小西議員が公開した高市大臣に関する文書は「捏造」か? 情報の整理

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 2023年3月、小西洋之参議院議員が公表した文書を、高市早苗経済安全保障担当大臣が「捏造文書」と呼んで、捏造でない場合は辞職していいと言ったことで、大きな話題となった。そこで総務省が精査を行って「この文書に記載されている内容についての正確性は確認できなかった」等の結果を公表した。高市氏がその内容は事実に反すると言った文書について、総務省が精査を行った結果、その文書の内容が正確だと確かめることはできなかったというのである。

 ところが総務省の精査の結果にもかかわらず、高市氏の主張が覆されたかのように語る人が後を絶たない。江川紹子氏を例として挙げよう。

 高市氏の主張は総務省によって覆されたという言説を引用して「まったくその通り」と言っている。そのような事実はないにもかかわらず、江川氏はそのような事実があったかのように語っている。江川氏は正しいことを言うことが求められる社会的地位にある人である。その人が事実に反することを言っている。そういう人が他にも少なくない。そして高市氏の総裁選出馬に反対するかたちでそういうことを言っている。現代日本の重要な問題として考えられなくてはならないことではないか?

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発端

 2023年3月2日、立憲民主党の小西洋之参議院議員が参院議員会館で記者会見して、放送法の政治的公平性をめぐる解釈に関する総務省の内部文書とされるものを公表した。

小西洋之 政治チャンネル(こにたんチャンネル) 2023年3月2日 小西ひろゆき 記者会見 「高市早苗総務大臣(当時)が放送法の解釈を捻じ曲げた疑惑を証明する内部文書」

 小西氏が公表した政治的公平に関する文書(3月7日に総務省によって公表された)

 その文書には、平成26年(2014年)11月に礒崎陽輔首相補佐官が総務省に連絡してから27年(2015年)に5月に高市早苗総務相が参議院総務委員会で答弁するまでのやりとりが記されていた。

 ところが3月2日、高市氏は記者会見でその文書について「怪文書だと思う」と語った。(「朝日新聞」安倍政権下の内部文書か、放送の公平性巡りやりとり 立憲議員が公表)3月3日、参議院予算委員会で小西氏はその文書を取り上げて質問を行った。それに対して高市氏は「その小西委員が入手された文書の信憑性について、私は大いに疑問を持っております」と言い、「捏造文書」とも言った。そして次のようなやりとりがあった。

小西洋之 (略)仮にこれが捏造の文書でなければ、大臣そして議員を辞職するということでよろしいですね。
高市早苗 結構ですよ。

第211回国会参議院予算委員会令和5年3月3日

 高市氏が捏造でなければ辞職していいとまで言ったことで、このことは大きな話題となった。

 高市氏が「捏造」というのは高市氏の言動が記されている4枚の文書である。高市氏が言うように「捏造」はあったのか? なかったのか?

 まず形式の問題について考える。そしてその後に内容の問題について考える。

形式の問題

 その文書の内容が正しいかどうか考えるにあたって第一に問題となるのが文書の形式である。

確認の有無

 4枚の文書はいずれも高市氏の確認をとらずに作られていた

 第一の文書「高市大臣レク結果(政治的公平について)」(平成27年2月13日(金)15:45~16:00)の配布先は「桜井総審、福岡官房長、今林括審、局長、審議官、総務課長、地上放送課長」とされている。高市氏に配布されていないのである。

 第二の文書「大臣レクの結果について安藤局長からのデブリ模様」(平成27年3月6日(金) 夕刻)は配布先が書かれていない。(作成者も書かれていない)

 第三の文書「高市大臣と総理の電話会談の結果」(平成27年3月9日(月)夕刻)にも配布先が書かれていない。(作成者も書かれていない)

 第四の文書「山田総理秘書官からの連絡【政治的公平の件について】」(平成27年3月13日(金)17:45)にも配布先が書かれていない。(作成者も書かれていない)

 このように4枚のうち3枚は作成者も配布先も書かれていない。唯一配布先が書かれている文書は、高市氏を配布先としていない。高市氏の確認を経ずに作られているのである。

 4枚の文書はいずれも「公文書等の管理に関する法律」に定められた「行政文書」である。行政文書に関しては平成29年の「行政文書の管理に関するガイドライン」で相手方の確認を経ることが求められている。

第3 作成
3 適切・効率的な文書作成
(1) 文書の作成に当たっては、文書の正確性を確保するため、その内容について原則
として複数の職員による確認を経た上で、文書管理者が確認するものとする。作成
に関し、部局長等上位の職員から指示があった場合は、その指示を行った者の確認
も経るものとする。
(2) ○○省の外部の者との打合せ等の記録の作成に当たっては、○○省の出席者によ
る確認を経るとともに、可能な限り、当該打合せ等の相手方(以下「相手方」とい
う。)の発言部分等についても、相手方による確認等により、正確性の確保を期す
るものとする。ただし、相手方の発言部分等について記録を確定し難い場合は、そ
の旨を判別できるように記載するものとする。

 「可能な限り、当該打合せ等の相手方(以下「相手方」という。)の発言部分等についても、相手方による確認等により、正確性の確保を期するものとする」ことがもとめられているのである。相手方による確認がなくては正確性の確保はできないということである。

 高市氏が問題とした4枚の文書はいずれも平成29年の「行政文書の管理に関するガイドライン」以前のものであった。平成29年のガイドラインでは相手方による確認が求められていなかった。たとえば平成27年3月のガイドラインでは求められていない。

官僚は正しいという主張

 ところが小西氏は、官僚は捏造しないという主張で突き進んだ。

 「高市大臣主張は記録上も創作上も破綻している」というが、高市氏に確認をとらずに作られた文書であって、高市氏が事実に反すると主張している状況では、第三者に正確なことはわからないはずである。小西氏は何故かその状況に向き合わない。

 小西氏は「発覚すれば自らも違法責任を問われる」のであるから官僚が「悪意を持ってねつ造」するはずがないと主張する。しかし同様なことは高市氏にも言うことができる。高市氏は「捏造」でないことが明らかになれば辞職しなくてはならないことになっている。何のためにわざわざ辞職の危険を冒して、捏造でないものを捏造というのか? どちらかというと、高市氏の言葉の方が重いのではないか?

 小西氏は文書を作成した官僚が「捏造していない」と言うことによって問題を解決することを主張しだした。3月13日に『このレク記録を作成した官僚に「中身をねつ造していますか?」と聞いたらいいのです』と言っている。

 官僚には捏造する理由はないゆえに官僚は捏造を否定する、その結果、高市氏は辞職しなくてはならないというのである。しかし官僚が捏造していないかどうか明らかではない。一方の当事者である高市氏が文書は事実に反すると言っている状況で、文書を作成した官僚が捏造していないと言っても、その文書が捏造でないことは明らかにならない。

 小西氏は2023年3月20日の参議院予算委員会で、問題の文書を作成した官僚の捏造していないという証言を示すというやり方をとろうとした。議事録。(以下抜き書き)

小西氏 この高市大臣の平成二十七年二月十三日のこの大臣レク結果、ここに名前があるこの安藤さん、また長塩さん、また西潟さん、それぞれの三者がこの文書を捏造したと、自分たちは事実ありもしないことを故意にあることとしてこの文書に何らかそういう記載をした、捏造をしたというふうに証言しているでしょうか。

 文書作成に関わったと記されている人が「捏造をした」と証言しているかと総務省に問うている。それに対して総務省は次のように答えている。

今川拓郎総務省官房長 今回、質問通告の御要請もございましたので、捏造という認識を改めて確認をしたところ、今御指摘の三人の者のいずれもそのような認識はないとのことでございました。なお、その他の者からは、本件の大臣レクについて、記憶にない、あったとは思わないとの発言もあり、正確性が確認できていないところでございます。

