カテゴリー: 政治

  • 兵庫県漏えい問題:斎藤知事は悪いのか? 第三者委員会報告書の問題点

    兵庫県漏えい問題:斎藤知事は悪いのか? 第三者委員会報告書の問題点

     兵庫県の情報漏えい問題を調査した第三者委員会の調査報告書が公表されて、斎藤元彦兵庫県知事を非難する声が高まっている。大手新聞、テレビ局がこぞって斎藤氏を責めている。斎藤氏は追い詰められているようである。

     斎藤氏は何故に責められているのか?

     斎藤氏を責めるマスメディアは一色である意味わかりやすいが、複雑な問題でもある。斎藤氏が言ったか言わなかったかが問題とされているようでもあるが、公益通報を巡ることが問題とされているのでもある。

     複雑な問題を解きほぐしてみよう。

    斎藤氏を非難する声

     令和7年5月27日、秘密漏えい疑いに関する第三者調査委員会が最終調査報告書を公表、記者会見を行った。それを受けて新聞、テレビでは斎藤氏を非難する声が高まった。大手新聞各社は社説でその報告書を取り上げて斎藤氏を非難した。

     朝日新聞「(社説)斎藤氏の責任 進退が問われている

     読売新聞「兵庫漏えい問題 告発者の人格を貶める卑劣さ

     毎日新聞「兵庫知事が「漏えい指示」 もう言い逃れは許されぬ

     産経新聞「<主張>兵庫県の情報漏洩 斎藤知事は進退の判断を

     いずれも第三者委員会の調査報告書を受けて、兵庫県の漏えい問題で斎藤氏の責任を問題とし、辞任を求めている。

     斎藤氏の何が悪いというのか? 本当に悪いのか?

    漏えいの指示

     斎藤氏は情報漏えいの指示をしたということで非難されている。第三者委員会の調査報告書は斎藤氏が情報漏えいの指示を行った可能性が高いとした。(https://web.pref.hyogo.lg.jp/kk28/documents/tyousahoukokusho_kouhyou.pdf)

     斎藤氏は令和7年3月6日に行われた第三者委員会の事情聴取で指示していないと主張した。しかし元総務部長等の供述によると指示はあったようである。

     斎藤氏は第三者委員会の報告書が公表された後も指示はしていないと語っている。

     上に挙げた新聞社の社説はいずれも報告書公表後に斎藤氏が指示はしていないと言ったことを問題としている。第三者委員会の調査報告に反対する斎藤氏を責めるというかたちである。

     斎藤氏は指示をしたか? しなかったか? ということが問題とされている。斎藤氏は事実に反することを言っているのか? という問題である。

     しかし各紙ともそのことだけを問題としているのではない。斎藤氏が情報漏えいを指示したということを問題としている。

    論点整理

     問題を整理して考えよう。

     斎藤氏は情報漏えいを指示したということで責められている。

     そこで指示したのか? していないのか? ということが問題となる。

     どういう指示をしたとされているのか? ということが問題となる。

     そもそも情報漏えいは何故に悪いのか? ということが問題となる。

     以下、一つ一つ考えていこう。

    斎藤氏は指示をしたのか? していないのか?

     指示をしたのか? していないのか? ということでは元総務部長等の供述が斎藤氏の供述と対立している。

    斎藤氏の指示の内容

     斎藤氏は指示をした可能性が高いと第三者委員会は判断している。それではどういう指示をしたと第三者委員会は考えているのか?

     元総務部長が「「根回し」の趣旨で前記認定の情報開示(漏えい)を行った」、その指示をしたというのである。

     E氏は「そのような文書があることを、議員に情報共有しといたら」と指示されたという。D氏は「根回しというか議会の執行部に知らせておいたらいいんじゃないかという趣旨」といい「(私的情報の)中身全部持っていけと、そんなことじゃなくて、『(私的)情報があるということは情報共有しておいたら』と言われたんだなと思った」という。

     第三者委員会の報告書は『「根回し」の趣旨で前記認定の情報開示(漏えい)を行った』というように「根回し」と「情報開示(漏えい)」を一つのことのように書いているが、「根回し」は非難されなくてはならない「情報開示(漏えい)」ではないのではないか?

     斎藤氏は「根回し」を指示したにとどまって、「情報開示(漏えい)」を指示したのではないのではないか?

     増山県議は、百条委員会で私的情報のことが明らかになと県民局長に大きな負担がかかるのであるから、斎藤氏はそのことを議会に伝えなくてはならなかったと主張している。

    https://www.youtube.com/watch?v=Z7LQNo2Pvww

    そもそも情報漏えいは何故に悪いとされているのか?

     そもそも情報漏えいと言われている行為は何故に悪いとされているのか?

     根拠は何か?

    「秘密」と「漏えい」

     第三者委員会は地方公務員法第34条によると言う。

     ここまで一般論に問題はない。問題はその一般論を具体的な事例に適用するところにある。

     第三者委員会は「元県民局長の私的情報」は『前記の基準による保護されるべき「秘密」に該当する』と語る。しかし根拠が明らかではない。「元県民局長の私的情報」は「その内容からして正に個人情報といえるから」というが、個人情報は「秘密」に該当するということは何を根拠としているのか? 第三者委員会が挙げた地方公務員法にも判例にもそのようなことは言われていない。「その内容からして」というが、「その内容」とはどういうものか? 「客観的に見て本人の秘密として保護に値するものでなければならない」とされているのであるから、そのことを示さなくてはならないはずである。

     次に「漏えい」について。

     「広く一般に知らしめる行為または知らしめるおそれのある行為」といい、「特定の個人に対する場合もさらに伝達するおそれがあるので「漏えい」したことになると解されている」というが、県職員が県議会議員に「根回し」する場合、「広く一般に知らしめる行為」とは考えられず、「漏えい」に当たらないのではないか?

    行為の目的

     元総務部長による「情報漏えい」と言われる行為は、単に地方公務員法によって悪いとされているのではない。公益通報をつぶす行為として非難されている。上に取り上げた新聞の社説はいずれもそのことを非難している。

    「漏えいの動機ないし目的」の検討

     第三者委員会の報告書ではそのことはない「8 漏えいの動機ないし目的」にある。元総務部長の行為の動機ないし目的について検討しているところである。

     ここで第三者委員会は、元総務部長の行為の目的について「元県民局長の私的情報を暴露することにより、その人格ないし人間性に疑問を抱かせ、ひいては告発文書の信用性を弾劾する点にあった」ということに説得力を認めている。

     上に取り上げた新聞社の社説はいずれも第三者委員会の報告書のこの箇所を取り上げている。そしてその行為を指示したとして斎藤氏を非難している。これまで問題とされてきた斎藤氏による公益通報つぶしが第三者委員会の調査によって明らかにされたかのようである。

     ところで第三者委員会を検討はおかしなことになっている。

     (1)で3名の議員の供述を取り上げて、(2)で「一定の説得力がある」と評価して、(3)で元総務部長は主張を変更したので、別のところで扱う、と語っている。

     第三者委員会の目的は、元総務部長の3名の議員に対する行為の事実調査である。「8 漏えいの動機ないし目的」はその行為の動機ないし目的について検討するところである。そこで第三者委員会は3名の議員の供述だけを取り上げて説得力があると評価している。その行為の本人である元総務部長の主張はそこで取り上げず他のところで取り上げるとしている。

     上に取り上げた新聞の社説はいずれも第三者委員会の報告書のそういう箇所を取り上げているわけである。

     元総務部長の行為の動機ないし目的について検討するためには、元総務部長自身の主張を聞かなくてはならないはずである。

     今度の場合は斎藤氏の動機ないし目的も問題とされているが、新聞は3名の議員の供述によって斎藤氏の動機を決めつけて非難するかたちになっている。

    元総務部長の弁明書

     元総務部長は人事課に提出した令和7年2月14日付「弁明書」において、元総務部長の行為について次のように主張していると第三者委員会はまとめている。

     (4)は懲戒処分についてのことであって、ここでは取り上げない。

     (1)において元総務部長は自分の行為について「正当業務」であり「外部通報」であったと主張している。

     それに対して第三者委員会は外部通報には当たらないと主張している。しかしそうであったとしても、元総務部長の行為の目的は外部通報にあったということはできる。元総務部長の行為の動機ないし目的について検討するためには重視しなくてはならないことである。

     第三者委員会が元総務部長の行為は外部通報に当たらないと主張していることについて、石丸弁護士は、真実や真実相当性によって判断していることは明らかに誤りであると言い、3名の議員の供述による事実認定だけで判断していることに疑問を呈している。

     十分な根拠がないにもかかわらず、元総務部長の「外部通報」を否定しているとすると、それこそ公益通報つぶしではないか?

     第三者委員会がもとにした「週刊文春」令和6年7月25日号の記事(報告書の末尾に抜き書きされている。「文春オンライン」におけるURLはhttps://bunshun.jp/articles/-/72155)もそうではなかったか?

     元総務部長の「人格ないし人間性に疑問を抱かせ、ひいては告発文書の信用性を弾劾する」ことはなかったか?

     (2)の『元県民局長の私的情報は「秘密」として保護するに値しない』も元総務部長の行為の意味に関することであるが、第三者委員会は反論している。

     根拠を示してほしいところであるが、「元県民局長の個人情報であり」という言葉で片付けてしまっている。

     (3)は3名の議員の供述の信用性を問題としている。第三者委員会が3名の議員の供述をもとにして元総務部長の行為について判断を下したことに対する反論になっている。それに対して第三者委員会は次のように反論している。

     この反論はおかしくないか? 元総務部長は3議員が元総務部長の行為を「正当業務行為」であるのに「守秘義務違反」にすり替えたことを問題としている。それに対して『「E氏がそれぞれの議員控室を一人で訪れ、紙に印刷した元県民局長の私的情報を見せた(見せようとした)」との前記3議員の供述の信用性は揺るぎない』と言うのでは答えになっていない。

    斎藤氏の動機ないし目的

     今度の第三者委員会の報告書の公表を受けて、元総務部長の行為は斎藤氏の指示によるものであったとされ、斎藤氏が公益通報つぶしを指示していたとしてマスメディアは非難している。

     そこで斎藤氏の動機ないし目的が問題となる。

     斎藤氏自身は指示していないと主張している。それに対して第三者委員会は指示した可能性が高いとみなしている。元総務部長は「そのような文書があることを、議員に情報共有しといたら」と言われたという。「根回し」の趣旨であったとも言われている。斎藤氏の動機ないし目的は、新聞の社説で語られているような公益通報つぶしではなく、「情報共有」「根回し」であったというのが第三者委員会の認めたことである。

    まとめ

     第三者委員会は行為の「動機ないし目的」について、3名の議員の供述だけでなく、元総務部長自身の主張、斎藤氏の主張を取り上げて検討しなくてはならなかったはずである。

     「8 漏えいの動機ないし目的」というところで3名の議員の供述だけを取り上げて評価した結果、マスメディアは3名の議員の供述こそが真実であるかのようなストーリーを流している。

    第三者委員会に対する疑問

     今度の第三者委員会は元総務部長の行為について事実調査を行うものである。

     第三者委員会は「客観的かつ信頼性の高い事実調査を行う」ものとされている。「秘密漏えいの事実の存否・内容を客観的かつ中立公正な形で確認することを目的として」設置されたものであるという。

     しかし、そもそも元県民局長の私的情報は「秘密」として保護するに値するか、と言う問題に対して根拠を示すことができていない。それにもかかわらず「秘密」として保護するに値するときめつけている。

     第三者委員会は3名の議員に対する元総務部長の行為の事実調査を目的としているはずであるのに、3名の議員の供述だけを取り上げて評価している。そしてそれに反対する元総務部長自身の主張を否定しようとして根拠のない主張をしている。

     目的から逸脱しているのではないか?

     第三者委員会は「客観的かつ中立公正な」ものであるとすると、現在第三者委員会を名乗っている団体の主張を一方において、他方に元総務部長の主張をおいて、どちらが正しいか客観的に検討しなくてはならない。

  • 兵庫県の漏えい―第三者委員会報告書の考察

    兵庫県の漏えい―第三者委員会報告書の考察

     兵庫県の秘密漏えい疑いに関する第三者委員会の調査報告書が公表されて、兵庫県の文書問題を巡る議論がまた騒がしくなった。

     兵庫県を覆う暗雲はまだまだ晴れそうにない。

     その中で気になるところがある。斎藤元彦兵庫県知事が公益通報者の私的情報を暴露して告発文書の信用を低下させようとしたというストーリーが盛んに語られていることである。

     文書問題が話題になってから繰り返し語られてきたストーリーであるが、第三者委員会の報告書にも取り入れられていて、その報告書を受けてまた盛んに語られている。

     語られるのを聞くたびに気になる。―そのストーリーは正しいのか?

     斎藤氏等は一貫して、問題とされている文書は公益通報として保護されるだけの要件を備えていない、告発者の私的情報を取り上げることには文書の信用性を低下させることと異なる意味があると主張してきた。その主張を無視していいのか?

     そのストーリーはおかしいのではないか? ということから兵庫県の問題について考えてみたい。

    マスメディアの斎藤知事非難

     令和7年5月27日、秘密漏えい疑いに関する第三者調査委員会が最終調査報告書を公表、記者会見を行った。それを受けて大手新聞各社は社説でその報告書を取り上げた。ここに列挙してみよう。

    朝日新聞

     朝日新聞の社説「(社説)斎藤氏の責任 進退が問われている」はその見出しの通り斎藤氏の進退を問題とするもの。その中で問題とされるストーリーに関するところ。

     斎藤元彦知事ら兵庫県にまつわる問題を告発した元県民局長の男性に関し、前総務部長が男性の私的情報を県議に漏洩(ろうえい)した。知事の指示のもと行われた可能性が高い。
     男性の人格や人間性に疑問を抱かせ、告発文書の信用性を弾劾(だんがい)する目的だった、との説明に説得力がある。
     県の第三者委員会が報告書をまとめ、公表した。県から独立した弁護士3人が資料を分析し、聞き取りを重ねて導き出した結論である。驚くべき事態だ。

    朝日新聞「(社説)斎藤氏の責任 進退が問われている

     「男性の人格や人間性に疑問を抱かせ、告発文書の信用性を弾劾(だんがい)する目的だった、との説明に説得力がある。」という第三者委員会の結論を重く受け止めている。

    読売新聞

     読売新聞の社説「兵庫漏えい問題 告発者の人格を貶める卑劣さ」。見出しに「告発者の人格を貶める卑劣さ」というストーリーに関するところが盛り込まれている。本文では次のように書いている。

     告発者の人格を
    おとし
    め、告発が虚偽だと印象づける狙いがあったのなら、卑劣極まりない。公益通報制度の根幹を揺るがしかねず、知事の責任は免れない。

    読売新聞「兵庫漏えい問題 告発者の人格を貶める卑劣さ

     本文ではこのように「告発者の人格を
    おとし
    め、告発が虚偽だと印象づける狙いがあったのなら」と条件付きであるが、見出しは「告発者の人格を貶める卑劣さ」と事実のように書いている。

    産経新聞

     産経新聞の社説「<主張>兵庫県の情報漏洩 斎藤知事は進退の判断を」は斎藤氏に神体の判断を迫るものであるが、ストーリーに関して本文で次のように語っている。

    報告書は「私的情報の暴露で(告発者の)人格や人間性に疑問を抱かせ、告発文書の信用性を弾劾する」ことが目的とした。極めて悪質な行為だ。

    産経新聞「<主張>兵庫県の情報漏洩 斎藤知事は進退の判断を

    毎日新聞

     毎日新聞の社説「兵庫知事が「漏えい指示」 もう言い逃れは許されぬ」は斎藤氏を許さないという気持ちを前面に出している。ストーリーに関しては次の通り。

     私的情報を見せられた県議は、その目的について「元県民局長の人格に疑問を抱かせ、告発文書の信用性をおとしめる目的があった」と認識していたという。

    毎日新聞「兵庫知事が「漏えい指示」 もう言い逃れは許されぬ

    神戸新聞

     神戸新聞の社説「<社説>私的情報漏えい/知事は自らの責任直視を」も知事の責任を問題としているが、ストーリーに関するところは次の通り。

     見過ごせないのは、漏えいの目的だ。第三者委は「元県民局長の人格や人間性に疑問を抱かせ、告発文書の信用性を弾劾する点にあった」とする県議の見方を支持した。私的情報は告発内容とは無関係で、告発者をおとしめる行為は許されない。

    神戸新聞「<社説>私的情報漏えい/知事は自らの責任直視を

    まとめ

     このように右左にかかわらず、全国紙(?)も地域紙も同じストーリーで斎藤氏を責め立てている。閣僚でも国会議員でもなく兵庫県知事がこのように責め立てられ追い詰められているところをみると、気にならざるを得ない。

     橋下徹氏も加えよう。橋下氏は繰り返し斎藤氏の行動を「自分を批判してきた告発潰し」とみなして非難してきた。今度もそう語っている。

     そして乱暴な言葉で辞任を求めている。

     下の動画で橋下氏はここで問題としているストーリーを語っている。共演者も同じことを語っている。

     ところで橋下氏は元総務部長の弁明を斎藤氏に対する内部告発ときめつけて斎藤氏のダブルスタンダードを非難しているが、斎藤氏に対する内部告発なのか?

     その語るストーリーが実態と違うのではないかと思われるが、それにもかかわらずむきになって斎藤氏をやめさせようとしているように見える。大手新聞紙や橋下氏のような影響力のある人が何故に兵庫県知事を追い詰めようと必死になっているのか? 裏に何があるのかと思ってしまう。

    第三者委員会と「週刊文春」の関係

     第三者委員会について考えてみよう。

     今度の第三者委員会はもともとここで問題としているストーリーをもとにして設置されている。

     秘密漏えい疑いに関する第三者調査委員会が令和7年5月27日に公表した最終調査報告書(公表版)https://web.pref.hyogo.lg.jp/kk28/documents/tyousahoukokusho_kouhyou.pdfにも書かれているように、この委員会は「週刊文春」令和6年7月25日号の報道を受けて事実を調査することを目的として設置されたものである。

     「週刊文春」令和6年7月25日号の記事(報告書の末尾に抜き書きされている。「文春オンライン」におけるURLはhttps://bunshun.jp/articles/-/72155)は「斎藤元彦・兵庫県知事のパワハラ告発後に死亡…元局長が受けていた“個人攻撃” 告発文書で名指しされた“4人組”を直撃した」という見出しの通り、元局長が受けていた“個人攻撃”について語るものである。斎藤氏が自分を告発した人物に対して“個人攻撃”をしかけた、そしてその人物は死亡したというものである。記事の中では次のような文がある。

     県庁周辺では、こんな目撃談がある
    「人事課を管轄する総務部長が、大きなカバンを持ち歩くようになった。中には大きな2つのリングファイルに綴じられた文書が入っており、県職員や県議らにその中身を見せて回っていたようです。リングファイルの中身は、3月下旬に押収したX氏のPCの中にあった私的な文章。どうやらその文章は、4人組によって、県議や県職員の間に漏れていたようです」(前出・県職員)

    X氏は告発文書の発表以来、陰に陽に“個人攻撃”を受けつづけ、ついに自死を選んだ。

    文春オンライン「斎藤元彦・兵庫県知事のパワハラ告発後に死亡…元局長が受けていた“個人攻撃” 告発文書で名指しされた“4人組”を直撃した

     「4人組」とよばれる「片山副知事、県職員の総務部長、産業労働部長、若者・Z世代応援等調整担当理事の4人」がX氏のPCの中にあった私的な文章を県議や県職員の間に漏れさせていた、そういう“個人攻撃”によってX氏は自死を選んだ、というように型っている。その目的について次のような言葉を記している。

    Xさんの秘密を暴露することで、Xさんの人間性を貶め、告発文書の信頼性を下げるのが狙いでしょう。

    「週刊文春」令和6年7月25日号22頁4段目

     公益通報者の私的情報を暴露して告発文書の信用を低下させようとしたというストーリーである。

     第三者委員会はその「漏えいの事実の存否・内容を客観的かつ中立公正な形で確認することを目的として」設置されたものである。もともと「週刊文春」の記事によって問題を設定されたかたちになっている。そして「週刊文春」のストーリーを追認しているところがある。

    「漏えいの動機ないし目的」

     第三者委員会の報告書と「週刊文春」のストーリーとの関係で問題となるのは、報告書「8 漏えいの動機ないし目的」というところ。報告書は私的情報の提示を受けた3名の議員の供述をもとにして検討している。まず議員の供述を挙げる。

     以上の議員の供述をもとにして次のように評価している。

     ここで「弾劾」という耳慣れない言葉が出て来るが、訴訟法で所謂「弾劾証拠」の「弾劾」、すなわち証明力を争うことのようである。

     第三者委員会は3名の議員の語るように、問題とされている漏洩の目的は「元県民局長の私的情報を暴露することにより、その人格ないし人間性に疑問を抱かせ、ひいては告発文書の信用性を弾劾する点にあった」ということには「一定の説得力がある」という。「週刊文春」のストーリーに説得力があると認めているのである。

     この評価には問題がある。

     元総務部長の動機ないし目的を調査するのに、元総務部長自身が語ることを取り上げず、3名の議員が語ることをそのまま受け入れることはおかしい。その中の2人は明らかに憶測にすぎない。そもそもこの3名の議員が語っていることは、朝日新聞も読売新聞も毎日新聞も産経新聞も必ず3名の議員しも実態に即することなく語っているストーリーであって、この場合も実態に即しているか問題となる。

     元総務部長は3名の議員の証言等は信用性に欠けていると主張している。第三者委員会はその主張を含む弁明書を取り上げているにもかかわらず、本人の主張を取り上げず、3名の議員の証言だけをそのまま受け入れることは偏っているのではないか?

     元総務部長は自分の行為は公益通報に当たると主張している。第三者委員会は当たらないと主張しているが必ずしも明らかではない。いずれにせよ元総務部長の目的は公益通報にあったと本人は主張しているのである。どういう根拠でその主張を取り上げず、3名の議員の必ずしも明らかではない証言に説得力を認めているのか?

    斎藤氏、片山氏との関係

     第三者委員会報告書では、元総務部長の行為は知事、副知事の指示による可能性が高いと判断している。

     元総務部長のほかに斎藤氏、片山氏の目的が問題となる。

     斎藤氏は指示をしていないと語っている。しかし第三者委員会の報告書によると指示をした可能性が高いようである。

     指示をしたかしていないかということでは斎藤氏の分が悪いようである。マスメディアではそれゆえに斎藤氏を責める声が大きい。

     しかし指示をしていたとしても、必ずしも斎藤氏が悪いとは限らない。

     まず、斎藤氏がマスメディアが語るように、また第三者委員が認めたように「元県民局長の私的情報を暴露することにより、その人格ないし人間性に疑問を抱かせ、ひいては告発文書の信用性を弾劾する」目的で漏洩を指示したとは考えにくい。

     斎藤氏も片山氏もその他どの幹部の人もその文書を一目見て事実と異なることが多いと認識した。片山氏は百条委員会でそう語っている。

     そう認識している人が、いかがわしいやり方でその文書の信用性を低下させようとするであろうか?

     令和7年3月21日の文書問題に関する第三者委員会の調査報告書でも告発文書の7の項目うち6の項目で事実が認められないとして、パワハラだけを認めたものである。

    https://web.pref.hyogo.lg.jp/kk19/documents/honnpenn1.pdf

    https://web.pref.hyogo.lg.jp/kk19/documents/honnpenn2.pdf

     7の項目うち6の項目で事実が認められない文書は信用性の高い文書ではない。斎藤氏、片山氏にとっては特にそうであったと思われる。

     元総務部長が自ら主張するように斎藤氏路の指示の下で公益通報の目的で行動していたとすると、斎藤氏の目的も同じことになるのではないか?

     片山氏は告発者の公用PCの中身について明らかにすることに重要な意味があると考えている。そのことによって文書に不正な目的があることを示すことができる、不正な目的があるとすると、公益通報に当たらないことになる、という考えである。(公益通報者保護法第二条「「公益通報」とは、次の各号に掲げる者が、不正の利益を得る目的、他人に損害を加える目的その他の不正の目的でなく、」)

    秘密漏えいとは?

