新海誠監督の映画「君の名は。」には気になるところが多くある。
一つ一つ取り上げて考えてみる。
まず前半。

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入れ替わり

まず、男子高校生立花瀧が目を覚ましてから、自分が女の姿になっていると気づくところ。
瀧はまず自分の胸の形が変わっていることに気づくことになっている。
しかし自分の胸の形は、自分の目から見て目立つものであろうか? 目覚めたばかりで、体が入れ替わっているとは思っていない時に、目立つものであろうか?
その後に鏡の前で裸になった時に、自分の体が女性の体になっていたことに気づくことになっている。
しかし、そういう時に突然鏡の前で裸になるであろうか?
思春期の男女の入れ替わりの話で、思春期に気になるところに注意させるをとりあげることはいいと思う。
しかしもっと自然な流れにできたのではないか?
襖を閉める妹
女子高校生に入れ替わった瀧に、その女子高校生の妹が「ご・は・ん! 早く来ない!」と言って「叩きつけるように襖を閉め」て行く。(小説版)
その女の子はこの後にも何度か同じように「叩きつけるように襖を閉め」て行く。
このように「叩きつけるように襖を閉め」て行くことは、その女の子のキャラクターと合っているし、映画をテンポよく進めることにもなっている。
しかし、姉に部屋から出てくるよう言いながら、自分で「叩きつけるように襖を閉め」て行くことは、相反することである。
「昨日はおかしかった」
女子高校生三葉(本人)は朝起きてから会う人ごとに、昨日はおかしかったと言われる。―祖母、妹、友人、学校の教師にそう言われる。
三葉はその前の日に瀧と入れ替わっていた。周りの人は瀧が中に入った三葉のことを言っているのである。
三葉は周りの人に昨日おかしかったと言われて驚くが、それより夜の儀式のことに関心を移してしまう。
三葉にとって夜の儀式のことは大きなことであるかもしれない。しかし昨日の自分はどうしていたかということを考えずにいられるのであろうか?
三葉の家族も友人も、三葉の中身が一日変わっていたのに、その日だけおかしかったとすませることができるであろうか?
町長
三葉が学校に向かって歩いている途中で、広場で三葉の父親の現職町長が選挙のための演説をしていた。父親は通りかかった三葉をみて、「胸張って歩かんか」と言う。
この場面では、三葉が田舎での暮らしに不満を感じるところが描かれていると思われる。
そのことが、三葉が東京に行きたいと思う理由の一つになっている。
しかし三葉の父からすると、現職町長であって再選を目指しているのに、現在別居していて、その日も違う家から出て来た娘を、人前で叱りつけることは、体裁のいいことではないのではないか?
組紐

三葉の家の神社では「千年の歴史が刻まれとる」という組紐を作っている。
三葉はその組紐で髪を結って学校に行っている。
神社で作っている長い伝統のある組紐を、女子高校生がおしゃれをする感じで髪を結うために使っている、というところが気になった。
それが新海誠流ということか。
三葉の叫び

儀式の後、三葉は鳥居をくぐって叫ぶ。
もうこんな町いやや! こんな人生いやや! 来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!
「君の名は。」
当時TVのCMで繰り返しこの叫びが流れていた。
そのCMを見た時にも違和感があったが、映画を観てもやはり違和感があった。
田舎の女子高校生が東京に行きたいというところまでは自然なことだと思うが、「イケメン男子」になりたいということは自然なこととは思えない。
その前に女性として恥ずかしい儀式をやったことがきっかけになっているのであるが、それでも「イケメン男子」になりたいと願うだろうか? と思ってしまう。
新海誠監督自身も気になっていたようである。
劇中で「来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!」と叫ぶんですが、「普通そんなこと叫ぶかな?」ってちょっと引っ掛かっていたんです。物語の都合に、キャラクターの芝居を合わせてしまったのではないかと。
『君の名は。』新海誠監督インタビュー~運命の人はいる、ということを伝えたかった~
ところが女優によって説得力あるものになったと新海誠監督はいう。
でも、上白石さんに会った時、「この子だったらそんなこと叫んじゃうかもしれない」「勢いで、嫌なことを思い切り発散してしまうかもしれない」そんなことを感じさせてくれて。
『君の名は。』新海誠監督インタビュー~運命の人はいる、ということを伝えたかった~
新海誠監督はわざとこの叫びを重みのない、軽いものにしたようである。

