上川陽子外務大臣の発言が話題になった。
ところが間もなくその発言を伝えた共同通信のやり方が問題とされた。―印象操作をしたというのである。
「うまずして何が女性か」
2024年5月18日19時ころから、上川陽子外務大臣の発言が話題となっていた。―上川氏の「うまずして何が女性か」という言葉が問題とされた。
「うまずして何が女性か」ということは、子供を産まない女性を否定することのようである。上川氏は子供を産まない女性を否定する考えを持っているようである。
子供を産まない女性を否定する考えは、非難されなくてはならない、上川氏は非難されてなくてはならないと言われた。例えば、
上川氏は言ってはいけないことを「言っちゃった」というのである。
このように上川氏の「うまずして何が女性か」という発言をかつての柳沢氏の「女性は生む機械」という発言と同様のものとみなす人も多かった。
共同通信による印象操作
しかし問題とされた上川氏の発言は、子供を産まない女性を否定するものではない。
そのことは、共同通信の上のポストで引用されている記事「上川氏「うまずして何が女性か」 静岡知事選の応援演説で」を読めばわかる。記事によると上川氏は子供を産まない女性を否定する発言をしていない。
上川陽子外相は18日、静岡県知事選の応援のため静岡市で演説し、自民党推薦候補の当選に向け「この方を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか」と述べた。新たな知事を誕生させるとの趣旨の発言だが、野党からは「子どもをうまない女性は女性ではないと受け取られかねない不適切な発言だ」(立憲民主党の逢坂誠二代表代行)との批判が出た。
共同通信 上川氏「うまずして何が女性か」 静岡知事選の応援演説で
上川氏は選挙の応援演説で、自党推薦候補を当選させることを「うむ」と言った。したがって「うまずして何が女性でしょうか」ということは、私たち女性はその候補を当選させなくてはならないということである。子供を産まない女性を否定する発言ではない。
共同通信の記事でも「新たな知事を誕生させるとの趣旨の発言」と認められている通りである。
共同通信はその時の動画も配信している。
問題はその記事と見出しの関係である。
記事によると、上川氏は子供を産まない女性を否定する考えなど述べていない。しかし『「うまずして何が女性か」―上川氏、選挙演説で発言」という見出しは、上川氏が子供を産まない女性を否定する考えを示したかのような印象を与える。その記事を受けて、そのように受け取った人は、上に引用した白坂和哉氏のように多かった。
記事の中で見出しと関わると思われるのは「子どもをうまない女性は女性ではないと受け取られかねない不適切な発言だ」という逢坂誠二氏の言葉である。
しかし「子どもをうまない女性は女性ではないと受け取られかねない不適切な発言だ」ということは、上川氏が「子どもをうまない女性は女性ではない」と言っていないことを認めることではないか? それにもかかわらずどうして「受け取られかねない」ということが生ずるのか?
いずれにせよ上川氏が言っていないことを言ったかのように「受け取ら」せている共同通信の見出しこそ「不適切」と言わなくてはならない。
逢坂誠二氏の発言
ちなみに共同通信は上に引用した記事の前に「「うまずして何が女性か」と上川陽子外相」と題する記事を公開していた。その記事には逢坂誠二氏の発言はなく、次のように書かれている。
上川陽子外相は18日、静岡県知事選応援のため静岡市で演説し、自民党推薦候補の当選に向け「私たち女性がうまずして何が女性か」と述べた。新知事を誕生させる趣旨とみられるが、出産困難な人への配慮を欠くと指摘される可能性がある。
共同通信 「うまずして何が女性か」と上川陽子外相
この記事でも上川氏の発言を「新知事を誕生させる趣旨」と認めながら、「出産困難な人への配慮を欠くと指摘される可能性がある」と語っている。
前の記事で「出産困難な人への配慮を欠くと指摘される可能性がある」とあるところが、後の記事では『野党からは「子どもをうまない女性は女性ではないと受け取られかねない不適切な発言だ」(立憲民主党の逢坂誠二代表代行)との批判が出た。』となっている。
共同通信の記者は、前の記事の時には逢坂氏の発言を知らなかったが、後の記事の時には知っていたということのようである。
前の記事は18日19時19分に公開、18日19時39分に更新とされている。(「Published 2024/05/18 19:19 (JST)」 「Updated 2024/05/18 19:39 (JST)」)
後の記事は18日21時54分公開、19日13時46分更新とされている。(「Published 2024/05/18 21:54 (JST)」 Updated 2024/05/19 13:46 (JST)」)
その間に逢坂氏が上川氏の発言を批判する発言をしていて、それを知った共同通信の記者が記事に取り入れたのであろうか?