     今度の第三者委員会の報告書では、元県民局長の私的情報を伝える行為が問題とされている。「週刊文春」の記事で問題とされたことを問題としているのである。

     しかし元県民局長の私的情報を伝える行為にどういう問題があるのか? 必ずしも明らかではない。どこまでがよくてどこからいけないのか、よくわからない。

     第三者委員会は秘密の漏えいの問題について一応説明している。「秘密」の定義について次のように語る。

     このように第三者委員会は「元県民局長の私的情報」は「保護されるべき「秘密」に該当する」と論じている。

     しかし「客観的に見て本人の秘密として保護に値するものでなければならない」ということを考えるには、報告書の他の部分で行われているような具体的な証拠をもとにした検証が必要ではないか? 「本件における「元県民局長の私的情報」は、その内容からして正に個人情報といえるから」ということで片付けていいのであろうか? 「元県民局長の私的情報」を伝えることが公益のためになることもあるのではないか?

     「元県民局長の私的情報」を明らかにすることに関しては「元県民局長の私的情報を暴露することにより、その人格ないし人間性に疑問を抱かせ、ひいては告発文書の信用性を弾劾する」ことを目的とする行為として非難する声が強い。

     それに対して片山氏のように、文書に不正の目的があることを示すために「元県民局長の私的情報」を明らかにすることが必要だという主張がある。元総務部長は弁明書で「外部通報」に当たると主張している。

     前者のストーリーを広めてしまったことによって、後者の主張に対して正しく考えることができなくなっている、ということはないか? 今度の第三者委員会の報告書もそういうものになっていないか?

    ストーリーの出どころ

     告発者の「私的情報を暴露することにより、その人格ないし人間性に疑問を抱かせ、ひいては告発文書の信用性を弾劾する」という目的のために私的情報を漏えいすることはどうしてこれほどまで問題とされているのか?

     兵庫県の文書問題で積極的に発言している奥山俊宏氏もそのストーリーを語っている。たとえば2024年9月5日 11:30『「斎藤知事の言動は“公開パワハラ”だ」兵庫県議会の百条委で奥山教授が鋭く指摘した全文を掲載(前編)https://slownews.com/n/nd7f71de04bff』では、2017年7月12日の自分の論文を引用している。―奥山俊宏「政府の側は内部告発者への違法な攻撃をやめるべき」2017年7月12日『論座』という論文の次のところ。

    本来ならば、内部告発の内容と内部告発者の人格は関係がない。内部告発した人がどんな悪人であっても、内部告発の内容が真実であることはあり得る。内部告発した人がどんなに正直な人であっても、内部告発が誤解に基づくものである可能性もなくはない。
    内部告発の内容がウソだというのなら、内部告発された側はそれに反論すればいい。ところが、内部告発の内容について反論するよりも先に、内部告発者の人格を攻撃し、内部告発者の秘密漏洩を非難するのが、告発された側の人たちの多くに共通する習性だ。
    それはなぜか。
    一つは、痛いところを突かれたと感じ、「ばらしやがって」と怒り、思わず感情をあらわにしてしまう、というものだ。
    もう一つは、内部告発した人の評判を落とし、信用を貶(おとし)めて、内部告発の内容の信憑性を低めようとする狙いがあっての意図的な攻撃だ。
    しかし、それらだけが人格攻撃の理由ではない。
    これまでの様々な事例で共通して見られる、人格攻撃と漏洩非難の大きな狙いは、内部告発の連鎖を止めることにある。内部告発が別の新たな内部告発を呼び起こすことがないように、見せしめにしようということだ。
    放っておけば、正当な内部告発は必ず共感を呼び、別の内部者が声を上げる。それを止めるため、内部告発者に悲惨な末路を押しつけ、示しをつけようとする。見せしめにするのだ。
    このように、内部告発した人の多くは、人格を攻撃され、情報漏洩を非難される。日本だけでなく、アメリカでもそうだし、イギリスでもそうだ。これは一つのパターンだ。

     2017年7月12日のこの議論が2024年の兵庫県文書問題にもあてはまると主張しているようである。いずれも「内部告発した人の評判を落とし、信用を貶(おとし)めて、内部告発の内容の信憑性を低めようとする狙い」というストーリーによって説明される。

     しかし奥山氏の語るストーリーは実情から乖離しているのではないか? それにもかかわらずマスメディアが奥山氏の語るストーリーに従い続けているのは何故なのか?

  • 小西議員が公開した高市大臣に関する文書は「捏造」か? 情報の整理

    小西議員が公開した高市大臣に関する文書は「捏造」か? 情報の整理

     2023年3月、小西洋之参議院議員が公表した文書を、高市早苗経済安全保障担当大臣が「捏造文書」と呼んで、捏造でない場合は辞職していいと言ったことで、大きな話題となった。そこで総務省が精査を行って「この文書に記載されている内容についての正確性は確認できなかった」等の結果を公表した。高市氏がその内容は事実に反すると言った文書について、総務省が精査を行った結果、その文書の内容が正確だと確かめることはできなかったというのである。

     ところが総務省の精査の結果にもかかわらず、高市氏の主張が覆されたかのように語る人が後を絶たない。江川紹子氏を例として挙げよう。

     高市氏の主張は総務省によって覆されたという言説を引用して「まったくその通り」と言っている。そのような事実はないにもかかわらず、江川氏はそのような事実があったかのように語っている。江川氏は正しいことを言うことが求められる社会的地位にある人である。その人が事実に反することを言っている。そういう人が他にも少なくない。そして高市氏の総裁選出馬に反対するかたちでそういうことを言っている。現代日本の重要な問題として考えられなくてはならないことではないか?

    発端

     2023年3月2日、立憲民主党の小西洋之参議院議員が参院議員会館で記者会見して、放送法の政治的公平性をめぐる解釈に関する総務省の内部文書とされるものを公表した。

    小西洋之 政治チャンネル(こにたんチャンネル) 2023年3月2日 小西ひろゆき 記者会見 「高市早苗総務大臣(当時)が放送法の解釈を捻じ曲げた疑惑を証明する内部文書」

     小西氏が公表した政治的公平に関する文書(3月7日に総務省によって公表された)

     その文書には、平成26年(2014年)11月に礒崎陽輔首相補佐官が総務省に連絡してから27年(2015年)に5月に高市早苗総務相が参議院総務委員会で答弁するまでのやりとりが記されていた。

     ところが3月2日、高市氏は記者会見でその文書について「怪文書だと思う」と語った。(「朝日新聞」安倍政権下の内部文書か、放送の公平性巡りやりとり 立憲議員が公表)3月3日、参議院予算委員会で小西氏はその文書を取り上げて質問を行った。それに対して高市氏は「その小西委員が入手された文書の信憑性について、私は大いに疑問を持っております」と言い、「捏造文書」とも言った。そして次のようなやりとりがあった。

    小西洋之 (略)仮にこれが捏造の文書でなければ、大臣そして議員を辞職するということでよろしいですね。
    高市早苗 結構ですよ。

    第211回国会参議院予算委員会令和5年3月3日

     高市氏が捏造でなければ辞職していいとまで言ったことで、このことは大きな話題となった。

     高市氏が「捏造」というのは高市氏の言動が記されている4枚の文書である。高市氏が言うように「捏造」はあったのか? なかったのか?

     まず形式の問題について考える。そしてその後に内容の問題について考える。

    形式の問題

     その文書の内容が正しいかどうか考えるにあたって第一に問題となるのが文書の形式である。

    確認の有無

     4枚の文書はいずれも高市氏の確認をとらずに作られていた

     第一の文書「高市大臣レク結果(政治的公平について)」(平成27年2月13日(金)15:45~16:00)の配布先は「桜井総審、福岡官房長、今林括審、局長、審議官、総務課長、地上放送課長」とされている。高市氏に配布されていないのである。

     第二の文書「大臣レクの結果について安藤局長からのデブリ模様」(平成27年3月6日(金) 夕刻)は配布先が書かれていない。(作成者も書かれていない)

     第三の文書「高市大臣と総理の電話会談の結果」(平成27年3月9日(月)夕刻)にも配布先が書かれていない。(作成者も書かれていない)

     第四の文書「山田総理秘書官からの連絡【政治的公平の件について】」(平成27年3月13日(金)17:45)にも配布先が書かれていない。(作成者も書かれていない)

     このように4枚のうち3枚は作成者も配布先も書かれていない。唯一配布先が書かれている文書は、高市氏を配布先としていない。高市氏の確認を経ずに作られているのである。

     4枚の文書はいずれも「公文書等の管理に関する法律」に定められた「行政文書」である。行政文書に関しては平成29年の「行政文書の管理に関するガイドライン」で相手方の確認を経ることが求められている。

    第3 作成
    3 適切・効率的な文書作成
    (1) 文書の作成に当たっては、文書の正確性を確保するため、その内容について原則
    として複数の職員による確認を経た上で、文書管理者が確認するものとする。作成
    に関し、部局長等上位の職員から指示があった場合は、その指示を行った者の確認
    も経るものとする。
    (2) ○○省の外部の者との打合せ等の記録の作成に当たっては、○○省の出席者によ
    る確認を経るとともに、可能な限り、当該打合せ等の相手方(以下「相手方」とい
    う。)の発言部分等についても、相手方による確認等により、正確性の確保を期す
    るものとする。ただし、相手方の発言部分等について記録を確定し難い場合は、そ
    の旨を判別できるように記載するものとする。

     「可能な限り、当該打合せ等の相手方(以下「相手方」という。)の発言部分等についても、相手方による確認等により、正確性の確保を期するものとする」ことがもとめられているのである。相手方による確認がなくては正確性の確保はできないということである。

     高市氏が問題とした4枚の文書はいずれも平成29年の「行政文書の管理に関するガイドライン」以前のものであった。平成29年のガイドラインでは相手方による確認が求められていなかった。たとえば平成27年3月のガイドラインでは求められていない。

    官僚は正しいという主張

     ところが小西氏は、官僚は捏造しないという主張で突き進んだ。

     「高市大臣主張は記録上も創作上も破綻している」というが、高市氏に確認をとらずに作られた文書であって、高市氏が事実に反すると主張している状況では、第三者に正確なことはわからないはずである。小西氏は何故かその状況に向き合わない。

     小西氏は「発覚すれば自らも違法責任を問われる」のであるから官僚が「悪意を持ってねつ造」するはずがないと主張する。しかし同様なことは高市氏にも言うことができる。高市氏は「捏造」でないことが明らかになれば辞職しなくてはならないことになっている。何のためにわざわざ辞職の危険を冒して、捏造でないものを捏造というのか? どちらかというと、高市氏の言葉の方が重いのではないか?

     小西氏は文書を作成した官僚が「捏造していない」と言うことによって問題を解決することを主張しだした。3月13日に『このレク記録を作成した官僚に「中身をねつ造していますか?」と聞いたらいいのです』と言っている。

     官僚には捏造する理由はないゆえに官僚は捏造を否定する、その結果、高市氏は辞職しなくてはならないというのである。しかし官僚が捏造していないかどうか明らかではない。一方の当事者である高市氏が文書は事実に反すると言っている状況で、文書を作成した官僚が捏造していないと言っても、その文書が捏造でないことは明らかにならない。

     小西氏は2023年3月20日の参議院予算委員会で、問題の文書を作成した官僚の捏造していないという証言を示すというやり方をとろうとした。議事録。(以下抜き書き)

    小西氏 この高市大臣の平成二十七年二月十三日のこの大臣レク結果、ここに名前があるこの安藤さん、また長塩さん、また西潟さん、それぞれの三者がこの文書を捏造したと、自分たちは事実ありもしないことを故意にあることとしてこの文書に何らかそういう記載をした、捏造をしたというふうに証言しているでしょうか。

     文書作成に関わったと記されている人が「捏造をした」と証言しているかと総務省に問うている。それに対して総務省は次のように答えている。

    今川拓郎総務省官房長 今回、質問通告の御要請もございましたので、捏造という認識を改めて確認をしたところ、今御指摘の三人の者のいずれもそのような認識はないとのことでございました。なお、その他の者からは、本件の大臣レクについて、記憶にない、あったとは思わないとの発言もあり、正確性が確認できていないところでございます。

     三人は捏造の認識はないと言っているというのである。今川官房長は同時に、その文書について違う認識の人もいて正確性が確認できないことを明らかにしている。

     ところが小西氏はこの答えでは満足できなかったようで、次のように質問している。

    小西氏 今官房長が答弁してくださった、捏造という発言はなかったということと、捏造という認識は安藤局長以下三者はなかったということですが、それは、その安藤局長以下三者が、三人の人たちが、自分たちは捏造という行為をしていないと、そういう証言を事実としてしているということでしょうか。それを明確に答えてください。

     捏造の認識はないということではなく、捏造していないという証言を求めているようである。

    今川官房長 捏造についての認識をこの三人の方に改めて確認をしたところ、三人ともそのような認識はないとのことでございました。なお、その他の者からは、本件の大臣レクについて、記憶にない、あったとは思わないとの発言もあり、正確性は確認できないと先ほど申し上げたところでございます。

     今川官房長は同じことを答えている。この後、小西氏が同じ質問をして今川官房長が同じ答えをすることが繰り返される。しばらくとまる。また同じ質問・回答が繰り返される。またとまる。その後に松本総務相が「捏造との認識はないという発言でありましたので、捏造をしていないという発言だと受け止められると考えております」という。それを受けて小西氏は次のように高市氏に言う。

    小西氏 高市大臣に伺います。
     大臣は、この高市大臣レク結果の文書、これを三月三日の私の質問で捏造だと言い、捏造でないのであれば大臣も議員も辞職するというふうにおっしゃいましたが、今総務省の調査を総務大臣が責任を持って答弁されました。三者は捏造していないという証言、意思表示をしているわけでございます。もうここで終わりにしませんか。責任を取って大臣を辞職すべきではありませんか。

     要するに小西氏は、文書の作成者側の3人の捏造していないという証言を求めていたようである。しかし作成者側の捏造していないという証言は、その文書が捏造されていないことの証拠にはならない。総務省が言うように、同席していたとされる人の間で認識の違いがあって、正確なことがわからない状況である。

     小西氏が捏造の認識はないという言葉に満足せず、捏造をしていないという言葉が出てくるまで、何度も質問を繰り返して10数分の時間を費やしたことも、理解に苦しむ。小西氏のもとめに総務省がちゃんと答えていないので、ちゃんと答えるようにというかたちで議事が進行しているが、小西氏が無理なことをもとめていることに問題があると思われる。委員長はそのことを理解して小西氏が時間を浪費することをやめさせなくてはならなかったのではないか?

     小西氏は後の質問主意書(令和五年十二月十三日)でも「当該「一連の文書」の作成に関与した総務省の当時の三名の優秀な官僚らにおいては、捏造などしていないとの旨を総務省の調査を通じて参議院予算委員会理事会に報告していると承知しているところである。」と記している。そのことをもって捏造はなかったと主張しているようである。どうしてそういうことになるのか?

     令和5年3月22日に総務省が公表した「「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について」は、「高市大臣レク結果(政治的公平について)」(文書整理 No.21)の有無についての関係者の主張を明らかにしている。

     関係者A、関係者B、関係者Cは文書作成者側。

    <関係者A>文書整理 No.21
     放送法4条の解釈という重要な案件を大臣に全く報告していないというのはあり得ないと思う。
     具体的な日付については、約8年前でもあり、詳細についての記憶は定かではないが、日頃確実な仕事を心がけているので、上司の関与を経てこのような文書が残っているのであれば、同時期に放送法に関する大臣レクは行われたのではないかと認識している。

    <関係者B>文書整理 No.21、39
     このような資料が残っているのであれば、また、本件の大きな流れとして、個々の発言内容は別として、放送法第4条に規定する「政治的公平」について大臣レクが存在しなかったとは認識しにくいのではないかと思う。
     礒崎補佐官自身が官邸内を仕切られるご意向だったので、こちらはその前に高市大臣へのご説明とご了解が得られることが大前提であるとの認識で動いていた。

    <関係者C>文書整理 No.21
    作成者と同様の事実認識を有しており、当時の放送法第4条の解釈についての全体の対応は、大きな流れとして、放送法第4条の解釈について大臣レクがなかったとは考えにくいと認識している。

     以上3人は、明確な記憶をもっておらず、文書が残っているのであればレクはあったのではないかと言い、また「大きな流れ」からレクがなかったとは考えにくいと言っている。このように作成者側の記憶は明らかではないのである。また、「大きな流れ」からレクがなかったとは考えにくいと言うが、逆にその「大きな流れ」に合うようにレクの文書が作られたと考えることもできる。

     関係者E、関係者Fは高市大臣側。

    <関係者E>文書整理 No.21
     この時期には、NHK予算など放送に関するレクがあったとしてもおかしくはないが、個々のレクについては覚えていない。
     放送法の政治的公平の答弁に関しては、5月 12 日の委員会前日に大臣の指示を受けて夜遅くまで答弁のやりとりがあったことを覚えており、その前の2月に文書にあるような内容の大臣レクがあったとは思わない。

    <関係者F>文書整理 No.21
     NHK予算の時期でもあり、この時期に放送に関するレクが何らかあったとしてもおかしくないが、8年も前のことであり、個々のレクの時期や内容は記憶にない。この2月 13 日付けの大臣レク文書に記載された内容のレクについても記憶にない。

    <高市元総務大臣>文書整理 No.21、39、42、43
     まず、総務大臣たる私の権限の範囲の話について礒崎補佐官が動いておられることを知った時点で、補佐官ご本人に直接連絡をとり、意図や内容をお尋ねしていたはず。私と礒崎補佐官が直接連絡をとりあっていないことは本件資料からも明らかである。
     平成 27 年2月中旬の時期に、NHK予算やそれに付す大臣意見に関するレクを受けた可能性はありうるとは思うが、放送法の政治的公平の補充的解釈について、同年2月 13 日を含め5月 12 日の答弁前夜より前の機会に、担当局からレクや資料を受けたことはない。
     本件の内容からみて、仮に、担当局から前もってレクを受け了解していたのだとすれば、5月 12 日の答弁前夜になって明け方近くまでドタバタすることはあり得ない。時間がない中、自分が納得いくまで、大臣室と担当局との間で前例や理論構成を詰めてもらったのが先日
    提出したペーパーであり、その上で答弁に臨んだ。
     また、本件に関し、私から総理(ないし今井秘書官)に電話したとのメモがあるが、そもそも法解釈に関する内容の話を総理に説明するのに、常識的に考えて、電話一本で済まそうという大臣はいないだろう。条文をお見せしながら、直接ご説明しなくてはならないはずだ。ちなみに、電話で済む案件であれば、大臣室にアポ入れは頼まず自ら直接電話する。

     関係者Eと高市氏はなかったと言っている。関係者Fの「記憶にない」というのはそれほど強く否定するものではないかもしれないが、いずれにせよ「記憶にない」と言っている。関係者Eと高市氏が言う5月12日の答弁前夜のことは「大きな流れ」と関わることであるが、後で論ずる。

     このように文書作成者側にも明確に記憶はなく、文書が残っているのであればレクはあったのではないかと言うくらいである。そもそもレクはなかったのではないかということが問題となる状況である。

    ミスリーディングな言説

     高市氏が文書の正確性に対して疑問を呈してから、状況は変わっていない。小西氏等立憲民主党の議員は、文書の存在によって高市氏に反論していたが、文書の存在だけでは反論にならない。

     ところがマスメディアは高市氏が窮地にあるように伝えていた。もともと小西氏が文書を公表し問題を提起することから始まった。そのことを伝えるマスメディアは小西氏の問題提起に乗るかたちになった。そこでその文書に対して「捏造」という高市氏は、都合の悪い事実から逃れようとしているようにみられた。高市氏の主張は、国会で小西氏その他の立憲民主党議員の質問に答えるかたちでしかできなず、後から出てくるかたちになった。立憲民主党議員が高市氏を責めて言うことは必ずしも正しくなかったが、正しいかのように伝えられた。実際には議論の状況は全く動いていないにもかかわらず、マスメディアの報道では高市氏は次々と明らかになる事実によって後退を余儀なくされていたようであった。

     以下、ミスリーディングな言説の例を挙げる。

    行政文書

     まず総務省が当該文書を行政文書と認めたことを取り上げる。小西氏が3月2日に文書を公表してからしばらく総務省はその文書を精査していたが、3月7日に行政文書と認めた。

     3月2日、小西洋之議員が、放送法第4条第1項に定める「政治的公平」の解釈について、当時の総理補佐官と総務省との間のやりとりに関する一連の文書を公開しました。
     これを受けて総務省では、公開された文書について、総務省に文書として保存されているものと同一かといった点についてこれまで慎重に精査を行った結果、小西議員が公開した文書については、すべて総務省の「行政文書」であることが確認できましたのでお知らせします。

    総務省 政治的公平に関する文書の公開について

     高市氏が「怪文書」とか「捏造」とか言った文書が総務省によって「行政文書」と認められたことは、高市氏の主張が覆されたことであるかのように伝えられた。すでに引用した江川紹子氏のポストは、その文書が公式に「公文書」と認められた後には、高市氏は辞職しなくてはならないという主張に対して「まったくその通り」というものであった。

     しかし「行政文書」と認められたことは、高市氏の主張を覆すことではない。高市氏はそのことを問題としていない。その文書は行政文書でありながら相手方に確認をとっていない文書である。それゆえに正確性に問題があると総務省は認めている。

     江川紹子氏は総務省の精査結果を知らないのか? 知っていてそう言っているのか? いずれにしてもジャーナリストとか有識者とか言われる人がこういうことを言っていることに恐怖を覚える。

    大臣レクはあった?

     次に大臣レクがあったという総務省の発表と、その報道。2023年3月13日、参議院予算委員会で総務省の小笠原洋一情報流通行政局長が、高市氏の大臣レクがあったとされる平成27年2月13日にレクがあったと言った。高市氏は文書に書かれた大臣レクはなかったと言っていたので、その言葉を覆すことのようにも聞こえる。小西議員はそのことをもって高市氏は大臣を辞職すべきだと言った。

     ところでそのもとになった総務省の小笠原洋一情報流通行政局長の発言は次の通りである。

     御指摘の高市大臣レク結果の文書につきましては、作成者によりますと、約八年前でもあり記憶は定かではないが、日頃確実な仕事を心掛けているので、上司の関与を経てこのような文書が残っているのであれば、同時期に放送法に関する大臣レクが行われたのではないかと認識しているということでありました。
     一方、当該文書に記載されました同席者の間では、作成者と同様の記憶をする、記憶する者、同時期はNHK予算国会提出前の時期であり、高市大臣に対し放送部局のレクが行われたことはあったかもしれないが、個々のレクの日付、内容まで覚えていないとする者があり、必ずしも一致していない部分がございます。
     以上を勘案をいたしますと、二月十三日に放送関係の大臣レクがあった可能性が高いと考えられます。

     要するに、

    ・文書の作成者は文書に記されているような大臣レクが行われたのではないかと認識していた

    ・同席者の間で違うように認識している人もいた

     しかしその時期に放送関係の大臣レクがあった可能性が高いということは両方が認めるということである。高市氏がなかったと主張する大臣レクがあったと総務省が言っているのではない。3月14日の記者会見で松本総務相が「大臣レクはあった可能性が高い」と言ったのも同じことである。そのことを伝える朝日新聞の見出し(放送法めぐる説明、松本総務相「あった可能性高い」 高市氏は否定)は総務省が高市氏と反対のことを言っているかのような印象を与えるミスリーディングなものである。

     PRESIDENT onlineの「なぜ「捏造」と主張したのか…立憲議員が暴露した「総務省文書」に対し、高市早苗氏が判断を間違えたワケ」で水野泰志氏は総務省が「行政文書」と認めたこと、レクがあった可能性があると語ったことを、ここで問題とする方向で事実と違うように語っている。いい例として取り上げよう。

     この「事件」の核心とはまったく別の次元で世間の注目を集め、醜態をさらし続けたのが、当時の総務相として表舞台で主役を演じた高市経済安全保障担当相だ。
     内部文書が露見するやいなや、国会答弁や記者会見で「まったくの捏造」と言い放ち、捏造でなければ大臣も議員も辞職すると大見えを切ってしまったのである。
     礒崎氏が早々に自ら総務省に働きかけて新解釈が行われたことを認め、松本剛明総務相が「行政文書」と認定して公表し、総務省が「総務官僚による高市氏への説明(レクチャー)があった可能性が高い」とする調査結果をまとめても、「捏造」と言い張った。
     本来、外部に漏れることのない内部文書を総務官僚が捏造する必然性がない以上、もはや「捏造」と受け止める人はいないだろう。

     水野氏は高市氏の主張が次々覆されていったかのように語る。しかしその取り上げることは一つ一つ事実と違うことになっている。 

    ・礒崎氏は「自ら総務省に働きかけて新解釈が行われたことを認め」ていない。総務省側も認めていない。

    ・総務省が当該文書を「行政文書」と認めたことは、高市氏の主張を覆すことではない。

    ・総務省がレクがあった可能性が高いと言ったことは、高市氏の主張を覆すことではない。

     この人も「総務官僚が捏造する必然性がない」と小西氏と同じようなことを言っている。上に挙げた三つのことも小西氏が拡散したことということもできる。小西氏の高市氏に対する責め方が、正しくなくても広まったことは注意しなくてはならないことである。

     「外部に漏れることのない内部文書を総務官僚が捏造する必然性がない」ということに関しては、小西氏が公表しなかったならば多くの人の目に触れずにすんだのであるから、それだけ正確であることに気を使わなくてよかったということもできる。外部に漏らさないどころか、発言者の確認をとらずに作成されていたのであるから、それだけ正確であることに気を遣わなかったということもできる。

    総務省、捏造ないと結論?

