兵庫県の秘密漏えい疑いに関する第三者委員会の調査報告書が公表されて、兵庫県の文書問題を巡る議論がまた騒がしくなった。
兵庫県を覆う暗雲はまだまだ晴れそうにない。
その中で気になるところがある。斎藤元彦兵庫県知事が公益通報者の私的情報を暴露して告発文書の信用を低下させようとしたというストーリーが盛んに語られていることである。
文書問題が話題になってから繰り返し語られてきたストーリーであるが、第三者委員会の報告書にも取り入れられていて、その報告書を受けてまた盛んに語られている。
語られるのを聞くたびに気になる。―そのストーリーは正しいのか?
斎藤氏等は一貫して、問題とされている文書は公益通報として保護されるだけの要件を備えていない、告発者の私的情報を取り上げることには文書の信用性を低下させることと異なる意味があると主張してきた。その主張を無視していいのか?
そのストーリーはおかしいのではないか? ということから兵庫県の問題について考えてみたい。
マスメディアの斎藤知事非難
令和7年5月27日、秘密漏えい疑いに関する第三者調査委員会が最終調査報告書を公表、記者会見を行った。それを受けて大手新聞各社は社説でその報告書を取り上げた。ここに列挙してみよう。
朝日新聞
朝日新聞の社説「(社説)斎藤氏の責任 進退が問われている」はその見出しの通り斎藤氏の進退を問題とするもの。その中で問題とされるストーリーに関するところ。
斎藤元彦知事ら兵庫県にまつわる問題を告発した元県民局長の男性に関し、前総務部長が男性の私的情報を県議に漏洩(ろうえい)した。知事の指示のもと行われた可能性が高い。
男性の人格や人間性に疑問を抱かせ、告発文書の信用性を弾劾(だんがい)する目的だった、との説明に説得力がある。
県の第三者委員会が報告書をまとめ、公表した。県から独立した弁護士3人が資料を分析し、聞き取りを重ねて導き出した結論である。驚くべき事態だ。
朝日新聞「(社説)斎藤氏の責任 進退が問われている」
「男性の人格や人間性に疑問を抱かせ、告発文書の信用性を弾劾(だんがい)する目的だった、との説明に説得力がある。」という第三者委員会の結論を重く受け止めている。
読売新聞
読売新聞の社説「兵庫漏えい問題 告発者の人格を貶める卑劣さ」。見出しに「告発者の人格を貶める卑劣さ」というストーリーに関するところが盛り込まれている。本文では次のように書いている。
告発者の人格を 貶
め、告発が虚偽だと印象づける狙いがあったのなら、卑劣極まりない。公益通報制度の根幹を揺るがしかねず、知事の責任は免れない。
読売新聞「兵庫漏えい問題 告発者の人格を貶める卑劣さ」
本文ではこのように「告発者の人格を 貶
め、告発が虚偽だと印象づける狙いがあったのなら」と条件付きであるが、見出しは「告発者の人格を貶める卑劣さ」と事実のように書いている。
産経新聞
産経新聞の社説「<主張>兵庫県の情報漏洩 斎藤知事は進退の判断を」は斎藤氏に神体の判断を迫るものであるが、ストーリーに関して本文で次のように語っている。
報告書は「私的情報の暴露で(告発者の)人格や人間性に疑問を抱かせ、告発文書の信用性を弾劾する」ことが目的とした。極めて悪質な行為だ。
産経新聞「<主張>兵庫県の情報漏洩 斎藤知事は進退の判断を」
毎日新聞
毎日新聞の社説「兵庫知事が「漏えい指示」 もう言い逃れは許されぬ」は斎藤氏を許さないという気持ちを前面に出している。ストーリーに関しては次の通り。
私的情報を見せられた県議は、その目的について「元県民局長の人格に疑問を抱かせ、告発文書の信用性をおとしめる目的があった」と認識していたという。
毎日新聞「兵庫知事が「漏えい指示」 もう言い逃れは許されぬ」
神戸新聞
神戸新聞の社説「<社説>私的情報漏えい/知事は自らの責任直視を」も知事の責任を問題としているが、ストーリーに関するところは次の通り。
見過ごせないのは、漏えいの目的だ。第三者委は「元県民局長の人格や人間性に疑問を抱かせ、告発文書の信用性を弾劾する点にあった」とする県議の見方を支持した。私的情報は告発内容とは無関係で、告発者をおとしめる行為は許されない。
神戸新聞「<社説>私的情報漏えい/知事は自らの責任直視を」
まとめ
このように右左にかかわらず、全国紙(?)も地域紙も同じストーリーで斎藤氏を責め立てている。閣僚でも国会議員でもなく兵庫県知事がこのように責め立てられ追い詰められているところをみると、気にならざるを得ない。
橋下徹氏も加えよう。橋下氏は繰り返し斎藤氏の行動を「自分を批判してきた告発潰し」とみなして非難してきた。今度もそう語っている。
そして乱暴な言葉で辞任を求めている。
下の動画で橋下氏はここで問題としているストーリーを語っている。共演者も同じことを語っている。
ところで橋下氏は元総務部長の弁明を斎藤氏に対する内部告発ときめつけて斎藤氏のダブルスタンダードを非難しているが、斎藤氏に対する内部告発なのか?
