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  • 統一教会の名称変更にについて

    統一教会の名称変更にについて

     統一教会は2015年に名称を変更したが、全国霊感商法対策弁護士連絡会は早くから名称が変更されると被害が拡大するとして、繰り返し反対してきた。

     その主張に気になるところがあるので書いてみる。

    申入書

     2015年3月26日に、全国霊感商法対策弁護士連絡会は文科大臣、文化庁長官、宗務課担当課長宛てに統一教会の名称変更に反対する申入書を出した。

    名称

     この申入書をみて、まず第一文にびっくりした。

     統一教会は、本年2月の責任役員会議で「世界基督教統一神霊教会」から「世界平和統一家庭連合」に変更するとの決定をしたとのことです。

    申入書(統一教会の名称変更申請について)

     「世界基督教統一神霊会」ではなくて「世界基督教統一神霊会」ではなかったのか?

     そうだとすると、名称変更を問題とする文書の第一文で、その問題としている名称を書き間違えるというおかしなことが起こっていることになる。

     「世界基督教統一神霊教会」でも正しいのであろうか?

    名称変更の目的

     弁護士連絡会は、統一教会が名称変更する目的を次のように断定して、反対している。

    この名称変更は、これまでの組織的違法行為による悪評が日本社会に広く浸透していることから、名称変更して新たな被害者を獲得するとともに、被害回復請求を抑制する目的で行うものであり、このような名称変更を認証しないよう申し入れます。

    申入書(統一教会の名称変更申請について)

     どうして2015年に名称変更を求めたかということについては、韓国の幹部が日本統一教会に年間300億円余の献金を指示したが、「統一教会と判っただけで多くの市民が離れていくために、名称を変更することで、最後まで正体を隠した資金そして人材獲得を達成しようとしている」と説明している。

     相当の根拠があって言っていると思うが、推測に過ぎないのではないかとも思う。

     まず「世界平和統一家庭連合」自らの説明を読んでみよう。

    1954年に設立されたときは「世界基督教統一神霊協会(統一教会)」という名前でした。当法人の創設者である文鮮明師は1997年4月8日、「世界基督統一神霊協会」の名称を「世界平和統一家庭連合」に変更すると明かされ、その意義として、以下のように語られました。 「長子権復帰、父母権復帰を完成したので、キリスト教統一だけでなく、世界統一時代へと越えていくのです。それで今日から名称が統一教会の名を替えて、世界平和統一家庭連合を1997年4月10日付で使用しなければなりません」「家庭の救いを通した、神様を中心とした世界平和統一家庭文化運動に転換します」 このような文師のみ言に基づき、すでに1997年5月19日以降、世界の教会では、「世界平和統一家庭連合」に名称変更を完了していましたが、日本では遅れて、2015年8月27日に名称を変更いたしました。

    世界平和統一家庭連合公式サイト Q&A

    ・名称変更は1997年の考えであった。

    ・1997年には「世界の教会では、「世界平和統一家庭連合」に名称変更を完了して」いた。

     こういう事情から考えると、名称変更を2015年の一時的な考えときめつけることには違和感がある。

     インターネットで誰でも見ることのできる公式サイトに統一教会との関係が明確に書かれていることを見ると、統一教会との関係を隠そうとしているようには見えない。

     全国霊感商法対策弁護士連絡会は申入書で次のように語っている。

    そもそも「世界平和統一家庭連合」なる名称は文鮮明の10年余前の思いつきのようですが、これが宗教団体であることさえ一般の人には判らないような名称であり、この団体名を名乗って被害者が宗教の勧誘であることに気付かないように仕組んでいるのです。

    申入書(統一教会の名称変更申請について)

     全国霊感商法対策弁護士連絡会は「この団体名を名乗って被害者が宗教の勧誘であることに気付かないように仕組んでいる」ということを問題としているが、下の記事で論じたように、統一教会がそれまでに正体を隠して活動していたこととあまり変わらないのではないか?

    現状認識

     申入書では、統一教会は「新たな被害者を獲得する」ために名称変更を求めたときめつけているが、そのことは「これまでの組織的違法行為による悪評が日本社会に広く浸透している」ことを前提としている。

     その「これまでの組織的違法行為による悪評が日本社会に広く浸透している」というところが気になる。

    統一教会による組織的反社会的違法行為の実情は、日本社会において広く知られるところとなり、霊感商法やビデオセンターによる勧誘等への一般市民の警戒意識はかなり浸透したと言えます。
     とりわけ、統一教会信者らによる霊感商法の手口による物品販売活動について、特定商取引法違反、薬事法違反、各種条例違反等による刑事摘発が相次いでなされたことなどにより、新たな被害発生はかなり抑止できているかと思います。

    申入書(統一教会の名称変更申請について)

     ここでも「統一教会による組織的反社会的違法行為の実情は、日本社会において広く知られるところとなり、霊感商法やビデオセンターによる勧誘等への一般市民の警戒意識はかなり浸透した」ことによって「新たな被害発生はかなり抑止できている」と語っている。

     しかし統一教会の問題が広く知られていたゆえに「新たな被害発生はかなり抑止できている」ということには違和感がある。

     2022年7月に安倍晋三元首相が銃撃された後に、マスメディアが連日統一教会のことを取り上げたことによって「日本社会において広く知られるところ」となったが、それまではそれほど知られていなかったのではないか?

     1990年代にもマスメディアが盛んに取り上げていたことがあったが、そういうことがない時にはそれほど「広く知られる」ことはなかったのではないか?

     「新たな被害発生はかなり抑止できている」ようになったのは、他のことによってではないか?

     たとえば「統一教会信者らによる霊感商法の手口による物品販売活動について、特定商取引法違反、薬事法違反、各種条例違反等による刑事摘発が相次いでなされたこと」ということにもよるかもしれない。

     次に気になること。

     2015年に名称変更が認められて、どうなったのか?

     全国霊感商法対策弁護士連絡会は、統一教会の名称変更を認めると被害が拡大するとして、反対していたが、その主張は正しかったのか?

     紀藤氏は「非なる”世界平和統一家庭連合”への名称変更を認めてしまった。その結果が今です。」と言っている。

     「今」どうなっているのか?

     名称変更による被害が数多く報告されているのか?

     紀藤氏が「今」というのは、紀藤氏のこれまでの発言から考えると、安倍氏が銃撃されたことを言っているのではないかとも思う。

     参照↓

     しかし上の記事でも論じたが、名称変更を認証したゆえに安倍氏が銃撃されたということは私には理解できない。

    https://stopreikan.com/kogi_moshiire/bunka_syumu/18_2017.8.4moushiire.pdf

    抗議文

     2015年名称変更申請認証に反対する全国霊感商法対策弁護士連絡会の抗議文では、名称変更に反対する理由として資料を三つ挙げた上で次のように語っている。

    このように名称変更前においてさえ、統一教会はその正体を隠して勧誘活動を「伝道」と称して行ってきたのです。

    抗議文(統一教会の名称変更申請の認証について)

     そして、次のように語っている。

    「統一教会」と「世界平和統一家庭連合」が、同一組織であることを知っている一般市民は皆無です。今回の名称変更のために、特定宗教団体であることさえ判らない表示で勧誘がなされるようになることが正当化されるので、これまで以上に被害が拡大することが憂慮されるのは当然のことです。

    抗議文(統一教会の名称変更申請の認証について)

     名称変更によって被害が拡大することについて語っている。

     しかし「名称変更前においてさえ、統一教会はその正体を隠して勧誘活動を「伝道」と称して行ってきた」上に「特定宗教団体であることさえ判らない表示で勧誘がなされるようになること」ことが加わっても、事態はあまり変わらないのではないか?

  • 紀藤正樹弁護士に対する疑問 統一教会の名称変更の資料について

    紀藤正樹弁護士に対する疑問 統一教会の名称変更の資料について

     紀藤正樹弁護士は、安倍晋三元首相が銃撃された後、早くからテレビで、Twitterで、統一教会の名称変更の問題を取り上げてきた。

     その紀藤氏がフジテレビの報道をとりあげて、「名称変更がいかに罪作りかを明らかにする資料として重要」だと語った。

     しかしその報道は「名称変更がいかに罪作りかを明らかにする資料」として役に立たないのではないかと思われる。

    紀藤氏が取り上げた動画

     紀藤氏がその動画を取り上げたツイート↓

     紀藤氏が引用した動画↓

    MasakiKito Official 弁護士紀藤正樹の公式チャンネル 2022/08/04
    統一教会の伝道の実態 「真夜中の事件簿」 2019年8月10日(土)『ディープな現場を直撃スクープ!』(フジテレビ)より一部抜粋

     この動画は、統一教会の伝道の「実態」を撮影したものである。

     紀藤氏はこの報道は「名称変更がいかに罪作りか」を明らかにするとか、「名称変更が宗教性の秘匿や正体を隠した伝道にいかにお墨付きを与えたか」がわかるとか語っている。

     しかしそういうことはこの動画ではわからない。

    勧誘のやり方

     統一教会の勧誘のやり方は、次のようなかたちになっている。

    ・統一教会であること、宗教であることを明かさずに、相手を勉強会に誘う。

    ・その勉強会で統一教会に入ることをもとめる。

     上の動画をみてもそのことはわかる。

    紀藤弁護士の主張の問題点

     上の動画で撮影されているのは、相手を勉強会に誘うまでである。

     紀藤氏の主張の問題点はそこにある。

     相手を勉強会に誘うまでの段階では名称変更はほとんど関係ないのである。

     その段階では、名称変更前には、統一教会であること、宗教であることを明かさずに勧誘していた。

     名称変更後には、家庭連合であること、旧統一教会であることを言わずに、あるいは言って勧誘しているようである。

     いずれの場合でも、統一教会であること、宗教であることを言わない場合は同じことになる。

     家庭連合と自ら名乗る場合、紀藤氏は「仮に家庭連合と言われても宗教性って理解できない」というが、そのことは、名称変更前に統一教会であること、宗教であることを言わないことと変わらない。

     また「仮に家庭連合と言われても宗教性って理解できない」のは、浸透していないからであるということもできる。

     さて、勉強会で統一教会に入ることをもとめる段階では、名称変更前には自身を統一教会として明かしたが、名称変更後には家庭連合として明かすことになる。

     そこで違うことはあるかもしれない。

     しかし家庭連合でも創始者文鮮明との関係などについて語られるとすると、あまり変わらないのではないかとも思われる。

    まとめ

     統一教会が名称を変更したことによって被害が生ずるところはあるかもしれない。

     いずれにせよ、紀藤氏がそのことを「明らかにする資料として重要」だとして引用した動画ではわからない。

     紀藤氏等は名称変更によって被害が拡大するとして反対してきたのであるが、被害がどういう状況で生ずるか、理解しているのであろうか?