     次に、総務相が捏造はないという結論を出したという報道。3月22日、日本経済新聞は「総務省、捏造ないと結論 放送法巡る文書 高市氏は辞任否定」という記事を出した。「高市早苗経済安全保障相が「捏造(ねつぞう)」と主張した文書に関し、総務省の飯倉主税放送政策課長は同日「捏造ではないと考えている」と結論づけた」というように、高市氏の主張と反対することを総務省は結論としたかのようである。

     しかし3月24日の松本総務相の記者会見では、質問者は「総務省として、高市国務大臣の文書が捏造だったとの主張に答える評価を避けた内容にとどまっているようにも見えています」と聞いていて、それに対して松本総務相は次のように答えている。

      本日の国会でも議論がございましたが、行政文書については正確性を期することが望まれるものであると承知をしておりますが、本件文書については作成者が不明なもの、発言者などの確認を取らないまま作成された文書、伝聞に基づく文書などがありまして、十分な事実関係の確認が困難な場合がありました。
      捏造というお話でございましたが、捏造との議論に付されている文書の1つを例で申し上げれば、認識を改めて確認いたしましたところ、作成者、同席者の一部は、そのような認識はないとのことでありましたが、他方、当該文書の記載について記憶にない、あったとは思わないという発言がありまして、一致をしなかったというところでございます。

     作成者の側に捏造の認識はないが、事実に反するという人もいて、一致をしなかったというそれまでの認識から変わっていない。

     町山智浩氏は「総務省から改竄じゃないと言われてる」と語っている。いつ言ったのであろうか?

    https://twitter.com/TomoMachi/status/1640939837414060032

    結果とプロセス

     小西氏がその公表した文書で問題としたのは、放送法の違法な解釈違法なプロセスによって作られたというこことであった。3月7日の立憲民主党の国対ヒアリングでの小西氏の発言を引用する。

     小西議員は、2014年11月に磯崎総理補佐官に放送政策課の局長らが呼び出され、2015年5月12日に高市早苗大臣(当時)が、これまでになかった初めての解釈、「放送局の番組全体でバランスを判断する」から、「一つの番組だけで放送局が政治的公平に反する」つまり「放送法違反と認める事ができ、かつそうしたものが重なれば、放送局の電波を止めることができるというこれまでの放送法の原則を根底から覆すものだと指摘。「これは放送法の破壊。補充的解釈といった話ではない」「たった一つの番組で、時の総務大臣の判断で違法を認定し、究極的には電波を止めることができるという話」だと説明しました。
     そして、「今日この瞬間も日本の放送に国家権力はいつでも介入できる恐ろしい解釈、今も生きている解釈。それが不正なプロセスで作られている」「違法な解釈」「言論・報道の自由の存立がかかった問題が本質」だと指摘しました。

    立憲民主党公式ホームページ 「放送法」国対ヒアリング 「言論・報道の自由の存立がかかった問題」と小西議員

     それぞれについて考えておこう。

    プロセス

     「不正なプロセス」とは何か? 小西氏は次のように語っている。

    ・まず総務省局長が礒崎氏に「解釈づくりを強要され」た

    ・そうして強要された解釈に安倍総理が「ゴーサイン」を出した。

    ・その「ゴーサイン」の下に高市氏が解釈を答弁した

     以上のことを「不正なプロセス」と小西氏は言っているようである。

    礒崎氏に関するところ

     まず総務省局長が礒崎氏に「解釈づくりを強要され」たという小西氏の主張について考えてみよう。二つのことが問題となる。一つは「解釈づくり」「解釈変更」があったのか? もう一つは、総務省局長は礒崎氏に強要されたのか? ということである。平成27年1月22日「礒崎総理補佐官ご説明結果」と題する文書は安藤情報流通行政局長の次のような言葉を記している。

    (礒崎補佐官自ら書き込んだ紙を手交され、)本日いただいた案で、もう一度、持ち帰り、総務省として堪えられるものか確認・精査させていただきたい

    「政治的公平」に関する放送法の解釈について(磯崎補佐官関連)

     安藤局長はこのように礒崎氏から出された案に対して、総務省に持ち帰って確認・精査している。このことは総務省が自分の責任で判断することを示すことである。強要されたということに反することではないか。その次の1月29日「礒崎総理補佐官ご説明結果<未定稿>」と題する文書は、安藤局長の次のような言葉を記している。

    今回の整理は、総務省としてもギリギリの線と判断しているもの

    「政治的公平」に関する放送法の解釈について(磯崎補佐官関連)

     限界を超えていないという総務省の判断を示しているのである。強要されたということに反することではないか。「ギリギリの線」ということは解釈変更でもないということであろう。

     小西氏が文書を公表した後、令和5年3月17日に総務省が公表した「「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について(追加報告)」によると、当時総務省側で対応した人の中で「強要」があったという人はいない。

    <関係者A>
     本件対応は、放送法第4条について、従来の解釈をより明確にするための説明を行ったもの。このやりとりの中で、放送法第4条の解釈を歪めるようなことはしていない

    <関係者B>
     放送法第4条に規定する「政治的公平」について、礒崎補佐官から説明を求められ、従来からの解釈について説明し、対応したもの。資料にあるとおり、昭和 39 年の国会答弁に基づきつつ、礒崎補佐官からの質問に答えていたものであり、従来の解釈の範囲を超えるものではないと認識している。礒崎補佐官との意見交換の中で色々なやり取りをしているとは思うが、放送法第4条に規定する「政治的公平」の解釈を変えるよう強要する圧力があったという記憶はない

    <関係者C>
     放送法4条に関する問い合わせに対応したものであり、礒崎補佐官とのやり取りで4条の解釈変更を行ったという認識はない

    <礒崎元補佐官>
     細かな記憶まであるわけではないが、総務省と意見交換を行う中で、昭和 39 年の政府解釈では分かりにくいため、補充的な説明をしてはどうかと意見したことは記憶にある。また、関連する資料についても、お互いに案を出し合って議論していた記憶はある。

     強要はなかったと言われている。そもそも従来の解釈を変更するものではなかったと言われている。当時礒崎氏に対応していた総務省官僚は、小西氏の主張とは違うことを語っているのである。ところが小西氏はそのことを問題としていない。文書が捏造かどうかという時には、その人たちが言うのであるから捏造ではないというのに、強要による解釈変更があったかどうかという時には、その人たちが言うことを問題としていないのである。

     平成27年2月24日の「礒崎総理補佐官ご説明結果」と題する文書に記されている礒崎氏の「この件は俺と総理が二人で決める話」とか「首が飛ぶぞ」とか言う言葉を小西氏は「強要」を示すこととして取り上げている。

     これに対して礒崎氏は次のように説明している。

     礒崎氏が文書に記されているようなことを言ったのかどうかよくわからないが、官房長官に話をするかどうかに関わることであって、「補充的説明の内容とは関わりのない話」ということは正しいと思われる。小西氏は次のようにも語っている。

     「安藤局長らは強要された解釈を防ぐために山田総理秘書官と通じて菅官房長官の政治判断を画策した」と小西氏は考えている。そう考えると、官房長官に話をすることに礒崎氏が反対したことは、解釈を強要したことになるわけである。

     しかし安藤局長は解釈を変更したと受け取っておらず、強要されたとも受け取っていない。安藤局長が問題としていたのは「強要された解釈」ではなく、「業界等の反応」であったと記されている。

    ・平成27年1月29日「礒崎総理補佐官ご説明結果<未定稿>」では「業界等の反応を懸念」という

    ・平成27年2月17日「礒崎総理補佐官ご説明結果」では「効き過ぎ」ということを問題とし、「後に業界が過剰反応し、相乗的に混乱すると、予算委員会やNHK予算審議等の国会運営に支障を来しかねない面もあり、そういった事態は避ける必要があるのではないかと思っている」と語っている。

     文書によると、山田総理秘書官もそのことの反響を第一の問題としているように見える。

    ・平成27年2月18日「山田総理秘書官レク結果 <未定稿>」で山田総理秘書官は「今回の件は民放を攻める形になっているが、結果的に官邸に「ブーメラン」として返ってくる話であり、官邸にとってマイナスな話。」と言っている。

     その文書で安藤局長は礒崎氏と同じく解釈を変更するものではないと主張しているように見える。問題の平成27年2月24日の「礒崎総理補佐官ご説明結果」と題する文書でも安藤局長はマスコミの反応を問題としている。

    先日の話は、実際に国会で答弁を行うと、いろいろと(マスコミなどから)言われることも想定される。こちらから申し上げる話では無いことは十分に承知しているが、総理にお話しされる前に、官房長官にお話し頂くことも考えられるかと思いますが。

     要するに、安藤局長も山田総理秘書官も、小西氏が語るような「強要された解釈を防ぐ」ことを考えていたのではなく、マスコミなどの反応によって自分達が困ることになることを問題としていた。礒崎氏との対立はそのことにあって、「強要された解釈を防ぐ」ということにはなかった。

    高市氏に関するところ

     次に高市氏に関するところ。総務省官僚が礒崎氏によって強要された解釈変更を高市氏が安倍氏の「ゴーサイン」の下に答弁したこと、小西氏はそのことを「不正なプロセス」として問題としている。高市氏が文書の自分に関するところは事実に反すると主張することは、小西氏が「不正なプロセス」ということに反対することにもなっている。

    流れ

     まず文書に記された流れを整理する。平成27年2月13日の大臣レクで礒崎氏の伝言が高市氏に伝えられて、高市氏がそれに答えたとされている。

    平成27年2月13日「高市大臣レク結果(政治的公平について)」と題する文書には、高市氏は礒崎氏からの伝言を受けて「官邸には「総務大臣は準備をしておきます」と伝えてください」と言ったと記されている。

     3月5日に総理レクが行われて礒崎氏はその考えを安倍氏に伝えたとされる。

    3月6日「礒崎総理補佐官からの連絡(総理レクの結果について)」では、3月5日の総理レクで安倍氏は「良いのではないか」と言ったと記されている。

     3月6日に総理レクについて高市氏に説明があったとされる。

    3月6日「大臣レクの結果について安藤局長からのデブリ模様」では『整理ペーパーと「礒崎総理補佐官からの連絡」で大臣にご説明』があって、高市氏は「平川参事官に今井総理秘書官経由で総理とお話できる時間を確保するようその場で指示」したと記されている。

     その後に高市氏から安倍氏に電話があったとされる。

    3月9日「高市大臣と総理の電話会談の結果」では「大臣室・平川参事官から安藤局長に対して」の連絡として「政治的公平に関する件で高市大臣から総理に電話(日時不明)」と記されている。

    3月13日「山田総理秘書官からの連絡【政治的公平の件について】」では「山田総理秘書官から、政治的公平に関する国会答弁の件について、安藤局長に電話連絡。内容について局長からお話を伺ったもの」として、「政治的公平に関する国会答弁の件について、高市大臣から総理か今井秘書官かに電話があったようだ」という山田秘書官の発言が記されている。

     5月12日、参議院総務委員会で高市氏は藤川氏の質問に対して問題の答弁をした。

    平成27年5月12日(火) 参議院総務委員会 藤川 政人 君(自民) 抜粋

     要するに、

    ・平成27年2月13日、まず礒崎氏の考えが高市氏に伝えられる

    ・3月5日、総理レクで安倍氏が礒崎氏等に「良いのではないか」と言う

    ・3月6日、安倍氏の言葉が高市氏に伝えられ、高市氏は安倍氏に電話

    ・5月12日、高市氏の答弁

    大臣レク

     まず平成27年2月13日の大臣レクについて考える。高市氏はそういう大臣レクはなかったと主張している。その根拠とするところは、

    ・礒崎氏との関係 礒崎氏が関わっていたことを小西氏が文書を公表するまで知らなかった

    ・言葉 言うはずのないことを言ったことになっている

    ・答弁前日のこと 補充的説明の事を知ったのは5月12日の答弁の前日であった

     以下、それぞれ考えていく。

    礒崎氏との関係

     高市氏は礒崎氏からの伝言というかたちの大臣レクはなかったと主張する。「総務省文書に関して参院予算委に提出した資料②」では次のように主張している。

    私が、礒崎元総理補佐官が放送法にご関心があったこと、また総務省情報流通行政局とやり取りをしていたのかもしれないことを初めて知ったのは、小西参議院議員が当該文書をマスコミに公開された今年(令和5年)の3月2日でした。

     総務大臣在任中にも、礒崎元総理補佐官から私に対して放送法に関するお問い合わせがあったことは皆無でしたし、「礒崎元総理補佐官から大臣室に連絡があったことがあるか」について、今年3月に元大臣室の職員に確認しましたが、「一度も無い」と聞いています。

     礒崎氏も次のように語っている。

     礒崎氏が総務省官僚に強要した解釈変更を高市氏答弁させたという「不正なプロセス」のためには、礒崎氏はその「解釈変更」について自ら高市氏に伝えなくてはならないのではないか? 現実には、磯崎氏は高市氏に会わずに、総務官僚に委ねていたようである。高市氏が総務省官僚の説明を聞いて、自分の責任で答弁をしたとすると、問題はないことになる。

     総務省が令和5年3月22日に出した「「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について」には高市氏の次のような発言が記されている。

    まず、総務大臣たる私の権限の範囲の話について礒崎補佐官が動いておられることを知った時点で、補佐官ご本人に直接連絡をとり、意図や内容をお尋ねしていたはず。私と礒崎補佐官が直接連絡をとりあっていないことは本件資料からも明らかである。

     たしかに総務大臣であった高市氏が、文書に記されているように大臣レクで礒崎氏からの伝言を聞いていたとすると、それにもかかわらず礒崎氏と連絡をとっていないことは不自然と思われる。

    官邸との関係

     大臣レクがあったとされる平成27年2月13日には、礒崎氏はまだ安倍氏に話しておらず、一人で動いている。当時総務大臣であった高市氏がそういう礒崎氏の伝言を聞いてそのまま受け取るということは奇妙なことではないか? その前に礒崎氏と話し合わないことは不自然ではないか? まだ安倍氏に話していないのに、安倍氏の「ゴーサイン」が出るのではないかと高市氏がきめてかかっていることも奇妙である。

    官邸には「総務大臣は準備をしておきます」と伝えてください。補佐官が総理に説明した際の総理の回答についてはきちんと情報を取ってください。総理も思いがあるでしょうから、ゴーサインが出るのではないかと思う。

    高市大臣レク結果(政治的公平について)

     その後の総理レクで礒崎氏の説明に対する安倍氏の反応を見て山田総理秘書官は「意外と前向きな反応」と伝えたと記されている。(総理レクの結果について)山田総理秘書官にとって安倍氏のそういう反応は意外であったというのである。安倍氏がどう反応するかわからない状況で、高市氏が「ゴーサインが出るのではないかと思う」ときめてかかっていることは、奇妙に思われる。

     高市氏は文書に記されている「官邸には「総務大臣は準備をしておきます」と伝えてください」という言葉の「官邸」というようなことを自分は言わないという。

    私の発言として、「官邸には『総務大臣は準備をしておきます』と伝えてください」との記載も、明らかに不自然です。

     私は、指示をする時には、「官邸」という曖昧な表現ではなく、相手が「総理」なのか「官房長官」なのか「副長官」なのかを明確に致します。

    総務省文書に関して参院予算委に提出した資料②

     高市氏は言葉遣いを問題としているようであるが、文書に記された高市氏の言葉では「官邸」という言葉で具体的に誰のことをさしているかよくわからないところに問題はある。この時点で高市氏が「総理」に『総務大臣は準備をしておきます』と伝えることを求めたとすると、まだ安倍氏は話を聞いていないのであるから、不自然なことになる。

    言葉遣い

     高市氏はその他にも文書に記された言葉遣いを問題としている。たとえば「苦しくない答弁の形にするか、それとも民放相手に徹底抗戦するか。TBSとテレビ朝日よね」というところ。高市氏は次のように主張している。

    当該文書は、新たに国会で答弁しなくてはならない放送法第4条の解釈を巡るやり取りと解される記述です。「この答弁は苦しいのではないか」「苦しくない形の答弁にするか、それとも民放相手に徹底抗戦するか」などが、私の発言として記されています。

     そもそも放送法第4条はNHKにも適用されるものであり、「民放相手に…」の発言も意味不明ですし、このような答弁ぶりの打合せなど平成27年2月時点ではあり得ないことです。

    総務省文書に関して参院予算委に提出した資料②

     放送法第4条はNHKにも適用されるものであって、民放だけを相手にするのではないというのである。たしかに放送法はそういうものである。問題とされている補充的説明もそういうものである。

     その後の文書で山田総理秘書官が「今回の件は民放を攻める形になっている」と言っている。(山田総理秘書官レク結果 <未定稿>)山田氏はそう考えたようである。しかし問題とされている補充的説明は民放だけを相手にするものではない。大臣レク文書には、山田氏のような考え方が入っているようである。

     大臣レクの結果を礒崎氏に説明したという文書「礒崎総理補佐官ご説明結果」で安藤局長は次のように語ったと記されている。

    高市大臣からは、(一つの番組の)「極端な事例」に関する答弁部分について、感想的「(答弁として)苦しいのではないか」というコメントがあった。大臣の真意は不知だが、事務方として忖度すれば、まさに補佐官が企図されているところと思うが、大臣も現実の放送をいろいろとご覧になられている中、放送事業者に対して「効き過ぎる可能性」をお考えになられたのかとも受け止めたところ。

     問題は「大臣も現実の放送をいろいろとご覧になられている中」というところ。高市氏は現実の放送をいろいろとみている中で、「極端な事例」に関する答弁部分について放送事業者に対して「効き過ぎる可能性」を考えたのではないかという安藤局長の「受け止め」が記されている。

     ところが高市氏はこのころ現実の放送をいろいろとみていなかったという。

    私の発言として、特定の放送事業者名に言及して「公平な番組なんてある?どの番組も『極端』な印象」、関西の特定の放送事業者名に言及して「維新一色」とする発言が記載されています。

     しかし、当時も、現在も、報道番組を見るのは朝食時や夕食時(夕食時間はまちまちですが)くらいしかなく、報道番組の見較べはしていません(時間に余裕がある時は、専らドラマとバラエティを好んでいます)。

     平成26年9月の総務大臣就任後、同文書にある平成27年2月までの間、選挙期間も含めて自分の選挙区には殆ど入ることが出来ず(党から他選挙区の応援要請が多かったため)、関西の番組も見ていません。平成27年4月以降は、親の看病と介護のために夜間や週末に何度か奈良県と東京を往復しましたが、テレビを見るどころの状況にはありませんでした。

     平成27年5月12日の参議院総務委員会で藤川政人委員の「総務大臣は、最近の放送をご覧になって、政治的公平性が遵守されているとお考えですか」という御質問に対する答弁でも「放送番組をじっくりたくさん見る機会には恵まれておりません」と答弁している通りです。

    総務省文書に関して参院予算委に提出した資料②

     たしかに高市氏は5月12日の答弁でそのように語っていた。5月12日の答弁で事実に反することを言うとは考え難い。安藤局長の「大臣も現実の放送をいろいろとご覧になられている中」という憶測は安藤局長の憶測にとどまることではないか? そして「放送事業者に対して「効き過ぎる可能性」をお考えになられたのかとも受け止めた」というところも、安藤局長の憶測にとどまることではないか?

     安藤局長と山田秘書官は「補充的説明」によって民放が過剰反応することを気にしていたようであるが、「補充的説明」そのものはそういうものではない。高市氏が言うように、特に民放に対するものではなく、NHKにも適用されるものである。高市氏の発言として記されていることは、総務省官僚が「忖度」したものではないかと疑われるところがある。

    5月12日の答弁の前夜

     高市氏は5月12日の答弁の前日に答弁に関して理解できず、理解するまで時間をかけた。そのことは2月13日にそのことについてレクを受けていなかったことを示すことだという。

    本件の内容からみて、仮に、担当局から前もってレクを受け了解していたのだとすれば、5月 12 日の答弁前夜になって明け方近くまでドタバタすることはあり得ない。時間がない中、自分が納得いくまで、大臣室と担当局との間で前例や理論構成を詰めてもらったのが先日提出したペーパーであり、その上で答弁に臨んだ。

    「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

     たしかに文書に記されているように2月13日のレクで高市氏が了解していたとすると、5月 12 日の答弁の前夜に明け方近くまでドタバタしたということはおかしい。高市氏が答弁前夜に理解できず、時間をかけて確認をしていたということは、高市氏が総務大臣として責任を持って判断したということであり、官邸はそのことに力を及ぼしていないということである。

     高市氏は令和5年3月16日に、参議院予算委員会理事会に次の資料を提出している。(総務省文書に関して参院予算委に提出した資料①

    ・平成27年5月11日に担当課が作成した答弁案に対する私の疑問に答えるために、同年5月11日深夜に「5月12日の答弁案を作成した課から大臣室に送られてきた資料」

    ・平成27年5月12日の総務委員会前夜であることを立証できる「委員会前夜の私と大臣室のやり取りのメール」をプリントアウトしたもの

     答弁前日のことについては、「高市大臣レク結果(政治的公平について)」文書の作成者側にも認めている人がいる。

    <関係者A>
     大臣室からの指示で資料を作ったかもしれないが、はっきりしない。ほぼオールナイトで大臣室とやりとりしていた記憶はある。

     大臣室側

    <関係者E>
     委員会前日に大臣が答弁案をチェックした際、大臣から指示があり、担当課に資料を作ってもらったこと、担当課とのやり取りが深夜までかかったことを覚えている。大臣が答弁案を了承されたのか、不安に思っていた記憶がある。

    <関係者F>
     答弁前日に高市大臣の確認が行われ、大臣から答弁に関する論点について原局に整理するよう指示があり、原局から提出された資料を確認した上で答弁されたことは覚えている。

    その他の文書

     その他の3枚の文書について。

    大臣レクの結果について安藤局長からのデブリ模様(平成27年3月6日(金) 夕刻)

     平成27年3月6日の日付がある「大臣レクの結果について安藤局長からのデブリ模様」と題する文書は、3月5日の総理レクの結果についての6日の「礒崎総理補佐官からの連絡」と「整理ペーパー」で高市氏に説明したことを記した文書というかたちになっている。

     高市氏はそこで「これから安保法制とかやるのに大丈夫か」とか「民放と全面戦争になるのではないか」とか言った記されている。安藤局長や山田秘書官と同じような心配である。一連の文書の中で高市氏は礒崎氏の主張を即座に受け入れる人物として記されるとともに、安藤局長や山田秘書官のようにその政治的反響を危惧する人物としても記されている。

     高市氏が「総理が「慎重に」と仰るときはやる気がない場合もある。(前回衆院選の)要請文書のように、背後で動いている人間がいるのだろう。」と言ったと記されていることも考えてみると奇妙である。高市氏はそこで安倍氏の考えについて心配して「平川参事官に今井総理秘書官経由で総理とお話できる時間を確保するようその場で指示」したと記されているが、安倍氏の考えについて心配するのであれば、総理レクを待たずに直接自ら連絡をとった方がいいのではないか? 一連の文書の中で礒崎氏から高市氏への伝言とか高市氏から安倍氏への電話とかがあったと記されているところ、高市氏は事実ではないというが、文書の通りであったとすると直接会って話をすればいいのに伝言だけとか電話だけとか妙に消極的なことしかしていないことになっている。小西氏が問題としている「不正なプロセス」の重要なところにそういうことがあるのである。 高市氏はそのことに関して次のように語っている。

    当時の安倍総理や今井総理秘書官に電話をする時は、自分の携帯電話から発信していましたので、平川参事官に依頼をする必要はありません。

    総務省文書に関して参院予算委に提出した資料③

     「「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について」によると、指示されたと記されている人にその記憶はない。

    <関係者F>文書整理 No.39
     記載されたような指示を受けた記憶はない。

     形式的には、作成者も配布先も記されておらず、明らかに他の文書に較べると粗雑な形式になっている。

    高市大臣と総理の電話会談の結果(平成27年3月9日(月)夕刻)

     「高市大臣と総理の電話会談の結果」と題する文書には「大臣室・平川参事官から安藤局長に対して以下の連絡」として「政治的公平に関する件で高市大臣から総理に電話(日時不明)」とある。その前の「大臣レクの結果について安藤局長からのデブリ模様」と題する文書で高市氏が「平川参事官に今井総理秘書官経由で総理とお話できる時間を確保するようその場で指示」と記されていたが、そこで指示を受けた平川参事官が高市氏から安倍氏に電話したことを安藤局長に連絡したことを記しているというかたちになっている。

     平川参事官は「「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について」によると高市氏から文書に記されているように「今井総理秘書官経由で総理とお話できる時間を確保するようその場で指示」された「記憶はない」と語り、「高市大臣と総理の電話会談の結果」と題する文書に記されているように安藤局長に対して連絡した記憶もないと語っている。

    <関係者F>文書整理 No.42
    そのような連絡を局長にした記憶はない。

     高市氏は次のように語っている。

    常識的に考えて、仮に法律の条文解釈について総理に説明する場合、担当職員とともに官邸を訪問し、条文や逐条解説をお見せしながら説明しなくては総理の御理解を得られるものではなく、電話で済ませるような閣僚は居ないと考えます。

    総務省文書に関して参院予算委に提出した資料④

     先ほど言ったように、文書に記されている通りであったとすると、高市氏と安倍氏のやりとりが粗雑ではないかと思われる。小西氏が言うような「不正なプロセス」のためには、文書に記されているより密接な連絡がなくてはならないのではないか?

