「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズが放映されていた時の「アニメージュ」の投稿欄について

広告
きまぐれオレンジ☆ロード
広告

(※当サイトはアフィリエイト広告を利用しています)

 「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズが放映された時のアニメ雑誌「アニメージュ」の投稿欄についてしらべてみた。

 しらべた結果、「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズについての投稿で、原作ファンによるもの、批判的なものは、番組が終わった1988年5月号までなかった。

 このことは、「アニメージュ」の読者の中に「きまぐれオレンジ☆ロード」の原作ファンが多くいたこと、他の作品についての投稿には原作ファンによる批判的な投稿が多かったことと比べると奇妙なことである。

広告

「きまぐれオレンジ☆ロード」の場合

 「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズの放映が始まったのは1987年4月。

 「アニメージュ」の投稿欄では1987年7月号の新番組特集から、TVシリーズの放映を受けた投稿が載せられた。

 「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズの放映が終わったのは1988年3月。

 「アニメージュ」では1988年5月号に、番組が終わったことを受けた投稿が載せられた。

 その間に「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズに対して原作と比較して批判する投稿は、番組が終わった後の1988年5月号の一本だけであった。逆に言うと、番組が終わるまでそういう投稿は一つもなかった。

 批判的な投稿はその一つだけであった。

 原作に対して好意的な立場からTVシリーズについて論ずる投稿もその一つだけであった。

 以上のことは、他の作品についての投稿と比較すると、異様である。

他の作品

 「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズが放映された前後、1986年から1988年までの「アニメージュ」の投稿欄をみると、様々なアニメ番組、劇場作品、OVAに対して、その原作のファンが批判するという投稿が多く載せられていた。

「聖闘士星矢」、「三銃士」

 「きまぐれオレンジ☆ロード」の半年前に始まった「聖闘士星矢」、半年後に始まった「三銃士」は、いずれもその時期に始まった番組の中で人気のあったものであるが、いずれも原作ファンがアニメ版を批判する投稿が載せられていた。

・「聖闘士星矢」に関しては、1987年1月号の新番組特集でも、1987年5月号の「聖闘士星矢」特集でも、そういう投稿が載せられていた。

・「三銃士」に関しては、1987年12月号でもそういう投稿が載せられていたが、1988年2月号の「三銃士」特集では、原作との違いが主題とされていた。

「アニメージュ」1987年1月号

 「アニメージュ」1987年1月号の投稿欄には、すでに言った「聖闘士星矢」についての投稿の他にも、その他の番組、作品にもそういう投稿が多く載せられている。

・「湘南爆走族」のOVAについて「あのビデオでは「湘爆」のよさが少しも伝わらなかった」という投稿(130頁)。

・「Oh!ファミリー」について、「どうか、原作の持つ独特のふんい気とキャラクターひとりひとりの個性をくずさない作品にしてほしいと思います。」とか、「原作のイメージがくずれにくずれていると思うんです。」とかいう投稿(131頁)。

・「那由他」のOVAについて「原作のイメージくずし」という投稿(135頁)。

「めぞん一刻」

 この時期に、原作ファンがアニメ版を批判する投稿が特に多かったのは、「めぞん一刻」である。

 「めぞん一刻」のTVシリーズは、1986年3月26日に始まって、1988年3月2日に終っている。「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズの1年前に始まって、2年続いて、その2年目に「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズが放映されたというかたちになっている。

 「めぞん一刻」に関しては、始まる前から、1986年3月号にアニメ化に反対するという投稿を載せ、1986年5月号でそれを受けてアニメ化に賛成するか反対するかという誌上討論を行っている。

 「アニメージュ」は番組が始まる前からわざわざアニメ化に反対する意見をとりあげていたのである。

 1986年7月号の投稿欄は「北斗の拳」の暴力描写について特集していて、始まったばかりの「めぞん一刻」についての投稿は一本しか載せられていないが、その一本は「原作に忠実であること」をもとめる投稿であった。

 投稿欄で「めぞん一刻」に関するものはその一本だけであったが、声優コーナーでは3頁にわたって、声優が合っているという投稿、合っていないという投稿を並べている。

 1986年9月号の投稿欄では「「めぞん一刻」改革案」と題して、「めぞん一刻」の改革を提案する投稿を特集している。

 そういう投稿は多かったかもしれないが、「アニメージュ」がわざわざそういう特集を組んでいるのでもある。

 1987年2月号から5月号までは特に批判的な投稿が続いていた。

・1987年2月号―「原作の忠実な味を‼」という投稿(147頁)