  • フレッド・アステアの映画「ベル・オブ・ニューヨーク」

    フレッド・アステアの映画「ベル・オブ・ニューヨーク」

     「ベル・オブ・ニューヨーク」( “The Belle of New York” )は1952年に公開されたフレッド・アステア主演のミュージカル映画。

     ダンスのうまいヴェラ・エレンを相手役として、またソロでフレッド・アステアが踊るところをみることができる。

     監督はチャールズ・ウォルターズ。

     作曲ハリー・ウォーレン、作詞ジョニー・マーサー。


    ベル・オブ・ニューヨーク [DVD]

    「ベル・オブ・ニューヨーク」のあらすじ

     1910年代が舞台。

     フレッド・アステアは金持ちの家のプレイボーイの役。

     たまたま救世軍の女性(ヴェラ・エレン)に出会って惚れ込んで近づこうとするが、まじめに働くことをもとめられる。

    フレッド・アステアの思い入れ

     フレッド・アステアはこの映画に対する強い思い入れを述べている。―「ヴェラ・エレンという良いダンサーを相手役として、最高のダンスナンバーができた。~「ベル・オブ・ニューヨーク」は私の好きな映画だ」

    As my partner I had a girl who was a good dancer, Vera-Ellen. And some of the best dance numbers you could ever get. ~ The Bell of New York was one of my favorite films.

    “MGM’s Greatest Musicals” p.366

    M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

     ヴェラ・エレンは当時傑出したダンサーであった。

     そのヴェラ・エレンを相手役として、フレッド・アステアはこの映画のダンスを作ったが、そのダンスは最高のものになったというのである。

    「ベル・オブ・ニューヨーク」の楽曲

     作曲ハリー・ウォーレン、作詞ジョニー・マーサー。

    “When I’m Out With the Belle of New York”

     町の男たちがヴェラ・エレンに歌いかける歌。

    “Seeing’s Believing”

     フレッド・アステアはこの前の映画「恋愛準決勝戦」で重力に挑戦するダンスをやったが、「ベル・オブ・ニューヨーク」でも違うかたちで重力に挑戦するダンスをやっている。

    “Baby Doll”

     キリストの教えを説くヴェラ・エレンを、フレッド・アステアが口説こうとするところがダンスで表現される。

    “Oops!”

     街路を歩くヴェラ・エレンに、馬車からフレッド・アステアが声をかけて、馬車を使った二人のダンスとなる。

     「トップ・ハット」で馬車の御者に扮したフレッド・アステアがジンジャー・ロジャーズに語り掛けるところが思い出される。

    “Naughty but Nice”

     ヴェラ・エレンが悪女の振りをして踊る。

     ドレスの色彩が鮮やか。

    “I Wanna Be a Dancin’ Man”

     フレッド・アステアが舞台で一人で砂を撒いてその上で踊る。

     フレッド・アステアの重要なダンス。

     「トップ・ハット」での砂の上の踊りが思い出される。

    季節に合わせたダンス

     カリヤー・アンド・アイヴズ( Currier and Ives)風の四季の背景、衣装でフレッド・アステアとヴェラ・エレンが踊るところが見どころ。

     秋の背景でヴェラ・エレンが歌うところから始まる。

     春は緑の背景の中、黄色が印象的な衣装でバドミントンからのダンスでブランコを使う。

     冬はアイススケートで踊る。

     夏は超絶技巧のタップダンス。

    原作

     映画「ベル・オブ・ニューヨーク」は1897年のブロードウェイ・ミュージカル「ベル・オブ・ニューヨーク」をもとにしている。

    「ベル・オブ・ニューヨーク」のDVD

     「ベル・オブ・ニューヨーク」のDVD。


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  • ジーン・ケリーのミュージカル映画におけるバレエ

    ジーン・ケリーのミュージカル映画におけるバレエ

     ジーン・ケリー( Gene Kelly )は様々な業績を残した人であるが、アメリカのミュージカル映画にバレエを取り入れて成功させたことは、その中でも歴史的に重要なことである。

    アメリカのミュージカルの歴史とバレエ

    ブロードウェイのリチャード・ロジャース劇場

     タップダンスが主流であったアメリカのミュージカルにバレエが重要な要素として取り入れられるようになったのは、

    「オン・ユア・トーズ」(1936年)―ロレンツ・ハート作詞、リチャード・ロジャース作曲。

    「オクラホマ!」(1943年)―オスカー・ハマースタイン二世作詞、リチャード・ロジャース作曲。

     のような画期的なブロードウェイ・ミュージカルによる。

     ただしミュージカル映画にバレエが取り入れられたのは、それより後になった。

     「オン・ユア・トーズ」はもともとフレッド・アステア主演の映画のために作られたが、フレッド・アステアが断ったので、ブロードウェイで他の人でやったのであった。

     「オクラホマ!」は1943年にブロードウェイで開幕して大ヒットしたが、映画化されたのは1955年であった。

     ミュージカル映画にバレエを取り入れる機会はまずフレッド・アステアにやってきた。

     しかしフレッド・アステアより後に出て来たジーン・ケリーによって行われることになった。

    ジーン・ケリーの映画におけるバレエ

     ジーン・ケリーは1940年開幕のブロードウェイ・ミュージカル「パル・ジョイ」( “Pal Joey” 、ロレンツ・ハート作詞、リチャード・ロジャース作曲)で有名になった。

     映画デビューは1942年の「フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル」( “For Me and My Gal” )。ジュディ・ガーランドの相手役であった。


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     ジーン・ケリーが映画で有名になったのは1944年の「カバー・ガール」( “Cover Girl” )。


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     地位が上がるとともに、自分の意見を映画に入れていった。そしてバレエを取り入れていった。

     ジーン・ケリーは早くからタップダンスにもバレエにも力を入れていた。

    「踊る海賊」

     1948年に公開された「踊る海賊」( “The Pirate” )でジーン・ケリーは「海賊」バレエをやった。


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     ジーン・ケリーの演ずる人物が終盤に追い詰められたところで事態をひっくり返すためにやるのである。

    ワーズ&ミュージック

     「踊る海賊」と同じ年、1948年12月に公開された映画「ワーズ&ミュージック」( “Words and Music” )でもジーン・ケリーはバレエをやっている。


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     「ワーズ&ミュージック」は、「オン・ユア・トーズ」( “On Your Toes” )の作者リチャード・ロジャースとロレンツ・ハートの伝記映画。

     リチャード・ロジャースとロレンツ・ハートの伝記の中に二人が作った楽曲、ミュージカルが差し込まれるというかたちになっていて、その中に「オン・ユア・トーズ」のナンバーも再現されている。

     ジーン・ケリーは映画の終盤で「オン・ユア・トーズ」の劇中のバレエ「十番街の殺人」(”Slaughter on 10th Avenue”)をヴェラ・エレンその他とともに再現している。

     「オン・ユア・トーズ」はもともとフレッド・アステアの映画のために作られたが、フレッド・アステアがことわったものであった。それを映画「ワーズ&ミュージック」でジーン・ケリーがやったわけである。

     フレッド・アステアはジーン・ケリーより前にミュージカル映画にバレエを取り入れる機会があったが、その方向に進まないのに対して、後から来たジーン・ケリーがその方向を進めていく。

    「踊る大紐育」

     1949年12月に公開された映画「踊る大紐育」( “On the Town” )にもバレエが取り入れられている。


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     映画の終盤に、孤独になったジーン・ケリーの演ずる人物が、「ニューヨークでの一日」(”A Day in New York”)という芝居の看板をみて、一日を振り返るところで、その頭の中にあることがバレエによって表現されている。

     このように主人公の頭の中にあることがバレエによって表現されていることは、「オクラホマ!」の影響と思われる。

     ジーン・ケリーの相手役は「ワーズ&ミュージック」の「十番街の殺人」と同じくヴェラ・エレン。

     ヴェラ・エレンは映画のはじめにもバレエをやっている。―ジーン・ケリーの演ずる人物等がヴェラ・エレンの演ずる人物はどういう人物か想像するところ。

    「巴里のアメリカ人」

     1951年に公開された映画「巴里のアメリカ人」(”An American in Paris” )は、ジーン・ケリーがバレエを取り入れた映画の中でも特筆すべき作品。


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     「巴里のアメリカ人」でジーン・ケリーの相手役をやったレスリー・キャロンは、ジーン・ケリーがフランスで見出したバレエダンサーであった。

     まずレスリー・キャロンの演ずる人物はどういう人物であるか想像するというところで、「踊る大紐育」でやっていたのと似たバレエがある。

     そして終盤には、ジーン・ケリーの演ずる人物がレスリー・キャロンの演ずる人物との関係について考えることが大がかりなバレエによって表現されている。

     主人公の頭の中にあることをバレエで表現することは「オクラホマ!」の影響と考えられる。

     ジョージ・ガーシュウィンの楽曲「巴里のアメリカ人」、ジーン・ケリーとレスリー・キャロン、そしてその他多くの人による大がかりなバレエ、フランスの印象派の画家の絵をもとにした背景美術が相まって、大変なものになっている。

