月: 2022年7月

  • フレッド・アステアとバレエの因縁③映画「バンドワゴン」の意義

    フレッド・アステアとバレエの因縁③映画「バンドワゴン」の意義

     フレッド・アステアとバレエとの関係について考える。

     第3弾は、「イースター・パレード」から「バンド・ワゴン」まで。

     第1弾は、フレッド・アステアが映画デビューしてからRKOでジンジャー・ロジャーズと共演している間のこと↓

     第2弾は、フレッド・アステアがRKOから離れ、ジンジャー・ロジャーズから離れてから、「ブルー・スカイ」で引退するまで↓

     1946年に公開された映画「ブルー・スカイ」を最後として、フレッド・アステアは一度引退していた。


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    「イースター・パレード」

     1947年、引退していたフレッド・アステアは、リハーサルの間にけがをしたジーン・ケリーの代わりに映画に出演することをたのまれた。

     その映画が「イースター・パレード」( “Easter Parade” )である。


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     1948年6月に公開された「イースター・パレード」は大ヒットとなった。

     「オン・ユア・トーズ」以後、そして「オクラホマ!」以後、アメリカのミュージカルではバレエが重視されるようになってきていた。(「オン・ユア・トーズ」のことは第1弾、「オクラホマ!」のことは第2弾で述べた)

     フレッド・アステアも、その流れと向き合うことになった。

     ところで、「イースター・パレード」には、「オン・ユア・トーズ」のような、「オクラホマ!」のようなバレエはない。

    「イースター・パレード」以後

     「イースター・パレード」で復帰してから、フレッド・アステアは次々とミュージカル映画に出演した。

    「ブロードウェイのバークレー夫妻」

     「イースター・パレード」の次にまたフレッド・アステアとジュディ・ガーランドが共演する映画が企画された。-「ブロードウェイのバークレー夫妻」( “The Barkleys of Broadway” )である。

    ジンジャー・ロジャーズ

     制作の途中でジュディ・ガーランドは病気で出演することができなくなって、ジンジャー・ロジャーズがその代わりに出演することになった。

     「カツスル夫妻」(1939年)以来の共演である。

     そこで、ジュディ・ガーランドのために作られていたものを、ジンジャー・ロジャーズに合うように作り変えることになった。

     バレエに関することでは、その時に「ポエトリー・イン・モーション」( “Poetry in Motion” )というコミックバレエが外されたと言われている。

    Rogers and Garland as performers were dissimilar, and changes had to be made, particularly in the Warren and Gershwin score. “Natchez on the Mississip’,” “The Courtship of Elmer and Ella” (a hillbilly number) and “Poetry in Motion” (a comic ballet) were dropped.

    “MGM’s Greatest Musicals” p.246~247

    M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

     バレエをやることになっていたが、ジンジャー・ロジャーズに合うようにそのバレエは外されることになったようである。

     「ブロードウェイのバークレー夫妻」は1949年5月に公開された。


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    「翼のある靴」 “Shoes With Wings On”

     「ブロードウェイのバークレー夫妻」には、 “Shoes With Wings On” (翼のある靴)という曲目がある。

     靴屋が舞台で、客が帰ってしまった後に、一人残った店長の前で靴が勝手にタップダンスを踊りだすというもの。

     この曲目は、バレエの影響を受けたものと思われる。

     特に1年前に公開された映画「赤い靴」( “The Red Shoes” )の影響を受けたものと思われる。


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     映画「赤い靴」は、アンデルセンの童話をもとにして作られた映画で、中盤に童話をもとにした長尺のバレエがある。

     そのバレエでは、主人公が靴屋の靴を履くと、その靴が主人公をいつまでも踊らせることになっている。

     「ブロードウェイのバークレー夫妻」の「翼のある靴」で、主人公が靴屋の靴を履くと、その靴が主人公を踊らせることは、「赤い靴」のバレエと似ている。

     はじめに少しバレエが出て来るところも、関係を示しているのかもしれない。

     ただし「ブロードウェイのバークレー夫妻」の「翼のある靴」では、フレッド・アステアはバレエではなくタップダンスをやっている。

     「赤い靴」のバレエはドラマティックであったが、こちらはコミカル。

     多くの靴が踊りだすところは、「赤い靴」にはないところ。

    「土曜は貴方へ」


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     1950年に公開された映画「土曜は貴方へ」( “Three Little Words” )の振り付けはハーミーズ・パン。

     「土曜は貴方へ」にも「オクラホマ!」のようなバレエはない。

     フレッド・アステアは過去にジンジャー・ロジャーズなどとやってきたタップダンスや「ロマンティック」なダンスを発展させているように見える。

     たとえば「タップダンサー夫妻の家庭生活」( “Mr. and Mrs. Hoofer at Home” )はタップダンスによって夫婦の家庭生活を表現するものである。

    Warner Archive
    Mr. and Mrs. Hoofer At Home | Three Little Words | Warner Archive

     これは、「ロバータ」(1935年)の “I’ll Be Hard to Handle” でフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズがタップダンスで男女のやりとを表現したのを発展させたもののように見える。

     「土曜は貴方へ」のフレッド・アステアの相手役のヴェラ・エレンは、バレエもタップダンスもすぐれた人であるが、この映画ではフレッド・アステアとともに、バレエではなく、タップダンスや「ロマンティック」なダンスをやっている。

    「恋愛準決勝戦」

     1951年に公開された映画「恋愛準決勝戦」( “Royal Wedding” )


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    モイラ・シアラー

     バレエとの関係では、フレッド・アステアの恋人役に、映画「赤い靴」( “The Red Shoes” )で有名なバレエダンサー、モイラ・シアラー( Moira Shearer )が考えられていたということが重要である。


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     モイラ・シアラーがフレッド・アステアの相手役として考えられたということは、「赤い靴」のバレエのような長尺のバレエを2人でやることが考えられたということではないか?

     フレッド・アステアはモイラ・シアラーとの共演について「彼女はすばらしいが、彼女を相手にして私に何ができるのか?」と言ってことわったという。

    “I know she’s wonderful, but what the hell could I do with her?”