 三人は捏造の認識はないと言っているというのである。今川官房長は同時に、その文書について違う認識の人もいて正確性が確認できないことを明らかにしている。

 ところが小西氏はこの答えでは満足できなかったようで、次のように質問している。

小西氏 今官房長が答弁してくださった、捏造という発言はなかったということと、捏造という認識は安藤局長以下三者はなかったということですが、それは、その安藤局長以下三者が、三人の人たちが、自分たちは捏造という行為をしていないと、そういう証言を事実としてしているということでしょうか。それを明確に答えてください。

 捏造の認識はないということではなく、捏造していないという証言を求めているようである。

今川官房長 捏造についての認識をこの三人の方に改めて確認をしたところ、三人ともそのような認識はないとのことでございました。なお、その他の者からは、本件の大臣レクについて、記憶にない、あったとは思わないとの発言もあり、正確性は確認できないと先ほど申し上げたところでございます。

 今川官房長は同じことを答えている。この後、小西氏が同じ質問をして今川官房長が同じ答えをすることが繰り返される。しばらくとまる。また同じ質問・回答が繰り返される。またとまる。その後に松本総務相が「捏造との認識はないという発言でありましたので、捏造をしていないという発言だと受け止められると考えております」という。それを受けて小西氏は次のように高市氏に言う。

小西氏 高市大臣に伺います。
 大臣は、この高市大臣レク結果の文書、これを三月三日の私の質問で捏造だと言い、捏造でないのであれば大臣も議員も辞職するというふうにおっしゃいましたが、今総務省の調査を総務大臣が責任を持って答弁されました。三者は捏造していないという証言、意思表示をしているわけでございます。もうここで終わりにしませんか。責任を取って大臣を辞職すべきではありませんか。

 要するに小西氏は、文書の作成者側の3人の捏造していないという証言を求めていたようである。しかし作成者側の捏造していないという証言は、その文書が捏造されていないことの証拠にはならない。総務省が言うように、同席していたとされる人の間で認識の違いがあって、正確なことがわからない状況である。

 小西氏が捏造の認識はないという言葉に満足せず、捏造をしていないという言葉が出てくるまで、何度も質問を繰り返して10数分の時間を費やしたことも、理解に苦しむ。小西氏のもとめに総務省がちゃんと答えていないので、ちゃんと答えるようにというかたちで議事が進行しているが、小西氏が無理なことをもとめていることに問題があると思われる。委員長はそのことを理解して小西氏が時間を浪費することをやめさせなくてはならなかったのではないか?

 小西氏は後の質問主意書(令和五年十二月十三日)でも「当該「一連の文書」の作成に関与した総務省の当時の三名の優秀な官僚らにおいては、捏造などしていないとの旨を総務省の調査を通じて参議院予算委員会理事会に報告していると承知しているところである。」と記している。そのことをもって捏造はなかったと主張しているようである。どうしてそういうことになるのか?

 令和5年3月22日に総務省が公表した「「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について」は、「高市大臣レク結果(政治的公平について)」(文書整理 No.21)の有無についての関係者の主張を明らかにしている。

 関係者A、関係者B、関係者Cは文書作成者側。

<関係者A>文書整理 No.21
 放送法4条の解釈という重要な案件を大臣に全く報告していないというのはあり得ないと思う。
 具体的な日付については、約8年前でもあり、詳細についての記憶は定かではないが、日頃確実な仕事を心がけているので、上司の関与を経てこのような文書が残っているのであれば、同時期に放送法に関する大臣レクは行われたのではないかと認識している。

<関係者B>文書整理 No.21、39
 このような資料が残っているのであれば、また、本件の大きな流れとして、個々の発言内容は別として、放送法第4条に規定する「政治的公平」について大臣レクが存在しなかったとは認識しにくいのではないかと思う。
 礒崎補佐官自身が官邸内を仕切られるご意向だったので、こちらはその前に高市大臣へのご説明とご了解が得られることが大前提であるとの認識で動いていた。

<関係者C>文書整理 No.21
作成者と同様の事実認識を有しており、当時の放送法第4条の解釈についての全体の対応は、大きな流れとして、放送法第4条の解釈について大臣レクがなかったとは考えにくいと認識している。

 以上3人は、明確な記憶をもっておらず、文書が残っているのであればレクはあったのではないかと言い、また「大きな流れ」からレクがなかったとは考えにくいと言っている。このように作成者側の記憶は明らかではないのである。また、「大きな流れ」からレクがなかったとは考えにくいと言うが、逆にその「大きな流れ」に合うようにレクの文書が作られたと考えることもできる。

 関係者E、関係者Fは高市大臣側。

<関係者E>文書整理 No.21
 この時期には、NHK予算など放送に関するレクがあったとしてもおかしくはないが、個々のレクについては覚えていない。
 放送法の政治的公平の答弁に関しては、5月 12 日の委員会前日に大臣の指示を受けて夜遅くまで答弁のやりとりがあったことを覚えており、その前の2月に文書にあるような内容の大臣レクがあったとは思わない。

<関係者F>文書整理 No.21
 NHK予算の時期でもあり、この時期に放送に関するレクが何らかあったとしてもおかしくないが、8年も前のことであり、個々のレクの時期や内容は記憶にない。この2月 13 日付けの大臣レク文書に記載された内容のレクについても記憶にない。

<高市元総務大臣>文書整理 No.21、39、42、43
 まず、総務大臣たる私の権限の範囲の話について礒崎補佐官が動いておられることを知った時点で、補佐官ご本人に直接連絡をとり、意図や内容をお尋ねしていたはず。私と礒崎補佐官が直接連絡をとりあっていないことは本件資料からも明らかである。
 平成 27 年2月中旬の時期に、NHK予算やそれに付す大臣意見に関するレクを受けた可能性はありうるとは思うが、放送法の政治的公平の補充的解釈について、同年2月 13 日を含め5月 12 日の答弁前夜より前の機会に、担当局からレクや資料を受けたことはない。
 本件の内容からみて、仮に、担当局から前もってレクを受け了解していたのだとすれば、5月 12 日の答弁前夜になって明け方近くまでドタバタすることはあり得ない。時間がない中、自分が納得いくまで、大臣室と担当局との間で前例や理論構成を詰めてもらったのが先日
提出したペーパーであり、その上で答弁に臨んだ。
 また、本件に関し、私から総理(ないし今井秘書官)に電話したとのメモがあるが、そもそも法解釈に関する内容の話を総理に説明するのに、常識的に考えて、電話一本で済まそうという大臣はいないだろう。条文をお見せしながら、直接ご説明しなくてはならないはずだ。ちなみに、電話で済む案件であれば、大臣室にアポ入れは頼まず自ら直接電話する。

 関係者Eと高市氏はなかったと言っている。関係者Fの「記憶にない」というのはそれほど強く否定するものではないかもしれないが、いずれにせよ「記憶にない」と言っている。関係者Eと高市氏が言う5月12日の答弁前夜のことは「大きな流れ」と関わることであるが、後で論ずる。

 このように文書作成者側にも明確に記憶はなく、文書が残っているのであればレクはあったのではないかと言うくらいである。そもそもレクはなかったのではないかということが問題となる状況である。

ミスリーディングな言説

 高市氏が文書の正確性に対して疑問を呈してから、状況は変わっていない。小西氏等立憲民主党の議員は、文書の存在によって高市氏に反論していたが、文書の存在だけでは反論にならない。