    「雨に唄えば」

     1952年に公開された映画「雨に唄えば」( “Singin’ in the Rain” )にもバレエがある。―「ブロードウェイ・バレエ」である。


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     ブロードウェイでの成功を目指す若者(ジーン・ケリー)が、魔性の女性(シド・チャリース)と出会うというもの。

     ジーン・ケリーの演ずる人物が提案する映画の企画として出て来るのであるが、「雨に唄えば」の本筋とはあまり関係ない。

    「ブリガドーン」

     1954年に公開された映画「ブリガドーン」( “Brigadoon” )は1947年にヒットしたブロードウェイ・ミュージカル「ブリガドーン」の映画版。


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    「ダンスへの招待」

     1956年に公開された映画「ダンスへの招待」( “Invitation To the Dance” )は、ジーン・ケリーが監督した映画。

     会話はなく、登場人物はダンスと身振りだけで表現するというもの。

     ジーン・ケリーはこの映画によって観客をダンスに関して啓蒙したいと考えていたようである。

     興行的には失敗した。

     VHS。


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     DVD。


    4 Film Favorites: Gene Kelly (For Me and My Gal, Invitation to the Dance (1956), On the Town (Sinatra Tribute), Summer Stock)
  • 紀藤正樹弁護士に対する違和感 統一教会の名称変更に関して

    紀藤正樹弁護士に対する違和感 統一教会の名称変更に関して

     たまたまBS朝日で紀藤正樹弁護士が統一教会について語っているところを観て、違和感を覚えた。

     その番組は紀藤氏自ら紹介している↓

    違和感をおぼえたところ

     その番組で紀藤氏は次のように語っていた。

    ・安倍晋三元首相が銃撃された事件を防ぐ機会はあった。

    ・2015年の統一教会の名称変更がその機会であった。(その他に2009年にもその機会があったと語っていた。)

    ・その機会が生かされなかった結果、安倍氏が銃撃される事件は起こった。

     紀藤氏はそう語っていた。(正確ではないかもしれないが、そういうものとして話を進める。)

    違和感

     2015年に統一教会の名称変更がなされなかったならば、安倍氏は銃撃されなかったということには違和感がある。

     第一に、名称変更は容疑者とそれほど関係がないことではないかと思うからである。

     第二に、名称変更の認証は法律によって決まったことであるとすると、紀藤氏のようにそのことの責任を問うことはできないのではないか。

    名称変更を問題とすること

     統一教会の名称変更は、紀藤氏、全国霊感商法対策弁護士連絡会が前から反対していたことであった。

     たとえば2015年3月26日に、文科大臣、文化庁長官、宗務課担当課長宛てに出した統一教会の名称変更に反対する申入書で全国霊感商法対策弁護士連絡会は次のように語っている。

    この名称変更は、これまでの組織的違法行為による悪評が日本社会に広く浸透していることから、名称変更して新たな被害者を獲得するとともに、被害回復請求を抑制する目的で行うものであり、このような名称変更を認証しないよう申し入れます。

    申入書(統一教会の名称変更申請について)

     同年9月25日に、文科大臣、文化庁長官、宗務課担当課長宛てに出した名称変更申請認証に反対する抗議文では次のように語っている。

    文化庁(宗務課)は、当連絡会の再三の申し入れ、特に本年3月26日付の申入書を無視して、本年8月27日に統一教会の名称を「世界平和統一家庭連合」に名称変更する申請を認証しました。当連絡会はこのような消費者被害と人権侵害を増長させる行政処分に強く抗議します。

    抗議文(統一教会の名称変更申請の認証について)

     統一教会は名称変更によって新たな被害者を獲得しようとしているとし、名称変更がなされると被害が拡大するとして、反対しているのである。

     これは全国霊感商法対策弁護士連絡会の問題意識である。

     容疑者は直接に関係がないのではないか?

     それとも容疑者は全国霊感商法対策弁護士連絡会と同じような問題意識をもっていたのであろうか?

    「政治の力」

     紀藤氏は、統一教会の名称変更は、安倍政権の政治的な意図によってなされたと考えているようである。

     そのことに関しては前川喜平氏と同じように考えているようである。

     前川氏は1997年に統一教会が名称変更を求めて来た時に断ったと言っている。

     そのことには全国霊感商法対策弁護士連絡会の要望もあったという

    当時、全国霊感商法対策弁護士連絡会も、文化庁に名称変更を認めないでくれと要望していました

    Smart FLASH 旧統一教会「名称変更」を 止められなかった文科省・前川元次官「辞表を叩きつけてNOと言えなかった悔いはある

     2015年には文部科学審議官になっていた前川氏のところに、宗務課長が統一教会の名称変更の説明をしにきたという。

    宗務課長が説明に来たときに、私は『NO』と言いました。名称変更は認めるべきではない、と。ただ、裏には何か政治的な圧力があるとは思っていました。私は『NO』と言ったけど、結局、認証されてしまった。私よりも上には、事務次官と大臣しかいないわけです。私は、(認証された理由は)大臣の意向が働いたことは間違いないと思っています。当時の下村博文・文部科学大臣がゴーサインを出しているのは間違いない。これは確信しています。

    Smart FLASH 旧統一教会「名称変更」を 止められなかった文科省・前川元次官「辞表を叩きつけてNOと言えなかった悔いはある

     前川氏は反対したが、下村博文氏による「政治的な圧力」によって認証は行われたというのである。

     立憲民主党や共産党の合同ヒアリング。

    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220805/k10013756051000.html

     前川氏のような主張に対して、末松信介文部科学相は、「「信教の自由」に対する配慮から文化庁の裁量を抑えるなどの考え方があるため、宗教法人の名称変更などに関しては、法律に定める要件以外の事項を考慮することは想定されていない。」といい、「受理を拒むことは行政上の不作為として違法性を問われる恐れがある」と言っている。

    https://www.sankei.com/article/20220805-44YS3NIZGFJTFA3IHVRBVKTZLM/

     2015年の名称変更の認証には、前川氏の上の者によって前川氏と反対のことがなされたにちがいない。

     前川氏、紀藤氏はそのことを問題としている。

     しかし法律で認証することになっているのであれば、認証しないようにしていた前川氏の方が違法性を問われる恐れがある。

     紀藤氏の主張するように名称変更に問題があったとすると、背後の政治的な力を問題とするより、法律を問題とすべきだったのではないか?

  • 山上容疑者はビデオメッセージをみて安倍晋三元首相に殺意を抱いたのか?

    山上容疑者はビデオメッセージをみて安倍晋三元首相に殺意を抱いたのか?

     安倍晋三元首相が銃撃され死亡した後、逮捕された山上容疑者の供述が次々と報道された。

     その中に、2021年9月に統一教会の代表らが設立したNGOの集会に安倍氏が寄せたビデオメッセージを容疑者が見て、安倍氏は統一教会とつながりがあると思い込んで、安倍氏に対する殺意を抱いたというものがあった。

     その報道には奇妙なところがあるので取り上げてみる。

    日テレNEWSの報道

     7月12日に日テレNEWSは次のように伝えている。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/93c41ea8bba6ba7a1e306d57744e1098151aea18

     動画

    日テレNEWS 2022/07/12
    【安倍元首相銃撃】山上容疑者「動画みたころに殺害決意」

    報道の奇妙なところ

     記事には次のように書いてある。

    メッセージを見て安倍元首相が宗教団体とつながりがあると思い込み、去年の秋から安倍元首相への殺意を募らせるようになったとみられます。

    日テレNEWS 安倍元首相銃撃事件 山上容疑者“動画みたころに殺害決意”

     容疑者は「メッセージを見て安倍元首相が宗教団体とつながりがあると思い込み、去年の秋から安倍元首相への殺意を募らせるようになった」というのは、広く伝わっていることだと思う。

     しかし「みられます」と書かれているように、そのことはこの記事を書いた記者が推測したことである。

     記者は「捜査関係者」が語ったことからそう推測したのであるが、その推測のもとになった「捜査関係者」の言葉は、その推測と同じではない。

     「捜査関係者」は次のように語ったとされている。

    捜査関係者によりますと、山上容疑者は「去年9月、宗教団体の代表らが設立したNGOの集会に寄せられた安倍元首相のメッセージを見たころに殺害を決意した」と供述していることが新たに分かりました。

    日テレNEWS 安倍元首相銃撃事件 山上容疑者“動画みたころに殺害決意”

     「去年9月、宗教団体の代表らが設立したNGOの集会に寄せられた安倍元首相のメッセージを見たころに殺害を決意した」というのでは、「メッセージを見たころに」、そのことと関係なく「殺害を決意した」ということでもありうるのではないか?

    捜査関係者によりますと、山上容疑者は「去年9月、宗教団体の代表らが設立したNGOの集会に寄せられた安倍元首相のメッセージを見た」「そのころに殺害を決意した」と供述しているということです。

    日テレNEWS 安倍元首相銃撃事件 山上容疑者“動画みたころに殺害決意”

     こちらでは「去年9月、宗教団体の代表らが設立したNGOの集会に寄せられた安倍元首相のメッセージを見た」ということと「そのころに殺害を決意した」ということとを分けて書いている。

     一層、メッセージを見たことと殺害を決意したこととは時期が近かっただけで関係はなかったようにも見える。

     メッセージを見た結果、殺害を決意したと解釈できないことはないが、そうだとすると何故にそのことがわかるように書かないのか?

     「メッセージを見て安倍元首相が宗教団体とつながりがあると思い込み」ということが記者の推測にあって、「捜査関係者」の言葉にないことも気になる。

     メッセージを見たことと、殺害を決意したこととがどういう関係になるのか、「捜査関係者」が明確に語っていないことも奇妙であり、記者がメッセージを見た結果殺害を決意したと明確に語っていることも奇妙である。

     「捜査関係者」が語っていない物語を記者が勝手に作ってしまったのか?