この叫びに関してはもう一つ問題がある。
この叫びは、鳥居をくぐるところでなされていることを考えても、その後に入れ替わりという超常現象が起こる原因になったことのように見える。
三葉が「来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!」と叫んだことを原因として、三葉は東京の男子瀧と入れ替わった、ように見える。
しかしこの叫びの前に三葉は入れ替わりをしている。
この叫びは、例の儀式の後になされている。例の儀式は、三葉が学校で「サヤちん」と入れ替わりに関して話をした後である。
入れ替わりが起こった後に、入れ替わりをもとめて叫んだことになっている。
瀧の部屋

三葉の叫びの後、場面は切り替わって、東京の瀧の部屋で、瀧に入れ替わった三葉が目を覚ますところになる。
ここでも瀧と同じように、三葉は目を覚ましてすぐに、男性の体に入れ替わったことがわかるところにピンポイントで気づいている。
そのことは瀧の場合と同じように気になる。
しかしその後に瀧に入れ替わった三葉が瀧のふりをして瀧の学校に行く流れは、それより気になった。
ここで三葉には、瀧のふりをして瀧の学校に行く動機がないはずである。
三葉が瀧のふりをして瀧の学校に行くという話にするためには、そのことが自然であるように話を作らなくてはならないと思われるが、そういうことはない。
瀧に入れ替わった三葉は、瀧の父親に呼ばれているので、父親をそのために使うとばかり思っていた。
父親が瀧に入れ替わった三葉に学校に行くように急かすとか、途中まで一緒に行こうと言うとかすれば、瀧に入れ替わった三葉が瀧のふりをして瀧の学校に行くことも自然になる。
ところが瀧の父親はそういうことをせずに、瀧に入れ替わった三葉を残して出て行ってしまった。
そこに瀧の友人の司から学校に来いと言うメールが来たが、これも三葉が瀧のふりをして瀧の学校に行かなくてはならないと思うには弱い。
三葉は、容姿は瀧のようになっているが、心は三葉のままである。
三葉は東京で制約のない状況に置かれた場合、やりたいことをやろうとするのではないか?
ところが三葉はなぜか、強いる者もいないのに、やりたいことをやらずに、瀧のふりをして瀧の学校に行っている。
三葉が瀧のふりをして瀧の学校に行くことは困難ばかりだと思われるが、なぜかその道を自ら選んでいる。
東京のイメージ