 ところがマスメディアは高市氏が窮地にあるように伝えていた。もともと小西氏が文書を公表し問題を提起することから始まった。そのことを伝えるマスメディアは小西氏の問題提起に乗るかたちになった。そこでその文書に対して「捏造」という高市氏は、都合の悪い事実から逃れようとしているようにみられた。高市氏の主張は、国会で小西氏その他の立憲民主党議員の質問に答えるかたちでしかできなず、後から出てくるかたちになった。立憲民主党議員が高市氏を責めて言うことは必ずしも正しくなかったが、正しいかのように伝えられた。実際には議論の状況は全く動いていないにもかかわらず、マスメディアの報道では高市氏は次々と明らかになる事実によって後退を余儀なくされていたようであった。

 以下、ミスリーディングな言説の例を挙げる。

行政文書

 まず総務省が当該文書を行政文書と認めたことを取り上げる。小西氏が3月2日に文書を公表してからしばらく総務省はその文書を精査していたが、3月7日に行政文書と認めた。

 3月2日、小西洋之議員が、放送法第4条第1項に定める「政治的公平」の解釈について、当時の総理補佐官と総務省との間のやりとりに関する一連の文書を公開しました。
 これを受けて総務省では、公開された文書について、総務省に文書として保存されているものと同一かといった点についてこれまで慎重に精査を行った結果、小西議員が公開した文書については、すべて総務省の「行政文書」であることが確認できましたのでお知らせします。

総務省 政治的公平に関する文書の公開について

 高市氏が「怪文書」とか「捏造」とか言った文書が総務省によって「行政文書」と認められたことは、高市氏の主張が覆されたことであるかのように伝えられた。すでに引用した江川紹子氏のポストは、その文書が公式に「公文書」と認められた後には、高市氏は辞職しなくてはならないという主張に対して「まったくその通り」というものであった。

 しかし「行政文書」と認められたことは、高市氏の主張を覆すことではない。高市氏はそのことを問題としていない。その文書は行政文書でありながら相手方に確認をとっていない文書である。それゆえに正確性に問題があると総務省は認めている。

 江川紹子氏は総務省の精査結果を知らないのか? 知っていてそう言っているのか? いずれにしてもジャーナリストとか有識者とか言われる人がこういうことを言っていることに恐怖を覚える。

大臣レクはあった?

 次に大臣レクがあったという総務省の発表と、その報道。2023年3月13日、参議院予算委員会で総務省の小笠原洋一情報流通行政局長が、高市氏の大臣レクがあったとされる平成27年2月13日にレクがあったと言った。高市氏は文書に書かれた大臣レクはなかったと言っていたので、その言葉を覆すことのようにも聞こえる。小西議員はそのことをもって高市氏は大臣を辞職すべきだと言った。

 ところでそのもとになった総務省の小笠原洋一情報流通行政局長の発言は次の通りである。

 御指摘の高市大臣レク結果の文書につきましては、作成者によりますと、約八年前でもあり記憶は定かではないが、日頃確実な仕事を心掛けているので、上司の関与を経てこのような文書が残っているのであれば、同時期に放送法に関する大臣レクが行われたのではないかと認識しているということでありました。
 一方、当該文書に記載されました同席者の間では、作成者と同様の記憶をする、記憶する者、同時期はNHK予算国会提出前の時期であり、高市大臣に対し放送部局のレクが行われたことはあったかもしれないが、個々のレクの日付、内容まで覚えていないとする者があり、必ずしも一致していない部分がございます。
 以上を勘案をいたしますと、二月十三日に放送関係の大臣レクがあった可能性が高いと考えられます。

 要するに、

・文書の作成者は文書に記されているような大臣レクが行われたのではないかと認識していた

・同席者の間で違うように認識している人もいた

 しかしその時期に放送関係の大臣レクがあった可能性が高いということは両方が認めるということである。高市氏がなかったと主張する大臣レクがあったと総務省が言っているのではない。3月14日の記者会見で松本総務相が「大臣レクはあった可能性が高い」と言ったのも同じことである。そのことを伝える朝日新聞の見出し(放送法めぐる説明、松本総務相「あった可能性高い」 高市氏は否定)は総務省が高市氏と反対のことを言っているかのような印象を与えるミスリーディングなものである。

 PRESIDENT onlineの「なぜ「捏造」と主張したのか…立憲議員が暴露した「総務省文書」に対し、高市早苗氏が判断を間違えたワケ」で水野泰志氏は総務省が「行政文書」と認めたこと、レクがあった可能性があると語ったことを、ここで問題とする方向で事実と違うように語っている。いい例として取り上げよう。

 この「事件」の核心とはまったく別の次元で世間の注目を集め、醜態をさらし続けたのが、当時の総務相として表舞台で主役を演じた高市経済安全保障担当相だ。
 内部文書が露見するやいなや、国会答弁や記者会見で「まったくの捏造」と言い放ち、捏造でなければ大臣も議員も辞職すると大見えを切ってしまったのである。
 礒崎氏が早々に自ら総務省に働きかけて新解釈が行われたことを認め、松本剛明総務相が「行政文書」と認定して公表し、総務省が「総務官僚による高市氏への説明(レクチャー)があった可能性が高い」とする調査結果をまとめても、「捏造」と言い張った。
 本来、外部に漏れることのない内部文書を総務官僚が捏造する必然性がない以上、もはや「捏造」と受け止める人はいないだろう。

 水野氏は高市氏の主張が次々覆されていったかのように語る。しかしその取り上げることは一つ一つ事実と違うことになっている。 

・礒崎氏は「自ら総務省に働きかけて新解釈が行われたことを認め」ていない。総務省側も認めていない。

・総務省が当該文書を「行政文書」と認めたことは、高市氏の主張を覆すことではない。

・総務省がレクがあった可能性が高いと言ったことは、高市氏の主張を覆すことではない。

 この人も「総務官僚が捏造する必然性がない」と小西氏と同じようなことを言っている。上に挙げた三つのことも小西氏が拡散したことということもできる。小西氏の高市氏に対する責め方が、正しくなくても広まったことは注意しなくてはならないことである。

 「外部に漏れることのない内部文書を総務官僚が捏造する必然性がない」ということに関しては、小西氏が公表しなかったならば多くの人の目に触れずにすんだのであるから、それだけ正確であることに気を使わなくてよかったということもできる。外部に漏らさないどころか、発言者の確認をとらずに作成されていたのであるから、それだけ正確であることに気を遣わなかったということもできる。

総務省、捏造ないと結論?

 次に、総務相が捏造はないという結論を出したという報道。3月22日、日本経済新聞は「総務省、捏造ないと結論 放送法巡る文書 高市氏は辞任否定」という記事を出した。「高市早苗経済安全保障相が「捏造(ねつぞう)」と主張した文書に関し、総務省の飯倉主税放送政策課長は同日「捏造ではないと考えている」と結論づけた」というように、高市氏の主張と反対することを総務省は結論としたかのようである。

 しかし3月24日の松本総務相の記者会見では、質問者は「総務省として、高市国務大臣の文書が捏造だったとの主張に答える評価を避けた内容にとどまっているようにも見えています」と聞いていて、それに対して松本総務相は次のように答えている。

  本日の国会でも議論がございましたが、行政文書については正確性を期することが望まれるものであると承知をしておりますが、本件文書については作成者が不明なもの、発言者などの確認を取らないまま作成された文書、伝聞に基づく文書などがありまして、十分な事実関係の確認が困難な場合がありました。
  捏造というお話でございましたが、捏造との議論に付されている文書の1つを例で申し上げれば、認識を改めて確認いたしましたところ、作成者、同席者の一部は、そのような認識はないとのことでありましたが、他方、当該文書の記載について記憶にない、あったとは思わないという発言がありまして、一致をしなかったというところでございます。

 作成者の側に捏造の認識はないが、事実に反するという人もいて、一致をしなかったというそれまでの認識から変わっていない。

 町山智浩氏は「総務省から改竄じゃないと言われてる」と語っている。いつ言ったのであろうか?