その語るストーリーが実態と違うのではないかと思われるが、それにもかかわらずむきになって斎藤氏をやめさせようとしているように見える。大手新聞紙や橋下氏のような影響力のある人が何故に兵庫県知事を追い詰めようと必死になっているのか? 裏に何があるのかと思ってしまう。
第三者委員会と「週刊文春」の関係
第三者委員会について考えてみよう。
今度の第三者委員会はもともとここで問題としているストーリーをもとにして設置されている。
秘密漏えい疑いに関する第三者調査委員会が令和7年5月27日に公表した最終調査報告書(公表版)https://web.pref.hyogo.lg.jp/kk28/documents/tyousahoukokusho_kouhyou.pdfにも書かれているように、この委員会は「週刊文春」令和6年7月25日号の報道を受けて事実を調査することを目的として設置されたものである。


「週刊文春」令和6年7月25日号の記事(報告書の末尾に抜き書きされている。「文春オンライン」におけるURLはhttps://bunshun.jp/articles/-/72155)は「斎藤元彦・兵庫県知事のパワハラ告発後に死亡…元局長が受けていた“個人攻撃” 告発文書で名指しされた“4人組”を直撃した」という見出しの通り、元局長が受けていた“個人攻撃”について語るものである。斎藤氏が自分を告発した人物に対して“個人攻撃”をしかけた、そしてその人物は死亡したというものである。記事の中では次のような文がある。
県庁周辺では、こんな目撃談がある
「人事課を管轄する総務部長が、大きなカバンを持ち歩くようになった。中には大きな2つのリングファイルに綴じられた文書が入っており、県職員や県議らにその中身を見せて回っていたようです。リングファイルの中身は、3月下旬に押収したX氏のPCの中にあった私的な文章。どうやらその文章は、4人組によって、県議や県職員の間に漏れていたようです」(前出・県職員)
X氏は告発文書の発表以来、陰に陽に“個人攻撃”を受けつづけ、ついに自死を選んだ。文春オンライン「斎藤元彦・兵庫県知事のパワハラ告発後に死亡…元局長が受けていた“個人攻撃” 告発文書で名指しされた“4人組”を直撃した」
「4人組」とよばれる「片山副知事、県職員の総務部長、産業労働部長、若者・Z世代応援等調整担当理事の4人」がX氏のPCの中にあった私的な文章を県議や県職員の間に漏れさせていた、そういう“個人攻撃”によってX氏は自死を選んだ、というように型っている。その目的について次のような言葉を記している。
Xさんの秘密を暴露することで、Xさんの人間性を貶め、告発文書の信頼性を下げるのが狙いでしょう。
「週刊文春」令和6年7月25日号22頁4段目
公益通報者の私的情報を暴露して告発文書の信用を低下させようとしたというストーリーである。
第三者委員会はその「漏えいの事実の存否・内容を客観的かつ中立公正な形で確認することを目的として」設置されたものである。もともと「週刊文春」の記事によって問題を設定されたかたちになっている。そして「週刊文春」のストーリーを追認しているところがある。
「漏えいの動機ないし目的」
第三者委員会の報告書と「週刊文春」のストーリーとの関係で問題となるのは、報告書「8 漏えいの動機ないし目的」というところ。報告書は私的情報の提示を受けた3名の議員の供述をもとにして検討している。まず議員の供述を挙げる。


以上の議員の供述をもとにして次のように評価している。

ここで「弾劾」という耳慣れない言葉が出て来るが、訴訟法で所謂「弾劾証拠」の「弾劾」、すなわち証明力を争うことのようである。