     記者の推測の根拠となることを「捜査関係者」が語ったにもかかわらず、記者が伝えていないのか?

     いずれにしてもおかしなことである。

    FNNの報道

     7月13日のFNNの報道。

    https://www.fnn.jp/articles/-/388878

     「安倍元首相のメッセージ動画を見て宗教団体とつながりがあると思った」という新たな供述がでてきたと伝えている。

     この報道では「つながりあると思った」という供述があったとつたえられているが、そのことと殺害を決意したこととの関係は必ずしも明らかではない。

    「安倍元首相のメッセージ動画を見て宗教団体とつながりがあると思った」
    安倍元首相が街頭演説中に銃撃され、死亡した事件で逮捕された山上容疑者(41)は犯行動機について、新たにこう供述していることが分かった。

    FNNプライムオンライン 「メッセージ動画を見てつながりがあると思った」山上容疑者が新供述 90m離れた駐車場に弾痕…強い威力か

     「犯行動機について、新たにこう供述している」というところをみると、 動機についてかたるという文脈で出て来た言葉とも思われるが、必ずしも明らかではない。

    捜査関係者によると、さらに山上容疑者は「安倍元首相のメッセージ動画を見て団体とつながりがあると思った」と話していることが新たに分かった。

    FNNプライムオンライン 「メッセージ動画を見てつながりがあると思った」山上容疑者が新供述 90m離れた駐車場に弾痕…強い威力か

     こういうところをみると、山上容疑者は「安倍元首相のメッセージ動画を見て団体とつながりがあると思った」と話しているとだけ捜査関係者はつたえたのではないかとも思われる。

  • フレッド・アステアの映画「絹の靴下」 ミュージカル版「ニノチカ」

    フレッド・アステアの映画「絹の靴下」 ミュージカル版「ニノチカ」

     「絹の靴下」(原題は “Silk Stockings” )は、1957年に公開されたミュージカル映画。

     パリに来たソ連の女性の役人に、アメリカ人の映画プロデューサーが惚れ込んで口説く、という話。

     ソ連の女性の役人をシド・チャリース、アメリカ人の映画プロデューサーをフレッド・アステアが演じている。

     「バンド・ワゴン」の次にフレッド・アステアとシド・チャリースが共演した映画で、この映画の二人のダンスも見どころが多い。

     この映画の後、フレッド・アステアはミュージカル映画に出演しなくなる。(その次は10年後の1968年)


    絹の靴下(字幕版)

    「絹の靴下」の話

     映画「絹の靴下」は、1939年に公開された映画「ニノチカ」をもとにしている。


    ニノチカ [DVD]

     問題を解決するためにソ連の女性の役人ニノチカがパリに来る。

     パリでその問題に関わっていたフランスの侯爵は、ニノチカが資本主義的な享楽を否定することに驚くが、惚れ込んで口説く。

     「絹の靴下」の話は大体において同じ。

     ただしニノチカを口説くのは、フランスの侯爵ではなく、アメリカの映画プロデューサーになっている。

    主題

     話が変わったことによって主題も変わっている。

    対立

     「ニノチカ」は、資本主義に反対するソ連の文化と、資本主義を代表するバリの文化との対立を描いていた。

     「絹の靴下」は、資本主義に反対するソ連の文化と、資本主義を代表するアメリカの文化の対立をパリを舞台として描いている。

    アメリカ文化

     主人公をアメリカの映画プロデューサーとしたことによって、「絹の靴下」はアメリカの文化を正面から扱うことができた。

     アメリカ映画はアメリカの文化を代表するものである。

     そういうアメリカ文化がソ連の文化と対立する。―たとえばソ連の音楽と対立する。

    ソ連の文化

     ソ連の文化が資本主義と対立するものと描かれていることは同じ。

     「絹の靴下」ではソ連の音楽の特殊性が問題となる。

     また、ソ連がバレエの国として特徴づけられている。―そのことによってシド・チャリースのバレエが生きる。

    「ニノチカ」から「絹の靴下」へ

     1939年に公開された映画「ニノチカ」はヒットした。

     そこで映画「ニノチカ」をもとにしたミュージカルが作られた。

     音楽はコール・ポーターが作った。

     そうしてできたブロードウェイ・ミュージカル「絹の靴下」は1955年に開幕した。

     映画「絹の靴下」はそのブロードウェイ・ミュージカルをもとにして作られて、1957年に公開された。

    「絹の靴下」ということ

     日本語の題は「絹の靴下」とされているが、原題は “Silk Stockings” 、シルクのストッキングである。

     シルクのストッキングが、資本主義的な享楽を象徴するものとされているのである。

     映画「ニノチカ」では、そのことは帽子によって表現されていた。

     ニノチカがシルクのストッキングを履くところに、コール・ポーターは「絹の靴下」( “Silk Stockings” )という楽曲を作った。

     映画「絹の靴下」では、ニノチカがそれまで着ていた服を脱いで、絹の靴下を身に着けていくところは、シド・チャリースのバレエによって表現されている。

     豪華なホテルの中で豪華な下着姿の伸びやかな踊りが美しいところ。

     しかしその下着姿での踊りは、撮影当時、ヘイズオフィスの検閲によって問題があるとされたと言われている。

     映画「絹の靴下」の日本語版のポスターには「おシャレをしたい女性はゼヒ!コウ奮したい殿方もゼヒ!」と書いてある。(「華麗なるミュージカル映画の世界」、98頁)


    ’S Wonderful―“Musical” The Graphic Work 華麗なるミュージカル映画の世界。

     そういう映画でもある。

     映画女優役のジャニス・ペイジが下着姿で「サテンとシルク」( “Satin and Silk” )を歌うところも、そういう方向だということができるかもしれない。

    ナンバー

     「絹の靴下」、「サテンとシルク」以外の楽曲について。

    「あなたのすべて」 “All of You”

     フレッド・アステアがニノチカ(シド・チャリース)を口説く「ロマンティック」な歌。

     この楽曲によって対立していた二人が踊りを合わせていく。

    「結ばれる運命」 “Fated to Be Mated”

     フレッド・アステアがシド・チャリースと意気投合したところで歌う。

     そして二人で広い空間で楽しそうに踊る。

     やはり二人の踊りには独特の魅力がある。

    「ザ・レッド・ブルース」 “The Red Blues”

     ソ連に帰ったニノチカが、大勢の隣人とともに踊る。

     たのしい踊り。

     シド・チャリースはうまい。

    「ステレオフォニック・サウンド」 “Stereophonic Sound”

     1950年代後半に映画が売りにしていたテクニカラー、シネマスコープ(横長の画面)、ステレオフォニック・サウンドをからかう歌。

     ジャニス・ペイジとフレッド・アステアが歌い、踊る。

     ダンスの流行がタップダンスからバレエに移ったことも。

    「ザ・リッツ・ロール・アンド・ロック」 “The Ritz Roll and Rock”

     フレッド・アステアの最後の見せ場。

     フレッド・アステアはコール・ポーターに当時流行り出したロックンロールをとりいれた楽曲をもとめた。

     そうしてできたのがこの曲。

     フレッド・アステアはトップハット姿で踊る。

    「絹の靴下」のDVD

     「絹の靴下」はDVDが出ている。

     特典映像「コール・ポーター・イン・ハリウッド Satin and Silk」では、シド・チャリースのナレーションによって映画撮影の時の様子が語られている。―監督ルーベン・マム―リアンのこと、作詞作曲家コール・ポーターのこと、フレッド・アステアのことなど。


    絹の靴下(字幕版)
  • フレッド・アステアとバレエの因縁④「足ながおじさん」「パリの恋人」「絹の靴下」

    フレッド・アステアとバレエの因縁④「足ながおじさん」「パリの恋人」「絹の靴下」

     フレッド・アステアは、バレエとどういう関係にあったのか?

     ここでは、「バンド・ワゴン」以後の映画―「足ながおじさん」「パリの恋人」「絹の靴下」をとりあげる。

     フレッド・アステアが映画デビューしてからRKOでジンジャー・ロジャーズと共演している間のこと↓

     フレッド・アステアがRKOから離れ、ジンジャー・ロジャーズから離れてから、「ブルー・スカイ」で引退するまで↓

     フレッド・アステアが「イースター・パレード」で復帰してから、MGMで「バンド・ワゴン」を生み出すまで↓

    「ホワイト・クリスマス」

     まず、1954年に公開されて大ヒットした映画「ホワイト・クリスマス」( “White Christmas” )をとりあげる。


    ホワイト・クリスマス [Blu-ray]

    「ホワイト・クリスマス」とフレッド・アステア

     「ホワイト・クリスマス」にはフレッド・アステアは出ていない。

     しかしフレッド・アステアと関係のない映画ではない。―「ホワイト・クリスマス」はもともとフレッド・アステアが出演する映画として企画された。

     その前にフレッド・アステアは

    「スイング・ホテル」(1942年)


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    「ブルー・スカイ」(1946年)


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    でビング・クロスビーと共演していて、「ホワイト・クリスマス」はそれに続くものとして企画された。

     ところがフレッド・アステアは「ホワイト・クリスマス」に出演することをことわった。

    「コレオグラフィー」

     「ホワイト・クリスマス」には、アーヴィング・バーリン作詞作曲の「コレオグラフィー」( “Choreography” )と題する楽曲がある。


    Choreography [feat. The Skylarks]

     まず、バレエダンサーの女性たちに囲まれて自分もバレエダンサーの恰好をしたダニー・ケイが、バレエ風の踊りをしながら歌う―かつてはタップダンスが流行していたが、今ではバレエが流行している、と。

     タップダンスは過去のものであって、現在ではバレエが流行しているという歌なのである。

     そこにヴェラ・エレンが現れてタップダンスを見せる。

     一方でヴェラ・エレンがタップダンスを踊り、一方でダニー・ケイがバレエを踊るというかたちになる。

     バレエはコミカルにされて、それに対してヴェラ・エレンのタップダンスが輝くように演出されているところをみると、この映画はタップダンスに傾いているようにも見える。

     「ホワイト・クリスマス」にはその他にも「エイブラハム」(” Abraham” )など、ヴェラ・エレンがタップダンスを見せるところが多い。


    Abraham [feat. Ken Darby Singers & John Scott Trotter And His Orchestra]

    「足ながおじさん」

     これからフレッド・アステアが出演した映画。

     1955年に公開された映画「足ながおじさん」( “Daddy Long Legs” )


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    レスリー・キャロン

     「足ながおじさん」でフレッド・アステアの相手役のレスリー・キャロンは、バレエダンサー。

     フレッド・アステアはまたバレエダンサーを相手とすることになったのである。

     フレッド・アステアが亡くなった時に、レスリー・キャロンはその時のことについて語っている。


    Fred Astaire: His Friends Talk

     レスリー・キャロン曰く「「足ながおじさん」でフレッド・アステアの相手役になることをもとめられた時、気が気でなかった。私はローラン・プティのバレエ団で「シンデレラ」を踊ったばかり。私はタップダンサーではなく、タップダンスのやり方を知らなかった。」

    When he asked for me for Daddy Long Legs, I was really beside myself. I had just danced Cinderella with Roland Petit’ s company. I wasn’t a hoofer, I didn’t know how to tap.