    “MGM’s Greatest Musicals” p.298

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     フレッド・アステアは、モイラ・シアラーと組んでもいいものはできないと考えていたのである。

    サラ・チャーチル

     モイラ・シアラーの代わりにフレッド・アステアの恋人役に選ばれたのは、ウィンストン・チャーチルの次女サラ・チャーチルであった。

     モイラ・シアラ―の代わりにサラ・チャーチルが選ばれたことと関連して、フレッド・アステアが恋人役と踊るところがなくされたと思われる。

     モイラ・シアラーが考えられていた時には、「赤い靴」ほどでなくても大がかりなバレエをやることが考えられていたのではないかと思われる。

     ところがサラ・チャーチルにかわって出来た映画では、2人が踊るところは、初めのオーディションのところに少しあるだけになっている。

     フレッド・アステアがサラ・チャーチルを想って “You’re All the World to me” の音楽に合わせて壁、天井を踊るところは、この映画の最大の見どころであるが、フレッド・アステアが一人で踊るのであって、サラ・チャーチルは写真だけ。

     フレッド・アステア主演のミュージカル映画で恋愛が2人のダンスによって表現されていないことは珍しいことである。

     このことは「恋愛準決勝戦」という映画の構造と関わることと思われる。

     「恋愛準決勝戦」は兄と妹を描く映画であって、そのことが多く描かれていることは当然のことであるが、兄妹それぞれの恋愛を描く映画でもあるのに、フレッド・アステアとサラ・チャーチルの恋愛の占める割合が少ないのではないかと思われる。

     ちなみにフレッド・アステアがジェーン・パウエルその他大勢とおどる “I Left My Hat in Haiti” でのフレッド・アステアの恰好は、「ヨランダと盗賊」の夢のバレエの時の恰好と似ているようにも見える。

    「ベル・オブ・ニューヨーク」

     1952年に公開された映画「ベル・オブ・ニューヨーク」


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     この「ベル・オブ・ニューヨーク」という映画は、フレッド・アステアの映画の中で重要な意味をもっていると思われる。

    オスカー・ハマースタイン二世

     「ベル・オブ・ニューヨーク」は、フレッド・アステアが「ブルー・スカイ」で一度引退する前から企画されていた映画である。

     1943年10月14日にプロデューサーのアーサー・フリードがオスカー・ハマースタイン二世に送った手紙に、「ベル・オブ・ニューヨーク」の音楽をオスカー・ハマースタイン二世とリチャード・ロジャーズが担当することを求めているところがある。

    Regarding The Belle of New York. We have a fine outline for the story and I am still counting on you and Dick Rodgers to do the score.

    MGM’s GREATEST MUSICALS p.152

    M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

     アーサー・フリードが二人によって「ベル・オブ・ニューヨーク」をどういう作品にしようと考えていたのか?

     「オクラホマ!」と近いところのある作品にしょうとしていたのではないか?

     オスカー・ハマースタイン二世とリチャード・ロジャーズは、初めて組んで作ったミュージカル「オクラホマ!」(1943年3月にブロードウェイで開幕)によってミュージカルに革新をもたらしていたところであった。

     具体的には、「オクラホマ!」のようにバレエを入れることを考えていたのではないか?

    引退

     フレッド・アステアは「ヨランダと盗賊」の後に「ベル・オブ・ニューヨーク」をやることになっていた。

     ところが「ヨランダと盗賊」が失敗して、失敗を繰り返したくないということで「ベル・オブ・ニューヨーク」を断って、「ブルー・スカイ」をやって引退している。

    メトロでの次の仕事は『ベル・オブ・ニューヨーク』。数か月後に始まることになっている。この映画のアイディアはあまり気に入っていなかった。脚本もなかなかかたちにならない。『ヨランダ』が強力な映画にならなかったことで、わたしの不安もつのっていた。この上また軽量級の作品を重ねたくはない。「弱い作品」が二本続くと自分の価値も下がってしまう。

    「フレッド・アステア自伝」365~366頁

    フレッド・アステア自伝 Steps in Time

     原文。

    Next on the roster for me at Metro was Belle of New York, due in a few months. I didn’t like the thought of it too much-there was some difficulty getting a script in shape. The fact that Yolanda had turned out to be a weak one worried me. I didn’t want to do another light-weight right on top of it. Two “weakies” in a row can reduce you.

    Steps in Time p.281-282

    Steps in Time: An Autobiography

     フレッド・アステアが「ベル・オブ・ニューヨーク」のどういうところを「あまり気に入っていなかった」のか、よくわからない。

     強力な映画にならなかったという「ヨランダと盗賊」と同じように「ベル・オブ・ニューヨーク」も強力な映画にならないのではないかと不安になったというところから考えると、「ベル・オブ・ニューヨーク」は「ヨランダと盗賊」と近い作品であったことが不安だったのではないか?

     具体的には、「ヨランダと盗賊」と同じく「オクラホマ!」の影響を受けたバレエがあって、それが不安だったのではないか?

    映画化

     フレッド・アステアは「ブルー・スカイ」で一度引退した後、「イースター・パレード」で復帰した。

     そして数年後、一度ことわった「ベル・オブ・ニューヨーク」をやることになった。

     ところがそうして作られた「ベル・オブ・ニューヨーク」は興行的に失敗した。

     それにもかかわらずフレッド・アステアは強い思い入れを語っている。

     「ヴェラ・エレンという良いダンサーを相手役として、最高のダンスナンバーができた。売れなかったにすぎない。私の好きな作品であったゆえに、腹が立った。」

    As my partner I had a girl who was a good dancer, Vera-Ellen. And some of the best dance numbers you could ever get. It was just a musical show that did not make it; and it makes me so mad, because The Bell of New York was one of my favorite films.

    “MGM’s Greatest Musicals” p.366

    M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

     どういうことであろうか?

     「ベル・オブ・ニューヨーク」ははじめ、「オクラホマ!」のようなバレエを伴うミュージカルとして企画されていたと思われる。

     ところが1952に公開された映画にはバレエはない。全体として「オクラホマ!」に似ているところはない。

     タップダンスなどフレッド・アステアがそれまでやってきたダンスを発展させたものが多い。

     事情はよくわからないが、もともと「ヨランダと盗賊」と同様に「オクラホマ!」の影響を受けてバレエを取り入れた作品が考えられていたのが、フレッド・アステアが復帰した後、バレエを取り除いて作られたのではないか?