結果とプロセス

 小西氏がその公表した文書で問題としたのは、放送法の違法な解釈違法なプロセスによって作られたというこことであった。3月7日の立憲民主党の国対ヒアリングでの小西氏の発言を引用する。

 小西議員は、2014年11月に磯崎総理補佐官に放送政策課の局長らが呼び出され、2015年5月12日に高市早苗大臣(当時)が、これまでになかった初めての解釈、「放送局の番組全体でバランスを判断する」から、「一つの番組だけで放送局が政治的公平に反する」つまり「放送法違反と認める事ができ、かつそうしたものが重なれば、放送局の電波を止めることができるというこれまでの放送法の原則を根底から覆すものだと指摘。「これは放送法の破壊。補充的解釈といった話ではない」「たった一つの番組で、時の総務大臣の判断で違法を認定し、究極的には電波を止めることができるという話」だと説明しました。
 そして、「今日この瞬間も日本の放送に国家権力はいつでも介入できる恐ろしい解釈、今も生きている解釈。それが不正なプロセスで作られている」「違法な解釈」「言論・報道の自由の存立がかかった問題が本質」だと指摘しました。

立憲民主党公式ホームページ 「放送法」国対ヒアリング 「言論・報道の自由の存立がかかった問題」と小西議員

 それぞれについて考えておこう。

プロセス

 「不正なプロセス」とは何か? 小西氏は次のように語っている。

・まず総務省局長が礒崎氏に「解釈づくりを強要され」た

・そうして強要された解釈に安倍総理が「ゴーサイン」を出した。

・その「ゴーサイン」の下に高市氏が解釈を答弁した

 以上のことを「不正なプロセス」と小西氏は言っているようである。

礒崎氏に関するところ

 まず総務省局長が礒崎氏に「解釈づくりを強要され」たという小西氏の主張について考えてみよう。二つのことが問題となる。一つは「解釈づくり」「解釈変更」があったのか? もう一つは、総務省局長は礒崎氏に強要されたのか? ということである。平成27年1月22日「礒崎総理補佐官ご説明結果」と題する文書は安藤情報流通行政局長の次のような言葉を記している。

(礒崎補佐官自ら書き込んだ紙を手交され、)本日いただいた案で、もう一度、持ち帰り、総務省として堪えられるものか確認・精査させていただきたい

「政治的公平」に関する放送法の解釈について(磯崎補佐官関連)

 安藤局長はこのように礒崎氏から出された案に対して、総務省に持ち帰って確認・精査している。このことは総務省が自分の責任で判断することを示すことである。強要されたということに反することではないか。その次の1月29日「礒崎総理補佐官ご説明結果<未定稿>」と題する文書は、安藤局長の次のような言葉を記している。

今回の整理は、総務省としてもギリギリの線と判断しているもの

「政治的公平」に関する放送法の解釈について(磯崎補佐官関連)

 限界を超えていないという総務省の判断を示しているのである。強要されたということに反することではないか。「ギリギリの線」ということは解釈変更でもないということであろう。

 小西氏が文書を公表した後、令和5年3月17日に総務省が公表した「「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について(追加報告)」によると、当時総務省側で対応した人の中で「強要」があったという人はいない。

<関係者A>
 本件対応は、放送法第4条について、従来の解釈をより明確にするための説明を行ったもの。このやりとりの中で、放送法第4条の解釈を歪めるようなことはしていない

<関係者B>
 放送法第4条に規定する「政治的公平」について、礒崎補佐官から説明を求められ、従来からの解釈について説明し、対応したもの。資料にあるとおり、昭和 39 年の国会答弁に基づきつつ、礒崎補佐官からの質問に答えていたものであり、従来の解釈の範囲を超えるものではないと認識している。礒崎補佐官との意見交換の中で色々なやり取りをしているとは思うが、放送法第4条に規定する「政治的公平」の解釈を変えるよう強要する圧力があったという記憶はない

<関係者C>
 放送法4条に関する問い合わせに対応したものであり、礒崎補佐官とのやり取りで4条の解釈変更を行ったという認識はない

<礒崎元補佐官>
 細かな記憶まであるわけではないが、総務省と意見交換を行う中で、昭和 39 年の政府解釈では分かりにくいため、補充的な説明をしてはどうかと意見したことは記憶にある。また、関連する資料についても、お互いに案を出し合って議論していた記憶はある。

 強要はなかったと言われている。そもそも従来の解釈を変更するものではなかったと言われている。当時礒崎氏に対応していた総務省官僚は、小西氏の主張とは違うことを語っているのである。ところが小西氏はそのことを問題としていない。文書が捏造かどうかという時には、その人たちが言うのであるから捏造ではないというのに、強要による解釈変更があったかどうかという時には、その人たちが言うことを問題としていないのである。

 平成27年2月24日の「礒崎総理補佐官ご説明結果」と題する文書に記されている礒崎氏の「この件は俺と総理が二人で決める話」とか「首が飛ぶぞ」とか言う言葉を小西氏は「強要」を示すこととして取り上げている。

 これに対して礒崎氏は次のように説明している。

 礒崎氏が文書に記されているようなことを言ったのかどうかよくわからないが、官房長官に話をするかどうかに関わることであって、「補充的説明の内容とは関わりのない話」ということは正しいと思われる。小西氏は次のようにも語っている。

 「安藤局長らは強要された解釈を防ぐために山田総理秘書官と通じて菅官房長官の政治判断を画策した」と小西氏は考えている。そう考えると、官房長官に話をすることに礒崎氏が反対したことは、解釈を強要したことになるわけである。

 しかし安藤局長は解釈を変更したと受け取っておらず、強要されたとも受け取っていない。安藤局長が問題としていたのは「強要された解釈」ではなく、「業界等の反応」であったと記されている。

・平成27年1月29日「礒崎総理補佐官ご説明結果<未定稿>」では「業界等の反応を懸念」という

・平成27年2月17日「礒崎総理補佐官ご説明結果」では「効き過ぎ」ということを問題とし、「後に業界が過剰反応し、相乗的に混乱すると、予算委員会やNHK予算審議等の国会運営に支障を来しかねない面もあり、そういった事態は避ける必要があるのではないかと思っている」と語っている。

 文書によると、山田総理秘書官もそのことの反響を第一の問題としているように見える。

・平成27年2月18日「山田総理秘書官レク結果 <未定稿>」で山田総理秘書官は「今回の件は民放を攻める形になっているが、結果的に官邸に「ブーメラン」として返ってくる話であり、官邸にとってマイナスな話。」と言っている。

 その文書で安藤局長は礒崎氏と同じく解釈を変更するものではないと主張しているように見える。問題の平成27年2月24日の「礒崎総理補佐官ご説明結果」と題する文書でも安藤局長はマスコミの反応を問題としている。

先日の話は、実際に国会で答弁を行うと、いろいろと(マスコミなどから)言われることも想定される。こちらから申し上げる話では無いことは十分に承知しているが、総理にお話しされる前に、官房長官にお話し頂くことも考えられるかと思いますが。

 要するに、安藤局長も山田総理秘書官も、小西氏が語るような「強要された解釈を防ぐ」ことを考えていたのではなく、マスコミなどの反応によって自分達が困ることになることを問題としていた。礒崎氏との対立はそのことにあって、「強要された解釈を防ぐ」ということにはなかった。

高市氏に関するところ

 次に高市氏に関するところ。総務省官僚が礒崎氏によって強要された解釈変更を高市氏が安倍氏の「ゴーサイン」の下に答弁したこと、小西氏はそのことを「不正なプロセス」として問題としている。高市氏が文書の自分に関するところは事実に反すると主張することは、小西氏が「不正なプロセス」ということに反対することにもなっている。