第三者委員会は3名の議員の語るように、問題とされている漏洩の目的は「元県民局長の私的情報を暴露することにより、その人格ないし人間性に疑問を抱かせ、ひいては告発文書の信用性を弾劾する点にあった」ということには「一定の説得力がある」という。「週刊文春」のストーリーに説得力があると認めているのである。
この評価には問題がある。
元総務部長の動機ないし目的を調査するのに、元総務部長自身が語ることを取り上げず、3名の議員が語ることをそのまま受け入れることはおかしい。その中の2人は明らかに憶測にすぎない。そもそもこの3名の議員が語っていることは、朝日新聞も読売新聞も毎日新聞も産経新聞も必ず3名の議員しも実態に即することなく語っているストーリーであって、この場合も実態に即しているか問題となる。
元総務部長は3名の議員の証言等は信用性に欠けていると主張している。第三者委員会はその主張を含む弁明書を取り上げているにもかかわらず、本人の主張を取り上げず、3名の議員の証言だけをそのまま受け入れることは偏っているのではないか?
元総務部長は自分の行為は公益通報に当たると主張している。第三者委員会は当たらないと主張しているが必ずしも明らかではない。いずれにせよ元総務部長の目的は公益通報にあったと本人は主張しているのである。どういう根拠でその主張を取り上げず、3名の議員の必ずしも明らかではない証言に説得力を認めているのか?
斎藤氏、片山氏との関係
第三者委員会報告書では、元総務部長の行為は知事、副知事の指示による可能性が高いと判断している。

元総務部長のほかに斎藤氏、片山氏の目的が問題となる。
斎藤氏は指示をしていないと語っている。しかし第三者委員会の報告書によると指示をした可能性が高いようである。
指示をしたかしていないかということでは斎藤氏の分が悪いようである。マスメディアではそれゆえに斎藤氏を責める声が大きい。
しかし指示をしていたとしても、必ずしも斎藤氏が悪いとは限らない。
まず、斎藤氏がマスメディアが語るように、また第三者委員が認めたように「元県民局長の私的情報を暴露することにより、その人格ないし人間性に疑問を抱かせ、ひいては告発文書の信用性を弾劾する」目的で漏洩を指示したとは考えにくい。
斎藤氏も片山氏もその他どの幹部の人もその文書を一目見て事実と異なることが多いと認識した。片山氏は百条委員会でそう語っている。
そう認識している人が、いかがわしいやり方でその文書の信用性を低下させようとするであろうか?
令和7年3月21日の文書問題に関する第三者委員会の調査報告書でも告発文書の7の項目うち6の項目で事実が認められないとして、パワハラだけを認めたものである。
https://web.pref.hyogo.lg.jp/kk19/documents/honnpenn1.pdf
https://web.pref.hyogo.lg.jp/kk19/documents/honnpenn2.pdf
7の項目うち6の項目で事実が認められない文書は信用性の高い文書ではない。斎藤氏、片山氏にとっては特にそうであったと思われる。
元総務部長が自ら主張するように斎藤氏路の指示の下で公益通報の目的で行動していたとすると、斎藤氏の目的も同じことになるのではないか?
片山氏は告発者の公用PCの中身について明らかにすることに重要な意味があると考えている。そのことによって文書に不正な目的があることを示すことができる、不正な目的があるとすると、公益通報に当たらないことになる、という考えである。(公益通報者保護法第二条「「公益通報」とは、次の各号に掲げる者が、不正の利益を得る目的、他人に損害を加える目的その他の不正の目的でなく、」)
秘密漏えいとは?
