カテゴリー: 映画

  • フレッド・アステアとバレエの因縁②「ヨランダと盗賊」をめぐって

    フレッド・アステアとバレエの因縁②「ヨランダと盗賊」をめぐって

     フレッド・アステアとバレエはどういう関係にあったか?

     フレッド・アステアが映画デビューしてから、RKO制作の映画でジンジャー・ロジャーズと共演していた時のことは、下の記事に書いた↓

     ここではフレッド・アステアがRKOから離れ、ジンジャー・ロジャーズから離れてからのことについて書く。

    ジンジャー・ロジャーズから離れて

     フレッド・アステアは1939年に公開された映画「カッスル夫妻」を最後に、RKOから離れ、ジンジャー・ロジャーズとも離れた。


    カッスル夫妻 Blu-ray

     それから各社でフレッド・アステア主演の映画が作られた。

     いずれもタップダンスを中心とした映画になっている。

    MGM

     まず1940年、MGMの映画「踊るニューヨーク」( “Broadway Melody of 1940” )。


    踊るニューヨーク [DVD]

     MGMのタップダンスのスター、エレノア・パウエルとフレッド・アステアが共演した映画で、見どころは二人のタップダンス。

    コロンビア

     1941年、コロンビアで映画「踊る結婚式」( “You’ll never Get Rick” )。


    踊る結婚式 (字幕版)

     共演はリタ・ヘイワ―ス。

     フレッド・アステアはリタ・ヘイワ―スと二人で、また一人でタップダンスをやっている。

    パラマウント

     1942年、パラマウントで映画「スイング・ホテル」( “Holiday Inn” )。


    スイング・ホテル [DVD]

     共演はビング・クロスビー。

     ビング・クロスビーは歌を聞かせ、フレッド・アステアはタップダンスなどを見せる。

    ジーグフェルド・フォリーズ

     フレッド・アステアはその後にMGMに所属することになった。

     MGMでの第一に作られた映画は「ジーグフェルド・フォリーズ」。(撮影は1944年。公開は1946年)


    ジーグフェルド・フォリーズ [DVD]

     映画「ジーグフェルド・フォリーズ」でフレッド・アステアの出番は複数あるが、その中の一つでまたバレエに取り組むことになった。

     フィリップ・ブレーム作曲の「ライムハウス・ブルース」( “Limehouse Blues” )によるバレエである。

     フレッド・アステアは「ライムハウス・ブルース」をやるためにMGMと契約したとまで語っている。

    私がメトロとの契約にサインした理由のひとつに、フィリップ・ブレームの「ライムハウス・ブルーズ」のようなナンバーを歌いたいというのがあった。この歌はずっと大好きな歌だったのだ。

    「フレッド・アステア自伝」、341頁

    フレッド・アステア自伝 Steps in Time

     原文。

    One of my main reasons for signing the Metro contract was to get an opportunity to put on some kind of number to Phillip Braham’s “Limehouse Blues,” which had always been a favorite song of mine.

    “Steps in Time” p.264

    Steps in Time: An Autobiography

     「ライムハウス・ブルース」は、フレッド・アステアが自ら積極的にやりたいと言ったものだったのである。

     そういうフレッド・アステアの要望を受けて、監督ヴィンセント・ミネリと振り付けのロバート・オルトンが「ドラマティックでかなり入り組んでせわしない、バレエとパントマイムのコンビネーション」(a pretty busy and intricate dramatic ballet pantomime combination)を用意したのである。(「フレッド・アステア自伝」、341頁。原文 “Steps in Time” p.265)

     「ライムハウス・ブルース」のバレエは、フレッド・アステアの演ずる人物の夢を表現するというかたちになっている。

    「オクラホマ!」

     「ジーグフェルド・フォリーズ」でバレエが取り入れられたことは、ブロードウェイ・ミュージカル「オクラホマ!」と関係があると思われる。

     リチャード・ロジャースがロレンツ・ハートと別れて、オスカー・ハマースタイン二世と組んで初めて作った「オクラホマ!」は、ミュージカルの歴史の中で画期的な作品であった。

     ミュージカルとバレエとの関係では、一幕終わりにヒロインの夢がバレエによって表現されているところが重要。

     それまでの話でヒロインが悩んでいたことがバレエによって表現されているのである。

     「オクラホマ!」がニューヨークで開幕したのは1943年3月。

     「ジーグフェルド・フォリーズ」のプロデューサーのアーサー・フリードは、「オクラホマ!」

     「オクラホマ」は1955年に映画化された。振り付けはブロードウェイ版と同じアグネス・デ・ミル( Agnes de Mille)。


    オクラホマ!(製作50周年記念版) [DVD]

    「ヨランダと盗賊」

     1945年11月に公開された映画「ヨランダと泥棒」(”Yolanda and the Thief”)は、フレッド・アステアとバレエとの関係で重要な作品。


    ヨランダと盗賊 [DVD]

     「ヨランダと盗賊」が公開されたのは1945年。

     「ジーグフェルド・フォーリーズ」はそれより前、1944年に撮影されたが、公開されたのは1946年で、「ヨランダと盗賊」より後になった。

     「ヨランダと盗賊」の中には、大がかりなバレエがある。―劇中でフレッド・アステアの演ずる人物がみる夢(悪夢)がバレエで表現されるのである。

     「ジーグフェルド・フォーリーズ」の「ライムハウス・ブルース」を発展させたということもできる。

     監督は同じくヴィンセント・ミネリ。

     振り付けは変わってユージーン・ローリング(Eugene Loring)。

     「ライムハウス・ブルース」は中国風であったが、「ヨランダと盗賊」のバレエはシュールレアリスムを取り入れたものになっている。

     「ヨランダと盗賊」のバレエは、「ライムハウス・ブルース」以上に、その後のミュージカル映画の先駆けとなっているところがある。

    後のミュージカル映画との関係

     劇中でフレッド・アステアの演ずる人物がみる夢がバレエによって描かれる。

     その人物の心の中にある問題がバレエによって描かれる。

     その後のMGMミュージカル映画で、「踊る大紐育」(1949年)、「巴里のアメリカ人」(1951年)は、夢ではないが、主人公の心の中にある問題がバレエによって描かれている。

     MGMではないがフレッド・アステアの「足ながおじさん」(1955年)では、夢(悪夢)というかたちで主人公の心の中にある問題がバレエによって描かれている。

    美術

     映画「ヨランダと盗賊」のバレエにおいては、主人公の夢(悪夢)=心の中にある問題を表現するために、背景にシュールレアリスムが取り入れられている。

     背景にシュールレアリスムが取り入れられていることは、「巴里のアメリカ人」においてフランス印象派の画家の絵が取り入れられたことと通ずるところがある。

     地面に高いところと低いところがあることも「巴里のアメリカ人」と似ている。

     いずれも監督はヴィンセント・ミネリ。

    フレッド・アステアの恰好

     「ヨランダと泥棒」のバレエでのフレッド・アステアの恰好は、後の映画「バンド・ワゴン」(1953年)の「ガール・ハント」バレエの時のフレッド・アステアの恰好―白のハット、青のシャツ、白のスーツ―と似ている。

     映画「トップ・ハット」以来の、トップハット、白の蝶ネクタイ、燕尾服という姿とは異なる姿が作り出されている。


    トップ・ハット THE RKO COLLECTION [Blu-ray]

    「ヨランダと盗賊」の興行成績

     「ヨランダと泥棒」は、ミュージカル映画の卓越した作り手たち力を結集させて作った作品であった。

     MGMで多くのミュージカル映画の傑作を制作したアーサー・フリードは、この映画のために自ら作詞を担当するほど力を入れていた。

     ところが映画「ヨランダと盗賊」は興行的に失敗した。

    「ブルー・スカイ」

     「ヨランダと盗賊」が失敗した後、フレッド・アステアは映画「ブルー・スカイ」( “Blue Skies” )に出演した。(1946年)


    ブルー・スカイ [DVD]

    フレッド・アステアが「ブルー・スカイ」に出演した気持ち

     フレッド・アステアはそのことについて自伝で次のように語っている。

    この上また軽量級の作品を重ねたくはない。「弱い作品」が二本続くと自分の価値も下がってしまう。

    「フレッド・アステア自伝」、366頁

    フレッド・アステア自伝 Steps in Time

     原文。

    I don’t want to do another light-weght right on top of it. Two “weakies” in a row can reduce you.

    “Steps in Time” p.282

    Steps in Time: An Autobiography

     フレッド・アステアは「ヨランダと盗賊」の失敗から立ち直るために「ブルー・スカイ」に出演することを決めたというのである。

     フレッド・アステアは「ブルー・スカイ」に出演するために、MGMからパラマウントに貸し出されることになった。

     フレッド・アステアは「ブルー・スカイ」で引退することをも決めた。

    わたしはこの映画の撮影中、これを最後に引退する気持ちを固めた。わたしが必要だと思う要件を『ブルー・スカイ』は満たしていた。ヒットになりそうだと思えたのだ。

    「フレッド・アステア自伝」、366頁

    フレッド・アステア自伝 Steps in Time

     原文。

    I made up my mind during the shooting of this film that I wanted to retire on it.Skies measured up to the requirements I considered essential: It looks like a hit.