    山田総理秘書官からの連絡【政治的公平の件について】(平成27年3月13日(金)17:45)

     「山田総理秘書官からの連絡」と題する文書は「山田総理秘書官から、政治的公平に関する国会答弁の件について、安藤局長に電話連絡」があって、その「内容について局長からお話を伺ったもの」とされている。その中に高市氏から安倍氏か今井秘書官かへの電話について記されている。

    政治的公平に関する国会答弁の件について、高市大臣から総理か今井秘書官かに電話があったようだ。

     しかし「電話があったようだ」という曖昧な表現である。高市氏はなかったという。

     「「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について」によると、安藤局長

    <関係者B>文書整理 No.42、43
    これらの者から連絡があったかどうかは思い出せない。

    <関係者 G>文書整理 No.43
    記載されたような電話をしたとも、していないとも、思い出せない。

    <関係者H>文書整理 No.43
    平成 27 年3月 13 日の記録として残っている政治的公平に関する国会答弁の件について、当時、高市大臣から電話があったのかどうか記憶が定かではない。

     作成者も配布先も記されていない。

    まとめ

     二つの問題がある。「不正なプロセス」はあったのか? 文書は事実に反するのか?

     「不正なプロセス」というのは、官邸による解釈変更に高市氏が従ったということのようであるが、高市氏が礒崎氏の言いなりになったとは考え難く、総務省官僚の説明を聴いて総務大臣として自分の責任で判断したとすると問題はない。解釈変更も強要もなかったとすると、問題はない。

     高市氏に関する4文書に対する高市氏の反論には説得力がある。磯崎氏の伝言に対して即座に言いなりになるとか、まだ安倍氏に話していないのに安倍氏から「ゴーサイン」が出るときめてかかっているとか、安倍氏との連絡はその後であるとか、大臣レクと答弁の間の高市氏の言動を記す文書が事実がよくわからないような粗雑な作りになっているとか。

    放送法の解釈

     最後に小西氏が「違法な解釈」として問題としていることについて考えよう。小西氏はどういうことを問題としているのか?

     小西議員は、2014年11月に磯崎総理補佐官に放送政策課の局長らが呼び出され、2015年5月12日に高市早苗大臣(当時)が、これまでになかった初めての解釈、「放送局の番組全体でバランスを判断する」から、「一つの番組だけで放送局が政治的公平に反する」つまり「放送法違反と認める事ができ、かつそうしたものが重なれば、放送局の電波を止めることができるというこれまでの放送法の原則を根底から覆すものだと指摘。「これは放送法の破壊。補充的解釈といった話ではない」「たった一つの番組で、時の総務大臣の判断で違法を認定し、究極的には電波を止めることができるという話」だと説明しました。
     そして、「今日この瞬間も日本の放送に国家権力はいつでも介入できる恐ろしい解釈、今も生きている解釈。それが不正なプロセスで作られている」「違法な解釈」「言論・報道の自由の存立がかかった問題が本質」だと指摘しました。

    立憲民主党公式ホームページ 「放送法」国対ヒアリング 「言論・報道の自由の存立がかかった問題」と小西議員

     小西氏の主張をまとめると、

    ・平成27年5月12日の高市氏の答弁は、それまで「放送局の番組全体でバランスを判断する」という解釈であったのに、「一つの番組だけで放送局が政治的公平に反する」つまり「放送法違反と認める」事ができるとする「これまでになかった初めての解釈」であった

    ・そして「そうしたものが重なれば、放送局の電波を止めることができる」とするものであった

     「放送局の電波を止めること」につながるゆえに問題があるというのである。まずそのことについて考えよう。

    停波との関係

     平成28年2月に高市氏が停波について語ったことが話題になった。平成28年2月8日の参議院予算委員会での奥野総一郎氏の質問に対して高市氏は次のように答えている。

    298 奥野総一郎
    ○奥野(総)委員 (略)補充的答弁と言っていますが、要するに、補充ということはつけ加えているということですから、その部分において解釈が変わった、つけ加わったことをもって変更といえば、変更されたというふうに理解をいたします。
     しかし、放送時間の枠が狭いというようなものは今も事情は変わっていないわけですね。先ほどの御答弁だと、例えば朝のNHKの党首討論のような場合の例を挙げられましたが、例えば一時間の枠の中でというような話であれば、今も事情は変わらないわけですよね。
     なぜ、これまで全体と言ってきたものについて、ここで解釈をつけ加える、補充する。何か事情の変更が起きたんでしょうか。

     奥野氏は高市氏の「補充的説明」を解釈変更とみなしている。

    299 高市早苗
    ○高市国務大臣 特に事情の変更は起きておりません。
     これまでも放送事業者が自律的に判断をしてきてくださったものであります。特に選挙期間や選挙が近づいた期間において、時間配分等、政治的公平性の確保について、皆様が相当気を使っていただいているのはわかっております。わかりやすく整理をしていくという意味で申し上げました。事情は変わっておりません。

    300 奥野総一郎
    ○奥野(総)委員 放送法の規定によれば、百七十四条の業務の停止とか、それから電波法の無線局の停止という規定があって、総務大臣の権限として放送をとめることができるわけですよね。
     これは、もし今の解釈だとして、個別の番組の内容について、業務停止とか、あるいは放送業務そのものができなくなってしまうというようなことが起こり得るんじゃないかと思いますが、いかがですか。

     奥野氏はその「解釈変更」を停波と関係づけている。

    301 高市早苗
    ○高市国務大臣 委員がおっしゃったとおり、電波法上の規定もございます。しかしながら、これまでも、放送法第四条に基づく業務停止命令であったり、電波法に基づく電波の停止であったり、そういったことはなされておりません。
     基本的には、放送事業者がやはり自律的にしっかりと放送法を守っていただくということが基本であると考えております。

     高市氏は、停波はこれまでなさえていないこと、基本的には放送事業者が自律的に守っていくと考えているという。

    302 奥野総一郎
    ○奥野(総)委員 先ほど読み上げましたけれども、特定の政治的見解のみを取り上げて相当の時間にわたり繰り返すとか、相当の時間といって、これは極めて曖昧な概念なんですが。相当の時間というのは一体誰が判断するんですかということになれば、時の総務大臣ですよね。
     だから、これをもし恣意的に運用されれば、政権に批判的な番組を流したというだけで業務停止をしたり、その番組をとめてしまったり、あるいはそういう発言をした人がキャスターを外れるというようなことが起こり得るんだと思うんですね。
     ですから、ここで明確に否定していただきたいんですけれども、この放送法の百七十四条の業務停止や電波法七十六条についてはこうした四条の違反については使わないということで、今、もう一度明確に御発言いただきたいんですが。

    303 高市早苗
    ○高市国務大臣 それはあくまでも法律であり、第四条も、これも民主党政権時代から国会答弁で、単なる倫理規定ではなく法規範性を持つものという位置づけで、しかも電波法も引きながら答弁をしてくださっております。
     どんなに放送事業者が極端なことをしても、仮に、それに対して改善をしていただきたいという要請、あくまでも行政指導というのは要請になりますけれども、そういったことをしたとしても全く改善されない、公共の電波を使って、全く改善されない、繰り返されるという場合に、全くそれに対して何の対応もしないということをここでお約束するわけにはまいりません。
     ほぼ、そこまで極端な、電波の停止に至るような対応を放送局がされるとも考えておりませんけれども、法律というのは、やはり法秩序というものをしっかりと守る、違反した場合には罰則規定も用意されていることによって実効性を担保すると考えておりますので、全く将来にわたってそれがあり得ないということは断言できません。

     このように当時から「補充的答弁」を解釈変更とみなして、停波と関係づけて批判することはなされていた。それに対して高市氏は、民主党政権時代から放送法第四条は「単なる倫理規定ではなく法規範性を持つもの」とされていること、「しかも電波法も引きながら」答弁されていることを指摘している。高市氏は、法律に規定されていることとして停波は「全く将来にわたってそれがあり得ないということは断言できません」というが、「ほぼ、そこまで極端な、電波の停止に至るような対応を放送局がされるとも考えておりません」と言っている。平成28年2月12日の記者会見では次のように語っている。

     決して、「気に入らないから統制する」というようなことを申し上げたこともありません。
     そして、度々、「高市大臣がまた電波の停止に言及」といったようなことを報道されていますけれども、予算委員会で電波法について聞かれた場合に、「全く電波法については答弁できません」と、私が申し上げるわけにはいきませんので、これは答弁いたします。実際にある法律ですから、現存する法律ですから、現存する法律を全くこれは否定すると、この法律はおかしいという答弁を現職閣僚がするわけにはまいりませんので、電波法について聞かれた場合には、誠実に事実関係を答弁する。しかも、行政の継続性というものが必要ですから、過去の総務大臣や副大臣の、これは政権交代前の答弁から私は持っておりますので、そういったもので整合性がきちんととれるように、法律に関しては答弁をしている。これは当然のことだと思っております。

     民主党以来の答弁と整合性がとれることを言ってきただけだというのである。批判する側は、補充的説明を停波と結びつけて、放送事業者に対する政権の恣意的な統制の意図があるとみなしているが、高市氏の停波についての考えは先例によるものにとどまる。問題とされている補充的説明は、主観的にも客観的にも政権の恣意的な統制のためになるものではない。

    それほど積極的ではない

     ここで補充的説明について整理する。平成27年5月12日の参議院総務委員会での藤川政人氏に対する高市氏の答弁で言われたことである。高市氏はそこで「放送法第4条第1項第2号の政治的に公平であることに関する政府のこれまでの解釈の補充的な説明」として二つの場合を挙げている。「政府のこれまでの解釈の補充的な説明」というのは、昭和39年の参議院逓信委員会で宮川岸雄電波監理局長が「極端な場合」には「一つの番組」でも政治的に不公平な場合があると答弁したことをもとにして、その「補充的な説明」をするというのである。宮川氏の答弁

    ある一つの番組が、極端な場合を除きまして、これが直ちに公安及び善良な風俗を害する、あるいは、これが政治的に不公平なんである、こういうことを判断する――一つの事例につきましてこれを判断するということは、相当慎重にやらなければもちろんいけませんし、また、慎重にやりましても、一つのものにつきまして、客観的に正しいという結論を与えることはなかなかむずかしい問題であろうと思うのであります。

     その「極端な場合」の例として次の二つの場合を挙げたのである。

    ・1つの番組のみでも選挙期間中またはそれに近接する期間において、殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間に渡り取り上げる特別番組を放送した場合のように選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合といった極端な場合

    ・1つ番組のみでも国論を二分するような政治課題について、放送事業者が一方の政治的見解を取り上げず、殊更に他の政治的見解のみを取り上げて、それを指示する内容を相当な時間に渡り繰り返す番組を放送した場合のように当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合といった極端な場合

     いずれも「一般論として、政治的に公平性であることを確保しているとは認められないと考えられます。」という。

     小西議員等立憲民主党議員は解釈変更というが、自民党も総務省も解釈変更はないという。そのくらいのことである。文書に記された礒崎氏と総務省官僚のやりとりでも解釈変更ではないとして話が進められている。一歩積極的に放送法違反の事例を示したものということもできるが、それほど大きなことではないということもできる。反対している山田秘書官が「民放にジャブを入れる趣旨」と言っているのは、「ジャブを入れる」くらいのこととみているということである。。(平成27年2月18日山田総理秘書官レク結果 <未定稿>

     そのために安藤局長の提案で、できるだけ刺激しないやり方が考えられている。

    実際に国会で質問いただく場合、総務省としては、今回整理した「極端な事例」の適否について質問者から例示いただく形(×××のような事例は放送番組は「政治的公平」を欠くのではないか?等)にしていただきたい。総務省のほうから(唐突に)今回の「極端な事例」を答弁することは困難。業界等の反応を懸念。そこはご理解いただきたい。

    平成27年1月29日礒崎総理補佐官ご説明結果<未定稿>

     総理レクで安倍氏は「あくまで「極端な事例」であり、気を遣った表現になっているのでこれで良いのではないか」と言ったとされている。それほど踏み込んだものではないゆえにいいというのである。(総理レクの結果について

    狙い撃ち

     その目標はTBSの「サンデーモーニング」であったと小西氏は主張する。

     たしかに礒崎氏は早くから「サンデーモーニング」に対して問題意識を持っていたようである。小西氏が公表した文書でも1枚目の平成26年11月28日「礒崎総理補佐官ご説明結果(概要)」から「サンデーモーニングに問題意識あり」と記されている。しかしそこで礒崎氏は「一つの番組でも明らかにおかしい場合」として「極端な場合」の例があるのではないかともとめているのは、「サンデーモーニング」を狙い撃ちするということとは違うことではないかと思われる。「けんかになるから具体論はやらない。あくまで一般論ベースでやりたい」という言葉も「サンデーモーニング」のような番組とけんかになることを避ける考えを現わすもののようである。平成27年1月22日「礒崎総理補佐官ご説明結果」で「(もちろん、あったら困るが、)実際にこんな番組はあり得ないのではないか。」「そもそもの話として、「国論を二分する」イシュー自体がそれほど多くない。そこであえて片方だけの見解を支持する番組を放送すること自体、実際にはあり得ないのではないか。」というように、礒崎氏は現実にある番組を狙い撃ちしようとしているのではなくて、「実際にはあり得ない」ような場合を考えているようである。平成27年1月29日「礒崎総理補佐官ご説明結果<未定稿>」で「あくまでも「一般論」としての整理であり、特定の放送番組を挙げる形でやるつもりはない。」というところも「サンデーモーニング」を狙い撃ちするような考えではないことを現わしているようである。

    問題

     現実にはその後自民党政権が放送法違反ということで停波を行ったことはなかった。高市氏が説明したようにあ抑制的であった。

     小西氏は総務省等が「補充的説明」というものを「解釈変更」と言って激しく責め立てる。しかしたとえば「選挙期間中またはそれに近接する期間において、殊更に自民党の候補者や候補予定者のみを相当の時間に渡り取り上げる特別番組を放送した場合」、憲法改正について、放送事業者が一方の政治的見解を取り上げず、殊更に他の政治的見解のみを取り上げて、それを指示する内容を相当な時間に渡り繰り返す番組を放送した場合、小西氏は放送法違反として激しく攻めないのか?

     小西氏が高市氏を責め立てた2023年3月の末にフジテレビを放送法批判ということで激しく責め立てた。そのことによって小西氏は放送法によって放送局の自由を守りたいのではなく、自分が認める自由だけを守ってその他は認めないのではないかと思われた。

  • 東京オリンピック2020の時のマスメディアと専門家はおかしかったのではないか?

    東京オリンピック2020の時のマスメディアと専門家はおかしかったのではないか?

     東京オリンピック2020の開催前、マスメディアは新型コロナウイルスの感染拡大による危険を強調して、五輪は中止しなくてはならないとまで言っていた。当時マスメディアが取り上げた「専門家」と言われる人々もそのようなことを言っていた。

     しかしほんとうに五輪は中止しなくてはならなかったのか? 五輪開催による利益と損害とは十分に考えられていたのか? 五輪を開催するか中止するか、東京都民、日本国民の自由な判断をマスメディアと専門家は奪わなかったか? 五輪開催前に不安を煽っていたマスメディアが開催後に五輪報道一色になっていたことは、倫理的に批判されなくてはならないことではないか? 五輪中止を求めていた専門家はその発言の責任をとったか?

     このように科学の問題、科学者と倫理の関係、報道機関と倫理の関係、民主主義の問題など、考えなくてはならないことが多くある。

    中止を求めた朝日新聞

     2020年初めからの新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、東京五輪は1年延期され2021年の7月から8月にかけて開催されることになった。ところが2021年に感染は終息せず、逆に拡大していた。そこでマスメディアは盛んに五輪開催は危険だとする論調を広めた。その中で朝日新聞は2021年5月26日「(社説)夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」という社説で首相に五輪の中止の決断を求めるに至った。

     ここでは当時のマスメディアの論調の代表的なものとしてその朝日新聞の社説をとりあげる。そしてその議論のおかしいところを明らかにしよう。社説は次のように始まる。

     新型コロナウイルスの感染拡大は止まらず、東京都などに出されている緊急事態宣言の再延長は避けられない情勢だ。
     この夏にその東京で五輪・パラリンピックを開くことが理にかなうとはとても思えない。人々の当然の疑問や懸念に向き合おうとせず、突き進む政府、都、五輪関係者らに対する不信と反発は広がるばかりだ。
     冷静に、客観的に周囲の状況を見極め、今夏の開催の中止を決断するよう菅首相に求める。

    朝日新聞 (社説)夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める

     この社説には、第一に状況に対する考え方の問題、第二に責任の問題がある。

    「客観的」か「主観的」か

     朝日新聞は菅首相(当時)に対して「冷静に、客観的に周囲の状況を見極め」ることを求めている。「冷静に、客観的に周囲の状況を見極め」るならば「今夏の開催の中止を決断する」ことになるというのである。

     しかし「冷静に、客観的に周囲の状況を見極め」ることを求めるこの社説自身「冷静に、客観的に周囲の状況を見極め」たものであろうか? この社説の主張は、緊急事態宣言の再延長が避けられない東京で「五輪・パラリンピックを開くことが理にかなうとはとても思えない」というものであるが、その主張は「冷静に、客観的に周囲の状況を見極め」たものであろうか?

     客観的な認識とは、開催による利益と損害を比較して考えることである。それに対してこの社説には、開催による利益はどのくらいか、損害はどのくらいか、という客観的な考察がなく、その考察をもとにして比較して考えるということがない。この社説は五輪について「社会に分断を残し、万人に祝福されない祭典」というように利益を全く否定し、損害だけと決めつけているが、「社会に分断を残し、万人に祝福されない祭典」という言葉は、「冷静に、客観的に周囲の状況を見極め」たものとは考えられない。主観的にきめつけたものと言わなくてはならないであろう。

     新型コロナウイルスの感染が拡大してからスポーツは制限されたが、東京五輪前には観客を入れることが再開されていた。たとえば2021年6月から7月にかけて欧州で行われたサッカーのUEFA EURO 2020では欧州各地のスタジアムでそれぞれ1万人以上の観客を入れていた。国内でも観客を入れることは再開されていた。それに対して朝日新聞の社説は「IOCや組織委員会は「検査と隔離」で対応するといい、この方式で多くの国際大会が開かれてきた実績を強調する。しかし五輪は規模がまるで違う」という。「五輪は規模がまるで違う」ということは当時盛んに言われていたことであるが、規模が大きい五輪に対してはそれだけの対応をすればいいのではないか? 「五輪は規模がまるで違う」ゆえにできないというのは主観的な考え方ではないか?

     朝日新聞が言うように「冷静に、客観的に周囲の状況を見極め」なくてはならない。しかし「冷静に、客観的に周囲の状況を見極め」とは、朝日新聞のように「この夏にその東京で五輪・パラリンピックを開くことが理にかなうとはとても思えない」というような主観的な感情を真実と思い込むことではない。開催した場合、しない場合で利益・損害はどのくらいになるかを比較して考えることである。

     現実には開催されて特に大きな問題は起こらなかったことを考えると、五輪を開催した政府・都、五輪関係者らの方が朝日新聞より正しかったということになるのではないか?

    国民

     朝日新聞の社説の第二の問題は、朝日新聞が勝手に対立構造をつくり出していることである。

     上に引用したところでも、一方に「当然の疑問や懸念」を抱く人々がいるのに、政府、都、五輪関係者らはそれに向き合おうとせずに「突き進む」ものとされている。その後のところでは「国民の声がどうあろうが、首相は開催する意向だと伝えられる」というように、国民は開催に同意していないのに首相等少数の者が開催に向かって突き進んでいるものとされている。

     国民は朝日新聞が語るように政府と対立していたのであろうか? 必ずしもそうではなかったのではないかと思われる。朝日新聞の同年8月9日「菅内閣支持28%で最低 五輪開催「よかった」56% 朝日新聞社世論調査」によると、朝日新聞が五輪開催後の7、8日に全国で実施した調査では「五輪開催は「よかった」が56%、「よくなかった」は32%だった」とある。五輪を開催して現実にその利益を知った結果、多くの人が開催はよかったと思ったのである。

     五輪開催前の朝日新聞の社説は「社会に分断を残し、万人に祝福されない祭典を強行したとき、何を得て、何を失うのか。首相はよくよく考えねばならない」と語っていたが、五輪を「社会に分断を残し、万人に祝福されない祭典」として中止を求めていた朝日新聞こそ「社会に分断を残し」たのではないか?

     そもそも2021年前半においては、東京五輪は日本国民の背負った重荷だったのではないか? 新型コロナウイルスが感染する中で日本国民がどうにかしなくてはならないことだったのではないか? その日本国民には朝日新聞も当然含まれる。ところが朝日新聞はその責任を政府、都、五輪関係者だけに負わせた。「五輪は政権を維持し、選挙に臨むための道具になりつつある」と言って、五輪を一部の人の私利によるものときめつけた。五輪に対して国民、朝日新聞はどう主体的に対処するか、という問題から多くの人の目をそらした。朝日新聞によって日本国民は、五輪開催前は五輪開催に反対しながら、開催後は五輪を開催してよかったという無責任な存在に仕立てられたわけである。

     感染が拡大する中で責任を他の人に負わせてただ反対を唱えることは楽なことである。勿論無責任なことである。朝日新聞は菅首相に対して「問題が起きたら、誰が責任をとるのか、とれるのか」と言っていたが、朝日新聞の言う通りに開催を中止していた場合、「誰が責任をとるのか、とれるのか」?

    マスメディアの責任

     朝日新聞は五輪中止を求める社説を出したが、東京五輪の「オフィシャルパートナー」になっていた。筋が通らないのではないかと批判されて、次のように答えている。

     一方、2016年1月に大会組織委員会とオフィシャルパートナー契約を結んだことをお伝えした際、「オフィシャルパートナーとしての活動と言論機関としての報道は一線を画します」とお約束しました。朝日新聞が五輪に関わる事象を時々刻々、公正な視点で報じていくことに変わりありません。社説などの言論は常に是々非々の立場を貫いています。今後も引き続き紙面や朝日新聞デジタルで、多角的な視点からの議論や提言に努めます。

    朝日新聞社 東京2020オフィシャルパートナーとして

     オフィシャルパートナーでありながら「公正な視点で報じていく」「常に是々非々の立場を貫いています」というのであるが、あまりに自分に甘いのではないか?