・3月号―「「めぞん一刻」わるいオリジナル」という投稿(180頁。その下に「「めぞん一刻」いいオリジナル」という投稿がある)

・4月号―「これ以上、原作のすばらしい話がつぶされていくのを黙って見ていることはできません」という投稿(171頁。同時に「暖かく見守らなければ」という投稿が載せられているが、これも「じつは、ぼくもアニメ版を見ると首をかしげてしまうほうなのです」とある)

・5月号―「「めぞん」がよくないのはおもしろくないから」という投稿(173頁)

 安濃高志氏が監督であった時であろうか?

 その後にも、この時期ほどではないが、批判的な投稿は続いていた。

当時の「アニメージュ」の投稿欄

 「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズが放映される前後の「アニメージュ」の投稿欄について次のように言うことができる。

 第一に、この時期の「アニメージュ」には、原作ファンがアニメ版を批判する投稿が多かった。

 第二に、この時期の「アニメージュ」のスタッフはそういう投稿を積極的にとりあげていた。

 そういう投稿が多くても、「アニメージュ」のスタッフはそういう投稿をとりあげないでいることもできたはずである。それにもかかわらず、「アニメージュ」のスタッフはそういう投稿を積極的にとりあげていた。

考察

 投稿欄が投稿を正確に現わしているとすると、

・「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズは、他の作品と違って原作ファンによって批判されないような出来であった。

・「きまぐれオレンジ☆ロード」の原作ファンは、「めぞん一刻」などの原作ファンと違って、アニメ版を批判しない性質をもっていた。

 後者は、非合理的である。

 前者は、私には受け入れ難い。

・第一に、「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズは、私にとっては、原作漫画に思い入れがあるのに楽しむことができない初めての作品であった。

・客観的に考えても、「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズは、オリジナル要素をはじめとして、原作ファンがひっかかるところは「めぞん一刻」以上に多いと私は思う。

・2010年代後半のインターネット上でも、原作ファンでTVシリーズを嫌う声は少なからずある。TVシリーズが放映された時には多かったと思われる。

・「アニメージュ」1987年6月号、7月号では、「アニメージュ」のスタッフからTVシリーズに対する批判が複数出ていた。「アニメージュ」のスタッフから批判が出ていたのに、在野のファンから批判が出ないというのは不自然である。

 二つの可能性が成立たないとすると、残るのは、「きまぐれオレンジ☆ロード」の原作ファンがTVシリーズを批判する投稿は他の作品と同じように多かったが、「アニメージュ」のスタッフがわざとそういう投稿をとりあげなかった、ということである。

「きまぐれオレンジ☆ロード」についての投稿

 「アニメージュ」の投稿欄に載せられた「きまぐれオレンジ☆ロード」についての投稿について、詳しく考えてみよう。

「アニメージュ」1987年3月号 アンケート結果

 投稿について考える前に、1987年3月号のアンケート結果について考える。

 「アニメージュ」1987年3月号では、「アニメージュ」の読者の総計1万7231通のアンケート(1986年11月号)から無作為に1000通を選んで集計した結果を発表している。

 その中に「好きなマンガ作品は?」という質問があった。結果は次の通り。(「アニメージュ」1987年3月号、93頁)

 1 めぞん一刻(153票)
 2 風の谷のナウシカ(128票)
 3 タッチ(91票)
 4 うる星やつら(73票)
 5 北斗の拳(64票)
 6 ドラゴンボール(50票)
 7 きまぐれオレンジロード(43票)
 8 究極超人あーる(37票)
 9 こちら葛飾区亀有公園前派出所(30票)
 9 シティハンター(30票)

 「きまぐれオレンジ☆ロード」は7位になっている。

 記事には「ベスト5はすべてアニメ化された作品です」と書かれている。6位の「ドラゴンボール」も1986年2月からアニメ化されていた。

 すでにアニメ化された作品の原作漫画の人気は、アニメによるところがあるであろう。「アニメージュ」はアニメ雑誌であるから、その読者はアニメに親しんでいるものである。

 それに対して、「きまぐれオレンジ☆ロード」はまだアニメ化されていなかったのであるから、その人気はアニメによるものではない。アニメ雑誌「アニメージュ」の読者が、アニメによらずに支持していたのである。