    “Steps in Time” P.282

    Steps in Time: An Autobiography

     フレッド・アステアは映画「ヨランダと盗賊」での失敗の後では「ヒット」がなくてはならないと思っていた。

     「ヒット」した上で引退したいと思っていた。

     フレッド・アステアが「ブルー・スカイ」で引退しようと考えた理由は他にもあると言われている。

     いずれにせよ、フレッド・アステアは「ヨランダと盗賊」の失敗によって大きな傷を負って、次の映画でその傷から立ち直らなくてはならないと考えていたのである。

    映画「ブルー・スカイ」の方向

     フレッド・アステアが「ヒットになりそうだと思えた」という映画「ブルー・スカイ」はどういう作品であったか?

    「スイング・ホテル」

     「ブルー・スカイ」は、1942年に公開された映画「スイング・ホテル」と似ている。


    スイング・ホテル [DVD]

    ・ビング・クロスビーが歌を聞かせ、フレッド・アステアが踊りを見せる

    ・ビング・クロスビーとフレッド・アステアが同じ女性を取り合う

     フレッド・アステアが「ブルー・スカイ」に出演することは、「スイング・ホテル」に帰ることということができる。

     「スイング・ホテル」は大ヒットしたが、「ブルー・スカイ」も大ヒットした。

    映画「ブルー・スカイ」のダンス

    「ヒート・ウェイヴ」 ”Heat Wave”

     映画「ブルー・スカイ」の終盤には、アーヴィング・バーリンの楽曲「ヒート・ウェイヴ」による大掛かりなダンスがある。

     そのはじめには、「ヒート・ウェイヴ」を歌うオルガ・サンフワンにフレッド・アステアが「ヨランダと盗賊」の夢のバレエのように近づくところがある。

     しかしその後にはフレッド・アステアがソロのタップダンスを存分に披露している。

    「プッティン・オン・ザ・リッツ」 ”Puttin’ on the Ritz”

     映画「ブルー・スカイ」で最も有名なダンスは、楽曲「プッティン・オン・ザ・リッツ」( “Puttin’ on the Ritz” )によるフレッド・アステアのタップダンス。

     劇中では「ヒート・ウェイヴ」より前にあるが、フレッド・アステアの引退前の最後のダンスとうたわれた。

     そこでフレッド・アステアはトップ・ハット姿(モーニング)になっている。

    回帰?

     映画「ブルー・スカイ」でフレッド・アステアは、

    ・「ヨランダと盗賊」で切り開いたバレエも取り入れているが、

    ・トップハット姿でタップダンスを踊るという、前に成功したやり方に帰っているようである。

     振り付けはハーミーズ・パン。

     ハーミーズ・パンは、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズが共演した映画でフレッド・アステアとともにダンスを考えていた人。

     ハーミーズ・パンを起用したことも、フレッド・アステアが前に成功したやり方に立ち返ろうとしていることを現わすことのように見える。

    まとめ

     フレッド・アステアは映画「ヨランダと盗賊」において、夢を表現する大がかりなバレエに挑戦した。

     ところが「ヨランダと盗賊」は興行的に失敗してしまった。

     フレッド・アステアとバレエの出会いはうまくいかなかったのである。

     フレッド・アステアは映画「ブルー・スカイ」において、トップハット姿で、タップダンスを見せるという前に成功したやり方に帰った。

     そうして引退しようと考えた。

     バレエから、それまでに成功していた姿に帰って引退しようと考えたのである。

     続き↓

  • フレッド・アステアの映画「ヨランダと盗賊」

    フレッド・アステアの映画「ヨランダと盗賊」

     「ヨランダと盗賊」(原題は “Yolanda and the Thief” )は、1945年に公開されたミュージカル映画。

     MGMで多くの傑作ミュージカル映画を作ったプロデューサー、アーサー・フリードがフレッド・アステアを迎えて作った力作。

     背景美術も見どころ。


    ヨランダと盗賊 [DVD]

    映画「ヨランダと盗賊」のあらすじ

     架空の国の話。

     その国の大富豪の娘ヨランダ(ルシル・ブレマー)はその親の莫大な財産を相続していた。

     その国に来た泥棒(フレッド・アステア)は、ヨランダの財産を盗もうとヨランダに近づくが…。

    楽曲

     映画「ヨランダと盗賊」の音楽は、ハリー・ウォレン作曲、アーサー・フリード作詞。

     プロデューサーのアーサー・フリードはもともと作詞家として成功した人。

     映画「ヨランダと盗賊」では自ら作詞を担当するほど力を入れている。

    「ヨランダ」 “Yolanda”

     ヨランダの豪邸でフレッド・アステアがハープを弾きながらルシル・ブレマーに歌う。

     その間にフレッド・アステアは少し踊る。

    「コーヒー・タイム」 “Coffee Time”

     波打つ黒と白の床の上で、フレッド・アステアとルシル・ブレマーが踊り、大勢の男女が踊る。

    バレエ

     映画「ヨランダと盗賊」には大がかりなバレエがある。

     映画の中盤で、フレッド・アステアの演ずる人物がみる悪夢がバレエによって描かれるのである。

     監督ヴィンセント・ミネリによるシュールレアリスムの世界観、ユージーン・ローリングの振り付けによるフレッド・アステア等のバレエで悪夢が表現される。

     「ヨランダと盗賊」のバレエは、MGMのミュージカル映画の歴史の中で重要。

     後の映画「巴里のアメリカ人」(1951年)の終盤の大がかりなバレエ、映画「バンド・ワゴン」の終盤の「ガール・ハント」バレエの先駆けとなっている。

     いずれもヴィンセント・ミネリ監督作品ということでもつながっている。

     フレッド・アステアの作品としても、「ヨランダと盗賊」と「バンド・ワゴン」とでつながるところがある。

    映画「ヨランダと盗賊」と映画「ジーグフェルド・フォリーズ」

     映画「ヨランダと盗賊」には、映画「ジーグフェルド・フォリーズ」に通ずるところがある。


    ジーグフェルド・フォリーズ [DVD]

     映画「ジーグフェルド・フォリーズ」は、公開されたのは「ヨランダと盗賊」の次の年であるが、撮影は「ヨランダと盗賊」の前の年に始まっていた。

     「ジーグフェルド・フォリーズ」の中で、いずれもフレッド・アステアとルシル・ブレマーが共演した”This Heart of Mine” と「ライムハウス・ブルース」 “Limehouse Blues” は、「ヨランダと盗賊」に通ずるところがある。

    “This Heart of Mine”

     まず”This Heart of Mine”。

     ”This Heart of Mine” は、フレッド・アステアが泥棒で、金持ちのルシル・ブレマーから財産を盗もうとするが、恋愛感情が芽生えて、…という話。

     「ヨランダと盗賊」の主題と同じ。

    「ライムハウス・ブルース」 “Limehouse Blues”

     「ライムハウス・ブルース」 “Limehouse Blues”では、フレッド・アステアの演ずる人物の夢がバレエによって表現されている。

     「ヨランダと盗賊」でも、フレッド・アステアの演ずる人物の夢がバレエによって表現されている。

    映画「ヨランダと盗賊」のDVD

     日本語版DVDが出ている。


    ヨランダと盗賊 [DVD]
  • 映画「ジーグフェルド・フォリーズ」 レヴュー形式のMGMミュージカル映画

    映画「ジーグフェルド・フォリーズ」 レヴュー形式のMGMミュージカル映画

     「ジーグフェルド・フォリーズ」(原題は “Ziegfeld Follies” )は、1946年に公開された映画。

     MGMで多くのミュージカル映画の傑作を作ったプロデューサー、アーサー・フリードがブロードウェイのレヴューの形式で作った映画。

     MGMが力をかけた映画で、興行的に成功した。

     フレッド・アステア、ジーン・ケリー、ジュディ・ガーランドをはじめとするスターによる歌、踊り、寸劇等を観ることができる。

     豪華な背景、衣装も見どころ。


    ジーグフェルド・フォリーズ [DVD]

    「ジーグフェルド・フォリーズ」とは

     「ジーグフェルド・フォリーズ」とは、フロレンツ・ジーグフェルド(1867~1932年)が製作したブロードウェイのレヴュー。

     1907年に第1弾が上演されてから、1年に1本製作された。

     映画「ジーグフェルド・フォリーズ」は、亡くなって天国にいるジーグフェルドが、新たにジーグフェルド・フォリーズを構想してできたものというかたちになっている。

     天国にいるジーグフェルドを演じているロバート・パウエルは、1936年に公開された伝記映画「巨星ジーグフェルド」でもジーグフェルドを演じていた。


    巨星ジーグフェルド [DVD]

    映画「ジーグフェルド・フォリーズ」の構成

     映画「ジーグフェルド・フォリーズ」の構成は、映画としては特異な構成になっている。

     多くの映画は、一つの話を展開する。

     映画「ジーグフェルド・フォリーズ」は、それぞれ独立した歌、踊り、寸劇が次々と出て来る。

     天国にいるフロレンツ・ジーグフェルドが構想したということはあるが、フロレンツ・ジーグフェルドが出て来るのははじめだけ。

     多くの映画のように統一された作品を期待しても、満足することはできない。

     相互に独立した歌とか、踊りとか、寸劇とかが並んでいるものとみなくてはならない。

    “Here’s to the Girls”