     社説で五輪は中止しなくてはならないと主張するのであれば、会社として五輪から手を引かなくては筋が通らない。

     そもそも五輪の報道・放送によって多大な利益を得るマスメディアが五輪の中止を求めるなどということは、筋が通らないことである。五輪は中止しなくてはならないというのであれば、五輪から手を引いて、あくまで中止を求めなくてはならない。五輪の報道・放送によって利益を得るのであれば、できるかぎり五輪を擁護しなくてはならない。

     2021年6月の記事でデーブ・スペクター氏が当時のテレビ局の内側に次のようなやりとりがあったと語っている。

    盛り上げないといけないから面倒くさいですよ。今日もテレビ局でみんなと話したのだが、毎日、五輪開催について批判的な声を報じているのに、始まったら急に万歳しないといけなくなる、どうするんだよ、と。

    NEWSWEEK デーブ・スペクター「日本は不思議なことに、オウンゴールで五輪に失敗した」

     テレビ局の無責任なやり方がよくわかる。しかし五輪が開催されると盛り上がることは開催前からわかっていたと思われるが、テレビ局の中の人はわかっていなかったのであろうか?

    反政府運動の責任

     立憲民主党の議員が五輪開催に反対しながら五輪が開催されると選手を応援していたことも、筋が通らない。

     五輪には政府がやる大会という面と選手がやる大会という面という二つの面がある。朝日新聞も立憲民主党議員も政府がやる大会を非難していたわけである。しかし五輪は政府がやる大会であると同時に選手がやる大会である。選手がやる大会を非難していたことになる。

     蓮舫氏は政府は危機管理ができていないということを問題としている。しかし危機管理ができていないということは正しいのか? そのことのために蓮舫氏は選手のやる大会をやめさせようとしていたのである。

     五輪開催の中止を求める運動は、選手と対立することになる。藤崎剛人氏が「選手本人の気持ち、選手に対する市民の同情とは別個の問題として、選手と市民のあいだには構造的な敵対関係が存在する」という通りである。Newsweek日本版5月16日付「池江選手に五輪辞退をお願いするのは酷くない」という記事で藤崎剛人氏は、開催前の5月7日、オリンピック水泳日本代表の池江璃花子選手がTwitterでオリンピック辞退や反対の表明を求めるコメントがSNSなどに寄せられていることを明らかにした上で「頑張っている選手をどんな状況になっても暖かく見守っていてほしいなと思います」と綴ったことを取り上げてそう語っていた。

     反政府運動で五輪開催に反対していた人は、五輪開催に問題があるゆえに反対していたのではなくて、五輪開催に反対するという目的が先にあって理由はそのために付け加えられたのではないか? 新型コロナウイルスがなかったならば、高温を問題としていたであろう。新型コロナウイルスはそれより有力な理由になった。新型コロナウイルスの危険を強調することによって多くの人の感情を動かすことができたのである。そこで客観的にとらえてどう対処するかということは問題とされなかった。

     上野千鶴子氏が五輪閉幕前に五輪開催中止を訴えたことは、感染の危険性を問題としていなかったからと思われる。閉幕前に中止をしても、中止をせずに閉幕しても、危険性は変わらないであろう。危険性を問題としているのではなく、危険性を口実として開催中止しようとしていたのであろう。

    マスメディアによる袋叩き

     東京五輪は開幕前マスメディアによって袋叩きにされていたという印象が強い。新型コロナウイルスの感染の恐怖は、そのための大きな題材であった。その他にも

    ・2021年2月3日の日本オリンピック委員会の臨時評議員会での組織委員会会長であった森喜朗氏の発言がたたかれて、森氏は辞任した。―「朝日新聞」2月3日「「女性がたくさん入っている会議は時間かかる」森喜朗氏」 何が悪いのかよくわからないことであった。森氏は女性登用に反対したのか?

    ・3月17日、渡辺直美氏を開会式で豚を演じさせるという演出の案が報じられてたたかれ、その案を出した開会式の演出の「総合統括」を担当する佐々木宏氏は辞任した。―「週刊文春」の3月17日の記事「「渡辺直美をブタ=オリンピッグに」東京五輪開会式「責任者」が差別的演出プラン」 これも何が悪いのかよくわからないことであった。渡辺直美氏が豚を演ずるという案は女性の容姿を侮辱することではないであろう。そもそも没になった案である。増田明美氏「スポーツジャーナリスト・増田明美 的外れな告げ口に対抗を

    ・7月14日に開会式の楽曲担当になった小山田圭吾氏が過去の雑誌での発言によって叩かれて19日に辞任した。―「朝日新聞」7月19日「小山田さん、組織委に辞任申し出 「配慮に欠けていた」

    ・7月22日には開閉会式の演出を担当する小林賢太郎氏が、過去のコントでナチス・ドイツが行ったホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)をネタにしたことが非難されて解任された。―朝日新聞7月22日「「国際問題になりかねない」 開閉会式演出の小林氏解任

     このように五輪は開催前、袋叩きにされていた。大きな問題があったというより、マスメディアが大きな問題にしたように見える。組織委員会の人選に問題があったと言われたが、それほど問題があったとは思えない。攻撃に対してそのまま受け入れてしまったことに問題はあったかもしれない。

    専門家の問題

     五輪開催前、新型コロナウイルス感染対策の専門家とされる人々の五輪開催に対して否定的な発言をしていた。朝日新聞のように開催中止を求める論調は、そのことによって力を得ていたと思われる。ここでは五輪開催に対して否定的な発言をしていた「専門家」のことをも問題とする。

    専門家有志の提言

     2021年6月18日、尾身茂氏等専門家有志は五輪・パラリンピックに伴う感染拡大に向けた提言を大会組織委員会の橋本聖子会長(当時)らに提出した。「無観客開催が望ましい」というものであった。―NHK「専門家有志が会見「リスクを十分認識し拡大しないよう対策を」

     この提言にはいくつか問題がある。

    独裁

     尾身氏等は分科会としてではなく専門家有志として提言を出した。何故か? 分科会には尾身氏等と考えの違う経済や社会の専門家がいたからであった。尾身氏は「中央公論」2021年11月号で次のように語っている。

    私は分科会としてやらないほうがいいと思っていました。
     医療の専門家だけだと感染症対策に軸足を置きがちになりますので、分科会には経済や社会の専門家もメンバーに入っています。五輪の話は、私の頭のなかでは、経済と感染拡大防止の両立ということではないと思っていました。感染拡大を抑えないと、両立を考える余裕はなくなる。これを経済の専門家と平場の会議で議論したら、絶対にまとまりません。つまり、分科会としてコンセンサスを得ることはできないと直感で思いました。

    「中央公論」2021年11月号「菅政権がコロナに敗北した理由」、74頁

     分科会は尾身氏等「医療の専門家」と「経済や社会の専門家」からなる。尾身氏等は「経済の専門家と平場の会議で議論したら、絶対にまとまりません」と考えた結果、分科会としてではなく専門家有志として提言を出すことにした。その提言は分科会の「経済や社会の専門家」に反対されると思われたものであった。尾身氏は「感染拡大を抑えないと、両立を考える余裕はなくなる」と考えて、分科会としてではなく専門家有志として提言を出したという。尾身氏等が「感染拡大を抑えないと、両立を考える余裕はなくなる」と考えたとしても、「経済や社会の専門家」と議論をしなくてはならないのではないか?

     このように尾身氏等「専門家有志」の提言は、分科会の中でも「経済や社会の専門家」に反対されると思われたことを「医療の専門家」だけで出したものであった。ところが科学的真理であるかのようにマスメディアは報道した。政府・都・大会組織委員会に対して科学的真理をつきつけたもののように報道された。

     コロナ禍では、このように尾身氏等「医療の専門家」の言うことがそのまま科学的真理であるかのように報道されることが多かった。尾身氏等の言うことは必ずしも正しいことではない。経済の問題を「医療の専門家」が決めてしまうことができるのかという問題もある。そういう問題があるにもかかわらず、科学的真理そのものであるかのように報道されることが多かった。2022年1月の菅氏と橋下徹氏の対談はそのことを問題としている。

    橋下:菅さんの考え方でバーンと決めて、専門家が“それは違う”と言うと、どうしても世間は専門家の意見を絶対視してしまう。
    菅:圧倒的に専門家だった。

    熾烈なワクチン獲得競争、オリパラ無観客開催、自民党総裁選と解散総選挙…菅前総理が語った裏側の攻防・決断

     五輪開催後の調査で、五輪は「よかった」という声が多かったのに対して菅内閣の支持率が低くなったのは専門家、マスメディアによるところもあったかもしれない。 ―「菅内閣の支持率は28%と昨年9月の発足以降、初めて3割を切った。

    無観客ということについて

     無観客ということについて尾身氏は「観客を入れても、私は、会場内で感染爆発が起きるとは思っていませんでした」と語っている。(「中央公論」2021年11月号「菅政権がコロナに敗北した理由」、76頁)観客を入れても感染爆発が起きると思っていなかったのに「無観客開催が望ましい」と提言したのはおかしいのではないか?

     後のインタビュー「尾身茂氏に聞く、東京五輪・無観客開催の舞台裏…「尾身会長は政治家だ」批判に何を思った?」で尾身氏は「有観客で開催してもよかったのではないか」という批判に対して「有観客で開催してしまうと、そのころ国民に求めていた「人と人との接触機会を少なくしてほしい」というメッセージと矛盾してしまう。」と語っている。「中央公論」の「菅政権がコロナに敗北した理由」でも「観客を入れたら、テレワークなどによって人と人とが接触する機会を少なくしてほしいと国民に求めていることと矛盾したメッセージを送ることになります」(76頁)と言っていた。

     やはり尾身氏の主張はおかしいのではないか? 観客を入れることによって会場内で感染爆発が起きることはないと思っていたのであれば、観客を入れることにした上で「人と人とが接触する機会を少なくしてほしい」というメッセージを送ればいいのではないか? 尾身氏は広く多くの人に届くメッセージを考えているのであろうが、そのために、観客を入れることによって会場内で感染爆発が起きることはないと思っているにもかかわらず「無観客開催が望ましい」と提言することは理解に苦しむ。また「観客を入れたら、テレワークなどによって人と人とが接触する機会を少なくしてほしいと国民に求めていることと矛盾したメッセージを送ることになります」というようにメッセージの効果を決めてかかっていることも理解に苦しむ。尾身氏はどういう根拠によってそのようにメッセージの効果をきめつけることができるのか?

    メッセージ

     五輪開催前に五輪開催は感染対策と矛盾したメッセージになるなどということがマスメディアで盛んに言われていた。しかしそういうことを聞くたびに奇妙に思った。現実には、五輪開催は感染対策と矛盾したメッセージになるという議論が盛んにマスメディアによって伝えられていたからである。そういう議論を盛んに流すひまがあるならば、五輪は開催するが感染対策はしっかりしようというメッセージを流した方が効果的だったのではないか?

     尾身氏はまた「菅政権がコロナに敗北した理由」において、「政治家が専門家と違った意見を持って、異なったことを実行したいという時には、国民に対して、しっかりと説明する必要があります」といい、菅首相は「メッセージ」を出さなくてはならなかったという。(「中央公論」2021年11月号、71~72頁)たしかに菅首相は雄弁ではなかった。しかし尾身氏等が自分たちの主張を科学的真理であるかのように菅首相に対してつきつけた後では、菅首相がそれに対して自分の考えを主張することは容易ではなかった。先に引用した橋下徹氏の言うように「菅さんの考え方でバーンと決めて、専門家が“それは違う”と言うと、どうしても世間は専門家の意見を絶対視してしまう」。尾身氏は自分の発言がどの効果をもたらしたか、考えていないのであろうか?

     ちなみに菅首相は6月17日の記者会見で次のように述べていた。

    世界のおよそ40億人がテレビなどを通じて大会を観戦すると言われています。東日本大震災から復興を遂げた姿を世界に発信し、子供たちに夢や感動を伝える機会になります。57年前の東京大会では、パラリンピックの名称が初めて使われ、障害者の方々が社会で活躍していこうという契機になったと思います。再びこの東京の地で、頑張ることによって壁を乗り越える、そのことができることの大切さや、障害のある方もない方も、お年寄りも若者も、みんなが助け合って共に生きるという共生社会の実現に向けた、心のバリアフリー精神を、しっかりと大会を通じて伝えたいと思います。人類が新型コロナという大きな困難に直面する今だからこそ、世界が団結し、人々の努力と英知でこの難局を乗り越えていくことを日本から世界に発信したいと考えています。そのためには、東京大会は安全・安心に開催すること、そして大会期間中、日本国内の感染拡大を抑え、大会終了後の感染拡大防止にもつなげていくことが不可欠であると考えています。皆様には、家でのテレビ観戦などを通じ、アスリートを応援していただきたいと思います。

    令和3年6月17日 菅内閣総理大臣記者会見

     「人類が新型コロナという大きな困難に直面する今だからこそ、世界が団結し、人々の努力と英知でこの難局を乗り越えていくことを日本から世界に発信したい」ということは、当時の日本の課題であった。東京五輪に対しては様々な考えがあるであろうが、2021年の日本にはそういう課題があった。菅首相に説明してもらわなくてはならないことではない。ところがマスメディアも尾身氏等「専門家」も菅首相等に責任を押し付けてしまった。

     そもそも五輪は開催後に多くの人がよかったというような催し物である。政府に説明してもらわなくてはならないことであろうか?

    その他に目立った「専門家」の発言

     その他に目立った「専門家」の発言をとりあげる。

     BuzzFeedは2021年6月28日「「おもてなしどころか、国際的に恥をかく事態も」 医療崩壊も想定される東京五輪で考えておくべきこと」という京都大学大学院医学研究科教授の理論疫学者、西浦博氏のインタビュー記事を出した。五輪はとてもできないようなタイトルである。

     新型コロナウイルスの流行の中で専門家として有名になった手を洗う救急医Taka氏は2021年6月28日、西浦氏の記事を引用して次のようにツイートした。

     こちらも「地獄絵図」というような刺激的な表現を使っている。

     このように「専門家」が危険を煽る発言をして、それをマスメディアが広めた結果、五輪が始まる前の日本は不安に覆われているようであった。―東京新聞6月20日「五輪開催で「感染拡大が不安」は86% 無観客40%、中止は30%<共同世論調査>

     現実には西浦氏の予測とは違うことが起こった。

    7月後半は2を超えていたので、当初、8月後半には万を超えるだろうとする予測値を出していました。明らかにそれは過大評価でした。でも、その予測を出した時は十分にあり得ると思っていました。

    デルタ株にオリンピック、お盆や連休……それでもなぜ感染者は減った?西浦博さんが4つの仮説を検証

     西浦氏は感染拡大を過大に考えていたというのである。そういう予測をもとにしていた西浦氏の考えは正しくなかったようである。オリンピックとの関係を問われて次のように答えている。

    接触とか夜間の繁華街でハイリスクの行動を取ることに関して言えば、オリンピックの影響はほぼなかった、つまり、明らかな増加も減少もなかった、と思います。

    デルタ株にオリンピック、お盆や連休……それでもなぜ感染者は減った?西浦博さんが4つの仮説を検証

     尾身氏が問題としていた五輪開催が人と人との接触を少なくしてほしいというメッセージと矛盾したことになるということは起こらなかったというのである。

    元からスタジアムの中での伝播の可能性は低いことはわかっていました。運営上は、全国民の移動率や接触率が急上昇せずに終わっていることは確かです。
    だから主な影響として疑いなく言えるのは、心理的インパクトだと思います。心理的インパクトは数値化するのが困難ですが、他の点については、いくつかの分析はしていますので、より詳細な分析は今後研究として報告します。

    デルタ株にオリンピック、お盆や連休……それでもなぜ感染者は減った?西浦博さんが4つの仮説を検証

     西浦氏も尾身氏と同じように観客を入れても会場内で感染爆発が起きると思っていなかったのであろうか? しかしその他の「心理的インパクト」とは何か?

     いずれにせよ、感染状況は西浦氏の予測と違って感染は8月中に減少していった。そして西浦氏は必ずしもその原因がわからなかった。そのくらいの認識で、西村氏は五輪の中止を科学的真理であるかのように訴え続けていたわけである。

     感染症専門内科医の岩田健太郎氏の「日刊ゲンダイ」の2021年7月3日の記事「私が東京五輪に断固反対する理由 岩田健太郎氏「万にひとつでも東京五輪が成功すると日本の感染症対策が死ぬ」をもとりあげておこう。「万にひとつでも東京五輪が成功したら、日本の進歩はありません」という理解しがたい主張である。政府・都・大会組織委は「安全・安心」を目標としたがそれでは「何が起きても「安心・安全だった」とされる」ことを問題としているらしい。しかし政府・都・大会組織委が何と言おうと客観的に論じればいい。専門家とされる人々の主張も客観的に論じればいいのではないか?

    「専門家」に対する疑問

     五輪が開催される時にはデルタ株の感染が拡大していた。そのために緊迫感があったにちがない。しかし尾身氏やその他の専門家と言われる人々が感情的に危険を煽ることばかりを科学的真理であるかのように語っていたことは問題とされなくてはならないのではないか?

     国民が理性的に考えなくてはならなかったのに、「専門家」もマスメディアも煽情的であった。

     五輪が開催されて「専門家」の予測が間違っていたことが明らかになった。「専門家」もよくわかっていなかったことが明らかになった。ところがあれだけ五輪を中止させるために圧力をかけていたのに、責任をとることはない。

  • 豊田章男会長の「今の日本は頑張ろうという気にはなれない」発言とメディアの「切り取り」

    豊田章男会長の「今の日本は頑張ろうという気にはなれない」発言とメディアの「切り取り」

     トヨタ自動車の豊田章男会長の「今の日本は頑張ろうという気になれない」という言葉が話題になった。認証不正問題で批判されたことに対して反論したように伝えられて、それに対して反発の声があがっていた。

     ところがメディアは豊田会長の言葉を歪めて伝えていたとベストカーWebは伝えた。問題はどこにあるのか?

    発言の真意は?

     ベストカーWebの「豊田章男会長「今の日本は頑張ろうという気になれない」の本当の宛先は…メディアだった」という記事によると、問題とされた豊田章男会長の言葉は「「メディア」へ向けた言葉」であったが、「そのメディアが曲解して拡散の一部を担っている」という。

     ベストカーWebはまず発言がどういう状況でなされたかに注目する。

     豊田会長の言葉は、2024年7月18日に長野県茅野市の聖光寺の夏季大法要の後、報道陣に語ったことであった。「聖光寺は、昭和45年7月9日に奈良薬師寺別院としてトヨタ自動車および関連会社が施主となり創建され、今日まで交通安全を専一に祈願されている」寺であって、毎年「交通安全祈願、交通事故遭難者の慰霊、負傷者の早期快復を祈願する夏季大祭」が営まれて、7月17日に交通事故者慰霊萬燈供養、18日に交通安全夏季大法要が執り行われている。(協豊会ホームページ「交通安全を祈願 ~蓼科山聖光寺夏季大祭~」)そこで豊田会長は交通事故防止のために必要なことについて語っていた。

     豊田会長は、「交通事故防止のためには、自動車会社だけ、クルマ側だけでは、出来ることには限界がある。交通安全を推し進め、事故死者ゼロを本気で進めるのであれば、道路インフラ側や歩行者側、自転車や(電動キックボードなどの)新モビリティ側など、社会全体が一体になって進める必要がある」と語った。
    「こうした話は、なかなか自動車会社からは言えない。言っても広がらない。我々もがんばりますが、そこは(メディアの)皆さんのお力を借りたい」と、豊田会長は続ける。
     より具体的に言えば、今後50年先を見据えて、本気で自動車事故を減らすために(自動車会社だけでなく)行政や道路整備、自転車、歩行者といった社会全体で手を取り合って「安全」や「モビリティを含む社会のありかた」を考えましょうよと語り、その「社会全体」へ訴える手段のひとつとして、メディア関係者に語ったわけだ。

    ベストカーWeb 豊田章男会長「今の日本は頑張ろうという気になれない」の本当の宛先は…メディアだった

     このように「今回の豊田会長の発言は「交通安全をさらに進めるためには何が必要か」という文脈の延長で出た話である」ことにベストカーWebは注目する。「そもそも認証不正問題とは関係がない」というのである。そこで豊田会長は次のように語ったという。

    「日本のサイレントマジョリティは、日本という国にとって、いま、日本の自動車産業が世界に対して互角以上に戦っていることについて、ものすごく感謝してくれていると思います。
     ところがそれが、日本という国ではすごく伝わりづらいんですね。当たり前になっちゃっているのかもしれない。
     もし日本に自動車産業がなかったら、いまの日本は違ったかたちになってしまうでしょう。それに対して感謝してほしいと言っているわけではありません。ただもうちょっと正しい事実を見て、評価してほしい。
    (自動車関連会社が)間違ったことをしていたら怒ればいいと思います。そのうえで、応援していただけるのであれば、応援しているということが、自動車業界の中の人たちにまで届いてくれると、本当にありがたい。
     そうしないと本当に、本当に、みんなこの国を捨てて出て行ってしまいます。出て行ったらこの国は本当に大変ですよ。
     ただ、いまの日本は、ここで踏みとどまって、頑張ろうという気になれないんですよ。
    (居並ぶメディア関係者に一瞬目線を送って)
     強いものを叩くことが使命だと思ってらっしゃるかもしれませんが、強いものがいなければ、国というものは成り立ちません。強いものの力をどう使うかということを、しっかり皆さんで考えて、厳しい目で見ていただきたい。強いからズルいことをしているだろう、叩くんだ、というのは、これはちょっとね……、でもそこは自動車業界の声として、ぜひお考えいただきたいと思います。」

    ベストカーWeb 豊田章男会長「今の日本は頑張ろうという気になれない」の本当の宛先は…メディアだった

     そして「上記の発言をよく読めばわかるとおり、豊田会長は第一にメディアに向けて語っているということがわかる」と言っている。

    朝日新聞の伝え方

     それまで豊田会長の発言をメディアはどのように伝えてきたか? 朝日新聞の7月18日付「不正に揺れるトヨタ、会長「今の日本は頑張ろうという気になれない」」という記事をとりあげてみよう。記者は松岡大将氏。

     大規模な認証不正に揺れるトヨタ自動車の豊田章男会長は18日、「(自動車業界が)日本から出ていけば大変になる。ただ今の日本は頑張ろうという気になれない」「ジャパンラブの私が日本脱出を考えているのは本当に危ない」と述べた。

     ベストカーWebの伝えたことと照らし合わせてみよう。

     朝日新聞の記事によると、豊田会長は認証不正問題で追及されていることに対して、「(自動車業界が)日本から出ていけば大変になる。ただ今の日本は頑張ろうという気になれない」と言ったかのようである。「(自動車業界が)日本から出ていけば大変になる。ただ今の日本は頑張ろうという気になれない」ということによって追及に反対しているようである。「国交省批判、日本批判」のようでもある。

     しかし豊田会長の言葉は交通事故防止について語ることの延長で一般論として言われたことであって、認証不正問題への追及に対して答えたことではない。「(自動車業界が)日本から出ていけば大変になる。ただ今の日本は頑張ろうという気になれない」ということによって追及に反対しているのではない。豊田会長は「(自動車関連会社が)間違ったことをしていたら怒ればいいと思います」というように、間違ったことに対しては怒られればいいと言っている。

     豊田会長は「日本のサイレントマジョリティ」は日本の自動車産業に対して感謝しているのに「日本という国ではすごく伝わりづらい」ということを問題としている。そのことを伝わりづらくしているものを問題としている。伝えることを仕事とするメディアを問題としているのである。日本を批判しているのではなくて、日本のメディアを批判しているのである。

     豊田会長は「(自動車関連会社が)間違ったことをしていたら怒ればいいと思います。そのうえで、応援していただけるのであれば、応援しているということが、自動車業界の中の人たちにまで届いてくれると、本当にありがたい。」というように、間違ったことで怒られることに反対しているのではなく、自動車業界が立ち直れないほど叩くことを問題としているのである。「強いからズルいことをしているだろう、叩くんだ、というのは、これはちょっとね……、」というのは、叩かれるべきことで叩かれることではなく、不当に叩かれていることを問題とする言葉である。

     記事に付けられたコメントで西田亮介日本大学教授が「端的な居直りであり、論点のすり替え」と言っているのは、朝日新聞の記事をそのまま受け取って豊田会長は「(自動車業界が)日本から出ていけば大変になる。ただ今の日本は頑張ろうという気になれない」ということによって追及に反対していると思い込んでいるようである。本田由紀東京大学教授の「傲慢のひとことにつきる」という言葉も同じようである。ベストカーWebの記事を読んだ後では、朝日新聞の記事の方が「論点のすり替え」に見える、そしてその記事をそのまま受け取った両氏が大学教授という肩書で「論点のすり替え」に権威を与えて拡散していることは、目も当てられないことと思われる。

  • 安倍元首相殺害事件の裁判が始まらずに時間がたっているのは何故か?