    “Fred Astaire His Friends Talk” p.14

     レスリー・キャロンは、フレッド・アステアの相手役をするためにはタップダンスができなくてはならないと考えていた。

     レスリー・キャロンが得意とするバレエを、フレッド・アステアはやらないと考えていたのである。

     フレッド・アステアはバレエが好きでなかったともレスリー・キャロンは語っている。

    He didn’t like ballet -ballet was a bore for him.

    “Fred Astaire His Friends Talk” p.14

    ローラン・プティ

     「足ながおじさん」の振り付けは、フランスの振り付け家ローラン・プティ(Roland Petit)。

     レスリー・キャロンはローラン・プティのバレエ団で踊っていたバレエダンサーであった。

     ローラン・プティによると、それまでローラン・プティがやってきたようなクラシックバレエの振り付けを「足ながおじさん」でもやろうとしたが、うまくいかず、リハーサルは大惨事になった。

    “Being a classical choreographer, it was difficult for him to do the kind of steps I did to my classical dancers. So we had the first rehearsal was just a catastrophe.

    「フレッド・アステアのすべて」

     そこでローラン・プティはやめると言った。

     ところがフレッド・アステアはローラン・プティを引き留めて、

    ・ローラン・プティはレスリー・キャロンのダンスを担当する

    ・フレッド・アステアは他の人をよんで自分のダンスをやる

    というかたちにすることを求めた。

    “You stay please, and do Leslie’s dance and everything, and I would try to manage by myself.

    「フレッド・アステアのすべて」

     以上のローラン・プティの発言は「フレッド・アステアのすべて」でのもの。

     「フレッド・アステアのすべて」はコスミック出版の「ミュージカル・パーフェクトコレクション フレッド・アステアサードステージ」に入っている。


    DVD>ミュージカル・パーフェクトコレクション<フレッド・アステアサードステージ ()

    「足ながおじさん」の踊り

     具体的にはどうなったか?

    守護天使

     レスリー・キャロンの演ずる人物は、フレッド・アステアの演ずる人物について、守護天使としていつも背後で自分を見守っていて、危険から守り、望むものをもたらしてくれる、と空想する。

     その空想(夢)が踊りで表現される。

    ・レスリー・キャロンはバレエを踊る。

    ・フレッド・アステアはレスリー・キャロンの後ろで、その動きに合わせた踊りをする。

     レスリー・キャロンのバレエと、フレッド・アステアの独自の踊りが、合わされるのである。

     レスリー・キャロンはそうしてそれぞれ異なる踊りが一つに合わさっていいものになったと語っている。(「フレッド・アステアのすべて」)

    悪夢のバレエ

     「足ながおじさん」の終盤に、レスリー・キャロンの演ずる人物の悪夢を表現したバレエがある。

     この映画で最も大がかりな踊りである。

    フレッド・アステア

     このバレエでは、レスリー・キャロンを中心として多くの人が踊っているが、フレッド・アステアは踊っていない。

     はじめは観客席で観ているだけ、次は奥の席に座っているだけ、そして奥で歩いているだけ。

     多くの人が踊る中でフレッド・アステアだけが踊らずにいるというのは、ミュージカル映画で珍しいことである。

     このバレエは、レスリー・キャロンの演ずる人物がフレッド・アステアの演ずる人物を愛しているにもかかわらず、遠くに行ってしまった、ということを表現するものである。

     フレッド・アステアが踊らず、奥にいるだけということは、そのことを表現しているということもできる。

     しかしフレッド・アステアも踊って、その後で遠くに行ってしまうというかたちでもいいのではないか?

     それまでのミュージカル映画では、似たような位置の人物も踊っていた。

    ・フレッド・アステアの演ずる人物の悪夢を表現した「ヨランダと盗賊」のバレエでは、相手役のルシル・ブレマーも踊った。


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    ・「巴里のアメリカ人」でジーン・ケリーの演ずる人物の、悪夢というより空想を表現したバレエでは、相手役のレスリー・キャロンも踊った。


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     「巴里のアメリカ人」のバレエはジーン・ケリーがレスリー・キャロンを想うというかたち、「足ながおじさん」のバレエはレスリー・キャロンがフレッド・アステアを想うというかたちになっている。

    推測

     上に引用したローラン・プティの言葉から考えると、次のようなことが推測される。

    ・はじめはフレッド・アステアも踊るバレエをローラン・プティはかんがえた。

    ・ところがうまくいかなかった

    ・そこで、バレエはやるが、フレッド・アステアは踊らないことになった。

    「パリの恋人」

     1957年に公開された映画「パリの恋人」( “Funny Face” )


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     「パリの恋人」でフレッド・アステアはオードリー・ヘプバーンを相手役とした。

     オードリー・ヘプバーンは、映画女優となる前にバレエダンサーになろうとしていた人である。

     振り付けはユージーン・ローリング。

     芝生の上で二人が踊るところなど、オードリーのバレエの素養と合わせた振り付けになっている。

    「絹の靴下」

     1957年に公開された映画「絹の靴下」( “Silk Stockings” )

     1939年に公開されてヒットした映画「ニノチカ」のミュージカル版。


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    ソ連の位置づけ

     もともと「ニノチカ」は、資本主義の享楽に反対するソ連を代表する女性ニノチカ(グレタ・ガルボ)が、パリで資本主義の享楽を代表するフランスの伯爵(メルヴィン・ダグラス)と出会って、資本主義の享楽を認めていくという話。

     「絹の靴下」もそのことは同じ。

     ただし「絹の靴下」では、ソ連はバレエの国と特徴づけられている。

     そしてニノチカは、以前にバレエをやっていた人とされている。

     そこでフレッド・アステアの演ずる人物がニノチカをダンスに誘うところは、

    ・「ニノチカ」と同じく、自分のたのしみより国家に奉仕することを上とする考えを持つ人を、自分のたのしみに誘うことでもあるが、

    ・アメリカのタップダンサーが、ソ連のバレエダンサーとともに踊ってみようと誘うことでもある。

     フレッド・アステアが「バンド・ワゴン」の時と同じように、バレエダンサーのシド・チャリースと二人で踊りをつくってみるということでもある。

    「ステレオフォニック・サウンド」

     「絹の靴下」には、「ステレオフォニック・サウンド」( “Stereophonic Sound” )というナンバーがある。

     当時の映画で、他のことよりテクニカラー(色)、シネマスコープ(横長の画面)、ステレオフォニック・サウンド(響く音)が重視されているということを風刺する歌である。

     その歌に、以前はタップダンスが流行していたが、当時はバレエが流行していたということも付け加えられた。

     そういう歌をフレッド・アステアがジャニス・ペイジと歌っているのである。

     DVDの特典映像には、シド・チャリースがそのことに言及しているところがあって興味深い。

    ロックンロール

     「絹の靴下」の最後に、フレッド・アステアは「ザ・リッツ・ロール・アンド・ロック」( “The Ritz Roll and Rock” )という楽曲を歌って踊る。

     これは当時流行していたロックンロールのような楽曲をフレッド・アステアがもとめてコール・ポーターが作ったものである。

     その楽曲に合わせてフレッド・アステアはトップハット姿で踊っている。

     フレッド・アステアはこのように新たなものを取り入れていく人であった。

     しかしバレエに関しては、苦労してきたのである。


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  • フレッド・アステアとバレエの因縁③映画「バンドワゴン」の意義

    フレッド・アステアとバレエの因縁③映画「バンドワゴン」の意義

     フレッド・アステアとバレエとの関係について考える。

     第3弾は、「イースター・パレード」から「バンド・ワゴン」まで。

     第1弾は、フレッド・アステアが映画デビューしてからRKOでジンジャー・ロジャーズと共演している間のこと↓

     第2弾は、フレッド・アステアがRKOから離れ、ジンジャー・ロジャーズから離れてから、「ブルー・スカイ」で引退するまで↓

     1946年に公開された映画「ブルー・スカイ」を最後として、フレッド・アステアは一度引退していた。


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    「イースター・パレード」

     1947年、引退していたフレッド・アステアは、リハーサルの間にけがをしたジーン・ケリーの代わりに映画に出演することをたのまれた。

     その映画が「イースター・パレード」( “Easter Parade” )である。


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     1948年6月に公開された「イースター・パレード」は大ヒットとなった。

     「オン・ユア・トーズ」以後、そして「オクラホマ!」以後、アメリカのミュージカルではバレエが重視されるようになってきていた。(「オン・ユア・トーズ」のことは第1弾、「オクラホマ!」のことは第2弾で述べた)

     フレッド・アステアも、その流れと向き合うことになった。

     ところで、「イースター・パレード」には、「オン・ユア・トーズ」のような、「オクラホマ!」のようなバレエはない。

    「イースター・パレード」以後

     「イースター・パレード」で復帰してから、フレッド・アステアは次々とミュージカル映画に出演した。

    「ブロードウェイのバークレー夫妻」

     「イースター・パレード」の次にまたフレッド・アステアとジュディ・ガーランドが共演する映画が企画された。-「ブロードウェイのバークレー夫妻」( “The Barkleys of Broadway” )である。

    ジンジャー・ロジャーズ

     制作の途中でジュディ・ガーランドは病気で出演することができなくなって、ジンジャー・ロジャーズがその代わりに出演することになった。

     「カツスル夫妻」(1939年)以来の共演である。

     そこで、ジュディ・ガーランドのために作られていたものを、ジンジャー・ロジャーズに合うように作り変えることになった。

     バレエに関することでは、その時に「ポエトリー・イン・モーション」( “Poetry in Motion” )というコミックバレエが外されたと言われている。

    Rogers and Garland as performers were dissimilar, and changes had to be made, particularly in the Warren and Gershwin score. “Natchez on the Mississip’,” “The Courtship of Elmer and Ella” (a hillbilly number) and “Poetry in Motion” (a comic ballet) were dropped.