     まずフレッド・アステアが出て来て、ジーグフェルドは女性を美しくしたと言って、歌い、少し踊ると、ジーグフェルド風の女性が次々と出て来る。

     そこで出て来たシド・チャリースとフレッド・アステアが少しからむ。

     ルシル・ボールの踊りなどもある。

    「水のバレエ」 “Water Ballet”

     エスター・ウィリアムズが水の中で踊る。


    ブロマイド写真★エスター・ウィリアムズ/プールサイドで水着

    「ナンバー・プリーズ」 “Number Please”

     キーナン・ウィン(Keenan Wynn)によるコメディー。

     電話をかけても、なぜかつながらない。

    「椿姫」 “Traviata”

     ヴェルディのオペラ「椿姫」の「乾杯の歌」を、ジェームズ・メルトンとマリオン・ベルが歌い、大勢で踊る。

     豪華な背景、豪華な衣装。

     振り付けはユージーン・ローリング。

    「2ドル払ってくれ」 “Pay the two dollars”

     ヴィクター・ムーアとエドワード・アーノルドによるコメディー。

     ヴィクター・ムーア演ずる人物は、電車の中につばを吐いたということで、警察から罰金2ドルを言い渡される。

     ところが、エドワード・アーノルド演ずる弁護士は自信満々で、2ドル払わなくてもいい、法廷で勝ってみせるという。

     しかし事態はどんどん悪くなっていく…

    “This Heart of Mine”

     フレッド・アステアとルシル・ブレマーのダンス。

     豪華なパーティに招かれた客のような顔をして入ってきたフレッド・アステアは泥棒。

     パーティ客の一人の女性ルシル・ブレマーに狙いを定めて、二人で外で踊る。

     フレッド・アステアとルシル・ブレマーの陶酔させるようなダンス。豪華な背景。

     作曲はハリー・ウォレン、作詞はプロデューサーのアーサー・フリード。

    宝くじの話 “A Sweepstakes Ticket”

     平凡な夫婦が買った宝くじが当たったが、大家に家賃の代わりに渡してしまっていたという話。

     主婦を演ずるファニー・ブライスは、ブロードウェイのジーグフェルド・フォリーズにも出ていた人。(バーブラ・ストライサンド主演のミュージカル「ファニー・ガール」のもとになった人でもある)

     監督はロイ・デル・ルース。

    「愛」 “Love”

     レナ・ホーンの歌。

     監督はレミュエル・レアーズ(Lemuel Ayers)

    「テレビの初期」 “When Television Comes”

     コメディアンのレッド・スケルトンによるコメディー。

     テレビでジンの宣伝をするが、どんどん酔っぱらって…

    「ライムハウス・ブルース」 “Limehouse Blues”

     フレッド・アステアとルシル・ブレマー。

     霧の立ち込める薄暗いチャイナタウンを歩いていた黒い服の中国人(フレッド・アステア)は、チャイナドレスを着た若い女性に目を奪われるが…

     D.W.グリフィス監督の映画「散りゆく花」( “Broken Blossom” )の世界観。


    散り行く花【淀川長治解説映像付き】《IVC BEST SELECTION》 [DVD]

     フレッド・アステアが演ずる中国人は、「散り行く花」でリチャード・バーセルメスが演じた中国人青年のよう。

     その青年の夢がバレエで表現される。

     その背景美術は凝っている。―赤と青、「陰影」

     フィリップ・ブレイアム作曲、ダグラス・ファーバー作詞。

    「偉大な女性のインタビュー」のA Great Lady Has “An Interview”

     大物女優が話を聞きに来た多くの記者に答える。

     その大物女優をジュディ・ガーランドが演じている。

     次の出演作は、安全ピンを発明した「偉人」クレマトン夫人の映画であるということから、クレマトン夫人の歌、踊りになる。

     作曲ロジャー・イーデンス、作詞ケイ・トンプソン。(いずれもアーサー・フリードユニットの重要人物であり、ジュディ・ガーランドを育て支えた人)

     おかしなことをまじめにやっているというような歌。

     振り付けはチャールズ・ウォルターズ。

    “The Babbitt and the Bromide”

     フレッド・アステアとジーン・ケリー、二人のダンス。

     二人のスターの数少ない共演。

     ベンチでフレッド・アステアとジーン・ケリーが出くわして、言葉を交わした後、二人でタップダンス。

    「美」 “Beauty”

     キャスリン・グレイソンの歌。

     ハリー・ウォレン作曲、アーサー・フリード作詞。

     泡に囲まれた異様な世界とか、背景が凝っている。

    「ジーグフェルド・フォリーズ」のDVD、Blu-ray

     日本語版としては、DVDが出ている。


    ジーグフェルド・フォリーズ [DVD]

     英語版ではBlu-rayが出ている。


    Ziegfeld Follies [Blu-ray]
  • フレッド・アステアの映画「踊らん哉」 ガーシュウィンの楽曲によるミュージカルコメディー

    フレッド・アステアの映画「踊らん哉」 ガーシュウィンの楽曲によるミュージカルコメディー

     フレッド・アステアの映画「踊らん哉」の原題は “Shall We Dance” 。

     ”Shall We Dance? ” ではない。

     RKO制作で、フレッド・アステアがジンジャー・ロジャーズを相手役とした映画の一つ。

     1937年4月に公開された。

     ジョージ・ガーシュウィン作曲、アイラ・ガーシュウィン作詞の楽曲が豊富で、名曲が多い。

     その楽曲に合わせたフレッド・アステア、ジンジャー・ロジャーズのダンスも創意に富んでいる。


    踊らん哉 Blu-ray

    映画「踊らん哉」のストーリー

     フレッド・アステアの演ずる人物が、ジンジャー・ロジャーズの演ずる人物に惚れ込んで近づこうとするが、

    ・誤解によってうまくいかない

    ・ダンスによって仲良くなる

     という流れはそれまでの映画と同様。

     今回は、フレッド・アステアは有名なバレエダンサーで、ジンジャー・ロジャーズは有名なタップダンサーになっている。

    豪華

     映画「踊らん哉」は、それまでのフレッド・アステア、ジンジャー・ロジャーズの映画(「トップ・ハット」など)と同様に、背景や衣装が豪華。

     高級ホテルの広いスイートルーム、豪華客船などが舞台となる。

     ジンジャー・ロジャーズの白と黒があざやかな衣装が印象に残る。―ジンジャー・ロジャーズの衣装を担当したのはアイリーン(Irene、Irene Lentz)。

    楽曲、ダンス

     映画「踊らん哉」には、ガーシュウィン兄弟の名曲が多い。

    「ビギナーズ・ラック」”(I’ve Got) Beginner’s Luck”

     船の上でフレッド・アステアがジンジャー・ロジャーズに出会えてうれしいという気持ちを歌う。

     その前に、フレッド・アステアがレコードをかけてタップダンスをやるところ―レコードが・・・というところでも使われている。


    (I’ve Got) Beginner’s Luck

    “Slap That Bass”

     船の中で黒人たちがジャムセッションをしているところに、フレッド・アステアが入って、一人でタップダンスをやる。

     船のエンジンの音とからませたタップダンス。


    Slap That Bass (Remastered 2020)

    「みんな笑った」 “They All Laughed”

     ホテルの屋上のディナーで、オーケストラを背にしてジンジャー・ロジャーズが歌う。

     そしてフレッド・アステアと二人でタップダンス。


    They All Laughed

    “Let’s Call the Whole Thing Off”

     ニューヨークのセントラルパークで “either” を、フレッド・アステアは「アイザー」と発音し、ジンジャー・ロジャーズは「イーザー」と発音する、ということからフレッド・アステア、ジンジャー・ロジャーズが交互に歌う。

     そして二人でローラースケートでタップダンス。


    Let’s Call the Whole Thing Off – The George Gershwin Songbook, Vol. 1 (Original Album)

    「誰も奪えぬこの想い」 “They Can’t Take Away from Me”

     マンハッタンへのフェリーで、夜の霧の中、フレッド・アステアがジンジャー・ロジャーズに想いを歌う。

     抒情的な歌。


    They Can’t Take That Away From Me

    “Shall We Dance”

     映画のタイトルとなっている楽曲「シャル・ウィ・ダンス」( “Shall We Dance” )。

     軽快な歌。

     映画の終盤で、フレッド・アステアが歌って、ジンジャー・ロジャーズのお面をつけた多くのダンサーと踊る。


    Shall We Dance – (Remastered)

    その他

     その他にも、バレエの音楽、豪華客船でフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズが犬を連れて歩く時の音楽など、ガーシュウィン兄弟の楽曲は多い。

    タップダンスとバレエ

     映画「踊らん哉」には、タップダンスとバレエの融合という主題があった。

     そのことについては↓

    コミカル

     映画「踊らん哉」は、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズの競演した作品の中でもコミカルなところが多いのではないかと思われる。

     終盤にジンジャー・ロジャーズのお面をつけた多くの女性が踊るようなことは、それまでなかったのではないか。

     それまでのフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズの映画によく出ていたエドワード・エヴェレット・ホートン、エリック・ブロアもこの映画では特にコミカルな方面で活躍しているように見える。

    映画「踊らん哉」

     Blu-ray。

     作品解説がついている。


    踊らん哉 Blu-ray
  • フレッド・アステアとバレエの因縁①RKO時代 「オン・ユア・トーズ」と「踊らん哉」

    フレッド・アステアとバレエの因縁①RKO時代 「オン・ユア・トーズ」と「踊らん哉」

     フレッド・アステアはその卓越したダンスによってアメリカのミュージカルのスターになった。

     1920年代にブロードウェイのスターとなり、1930年代にミュージカル映画のスターとなった。

     ところがそれから間もなく、ミュージカルに新たな方向が出てきた。―バレエが重要になっていったのである。

     そこでフレッド・アステアはバレエとどういう関係にあったのか?