    ジーン・ケリーとバレエ

     フレッド・アステアが「イースター・パレード」で復帰してから「ベル・オブ・ニューヨーク」までの時期(1948年~1952年)に、同じMGMのアーサー・フリード制作の映画で、ジーン・ケリーはバレエを取り入れていた。

    ・1948年3月に公開された映画「踊る海賊」( “The Pirate” )。


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    ・1948年12月に公開された映画「ワーズ&ミュージック」( “Words and Music” )―「十番街の殺人」(”Slaughter on 10th Avenue”)など。


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    ・1949年12月に公開された映画「踊る大紐育」( “On the Town” )―「ニューヨークでの一日」(”A Day in New York”)など。


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    ・1951年に公開された映画「巴里のアメリカ人」(”An American in Paris” )―「巴里のアメリカ人」など。


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     「巴里のアメリカ人」の主役にはフレッド・アステアも考えられていたが、バレエにはジーン・ケリーが向いているということで、フレッド・アステアではなくジーン・ケリーが選ばれたと言われている。(Blu-rayの特典映像参照)

     ジーン・ケリーはバレエに向いていたが、フレッド・アステアはバレエに向いていないと考えられていたわけである。

    ・1952年に公開された映画「雨に唄えば」( “Singin’ in the Rain” )―「ブロードウェイ・バレエ」。


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     フレッド・アステアは、1940年代中頃に、MGMで「ジーグフェルド・フォリーズ」の「ライムハウス・ブルース」、「ヨランダと盗賊」の夢のバレエをやっていた。

     ところが「ヨランダと盗賊」の後、バレエから離れていた。

     その間に、ジーン・ケリーは映画にバレエをとりいれて、1948年に公開された映画「ワーズ&ミュージック」から映画の終盤に大がかりなバレエをやる作品を連発した。

     ミュージカル映画では大がかりなバレエを入れた作品が主流になってきた。

    「バンド・ワゴン」

     1953年に公開された映画「バンド・ワゴン」( “Band Wagon” )は、上に述べたような状況において作られた作品であった。

     「バンド・ワゴン」でフレッド・アステアは

    ・バレエダンサーを相手として、

    ・バレエに取り組んだ。

    バレエダンサーを相手とする

     映画「バンド・ワゴン」は、フレッド・アステアの演ずる人物が、シド・チャリース( Cyd Charisse )の演ずるバレエダンサーとどうやって共演するかという話とみることができる。

     同時に、フレッド・アステア自身が、バレエダンサーのシド・チャリースとどうやって共演するかということもある。

    ことわる

     フレッド・アステアの演ずる人物は、バレエダンサーと組むと言われた時に、まずことわっている。

     フレッド・アステア自身、映画「恋愛準決勝戦」でバレエダンサーのモイラ・シアラーとの共演をことわっていた。

    年の差

     シド・チャリースの演ずるバレエダンサーは、フレッド・アステアの演ずる人物はもはや過去の人物だという。それゆえに共演しても意味はないという。

     そういうことは、フレッド・アステア自身、シド・チャリース自身と全く関係のないことではなかった。

     シド・チャリース(1921年生まれ)は、1953年当時、バレエが流行する中ですぐれたバレエダンサーとして流行の先端にいた。

     それに対してフレッド・アステア(1899年生まれ)は、1930年代にタップダンスが流行する中ですぐれたタップダンサーとして流行の先端にいたが、1953年当時は、バレエの流行とうまくいっていなかった。

     映画の冒頭には、フレッド・アステアの演ずる人物が過去の映画で使っていたというトップハットや杖が競売に出されていて、しかも売れないさまが描かれていた。


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     トップハット姿は1930年代のフレッド・アステアを代表するものである。

    うまくいかない

     フレッド・アステアの演ずる人物は結局そのバレエダンサーと共演することになって、バレエの振付師に従って稽古を始める。

     しかしそれぞれ相手に対して疑問をもっていて、ダンスにおいても、人間関係においても、うまくいかない。

    仲直り

     2人は衝突した後に、仲直りする。

     そしてどうやって2人で踊りを合わせることができるかということになって、夜のセントラルパークで「ダンシング・イン・ザ・ダーク」( “Dancing in the Dark” )に合わせて踊る。

     それまで互いに相手を苦手としてきたタップダンサーとバレエダンサーが、どうやって踊りを合わせることができるか、という実験である。

     フレッド・アステアとシド・チャリースにとっての実験でもあった。

     それゆえにスリリングである。

     そうして何とも官能的なダンスができた。

    「ガール・ハント」

     「バンド・ワゴン」の終盤には大がかりなバレエがある。―「ガール・ハント」バレエである。

     ミッキー・スピレーンの探偵小説をもとにして、色彩鮮やかな背景で、ハードボイルド探偵(フレッド・アステア)が魔性の女(シド・チャリース)を相手とするところが表現されている。

     振り付けはマイケル・キッド。

     フレッド・アステアは、はじめマイケル・キッドに対して警戒していたが、次第にその振り付けを気に入るようになったと言われている。

     そうして「ガール・ハント」バレエも、魅力的なものとなった。

     「ガール・ハント」バレエのフレッド・アステアの恰好は、「ヨランダと泥棒」の夢のバレエの恰好と似ている。

     「ヨランダと盗賊」でとった方向を「ガール・ハント」バレエで成功させたようにも見える。

    「バンド・ワゴン」の構成

     「バンド・ワゴン」の構成は次のようになっている。

    ・フレッド・アステアの演ずる人物は、それまでのやり方ではいけなくなっている。

    ・そこでバレエダンサーを相手にしてドラマティックなバレエをやることをもとめられる。

    ・しかしそういうやり方ではうまくいかない。

    ・エンターテインメントに立ち返る。

    ・バレエをとりいれるが、ドラマティックなバレエではなく、エンターテインメントとしてのバレエにする。

     この映画ではシド・チャリースのことも描かれている。

     シド・チャリースは、はじめジェームズ・ミッチェルの演ずる人物とともにクラシックバレエをやっていた。

     シド・チャリースがフレッド・アステアと共演することになったのは、ドラマティックなバレエをやるからである。

     ジェームズ・ミッチェルは、シド・チャリースがエンターテインメントとしてのバレエをやることに反対する。

     しかしシド・チャリースはエンターテインメントとしてのバレエを選ぶ。

     ちなみにジェームズ・ミッチェルは「オクラホマ!」の振り付けを担当したアグネス・デ・ミルの下でバレエをやっていた人で、映画版「オクラホマ!」の夢のバレエで主人公の恋人役をやっている。


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     つづきは↓

  • フレッド・アステアとバレエの因縁②「ヨランダと盗賊」をめぐって

    フレッド・アステアとバレエの因縁②「ヨランダと盗賊」をめぐって

     フレッド・アステアとバレエはどういう関係にあったか?