 記事には「2年前の調査では、ベスト10すべてがアニメ化された作品だったのです。」ともある。

 アニメ化されていない「きまぐれオレンジ☆ロード」が7位になったことは、異例だったのである。アニメの勢いがそれだけなくなっていたということもできるが、「きまぐれオレンジ☆ロード」の人気がそれだけ高かったにちがいない。

 記事では、7位の「きまぐれオレンジ☆ロード」と9位の「シティハンター」が4月からアニメ化されることについて、「最近のAM読者は、マンガをアニメの後追いではなく、ちゃんと先取りしてみている」と論じている。「きまぐれオレンジ☆ロード」、「シティーハンター」は、マンガがアニメより先に行っているというかたちでとらえられているのである。

 要するに、「アニメージュ」の読者の中には、「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズが始まる前に、漫画「きまぐれオレンジ☆ロード」が好きだという人は異例なほど多くいた。ところがTVシリーズが始まってからの「アニメージュ」の投稿欄には、それだけ多くいたはずの原作ファンの投稿がない。おかしくないか?

 このアンケートでは、当時TVシリーズが始まっていた「聖闘士星矢」が入っていない。しかし「聖闘士星矢」の原作ファンがTVシリーズを批判する投稿は複数載せられていた。そのことを考えるとますます「きまぐれオレンジ☆ロード」の原作ファンがTVシリーズを批判する投稿が載せられなかったことが奇妙に思われる。

「アニメージュ」1987年7月号 新番組特集

 これから投稿欄について考える。

 「アニメージュ」1987年7月号の投稿欄では新番組特集が行われている。―「今月の特集」は「新番組を総チェック。ここが“スキ、キライ”という意見を集めてみました」というものである。(「アニメージュ」1987年7月号、161頁)

 この特集の最後に選者「くみやん」が次のように語っている。

作品の注目度としては、お手紙の数から察するに「きまぐれ」が高いみたいね。

「アニメージュ」1987年7月号、161頁

 1987年4月に始まった新番組の中で、「きまぐれオレンジ☆ロード」に関する投稿が最も数が多く、注目度が最も高かった、というのである。

 ところがこの特集では「きまぐれオレンジ☆ロード」に関する投稿が多くとりあげられることはなかった。

 三本の投稿がとりあげられている。―「「きまぐれ」のOPがイチバン‼」、「待ってました‼ 竜の子アクション」、「まだキワドイと思う「シティーハンター」」。

 第一の投稿は、題に「きまぐれ」と入っているが、新番組のOPを比較したものであって、「きまぐれオレンジ☆ロード」について論じたものとは言えない。

 第二の投稿は「ジリオン」について論じたもの。

 第三の投稿は「シティーハンター」について論じたもの。

 三本の投稿の中に「きまぐれオレンジ☆ロード」の本編について論じた投稿は一つもない。「きまぐれオレンジ☆ロード」に関する投稿が最も多いというのに、「ジリオン」、「シティーハンター」に関する投稿の方が多くなっている。

 この特集では、絵の投稿も多くとりあげられていた。その中に一つ「きまぐれオレンジ☆ロード」に関する投稿もあった。「陽あたり良好」、「ジリオン」、「超人機メタルダー」、「エスパー魔美」、「シティーハンター」もあった。

 絵の投稿を合わせても、「きまぐれオレンジ☆ロード」に関する投稿は一つにすぎず、「ジリオン」、「シティーハンター」の二つより少ない。

 要するに、「きまぐれオレンジ☆ロード」に関する投稿が最も多かったにもかかわらず、「アニメージュ」のスタッフはなぜか、「きまぐれオレンジ☆ロード」に関する投稿を多く取り上げず、それより少なかったはずの「ジリオン」、「シティーハンター」を多く取り上げた。

 理由はわからないが、「きまぐれオレンジ☆ロード」に関する投稿をわざと少なめに載せたのである。

 新番組特集には原作ファンがアニメ版を批判する投稿が多い。「きまぐれオレンジ☆ロード」にもそういう投稿が多かったのではないか? 「アニメージュ」のスタッフが「きまぐれオレンジ☆ロード」に関する投稿を載せなかったのは、そういう投稿を抑えるためではないか?