     この問題は、フレッド・アステア個人の問題としても、ミュージカルの歴史の問題としても、興味深いものである。

    バレエ以前

     フレッド・アステアは、1930年代に映画デビューする前に、ブロードウェイのスターであった。

     1924年開幕の「レディー、ビー・グッド」(”Lady, Be Good” 、1924年)で、フレッド・アステアはガーシュウィン兄弟と組んで成功した。

     ミュージカルにジャズを使った軽快なサウンドを取り入れた作品で、それに合わせたフレッド・アステアと姉アデル・アステアのダンスが賞賛された。

     フレッド・アステアはその後映画に進出して、「ダンシング・レディ」(1933年)に出演。


    ダンシング・レディ [DVD]

     同じ年の映画「空中レビュー時代」( “Flying Down to Rio” )でのジンジャー・ロジャーズとのダンスによってたちまちスターになった。


    空中レヴュー時代 [DVD]

     そしてフレッド・アステアがブロードウェイでやっていた「陽気な結婚」( “Gay Divorse” 、1932年)をもとにした映画「コンチネンタル」( “Gay Divorcee” 、1934年)でジンジャー・ロジャーズとともに主役として成功した。


    コンチネンタル Blu-ray

     フレッド・アステアがスターになったミュージカルは「軽快」という言葉で特徴づけることができる。

    ・軽快なストーリー

    ・軽快な音楽

    ・軽快なダンス

     フレッド・アステアがブロードウェイでスターになったのは、そういう1920年代風の「軽快」なミュージカルであった。

     フレッド・アステアが1930年代に出演した映画は、それまでのブロードウェイのミュージカルをもとにしていた。

     1935年に公開されたフレッド・アステアの代表作「トップ・ハット」も「軽快」なミュージカルであった。

     「トップ・ハット」はフレッド・アステアと、トップ・ハット、白の蝶ネクタイ、燕尾服という礼儀正しい姿を結びつけた。


    トップ・ハット HDマスター [DVD]

    「オン・ユア・トーズ」”On Your Toes”

    Photo by Sudan Ouyang on Unsplash

     映画に進出して成功したフレッド・アステアは、間もなくバレエと出会うことになる。

     その第一の出会いは、「オン・ユア・トーズ」(”On Your Toes”)と題するミュージカルである。

     映画スターとなったフレッド・アステアがその次に出演するミュージカル映画として、ブロードウェイでヒットを連発していたリチャード・ロジャーズ(作曲家)とロレンツ・ハート(作詞家)のコンビが作ったのが「オン・ユア・トーズ」であった。

     ところがフレッド・アステアは、それまでの映画でのトップハット、白のタイ、燕尾服の人物像に合わないということで、ことわった。

    バレエ

     「オン・ユア・トーズ」は、それまでの映画でのフレッド・アステアの人物像と違う人物像を出しただけではない。

     ミュージカルの新たな方向を切り開いた作品であった。

     バレエを重要な要素として取り入れたのである。

     劇中では、バレエとタップダンスの間の葛藤が描かれている。―バレエが物語の重要な要素になっているのである。

     そして終盤に「十番街の殺人」( “Slaughter on Tenth Avenue” )というドラマティックな音楽を伴うバレエがある。


    On Your Toes / Slaughter on Tenth Avenue

     振り付けは、ロシア出身のバレエ振付師ジョージ・バランチン。


    George Balanchine: The Ballet Maker (Eminent Lives) (English Edition)

     フレッド・アステアは、バレエを重要な要素として取り入れることによってミュージカルの新たな方向を切り開いたまさにその作品と出会っていたにもかかわらず、ことわってしまったのである。

    その後

     リチャード・ロジャーズとロレンツ・ハートは、フレッド・アステアのことわられたので、「オン・ユア・トーズ」を舞台用に作り直した。

     そうして1936年4月11日にブロードウェイで開幕した「オン・ユア・トーズ」は成功した。

     フレッド・アステアの代わりに主演をやったレイ・ボルジャ―はスターになった。

    「踊らん哉」 “Shall We Dance”

     「オン・ユア・トーズ」の成功を受けて、フレッド・アステアも「オン・ユア・トーズ」のようにバレエを取り入れたミュージカルをやることを考えたと言われている。

     1937年4月に公開されたフレッド・アステアの映画「踊らん哉」は、バレエを取り入れたミュージカル映画であった。

     遅ればせながら、「踊らん哉」でフレッド・アステアはバレエを取り入れたミュージカルをやることになったのである。

    「踊らん哉」の設定

     「踊らん哉」は、設定から考えると、バレエを重要な要素として取り入れたミュージカルのようである。

     バレエダンサーを演ずるフレッド・アステアが、タップダンサーを演ずるジンジャー・ロジャーズに惚れ込んで近づこうとする、という話になっている。

     主役がバレエダンサーであるということによって、バレエは物語の重要な要素となることができる。

     タップダンサーとの恋愛において、タップダンスとバレエを合わせることもできる。


    踊らん哉 Blu-ray

    「踊らん哉」におけるバレエの割合

     ところが「踊らん哉」においてバレエの占める割合はそれほど大きくない。

     第一に、フレッド・アステアの演ずるバレエダンサーは、映画のはじめからタップダンスを好んでやっていて、バレエはそれほどやらない。

    フレッド・アステアのソロ

     フレッド・アステアが一人で踊るのも、バレエではなくタップダンス。(冒頭の個室、”Slap That Face” )

    二人のダンス

     フレッド・アステアの演ずるバレエダンサーと、ジンジャー・ロジャーズの演ずるタップダンサーとが二人で踊るところでも、タップダンスが多く、バレエの割合は少ない。

    “They All Laughed”

     二人が初めて一緒に踊る “They All Laughed” では、フレッド・アステアのバレエから始まるが、バレエは間もなく終わって、二人はタップダンスを一緒に踊る。そして意気投合している。

    “Let’s Call the Whole Thing Off”

     その次に二人が一緒に踊る “Let’s Call the Whole Thing Off” は、ローラースケートによるタップダンス。

    “Shall We Dance”

     「踊らん哉」の終盤に、フレッド・アステアとハリエット・ホクター(Harriet Hoctor)と大勢のダンサーによるバレエがある。

     そのバレエの後に、楽曲 “Shall We Dance” に合わせたタップダンスがある。


    シャル・ウィ・ダンス(『踊らん哉』より)

     ここでは、たしかにバレエの分量は多くなっている。

     しかしやはりタップダンスに中心はある。

     前半のバレエと、後半のタップダンスとでは、明らかに後者の方が重要である。

     そのバレエにおいても、フレッド・アステアより、ストーリー上意味のないハリエット・ホクタ―の方が中心になっているように見える。

    映画「踊らん哉」の問題

     映画「踊らん哉」は、バレエを大きく取り入れたミュージカル映画の初期のものである。

     しかしそのバレエの入れ方には疑問がある。

     タップダンスとバレエとの融合が企てられているはずであるのに、バレエの割合が少ない。

     フレッド・アステアのバレエの割合が少ないことに問題はある。

     バレエダンサーを演ずるフレッド・アステアがバレエを担当し、タップダンサーを演ずるジンジャー・ロジャーズがタップダンスを担当して、両者がのダンスが合わさって恋愛が成就する、というかたちにすればいいと思われる。

     実際には、フレッド・アステアの演ずるバレエダンサーはそれほどバレエをやらず、タップダンスを好んでやっていて、ジンジャー・ロジャーズ演ずるタップダンサーはタップダンスをやっているので、全体としてタップダンスに偏って、バレエは少なくなっているのである。

     バレエを取り入れたミュージカル映画として問題があるのみならず、一本の映画として構造的に問題があるということもできる。

     タップダンスとバレエとの融合を主題としているにもかかわらず、バレエの割合が少なく、融合はできていない。

     もともとタップダンスとバレエとの融合などということを主題とせずに、タップダンサー同士の恋愛とした方がよかったのではないか?

     バレエの要素が、むしろマイナスになっているのではないか?

     「踊らん哉」は、全盛期のフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズのコンビのためにジョージ・ガーシュウィンが作曲を担当したという豪華な映画であるが、物足りないところがある。

     たとえば「トップ・ハット」「有頂天時代」に比べると、物足りないところがある。

     それはバレエを取り入れながら、そのバレエが余計になっているからではないか?