瀧に入れ替わった三葉は、新宿を歩いて「東京やあ!」と言って感動している。
何ゆえに東京の中でも新宿なのか?
新海誠監督はインタビューで、「僕の世代にとって東京といえば新宿だったんですよ。」と語っている。「シティハンター」や「機動警察パトレイバー」の影響があったという。そして「僕は未だにそのイメージを引きずっていて、東京といえば新宿だっていう気分がすごく大きいんです。」と言っている。
新海誠監督の世代によることのようである。
私は、女子高校生が東京の人と入れ替わる話だと聞いた時に、当然女子高校生は原宿に行くと思い込んでいた。
そして新海誠監督がアニメでどのように原宿を描くのだろうかと思っていた。
ところが「君の名は。」では、原宿は全く描かれなかった。
カフェ
瀧に入れ替わった三葉は、瀧の友人の司、高木に誘われて三人でカフェに行く。
三葉は田舎にいた時にカフェに行きたいと言っていた。そのことがかなった、というかたちになっている。
しかし三葉が自分で来るのでなく、瀧の友人に連れられてくるということに違和感がある。
男子高校生三人でカフェに行くということに対して違和感があるのである。
ここでも作り手のやりたいことが先行して、そのために登場人物が動かされているように見える。
イタリアンレストラン
瀧に入れ替わった三葉は、瀧のアルバイト先のイタリア料理店で瀧の代わりにアルバイトをやることになる。
しかしそれまでやったことのないアルバイトを突然やれと言われて、まごつきながらもできてしまう、ということは都合がよすぎると思う。
入れ替わりの日常
瀧、三葉二人が夢の中で入れ替わっていることを意識したところで、RADWIMPSの楽曲が流れて、それに乗せて瀧、三葉の入れ替わりの日常がダイジェストで描かれている。
その中心にあるのは入れ替わりである。
入れ替わりについて、瀧、三葉がわかってきたことは次の通り。
・瀧は、三葉と同じ年で、東京に住む男子高校生(と三葉はわかった)
・三葉は、「ど田舎暮らし」の高校生(と瀧はわかった)
・入れ替わりは不定期で、週に二、三度、ふいに訪れる。
・トリガーは眠ること。原因は不明。
・入れ替わっていた時の記憶は、目覚めると不鮮明になる。
入れ替わりの対策として二人は、携帯電話に、入れ替わった時の注意点や禁止事項、入れ替わった時の出来事を書き残すというルールを作った。
このあたりも気になる。
二人は入れ替わりという状況を理解して、その対策をするために相互にコミュニケーションをとるに至っている。
それにもかかわらず、電話で直接やり取りするとか、交通機関を使って会いに行くとかしないことは不自然でないか?
小説版には次のように書いてある。
メールや電話も試してみたが、なぜかどちらも通じなかった。
「小説 君の名は。」、80頁
映画でもすべきではなかったか?
メールも電話も通じないとしても、もとの自分の家に行こうと思わないことは不自然ではないか?
思うに、新海誠監督は、二人が入れ替わりという「夢」を二人の間だけで共有するという状況を作りたかった。
それに対して私は、二人が与えられた状況で、相手のふりをするだけに終始する動機が十分にないと思ってしまうのである。
奥寺先輩
瀧のアルバイト先の奥寺先輩は「君の名は。」において重要な位置を占めている。
しかし奥寺先輩という人物も、作り手のやりたいことのために動かされているように見える。
好意
奥寺先輩はまず、瀧に入れ替わった三葉が、切り裂かれたアルバイトの制服を刺繍でつくろったところをみて、「今日の君のほうがいいよ」と言っている。
奥寺先輩は、刺繍のできる、「女子力高い」男性がいいと思ったのか? 三葉がいいと思ったのか? 恋愛感情なのか?
デート
瀧は奥寺先輩とデートをして、会話が続かないと言っている。うまくいかなかったようである。しかし何がうまくいかなかったのか、よくわからない。
奥寺先輩は瀧にどういうことを望んでいたのか、瀧はどうして答えることができなかったのか、よくわからない。
デートで寄った写真展で、瀧は思わず飛騨の写真に見入っていた。
奥寺先輩は、写真に見入っている瀧を横から見て、表情を変えて、瀧に「今日は別人みたいだね」と言った。
しかし、瀧がこの場面で写真展の写真に見入っていることから、瀧の奥寺先輩に対する気持ち、他の女性に対する気持ちを知ることはできないのではないか?
帰り際
帰り際に奥寺先輩は瀧に「昔私のことが好きだったでしょう」と言い、「今は他に好きな子がいるでしょう」と言った。
この言葉もひっかかる。
まず「昔私のことが好きだったでしょう」というのは、瀧が中身の時のことを言っているのか、三葉が中身の時のことを言っているのか、よくわからない。
次に「今は他に好きな子がいるでしょう」と言うことについては、奥寺先輩がそういうことの根拠がわからない。
三葉と奥寺先輩
三葉が奥寺先輩に対してどう考えていたのか、ということも気になる。
三葉は瀧のために奥寺先輩との関係を進めてあげているかのようなことを言っている。
しかし瀧が奥寺先輩に好意を持っていたとしても、三葉がその関係を進めてはいけないのではないか?
三葉のせいで瀧と奥寺先輩との関係は破綻している。(三葉なしでもうまくいかなかったかもしれないが、うまくいったかもしれない)
思うに、奥寺先輩はこの映画で、瀧と三葉の二人が互いに相手のことを思うに至るまえの踏み台のような役割をしている。
ただし登場人物それぞれが自然に動いて話を動かしているという感じにはなっていない。
登場人物がその時々にどう考えて動いているのか、観客にはよくわからず、そもそもつじつまが合うように作られていないのではないかと思われる。
そのことが私には気になる。
たとえば、三葉が瀧と奥寺先輩のデートの日に突然涙を流すとか、
また、突然奥寺先輩が瀧に「他に好きな子がいるでしょう」と言うとか、
そこに至るまでの心の動きは十分に描かれていない。
そういう場面が突然出てくるのである。
しかしそうしてできた作品が歴史的な興行成績を上げたのであるから、多くの人の心に響いたわけである。
前半はここまで。後半に続く↓

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