     フレッド・アステアが映画デビューしてから、RKO制作の映画でジンジャー・ロジャーズと共演していた時のことは、下の記事に書いた↓

     ここではフレッド・アステアがRKOから離れ、ジンジャー・ロジャーズから離れてからのことについて書く。

    ジンジャー・ロジャーズから離れて

     フレッド・アステアは1939年に公開された映画「カッスル夫妻」を最後に、RKOから離れ、ジンジャー・ロジャーズとも離れた。


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     それから各社でフレッド・アステア主演の映画が作られた。

     いずれもタップダンスを中心とした映画になっている。

    MGM

     まず1940年、MGMの映画「踊るニューヨーク」( “Broadway Melody of 1940” )。


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     MGMのタップダンスのスター、エレノア・パウエルとフレッド・アステアが共演した映画で、見どころは二人のタップダンス。

    コロンビア

     1941年、コロンビアで映画「踊る結婚式」( “You’ll never Get Rick” )。


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     共演はリタ・ヘイワ―ス。

     フレッド・アステアはリタ・ヘイワ―スと二人で、また一人でタップダンスをやっている。

    パラマウント

     1942年、パラマウントで映画「スイング・ホテル」( “Holiday Inn” )。


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     共演はビング・クロスビー。

     ビング・クロスビーは歌を聞かせ、フレッド・アステアはタップダンスなどを見せる。

    ジーグフェルド・フォリーズ

     フレッド・アステアはその後にMGMに所属することになった。

     MGMでの第一に作られた映画は「ジーグフェルド・フォリーズ」。(撮影は1944年。公開は1946年)


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     映画「ジーグフェルド・フォリーズ」でフレッド・アステアの出番は複数あるが、その中の一つでまたバレエに取り組むことになった。

     フィリップ・ブレーム作曲の「ライムハウス・ブルース」( “Limehouse Blues” )によるバレエである。

     フレッド・アステアは「ライムハウス・ブルース」をやるためにMGMと契約したとまで語っている。

    私がメトロとの契約にサインした理由のひとつに、フィリップ・ブレームの「ライムハウス・ブルーズ」のようなナンバーを歌いたいというのがあった。この歌はずっと大好きな歌だったのだ。

    「フレッド・アステア自伝」、341頁

    フレッド・アステア自伝 Steps in Time

     原文。

    One of my main reasons for signing the Metro contract was to get an opportunity to put on some kind of number to Phillip Braham’s “Limehouse Blues,” which had always been a favorite song of mine.

    “Steps in Time” p.264

    Steps in Time: An Autobiography

     「ライムハウス・ブルース」は、フレッド・アステアが自ら積極的にやりたいと言ったものだったのである。

     そういうフレッド・アステアの要望を受けて、監督ヴィンセント・ミネリと振り付けのロバート・オルトンが「ドラマティックでかなり入り組んでせわしない、バレエとパントマイムのコンビネーション」(a pretty busy and intricate dramatic ballet pantomime combination)を用意したのである。(「フレッド・アステア自伝」、341頁。原文 “Steps in Time” p.265)

     「ライムハウス・ブルース」のバレエは、フレッド・アステアの演ずる人物の夢を表現するというかたちになっている。

    「オクラホマ!」

     「ジーグフェルド・フォリーズ」でバレエが取り入れられたことは、ブロードウェイ・ミュージカル「オクラホマ!」と関係があると思われる。

     リチャード・ロジャースがロレンツ・ハートと別れて、オスカー・ハマースタイン二世と組んで初めて作った「オクラホマ!」は、ミュージカルの歴史の中で画期的な作品であった。

     ミュージカルとバレエとの関係では、一幕終わりにヒロインの夢がバレエによって表現されているところが重要。

     それまでの話でヒロインが悩んでいたことがバレエによって表現されているのである。

     「オクラホマ!」がニューヨークで開幕したのは1943年3月。

     「ジーグフェルド・フォリーズ」のプロデューサーのアーサー・フリードは、「オクラホマ!」

     「オクラホマ」は1955年に映画化された。振り付けはブロードウェイ版と同じアグネス・デ・ミル( Agnes de Mille)。


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    「ヨランダと盗賊」

     1945年11月に公開された映画「ヨランダと泥棒」(”Yolanda and the Thief”)は、フレッド・アステアとバレエとの関係で重要な作品。


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     「ヨランダと盗賊」が公開されたのは1945年。

     「ジーグフェルド・フォーリーズ」はそれより前、1944年に撮影されたが、公開されたのは1946年で、「ヨランダと盗賊」より後になった。

     「ヨランダと盗賊」の中には、大がかりなバレエがある。―劇中でフレッド・アステアの演ずる人物がみる夢(悪夢)がバレエで表現されるのである。

     「ジーグフェルド・フォーリーズ」の「ライムハウス・ブルース」を発展させたということもできる。

     監督は同じくヴィンセント・ミネリ。

     振り付けは変わってユージーン・ローリング(Eugene Loring)。

     「ライムハウス・ブルース」は中国風であったが、「ヨランダと盗賊」のバレエはシュールレアリスムを取り入れたものになっている。

     「ヨランダと盗賊」のバレエは、「ライムハウス・ブルース」以上に、その後のミュージカル映画の先駆けとなっているところがある。

    後のミュージカル映画との関係

     劇中でフレッド・アステアの演ずる人物がみる夢がバレエによって描かれる。

     その人物の心の中にある問題がバレエによって描かれる。

     その後のMGMミュージカル映画で、「踊る大紐育」(1949年)、「巴里のアメリカ人」(1951年)は、夢ではないが、主人公の心の中にある問題がバレエによって描かれている。

     MGMではないがフレッド・アステアの「足ながおじさん」(1955年)では、夢(悪夢)というかたちで主人公の心の中にある問題がバレエによって描かれている。

    美術

     映画「ヨランダと盗賊」のバレエにおいては、主人公の夢(悪夢)=心の中にある問題を表現するために、背景にシュールレアリスムが取り入れられている。

     背景にシュールレアリスムが取り入れられていることは、「巴里のアメリカ人」においてフランス印象派の画家の絵が取り入れられたことと通ずるところがある。

     地面に高いところと低いところがあることも「巴里のアメリカ人」と似ている。

     いずれも監督はヴィンセント・ミネリ。

    フレッド・アステアの恰好

     「ヨランダと泥棒」のバレエでのフレッド・アステアの恰好は、後の映画「バンド・ワゴン」(1953年)の「ガール・ハント」バレエの時のフレッド・アステアの恰好―白のハット、青のシャツ、白のスーツ―と似ている。