     映画「踊らん哉」の収入は前作の半分以下であったと言われている。


    誰も奪えぬこの想い(『踊らん哉』より)

     映画「踊らん哉」について↓

    つづき

  • 映画「月とキャベツ」―山崎まさよし主演映画

    映画「月とキャベツ」―山崎まさよし主演映画

     映画「月とキャベツ」は1996年に公開された映画。

     1996年度の文化庁優秀映画作品賞を受賞している。

     山崎まさよし主演で、劇中で “One more time, One more chance” が歌われる。


    月とキャベツ [DVD]

    映画「月とキャベツ」は

     映画「月とキャベツ」は、若い男女のひと夏のやりとりを描いた作品。

     主人公の花火(山崎まさよし)は、東京で人気のあるバンドのヴォーカルであったが、そのバンドが解散してから一年、新曲を作らず、都会から離れたところ(群馬)で古い家屋に一人で住んで畑でキャベツを作って暮らしていた。

     ある日、草原ばかりで人のいないところで花火が車を停めていると、土手で踊っている少女(真田麻垂美)がいた。

     そこで二人は知り合った。

    映画「月とキャベツ」の主題

     映画「月とキャベツ」は、新曲を作らなくなった主人公がどうするか、という話である。

     ヒバナという少女(真田麻垂美)とのやりとりがそのことに関わってくる。

      “One more time, One more chance” もそのことと関わっている。

    「月」と「キャベツ」とは?

     キャベツは、主人公の花火が育てる作物として出て来る。

     キャベツは、花火という人物を象徴している。

     それに対して月は、ヒバナという人物を象徴している。

     ヒバナという人物は、月によって象徴されるような人物ということができる。

    絵画

     映画「月とキャベツ」では、絵画的な表現に気が遣われている。

     地平線によって画面の上下が区切られて、下は草原、上は空という構図で、その草原の中で、白のノースリーブのワンピースの少女が細い手足を動かして踊っている、というのはこの映画の特徴的な映像である。

     特にヒバナという、白くほそい、透明感のある少女の表現に気が遣われている。

     まさに、夢のような少女。

    音楽

     映画「月とキャベツ」は、主人公がミュージシャンであって、新曲をどうするかという話である。

     そこでミュージシャンである山崎まさよしの歌が、物語の重要な要素となっている。

      “One more time, One more chance” も物語の重要な要素として出て来る。

     ただし “One more time, One more chance” は映画「月とキャベツ」のために作られたのではなく、映画「月とキャベツ」と関係なく作られていた。


    One more time, One more chance

     映画と関係なく作られていたにもかかわらず、 “One more time, One more chance” の歌詞は、映画「月とキャベツ」に合っている。

     踏み切りとか、桜木町とかは、映画「月とキャベツ」とは関係がない。

    「月とキャベツ」のDVD

     映画「月とキャベツ」はDVDが出ている。

     特典映像は、劇場予告と監督インタビュー。

     監督インタビューでは、篠原哲雄監督が、脚本を選んだいきさつ、出演者を選んだいきさつなどについて語っている。


    月とキャベツ [DVD]
  • 新海誠監督の映画「秒速5センチメートル」という難解な作品について考えてみる~第一話・第二話~

    新海誠監督の映画「秒速5センチメートル」という難解な作品について考えてみる~第一話・第二話~

     新海誠監督の映画「秒速5センチメートル」は難解な作品である。その難解なところについて考えてみる。

     ここでは、「第一話 桜花抄」、「第二話 コスモナウト」について考える。


    秒速5センチメートル [Blu-ray]

    第一話 桜花抄

    アバンタイトル

     桜の花が散る中で、ランドセルを背負った小学生の男の子と女の子が会話するところから映画は始まる。

     二人の恋愛感情が描かれるのではないか、と予測される。

     ところが二人の恋愛感情はほとんど描かれない。

     二人の心が近づくところではなく、遠ざかるところが描かれている。

    ・「秒速5センチメートル」云々という女の子の言葉に対して、男の子は距離を感じている。

    ・女の子が突然駆けだして、男の子から離れて行く。

    ・女の子は踏切を渡ったのに、男の子は追いつくことができず、二人の間を電車が通る。

    仲良くなったいきさつ

     その男の子と女の子が仲良くなったいきさつは、その男の子・遠野貴樹とおのたかきの独白と、断片的な映像によって伝えられる。

    ・二人は「精神的にどこかよく似ていた」という

    ・貴樹が東京のその小学校に転校してきた一年後、小学四年生の時に、その女の子・篠原明里しのはらあかりは同じクラスに転校してきたという

    ・貴樹も明里も病気がちで図書館が好きであったという

     それで二人は「ごく自然に仲良く」なったというのである。

     二人が仲良くなるところは描かれず、二人の持っていた条件と、仲良くなったという結果だけが伝えられるのである。

     しかしその条件があれば必ずその結果が生ずるわけではない。

     小学四年生では、男女は分かれていくと思われる。その中で男女で仲良くなることは、自然にあることではなく、緊張対立を伴う出来事として起こることではないか?

     恋愛を描く作品の第一に描くべきことではないかと思われる。

     ここでも恋愛が描かれていないのである。

     二人がどういう関係であるのか、互いに相手をどう思っているのかも、わかりにくい。

     新海誠監督はクラスと、クラスに馴染めない二人が対立していたように描いている。

     小説版では「クラスに馴染むことのできなかった」二人が、「ふたりだけの世界に内向していっている」と書いてある。(14~15頁)


    小説 秒速5センチメートル (角川文庫)

     クラスに対して「ふたりだけの世界に内向していっている」ところも、あまり描かれておらず、わかりにくい。

     漫画版では、映画の絵と言葉をもとにして、その間に言葉と表情を加えることによって、二人が仲良くなっていくところが描かれている。


    秒速5センチメートル(1) (アフタヌーンコミックス)

     漫画版を読むと、二人が仲良くなっていく気持ちが読者にもよく伝わる。

     新海誠監督が映画においてそういうことをしなかったことにはどういう意味があるのか?

    距離

     二人が一緒にいるところは、引きの絵で観客から遠くに描かれている。

     映画のはじめに二人が出て来るところなど、二人が隅に小さく描かれているので、見落としてしまいそうである。

     その後で小学生の二人が一緒にいるところが描かれるが、二人を遠くから見るかたちになっている。

     小説版では、はじめの桜の場面について次のように書かれている。

    古い記憶をたぐろうとする時、僕はあの頃の僕たちをフレームの外、すこし遠くから眺めている。

    「小説 秒速5センチメートル」、角川文庫、8頁

    小説 秒速5センチメートル (角川文庫)

     記憶をたぐる時に「すこし遠くから眺めている」ことを意識的に表現しているようである。

     幼い二人の気持ちが夢のようにぼんやりとしてわかりにくくなっていることは、そのことと関係があるようである。

    手紙

     貴樹と明里が小学校の卒業式で別れてから半年後、貴樹のもとに明里から手紙が来た。

     映画では、明里がその手紙を朗読する声と、貴樹の中学生活の映像が重ねられている。

    明里の意図

     明里の手紙に恋愛要素が少ないことが気になる。

     明里はその手紙において、近況を伝えるだけで、恋愛感情を伝えることもなく、そもそも何を伝えたいのか、よくわからない。

     小説版では次のように書かれている。

    僕と会えなくて寂しいというようなことは書かれていなかったし、文面からは彼女が新しい生活が新しい生活に順調に馴染んでいるようにも感じられた。でも、明里は間違いなく僕に会いたいと、話したいと、寂しいと思っているのだと、僕は感じた。そうでなければ、手紙なんて書くわけがないのだ。そしてそういう気持ちは、僕もまったく同じだったのだ。

    「小説 秒速5センチメートル」、21~22頁

    小説 秒速5センチメートル (角川文庫)

    ・明里の手紙には貴樹と「会えなくて寂しいというようなことは書かれていなかった」。

    ・ところが貴樹は明里の手紙を読んで、「明里は間違いなく僕に会いたいと、話したいと、寂しいと思っているのだ」と「感じた」。

    ・貴樹が明里の手紙に読み取った気持ちは貴樹の気持ちと「まったく同じ」であった。

     貴樹ではない観客からすると、文面に書かれていない明里の気持ちを「感じ」ることは容易ではないのではないか?

    貴樹の反応

     観客からすると、明里の手紙を読んだ貴樹の気持ちを読み取ることも、容易ではないことではないか?

     映画では、明里の手紙に対する貴樹の反応はほとんど描かれていない。

     手紙をめぐる二人の気持ちはほとんど描かれていないのである。

     貴樹は明里の手紙に対して返事を書いたはずであるが、そのこともほとんど描かれていない。

    ・はじめの夏の手紙

    ・「もうすっかり秋」の手紙

    ・「寒い日が続く」時の手紙

    ・貴樹の転校を知った時の手紙

    ・貴樹が会いに行くと約束した後の手紙

     以上の明里の手紙に対して貴樹はその都度返事を出しているはずであるが、貴樹が手紙を書こうとするところが少し描かれているだけで、貴樹の返事はほとんど描かれていない。

    会うこと

     貴樹が東京から種子島に転校することがきまって、ふたりは会うことにする。

     気になるところが多い。

    何故にそれまで会おうとしなかったのか?