    “MGM’s Greatest Musicals” p.246~247

    M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

     バレエをやることになっていたが、ジンジャー・ロジャーズに合うようにそのバレエは外されることになったようである。

     「ブロードウェイのバークレー夫妻」は1949年5月に公開された。


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    「翼のある靴」 “Shoes With Wings On”

     「ブロードウェイのバークレー夫妻」には、 “Shoes With Wings On” (翼のある靴)という曲目がある。

     靴屋が舞台で、客が帰ってしまった後に、一人残った店長の前で靴が勝手にタップダンスを踊りだすというもの。

     この曲目は、バレエの影響を受けたものと思われる。

     特に1年前に公開された映画「赤い靴」( “The Red Shoes” )の影響を受けたものと思われる。


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     映画「赤い靴」は、アンデルセンの童話をもとにして作られた映画で、中盤に童話をもとにした長尺のバレエがある。

     そのバレエでは、主人公が靴屋の靴を履くと、その靴が主人公をいつまでも踊らせることになっている。

     「ブロードウェイのバークレー夫妻」の「翼のある靴」で、主人公が靴屋の靴を履くと、その靴が主人公を踊らせることは、「赤い靴」のバレエと似ている。

     はじめに少しバレエが出て来るところも、関係を示しているのかもしれない。

     ただし「ブロードウェイのバークレー夫妻」の「翼のある靴」では、フレッド・アステアはバレエではなくタップダンスをやっている。

     「赤い靴」のバレエはドラマティックであったが、こちらはコミカル。

     多くの靴が踊りだすところは、「赤い靴」にはないところ。

    「土曜は貴方へ」


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     1950年に公開された映画「土曜は貴方へ」( “Three Little Words” )の振り付けはハーミーズ・パン。

     「土曜は貴方へ」にも「オクラホマ!」のようなバレエはない。

     フレッド・アステアは過去にジンジャー・ロジャーズなどとやってきたタップダンスや「ロマンティック」なダンスを発展させているように見える。

     たとえば「タップダンサー夫妻の家庭生活」( “Mr. and Mrs. Hoofer at Home” )はタップダンスによって夫婦の家庭生活を表現するものである。

    Warner Archive
    Mr. and Mrs. Hoofer At Home | Three Little Words | Warner Archive

     これは、「ロバータ」(1935年)の “I’ll Be Hard to Handle” でフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズがタップダンスで男女のやりとを表現したのを発展させたもののように見える。

     「土曜は貴方へ」のフレッド・アステアの相手役のヴェラ・エレンは、バレエもタップダンスもすぐれた人であるが、この映画ではフレッド・アステアとともに、バレエではなく、タップダンスや「ロマンティック」なダンスをやっている。

    「恋愛準決勝戦」

     1951年に公開された映画「恋愛準決勝戦」( “Royal Wedding” )


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    モイラ・シアラー

     バレエとの関係では、フレッド・アステアの恋人役に、映画「赤い靴」( “The Red Shoes” )で有名なバレエダンサー、モイラ・シアラー( Moira Shearer )が考えられていたということが重要である。


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     モイラ・シアラーがフレッド・アステアの相手役として考えられたということは、「赤い靴」のバレエのような長尺のバレエを2人でやることが考えられたということではないか?

     フレッド・アステアはモイラ・シアラーとの共演について「彼女はすばらしいが、彼女を相手にして私に何ができるのか?」と言ってことわったという。

    “I know she’s wonderful, but what the hell could I do with her?”

    “MGM’s Greatest Musicals” p.298

    M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

     フレッド・アステアは、モイラ・シアラーと組んでもいいものはできないと考えていたのである。

    サラ・チャーチル

     モイラ・シアラーの代わりにフレッド・アステアの恋人役に選ばれたのは、ウィンストン・チャーチルの次女サラ・チャーチルであった。

     モイラ・シアラ―の代わりにサラ・チャーチルが選ばれたことと関連して、フレッド・アステアが恋人役と踊るところがなくされたと思われる。

     モイラ・シアラーが考えられていた時には、「赤い靴」ほどでなくても大がかりなバレエをやることが考えられていたのではないかと思われる。

     ところがサラ・チャーチルにかわって出来た映画では、2人が踊るところは、初めのオーディションのところに少しあるだけになっている。

     フレッド・アステアがサラ・チャーチルを想って “You’re All the World to me” の音楽に合わせて壁、天井を踊るところは、この映画の最大の見どころであるが、フレッド・アステアが一人で踊るのであって、サラ・チャーチルは写真だけ。

     フレッド・アステア主演のミュージカル映画で恋愛が2人のダンスによって表現されていないことは珍しいことである。

     このことは「恋愛準決勝戦」という映画の構造と関わることと思われる。

     「恋愛準決勝戦」は兄と妹を描く映画であって、そのことが多く描かれていることは当然のことであるが、兄妹それぞれの恋愛を描く映画でもあるのに、フレッド・アステアとサラ・チャーチルの恋愛の占める割合が少ないのではないかと思われる。

     ちなみにフレッド・アステアがジェーン・パウエルその他大勢とおどる “I Left My Hat in Haiti” でのフレッド・アステアの恰好は、「ヨランダと盗賊」の夢のバレエの時の恰好と似ているようにも見える。

    「ベル・オブ・ニューヨーク」

     1952年に公開された映画「ベル・オブ・ニューヨーク」


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     この「ベル・オブ・ニューヨーク」という映画は、フレッド・アステアの映画の中で重要な意味をもっていると思われる。

    オスカー・ハマースタイン二世

     「ベル・オブ・ニューヨーク」は、フレッド・アステアが「ブルー・スカイ」で一度引退する前から企画されていた映画である。

     1943年10月14日にプロデューサーのアーサー・フリードがオスカー・ハマースタイン二世に送った手紙に、「ベル・オブ・ニューヨーク」の音楽をオスカー・ハマースタイン二世とリチャード・ロジャーズが担当することを求めているところがある。

    Regarding The Belle of New York. We have a fine outline for the story and I am still counting on you and Dick Rodgers to do the score.

    MGM’s GREATEST MUSICALS p.152

    M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

     アーサー・フリードが二人によって「ベル・オブ・ニューヨーク」をどういう作品にしようと考えていたのか?

     「オクラホマ!」と近いところのある作品にしょうとしていたのではないか?

     オスカー・ハマースタイン二世とリチャード・ロジャーズは、初めて組んで作ったミュージカル「オクラホマ!」(1943年3月にブロードウェイで開幕)によってミュージカルに革新をもたらしていたところであった。

     具体的には、「オクラホマ!」のようにバレエを入れることを考えていたのではないか?

    引退

     フレッド・アステアは「ヨランダと盗賊」の後に「ベル・オブ・ニューヨーク」をやることになっていた。

     ところが「ヨランダと盗賊」が失敗して、失敗を繰り返したくないということで「ベル・オブ・ニューヨーク」を断って、「ブルー・スカイ」をやって引退している。

    メトロでの次の仕事は『ベル・オブ・ニューヨーク』。数か月後に始まることになっている。この映画のアイディアはあまり気に入っていなかった。脚本もなかなかかたちにならない。『ヨランダ』が強力な映画にならなかったことで、わたしの不安もつのっていた。この上また軽量級の作品を重ねたくはない。「弱い作品」が二本続くと自分の価値も下がってしまう。

    「フレッド・アステア自伝」365~366頁

    フレッド・アステア自伝 Steps in Time

     原文。

    Next on the roster for me at Metro was Belle of New York, due in a few months. I didn’t like the thought of it too much-there was some difficulty getting a script in shape. The fact that Yolanda had turned out to be a weak one worried me. I didn’t want to do another light-weight right on top of it. Two “weakies” in a row can reduce you.

    Steps in Time p.281-282

    Steps in Time: An Autobiography

     フレッド・アステアが「ベル・オブ・ニューヨーク」のどういうところを「あまり気に入っていなかった」のか、よくわからない。

     強力な映画にならなかったという「ヨランダと盗賊」と同じように「ベル・オブ・ニューヨーク」も強力な映画にならないのではないかと不安になったというところから考えると、「ベル・オブ・ニューヨーク」は「ヨランダと盗賊」と近い作品であったことが不安だったのではないか?

     具体的には、「ヨランダと盗賊」と同じく「オクラホマ!」の影響を受けたバレエがあって、それが不安だったのではないか?