流れ

 まず文書に記された流れを整理する。平成27年2月13日の大臣レクで礒崎氏の伝言が高市氏に伝えられて、高市氏がそれに答えたとされている。

平成27年2月13日「高市大臣レク結果(政治的公平について)」と題する文書には、高市氏は礒崎氏からの伝言を受けて「官邸には「総務大臣は準備をしておきます」と伝えてください」と言ったと記されている。

 3月5日に総理レクが行われて礒崎氏はその考えを安倍氏に伝えたとされる。

3月6日「礒崎総理補佐官からの連絡(総理レクの結果について)」では、3月5日の総理レクで安倍氏は「良いのではないか」と言ったと記されている。

 3月6日に総理レクについて高市氏に説明があったとされる。

3月6日「大臣レクの結果について安藤局長からのデブリ模様」では『整理ペーパーと「礒崎総理補佐官からの連絡」で大臣にご説明』があって、高市氏は「平川参事官に今井総理秘書官経由で総理とお話できる時間を確保するようその場で指示」したと記されている。

 その後に高市氏から安倍氏に電話があったとされる。

3月9日「高市大臣と総理の電話会談の結果」では「大臣室・平川参事官から安藤局長に対して」の連絡として「政治的公平に関する件で高市大臣から総理に電話(日時不明)」と記されている。

3月13日「山田総理秘書官からの連絡【政治的公平の件について】」では「山田総理秘書官から、政治的公平に関する国会答弁の件について、安藤局長に電話連絡。内容について局長からお話を伺ったもの」として、「政治的公平に関する国会答弁の件について、高市大臣から総理か今井秘書官かに電話があったようだ」という山田秘書官の発言が記されている。

 5月12日、参議院総務委員会で高市氏は藤川氏の質問に対して問題の答弁をした。

平成27年5月12日(火) 参議院総務委員会 藤川 政人 君(自民) 抜粋

 要するに、

・平成27年2月13日、まず礒崎氏の考えが高市氏に伝えられる

・3月5日、総理レクで安倍氏が礒崎氏等に「良いのではないか」と言う

・3月6日、安倍氏の言葉が高市氏に伝えられ、高市氏は安倍氏に電話

・5月12日、高市氏の答弁

大臣レク

 まず平成27年2月13日の大臣レクについて考える。高市氏はそういう大臣レクはなかったと主張している。その根拠とするところは、

・礒崎氏との関係 礒崎氏が関わっていたことを小西氏が文書を公表するまで知らなかった

・言葉 言うはずのないことを言ったことになっている

・答弁前日のこと 補充的説明の事を知ったのは5月12日の答弁の前日であった

 以下、それぞれ考えていく。

礒崎氏との関係

 高市氏は礒崎氏からの伝言というかたちの大臣レクはなかったと主張する。「総務省文書に関して参院予算委に提出した資料②」では次のように主張している。

私が、礒崎元総理補佐官が放送法にご関心があったこと、また総務省情報流通行政局とやり取りをしていたのかもしれないことを初めて知ったのは、小西参議院議員が当該文書をマスコミに公開された今年(令和5年)の3月2日でした。

 総務大臣在任中にも、礒崎元総理補佐官から私に対して放送法に関するお問い合わせがあったことは皆無でしたし、「礒崎元総理補佐官から大臣室に連絡があったことがあるか」について、今年3月に元大臣室の職員に確認しましたが、「一度も無い」と聞いています。

 礒崎氏も次のように語っている。

 礒崎氏が総務省官僚に強要した解釈変更を高市氏答弁させたという「不正なプロセス」のためには、礒崎氏はその「解釈変更」について自ら高市氏に伝えなくてはならないのではないか? 現実には、磯崎氏は高市氏に会わずに、総務官僚に委ねていたようである。高市氏が総務省官僚の説明を聞いて、自分の責任で答弁をしたとすると、問題はないことになる。

 総務省が令和5年3月22日に出した「「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について」には高市氏の次のような発言が記されている。

まず、総務大臣たる私の権限の範囲の話について礒崎補佐官が動いておられることを知った時点で、補佐官ご本人に直接連絡をとり、意図や内容をお尋ねしていたはず。私と礒崎補佐官が直接連絡をとりあっていないことは本件資料からも明らかである。

 たしかに総務大臣であった高市氏が、文書に記されているように大臣レクで礒崎氏からの伝言を聞いていたとすると、それにもかかわらず礒崎氏と連絡をとっていないことは不自然と思われる。

官邸との関係

 大臣レクがあったとされる平成27年2月13日には、礒崎氏はまだ安倍氏に話しておらず、一人で動いている。当時総務大臣であった高市氏がそういう礒崎氏の伝言を聞いてそのまま受け取るということは奇妙なことではないか? その前に礒崎氏と話し合わないことは不自然ではないか? まだ安倍氏に話していないのに、安倍氏の「ゴーサイン」が出るのではないかと高市氏がきめてかかっていることも奇妙である。

官邸には「総務大臣は準備をしておきます」と伝えてください。補佐官が総理に説明した際の総理の回答についてはきちんと情報を取ってください。総理も思いがあるでしょうから、ゴーサインが出るのではないかと思う。

高市大臣レク結果(政治的公平について)

 その後の総理レクで礒崎氏の説明に対する安倍氏の反応を見て山田総理秘書官は「意外と前向きな反応」と伝えたと記されている。(総理レクの結果について)山田総理秘書官にとって安倍氏のそういう反応は意外であったというのである。安倍氏がどう反応するかわからない状況で、高市氏が「ゴーサインが出るのではないかと思う」ときめてかかっていることは、奇妙に思われる。

 高市氏は文書に記されている「官邸には「総務大臣は準備をしておきます」と伝えてください」という言葉の「官邸」というようなことを自分は言わないという。

私の発言として、「官邸には『総務大臣は準備をしておきます』と伝えてください」との記載も、明らかに不自然です。

 私は、指示をする時には、「官邸」という曖昧な表現ではなく、相手が「総理」なのか「官房長官」なのか「副長官」なのかを明確に致します。

総務省文書に関して参院予算委に提出した資料②

 高市氏は言葉遣いを問題としているようであるが、文書に記された高市氏の言葉では「官邸」という言葉で具体的に誰のことをさしているかよくわからないところに問題はある。この時点で高市氏が「総理」に『総務大臣は準備をしておきます』と伝えることを求めたとすると、まだ安倍氏は話を聞いていないのであるから、不自然なことになる。

言葉遣い

 高市氏はその他にも文書に記された言葉遣いを問題としている。たとえば「苦しくない答弁の形にするか、それとも民放相手に徹底抗戦するか。TBSとテレビ朝日よね」というところ。高市氏は次のように主張している。

当該文書は、新たに国会で答弁しなくてはならない放送法第4条の解釈を巡るやり取りと解される記述です。「この答弁は苦しいのではないか」「苦しくない形の答弁にするか、それとも民放相手に徹底抗戦するか」などが、私の発言として記されています。

 そもそも放送法第4条はNHKにも適用されるものであり、「民放相手に…」の発言も意味不明ですし、このような答弁ぶりの打合せなど平成27年2月時点ではあり得ないことです。

総務省文書に関して参院予算委に提出した資料②

 放送法第4条はNHKにも適用されるものであって、民放だけを相手にするのではないというのである。たしかに放送法はそういうものである。問題とされている補充的説明もそういうものである。

 その後の文書で山田総理秘書官が「今回の件は民放を攻める形になっている」と言っている。(山田総理秘書官レク結果 <未定稿>)山田氏はそう考えたようである。しかし問題とされている補充的説明は民放だけを相手にするものではない。大臣レク文書には、山田氏のような考え方が入っているようである。