     明里が初めて貴樹に手紙を出したのは、小学校の卒業式から半年後の夏である。

     それから三月まで、会う時間はあったと思われるのに、何故に会とうとしなかったのか?

     会おうと思えば会うことはできると考えて急がずにいて、突然遠く離れることになって会うことが重要になったということであろうか?

     しかし小説版では、貴樹は明里の手紙を読んで貴樹に会いたいという思いを読み取っている。そして貴樹も「まったく同じ気持ち」気持ちをもっていたと語っている。

     二人とも会いたいという気持ちをもっていたのに、三月まで会おうとしなかったことは奇妙である。

    距離

     たしかに種子島は、東京と比べると栃木からはるかに離れている。

     しかし中学一年生にとっては、東京と栃木も離れているのではないか、とも思う。

    ・貴樹は東京から栃木へどう行くか知らなかった。

    ・貴樹は明里の手紙を受け取って、会いたいという気持ちを知り、自分でも持っていたのに、その夏から次の三月まで栃木に行っていない。

    ・実際に栃木へ行く時には大変な苦労をしている。

    その約束の内容

     貴樹は3月4日の放課後に豪徳寺から電車に乗って明里の住む栃木県岩舟駅まで行くという計画を立てた。

     豪徳寺を16時前に出て、岩舟で19時に待ち合わせるという計画である。

     つっこみどころがある。

    ・休日に会うことにすれば、余裕をもって会うことができたのではないか?

    ・ふたりが動いて中間地点で会うことにすれば電車に乗る時間が短くなって、会う時間が長くなるのでは?

     小説版には次のように書かれている。

    時刻表を調べて、僕たちは夜七時に明里の家の近くの駅で待ち合わせることに決めた。その時間ならば僕が放課後の部活動をさぼって授業後すぐに出発すれば間に合うし、二時間ほど明里と話した後に、最終電車で都内の家まで帰ってくることができる。とにかくその日のうちに家に帰ることができるなら、親へのいいわけもなんとでもなる。

    「小説 秒速5センチメートル」、24頁

    小説 秒速5センチメートル (角川文庫)

     19時に待ち合わせして、21時まで話して、それから最終電車で24時少し前に豪徳寺に帰ってくる計画のようである。

     やはり無理をしているように見える。

     休日は空いていなかったということであろうか?

     そうだとしても、やはり二人が動いて中間地点で会うことはできたのではないか?

     明里の家の近くの桜の木が重要であることはわかるが、中間地点にある桜の木でもよかったのでは?

    電車

     明里に会いに行くために貴樹が乗った電車は、雪で動かなくなる。

     幸せが外からの力によって妨げられ、主人公はそれに対して耐え忍ぶ、というのは話として盛り上がる。

     恋愛ものとしても盛り上がるところである。

    出会い

     十一時すぎに貴樹が岩舟駅に着いてみると、明里が一人で待っていた。

     二人は駅で明里が持って来たものを食べた。そして、二人で明里の家の近くの桜の木を見に行った後、納屋で一泊した。


    栃木市6(岩舟) 201910 (ゼンリン住宅地図)
    現実離れ

     以上のことは、現実離れしている。

    ・明里の親は、中学一年生の娘が雪の日に朝まで帰って来ないのに探し回らなかったとは考えられない。(第三話で少し出て来るが、異常な人とは思えない)

    ・駅員も、雪の日に中学一年生の女の子が一人で十一時すぎまで座って待っているのをそのままにして置かないのではないか?

    ・雪の夜を納屋で明かすことは、悲惨なことになるのではないか?

     この夜のことは、美化されて現実離れしたことのように見える。

    桜の木

     明里が桜の木を前にして「まるで雪みたいじゃない?」というところは、その場での言葉としてはおかしいことである。

     明里は、映画冒頭のやりとりを貴樹に思い出させているにちがいない。

     映画冒頭では、貴樹は明里の言葉に貴樹はついていくことができなかった。

     この場面では、貴樹は明里の言葉についていくことができる。

     二人の心の中に同じ桜がある。現実にはない桜。

     この場面で、二人は互いに相手に対する気持ちを恋愛と自覚する。

     それに対して雪は、二人を遠ざける厳しい現実を現わしている。

    難解な言葉

     キスをした後の貴樹の独白は難解である。

     そのキスによって人生の最高のことを知ったというようなことはわかるが、その後に感じたという気持ちはわかりにくい。

     別れる時の明里の「貴樹くんはこの先も大丈夫だと思う」という言葉は、貴樹に大きな意味があったようであるが、私にはよくわからない。

    手紙

     貴樹は明里に会いに行く時に、明里に対して伝えたいことを書いたという手紙を持って行っている。

     小説版には「ラブレター」と書いてある。

    約束の日まではまだ二週間あったから、僕は時間をかけて明里に渡すための長い手紙を書いた。それは僕が生まれて初めて書いた、たぶん、ラブレターだった。自分が憧れている未来のこと、好きな本や音楽のこと、そして、明里が自分にとってどれほど大切な存在であるかを―それはまだ稚拙で幼い感情表現であったかもしれないけれど―なるべく正直に書き綴った。

    「小説 秒速5センチメートル」、24頁

    小説 秒速5センチメートル (角川文庫)

     その手紙は、貴樹が小山駅で電車を待っている時に、風に飛ばされてしまう。

     明里も手紙を書いていて、貴樹に渡さなかったということになっている。

     この手紙のことも、わかりにくい。

     手紙を渡すことは、会いに行くことと関係なくできることではないか?

     手紙で伝えたいことがあるならば、会う前に手紙で伝えればいいのではないか? それまで数カ月手紙をやりとりしている間に伝えることはできなかったのか?

     その前に会うことが必要だったのか?

     会うことがきまっているのであるから、伝えたいことは、会って直接に伝えればいいのではないか?

    第二話 コスモナウト

     はじめて第二話を観た時、第一話に出ていなかった澄田花苗という人物が主人公となっていたので、第一話と全く別の人物による別の話が始まったと思った。

     そして、澄田花苗な恋愛感情が話の中心となっているところは、恋愛ものとして第一話よりわかりやすいと思った。

     ところがその澄田花苗の恋愛感情が、第一話の主人公・遠野貴樹に向けられていることに気づいて、衝撃を受けた。

    もぞもぞ

     澄田花苗が第一話の主人公・遠野貴樹を卓越した人物とみて恋愛感情を寄せているところは、もぞもぞする。

     第一話でその内面を独白してきた人物を、そのように卓越した人物のように見なすことは、正しくないと思われる。

     そういう澄田花苗の独白が第二話の中心となっているので、もぞもぞするのである。

    第一話との関係

     第一話は遠野貴樹の独白によって導かれたのに、第二話は澄田花苗の独白によって導かれて、遠野貴樹は澄田花苗によって外からみられるというかたちで描かれていることは、奇妙である。

     第一話は遠野貴樹の内面を掘り下げるような話になっていた。ところが第二話では遠野貴樹は外からみられるというかたちで描かれて、その内面を掘り下げる方向に進まず、内面はわかりにくくなっている。

    ・草原で空のかなたを見つめているのは、どういうことか? 隣にいる女性は?

    ・メールの意味は?

    ・澄田花苗に対してどう考えているのか?

    ・現在何を考えているのか?

     一部独白があるが、わかりにくい。

    成長の話

     第二話は全体としての成長の話になっている。

    澄田花苗の成長

    ・澄田花苗は、遠野貴樹のことを思って、停滞していた。

    ・ところが、迷いがないと思い込んでいた遠野貴樹が「迷ってばかりなんだ」と言ったことを聞いて、自分も前に進んで行くことに決めた。

    ・そして遠野貴樹に愛を告白しようとしたが、その心が自分の方を向いていないことを知って、あきらめて前に進むことを決めた。

    ・ロケット―二人は同様に遠くを目指しているが、澄田は遠野を求めているのに、遠野は他を求めている。

    遠野貴樹の成長

     問題は遠野貴樹である。遠野貴樹は第二話で成長したのか?