しかし逢坂氏はどうして上川氏が静岡市で「上川氏の女性支持者が多く集まった屋内の集会」で語ったことを知ったのであろうか? 函館にいたのではないか? 逢坂氏は上川氏の発言を批判するのに適した状況にあったのか?
共同通信の記者はどうして逢坂氏の発言を知ったのか?
共同通信の記者が逢坂氏に上川氏の発言を伝えてそれに対する意見を聞きに行ったのであろうか? しかしそうだとすると逢坂氏は共同通信によって印象操作されたことを受け取ったのではないか?
そもそも上川氏の発言は「子供を産まない女性は女性ではない」という考えを示したものと受け取られるものか? というところに問題はある。
上川氏の発言がそういうものであるならば、誰でもそう受け取るであろう。ところが実際には、そう受け取る「可能性」を言い出したのは共同通信である。
その次の記事で逢坂氏がそのように受け取って批判したと共同通信が伝えているが、その批判は共同通信の影響を受けたものではないか?
逢坂氏が共同通信によらずに上川氏の発言を知ることができたならば、他にも多くの人が共同通信によらずに上川氏の発言を知ることができたのではないか? 実際には多くの人は共同通信の記事によって上川氏の発言を知って批判している。
立憲民主党の蓮舫議員は18日19時58分に共同通信の記事を引用して上川外相を非難している。

蓮舫議員はその後、上のポストを削除して19日8時11分、次のようにポストした。
「『比喩』だとしても」ということを付け加えている。(その他いくつか変わっているところがある)もともと共同通信の記事でも「新知事を誕生させる趣旨とみられるが」ということはあった。いずれにしてもそのことゆえに差別発言ではないことになるはずであるが、共同通信も蓮舫議員も、どういう論理かわからないが、差別発言であるかのように語っている。
蓮舫議員はその後もそういう方向で進んでいる。
ちなみに下のポストには18日19時20分とあるが、そのポストで引用されている記事は18日21時54分公開、19日13時46分更新となっているものである。つまりそのポストより後に公開されたとされる記事をそのポストに引用しているかたちになっているのである。
「うみの苦しみ」
上川氏は問題とされた演説で「今日は男性もいらっしゃいますが、うみの苦しみは本当にすごい。」とも言っている。
(静岡県知事選の候補として)一歩を踏み出していただいたこの方を、私たち女性がうまずして何が女性でしょうか。
私も初陣のときに皆さんに「うみの苦しみにあるけれども、ぜひうんでください」と演説で申し上げた。この候補者のことを思うと、その場面が頭によぎる。
今日は男性もいらっしゃいますが、うみの苦しみは本当にすごい。でもうまれてくる未来の静岡県、今の静岡県を考えると、私たちは手を緩めてはいけない。力を結集すればこの戦いを勝ち抜くことができる。
日本経済新聞 「うまずして何が女性か」 上川外相、静岡知事選応援
そのことが問題とされた。
津田大介氏などはそのことを取り上げて共同通信の報道に問題はないと言っている。
「国語の勉強やり直した方がいい」という津田氏の主張に従って「国語の勉強」をしてみよう。
問題は、津田氏の『本人が「(男性にはわからないものとしての)出産」の文脈で「うむ」を使ってるんだから、そりゃその比喩の適切性が問われる』というところ。
上川氏の「今日は男性もいらっしゃいますが、うみの苦しみは本当にすごい。」という言葉はたしかに「(男性にはわからないものとしての)出産」という意味で「うむ」という言葉を使っている。
しかし『私も初陣のときに皆さんに「うみの苦しみにあるけれども、ぜひうんでください」と演説で申し上げた。』の中の「うみの苦しみ」は「(男性にはわからないものとしての)出産」という意味ではない。もっぱら選挙で当選させるという意味である。「ぜひうんでください」もそう。
「(静岡県知事選の候補として)一歩を踏み出していただいたこの方を、私たち女性がうまずして何が女性でしょうか。」の中の「うまずして」も選挙で当選させるという意味である。「女性」も子供を産むかどうかということと関係ない。