「アニメージュ」1987年8月号 「めぞん一刻」の投稿

 「アニメージュ」1987年8月号の「めぞん一刻」についての投稿のはじめに「きまぐれオレンジ☆ロード」に触れているところがある。

「オレンジ・ロード」が始まって以来、そのテンポのよさや原作のふんい気をうまく映像化する演出法を見るにつけ、新しさのみえない「めぞん」の欠点ばかりが目についていた。同じ原作ものなのにどうして…と、ファンとしては少々イライラしていたのだ。

「アニメージュ」1987年8月号

 この投稿に対しては色々と違和感がある。

 まず、「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズについて、「テンポのよさ」とか、「原作のふんい気をうまく映像化する演出法」とかがそなわっているということを、定説であるかのように語っているが、いつ定説になったのか?

 私には、「テンポのよさ」も、「原作のふんい気をうまく映像化する演出法」も、感じられない。

 「アニメージュ」1987年7月号で水品隆史氏は「「きまぐれ」の番組自体は、恭介のモノローグが多すぎて、物語のスピード感を殺しているって印象が、かなりあった。」と語っている。「物語のスピード感を殺している」というのは、「テンポのよさ」ということに反することではないか?

 7月号の投稿欄で、原作ファンがTVシリーズを批判する投稿を載せないでおいて、8月号の投稿欄で、TVシリーズは原作をうまく映像化したものだという投稿を載せるのは、原作ファンによる批判を排除した評価を人為的に作っているように見える。

 「めぞん一刻」のTVシリーズと比較してそう言っていることもどうかと思う。

「アニメージュ」1987年9月号 「きまぐれオレンジ☆ロード」特集

 「アニメージュ」1987年9月号の投稿欄では「きまぐれオレンジ☆ロード」の特集が行われている。

 ところがこの投稿は、内容が奇妙である。

 投稿は三本。
 第一は、TVシリーズを称賛するもの。
 第二は、7月号でOPが良いと言った投稿に反対するもの。
 第三は、「「きまぐれ」CD研究」というもの。

 まず、多かったはずの原作ファンの投稿が一つもないことは奇妙。

 本編についての投稿は一つだけで、その他はOPについての投稿、CDについての投稿ということも奇妙。

 本編についての投稿がそれだけ少なかったのか? と思うような構成である。

 「きまぐれオレンジ☆ロード」の特集が行われたのは、それだけ「きまぐれオレンジ☆ロード」についての投稿、それも本編についての投稿が多かったからであろう。

 ところが本編についての投稿は一本だけで、OP、CDについての投稿を寄せ集めてやっと一頁の特集の体裁をなしているように見える。

 恐らく、原作ファンによる批判的な投稿が多かったのではないか? それゆえに「アニメージュ」は特集を組んだ。しかし「アニメージュ」は、なぜか、原作ファンによる批判的な投稿を載せなかった。その結果、OPの投稿とか、CDの投稿とかを寄せ集めなくてはならなかったのではないか?

「アニメージュ」1988年1月号

 「アニメージュ」1988年1月号の投稿欄では「”あした”を感じる「オレンジロード」」という投稿がとりあげられている。TVシリーズを持ち上げて原作漫画より上に置く投稿である。

 私は初めてこの投稿を読んだ時、反発を感じた。しかし筆者の阿世賀浩一郎氏のことを知って少し考えを改めた。この人は原作ファンに対してアニメ版を擁護する立場をとっている人である。「めぞん一刻」でもアニメ版を支持する立場をとっていた。(「アニメージュ」1986年5月号)そういう立場をとっていることに異論はない。

 問題は、「きまぐれオレンジ☆ロード」の原作ファンがTVシリーズを批判する投稿を「アニメージュ」が載せないことにある。そういう投稿を載せずに、TVシリーズを持ち上げる投稿ばかり載せるのでは、偏ったことになる。

 阿世賀浩一郎氏はこの投稿において、「どうもアニメ誌で見かける意見の数が少ないような気がする」と語っている。

 多かったはずの原作ファンの投稿を載せない結果、投稿が少なくなったのではないか?

「アニメージュ」1988年3月号

 「アニメGP」の予想をする投稿が集められている中で、「きまぐれオレンジ☆ロード」について「料理の仕方がウマイ」と言われている。

 8月号の投稿欄に「原作のふんい気をうまく映像化する演出法」があるという投稿があったが、そのことがこのように定説のようになっているのである。

 このように原作ファンの声なしで一方的にアニメをよしとする評価が形成されているのである。

「アニメージュ」1988年4月号

 1988年4月号には「原作つきアニメの傑作「きまぐれ」延長を!」という投稿がとりあげられている。「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズを「原作付きアニメの傑作」とよぶものである。