     小説版では、第三話で過去を振り返るかたちで次のような独白がある。

    それは後悔に似た感情だったが、だからといって、当時の自分にはやはりあのように振る舞うことしかできなかったということも、彼には分かっていた。

    「小説 秒速5センチメートル」、139~140頁

    小説 秒速5センチメートル (角川文庫)

     「あのように振る舞うことしかできなかった」ということは、悪いことをしたのではなく、できるだけのことをしたということのようである。

     何故に「あのように振る舞うことしかできなかった」のか、わかりにくい。

     遠野貴樹はメールについて次のように語っている。

    それは彼にとって準備期間のようなものだった。ひとりで世界に出ていくための助走のようなもの。
     しかし次第に、メールの文面は誰に宛てたのでもない、漠然とした独り言のようなものへと変わっていき、やがてその癖も消えた。そのことに気づいた時、もう準備期間は終わったのだと彼は思った。

    「小説 秒速5センチメートル」、141~142頁

    小説 秒速5センチメートル (角川文庫)

     「準備期間」と言う意味で成長であったようである。

     これは映画を観ただけではわかりにくいところである。

    問題

     第二話の澄田花苗と遠野貴樹の関係は、澄田花苗による一方的なことのようにも見える。

     また澄田花苗の頭の中だけで起こっていることが多いようにも見える。

     しかし二人の関係は、客観的にみてただの知り合いを超えていたようである。

     遠野のクラスメイトが澄田のことを「遠野の彼女じゃん」とよんでいる。遠野は反対しているが、そう言われるような関係であった。(第一話では、黒板の落書きでからかわれて、クラスと二人が対立した。第二話では、一人の同級生に軽く言われて、軽く返している)

     二人はしばしば二人きりで言葉を交わし、二人きりで夕方、学校から帰った。―小説版には、「運の良い時は週に一回、運のない時は二週に一回くらいの割合で一緒に帰ることができる」とある。(72頁)

     客観的に二人はただの知り合いを超えて恋愛に近い関係になっていた。

     遠野貴樹もそのことを意識していた。そしてそのことに積極的な言動をしてもいた。―澄田に「一緒に帰らない?」と言う等。

     澄田が「優しくしないで」と言ったように、遠野は澄田に「優しく」していた。そしてそうしながら、澄田がそれ以上の関係を求めることを許さなかった。

     小説版には、遠野は澄田の気持ちをすべてわかっていたと書いてある。

    ~当時の自分にはやはりあのように振舞うことしかできなかったということも、彼には分かっていた。澄田が自分に惹かれた理由も、彼女が告白しようとした何度かの瞬間も。それを言わせなかった自分の気持ちも、打ち上げを見た時の一瞬の高揚の重なりも、その後の彼女の諦めも。すべてがくっきりと見えていて、それでもあの時の自分には何もできなかった。

    「小説 秒速5センチメートル」、139~140頁

     第二話の時に遠野貴樹には澄田花苗の気持ちのすべてがくっきりと見えていた、ということは、第二話は澄田の独白を中心としているが、それは遠野の内面でもあったということではないか。

    種子島

     第二話の舞台が種子島になったのは、ロケットを描きたいからではないか? とも思う。


    日本最大の宇宙基地―種子島宇宙センター (かごしま文庫)

     映画「秒速5センチメートル」で描かれる種子島では、高校生も教師も皆標準語でしゃべっている。

     種子島にも標準語でしゃべっている人はいるかもしれないが、高校生も教師も皆標準語でしゃべっていることはありえないのではないか?

     澄田花苗は、種子島で生まれ育って、大学で東京に行くことなど初めから考えていないという設定ではなかったか?

     このことも、この映画に現実離れした夢のような印象を与えている。

     ロケットの打ち上げの日時は前から知らされていて、関心のある人は打ち上げをみようと待っているものではなかったか?


    秒速5センチメートル [Blu-ray]
  • 新海誠監督の映画「秒速5センチメートル」

    新海誠監督の映画「秒速5センチメートル」

     新海誠監督の映画「秒速5センチメートル」は2007年に公開された作品。

     新海誠監督が後に作った映画「君の名は。」ほど多くの人に知られていないと思うが、多くの人に衝撃を与えた。


    秒速5センチメートル [Blu-ray]

    映画「秒速5センチメートル」の構成

     映画「秒速5センチメートル」は、3本の短編作品からなっている。

     新海誠監督は公式サイトで次のように語っている。

    「秒速5センチメートル」は、ひとりの少年を軸にして描かれる、独立した3本の作品からなる連作短編アニメーションです。

    「秒速5センチメートル」公式サイト 「新海誠監督 本作に寄せて」

    https://www.cwfilms.jp/5cm/

    ・それぞれ独立した3本の作品からなる。

    ・「ひとりの少年」=遠野とおの貴樹たかきという少年が3本の作品の「軸」とされている。

    第一話「桜花抄」

     遠野貴樹(声:水橋研二)という少年の小学校中学年から中学一年三月までの話。

     舞台は東京。

     同級生の篠原しのはら明里あかり(声:近藤好美)という少女とのことが描かれている。

    第二話「コスモナウト」

     遠野貴樹(声:水橋研二)の高校三年生の時の話。

     舞台は種子島。

     同じ学年の澄田すみだ花苗かなえ(声:花村怜美)という少女とのことが描かれている。

    第三話「秒速5センチメートル」

     遠野貴樹(声:水橋研二)が社会人の時の話。

     舞台は東京。

     大人になった明里(声:尾上綾華)が出て来る。

    年代

     新海誠監督は映画で描かれる時代について次のように語っている。

    時代は1990年代前半から現代までの日本。

    「秒速5センチメートル」公式サイト 「新海誠監督 本作に寄せて」

    https://www.cwfilms.jp/5cm/director/

     第一話「桜花抄」は1990年代前半で、第三話は現代、すなわち映画が公開された2007年ということのようである。

    映画「秒速5センチメートル」の特徴

    背景

     新海誠監督の他の作品でもそうであるが、映画「秒速5センチメートル」も、背景の絵に力が注がれている。

     桜の花の散る美麗な絵をはじめとして、電車など、現実の風景をもとにした美しい絵が描かれている。

     新海誠監督はそのことに関して次のように語っている。

    徹底したロケハンを行い、今この現実をアニメーション表現の中にすくい取ろうと試みています。

    「秒速5センチメートル」公式サイト 「新海誠監督 本作に寄せて」

    https://www.cwfilms.jp/5cm/director/

    ・「徹底したロケハン」というように現実をもとにしている。

    ・しかしまた「見慣れた風景がいつもより輝いて見えるよう」にも描かれている。

    キャラクター

     背景の絵に力が注がれているのと比べると、人物の絵にはそれほどの力は注がれていないように見える。

     他のアニメでは、人物の絵の魅力によって観客を引っぱるということがあるが、映画「秒速5センチメートル」ではそういうことはない。

     絵だけではなく、全体として、映画「秒速5センチメートル」の登場人物の個性は、観客に特に強い印象を与えない。

    動き

     映画「秒速5センチメートル」では、人物の動きは少なく、背景がゆっくりと動くことが多い。

     他のアニメで人物の動きに力を入れた作品が多いことと対照的である。

    題材

     映画「秒速5センチメートル」に動きが少ないことは、題材と関係がある。

    我々の日常には波瀾(はらん)に満ちたドラマも劇的な変節も突然の天啓もほとんどありませんが、それでも結局のところ、世界は生き続けるに足る滋味や美しさをそこここに湛(たた)えています。

    「秒速5センチメートル」公式サイト 「新海誠監督 本作に寄せて」

    https://www.cwfilms.jp/5cm/director/

     映画「秒速5センチメートル」は「波瀾(はらん)に満ちたドラマも劇的な変節も突然の天啓もほとんど」ないという「我々の日常」を描いた作品である。

    独白

     映画「秒速5センチメートル」では、独白が多用されている。

     独白は、映像において描かれる人物の動き、やりとりの位相と違う位相にある。

    音楽

     映画「秒速5センチメートル」は全編にわたって天門氏による繊細な感じの音楽が流れている。

     人物の声、物の音なども、新海誠監督が気を遣っていることがわかる。

     そして、山崎まさよし氏の “One more time, One more chance” 。


    One more time, One more chance

     『秒速5センチメートル』 Special Edition。


    One more time,One more chance「秒速5センチメートル」Special Edition

    DVD、Blu-ray等

    Blu-ray

     映画「秒速5センチメートル」の見どころは映像美である。

    インターナショナル版Blu-ray

     英語の音声、日本語/英語/韓国語/中国語/タイ語/インドネシア語/イタリア語/スペイン語/ドイツ語/ポルトガル語/アラビア語の字幕が入っている。


    秒速5センチメートル Blu-ray インターナショナル版

     特典映像は次の通り。

    ・『監督インタビュー』(英語字幕あり)

    ・『ほしのこえ』(英語字幕あり)

    ・『彼女と彼女の猫』(5分Ver.)(英語字幕あり)

    DVD通常版

     特典映像として監督インタビューが入っている。Blu-rayには入っていない。


    秒速5センチメートル 通常版 [DVD]

    DVD特別限定生産版

     通常版に特典DVD、オリジナルサウンドトラックCDがついたかたち。


    秒速5センチメートル 特別限定生産版 DVD-BOX

     特典DVDの内容は次の通り。

    ・動画コンテ:約63分

    ・第一話「桜花抄」Yahoo! JAPAN先行配信バージョン:約29分

    ・「One more time, One more chance」PV

    ・「秒速5センチメートル」スペシャルエディション版:約6分

    ・キャストインタビュー:約36分(水橋研二、近藤好美、花村怜美、尾上綾華)

    ・制作の軌跡フォトムービー:約5分

    「小説 秒速5センチメートル」

     「小説 秒速5センチメートル」は、映画「秒速5センチメートル」が公開されたころから新海誠監督が書いた小説。

     映画「秒速5センチメートル」を作った新海誠監督自身が書いた小説は、「秒速5センチメートル」という作品を理解するために重要。


    小説 秒速5センチメートル (角川文庫)