 大臣レクの結果を礒崎氏に説明したという文書「礒崎総理補佐官ご説明結果」で安藤局長は次のように語ったと記されている。

高市大臣からは、(一つの番組の)「極端な事例」に関する答弁部分について、感想的「(答弁として)苦しいのではないか」というコメントがあった。大臣の真意は不知だが、事務方として忖度すれば、まさに補佐官が企図されているところと思うが、大臣も現実の放送をいろいろとご覧になられている中、放送事業者に対して「効き過ぎる可能性」をお考えになられたのかとも受け止めたところ。

 問題は「大臣も現実の放送をいろいろとご覧になられている中」というところ。高市氏は現実の放送をいろいろとみている中で、「極端な事例」に関する答弁部分について放送事業者に対して「効き過ぎる可能性」を考えたのではないかという安藤局長の「受け止め」が記されている。

 ところが高市氏はこのころ現実の放送をいろいろとみていなかったという。

私の発言として、特定の放送事業者名に言及して「公平な番組なんてある?どの番組も『極端』な印象」、関西の特定の放送事業者名に言及して「維新一色」とする発言が記載されています。

 しかし、当時も、現在も、報道番組を見るのは朝食時や夕食時(夕食時間はまちまちですが)くらいしかなく、報道番組の見較べはしていません(時間に余裕がある時は、専らドラマとバラエティを好んでいます)。

 平成26年9月の総務大臣就任後、同文書にある平成27年2月までの間、選挙期間も含めて自分の選挙区には殆ど入ることが出来ず(党から他選挙区の応援要請が多かったため)、関西の番組も見ていません。平成27年4月以降は、親の看病と介護のために夜間や週末に何度か奈良県と東京を往復しましたが、テレビを見るどころの状況にはありませんでした。

 平成27年5月12日の参議院総務委員会で藤川政人委員の「総務大臣は、最近の放送をご覧になって、政治的公平性が遵守されているとお考えですか」という御質問に対する答弁でも「放送番組をじっくりたくさん見る機会には恵まれておりません」と答弁している通りです。

総務省文書に関して参院予算委に提出した資料②

 たしかに高市氏は5月12日の答弁でそのように語っていた。5月12日の答弁で事実に反することを言うとは考え難い。安藤局長の「大臣も現実の放送をいろいろとご覧になられている中」という憶測は安藤局長の憶測にとどまることではないか? そして「放送事業者に対して「効き過ぎる可能性」をお考えになられたのかとも受け止めた」というところも、安藤局長の憶測にとどまることではないか?

 安藤局長と山田秘書官は「補充的説明」によって民放が過剰反応することを気にしていたようであるが、「補充的説明」そのものはそういうものではない。高市氏が言うように、特に民放に対するものではなく、NHKにも適用されるものである。高市氏の発言として記されていることは、総務省官僚が「忖度」したものではないかと疑われるところがある。

5月12日の答弁の前夜

 高市氏は5月12日の答弁の前日に答弁に関して理解できず、理解するまで時間をかけた。そのことは2月13日にそのことについてレクを受けていなかったことを示すことだという。

本件の内容からみて、仮に、担当局から前もってレクを受け了解していたのだとすれば、5月 12 日の答弁前夜になって明け方近くまでドタバタすることはあり得ない。時間がない中、自分が納得いくまで、大臣室と担当局との間で前例や理論構成を詰めてもらったのが先日提出したペーパーであり、その上で答弁に臨んだ。

「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

 たしかに文書に記されているように2月13日のレクで高市氏が了解していたとすると、5月 12 日の答弁の前夜に明け方近くまでドタバタしたということはおかしい。高市氏が答弁前夜に理解できず、時間をかけて確認をしていたということは、高市氏が総務大臣として責任を持って判断したということであり、官邸はそのことに力を及ぼしていないということである。

 高市氏は令和5年3月16日に、参議院予算委員会理事会に次の資料を提出している。(総務省文書に関して参院予算委に提出した資料①

・平成27年5月11日に担当課が作成した答弁案に対する私の疑問に答えるために、同年5月11日深夜に「5月12日の答弁案を作成した課から大臣室に送られてきた資料」

・平成27年5月12日の総務委員会前夜であることを立証できる「委員会前夜の私と大臣室のやり取りのメール」をプリントアウトしたもの

 答弁前日のことについては、「高市大臣レク結果(政治的公平について)」文書の作成者側にも認めている人がいる。

<関係者A>
 大臣室からの指示で資料を作ったかもしれないが、はっきりしない。ほぼオールナイトで大臣室とやりとりしていた記憶はある。

 大臣室側

<関係者E>
 委員会前日に大臣が答弁案をチェックした際、大臣から指示があり、担当課に資料を作ってもらったこと、担当課とのやり取りが深夜までかかったことを覚えている。大臣が答弁案を了承されたのか、不安に思っていた記憶がある。

<関係者F>
 答弁前日に高市大臣の確認が行われ、大臣から答弁に関する論点について原局に整理するよう指示があり、原局から提出された資料を確認した上で答弁されたことは覚えている。

その他の文書

 その他の3枚の文書について。

大臣レクの結果について安藤局長からのデブリ模様(平成27年3月6日(金) 夕刻)

 平成27年3月6日の日付がある「大臣レクの結果について安藤局長からのデブリ模様」と題する文書は、3月5日の総理レクの結果についての6日の「礒崎総理補佐官からの連絡」と「整理ペーパー」で高市氏に説明したことを記した文書というかたちになっている。

 高市氏はそこで「これから安保法制とかやるのに大丈夫か」とか「民放と全面戦争になるのではないか」とか言った記されている。安藤局長や山田秘書官と同じような心配である。一連の文書の中で高市氏は礒崎氏の主張を即座に受け入れる人物として記されるとともに、安藤局長や山田秘書官のようにその政治的反響を危惧する人物としても記されている。

 高市氏が「総理が「慎重に」と仰るときはやる気がない場合もある。(前回衆院選の)要請文書のように、背後で動いている人間がいるのだろう。」と言ったと記されていることも考えてみると奇妙である。高市氏はそこで安倍氏の考えについて心配して「平川参事官に今井総理秘書官経由で総理とお話できる時間を確保するようその場で指示」したと記されているが、安倍氏の考えについて心配するのであれば、総理レクを待たずに直接自ら連絡をとった方がいいのではないか? 一連の文書の中で礒崎氏から高市氏への伝言とか高市氏から安倍氏への電話とかがあったと記されているところ、高市氏は事実ではないというが、文書の通りであったとすると直接会って話をすればいいのに伝言だけとか電話だけとか妙に消極的なことしかしていないことになっている。小西氏が問題としている「不正なプロセス」の重要なところにそういうことがあるのである。 高市氏はそのことに関して次のように語っている。

当時の安倍総理や今井総理秘書官に電話をする時は、自分の携帯電話から発信していましたので、平川参事官に依頼をする必要はありません。

総務省文書に関して参院予算委に提出した資料③

 「「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について」によると、指示されたと記されている人にその記憶はない。

<関係者F>文書整理 No.39
 記載されたような指示を受けた記憶はない。

 形式的には、作成者も配布先も記されておらず、明らかに他の文書に較べると粗雑な形式になっている。

高市大臣と総理の電話会談の結果(平成27年3月9日(月)夕刻)

 「高市大臣と総理の電話会談の結果」と題する文書には「大臣室・平川参事官から安藤局長に対して以下の連絡」として「政治的公平に関する件で高市大臣から総理に電話(日時不明)」とある。その前の「大臣レクの結果について安藤局長からのデブリ模様」と題する文書で高市氏が「平川参事官に今井総理秘書官経由で総理とお話できる時間を確保するようその場で指示」と記されていたが、そこで指示を受けた平川参事官が高市氏から安倍氏に電話したことを安藤局長に連絡したことを記しているというかたちになっている。

 平川参事官は「「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について」によると高市氏から文書に記されているように「今井総理秘書官経由で総理とお話できる時間を確保するようその場で指示」された「記憶はない」と語り、「高市大臣と総理の電話会談の結果」と題する文書に記されているように安藤局長に対して連絡した記憶もないと語っている。

<関係者F>文書整理 No.42
そのような連絡を局長にした記憶はない。

 高市氏は次のように語っている。

常識的に考えて、仮に法律の条文解釈について総理に説明する場合、担当職員とともに官邸を訪問し、条文や逐条解説をお見せしながら説明しなくては総理の御理解を得られるものではなく、電話で済ませるような閣僚は居ないと考えます。

総務省文書に関して参院予算委に提出した資料④

 先ほど言ったように、文書に記されている通りであったとすると、高市氏と安倍氏のやりとりが粗雑ではないかと思われる。小西氏が言うような「不正なプロセス」のためには、文書に記されているより密接な連絡がなくてはならないのではないか?