    映画化

     フレッド・アステアは「ブルー・スカイ」で一度引退した後、「イースター・パレード」で復帰した。

     そして数年後、一度ことわった「ベル・オブ・ニューヨーク」をやることになった。

     ところがそうして作られた「ベル・オブ・ニューヨーク」は興行的に失敗した。

     それにもかかわらずフレッド・アステアは強い思い入れを語っている。

     「ヴェラ・エレンという良いダンサーを相手役として、最高のダンスナンバーができた。売れなかったにすぎない。私の好きな作品であったゆえに、腹が立った。」

    As my partner I had a girl who was a good dancer, Vera-Ellen. And some of the best dance numbers you could ever get. It was just a musical show that did not make it; and it makes me so mad, because The Bell of New York was one of my favorite films.

    “MGM’s Greatest Musicals” p.366

    M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

     どういうことであろうか?

     「ベル・オブ・ニューヨーク」ははじめ、「オクラホマ!」のようなバレエを伴うミュージカルとして企画されていたと思われる。

     ところが1952に公開された映画にはバレエはない。全体として「オクラホマ!」に似ているところはない。

     タップダンスなどフレッド・アステアがそれまでやってきたダンスを発展させたものが多い。

     事情はよくわからないが、もともと「ヨランダと盗賊」と同様に「オクラホマ!」の影響を受けてバレエを取り入れた作品が考えられていたのが、フレッド・アステアが復帰した後、バレエを取り除いて作られたのではないか?

    ジーン・ケリーとバレエ

     フレッド・アステアが「イースター・パレード」で復帰してから「ベル・オブ・ニューヨーク」までの時期(1948年~1952年)に、同じMGMのアーサー・フリード制作の映画で、ジーン・ケリーはバレエを取り入れていた。

    ・1948年3月に公開された映画「踊る海賊」( “The Pirate” )。


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    ・1948年12月に公開された映画「ワーズ&ミュージック」( “Words and Music” )―「十番街の殺人」(”Slaughter on 10th Avenue”)など。


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    ・1949年12月に公開された映画「踊る大紐育」( “On the Town” )―「ニューヨークでの一日」(”A Day in New York”)など。


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    ・1951年に公開された映画「巴里のアメリカ人」(”An American in Paris” )―「巴里のアメリカ人」など。


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     「巴里のアメリカ人」の主役にはフレッド・アステアも考えられていたが、バレエにはジーン・ケリーが向いているということで、フレッド・アステアではなくジーン・ケリーが選ばれたと言われている。(Blu-rayの特典映像参照)

     ジーン・ケリーはバレエに向いていたが、フレッド・アステアはバレエに向いていないと考えられていたわけである。

    ・1952年に公開された映画「雨に唄えば」( “Singin’ in the Rain” )―「ブロードウェイ・バレエ」。


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     フレッド・アステアは、1940年代中頃に、MGMで「ジーグフェルド・フォリーズ」の「ライムハウス・ブルース」、「ヨランダと盗賊」の夢のバレエをやっていた。

     ところが「ヨランダと盗賊」の後、バレエから離れていた。

     その間に、ジーン・ケリーは映画にバレエをとりいれて、1948年に公開された映画「ワーズ&ミュージック」から映画の終盤に大がかりなバレエをやる作品を連発した。

     ミュージカル映画では大がかりなバレエを入れた作品が主流になってきた。

    「バンド・ワゴン」

     1953年に公開された映画「バンド・ワゴン」( “Band Wagon” )は、上に述べたような状況において作られた作品であった。

     「バンド・ワゴン」でフレッド・アステアは

    ・バレエダンサーを相手として、

    ・バレエに取り組んだ。

    バレエダンサーを相手とする

     映画「バンド・ワゴン」は、フレッド・アステアの演ずる人物が、シド・チャリース( Cyd Charisse )の演ずるバレエダンサーとどうやって共演するかという話とみることができる。

     同時に、フレッド・アステア自身が、バレエダンサーのシド・チャリースとどうやって共演するかということもある。

    ことわる

     フレッド・アステアの演ずる人物は、バレエダンサーと組むと言われた時に、まずことわっている。

     フレッド・アステア自身、映画「恋愛準決勝戦」でバレエダンサーのモイラ・シアラーとの共演をことわっていた。

    年の差

     シド・チャリースの演ずるバレエダンサーは、フレッド・アステアの演ずる人物はもはや過去の人物だという。それゆえに共演しても意味はないという。

     そういうことは、フレッド・アステア自身、シド・チャリース自身と全く関係のないことではなかった。

     シド・チャリース(1921年生まれ)は、1953年当時、バレエが流行する中ですぐれたバレエダンサーとして流行の先端にいた。

     それに対してフレッド・アステア(1899年生まれ)は、1930年代にタップダンスが流行する中ですぐれたタップダンサーとして流行の先端にいたが、1953年当時は、バレエの流行とうまくいっていなかった。

     映画の冒頭には、フレッド・アステアの演ずる人物が過去の映画で使っていたというトップハットや杖が競売に出されていて、しかも売れないさまが描かれていた。


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     トップハット姿は1930年代のフレッド・アステアを代表するものである。

    うまくいかない

     フレッド・アステアの演ずる人物は結局そのバレエダンサーと共演することになって、バレエの振付師に従って稽古を始める。

     しかしそれぞれ相手に対して疑問をもっていて、ダンスにおいても、人間関係においても、うまくいかない。

    仲直り

     2人は衝突した後に、仲直りする。

     そしてどうやって2人で踊りを合わせることができるかということになって、夜のセントラルパークで「ダンシング・イン・ザ・ダーク」( “Dancing in the Dark” )に合わせて踊る。

     それまで互いに相手を苦手としてきたタップダンサーとバレエダンサーが、どうやって踊りを合わせることができるか、という実験である。

     フレッド・アステアとシド・チャリースにとっての実験でもあった。

     それゆえにスリリングである。

     そうして何とも官能的なダンスができた。

    「ガール・ハント」

     「バンド・ワゴン」の終盤には大がかりなバレエがある。―「ガール・ハント」バレエである。

     ミッキー・スピレーンの探偵小説をもとにして、色彩鮮やかな背景で、ハードボイルド探偵(フレッド・アステア)が魔性の女(シド・チャリース)を相手とするところが表現されている。

     振り付けはマイケル・キッド。

     フレッド・アステアは、はじめマイケル・キッドに対して警戒していたが、次第にその振り付けを気に入るようになったと言われている。

     そうして「ガール・ハント」バレエも、魅力的なものとなった。

     「ガール・ハント」バレエのフレッド・アステアの恰好は、「ヨランダと泥棒」の夢のバレエの恰好と似ている。

     「ヨランダと盗賊」でとった方向を「ガール・ハント」バレエで成功させたようにも見える。

    「バンド・ワゴン」の構成

     「バンド・ワゴン」の構成は次のようになっている。

    ・フレッド・アステアの演ずる人物は、それまでのやり方ではいけなくなっている。

    ・そこでバレエダンサーを相手にしてドラマティックなバレエをやることをもとめられる。

    ・しかしそういうやり方ではうまくいかない。

    ・エンターテインメントに立ち返る。

    ・バレエをとりいれるが、ドラマティックなバレエではなく、エンターテインメントとしてのバレエにする。

     この映画ではシド・チャリースのことも描かれている。

     シド・チャリースは、はじめジェームズ・ミッチェルの演ずる人物とともにクラシックバレエをやっていた。

     シド・チャリースがフレッド・アステアと共演することになったのは、ドラマティックなバレエをやるからである。

     ジェームズ・ミッチェルは、シド・チャリースがエンターテインメントとしてのバレエをやることに反対する。

     しかしシド・チャリースはエンターテインメントとしてのバレエを選ぶ。

     ちなみにジェームズ・ミッチェルは「オクラホマ!」の振り付けを担当したアグネス・デ・ミルの下でバレエをやっていた人で、映画版「オクラホマ!」の夢のバレエで主人公の恋人役をやっている。


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     つづきは↓

  • フレッド・アステアとバレエの因縁②「ヨランダと盗賊」をめぐって

    フレッド・アステアとバレエの因縁②「ヨランダと盗賊」をめぐって

     フレッド・アステアとバレエはどういう関係にあったか?

     フレッド・アステアが映画デビューしてから、RKO制作の映画でジンジャー・ロジャーズと共演していた時のことは、下の記事に書いた↓

     ここではフレッド・アステアがRKOから離れ、ジンジャー・ロジャーズから離れてからのことについて書く。

    ジンジャー・ロジャーズから離れて

     フレッド・アステアは1939年に公開された映画「カッスル夫妻」を最後に、RKOから離れ、ジンジャー・ロジャーズとも離れた。


    カッスル夫妻 Blu-ray

     それから各社でフレッド・アステア主演の映画が作られた。

     いずれもタップダンスを中心とした映画になっている。

    MGM

     まず1940年、MGMの映画「踊るニューヨーク」( “Broadway Melody of 1940” )。


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     MGMのタップダンスのスター、エレノア・パウエルとフレッド・アステアが共演した映画で、見どころは二人のタップダンス。

    コロンビア

     1941年、コロンビアで映画「踊る結婚式」( “You’ll never Get Rick” )。


    踊る結婚式 (字幕版)

     共演はリタ・ヘイワ―ス。

     フレッド・アステアはリタ・ヘイワ―スと二人で、また一人でタップダンスをやっている。

    パラマウント

     1942年、パラマウントで映画「スイング・ホテル」( “Holiday Inn” )。


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     共演はビング・クロスビー。

     ビング・クロスビーは歌を聞かせ、フレッド・アステアはタップダンスなどを見せる。

    ジーグフェルド・フォリーズ

     フレッド・アステアはその後にMGMに所属することになった。

     MGMでの第一に作られた映画は「ジーグフェルド・フォリーズ」。(撮影は1944年。公開は1946年)


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     映画「ジーグフェルド・フォリーズ」でフレッド・アステアの出番は複数あるが、その中の一つでまたバレエに取り組むことになった。

     フィリップ・ブレーム作曲の「ライムハウス・ブルース」( “Limehouse Blues” )によるバレエである。

     フレッド・アステアは「ライムハウス・ブルース」をやるためにMGMと契約したとまで語っている。

    私がメトロとの契約にサインした理由のひとつに、フィリップ・ブレームの「ライムハウス・ブルーズ」のようなナンバーを歌いたいというのがあった。この歌はずっと大好きな歌だったのだ。

    「フレッド・アステア自伝」、341頁

    フレッド・アステア自伝 Steps in Time

     原文。

    One of my main reasons for signing the Metro contract was to get an opportunity to put on some kind of number to Phillip Braham’s “Limehouse Blues,” which had always been a favorite song of mine.