    安倍元首相殺害事件の裁判が始まらずに時間がたっているのは何故か?

     安倍晋三元首相殺害事件の裁判が始まらずに時間がたっている。重大な事件であるにもかかわらず、放置されているような奇妙な状態になっている。

     何故にそういうことが起こっているのか?

     事件から2年たとうとする2024年5月下旬から6月にかけて、左翼インフルエンサーがそのことを問題にしていた。その考えは真実とは違うと思われる。しかし裁判が始まらずに時間がたっていることは問題とされなくてはならないことではないか?

    裁判の遅れ

     2022年7月8日、安倍晋三元首相が銃撃され、死亡した。

     多くの人に衝撃を与えた事件であった。長く総理大臣を務めた人物であって、総理大臣を辞めた後も強い影響力を持っていた人物が、選挙応援演説中に銃撃され、死亡したのである。

     ところがその後に奇妙な事が起こっている。裁判が始まらないまま時が過ぎているのである。

     事件から2年近い2024年3月20日の朝日新聞の記事の見出しには「初公判は来年の可能性も」とある。

    https://www.asahi.com/articles/ASS346DG2S34PTIL00M.html

    裁判は奈良地裁で開かれる予定で、昨年10月から2回、裁判官と検察官、弁護人で証拠や争点を議論する公判前整理手続きがあった。3回目の期日は未定で、さらに複数回をへて裁判員裁判が開かれるとみられる。
    (中略)
     最高裁によると、近年の手続きの平均期間は11カ月余り。検察の証拠開示や弁護側の主張の検討などに時間がかかり、弁護団の中には、「年内に裁判を開くのは難しい」という見方もあるという。

    朝日新聞デジタル 山上被告「事件考えない日はない」 初公判は来年の可能性も

     「初公判は来年」ということは2025年からということのようである。「年内に裁判を開くのは難しい」ということは、2024年内に裁判を開くのは難しく、2025年からでなくてはならないということのようである。

     重大な事件が起こったにもかかわらず、その事件の裁判が2年たっても始まらないままである。これはおかしいことではないか?

    左翼インフルエンサーの主張

     2024年5月20日に菅野完氏がこのことに関する問題提起をした。これほど長く続く未決勾留は不当だというのである。

     菅野氏はそのことを「警察と検察の怠慢と忖度」による「異常性」として、問題としている。そして「日本のリベラル論壇」も「保守論壇」もそのことを問題としていないことを問題としている。

     「警察と検察の怠慢と忖度」によるかどうかはわからないが、たしかにおかしいのではないかと思われることが起こっている。

     そして菅野氏も言うように、そのことは右からも左からもそれほど問題にされていないようである。

     菅野氏が問題提起をした後、左翼インフルエンサーが次々とその問題を取り上げた。

     たとえば町山智浩氏。町山氏は上に引用した朝日新聞の2024年3月20日の「山上被告「事件考えない日はない」 初公判は来年の可能性も」という記事を引用して次のように語っている。

    https://twitter.com/tomomachi/status/1796194398071292170?s=46&t=GzBNfG97EZzNU53ca4RjTw

     町山氏は誰かが「公判を引き延ばしている」と語る。「公判になれば山上が安倍狙撃の動機として自民党と統一教会の癒着について法廷で話すことになる」、そのことを避けるために「公判を引き延ばしている」というのである。町山氏は誰が「公判を引き延ばしている」のか明らかにしていない。「自民党と統一教会の癒着について法廷で話す」ことを避けたい人とは、自民党の政治家のことであろうか?

     町山氏はその後にさらにわかりやすい投稿をしている。

    https://twitter.com/tomomachi/status/1804556646401953803?s=46&t=GzBNfG97EZzNU53ca4RjTw

     内田樹氏も「早く裁判を始めない」ことを問題としている。

     「早く裁判を始めない」ことは『「被疑者が死ぬのを待っている」と邪推されてもしかたがない』という。内田氏は法務大臣に責任があると言っている。町山氏と同じように自民党の政治家がそうしているということであろうか?

     清水潔氏も勾留が長く続いて裁判が始まらないことを問題としている。

     清水氏は「司法まで政治に振り回される」ことを問題としている。裁判が始まらないことは、司法が「政治に振り回される」からだというのである。町山氏、内田氏と同じように、自民党の政治家が自分たちのために裁判を始めないようにしているということであろうか?

     しかし裁判が始まると自民党の政治家に都合のよくないことが起こるのであろうか?

    裁判は自民党の政治家に都合が悪いのか?

     町山氏が語るように「公判になれば山上が安倍狙撃の動機として自民党と統一教会の癒着について法廷で話す」として、自民党の政治家にとって都合の悪いことになるであろうか?

     山上被告が今後、自民党と統一教会の関係について、自民党に都合が悪いことを言うことができるとは考え難い。

     自民党と統一教会の関係については、安倍元首相殺害事件以前から鈴木エイト氏が追及していて、事件以後、マスメディアが問題として取り扱ってきた。その後で山上被告がこれまで明らかになっていないことを付け加えることができるとは考え難い。

     山上被告が自民党と統一教会の関係について語ることができることは、調査したことか、自分の経験によることであろう。

     山上被告に他の人以上の調査能力があるとは考え難い。

     山上被告が経験するくらいのことは、他の統一教会信者の子供も経験しているのではないか?

     そもそも裁判が始まらなくても山上被告の発言は封じられていない。そもそも事件直後の山上被告の供述をきっかけとして、統一教会の問題が追及され、安倍元首相と統一教会の関係、自民党と統一教会の関係が追及される論調は生じたのである。

     安倍元首相殺害事件の後、安倍元首相と統一教会の関係、そして自民党と統一教会の関係が問題とされた。しかし何が悪いのかよくわからない。

    自民党と統一教会の関係

     統一教会は自民党を支援していた。自民党議員はその代わりに統一教会のイベントに出席したりしていた。そのことの何が悪いのか?

     安倍元首相殺害事件以後、紀藤正樹弁護士等が統一教会を問題とし、統一教会と自民党の関係を問題とする論調を主導した。事件直後の2022年7月12日、紀藤弁護士等の記者会見において同じく渡辺博弁護士は「政治家との繋がりがあるから、警察がきちんとした捜査をしてくれない」と語っている。統一教会には警察が捜査をしなくてはならない問題があるにもかかわらず、「政治家との繋がりがあるから、警察がきちんとした捜査をしてくれない」というのである。

     「政治家との繋がりがあるから、警察がきちんとした捜査をしてくれない」ということが事実であるとすると、そういう政治家と統一教会の関係は問題とされなくてはならないにちがいない。

     鈴木エイト氏はそのことを語ることのできる人として出て来た。

     そしてマスメディアで安倍元首相と統一教会の関係、自民党議員と統一教会の関係を盛んに問題としてきた。

     しかし鈴木エイト氏は安倍元首相が統一教会の関連団体にビデオメッセージを送ったこととか、その他の自民党議員が統一教会のイベントに出席したこととかを示したが、それだけでは悪いということはできない。悪いことは明らかにされていない。事件後の2年間、鈴木エイト氏はマスメディアで安倍元首相と統一教会の関係について語って来たのに「統一教会と安倍晋三元首相のズブズブの関係を明確な論拠で語る」ことは行われていない。そもそも「ズブズブ」という言葉がどういうことを意味しているのか明らかでない。

     事件以降マスメディアがその問題を追及してきたにもかかわらず、問題とされるような事実は明らかにされていない。仲正昌樹氏の語る通りである。

     清水潔氏は「統一教会との関係」は「バレている」と語ったが、現在何が明らかになっているのか? またすでに明らかになっているとすると、裁判が始まらなくても明らかになっているのではないか? このようにすでに明らかになっているとも言われ、これから明らかになるとも言われることの実体は何なのか?

     紀藤弁護士や渡辺弁護士、鈴木エイト氏の主張にはいまだに根拠がないのである。根拠のない憶測によって世の中が動かされているかたちになっている。

     岸田首相が2022年8月31日に自民党議員と統一教会の関係を問題として断絶宣言をしたのは、マスメディアが問題としたからではないかと思われる。

    https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2022/0831kaiken2.html

     岸田首相は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)を「社会的に問題が指摘される団体」として、自民党議員が関係を絶つことを宣言しているが、「社会的に問題が指摘される」というのはマスメディアが問題としているということではないか?

     ところがそのマスメディアの論調を主導していた紀藤弁護士も鈴木エイト氏も、自民党議員と統一教会の間に悪い関係があったという根拠をもって示すことはできていない。紀藤弁護士や鈴木エイト氏が根拠もなく問題を指摘したことを根拠として、岸田首相は世界平和統一家庭連合を関係断絶しなくてはならない相手と語っているのではないか?

    事件の実態

     紀藤弁護士や鈴木エイト氏が事件後に主導した論調は根拠のないものである。裁判が穏当に行われる限り、その根拠のないことが明らかにされると思われる。

     裁判によって、自民党に都合の悪い統一教会との関係が明らかにされるより、むしろ問題がないにもかかわらずあると言ってきた人が正しくなかったことが明らかにされると思われる。

     そして被害者と加害者が逆転している論調も正されると思われる。

     山上被告は統一教会の「被害者」とみなされてきた。しかしいまだに山上被告が統一教会から受けたという「被害」は明らかになっていない。山上被告が統一教会からどのような「被害」を受けたとしても、山上被告行った「加害」が問題とされなくてはならない。

     40代の人物が自分の10代のことを理由として殺人事件を起こしたと言われている場合、その人が受けたことよりやったことが重視されなくてはならないのではないか?

     山上被告と統一教会の関係がどうであっても、山上被告が安倍元首相を殺害したことに関しては、山上被告が安倍元首相から受けた「被害」はこれまでのところあるとは思われず、それだけ「加害」が問題とされなくてはならない。

    裁判の前に日本を覆う論調

     ところが安倍元首相殺害事件から2年たっても裁判が始まっていない。その間に事件に対して根拠なくきめつける論調が日本を覆ってしまった。

     そもそも事件が起こっているのに法的な決着がつかない間は、法的に歪んだ状態が続くことになる。安倍元首相殺害事件のような重大な事件の場合は特にそうである。安倍元首相殺害事件の場合は、その上に、紀藤弁護士、鈴木エイト氏等によって事件を根拠なくきめつける論調が日本を覆ってしまった。

     紀藤弁護士や鈴木エイト氏等は統一教会を「巨悪」として、山上被告は「被害者」であるかのように語った。そして安倍元首相はその「巨悪」である統一教会のために働いていたとして、安倍元首相に問題があったと語った。

     紀藤弁護士や鈴木エイト氏等の根拠のない主張は、裁判が始まらないことによって力を持っているということもできる。

     現在、裁判所は紀藤弁護士や鈴木エイト氏等によって作られた論調に直面している。裁判官は、紀藤弁護士や鈴木エイト氏等によって多くの人に広められた論調を相手にまわさなくてはならない。

     紀藤弁護士や鈴木エイト氏はこれまでその根拠のない論調によってマスメディアを動かし、国会議員を動かし、岸田首相をも動かしてきた。国内で最後に残っているのは裁判所である。どうするか?

  • 【東京都知事選】蓮舫氏とその支持者の田崎史郎・野村修也両氏批判 情報の使い方

    【東京都知事選】蓮舫氏とその支持者の田崎史郎・野村修也両氏批判 情報の使い方

     東京都知事選に出馬した立憲民主党の蓮舫参議院議員とその支持者の情報の使い方には問題があるのではないか?

     蓮舫氏が出馬して間もなく、蓮舫氏とその支持者によって田崎史郎氏、野村修也氏の発言が批判された。しかしその批判は田崎氏、野村氏の発言に対して当たっていないようである。蓮舫氏とその支持者に寄って、事実と異なる物語が作られているようである。

     事実と異なる物語を作るかたちで政治が動かされることは批判されなくてはならない。

    発端

     2024年5月27日、立憲民主党の蓮舫参議院議員が党本部で記者会見を開いて、東京都知事選に出馬することを表明した。そこで蓮舫氏は「公約は追って公表します」と言った。そのことが問題の発端となった。

    田崎史郎氏とのやりとり

     蓮舫氏の出馬についてテレビ番組で田崎史郎氏が発言した。それを蓮舫氏自身が取り上げて反論した。

    5月27日「Live News イット!」を巡って

     蓮舫氏は5月27日18時10分のポストで田崎史郎氏の発言を取り上げて「残念です」と言った。

     蓮舫氏が引用しているのは「デイリー」の記事。

    https://www.daily.co.jp/gossip/2024/05/27/0017702338.shtml

     その記事は、フジテレビの番組「Live News イット!」での田崎氏の発言を次のように伝えている。

    田崎氏は「蓮舫さんの会見、確かにうまいんですけど、攻撃的すぎるな、と僕は感じました」と話す。「蓮舫さん、果たして何をやりたいんですか?都政に国政を持ち込みたいんですか?と。じゃなくて、都政をどうするか、と語ってほしいわけです」と指摘していた。

    デイリー 田崎史郎氏 蓮舫氏の出馬会見に「攻撃的すぎる」「何をやりたい?」と疑問「都政どうするか語って」

     「都政に国政を持ち込みたいんですか?」というのは蓮舫氏が小池都知事の都政に対する批判を自民党の政治に対する反対と結びつけているからであろう。

     いずれにせよ田崎氏が語ったのは「都政をどうするか、と語ってほしい」ということである。

     それに対して蓮舫氏は『「都政をどうするか」を私の公約と共に日を改めて発表します』と言っている。

     ところが蓮舫氏は田崎氏に対して「何も聞かず番組で語られている姿、残念です」と田崎氏が悪いかのように話を結んでいる。田崎氏が蓮舫氏に対して「都政をどうするか、と語ってほしい」と言ったことは批判されなくてはならないことではないが、蓮舫氏のポストでは田崎氏に非があるかのようである。

    5月27日「情報ライブ ミヤネ屋」

     蓮舫氏と同じ立憲民主党の杉尾秀哉議員が田崎氏の発言に対して激しい言葉を使っていることをも取り上げておこう。

     杉尾氏が引用しているのは、5月27日の日本テレビ「情報ライブ ミヤネ屋」での発言を取り上げた「デイリー」の記事。

     田崎氏の発言は読売テレビの特別編集委員の高岡達之氏の次の質問を受けたもの。

    読売テレビの特別編集委員の高岡達之氏は、「全国の地知事選挙に行くが、(通常は)私がこの先、知事になったらと夢を語るというのが都知事選でもあるかと思ったが、なかった」と印象を語り、「批判票だけで、蓮舫さんは勝ち目があるんでしょうか?」と田崎氏に質問した。

    デイリー 田崎史郎氏「蓮舫氏の攻撃性を都民どう判断?」出馬会見で自民批判連発にミヤネ屋識者「批判票だけで勝ち目ある?」

     その質問に対して田崎氏が次のように語ったという。

    これから蓮舫さんは、政策発表をして、夢を語るようになるんでしょうけども、蓮舫さんの魅力は、きょうの会見でもよく表れているんですが、攻撃性なんですね。攻撃性に対して、東京都民がどう判断するか。ちょっと引いちゃう人もいるかもしれないですね

    デイリー 田崎史郎氏「蓮舫氏の攻撃性を都民どう判断?」出馬会見で自民批判連発にミヤネ屋識者「批判票だけで勝ち目ある?」

     このやりとりをみると、蓮舫氏が会見で「知事になったらと夢を語る」ということがなくて、「批判」だけ、「攻撃性」だけであったという客観的事実があって、それに対して、田崎氏はその「攻撃性」を蓮舫氏の魅力としつつ、「東京都民がどう判断するか」であって、「ちょっと引いちゃう人もいるかもしれない」と言っている。

     田崎氏の「ちょっと引いちゃう人もいるかもしれない」というところは蓮舫氏に対して批判的ということもできるが、客観的な事実をもとにして可能性を語っているだけのことのようである。

     杉尾議員が語るように「蓮舫さんを貶める事を目的とした発言」ではない。そういう田崎氏の発言を『常に「権力と共にある」ことをモットーとする』ということと関係づけることも正しくない。

    5月28日「ひるおび!」

     次に蓮舫氏が5月28日「ひるおび!」での田崎氏の発言に反論したポスト。

     蓮舫氏が引用しているのは「デイリー」の記事。

    https://www.daily.co.jp/gossip/2024/05/28/0017704800.shtml

     上に引用したように、蓮舫氏は5月27日に「デイリー」の記事を引用して次のように語っていた。

     それに対して田崎氏は5月28日のテレビ番組「ひるおび!」で次のように答えた。

     これを受け、田崎氏は「だから今日、電話したんですよ。議員会館の事務所に。蓮舫さんの事務所に。直通電話に5回、代表電話(を通じて)から2回、計7回電話で誰も出ない。おかしいでしょ。秘書いないんじゃないかと思う」と苦笑いでコメント。「いつでも取材を受けるというなら、いつでも連絡できる態勢にしてくださいと蓮舫さんにお願いしたい、と申し上げた上で」と訴えた。

    デイリー 田崎史郎氏、嘆く 蓮舫議員が「いつでも取材受ける」投稿で「計7回電話」も「誰も出ない」

     蓮舫氏は「いつでも取材を受ける」と言い、「何も聞かず番組で語られている姿、残念です」と言って、田崎氏が取材せずに蓮舫氏について語ったことしないことを問題としていた。それに対して田崎氏は、その後取材しようとしたのにできなかったというのである。

     そこで蓮舫氏は「会館の電話ではなく私の携帯に直接どうぞ」と言っている。

     田崎氏が言うように議員会館の蓮舫氏の事務所に「計7回電話で誰も出ない」ということは問題ではないか? 蓮舫氏はそのことに答えなくてはならないのではないか? そのことに答えずに、田崎氏は蓮舫氏の携帯に直接かけなくてはならなかったかのように語っている。そして支持者も田崎氏がしなくてはならないことをせずに蓮舫氏を叩いているかのように語っている。

     ちなみに先日の「イット!」での発言について、田崎氏は「キャスターの方が夢がないって言うんで(政策については)いずれ発表しますからってわざわざ蓮舫さんの主張を代弁した」と言ったという。

    野村修也氏の発言

     中大法科大学院教授で弁護士の野村修也氏の発言に対しても田崎氏の発言に対すると同じような批判がなされた。

     町山智浩氏による批判を野村氏自身が引用して反論している。

     町山氏が取り上げたのは「日刊スポーツ」の記事。

    https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202405280001651.html

     野村氏は5月28日「情報ライブ ミヤネ屋」で次のように発言したとその記事は伝えている。

    都民の立場から見れば、自分たちの生活に近いところの政治ですのでね、私たちに一体どういうメリットがある政治をしてくれるのかってことに、結構みんな注目するとは思うんですよね。昨日の記者会見では、公約は後ほど説明するっておっしゃってましたので、都民はきっとどんな公約が出てくるのかってことを今注目してるんじゃないかって気がします

    日刊スポーツ 野村修也氏、蓮舫氏の都知事選出馬表明に「一体どういうメリットがある政治をしてくれるのか」

     この記事によると、野村氏は蓮舫氏を批判していないようである。公約を見たいと言っているだけである。

     野村氏自身が町山氏の批判に対して反論しているように「蓮舫候補に対して、まだ公約が示されていないので、それを早く見た、見てから評価したい」ということのようである。

     町山氏は野村氏が「小池百合子はメリットがある」と言ったとして反論しているが、野村氏はそういうことを言っていないようである。

     町山氏はどうして野村氏が言っていないことを言ったと思い込んだのか?

     町山氏が引用した記事のタイトルは『野村修也氏、蓮舫氏の都知事選出馬表明に「一体どういうメリットがある政治をしてくれるのか」』というものであった。その中の「一体どういうメリットがある政治をしてくれるのか」というところに、蓮舫氏は「メリットがある政治」をしないのではないかという野村氏の考えが現れていると受け取ったのではないか?

     野村氏はその後も同様の批判を繰り返されたという。

    おわりに

     蓮舫氏が公約を公表しなかったことが問題の発端であった。

     5月30日のアエラドットのインタビューによると、蓮舫氏は「選挙戦略」によって公約の公表を後にしているらしい。

     もちろんプランはありますし、私はリアルに実現できる政策を公約として掲げます。ただ、具体的な公約発表のタイミングは、選挙戦略に大きくかかわります。ですから、もう少しお待ちください。皆さんがワクワクする公約を準備しているので。

    アエラドット 【独自】蓮舫「私ほどふさわしい人はいない」 国際都市・東京のトップを目指す理由【単独インタビュー】

     蓮舫氏が出馬した後も公約を公表していないという状況で、田崎史郎氏、野村修也はそのことにテレビ番組で触れた。

     しかし野村氏はそのことで蓮舫氏を批判していないようである。

     田崎氏もそのことでは批判しておらず、蓮舫氏の「攻撃性」について少しネガティヴな可能性を語った。

     ところが田崎氏も野村氏も蓮舫氏を強く批判したかのように取り上げられて蓮舫氏とその支持者に批判された。

     蓮舫氏もその支持者も勝ちたいという気持ちが強いあまり、一見敵であるかのように見えた人を敵として反論してしまうのであろうか?

     記事を読むとその批判が当たっていないことはわかる。しかし見出しは一見現実以上に蓮舫氏に敵対的であるかのようにも見える。

    田崎史郎氏 蓮舫氏の出馬会見に「攻撃的すぎる」「何をやりたい?」と疑問「都政どうするか語って」

    田崎史郎氏「蓮舫氏の攻撃性を都民どう判断?」出馬会見で自民批判連発にミヤネ屋識者「批判票だけで勝ち目ある?」

    野村修也氏、蓮舫氏の都知事選出馬表明に「一体どういうメリットがある政治をしてくれるのか」

     メディアの注意が足りないのであろうか? わざとそうしているのであろうか?

     いずれにせよ、記事を読まずに見出しだけで決めつけることは批判されなくてはならないことである。

     蓮舫氏が田崎氏とのやりとりで、自分が批判されたことは問題とせずに、田崎氏の方に問題があるかのように話をもっていっているところは気になる。

     いずれにせよ、蓮舫氏とその支持者による以上のようなやり方は問題とされなくてはならない。内輪では盛り上がるかもしれないが、必要もなく敵を増やすやり方である。こういう人が権力をとると、相手のことを正確に調べずに貶めるのではないか?