山田総理秘書官からの連絡【政治的公平の件について】(平成27年3月13日(金)17:45)

 「山田総理秘書官からの連絡」と題する文書は「山田総理秘書官から、政治的公平に関する国会答弁の件について、安藤局長に電話連絡」があって、その「内容について局長からお話を伺ったもの」とされている。その中に高市氏から安倍氏か今井秘書官かへの電話について記されている。

政治的公平に関する国会答弁の件について、高市大臣から総理か今井秘書官かに電話があったようだ。

 しかし「電話があったようだ」という曖昧な表現である。高市氏はなかったという。

 「「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について」によると、安藤局長

<関係者B>文書整理 No.42、43
これらの者から連絡があったかどうかは思い出せない。

<関係者 G>文書整理 No.43
記載されたような電話をしたとも、していないとも、思い出せない。

<関係者H>文書整理 No.43
平成 27 年3月 13 日の記録として残っている政治的公平に関する国会答弁の件について、当時、高市大臣から電話があったのかどうか記憶が定かではない。

 作成者も配布先も記されていない。

まとめ

 二つの問題がある。「不正なプロセス」はあったのか? 文書は事実に反するのか?

 「不正なプロセス」というのは、官邸による解釈変更に高市氏が従ったということのようであるが、高市氏が礒崎氏の言いなりになったとは考え難く、総務省官僚の説明を聴いて総務大臣として自分の責任で判断したとすると問題はない。解釈変更も強要もなかったとすると、問題はない。

 高市氏に関する4文書に対する高市氏の反論には説得力がある。磯崎氏の伝言に対して即座に言いなりになるとか、まだ安倍氏に話していないのに安倍氏から「ゴーサイン」が出るときめてかかっているとか、安倍氏との連絡はその後であるとか、大臣レクと答弁の間の高市氏の言動を記す文書が事実がよくわからないような粗雑な作りになっているとか。

放送法の解釈

 最後に小西氏が「違法な解釈」として問題としていることについて考えよう。小西氏はどういうことを問題としているのか?

 小西議員は、2014年11月に磯崎総理補佐官に放送政策課の局長らが呼び出され、2015年5月12日に高市早苗大臣(当時)が、これまでになかった初めての解釈、「放送局の番組全体でバランスを判断する」から、「一つの番組だけで放送局が政治的公平に反する」つまり「放送法違反と認める事ができ、かつそうしたものが重なれば、放送局の電波を止めることができるというこれまでの放送法の原則を根底から覆すものだと指摘。「これは放送法の破壊。補充的解釈といった話ではない」「たった一つの番組で、時の総務大臣の判断で違法を認定し、究極的には電波を止めることができるという話」だと説明しました。
 そして、「今日この瞬間も日本の放送に国家権力はいつでも介入できる恐ろしい解釈、今も生きている解釈。それが不正なプロセスで作られている」「違法な解釈」「言論・報道の自由の存立がかかった問題が本質」だと指摘しました。

立憲民主党公式ホームページ 「放送法」国対ヒアリング 「言論・報道の自由の存立がかかった問題」と小西議員

 小西氏の主張をまとめると、

・平成27年5月12日の高市氏の答弁は、それまで「放送局の番組全体でバランスを判断する」という解釈であったのに、「一つの番組だけで放送局が政治的公平に反する」つまり「放送法違反と認める」事ができるとする「これまでになかった初めての解釈」であった

・そして「そうしたものが重なれば、放送局の電波を止めることができる」とするものであった

 「放送局の電波を止めること」につながるゆえに問題があるというのである。まずそのことについて考えよう。

停波との関係

 平成28年2月に高市氏が停波について語ったことが話題になった。平成28年2月8日の参議院予算委員会での奥野総一郎氏の質問に対して高市氏は次のように答えている。

298 奥野総一郎
○奥野(総)委員 (略)補充的答弁と言っていますが、要するに、補充ということはつけ加えているということですから、その部分において解釈が変わった、つけ加わったことをもって変更といえば、変更されたというふうに理解をいたします。
 しかし、放送時間の枠が狭いというようなものは今も事情は変わっていないわけですね。先ほどの御答弁だと、例えば朝のNHKの党首討論のような場合の例を挙げられましたが、例えば一時間の枠の中でというような話であれば、今も事情は変わらないわけですよね。
 なぜ、これまで全体と言ってきたものについて、ここで解釈をつけ加える、補充する。何か事情の変更が起きたんでしょうか。

 奥野氏は高市氏の「補充的説明」を解釈変更とみなしている。

299 高市早苗
○高市国務大臣 特に事情の変更は起きておりません。
 これまでも放送事業者が自律的に判断をしてきてくださったものであります。特に選挙期間や選挙が近づいた期間において、時間配分等、政治的公平性の確保について、皆様が相当気を使っていただいているのはわかっております。わかりやすく整理をしていくという意味で申し上げました。事情は変わっておりません。

300 奥野総一郎
○奥野(総)委員 放送法の規定によれば、百七十四条の業務の停止とか、それから電波法の無線局の停止という規定があって、総務大臣の権限として放送をとめることができるわけですよね。
 これは、もし今の解釈だとして、個別の番組の内容について、業務停止とか、あるいは放送業務そのものができなくなってしまうというようなことが起こり得るんじゃないかと思いますが、いかがですか。

 奥野氏はその「解釈変更」を停波と関係づけている。

301 高市早苗
○高市国務大臣 委員がおっしゃったとおり、電波法上の規定もございます。しかしながら、これまでも、放送法第四条に基づく業務停止命令であったり、電波法に基づく電波の停止であったり、そういったことはなされておりません。
 基本的には、放送事業者がやはり自律的にしっかりと放送法を守っていただくということが基本であると考えております。

 高市氏は、停波はこれまでなさえていないこと、基本的には放送事業者が自律的に守っていくと考えているという。

302 奥野総一郎
○奥野(総)委員 先ほど読み上げましたけれども、特定の政治的見解のみを取り上げて相当の時間にわたり繰り返すとか、相当の時間といって、これは極めて曖昧な概念なんですが。相当の時間というのは一体誰が判断するんですかということになれば、時の総務大臣ですよね。
 だから、これをもし恣意的に運用されれば、政権に批判的な番組を流したというだけで業務停止をしたり、その番組をとめてしまったり、あるいはそういう発言をした人がキャスターを外れるというようなことが起こり得るんだと思うんですね。
 ですから、ここで明確に否定していただきたいんですけれども、この放送法の百七十四条の業務停止や電波法七十六条についてはこうした四条の違反については使わないということで、今、もう一度明確に御発言いただきたいんですが。

