに、安倍氏殺害事件では、犯人が語ったことは検証もされずに事実であるかのようにされているのである。

 郷原氏は「問題は、山上容疑者が行った「告発」を契機として、そのような問題を、社会がどう受け止め、どう扱うか、それらについてどう判断すべきかということだ。」というが、犯人の語ったことが検証もされずに事実とされて、多くの人に問題として突きつけられているということこそ問題である。

裁判との関係

 郷原氏は、犯行に対しては厳正な刑事処分が行われることによって犯罪の抑止が図られるとし、犯罪動機に関する供述を裏付ける事実があるのかどうかについて報道されることは当然のことだとした。

 しかし安倍氏殺害事件に関しては、

・裁判によって事実が明らかにされる前に、事実であるかどうか明らかにされていないことがマスメディアによって報道された

・裁判が行われる前に、マスメディアの報道によって、被害者と加害者の逆転など秩序の混乱が生じた。

事実

 事件から1年3カ月後の2023年10月13日、第1回公判前整理手続きが行われた。

 裁判はこれからである。

 「犯行動機に関する供述を裏付ける事実があるのかどうか」、「「旧統一教会」の山上容疑者自身やその家族に対する「悪事」が実際にあったのか、それがどの程度のものだったのか」、「そのような「旧統一教会への恨み」を安倍元首相に向けた理由が、了解可能なのか、合理性があるのか」ということが裁判によって明らかにされるのは、これからである。

 しかしそういうことが裁判によって明らかにされる前に、マスメディアは盛んにそういう事実があるかのように伝えた。

 岸田首相もそういうマスメディアの流れに従う方向に突き進んだ。

 2022年8月31日、岸田首相は自民党国会議員が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と関係を絶つことを基本方針とした。

 自民党議員と統一教会との関係は絶たれなくてはならないものとしたのである。

 2023年10月13日、文部科学大臣は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に対する解散命令請求を行った。

 統一教会は解散命令を出されるべき団体だとしたのである。

 解散命令請求が行われた日は、第1回公判前整理手続きが行われた日である。以上のことは裁判の前に行われたのである。

 「「旧統一教会」の山上容疑者自身やその家族に対する「悪事」が実際にあったのか、それがどの程度のものだったのか」ということは、いまだに明らかにされていない。

 事件をきっかけとして、統一教会の「悪事」が問題とされ、政府が解散命令請求を行うに至ったのに、いまだにそのきっかけとなった事件において統一教会の「悪事」が実際にあったのか、明らかにされていないのである。

 問題とされた母親の献金について5000万円の返金がなされたと報じられているが、そうだとすると、統一教会はそれほど悪くなかったということになるのではないか?

 母親は返金を積極的に求めなかったと報じられているが、そうだとすると、統一教会はそれほど悪くなかったということになるのではないか?

 いずれにせよ、きっかけとなった事件すら明らかにされていない状況で話が進んでしまっているのである。

 「そのような「旧統一教会への恨み」を安倍元首相に向けた理由が、了解可能なのか、合理性があるのか」ということも、明らかにされていない。

 事件から1年3カ月たっても、そのことが了解可能になるようなことは出てきていない。

 それにもかかわらず、マスメディアは安倍氏やそのほかの自民党議員と統一教会との関係に問題があったかのように報じた。それを受けて岸田首相は、自民党議員と統一教会との関係は絶たれなくてはならないとした。

法秩序

 事件に対して捜査が行われて、その結果をもとにして裁判が行われて、刑事処分が行われる、という流れに対して、この事件を巡る報道は、並走しているのではなく、暴走している。

 報道が捜査、裁判で明らかにされる事実をもとにせずに、統一教会を悪いものときめつけ、統一教会と自民党議員の関係を悪いものときめつけることは、裁判と並走することではなく、裁判と関係なく勝手に秩序を作ることである。

 そういう報道を受けて岸田首相が、自民党議員と統一教会との関係を断絶させ、統一教会に対して解散命令請求を行うことも、裁判と関係なく勝手に秩序を作ることであって、裁判との関係で問題が生ずる。

 郷原氏は、犯行に対しては厳正な刑事処分が行われることによって犯罪の抑止が図られると語った。そうして秩序は守られるということである。しかし現実には、裁判が行われる前に、報道が暴走して秩序が変えられるということが起こっている。

紀藤弁護士の主張

 郷原氏は報道に対して「間違っているというのであれば、誤りを指摘し、反論すればよい」という。

旧統一教会の欺罔的な入信勧誘や多額の献金要請などが反社会的なものとして報じられていることや、自民党議員への選挙協力などの報道内容が事実に反しているとか評価が間違っているというのであれば、誤りを指摘し、反論すればよいことである。旧統一教会と国会議員との関係を取り上げること自体が、山上容疑者の意図を実現し、「犯人の思う壺」になることを理由に差し控える理由は全くない。

Yahooニュース “「統一教会問題」取り上げるのは「犯人の思う壺」”論の誤り

 紀藤正樹弁護士もその言葉を引用して同意している。

 紀藤弁護士は統一教会の専門家としてテレビに連日出演して統一教会を追及する動きの先頭に立っていた人である。

 たしかに「間違っているというのであれば、誤りを指摘し、反論すればよい」。

 紀藤氏のように長年統一教会とやりあってきた人であって、法律の専門家でもある人に対して、反論できる人は多くなかったと思われる。

 しかし橋下徹氏のように、紀藤氏に反対した人はいた。しかしマスメディアは紀藤氏の言葉を多く取り上げた。

 米本和弘氏などは、紀藤氏に反論することができたであろう。しかしマスメディアはほとんどその言葉を取り上げなかった。

 マスメディアは次第に紀藤氏と同じ考えを持った人ばかりを出演させるようになった。―有田芳生氏、鈴木エイト氏、櫻井義秀氏、塚田穂高氏など。

 その結果論調は一方的になった。

 そういう状況で根拠の明らかでないことが言いっぱなしにされた。

 「統一教会本体への捜査がなされなかったことが安倍元首相の銃撃につながった」というのは極めておかしなことである。

 「統一教会本体への捜査がなされなかった」ことに問題があったとしても、そのことから当然「安倍元首相の銃撃」が出てくるのではない。しかし紀藤氏はそう主張しているのである。

 紀藤氏は郷原氏の記事を引用した次の日、太田光・古市憲寿両氏の「このままでは山上容疑者の目論みどおり」という言葉を載せた記事を引用して次のように言っている。

 太田光氏の「このままでは山上容疑者の目論みどおり」ということは、高村氏の「この事件で統一教会が取り上げられることは、テロをやった人の思う壺」ということと同じようなことを言うもののようである。

 「第2の山上容疑者出ること恐れ」というところは意味がわからない。

 ここで紀藤氏は統一教会の「被害と巨悪」について語っているが、これは紀藤氏が語っているだけのことである。検証されなくてはならないことである。

 「犯人の思う壺」ということについてさらに考える。

 まず犯人について↓

 次に犯人の望みを叶えているのではないかと思われる人々↓

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