 原作ファンによる投稿がこれまで全く載せられずに、こういう投稿ばかりが載せられていることに違和感があるのである。

「アニメージュ」1988年5月号

 「アニメージュ」1988年5月号にはじめて「きまぐれオレンジ☆ロード」のTVシリーズを批判する投稿が載った。―「対照的だった「きまぐれ」と「ドラグナー」」と題する投稿である。

ストーリーとしては、原作を十分に消化しきれず、無理の残るエピソードのつなぎ方・オリジナル部分のパロディーの古さなど、一部を除いては、あまり見るべきものがなかったようです。

「アニメージュ」1988年5月号、167頁

 「一部を除いては、あまり見るべきものがなかった」というのは厳しい言葉である。

 「原作を十分に消化しきれず」というところは、これまで原作をうまく料理したという投稿に反対するものになっている。

 「無理の残るエピソードのつなぎ方・オリジナル部分のパロディーの古さなど」―こういうこともここで初めて出てきた。

 ここではじめてTVシリーズに対して批判的な投稿が載せられた。

 こういう批判がもっと早く載せられず、TVシリーズが終わった後に載せられていることに疑問があるのである。

 TVシリーズが放映されている間、そういう投稿は一つも載せられなかったのである。

 しかもこの投稿にはそのすぐ横に、1月号の阿世賀氏の投稿―TVシリーズを原作より上とする投稿―に同意するという投稿が置かれている。

 バランスをとったということかもしれないが、これまでTVシリーズを批判する投稿を一つもとりあげなかったことによって、バランスは逆の方向に傾いてしまっている。

 この投稿は、TVシリーズに対して批判的であるが、TVシリーズの43話をよしとしていることも特徴的である。そのことについて選者は次のようにコメントしている。

一方「きまぐれ」のほうは噂の43話に茨城県のしおづかたつやクン・埼玉県の橙道の因クンから、絶賛のお便りが届きました。本誌140ページの誌上アンコールは見てくれたかな?

「アニメージュ」1988年5月号、167頁

 43話はよかったと言っているゆえに採用したように見えるのである。

 同じ投稿欄の選者が「めぞん一刻」の投稿に対しては1988年1月号で「「まだおもしろくない」という意見があることもお伝えしておきます」とコメントしていることも気になる。

 「めぞん一刻」に関しては、投稿欄に採用しなかった批判的な投稿の存在にわざわざ言及しているのに、「きまぐれオレンジ☆ロード」に関してはそういう批判的な投稿の存在に言及したことは一度もなかった。

批判の意味

 「アニメージュ」の投稿欄で、原作ファンがアニメ版を批判する投稿をとりあげてきたことには、アニメ版をよりよくするという目的があると選者は語っていた。

 1986年11月号の投稿欄で、選者は、「アニメ向上のためにも討論は必要と思う」という投稿をとりあげて、次のようにコメントしている。

千葉県のBES-141クン(18)からは「効果は薄くても、アニメを見殺しにはしたくありません」そのための論争だ、という意見がきています。みーんなわかってるんだよね。いいたくないことも、いわなきゃ通じないって。

「アニメージュ」1986年11月号

 アニメをよくするために論争は必要だというのである。

 「アニメージュ」1987年10月号の投稿欄には、「音無竜之介バンザイ」氏が、「めぞん一刻」に関して、投稿によってよくなったという投稿を載せている。

それはそうと「めぞん」は以前にくらべて、ずっとよくなっている。これが、原作ファン、そしてこのレタールームに出された手紙によって作り手にファンの気持ちが伝わっていったためだとしたら、こうやってコツコツと手紙を書いていたことはムダじゃなかったんだなあと思います。そして、これからは作り手と受け手が協力しあって(一体となって)作品ができるようになればアニメの未来も開けてゆくんじゃないかと思います。

「アニメージュ」1987年10月号

 この投稿を載せた「アニメージュ」のスタッフにも同様の考えがあったと思われる。1986年9月号の投稿欄で「「めぞん一刻」改革案」をやっていたことと関係がある。

 このように、「アニメージュ」の投稿欄の選者は「めぞん一刻」に関しては、投稿によって作品を改善するという考えを持っていた。

 ところが「きまぐれオレンジ☆ロード」に関しては、作品に対して批判的な声をわざと載せないようにしているように見える。

 番組が終わった後にはじめて番組を批判する投稿をとりあげることも、批判的な投稿によって改善することに反対することになっている。

コメント

タイトルとURLをコピーしました