  • 正体を隠して政治を動かす権力者・共同通信―上川外相「うまずして」発言を巡って

    正体を隠して政治を動かす権力者・共同通信―上川外相「うまずして」発言を巡って

     上川外相の発言が話題になった。しかしその発言がどうして話題になったかを考えると、発言そのものではなく、その発言を話題にした共同通信の動きが問題として見えてくる

     多くの人は共同通信に問題があると思っていない。しかし上川氏の発言を巡る動きのように共同通信には問題があるところがある。共同通信は上川氏に悪い印象をつけ、発言を撤回させることができる権力者である。しかしその正体は隠れている。

     今度のことなどによって共同通信の問題を知る人は多くなった。しかしなお全体の中では少数にとどまっている。多くの人が共同通信の問題を知ってその解決に向かって動かなくてはならない。

    上川外相の発言と共同通信の報道

     2024年5月18日19時ころ、共同通信が伝えた上川陽子外務大臣の発言が問題とされて、翌日19日に上川氏が自分の発言を撤回するに至った。

     しかし上川氏の発言で問題とされたことと、上川氏の発言そのものとは同じでなかった。

     記事によると、上川氏は静岡県知事選で自民党推薦候補を当選させることを「うむ」と言って、「私たち女性がうまずして何が女性か」と言った。

     上川陽子外相は18日、静岡県知事選応援のため静岡市で演説し、自民党推薦候補の当選に向け「私たち女性がうまずして何が女性か」と述べた。新知事を誕生させる趣旨とみられるが、出産困難な人への配慮を欠くと指摘される可能性がある。

    共同通信 「うまずして何が女性か」と上川陽子外相

     ところが共同通信は「出産困難な人への配慮を欠くと指摘される可能性がある」ということを問題としている。

     上川氏は共同通信も認めるように「新知事を誕生させる趣旨」で「私たち女性がうまずして何が女性か」と言ったのであって、子供を産まない女性を否定などしていない。しかし共同通信はそういう問題があるかのように語っている。

     「うまずして何が女性か」を見出しにしていることも、上川氏が子供を産まない女性を否定したかのような印象を与える。

     下の記事参照

    表と裏

     上川氏の発言そのものと、共同通信がそれに対して与えた印象とは異なるものになっている。

     そのことは調べればわかることである。それゆえにSNSで多くの人が、共同通信のつくり出した印象、そしてその印象によって上川氏を非難する人に対して反論した。

     しかし多くの人は報道をそのまま受け取る。報道であると言われたことはあると受け取る。

     共同通信は事実をそのまま伝えるように思われている。

     多くのメディアが共同通信の記事を流すということもある。たとえば、

     まずYahooニュース。(18日18時55分)早い。中身は共同通信のはじめの記事

    https://news.yahoo.co.jp/articles/1338f0baaa083714c8cab0d9528ccd46def492ba

     毎日新聞は18日19時33分。共同通信の記事。発言要旨が加わっている。

    https://mainichi.jp/articles/20240518/k00/00m/010/236000c

     日経新聞は18日19時35分。21時49分に更新。共同通信の記事。発言要旨が加わっている。

    https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA182PU0Y4A510C2000000/

     東京新聞18日21時54分。

    https://www.tokyo-np.co.jp/article/327958

     朝日新聞は19日0時49分に記事を出した。「共同通信が報じ、朝日新聞は関係者に確認した。」とある。

    https://www.asahi.com/articles/ASS5L4PQ5S5LUQIP00DM.html

     そしてNHKは19日5時27分、「上川外相「うまずして何が女性か」静岡県知事選挙の応援演説で」という共同通信の記事と同じ見出しで同じように上川氏が「うまずして何が女性か」と述べたということを前面に出した記事を出している。

    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240518/k10014453911000.html

     このように多くのメディアは共同通信が流したことをそのまま流しているのであるが、読者、視聴者には、多くのメディアがそれぞれ独自に取材して同じ結論を得ているかのように見える。

     共同通信が正体を隠した権力者であるというのはそういうことを言うのである。多くの人に上川氏が悪いことを言ったかのような、悪い考えを持っているかのような印象を与えることができた。上川氏に発言を撤回させることもできた。

    選挙との関係

     そもそも問題とされた上川氏の発言は、選挙の応援演説でのことであった。川勝氏が辞めた後の静岡県知事をどうするかという選挙である。共同通信は上川氏の応援演説の印象を悪く見せているわけである。

     共同通信のような強大な力をもった権力者が選挙において印象操作することは問題とされなくてはならないことではないか?

     日本ファクトチェックセンターも選挙における誤情報を問題にしている。

    https://www.factcheckcenter.jp/info/others/fact-check-weekly-20240519/

     朝日新聞の「EU、選挙を見据えMSに情報要求 生成AI使った偽情報対策で」という記事を引用し、

    https://www.asahi.com/articles/ASS5K543YS5KUHBI02SM.html?ref=factcheckcenter.jp

     EUがロシア系のメディアの活動を禁止する決定を引用している。

    https://ec.europa.eu/commission/presscorner/detail/en/ip_24_2682?ref=factcheckcenter.jp

     今度の共同通信の動きもそのように問題とされなくてはならないことではないか?

     ところが共同通信が記事を配信した次の日に1週間のファクトチェックをまとめているのに共同通信のことを問題にしていない。

     「ファクトチェック」ということでまさに問題としなくてはならないことえはないか?

    外交への影響

     上川氏の発言に関して、立憲民主党の泉健太代表は「外相としての資質も疑われる発言だ」と言ったという。

    立憲民主党の泉健太代表は19日、上川陽子外相の静岡県知事選を巡る発言に関し「冷静に言葉を伝えなければ、外交上の問題も発生する。外相としての資質も疑われる発言だ」と記者団に語った。

    共同通信 外相としての資質疑われる発言と立民代表

     共同通信が伝えている。放火した人が火事のことを伝えているようである。

     今度のことでは上川氏の発言より、共同通信の伝え方に問題がある。「外交上の問題も発生する」というが、その原因を作っているのは共同通信である。

     たとえば英語版で共同通信は誤解を招くようなことを外国に向けて発信している。

     上川氏は選挙で候補者を当選させることに「うむ」という言葉を使ったのに、その「うむ」という言葉を前面に押し出している。

     次の記事では「childbirth」すなわち子供を産むことが前面に押し出されている。

     外相について事実を伝えるのではなく事実をゆがめて外国に向けて発信する共同通信の資質こそ、問われなくてはならないのではないか?

     産経新聞の取材に対して共同通信社国際局は次のように答えたという。

    一連の発言は『出産』を比喩にしたものと考えられます。上川氏が『出産』と明示的に述べなかったとしても、発言の解釈として『childbirth』という表現を用いました

    産経新聞 外相「うまずして」英訳記事、男性に言及あり「明示なくても『出産』比喩」 共同通信回答

     上川氏が「比喩」として「明示的に述べなかった」「出産」(=childbirth)を見出しにして実際の発言と違う印象にしたという理解しがたいことを行ったわけである。

     共同通信の中に問題を解決しようとする動きはないのか? 組織的に印象操作の道を突き進むということなのか? 政治家は批判されると改めるのに、共同通信にそういうことはないのか?

     そもそも記者の名前がわからないままであることも気になる。外相に発言を撤回させるほどの権力者であるのに名前は明らかでない。

    おわりに

     共同通信の正体は多くの人には見えない。しかし印象操作をする力を持っている。政治家の発言を歪曲して撤回させることもできる。

     そのことは一歩踏み込めばわかることである。しかし多くの人は与えられたことをそのまま受け取っている。

  • 上川外相の「うまずして何が女性か」発言―印象操作するマスメディアの問題

    上川外相の「うまずして何が女性か」発言―印象操作するマスメディアの問題

     上川陽子外務大臣の発言が話題になった。

     ところが間もなくその発言を伝えた共同通信のやり方が問題とされた。―印象操作をしたというのである。

    「うまずして何が女性か」

     2024年5月18日19時ころから、上川陽子外務大臣の発言が話題となっていた。―上川氏の「うまずして何が女性か」という言葉が問題とされた。

     「うまずして何が女性か」ということは、子供を産まない女性を否定することのようである。上川氏は子供を産まない女性を否定する考えを持っているようである。

     子供を産まない女性を否定する考えは、非難されなくてはならない、上川氏は非難されてなくてはならないと言われた。例えば、

     上川氏は言ってはいけないことを「言っちゃった」というのである。

     このように上川氏の「うまずして何が女性か」という発言をかつての柳沢氏の「女性は生む機械」という発言と同様のものとみなす人も多かった。

    共同通信による印象操作

     しかし問題とされた上川氏発言は、子供を産まない女性を否定するものではない

     そのことは、共同通信の上のポストで引用されている記事「上川氏「うまずして何が女性か」 静岡知事選の応援演説で」を読めばわかる。記事によると上川氏は子供を産まない女性を否定する発言をしていない。

     上川陽子外相は18日、静岡県知事選の応援のため静岡市で演説し、自民党推薦候補の当選に向け「この方を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか」と述べた。新たな知事を誕生させるとの趣旨の発言だが、野党からは「子どもをうまない女性は女性ではないと受け取られかねない不適切な発言だ」(立憲民主党の逢坂誠二代表代行)との批判が出た。

    共同通信 上川氏「うまずして何が女性か」 静岡知事選の応援演説で

     上川氏は選挙の応援演説で、自党推薦候補を当選させることを「うむ」と言った。したがって「うまずして何が女性でしょうか」ということは、私たち女性はその候補を当選させなくてはならないということである。子供を産まない女性を否定する発言ではない。

     共同通信の記事でも「新たな知事を誕生させるとの趣旨の発言」と認められている通りである。

     共同通信はその時の動画も配信している。

    KYODO NEWS 【速報】上川外相「うまずして何が女性か」 静岡県知事選の応援演説で発言

     問題はその記事と見出しの関係である。

     記事によると、上川氏は子供を産まない女性を否定する考えなど述べていない。しかし『「うまずして何が女性か」―上川氏、選挙演説で発言」という見出しは、上川氏が子供を産まない女性を否定する考えを示したかのような印象を与える。その記事を受けて、そのように受け取った人は、上に引用した白坂和哉氏のように多かった。

     記事の中で見出しと関わると思われるのは「子どもをうまない女性は女性ではないと受け取られかねない不適切な発言だ」という逢坂誠二氏の言葉である。

     しかし「子どもをうまない女性は女性ではないと受け取られかねない不適切な発言だ」ということは、上川氏が「子どもをうまない女性は女性ではない」と言っていないことを認めることではないか? それにもかかわらずどうして「受け取られかねない」ということが生ずるのか?

     いずれにせよ上川氏が言っていないことを言ったかのように「受け取ら」せている共同通信の見出しこそ「不適切」と言わなくてはならない。

    逢坂誠二氏の発言

     ちなみに共同通信は上に引用した記事の前に「「うまずして何が女性か」と上川陽子外相」と題する記事を公開していた。その記事には逢坂誠二氏の発言はなく、次のように書かれている。

     上川陽子外相は18日、静岡県知事選応援のため静岡市で演説し、自民党推薦候補の当選に向け「私たち女性がうまずして何が女性か」と述べた。新知事を誕生させる趣旨とみられるが、出産困難な人への配慮を欠くと指摘される可能性がある。

    共同通信 「うまずして何が女性か」と上川陽子外相

     この記事でも上川氏の発言を「新知事を誕生させる趣旨」と認めながら、「出産困難な人への配慮を欠くと指摘される可能性がある」と語っている。

     前の記事で「出産困難な人への配慮を欠くと指摘される可能性がある」とあるところが、後の記事では『野党からは「子どもをうまない女性は女性ではないと受け取られかねない不適切な発言だ」(立憲民主党の逢坂誠二代表代行)との批判が出た。』となっている。

     共同通信の記者は、前の記事の時には逢坂氏の発言を知らなかったが、後の記事の時には知っていたということのようである。

     前の記事は18日19時19分に公開、18日19時39分に更新とされている。(「Published 2024/05/18 19:19 (JST)」 「Updated 2024/05/18 19:39 (JST)」)

     後の記事は18日21時54分公開、19日13時46分更新とされている。(「Published 2024/05/18 21:54 (JST)」 Updated 2024/05/19 13:46 (JST)」)

     その間に逢坂氏が上川氏の発言を批判する発言をしていて、それを知った共同通信の記者が記事に取り入れたのであろうか?

     しかし逢坂氏はどうして上川氏が静岡市で「上川氏の女性支持者が多く集まった屋内の集会」で語ったことを知ったのであろうか? 函館にいたのではないか? 逢坂氏は上川氏の発言を批判するのに適した状況にあったのか?

    https://go2senkyo.com/seijika/123556/posts/893459
    https://go2senkyo.com/seijika/123556/posts/893778

     共同通信の記者はどうして逢坂氏の発言を知ったのか?

     共同通信の記者が逢坂氏に上川氏の発言を伝えてそれに対する意見を聞きに行ったのであろうか? しかしそうだとすると逢坂氏は共同通信によって印象操作されたことを受け取ったのではないか?

     そもそも上川氏の発言は「子供を産まない女性は女性ではない」という考えを示したものと受け取られるものか? というところに問題はある。

     上川氏の発言がそういうものであるならば、誰でもそう受け取るであろう。ところが実際には、そう受け取る「可能性」を言い出したのは共同通信である。

     その次の記事で逢坂氏がそのように受け取って批判したと共同通信が伝えているが、その批判は共同通信の影響を受けたものではないか?

     逢坂氏が共同通信によらずに上川氏の発言を知ることができたならば、他にも多くの人が共同通信によらずに上川氏の発言を知ることができたのではないか? 実際には多くの人は共同通信の記事によって上川氏の発言を知って批判している。

     立憲民主党の蓮舫議員は18日19時58分に共同通信の記事を引用して上川外相を非難している。

    蓮舫議員18日19時58分のポスト

    蓮舫議員はその後、上のポストを削除して19日8時11分、次のようにポストした。

     「『比喩』だとしても」ということを付け加えている。(その他いくつか変わっているところがある)もともと共同通信の記事でも「新知事を誕生させる趣旨とみられるが」ということはあった。いずれにしてもそのことゆえに差別発言ではないことになるはずであるが、共同通信も蓮舫議員も、どういう論理かわからないが、差別発言であるかのように語っている。

     蓮舫議員はその後もそういう方向で進んでいる。

     ちなみに下のポストには18日19時20分とあるが、そのポストで引用されている記事は18日21時54分公開、19日13時46分更新となっているものである。つまりそのポストより後に公開されたとされる記事をそのポストに引用しているかたちになっているのである。

    「うみの苦しみ」

     上川氏は問題とされた演説で「今日は男性もいらっしゃいますが、うみの苦しみは本当にすごい。」とも言っている。

    (静岡県知事選の候補として)一歩を踏み出していただいたこの方を、私たち女性がうまずして何が女性でしょうか。

    私も初陣のときに皆さんに「うみの苦しみにあるけれども、ぜひうんでください」と演説で申し上げた。この候補者のことを思うと、その場面が頭によぎる。

    今日は男性もいらっしゃいますが、うみの苦しみは本当にすごい。でもうまれてくる未来の静岡県、今の静岡県を考えると、私たちは手を緩めてはいけない。力を結集すればこの戦いを勝ち抜くことができる。

    日本経済新聞 「うまずして何が女性か」 上川外相、静岡知事選応援

     そのことが問題とされた。

     津田大介氏などはそのことを取り上げて共同通信の報道に問題はないと言っている。

     「国語の勉強やり直した方がいい」という津田氏の主張に従って「国語の勉強」をしてみよう。

     問題は、津田氏の『本人が「(男性にはわからないものとしての)出産」の文脈で「うむ」を使ってるんだから、そりゃその比喩の適切性が問われる』というところ。

     上川氏の「今日は男性もいらっしゃいますが、うみの苦しみは本当にすごい。」という言葉はたしかに「(男性にはわからないものとしての)出産」という意味で「うむ」という言葉を使っている。

     しかし『私も初陣のときに皆さんに「うみの苦しみにあるけれども、ぜひうんでください」と演説で申し上げた。』の中の「うみの苦しみ」は「(男性にはわからないものとしての)出産」という意味ではない。もっぱら選挙で当選させるという意味である。「ぜひうんでください」もそう。

     「(静岡県知事選の候補として)一歩を踏み出していただいたこの方を、私たち女性がうまずして何が女性でしょうか。」の中の「うまずして」も選挙で当選させるという意味である。「女性」も子供を産むかどうかということと関係ない。

     津田氏は『本人が「(男性にはわからないものとしての)出産」の文脈で「うむ」を使ってるんだから』というが、「うむ」という言葉は上のように使われている。したがって「その比喩の適切性が問われる」こともない。

     津田氏の言い方では一見やはり上川氏の発言には問題があったかのようである。しかし上川氏の発言の何が悪いのか、よくわからない。

     共同通信社国際局は5月21日、産経新聞の取材に対して次のように上川氏の「今日は男性もいらっしゃいますが」というところを引用して答えたという。

    同社国際局は、上川氏の一連の発言が「出産」を比喩にしたものと考えられる背景について、コメントで「(上川氏は)『この方を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか』と述べ、さらにその後に『うみの苦しみは、今日は男性もいらっしゃいますが、本当にすごい』と述べています」と指摘した。

    産経新聞 外相「うまずして」英訳記事、男性に言及あり「明示なくても『出産』比喩」 共同通信回答

     ここで「上川氏の一連の発言が「出産」を比喩にしたものと考えられる背景について」というのはどういうことか、よくわからない。いずれにせよ、共同通信が上川氏の「この方を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか」という発言を取り上げる時にその後の「うみの苦しみは、今日は男性もいらっしゃいますが、本当にすごい」ということをも考えてのことだったということであるとすると、共同通信の記事にそのことはなかったのであるからおかしい。その後に話題になったので取り入れたのではないか?

    逆に女性を貶めることでは?

     共同通信をはじめとして上川氏の発言を歪曲して非難している人は、女性を貶めているのではないか?

     上川氏の発言は選挙における女性の力に訴えたものであった。その発言を歪曲して非難することは、上川氏が語った女性の力を貶めているのではないか?

     上川氏は5月19日午前、発言を撤回したが、その時に次のように語っている。

    この発言は、私を古くからご支援いただいている女性支援者を中心にお声がけをさせていただいた個人演説会の最後の発言であります。私自身、2000年の激戦の中で初当選をさせていただきましたが、その際、女性のパワーで私という衆議院議員をうんで、誕生させてくださった皆さんにいま一度、皆さんの女性パワーを発揮していただき、大村知事を誕生させよう、そうした意味で申し上げたところでございます。ただ、私の申し上げました女性パワーで未来を変えるという私の真意と違う形で受け止められる可能性がある、というご指摘を真摯(しんし)に受け止めさせて頂き、このたび撤回をさせて頂きたいと思います。

    朝日新聞デジタル 上川外相、発言撤回 「真意と違う形で受け止められる可能性がある」

     上川氏は「女性パワーで未来を変える」ことが発言の真意であったと語っている。発言をすなおに聞く限りそうとしか受け取れない。

     そういう上川氏の発言を、子どもをうまない女性を否定するものであったかのように印象操作して貶めようとしている共同通信は、「女性パワーで未来を変える」ことを貶めていることになるのではないか?

     たとえば上に引用した白坂和哉氏は上川氏を「女性でありながら女性の尊厳を踏みにじる輩」と断じて「名誉男性」と呼んでいる。こういう言葉は「女性の尊厳を踏みにじる」ものではないのか?

     津田大介氏は「上川外相の感覚はおかしい」ときめつけて、上川氏は「自民党の多くの男性議員たち」を「追従して」いるに過ぎないものと決めつけている。

     上川氏の主体性を認めず、男性に追従しているに過ぎないものときめつける。上川氏の言葉は「女性パワー」という女性の主体性を説いたものであったが、そのことも認めない。―そういうことは女性を貶めることではないか?

     そもそも上川氏の発言は上川氏の女性支援者を集めた個人演説でなされたものである。

     上川氏の発言はそういう女性支援者に対するものであった。上川氏の「女性」という言葉はそういう状況で発せられたものと考えられなくてはならない。

     共同通信の問題についてさらに

  • 能登半島地震―岸田首相・馳知事の「初動」に問題はあったか? 情報の整理

    能登半島地震―岸田首相・馳知事の「初動」に問題はあったか? 情報の整理

     2024年1月1日に起こった能登半島地震では、岸田文雄首相・馳浩石川県知事の「初動の遅れ」ということが早くから問題とされた。

     しかしその「初動の遅れ」ということは必ずしも明らかにされていないまま言われているのではないか?

     岸田首相・馳知事の「初動」の情報を整理しよう。

    問題

     岸田首相の「初動」に問題があったか? ということを考えるためには次のことを明らかにしなくてはならない。

    ・岸田首相は被災地についてどのような認識をもっていたか? (「認識の甘さ」が問題とされているが、どうであったのか?)

    ・そしてどのように対応したか? (「初動の遅れ」が問題とされているが、どうであったのか?)

    被災地に対する認識

     2024年1月1日16時10分頃、石川県能登地方の深さ約15kmでマグニチュード7.6の地震が発生したが、その後の岸田首相・馳知事の「初動」はどうであったか?

     時事通信の「首相動静」では、地震発生後の岸田首相の動きは次のようにまとめられている。

    1月1日の地震後の岸田首相の動静
    • 16時10分
      地震発生

    • 17時16分
      岸田首相、官邸に到着
    • 17時17~18分
      報道各社のインタビュー
    • 17時19~34分
      林芳正、村井英樹、栗生俊一正副官房長官、松村祥史防災担当相、鈴木敦夫官房副長官補、原和也内閣情報官、高橋謙司内閣府政策統括官、森隆志気象庁気象防災監。
    • 18時25~51分
      林、村井、森屋宏、栗生正副官房長官、松村防災担当相、鈴木官房副長官補、原内閣情報官、高橋内閣府政策統括官、森気象庁気象防災監。
    • 21時26~22時01分
      林、村井、森屋、栗生正副官房長官、松村防災担当相、鈴木官房副長官補、原内閣情報官、高橋内閣府政策統括官、森気象庁気象防災監。
    • 22時15~25分
      坂口茂石川県輪島市長と電話
    • 22時30~40分
      泉谷満寿裕同県珠洲市長と電話
    • 23時35~38分
      報道各社のインタビュー
    • 23時39分
      官邸発
    https://www.jiji.com/jc/article?k=2024010100096&g=pol

     地震が発生して1時間後に官邸に到着。

     23時51分、官邸から出た後に岸田首相は次のようなポストをしている。

    ・「能登半島地震に対し、現地の情報を全力で収集して」いるといっている

    ・自衛隊機で防災担当副大臣以下の内閣府調査チームも金沢に到着しているという

    ・自衛隊の災害派遣、警察の広域緊急援助隊の派遣、消防の緊急消防援助隊の派遣を順次行っているという

     以上のことについて考えてみよう。

    東京から現地へ

     まず防災担当副大臣以下の内閣府調査チームを自衛隊機で現地に派遣したことについて。

     古賀防災担当副大臣は1月1日から1月19日まで現地に派遣されていたという。1月1日23時51分には金沢に到着していたと岸田首相は語っている。

     馳知事も地震が発生した時には東京にいて、その日のうちに石川県庁に入った。

    馳氏によると、地震当時は首都圏にいたが、交通機関が止まっていたため林芳正官房長官らに連絡した上で官邸に駆け付けたという。
     馳氏はオンライン会議で「人命最優先で対応をお願いしたい」と要請。終了後、記者団に「県庁の災害対策本部に入り、今後の対応を取ろうと思う」と述べ、官邸を出て自衛隊機を使い、同日中に地元に戻った。

    時事ドットコム 馳石川知事、官邸で初動指揮 県庁とオンラインで―能登半島地震
    https://www.jiji.com/jc/article?k=2024010100225&g=soc

     このことに関して興味深いことがあった。―その後に馳知事が「元日から24時間知事室に滞在して適時適切に指示を決裁していた」と言ったという記事に対して、立川雲水氏が「歴史修正発言」と言ったのである。

     「戦史/紛争史研究家」山崎雅弘氏も「ウソ」だと言っている。

     震災が発生した時に馳知事が石川県庁にいなかったことを問題としているようである。

     しかし1月1日の23時からであっても「24時間知事室に滞在」をしているとすると、「1月1日から24時間、知事室に滞在しております」ということは「ウソ」にはならない。

     岸田首相・馳知事の「初動の遅れ」に対する非難にはこういうことがあるので気を付けなくてはならない。

    現地の情報の収集

     次に、岸田首相の「能登半島地震に対し、現地の情報を全力で収集して」いるという言葉について考える。

     能登半島地震では岸田首相の「認識の甘さ」が問題とされた。そのことと関わることである。

     「能登半島地震に対し、現地の情報を全力で収集して」いるということは、まだ現地の情報を十分に把握していないということである。そういう意味で「認識の甘さ」があるということはできる。しかしまた「全力で収集して」いるということは、「認識の甘さ」にとどまろうとしていないということでもある。

     1月1日23時51分の岸田首相の被災地に対する認識は上に引用した通りであった。地震発生から23時ころまではどうであったか?