     映画「トップ・ハット」以来の、トップハット、白の蝶ネクタイ、燕尾服という姿とは異なる姿が作り出されている。


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    「ヨランダと盗賊」の興行成績

     「ヨランダと泥棒」は、ミュージカル映画の卓越した作り手たち力を結集させて作った作品であった。

     MGMで多くのミュージカル映画の傑作を制作したアーサー・フリードは、この映画のために自ら作詞を担当するほど力を入れていた。

     ところが映画「ヨランダと盗賊」は興行的に失敗した。

    「ブルー・スカイ」

     「ヨランダと盗賊」が失敗した後、フレッド・アステアは映画「ブルー・スカイ」( “Blue Skies” )に出演した。(1946年)


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    フレッド・アステアが「ブルー・スカイ」に出演した気持ち

     フレッド・アステアはそのことについて自伝で次のように語っている。

    この上また軽量級の作品を重ねたくはない。「弱い作品」が二本続くと自分の価値も下がってしまう。

    「フレッド・アステア自伝」、366頁

    フレッド・アステア自伝 Steps in Time

     原文。

    I don’t want to do another light-weght right on top of it. Two “weakies” in a row can reduce you.

    “Steps in Time” p.282

    Steps in Time: An Autobiography

     フレッド・アステアは「ヨランダと盗賊」の失敗から立ち直るために「ブルー・スカイ」に出演することを決めたというのである。

     フレッド・アステアは「ブルー・スカイ」に出演するために、MGMからパラマウントに貸し出されることになった。

     フレッド・アステアは「ブルー・スカイ」で引退することをも決めた。

    わたしはこの映画の撮影中、これを最後に引退する気持ちを固めた。わたしが必要だと思う要件を『ブルー・スカイ』は満たしていた。ヒットになりそうだと思えたのだ。

    「フレッド・アステア自伝」、366頁

    フレッド・アステア自伝 Steps in Time

     原文。

    I made up my mind during the shooting of this film that I wanted to retire on it.Skies measured up to the requirements I considered essential: It looks like a hit.

    “Steps in Time” P.282

    Steps in Time: An Autobiography

     フレッド・アステアは映画「ヨランダと盗賊」での失敗の後では「ヒット」がなくてはならないと思っていた。

     「ヒット」した上で引退したいと思っていた。

     フレッド・アステアが「ブルー・スカイ」で引退しようと考えた理由は他にもあると言われている。

     いずれにせよ、フレッド・アステアは「ヨランダと盗賊」の失敗によって大きな傷を負って、次の映画でその傷から立ち直らなくてはならないと考えていたのである。

    映画「ブルー・スカイ」の方向

     フレッド・アステアが「ヒットになりそうだと思えた」という映画「ブルー・スカイ」はどういう作品であったか?

    「スイング・ホテル」

     「ブルー・スカイ」は、1942年に公開された映画「スイング・ホテル」と似ている。


    スイング・ホテル [DVD]

    ・ビング・クロスビーが歌を聞かせ、フレッド・アステアが踊りを見せる

    ・ビング・クロスビーとフレッド・アステアが同じ女性を取り合う

     フレッド・アステアが「ブルー・スカイ」に出演することは、「スイング・ホテル」に帰ることということができる。

     「スイング・ホテル」は大ヒットしたが、「ブルー・スカイ」も大ヒットした。

    映画「ブルー・スカイ」のダンス

    「ヒート・ウェイヴ」 ”Heat Wave”

     映画「ブルー・スカイ」の終盤には、アーヴィング・バーリンの楽曲「ヒート・ウェイヴ」による大掛かりなダンスがある。

     そのはじめには、「ヒート・ウェイヴ」を歌うオルガ・サンフワンにフレッド・アステアが「ヨランダと盗賊」の夢のバレエのように近づくところがある。

     しかしその後にはフレッド・アステアがソロのタップダンスを存分に披露している。

    「プッティン・オン・ザ・リッツ」 ”Puttin’ on the Ritz”

     映画「ブルー・スカイ」で最も有名なダンスは、楽曲「プッティン・オン・ザ・リッツ」( “Puttin’ on the Ritz” )によるフレッド・アステアのタップダンス。

     劇中では「ヒート・ウェイヴ」より前にあるが、フレッド・アステアの引退前の最後のダンスとうたわれた。

     そこでフレッド・アステアはトップ・ハット姿(モーニング)になっている。

    回帰?

     映画「ブルー・スカイ」でフレッド・アステアは、

    ・「ヨランダと盗賊」で切り開いたバレエも取り入れているが、

    ・トップハット姿でタップダンスを踊るという、前に成功したやり方に帰っているようである。

     振り付けはハーミーズ・パン。

     ハーミーズ・パンは、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズが共演した映画でフレッド・アステアとともにダンスを考えていた人。

     ハーミーズ・パンを起用したことも、フレッド・アステアが前に成功したやり方に立ち返ろうとしていることを現わすことのように見える。

    まとめ

     フレッド・アステアは映画「ヨランダと盗賊」において、夢を表現する大がかりなバレエに挑戦した。

     ところが「ヨランダと盗賊」は興行的に失敗してしまった。

     フレッド・アステアとバレエの出会いはうまくいかなかったのである。

     フレッド・アステアは映画「ブルー・スカイ」において、トップハット姿で、タップダンスを見せるという前に成功したやり方に帰った。

     そうして引退しようと考えた。

     バレエから、それまでに成功していた姿に帰って引退しようと考えたのである。

     続き↓

  • フレッド・アステアの映画「ヨランダと盗賊」

    フレッド・アステアの映画「ヨランダと盗賊」

     「ヨランダと盗賊」(原題は “Yolanda and the Thief” )は、1945年に公開されたミュージカル映画。

     MGMで多くの傑作ミュージカル映画を作ったプロデューサー、アーサー・フリードがフレッド・アステアを迎えて作った力作。

     背景美術も見どころ。


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    映画「ヨランダと盗賊」のあらすじ

     架空の国の話。

     その国の大富豪の娘ヨランダ(ルシル・ブレマー)はその親の莫大な財産を相続していた。

     その国に来た泥棒(フレッド・アステア)は、ヨランダの財産を盗もうとヨランダに近づくが…。

    楽曲

     映画「ヨランダと盗賊」の音楽は、ハリー・ウォレン作曲、アーサー・フリード作詞。

     プロデューサーのアーサー・フリードはもともと作詞家として成功した人。

     映画「ヨランダと盗賊」では自ら作詞を担当するほど力を入れている。

    「ヨランダ」 “Yolanda”