津田氏は『本人が「(男性にはわからないものとしての)出産」の文脈で「うむ」を使ってるんだから』というが、「うむ」という言葉は上のように使われている。したがって「その比喩の適切性が問われる」こともない。
津田氏の言い方では一見やはり上川氏の発言には問題があったかのようである。しかし上川氏の発言の何が悪いのか、よくわからない。
共同通信社国際局は5月21日、産経新聞の取材に対して次のように上川氏の「今日は男性もいらっしゃいますが」というところを引用して答えたという。
同社国際局は、上川氏の一連の発言が「出産」を比喩にしたものと考えられる背景について、コメントで「(上川氏は)『この方を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか』と述べ、さらにその後に『うみの苦しみは、今日は男性もいらっしゃいますが、本当にすごい』と述べています」と指摘した。
産経新聞 外相「うまずして」英訳記事、男性に言及あり「明示なくても『出産』比喩」 共同通信回答
ここで「上川氏の一連の発言が「出産」を比喩にしたものと考えられる背景について」というのはどういうことか、よくわからない。いずれにせよ、共同通信が上川氏の「この方を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか」という発言を取り上げる時にその後の「うみの苦しみは、今日は男性もいらっしゃいますが、本当にすごい」ということをも考えてのことだったということであるとすると、共同通信の記事にそのことはなかったのであるからおかしい。その後に話題になったので取り入れたのではないか?
逆に女性を貶めることでは?
共同通信をはじめとして上川氏の発言を歪曲して非難している人は、女性を貶めているのではないか?
上川氏の発言は選挙における女性の力に訴えたものであった。その発言を歪曲して非難することは、上川氏が語った女性の力を貶めているのではないか?
上川氏は5月19日午前、発言を撤回したが、その時に次のように語っている。
この発言は、私を古くからご支援いただいている女性支援者を中心にお声がけをさせていただいた個人演説会の最後の発言であります。私自身、2000年の激戦の中で初当選をさせていただきましたが、その際、女性のパワーで私という衆議院議員をうんで、誕生させてくださった皆さんにいま一度、皆さんの女性パワーを発揮していただき、大村知事を誕生させよう、そうした意味で申し上げたところでございます。ただ、私の申し上げました女性パワーで未来を変えるという私の真意と違う形で受け止められる可能性がある、というご指摘を真摯(しんし)に受け止めさせて頂き、このたび撤回をさせて頂きたいと思います。
朝日新聞デジタル 上川外相、発言撤回 「真意と違う形で受け止められる可能性がある」
上川氏は「女性パワーで未来を変える」ことが発言の真意であったと語っている。発言をすなおに聞く限りそうとしか受け取れない。
そういう上川氏の発言を、子どもをうまない女性を否定するものであったかのように印象操作して貶めようとしている共同通信は、「女性パワーで未来を変える」ことを貶めていることになるのではないか?
たとえば上に引用した白坂和哉氏は上川氏を「女性でありながら女性の尊厳を踏みにじる輩」と断じて「名誉男性」と呼んでいる。こういう言葉は「女性の尊厳を踏みにじる」ものではないのか?
津田大介氏は「上川外相の感覚はおかしい」ときめつけて、上川氏は「自民党の多くの男性議員たち」を「追従して」いるに過ぎないものと決めつけている。
上川氏の主体性を認めず、男性に追従しているに過ぎないものときめつける。上川氏の言葉は「女性パワー」という女性の主体性を説いたものであったが、そのことも認めない。―そういうことは女性を貶めることではないか?
そもそも上川氏の発言は上川氏の女性支援者を集めた個人演説でなされたものである。
上川氏の発言はそういう女性支援者に対するものであった。上川氏の「女性」という言葉はそういう状況で発せられたものと考えられなくてはならない。
共同通信の問題についてさらに
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