    漫画「秒速5センチメートル」

     映画「秒速5センチメートル」も「小説 秒速5センチメートル」も新海誠監督の作品である。

     それに対して漫画「秒速5センチメートル」は、漫画家清家雪子先生が映画「秒速5センチメートル」、「小説 秒速5センチメートル」を踏まえてその隙間を補うなどした作品。

     全2巻。


    秒速5センチメートル(1) (アフタヌーンコミックス)

     第2巻。


    秒速5センチメートル(2) (アフタヌーンコミックス)

     「秒速5センチメートル」はキャラクターの力の強くない作品であるが、それにもかかわらず、メディアミックスが行われている。小池一夫。

    「秒速5センチメートル」の難解なところの考察

     「秒速5センチメートル」は難解な作品だと私は思う。

     「第一話 桜花抄」、「第二話 コスモナウト」について考えてみた。

  • 映画「ボブ&キャロル&テッド&アリス」 ヒッピー文化を扱った恋愛喜劇

    映画「ボブ&キャロル&テッド&アリス」 ヒッピー文化を扱った恋愛喜劇

     映画「ボブ&キャロル&テッド&アリス」(原題は “BOB & CAROL & TED & ALICE” )は1969年に公開された映画。

     それまで建前を重んじていた夫婦が、本音を重んずる思想を取り入れたことによって起こる珍事を描く。


    ボブ&キャロル&テッド&アリス [DVD]

     音楽はクインシー・ジョーンズ。


    Bob & Carol & Ted & Alice (Main Title)

    映画「ボブ&キャロル&テッド&アリス」のあらすじ

     ドキュメンタリー・フィルム作家のボブ(ロバート・カルプ)は妻のキャロル(ナタリー・ウッド)とともにある週末、山奥の施設の取材に行った。

     そこでは、暴力は禁止され、互いに自分の気持ちを正直に相手に伝えることを尊重することが教えられていた。

     ボブとキャロルはその教えに感動して、家に帰った。

     夫婦の片方が浮気をしても、そのことを正直に言って、相手もそのことを理解するようになった。

     その夫婦と親しいテッド(エドマンド・グールド)とアリス(ダイアン・キャノン)の夫婦はそういう教えを受け入れた人ではなかった。

     ところがボブとキャロルが新たな思想をもって接してくる…。

    山奥の施設

     はじめに夫婦が訪れる山奥の施設は、1960年代に流行したエサレン研究所(Esalen Institute)をもとにしているようである。

     都会から離れた施設で、それまでの都会生活とは異なる生活様式を知るということは、同じ時代のピーター・フォンダ主演作品と共通している。

    「白昼の幻想」

     「白昼の幻想」(”The Trip”、1967年)でピーター・フォンダの演ずる主人公が「白昼の幻想」をみるところ。

     薬が出て来ることも「ボブ&キャロル&テッド&アリス」と似ている。


    白昼の幻想 [DVD]

    「イージー・ライダー」

     「イージー・ライダー」(”Easy Rider”、1969年)では、都会から離れたところにつくられていた共同体が描かれている。

     薬だけでなく、男女が裸でいること(いつもではない)も「ボブ&キャロル&テッド&アリス」と似ている。


    『イージー・ライダー』45周年記念BOX “バイク”ミニチュアレプリカ付き(初回限定版) [Blu-ray]

    新たな思想とそれまでの思想

     登場人物が、自分の気持ちを正直に相手に伝えることを重んずる思想を実行しているところは、映画としてみていて面白い。

     その新たな思想と、それまでの思想との対立が生ずる。

     ボブとキャロルがその新たな思想を受け入れても、まわりの人は受け入れておらず、笑ったり、反発したりする。

     その新たな思想を受け入れた人の中でも、反対の感情が生ずることがある。

     観客の中でも、その新たな思想とそれまでの思想との対立はある。

    映画「ボブ&キャロル&テッド&アリス」のDVD

     映画「ボブ&キャロル&テッド&アリス」はDVD化されている。


    ボブ&キャロル&テッド&アリス [DVD]
  • 映画「土曜は貴方に」 フレッド・アステアとヴェラ・エレンの共演

    映画「土曜は貴方に」 フレッド・アステアとヴェラ・エレンの共演

     「土曜は貴方に」(原題は “Three Little Words” )は1950年に公開されたミュージカル映画。

     「フーズ・ソーリー・ナウ」(”Who’s Sorry Now” )などの名曲で有名な作詞家バート・カルマ―と作曲家ハリー・ルビーのコンビの伝記。


    土曜は貴方に [DVD]

    映画「土曜は貴方に」のあらすじ

     バート・カルマ―(フレッド・アステア)は、売れっ子の作詞家であり、ダンサーであって、ジェシー(ヴェラ・エレン)とともにダンスを踊って喝采を浴びていた。

     ところがある日、バートは脚を悪くして踊ることができなくなった。

     バートは踊りをやめてジェシーと離れて、作詞に専念することになった。そこに現れたのが作曲家ハリー・ルビーであった。

    映画「土曜は貴方に」のみどころ

     作詞家、作曲家の伝記のミュージカル映画のみどころは、その作詞家、作曲家の作った名曲を歌う、演奏する、踊るところにある。


    My Sunny Tennessee / So Long! Oo-Long (How Long You Gonna Be Gone?)

    ダンス

     映画「土曜は貴方に」の第一のみどころは、フレッド・アステアとヴェラ・エレンのダンス。

     この映画でフレッド・アステアの相手役を務めるヴェラ・エレン(Vera-Ellen)は非常にダンスのうまい人で、見ごたえがある。

    “Where Did You Get That Girl?”

     まず二人が同じ格好で踊る “Where Did You Get That Girl?” 。

     ヴェラ・エレンもフレッド・アステアと同じようにップハット、白の蝶ネクタイ、燕尾服の姿で出て来る。

     そして私に彼女がいたら…と歌う。

     息の合ったダンス。

    家庭でのタップダンサー夫婦 “Mr. and Mrs. Hoofer at Home”

     夫婦生活をタップダンスで表現したもので、面白い。

     黄緑を使った色も鮮やか。

    Warner Archive
    Mr. and Mrs. Hoofer At Home | Three Little Words | Warner Archive

    “Nevertheless”

     二人が再会して、ルビー(レッド・スケルトン)の伴奏で踊る。

    “Thinking of You”

     船旅で夜、ハリー・ルビー(レッド・スケルトン)がピアノで演奏する”Thinking of You”に乗って、フレッド・アステアがヴェラ・エレンと踊るのはフレッド・アステアのお得意のロマンティックなダンス。

     広い空間を使って美しいダンスが繰り広げ

    その他

     夜の舞台でフレッド・アステアが一人で踊るところも見どころ。

     ヴェラ・エレンが多くの男性とともに踊るところも見どころ。

    楽曲

     ダンス以外でも、バート・カルマ―とハリー・ルビーの楽曲は生かされている。

    「フーズ・ソリー・ナウ」( “Who’s Sorry Now” )

     「フーズ・ソリー・ナウ」( “Who’s Sorry Now” )は、バート・カルマ―とハリー・ルビーのコンビの名作。

     グロリア・デヘブン(Gloria DeHaven)が自身の母を演じて歌っている。

     この映画の後、1957年にコニー・フランシスが歌って大ヒットしたことでも有名。

     1958年のアルバムのリマスター版↓


    Who’s Sorry Now

    「あなたに愛されたいのに」( “I Wanna Be Loved by You” )

     ヘレン・ケインの「ブブッピドゥー」(”Boop-boop-a-doop”)で有名になった。

     「雨に唄えば」に出演する前のデビー・レイノルズが演じている。(歌はヘレン・ケイン本人)

    「さよならウーロン」(”So Long Oolong”)

     日本の歌(Japanese song)ということで「さよならウーロン」(”So Long Oolong”)という楽曲が出て来る。

     長崎のミントイという日本娘がウーロンという男と別れるという、日本人は混乱させられる歌。

    思うところ

     映画「土曜は貴方に」は、バート・カルマ―とハリー・ルビーの名曲が揃っていて、フレッド・アステアとヴェラ・エレンのダンスも見どころが多くて、よくできたミュージカル映画である。

     しかし構造に問題があるということもできる。

     フレッド・アステアが主役のミュージカル映画では、フレッド・アステアのダンスがクライマックスになる。

     ところが映画「土曜は貴方に」は作曲家と作詞家のコンビの話であって、そのコンビが作る楽曲がクライマックスになっている。

     フレッド・アステアの演ずる人物が、映画が始まって間もなく踊ることができない体になるということも、フレッド・アステアのミュージカル映画としては異様。(その後に踊ることができるようになるが)

     フレッド・アステアはそれまでフレッド・アステアのために作られた役を演ずることが多かったが、この映画ではバート・カルマ―というフレッド・アステアより少し年上の人物を演じている。

     映画「ワーズ・アンド・ミュージック」(1948年)でミッキー・ルーニーがロレンツ・ハートを演じたようなものであろうか。

     バート・カルマ―はこの映画の前、1947年に亡くなっている。

    映画「土曜は貴方に」のDVD


    土曜は貴方に [DVD]