     ヨランダの豪邸でフレッド・アステアがハープを弾きながらルシル・ブレマーに歌う。

     その間にフレッド・アステアは少し踊る。

    「コーヒー・タイム」 “Coffee Time”

     波打つ黒と白の床の上で、フレッド・アステアとルシル・ブレマーが踊り、大勢の男女が踊る。

    バレエ

     映画「ヨランダと盗賊」には大がかりなバレエがある。

     映画の中盤で、フレッド・アステアの演ずる人物がみる悪夢がバレエによって描かれるのである。

     監督ヴィンセント・ミネリによるシュールレアリスムの世界観、ユージーン・ローリングの振り付けによるフレッド・アステア等のバレエで悪夢が表現される。

     「ヨランダと盗賊」のバレエは、MGMのミュージカル映画の歴史の中で重要。

     後の映画「巴里のアメリカ人」(1951年)の終盤の大がかりなバレエ、映画「バンド・ワゴン」の終盤の「ガール・ハント」バレエの先駆けとなっている。

     いずれもヴィンセント・ミネリ監督作品ということでもつながっている。

     フレッド・アステアの作品としても、「ヨランダと盗賊」と「バンド・ワゴン」とでつながるところがある。

    映画「ヨランダと盗賊」と映画「ジーグフェルド・フォリーズ」

     映画「ヨランダと盗賊」には、映画「ジーグフェルド・フォリーズ」に通ずるところがある。


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     映画「ジーグフェルド・フォリーズ」は、公開されたのは「ヨランダと盗賊」の次の年であるが、撮影は「ヨランダと盗賊」の前の年に始まっていた。

     「ジーグフェルド・フォリーズ」の中で、いずれもフレッド・アステアとルシル・ブレマーが共演した”This Heart of Mine” と「ライムハウス・ブルース」 “Limehouse Blues” は、「ヨランダと盗賊」に通ずるところがある。

    “This Heart of Mine”

     まず”This Heart of Mine”。

     ”This Heart of Mine” は、フレッド・アステアが泥棒で、金持ちのルシル・ブレマーから財産を盗もうとするが、恋愛感情が芽生えて、…という話。

     「ヨランダと盗賊」の主題と同じ。

    「ライムハウス・ブルース」 “Limehouse Blues”

     「ライムハウス・ブルース」 “Limehouse Blues”では、フレッド・アステアの演ずる人物の夢がバレエによって表現されている。

     「ヨランダと盗賊」でも、フレッド・アステアの演ずる人物の夢がバレエによって表現されている。

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     日本語版DVDが出ている。


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  • 映画「ジーグフェルド・フォリーズ」 レヴュー形式のMGMミュージカル映画

    映画「ジーグフェルド・フォリーズ」 レヴュー形式のMGMミュージカル映画

     「ジーグフェルド・フォリーズ」(原題は “Ziegfeld Follies” )は、1946年に公開された映画。

     MGMで多くのミュージカル映画の傑作を作ったプロデューサー、アーサー・フリードがブロードウェイのレヴューの形式で作った映画。

     MGMが力をかけた映画で、興行的に成功した。

     フレッド・アステア、ジーン・ケリー、ジュディ・ガーランドをはじめとするスターによる歌、踊り、寸劇等を観ることができる。

     豪華な背景、衣装も見どころ。


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    「ジーグフェルド・フォリーズ」とは

     「ジーグフェルド・フォリーズ」とは、フロレンツ・ジーグフェルド(1867~1932年)が製作したブロードウェイのレヴュー。

     1907年に第1弾が上演されてから、1年に1本製作された。

     映画「ジーグフェルド・フォリーズ」は、亡くなって天国にいるジーグフェルドが、新たにジーグフェルド・フォリーズを構想してできたものというかたちになっている。

     天国にいるジーグフェルドを演じているロバート・パウエルは、1936年に公開された伝記映画「巨星ジーグフェルド」でもジーグフェルドを演じていた。


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    映画「ジーグフェルド・フォリーズ」の構成

     映画「ジーグフェルド・フォリーズ」の構成は、映画としては特異な構成になっている。

     多くの映画は、一つの話を展開する。

     映画「ジーグフェルド・フォリーズ」は、それぞれ独立した歌、踊り、寸劇が次々と出て来る。

     天国にいるフロレンツ・ジーグフェルドが構想したということはあるが、フロレンツ・ジーグフェルドが出て来るのははじめだけ。

     多くの映画のように統一された作品を期待しても、満足することはできない。

     相互に独立した歌とか、踊りとか、寸劇とかが並んでいるものとみなくてはならない。

    “Here’s to the Girls”

     まずフレッド・アステアが出て来て、ジーグフェルドは女性を美しくしたと言って、歌い、少し踊ると、ジーグフェルド風の女性が次々と出て来る。

     そこで出て来たシド・チャリースとフレッド・アステアが少しからむ。

     ルシル・ボールの踊りなどもある。

    「水のバレエ」 “Water Ballet”

     エスター・ウィリアムズが水の中で踊る。


    ブロマイド写真★エスター・ウィリアムズ/プールサイドで水着

    「ナンバー・プリーズ」 “Number Please”

     キーナン・ウィン(Keenan Wynn)によるコメディー。

     電話をかけても、なぜかつながらない。

    「椿姫」 “Traviata”

     ヴェルディのオペラ「椿姫」の「乾杯の歌」を、ジェームズ・メルトンとマリオン・ベルが歌い、大勢で踊る。

     豪華な背景、豪華な衣装。

     振り付けはユージーン・ローリング。

    「2ドル払ってくれ」 “Pay the two dollars”

     ヴィクター・ムーアとエドワード・アーノルドによるコメディー。

     ヴィクター・ムーア演ずる人物は、電車の中につばを吐いたということで、警察から罰金2ドルを言い渡される。

     ところが、エドワード・アーノルド演ずる弁護士は自信満々で、2ドル払わなくてもいい、法廷で勝ってみせるという。

     しかし事態はどんどん悪くなっていく…

    “This Heart of Mine”