     1月8日の朝日新聞の記事は、題に「「初動を甘く見た」首相批判も」とあるように岸田首相が「初動を甘く見た」という批判を取り上げている。しかしその時のことを記した本文は、そういう批判とは違うことを示しているようである。

     地震発生直後の1日夕、首相は官邸幹部らに「これはひどい災害になるんじゃないか」と語っていた。だが、道路や通信インフラが破壊され、状況はなかなか分からなかった。日没直前というタイミングに加え、集落が点在する半島という地理的な特性が障壁になり、被害の深刻さの一端が見えてきたのは、同日午後10時を回ってからだ。

    朝日新聞DIGITAL 「初動を甘く見た」首相批判も 能登地震1週間、被害の全容つかめず
    https://www.asahi.com/articles/ASS1763HNS15OXIE01Y.html?iref=pc_ss_date_article

     まず、岸田首相は地震直後に「これはひどい災害になるんじゃないか」と語っていたことが伝えられている。岸田首相が「ひどい災害になる」可能性を考えていたということは、「初動を甘く見た」ということに反することではないか?

     岸田首相は地震直後に「これはひどい災害になるんじゃないか」という可能性を考えていたが、「状況はなかなか分からなかった」と言われている。「道路や通信インフラが破壊され」ていたからである。「日没直前というタイミング」「集落が点在する半島という地理的な特性」が「障壁」になったからである。

     状況が分からなかったことの原因はそういう「障壁」にあったということは、岸田首相にはなかったということではないか?

     2月1日の朝日新聞の記事も題に「認識甘かった」という言葉が使われている。しかしその記事で伝えている1月1日の官邸の様子は、「認識甘かった」という言葉と合わないようである。

     1月1日夜、官邸の執務室で岸田文雄首相は焦燥感に包まれていた。
     午後4時過ぎに石川県能登半島を震源とする震度7の激震が発生。首相はその約1時間後から、執務室で秘書官らと共に待機していた。つけっぱなしのNHKのテレビは、アナウンサーが津波からの避難を呼びかけ、炎に包まれる輪島市の市街地を映し出していた。
     だが、首相にもたらされるのは「道路が寸断されている」「生き埋めが発生している」といった断片的な報告ばかり。全体状況が分からないまま、刻々と時が過ぎた。

    朝日新聞DIGITAL 「認識甘かった」地震5時間、情報なき首相官邸 危機感共有されず
    https://www.asahi.com/articles/ASS215DNTS1ZUTFK017.html?iref=pc_ss_date_article

     この記事によると、岸田首相は地震発生約1時間後に官邸の執務室に入ってから、被災地の状況を知ろうとしていたが、明らかにならず「焦燥感に包まれていた」ようである。

     「認識甘かった」ということが問題とされるのは、厳しい現実と異なる甘い認識によって動いた(あるいはとどまった)場合であろう。

     しかしこの記事では、岸田首相は自分の認識は不十分であることを自覚して、正確な認識を求めていたとされている。どこに「認識甘かった」と問題とされるところがあるのか?

    特定災害対策本部と非常災害対策本部

     岸田首相は1月1日、まず特定災害対策本部を設置、23時ころ非常災害対策本部に格上げした。

     そのことを問題としている人がいる。

    https://note.com/hayakawayukio/n/n509c405f4219

     「能登半島地震で政府の初動が遅れたのは誤って特定災害対策本部を設置したから」というのである。そのことについて考えてみよう。

     1月1日23時51分、岸田首相はそれまで設置していた特定災害対策本部非常災害対策本部に格上げして、岸田首相が本部長になったことを伝えている。

    災害対策基本法

     特定災害対策本部も非常災害対策本部も、災害対策基本法によるものである。

     災害対策基本法では、災害が発生した時に、特定災害対策本部を設置する場合と非常災害対策本部を設置する場合が分けられている。

     非常災害対策本部を設置する場合は「非常災害が発生し、又は発生するおそれがある場合」である。

    第二十四条 非常災害が発生し、又は発生するおそれがある場合において、当該災害の規模その他の状況により当該災害に係る災害応急対策を推進するため特別の必要があると認めるときは、内閣総理大臣は、内閣府設置法第四十条第二項の規定にかかわらず、臨時に内閣府に非常災害対策本部を設置することができる。

    災害対策基本法

     特定災害対策本部を設置する場合は、災害の「規模が非常災害に該当するに至らないと認められるものに限る」。

    第二十三条の三 災害(その規模が非常災害に該当するに至らないと認められるものに限る。以下この項において同じ。)が発生し、又は発生するおそれがある場合において、当該災害が、人の生命又は身体に急迫した危険を生じさせ、かつ、当該災害に係る地域の状況その他の事情を勘案して当該災害に係る災害応急対策を推進するため特別の必要があると認めるもの(以下「特定災害」という。)であるときは、内閣総理大臣は、内閣府設置法第四十条第二項の規定にかかわらず、臨時に内閣府に特定災害対策本部を設置することができる。

    災害対策基本法

     非常災害対策本部の長は「内閣総理大臣」。

    第二十五条 非常災害対策本部の長は、非常災害対策本部長とし、内閣総理大臣(内閣総理大臣に事故があるときは、そのあらかじめ指名する国務大臣)をもつて充てる。

    災害対策基本法

     特定災害対策本部の長は「防災担当大臣その他の国務大臣」。

    第二十三条の四 特定災害対策本部の長は、特定災害対策本部長とし、防災担当大臣その他の国務大臣をもつて充てる。

    災害対策基本法

     それゆえに岸田首相は「特定災害対策本部を非常災害対策に格上げして」自ら本部長を務めることになったのである。

    状況の認識

     今取り上げている「能登半島地震で政府の初動が遅れたのは誤って特定災害対策本部を設置したから」という記事は、2024年1月の能登半島地震は「非常災害」に当たると主張する。したがって特定災害対策本部ではなく、非常災害対策本部を設置しなくてはなかったというのである。

    2021年5月の法改正で新設した特定災害対策本部は、非常災害に至らない、死者・行方不明者数十人規模の災害のとき設置するものとされる。能登半島地震には当てはまらない。これは、230人の死者がカウントされたいまだから言えるわけではない。地震学の知識を少しでも持っていれば、地震後ただちに発表された震源位置と震度7,そしてマグニチュード7.6、深さ16キロを聞いてただちにわかったことである。

    能登半島地震で政府の初動が遅れたのは誤って特定災害対策本部を設置したから

     問題になるのは「地震学の知識を少しでも持っていれば、地震後ただちに発表された震源位置と震度7,そしてマグニチュード7.6、深さ16キロを聞いてただちにわかったことである」というところ。

     後から振り返ると、2024年1月の能登半島地震は「非常災害が発生し、又は発生するおそれがある場合」に違いない。

     岸田首相は1月1日23時ころに非常災害対策本部を設置するまで、どうしてそう考えていなかったのか?

     上に引用した記事によると、「断片的な報告ばかり」で「全体状況が分からない」からということのようである。

     早川氏は1月1日20時に開催された第1回特定災害対策本部会議での気象庁から出席した気象防災監の発言を取り上げて次のように語っている。

    じっさい、1日20時03分に開催された特定災害対策本部会議の冒頭で、気象庁から出席した気象防災監が「震源はごく浅く、マグニチュード7.6。速報値であるが、これは阪神・淡路大震災のマグニチュード7.3を上回ったもの。揺れそのもので、相当の被害が出ている可能性を考えている」と発言した(議事録)。大津波警報にばかり世間の目が向いていたとき、気象防災監は地震専門家として、揺れによって大きな被害が発生していると正しく警告した。いまそのとき大勢が生き埋めになっているとする深刻な指摘だ。しかし、会議は途中で立ち止まることなくそのまま進行した。

    能登半島地震で政府の初動が遅れたのは誤って特定災害対策本部を設置したから

     気象防災監は地震専門家として、早川氏と同様の認識を持っていたというのである。「しかし、会議は途中で立ち止まることなくそのまま進行した。」というのである。

     しかし議事録に記されていることは、早川氏が語ることと違うようである。

     気象防災監はたしかに「揺れそのもので、相当の被害が出ている可能性を考えている」と言っている。しかしそのことについてはそれだけしか言っていない。そしてそれより多く津波について言っている。この議事録で最も多く津波について語っているのが気象防災監である。

     建物倒壊に関しては他の人が語っている。

     内閣府政策統括官は「建物倒壊等による生き埋めが 6 件発生している」こと、「建物等の被害については、倒壊が多数発生しているとのこと」を取り上げている。

     警察庁の警備局長も、「石川県警に多数の通報。建物倒壊に関するものが多い。」と言っている。ただし「人的被害に関するものは調査中で不明」と言っている。

     何故にそのことを取り上げないのか?

     議事録によると、建物倒壊が多いことは伝わっていたが、人的被害に関しては明らかになっていなかったようである。

    非常災害対策本部

     朝日新聞の1月8日の記事によると、第1回特定災害対策本部会議を開いて間もなく、岸田首相は輪島、珠洲両市長と電話して被害の深刻さを知ったことによって、特定災害対策本部を非常災害対策本部に格上げした。

     「住宅の倒壊が多数あり、道路も寸断され重機も入らない。金沢市からの輸送も無理だ」「過去にない広範囲の被災だ。電気・水も止まっている。携帯電話もつながらない」
     石川県の輪島、珠洲両市長から電話で聞き取った首相は、初会合を開いたばかりだった特定災害対策本部を一転、非常災害対策本部に格上げするように指示し、自らが本部長に就いた。

    朝日新聞DIGITAL 「初動を甘く見た」首相批判も 能登地震1週間、被害の全容つかめず

     その記事では次のようなことも伝えられている。

    官邸幹部は「初めは被害の程度がわからず、役所も非常災害対策本部にする段階ではないと言っていた」と話す。

    朝日新聞DIGITAL 「初動を甘く見た」首相批判も 能登地震1週間、被害の全容つかめず

     これによると、「初動を甘く見た」のは岸田首相個人の問題ではなく、役所も情報が把握できていなかったということではないか?

     読売新聞の2月5日の記事では、岸田首相は17時ころに地震の規模が大きいことを聞いて17時30分に特定災害対策本部を「いったん設置」し、その約5時間後に非常災害対策本部に格上げしたと伝えている。

    発生直後、政府内には「被害は軽微ではないか」との希望的観測さえあったが、「道路の寸断で被害状況の把握もままならない」といった情報が次々と寄せられた。
     岸田首相も1日午後5時頃、能登地方を地盤とする自民党の西田昭二衆院議員との電話で、「昨年の地震とは揺れが全く違う。能登を助けてください」と窮状を訴えられた。
     政府は、同日午後5時30分に「特定災害対策本部」(本部長・松村防災相)をいったん設置。首相は「空振りでも構わない」と判断し、約5時間後に首相をトップとする「非常災害対策本部」に格上げした。

    読売新聞 道路・情報寸断で「陸の孤島」になった能登、自衛隊の救助難航…初動対応の「定石」通じず
    https://www.yomiuri.co.jp/national/20240205-OYT1T50005/

     ここでは呉語5時ころの西田議員との電話がきっかけとなったとされている。

     岸田首相が特定災害対策本部を非常災害対策に格上げする時に「空振りでも構わない」と判断していたということは、「空振り」になるかもしれないと思われ情報しか与えられていなかったということであろう。そしてそれにもかかわらず格上げすることを決めたということであろう。

     このように各社の報道において、岸田首相は与えられた情報が増えるに従って対策を格上げするのみならず、与えられた情報以上に積極的に動いていたと伝えられている。

    震災対応

     次に問題となるのは、岸田首相・馳知事の認識と、震災対応との関係である。岸田首相・馳知事の認識のために震災対応が遅れたのか?

    馳知事

     馳浩石川県知事は1月1日18時25分に、陸上自衛隊に派遣要請をして「明朝、朝一での対応をお願いした」とポストした。

     早川氏はそれを取り上げて「正気か」と言った。

     直ちに投入しなくてはならないのに、明朝、朝一から投入するのはおかしい、ということのようである。

     早川氏は後日、馳知事が『19時30分ころ記者団に対して「午後5時過ぎには、副知事を通じて自衛隊の派遣要請も出し、速やかに対応していただけると思うが、夜に入ったので、あすの朝、明けてから本格的な情報収集や救命活動に入ることになる」と述べていた』ことを知ったらしい。

     馳知事が地震発生後間もない時に自衛隊に派遣要請していたことを、それまで知らなかったようである。しかし早川氏は「これでは自衛隊は明朝まで動けない。明朝まで動きを封じられた」と断じている。馳知事の「認識の甘さ」のために自衛隊は動きを封じられたというのである。

     この主張には疑問がある。

     馳知事によって自衛隊は動きを封じられたのであろうか? できるだけ早く動こうとしても時間がかかったということはないのであろうか? 早川氏が後日知ったことは、そのことと関わることではないか?

    自衛隊

     震災直後に自衛隊を能登に派遣することには困難な状況があったと言われている。

     たとえば時事通信の記事では「北陸3県の陸自定員は1400人で、初日に投入した1000人はほぼ総動員に近かった」と言われている。

    https://www.jiji.com/jc/article?k=2024020300376&g=soc

     地震発生後の金沢駐屯地からの先遣隊の動きを、2月5日の読売新聞の記事は次のように伝えている。

     地震発生から1時間後。陸自の金沢駐屯地(金沢市)では先遣隊20人が高機動車2台に分乗し、約100キロ離れた輪島、珠洲市に向けて出発した。地割れや陥没に阻まれ、輪島中心部入りを断念。 迂回うかい 路を探すうち1台が動けなくなった。残る1台が珠洲市にたどり着いたのは翌2日の正午頃。すでに20時間近くたっていた。

    読売新聞 道路・情報寸断で「陸の孤島」になった能登、自衛隊の救助難航…初動対応の「定石」通じず

     地震発生から1時間後に金沢を出発した先遣隊が「輪島中心部入りを断念」、1台が動けなくなって、2日の正午に珠洲市に到着している。

     地震直後から動くものは動いていた。そしてできるだけ早く動こうとしても時間がかかった。ということではないか?

     名古屋市に司令部がある陸自第10師団は、地震発生直後に馳知事から派遣を要請されたという。そして間もなく派遣を開始した。

     地震発生から約30分後の午後4時45分、酒井秀典・第10師団長が馳浩石川県知事の要請を受けて災害派遣を開始。兵庫剛副師団長らが夜に守山駐屯地を車で出発し、2日未明に石川県庁の対策本部に着いた。

    朝日新聞DIGITAL 道路寸断、渋滞に阻まれた「前進」 陸自隊員、難渋の能登地震初動
    https://www.asahi.com/articles/ASS216WKWS1YUTFK001.html?iref=pc_ss_date_article

     朝日新聞の4月3日の記事で、兵庫剛・副師団長はその時のことを次のように語っている。

     元日夕の発災直後、石川県庁の対策本部経由で自衛隊に「数百人単位のヘリコプター空輸」を要望されたが、趣旨がわからない。兵庫氏は深夜に司令部を陸自車両で発ち、翌日未明に県庁に着いた。
     対策本部の拠点は6階。危機対策課に自衛隊と警察、消防が集まった。消防は消防庁長官の指示で東海・関西各府県から緊急援助隊が来ていたが、現状認識が共有されない。兵庫氏が呼びかけた。
     「頭をそろえましょう。被災状況がわからない。被災地へどうやって行けばいいかもわからない。情報を『見える化』しましょう」

    朝日新聞DIGITAL 能登地震直後 自衛隊副師団長が呼びかけた情報共有、見えた支援方針
    https://www.asahi.com/articles/ASS425WQJS36UTFK00B.html?iref=pc_ss_date_article

     「被災状況がわからない。被災地へどうやって行けばいいかもわからない」という状況だったというのである。自衛隊も消防も警察もそういう状況に対応して動いていたようである。

     馳知事の言葉によって動きを封じられたのではないのではないか?

    緊急消防援助隊

     次に消防庁の緊急消防援助隊について。

     石川県の災害危機管理アドバイザーも務めてきた神戸大名誉教授の室崎益輝氏は朝日新聞の1月14日の記事において、緊急消防援助隊に関して次のように語っている。

    今回は遅れた。緊急消防援助隊の投入も小出しで、救命ニーズに追いついていない。本来は「想定外」を念頭に、迅速に自衛隊、警察、消防を大量に派遣するべきでした。

    朝日新聞DIGITAL 「初動に人災」「阪神の教訓ゼロ」 能登入りした防災学者の告白

     「迅速に自衛隊、警察、消防を大量に派遣するべきでした」というのであるが、特に緊急消防援助隊の投入について「小出し」であったと批判している。

     緊急消防援助隊は「被災地からの要請を待たずに地震発生直後から出動」したと伝えられている。

     総務省消防庁は今回、地震発生の約20分後に各地の消防に出動を要請。東日本大震災に匹敵する揺れや大津波警報の発令に加え、正月休み中であることも加味した判断だった。同庁担当者は「甚大な被害が想定され、元日だったことから状況の把握と要請に時間を要すると危惧した」と振り返る。
     意識したのは、生存率が急激に下がるとされる「発生後72時間」。72時間を迎える1月4日には、約1800人が救命・救助に当たり、輪島市で80代の女性を救出した。同庁幹部は「消防の使命は人命救助。72時間を意識して、初動から大規模な人員を投入した」と語る。

    時事ドットコム 初の「要請前出動」 活動広がる緊急援助隊―東日本以来の大規模投入・能登地震
    https://www.jiji.com/jc/article?k=2024022700760&g=soc

     陸自第10師団の兵庫副師団長も、1月2日未明の石川県庁に「消防は消防庁長官の指示で東海・関西各府県から緊急援助隊が来ていた」と語っている。

     1月1日20時の特定災害対策本部会議で総務省は「被災自治体からの応援要請はないが、総務省では、ニーズ把握実施中」と言っていた。

     総務省消防庁は甚大な被害を想定して、人命救助のために「初動から大規模な人員を投入した」というのである。まさに早川氏のような考えを持って動いていたようである。

     しかしそれでも1月4日までにその半数しか「被害集中地域」に行くことができなかったと共同通信の1月28日の記事は伝える。

     能登半島地震当日に指示を受け被災地に向かった11府県の「緊急消防援助隊」約1900人のうち、発生72時間以内の1月4日までに石川県珠洲市や輪島市の被害集中地域に入り活動できた隊員が約半数にとどまったことが28日、各消防への取材で分かった。道路損壊や土砂崩れの多発で大型消防車などの走行が阻まれたのが要因で、ルートが限られている半島特有の災害対応への課題が改めて明らかになった。

    共同通信 72時間以内の援助隊入り半数 珠洲、輪島の被害集中地域
    https://nordot.app/1124308515280355625

     室崎氏は「緊急消防援助隊の投入も小出しで、救命ニーズに追いついていない」と言ったが、緊急消防援助隊を実際より多く投入することはできたのであろうか?

    警察の広域緊急援助隊

     室崎氏は自衛隊、消防のみならず警察も「大量に派遣するべきでした」と語っている。

     警察は石川県の要請を受けて広域緊急援助隊を派遣した。こちら

     埼玉県の派遣した広域緊急援助隊の記事がある。

    1日の夜に車で埼玉県を出発し、翌2日朝には石川県に入りました。そのあと七尾市に向かいますが道路の被害や激しい渋滞でたどりつけず、最終的には3日になって、ようやく能登半島の先端部に近い珠洲市に到着することができました。

    NHKさいたま放送局 能登半島地震 埼玉県警広域緊急援助隊「まともな道路がひとつもない」 困難な救助活動振り返る
    https://www.nhk.or.jp/shutoken/saitama/article/018/47/

    岸田首相による非常災害対策本部の初会合

     早川氏は岸田首相がすぐに非常災害対策本部を設置しなかったことを非難したが、その上に、次の日の朝に初会合を開いたことを非難した。

    翌朝、岸田首相が官邸にあらわれたのは8時52分。馳知事と電話会談したあと非常災害対策本部の初会合を9時23分に開いた。じつに地震から17時間後だった。わずか55分で初会合を開いた2016年4月熊本地震と比べると、無為に過ぎた時間の長さに慄然とする。

    能登半島地震で政府の初動が遅れたのは誤って特定災害対策本部を設置したから

     しかし能登半島地震の発生後17時間後に非常災害対策本部の初会合を開いたことを、熊本地震の発生後55分で初会合を開いたことと比較して、前者の「無為に過ぎた時間の長さ」を問題とすることはおかしくないか?

     岸田首相は地震発生後、17時16分から23時39分まで官邸にいて被災地の情報収集をしていた。そしてその情報をもとにして「いったん」特定災害対策本部を設置し、その後に非常災害対策本部に格上げした。わからなかった状況が次第に明らかになってくるとともに対応を上げていったということではないか?

     第1回非常災害対策本部会議で岸田首相は「時間の経過、夜明けとともに被害状況が徐々に明らかになってきている」と語っている。

    時間の経過、夜明けとともに被害状況が徐々に明らかになってきている。被災者の救命救助は時間との勝負。特に建物の倒壊等による被害者は一刻も早く救出する必要がある。

    非常災害対策本部会議(第 1 回)議事録

     室崎氏は「被災状況の把握が直後にできなかったために、国や県のトップがこの震災を過小評価してしまったのではないでしょうか。初動には人災の要素を感じます。」と語った。室崎氏は岸田首相のように「時間の経過、夜明けとともに被害状況が徐々に明らかになってきている」というのと違うやり方を知っているのか?

     岸田首相が非常災害対策本部初会合を開くまでに時間がかかったことによって、震災対応が遅れたということにも疑問がある。

     自衛隊、警察には地震直後に石川県から派遣要請があって、動いていた。消防は要請されずに動いていた。

     岸田首相が第1回非常災害対策本部会議で言うように、自衛隊も、警察の広域緊急援助隊も、消防の緊急消防援助隊も非常災害対策本部会議の前から動いていたのであって、非常災害対策本部会議の後から動くのではない。

    自衛隊、警察の広域緊急援助隊、消防の緊急消防援助隊については、昨夜のうちに自衛隊の航空機などあらゆる手段をもちいて現地に部隊を進め、順次救命・救助等の活動を開始しているが、引き続き、部隊を最大限動員し、住民の安全確保を最優先に救命救助活動に全力を尽くしていただきたい。

    非常災害対策本部会議(第 1 回)議事録

     岸田首相が「部隊を最大限動員」することを求めていることは重要である。岸田首相を批判した人が語ったように、わざと小出しにすることを岸田首相は求めていない。

     早川氏は非常災害対策本部初会合が遅かったために次のようなことになったと語っている。

    1日20時03分の特定災害対策本部会議で決めた応急対策が、翌2日9時23分まで13時間継続した。本部長が防災担当大臣で、総理大臣でなかったことは自衛隊の士気に大きく影響しただろう。消防の救命救急活動も、必要最大限のものにはならなかっただろう。

    能登半島地震で政府の初動が遅れたのは誤って特定災害対策本部を設置したから

     しかし自衛隊も消防も自分達で情報を把握して、その情報に対応して動くのではないか?

     現実には兵庫副師団長が言うように、当初、自衛隊、警察、消防で「現状認識が共有されない」状況であった。それぞれの現状認識がバラバラであったということであろう。それぞれ「被災状況がわからない。被災地へどうやって行けばいいかもわからない。」という状況にあった。そこで「情報を『見える化』しましょう」ということになった。

     岸田首相・馳知事はその動きを妨げたのであろうか?

     早川氏は最後に次のように語っている。

    地震の翌日2日から4日まで、救命救急のために重要だとされる最初の72時間は冬の北陸地方にはめずらしい好天が続いた。風が弱くて視界もよく、ヘリコプターを飛ばすのに支障ない天候だった。不幸中に訪れたあの幸いを生かすことができなかったのが残念だ。

    能登半島地震で政府の初動が遅れたのは誤って特定災害対策本部を設置したから

     しかし自衛隊も警察も消防も地震発生直後から動いていた。そして発生後72時間を意識して動いていたのに、困難な状況があったのである。

     それに対して早川氏は何をすべきであったと言っているのであろうか?

    おわりに

     まとめよう。

     能登半島地震では、岸田首相は被災地の状況についてはじめは正確な情報が得られなかったが、次第に明らかになっていった。そのことは自衛隊なども同様だったようである。岸田首相個人の認識の甘さなどということではないようである。

     岸田首相個人の認識の甘さなどということを問題とするより、能登半島地震では「被災状況がわからない。被災地へどうやって行けばいいかもわからない。」という状況が生じたことを問題としなくてはならないのではないか?

     室崎氏は「被災地で起きていることを把握するシステムが機能しなかった」と語っているがどういうことか? そういうシステムがあったということか?

     能登半島地震では、自衛隊、警察、消防などは震災直後から動いていた。それぞれ独自に情報を集めて、その情報をもとにして動いていた。岸田首相・馳知事によってその動きを妨げられることはなかったようである。