    “Steps in Time” p.264

    Steps in Time: An Autobiography

     「ライムハウス・ブルース」は、フレッド・アステアが自ら積極的にやりたいと言ったものだったのである。

     そういうフレッド・アステアの要望を受けて、監督ヴィンセント・ミネリと振り付けのロバート・オルトンが「ドラマティックでかなり入り組んでせわしない、バレエとパントマイムのコンビネーション」(a pretty busy and intricate dramatic ballet pantomime combination)を用意したのである。(「フレッド・アステア自伝」、341頁。原文 “Steps in Time” p.265)

     「ライムハウス・ブルース」のバレエは、フレッド・アステアの演ずる人物の夢を表現するというかたちになっている。

    「オクラホマ!」

     「ジーグフェルド・フォリーズ」でバレエが取り入れられたことは、ブロードウェイ・ミュージカル「オクラホマ!」と関係があると思われる。

     リチャード・ロジャースがロレンツ・ハートと別れて、オスカー・ハマースタイン二世と組んで初めて作った「オクラホマ!」は、ミュージカルの歴史の中で画期的な作品であった。

     ミュージカルとバレエとの関係では、一幕終わりにヒロインの夢がバレエによって表現されているところが重要。

     それまでの話でヒロインが悩んでいたことがバレエによって表現されているのである。

     「オクラホマ!」がニューヨークで開幕したのは1943年3月。

     「ジーグフェルド・フォリーズ」のプロデューサーのアーサー・フリードは、「オクラホマ!」

     「オクラホマ」は1955年に映画化された。振り付けはブロードウェイ版と同じアグネス・デ・ミル( Agnes de Mille)。


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    「ヨランダと盗賊」

     1945年11月に公開された映画「ヨランダと泥棒」(”Yolanda and the Thief”)は、フレッド・アステアとバレエとの関係で重要な作品。


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     「ヨランダと盗賊」が公開されたのは1945年。

     「ジーグフェルド・フォーリーズ」はそれより前、1944年に撮影されたが、公開されたのは1946年で、「ヨランダと盗賊」より後になった。

     「ヨランダと盗賊」の中には、大がかりなバレエがある。―劇中でフレッド・アステアの演ずる人物がみる夢(悪夢)がバレエで表現されるのである。

     「ジーグフェルド・フォーリーズ」の「ライムハウス・ブルース」を発展させたということもできる。

     監督は同じくヴィンセント・ミネリ。

     振り付けは変わってユージーン・ローリング(Eugene Loring)。

     「ライムハウス・ブルース」は中国風であったが、「ヨランダと盗賊」のバレエはシュールレアリスムを取り入れたものになっている。

     「ヨランダと盗賊」のバレエは、「ライムハウス・ブルース」以上に、その後のミュージカル映画の先駆けとなっているところがある。

    後のミュージカル映画との関係

     劇中でフレッド・アステアの演ずる人物がみる夢がバレエによって描かれる。

     その人物の心の中にある問題がバレエによって描かれる。

     その後のMGMミュージカル映画で、「踊る大紐育」(1949年)、「巴里のアメリカ人」(1951年)は、夢ではないが、主人公の心の中にある問題がバレエによって描かれている。

     MGMではないがフレッド・アステアの「足ながおじさん」(1955年)では、夢(悪夢)というかたちで主人公の心の中にある問題がバレエによって描かれている。

    美術

     映画「ヨランダと盗賊」のバレエにおいては、主人公の夢(悪夢)=心の中にある問題を表現するために、背景にシュールレアリスムが取り入れられている。

     背景にシュールレアリスムが取り入れられていることは、「巴里のアメリカ人」においてフランス印象派の画家の絵が取り入れられたことと通ずるところがある。

     地面に高いところと低いところがあることも「巴里のアメリカ人」と似ている。

     いずれも監督はヴィンセント・ミネリ。

    フレッド・アステアの恰好

     「ヨランダと泥棒」のバレエでのフレッド・アステアの恰好は、後の映画「バンド・ワゴン」(1953年)の「ガール・ハント」バレエの時のフレッド・アステアの恰好―白のハット、青のシャツ、白のスーツ―と似ている。

     映画「トップ・ハット」以来の、トップハット、白の蝶ネクタイ、燕尾服という姿とは異なる姿が作り出されている。


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    「ヨランダと盗賊」の興行成績

     「ヨランダと泥棒」は、ミュージカル映画の卓越した作り手たち力を結集させて作った作品であった。

     MGMで多くのミュージカル映画の傑作を制作したアーサー・フリードは、この映画のために自ら作詞を担当するほど力を入れていた。

     ところが映画「ヨランダと盗賊」は興行的に失敗した。

    「ブルー・スカイ」

     「ヨランダと盗賊」が失敗した後、フレッド・アステアは映画「ブルー・スカイ」( “Blue Skies” )に出演した。(1946年)


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    フレッド・アステアが「ブルー・スカイ」に出演した気持ち

     フレッド・アステアはそのことについて自伝で次のように語っている。

    この上また軽量級の作品を重ねたくはない。「弱い作品」が二本続くと自分の価値も下がってしまう。

    「フレッド・アステア自伝」、366頁

    フレッド・アステア自伝 Steps in Time

     原文。

    I don’t want to do another light-weght right on top of it. Two “weakies” in a row can reduce you.

    “Steps in Time” p.282

    Steps in Time: An Autobiography

     フレッド・アステアは「ヨランダと盗賊」の失敗から立ち直るために「ブルー・スカイ」に出演することを決めたというのである。

     フレッド・アステアは「ブルー・スカイ」に出演するために、MGMからパラマウントに貸し出されることになった。

     フレッド・アステアは「ブルー・スカイ」で引退することをも決めた。

    わたしはこの映画の撮影中、これを最後に引退する気持ちを固めた。わたしが必要だと思う要件を『ブルー・スカイ』は満たしていた。ヒットになりそうだと思えたのだ。

    「フレッド・アステア自伝」、366頁

    フレッド・アステア自伝 Steps in Time

     原文。

    I made up my mind during the shooting of this film that I wanted to retire on it.Skies measured up to the requirements I considered essential: It looks like a hit.

    “Steps in Time” P.282

    Steps in Time: An Autobiography

     フレッド・アステアは映画「ヨランダと盗賊」での失敗の後では「ヒット」がなくてはならないと思っていた。

     「ヒット」した上で引退したいと思っていた。

     フレッド・アステアが「ブルー・スカイ」で引退しようと考えた理由は他にもあると言われている。

     いずれにせよ、フレッド・アステアは「ヨランダと盗賊」の失敗によって大きな傷を負って、次の映画でその傷から立ち直らなくてはならないと考えていたのである。

    映画「ブルー・スカイ」の方向

     フレッド・アステアが「ヒットになりそうだと思えた」という映画「ブルー・スカイ」はどういう作品であったか?

    「スイング・ホテル」

     「ブルー・スカイ」は、1942年に公開された映画「スイング・ホテル」と似ている。


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    ・ビング・クロスビーが歌を聞かせ、フレッド・アステアが踊りを見せる

    ・ビング・クロスビーとフレッド・アステアが同じ女性を取り合う

     フレッド・アステアが「ブルー・スカイ」に出演することは、「スイング・ホテル」に帰ることということができる。

     「スイング・ホテル」は大ヒットしたが、「ブルー・スカイ」も大ヒットした。

    映画「ブルー・スカイ」のダンス

    「ヒート・ウェイヴ」 ”Heat Wave”

     映画「ブルー・スカイ」の終盤には、アーヴィング・バーリンの楽曲「ヒート・ウェイヴ」による大掛かりなダンスがある。

     そのはじめには、「ヒート・ウェイヴ」を歌うオルガ・サンフワンにフレッド・アステアが「ヨランダと盗賊」の夢のバレエのように近づくところがある。

     しかしその後にはフレッド・アステアがソロのタップダンスを存分に披露している。

    「プッティン・オン・ザ・リッツ」 ”Puttin’ on the Ritz”

     映画「ブルー・スカイ」で最も有名なダンスは、楽曲「プッティン・オン・ザ・リッツ」( “Puttin’ on the Ritz” )によるフレッド・アステアのタップダンス。

     劇中では「ヒート・ウェイヴ」より前にあるが、フレッド・アステアの引退前の最後のダンスとうたわれた。

     そこでフレッド・アステアはトップ・ハット姿(モーニング)になっている。

    回帰?

     映画「ブルー・スカイ」でフレッド・アステアは、

    ・「ヨランダと盗賊」で切り開いたバレエも取り入れているが、

    ・トップハット姿でタップダンスを踊るという、前に成功したやり方に帰っているようである。

     振り付けはハーミーズ・パン。

     ハーミーズ・パンは、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズが共演した映画でフレッド・アステアとともにダンスを考えていた人。

     ハーミーズ・パンを起用したことも、フレッド・アステアが前に成功したやり方に立ち返ろうとしていることを現わすことのように見える。

    まとめ

     フレッド・アステアは映画「ヨランダと盗賊」において、夢を表現する大がかりなバレエに挑戦した。

     ところが「ヨランダと盗賊」は興行的に失敗してしまった。

     フレッド・アステアとバレエの出会いはうまくいかなかったのである。

     フレッド・アステアは映画「ブルー・スカイ」において、トップハット姿で、タップダンスを見せるという前に成功したやり方に帰った。

     そうして引退しようと考えた。

     バレエから、それまでに成功していた姿に帰って引退しようと考えたのである。

     続き↓