303 高市早苗
○高市国務大臣 それはあくまでも法律であり、第四条も、これも民主党政権時代から国会答弁で、単なる倫理規定ではなく法規範性を持つものという位置づけで、しかも電波法も引きながら答弁をしてくださっております。
 どんなに放送事業者が極端なことをしても、仮に、それに対して改善をしていただきたいという要請、あくまでも行政指導というのは要請になりますけれども、そういったことをしたとしても全く改善されない、公共の電波を使って、全く改善されない、繰り返されるという場合に、全くそれに対して何の対応もしないということをここでお約束するわけにはまいりません。
 ほぼ、そこまで極端な、電波の停止に至るような対応を放送局がされるとも考えておりませんけれども、法律というのは、やはり法秩序というものをしっかりと守る、違反した場合には罰則規定も用意されていることによって実効性を担保すると考えておりますので、全く将来にわたってそれがあり得ないということは断言できません。

 このように当時から「補充的答弁」を解釈変更とみなして、停波と関係づけて批判することはなされていた。それに対して高市氏は、民主党政権時代から放送法第四条は「単なる倫理規定ではなく法規範性を持つもの」とされていること、「しかも電波法も引きながら」答弁されていることを指摘している。高市氏は、法律に規定されていることとして停波は「全く将来にわたってそれがあり得ないということは断言できません」というが、「ほぼ、そこまで極端な、電波の停止に至るような対応を放送局がされるとも考えておりません」と言っている。平成28年2月12日の記者会見では次のように語っている。

 決して、「気に入らないから統制する」というようなことを申し上げたこともありません。
 そして、度々、「高市大臣がまた電波の停止に言及」といったようなことを報道されていますけれども、予算委員会で電波法について聞かれた場合に、「全く電波法については答弁できません」と、私が申し上げるわけにはいきませんので、これは答弁いたします。実際にある法律ですから、現存する法律ですから、現存する法律を全くこれは否定すると、この法律はおかしいという答弁を現職閣僚がするわけにはまいりませんので、電波法について聞かれた場合には、誠実に事実関係を答弁する。しかも、行政の継続性というものが必要ですから、過去の総務大臣や副大臣の、これは政権交代前の答弁から私は持っておりますので、そういったもので整合性がきちんととれるように、法律に関しては答弁をしている。これは当然のことだと思っております。

 民主党以来の答弁と整合性がとれることを言ってきただけだというのである。批判する側は、補充的説明を停波と結びつけて、放送事業者に対する政権の恣意的な統制の意図があるとみなしているが、高市氏の停波についての考えは先例によるものにとどまる。問題とされている補充的説明は、主観的にも客観的にも政権の恣意的な統制のためになるものではない。

それほど積極的ではない

 ここで補充的説明について整理する。平成27年5月12日の参議院総務委員会での藤川政人氏に対する高市氏の答弁で言われたことである。高市氏はそこで「放送法第4条第1項第2号の政治的に公平であることに関する政府のこれまでの解釈の補充的な説明」として二つの場合を挙げている。「政府のこれまでの解釈の補充的な説明」というのは、昭和39年の参議院逓信委員会で宮川岸雄電波監理局長が「極端な場合」には「一つの番組」でも政治的に不公平な場合があると答弁したことをもとにして、その「補充的な説明」をするというのである。宮川氏の答弁

ある一つの番組が、極端な場合を除きまして、これが直ちに公安及び善良な風俗を害する、あるいは、これが政治的に不公平なんである、こういうことを判断する――一つの事例につきましてこれを判断するということは、相当慎重にやらなければもちろんいけませんし、また、慎重にやりましても、一つのものにつきまして、客観的に正しいという結論を与えることはなかなかむずかしい問題であろうと思うのであります。

 その「極端な場合」の例として次の二つの場合を挙げたのである。

・1つの番組のみでも選挙期間中またはそれに近接する期間において、殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間に渡り取り上げる特別番組を放送した場合のように選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合といった極端な場合

・1つ番組のみでも国論を二分するような政治課題について、放送事業者が一方の政治的見解を取り上げず、殊更に他の政治的見解のみを取り上げて、それを指示する内容を相当な時間に渡り繰り返す番組を放送した場合のように当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合といった極端な場合

 いずれも「一般論として、政治的に公平性であることを確保しているとは認められないと考えられます。」という。

 小西議員等立憲民主党議員は解釈変更というが、自民党も総務省も解釈変更はないという。そのくらいのことである。文書に記された礒崎氏と総務省官僚のやりとりでも解釈変更ではないとして話が進められている。一歩積極的に放送法違反の事例を示したものということもできるが、それほど大きなことではないということもできる。反対している山田秘書官が「民放にジャブを入れる趣旨」と言っているのは、「ジャブを入れる」くらいのこととみているということである。。(平成27年2月18日山田総理秘書官レク結果 <未定稿>

 そのために安藤局長の提案で、できるだけ刺激しないやり方が考えられている。

実際に国会で質問いただく場合、総務省としては、今回整理した「極端な事例」の適否について質問者から例示いただく形(×××のような事例は放送番組は「政治的公平」を欠くのではないか?等)にしていただきたい。総務省のほうから(唐突に)今回の「極端な事例」を答弁することは困難。業界等の反応を懸念。そこはご理解いただきたい。

平成27年1月29日礒崎総理補佐官ご説明結果<未定稿>

 総理レクで安倍氏は「あくまで「極端な事例」であり、気を遣った表現になっているのでこれで良いのではないか」と言ったとされている。それほど踏み込んだものではないゆえにいいというのである。(総理レクの結果について

狙い撃ち

 その目標はTBSの「サンデーモーニング」であったと小西氏は主張する。

 たしかに礒崎氏は早くから「サンデーモーニング」に対して問題意識を持っていたようである。小西氏が公表した文書でも1枚目の平成26年11月28日「礒崎総理補佐官ご説明結果(概要)」から「サンデーモーニングに問題意識あり」と記されている。しかしそこで礒崎氏は「一つの番組でも明らかにおかしい場合」として「極端な場合」の例があるのではないかともとめているのは、「サンデーモーニング」を狙い撃ちするということとは違うことではないかと思われる。「けんかになるから具体論はやらない。あくまで一般論ベースでやりたい」という言葉も「サンデーモーニング」のような番組とけんかになることを避ける考えを現わすもののようである。平成27年1月22日「礒崎総理補佐官ご説明結果」で「(もちろん、あったら困るが、)実際にこんな番組はあり得ないのではないか。」「そもそもの話として、「国論を二分する」イシュー自体がそれほど多くない。そこであえて片方だけの見解を支持する番組を放送すること自体、実際にはあり得ないのではないか。」というように、礒崎氏は現実にある番組を狙い撃ちしようとしているのではなくて、「実際にはあり得ない」ような場合を考えているようである。平成27年1月29日「礒崎総理補佐官ご説明結果<未定稿>」で「あくまでも「一般論」としての整理であり、特定の放送番組を挙げる形でやるつもりはない。」というところも「サンデーモーニング」を狙い撃ちするような考えではないことを現わしているようである。

問題

 現実にはその後自民党政権が放送法違反ということで停波を行ったことはなかった。高市氏が説明したようにあ抑制的であった。

 小西氏は総務省等が「補充的説明」というものを「解釈変更」と言って激しく責め立てる。しかしたとえば「選挙期間中またはそれに近接する期間において、殊更に自民党の候補者や候補予定者のみを相当の時間に渡り取り上げる特別番組を放送した場合」、憲法改正について、放送事業者が一方の政治的見解を取り上げず、殊更に他の政治的見解のみを取り上げて、それを指示する内容を相当な時間に渡り繰り返す番組を放送した場合、小西氏は放送法違反として激しく攻めないのか?

 小西氏が高市氏を責め立てた2023年3月の末にフジテレビを放送法批判ということで激しく責め立てた。そのことによって小西氏は放送法によって放送局の自由を守りたいのではなく、自分が認める自由だけを守ってその他は認めないのではないかと思われた。

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