     フレッド・アステアとルシル・ブレマーのダンス。

     豪華なパーティに招かれた客のような顔をして入ってきたフレッド・アステアは泥棒。

     パーティ客の一人の女性ルシル・ブレマーに狙いを定めて、二人で外で踊る。

     フレッド・アステアとルシル・ブレマーの陶酔させるようなダンス。豪華な背景。

     作曲はハリー・ウォレン、作詞はプロデューサーのアーサー・フリード。

    宝くじの話 “A Sweepstakes Ticket”

     平凡な夫婦が買った宝くじが当たったが、大家に家賃の代わりに渡してしまっていたという話。

     主婦を演ずるファニー・ブライスは、ブロードウェイのジーグフェルド・フォリーズにも出ていた人。(バーブラ・ストライサンド主演のミュージカル「ファニー・ガール」のもとになった人でもある)

     監督はロイ・デル・ルース。

    「愛」 “Love”

     レナ・ホーンの歌。

     監督はレミュエル・レアーズ(Lemuel Ayers)

    「テレビの初期」 “When Television Comes”

     コメディアンのレッド・スケルトンによるコメディー。

     テレビでジンの宣伝をするが、どんどん酔っぱらって…

    「ライムハウス・ブルース」 “Limehouse Blues”

     フレッド・アステアとルシル・ブレマー。

     霧の立ち込める薄暗いチャイナタウンを歩いていた黒い服の中国人(フレッド・アステア)は、チャイナドレスを着た若い女性に目を奪われるが…

     D.W.グリフィス監督の映画「散りゆく花」( “Broken Blossom” )の世界観。


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     フレッド・アステアが演ずる中国人は、「散り行く花」でリチャード・バーセルメスが演じた中国人青年のよう。

     その青年の夢がバレエで表現される。

     その背景美術は凝っている。―赤と青、「陰影」

     フィリップ・ブレイアム作曲、ダグラス・ファーバー作詞。

    「偉大な女性のインタビュー」のA Great Lady Has “An Interview”

     大物女優が話を聞きに来た多くの記者に答える。

     その大物女優をジュディ・ガーランドが演じている。

     次の出演作は、安全ピンを発明した「偉人」クレマトン夫人の映画であるということから、クレマトン夫人の歌、踊りになる。

     作曲ロジャー・イーデンス、作詞ケイ・トンプソン。(いずれもアーサー・フリードユニットの重要人物であり、ジュディ・ガーランドを育て支えた人)

     おかしなことをまじめにやっているというような歌。

     振り付けはチャールズ・ウォルターズ。

    “The Babbitt and the Bromide”

     フレッド・アステアとジーン・ケリー、二人のダンス。

     二人のスターの数少ない共演。

     ベンチでフレッド・アステアとジーン・ケリーが出くわして、言葉を交わした後、二人でタップダンス。

    「美」 “Beauty”

     キャスリン・グレイソンの歌。

     ハリー・ウォレン作曲、アーサー・フリード作詞。

     泡に囲まれた異様な世界とか、背景が凝っている。

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     日本語版としては、DVDが出ている。


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     英語版ではBlu-rayが出ている。


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  • フレッド・アステアの映画「踊らん哉」 ガーシュウィンの楽曲によるミュージカルコメディー

    フレッド・アステアの映画「踊らん哉」 ガーシュウィンの楽曲によるミュージカルコメディー

     フレッド・アステアの映画「踊らん哉」の原題は “Shall We Dance” 。

     ”Shall We Dance? ” ではない。

     RKO制作で、フレッド・アステアがジンジャー・ロジャーズを相手役とした映画の一つ。

     1937年4月に公開された。

     ジョージ・ガーシュウィン作曲、アイラ・ガーシュウィン作詞の楽曲が豊富で、名曲が多い。

     その楽曲に合わせたフレッド・アステア、ジンジャー・ロジャーズのダンスも創意に富んでいる。


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    映画「踊らん哉」のストーリー

     フレッド・アステアの演ずる人物が、ジンジャー・ロジャーズの演ずる人物に惚れ込んで近づこうとするが、

    ・誤解によってうまくいかない

    ・ダンスによって仲良くなる

     という流れはそれまでの映画と同様。

     今回は、フレッド・アステアは有名なバレエダンサーで、ジンジャー・ロジャーズは有名なタップダンサーになっている。

    豪華

     映画「踊らん哉」は、それまでのフレッド・アステア、ジンジャー・ロジャーズの映画(「トップ・ハット」など)と同様に、背景や衣装が豪華。

     高級ホテルの広いスイートルーム、豪華客船などが舞台となる。

     ジンジャー・ロジャーズの白と黒があざやかな衣装が印象に残る。―ジンジャー・ロジャーズの衣装を担当したのはアイリーン(Irene、Irene Lentz)。

    楽曲、ダンス

     映画「踊らん哉」には、ガーシュウィン兄弟の名曲が多い。

    「ビギナーズ・ラック」”(I’ve Got) Beginner’s Luck”

     船の上でフレッド・アステアがジンジャー・ロジャーズに出会えてうれしいという気持ちを歌う。

     その前に、フレッド・アステアがレコードをかけてタップダンスをやるところ―レコードが・・・というところでも使われている。


    (I’ve Got) Beginner’s Luck

    “Slap That Bass”

     船の中で黒人たちがジャムセッションをしているところに、フレッド・アステアが入って、一人でタップダンスをやる。

     船のエンジンの音とからませたタップダンス。


    Slap That Bass (Remastered 2020)

    「みんな笑った」 “They All Laughed”

     ホテルの屋上のディナーで、オーケストラを背にしてジンジャー・ロジャーズが歌う。

     そしてフレッド・アステアと二人でタップダンス。


    They All Laughed

    “Let’s Call the Whole Thing Off”

     ニューヨークのセントラルパークで “either” を、フレッド・アステアは「アイザー」と発音し、ジンジャー・ロジャーズは「イーザー」と発音する、ということからフレッド・アステア、ジンジャー・ロジャーズが交互に歌う。

     そして二人でローラースケートでタップダンス。


    Let’s Call the Whole Thing Off – The George Gershwin Songbook, Vol. 1 (Original Album)

    「誰も奪えぬこの想い」 “They Can’t Take Away from Me”

     マンハッタンへのフェリーで、夜の霧の中、フレッド・アステアがジンジャー・ロジャーズに想いを歌う。

     抒情的な歌。


    They Can’t Take That Away From Me

    “Shall We Dance”