今度の第三者委員会の報告書では、元県民局長の私的情報を伝える行為が問題とされている。「週刊文春」の記事で問題とされたことを問題としているのである。
しかし元県民局長の私的情報を伝える行為にどういう問題があるのか? 必ずしも明らかではない。どこまでがよくてどこからいけないのか、よくわからない。
第三者委員会は秘密の漏えいの問題について一応説明している。「秘密」の定義について次のように語る。


このように第三者委員会は「元県民局長の私的情報」は「保護されるべき「秘密」に該当する」と論じている。
しかし「客観的に見て本人の秘密として保護に値するものでなければならない」ということを考えるには、報告書の他の部分で行われているような具体的な証拠をもとにした検証が必要ではないか? 「本件における「元県民局長の私的情報」は、その内容からして正に個人情報といえるから」ということで片付けていいのであろうか? 「元県民局長の私的情報」を伝えることが公益のためになることもあるのではないか?
「元県民局長の私的情報」を明らかにすることに関しては「元県民局長の私的情報を暴露することにより、その人格ないし人間性に疑問を抱かせ、ひいては告発文書の信用性を弾劾する」ことを目的とする行為として非難する声が強い。
それに対して片山氏のように、文書に不正の目的があることを示すために「元県民局長の私的情報」を明らかにすることが必要だという主張がある。元総務部長は弁明書で「外部通報」に当たると主張している。
前者のストーリーを広めてしまったことによって、後者の主張に対して正しく考えることができなくなっている、ということはないか? 今度の第三者委員会の報告書もそういうものになっていないか?
ストーリーの出どころ
告発者の「私的情報を暴露することにより、その人格ないし人間性に疑問を抱かせ、ひいては告発文書の信用性を弾劾する」という目的のために私的情報を漏えいすることはどうしてこれほどまで問題とされているのか?
兵庫県の文書問題で積極的に発言している奥山俊宏氏もそのストーリーを語っている。たとえば2024年9月5日 11:30『「斎藤知事の言動は“公開パワハラ”だ」兵庫県議会の百条委で奥山教授が鋭く指摘した全文を掲載(前編)https://slownews.com/n/nd7f71de04bff』では、2017年7月12日の自分の論文を引用している。―奥山俊宏「政府の側は内部告発者への違法な攻撃をやめるべき」2017年7月12日『論座』という論文の次のところ。
本来ならば、内部告発の内容と内部告発者の人格は関係がない。内部告発した人がどんな悪人であっても、内部告発の内容が真実であることはあり得る。内部告発した人がどんなに正直な人であっても、内部告発が誤解に基づくものである可能性もなくはない。
内部告発の内容がウソだというのなら、内部告発された側はそれに反論すればいい。ところが、内部告発の内容について反論するよりも先に、内部告発者の人格を攻撃し、内部告発者の秘密漏洩を非難するのが、告発された側の人たちの多くに共通する習性だ。
それはなぜか。
一つは、痛いところを突かれたと感じ、「ばらしやがって」と怒り、思わず感情をあらわにしてしまう、というものだ。
もう一つは、内部告発した人の評判を落とし、信用を貶(おとし)めて、内部告発の内容の信憑性を低めようとする狙いがあっての意図的な攻撃だ。
しかし、それらだけが人格攻撃の理由ではない。
これまでの様々な事例で共通して見られる、人格攻撃と漏洩非難の大きな狙いは、内部告発の連鎖を止めることにある。内部告発が別の新たな内部告発を呼び起こすことがないように、見せしめにしようということだ。
放っておけば、正当な内部告発は必ず共感を呼び、別の内部者が声を上げる。それを止めるため、内部告発者に悲惨な末路を押しつけ、示しをつけようとする。見せしめにするのだ。
このように、内部告発した人の多くは、人格を攻撃され、情報漏洩を非難される。日本だけでなく、アメリカでもそうだし、イギリスでもそうだ。これは一つのパターンだ。
2017年7月12日のこの議論が2024年の兵庫県文書問題にもあてはまると主張しているようである。いずれも「内部告発した人の評判を落とし、信用を貶(おとし)めて、内部告発の内容の信憑性を低めようとする狙い」というストーリーによって説明される。
しかし奥山氏の語るストーリーは実情から乖離しているのではないか? それにもかかわらずマスメディアが奥山氏の語るストーリーに従い続けているのは何故なのか?
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