     映画のタイトルとなっている楽曲「シャル・ウィ・ダンス」( “Shall We Dance” )。

     軽快な歌。

     映画の終盤で、フレッド・アステアが歌って、ジンジャー・ロジャーズのお面をつけた多くのダンサーと踊る。


    Shall We Dance – (Remastered)

    その他

     その他にも、バレエの音楽、豪華客船でフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズが犬を連れて歩く時の音楽など、ガーシュウィン兄弟の楽曲は多い。

    タップダンスとバレエ

     映画「踊らん哉」には、タップダンスとバレエの融合という主題があった。

     そのことについては↓

    コミカル

     映画「踊らん哉」は、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズの競演した作品の中でもコミカルなところが多いのではないかと思われる。

     終盤にジンジャー・ロジャーズのお面をつけた多くの女性が踊るようなことは、それまでなかったのではないか。

     それまでのフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズの映画によく出ていたエドワード・エヴェレット・ホートン、エリック・ブロアもこの映画では特にコミカルな方面で活躍しているように見える。

    映画「踊らん哉」

     Blu-ray。

     作品解説がついている。


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  • フレッド・アステアとバレエの因縁①RKO時代 「オン・ユア・トーズ」と「踊らん哉」

    フレッド・アステアとバレエの因縁①RKO時代 「オン・ユア・トーズ」と「踊らん哉」

     フレッド・アステアはその卓越したダンスによってアメリカのミュージカルのスターになった。

     1920年代にブロードウェイのスターとなり、1930年代にミュージカル映画のスターとなった。

     ところがそれから間もなく、ミュージカルに新たな方向が出てきた。―バレエが重要になっていったのである。

     そこでフレッド・アステアはバレエとどういう関係にあったのか?

     この問題は、フレッド・アステア個人の問題としても、ミュージカルの歴史の問題としても、興味深いものである。

    バレエ以前

     フレッド・アステアは、1930年代に映画デビューする前に、ブロードウェイのスターであった。

     1924年開幕の「レディー、ビー・グッド」(”Lady, Be Good” 、1924年)で、フレッド・アステアはガーシュウィン兄弟と組んで成功した。

     ミュージカルにジャズを使った軽快なサウンドを取り入れた作品で、それに合わせたフレッド・アステアと姉アデル・アステアのダンスが賞賛された。

     フレッド・アステアはその後映画に進出して、「ダンシング・レディ」(1933年)に出演。


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     同じ年の映画「空中レビュー時代」( “Flying Down to Rio” )でのジンジャー・ロジャーズとのダンスによってたちまちスターになった。


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     そしてフレッド・アステアがブロードウェイでやっていた「陽気な結婚」( “Gay Divorse” 、1932年)をもとにした映画「コンチネンタル」( “Gay Divorcee” 、1934年)でジンジャー・ロジャーズとともに主役として成功した。


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     フレッド・アステアがスターになったミュージカルは「軽快」という言葉で特徴づけることができる。

    ・軽快なストーリー

    ・軽快な音楽

    ・軽快なダンス

     フレッド・アステアがブロードウェイでスターになったのは、そういう1920年代風の「軽快」なミュージカルであった。

     フレッド・アステアが1930年代に出演した映画は、それまでのブロードウェイのミュージカルをもとにしていた。

     1935年に公開されたフレッド・アステアの代表作「トップ・ハット」も「軽快」なミュージカルであった。

     「トップ・ハット」はフレッド・アステアと、トップ・ハット、白の蝶ネクタイ、燕尾服という礼儀正しい姿を結びつけた。


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    「オン・ユア・トーズ」”On Your Toes”

    Photo by Sudan Ouyang on Unsplash

     映画に進出して成功したフレッド・アステアは、間もなくバレエと出会うことになる。

     その第一の出会いは、「オン・ユア・トーズ」(”On Your Toes”)と題するミュージカルである。

     映画スターとなったフレッド・アステアがその次に出演するミュージカル映画として、ブロードウェイでヒットを連発していたリチャード・ロジャーズ(作曲家)とロレンツ・ハート(作詞家)のコンビが作ったのが「オン・ユア・トーズ」であった。

     ところがフレッド・アステアは、それまでの映画でのトップハット、白のタイ、燕尾服の人物像に合わないということで、ことわった。

    バレエ

     「オン・ユア・トーズ」は、それまでの映画でのフレッド・アステアの人物像と違う人物像を出しただけではない。

     ミュージカルの新たな方向を切り開いた作品であった。

     バレエを重要な要素として取り入れたのである。

     劇中では、バレエとタップダンスの間の葛藤が描かれている。―バレエが物語の重要な要素になっているのである。

     そして終盤に「十番街の殺人」( “Slaughter on Tenth Avenue” )というドラマティックな音楽を伴うバレエがある。


    On Your Toes / Slaughter on Tenth Avenue

     振り付けは、ロシア出身のバレエ振付師ジョージ・バランチン。


    George Balanchine: The Ballet Maker (Eminent Lives) (English Edition)

     フレッド・アステアは、バレエを重要な要素として取り入れることによってミュージカルの新たな方向を切り開いたまさにその作品と出会っていたにもかかわらず、ことわってしまったのである。

    その後

     リチャード・ロジャーズとロレンツ・ハートは、フレッド・アステアのことわられたので、「オン・ユア・トーズ」を舞台用に作り直した。

     そうして1936年4月11日にブロードウェイで開幕した「オン・ユア・トーズ」は成功した。

     フレッド・アステアの代わりに主演をやったレイ・ボルジャ―はスターになった。

    「踊らん哉」 “Shall We Dance”

     「オン・ユア・トーズ」の成功を受けて、フレッド・アステアも「オン・ユア・トーズ」のようにバレエを取り入れたミュージカルをやることを考えたと言われている。

     1937年4月に公開されたフレッド・アステアの映画「踊らん哉」は、バレエを取り入れたミュージカル映画であった。

     遅ればせながら、「踊らん哉」でフレッド・アステアはバレエを取り入れたミュージカルをやることになったのである。

    「踊らん哉」の設定

     「踊らん哉」は、設定から考えると、バレエを重要な要素として取り入れたミュージカルのようである。

     バレエダンサーを演ずるフレッド・アステアが、タップダンサーを演ずるジンジャー・ロジャーズに惚れ込んで近づこうとする、という話になっている。

     主役がバレエダンサーであるということによって、バレエは物語の重要な要素となることができる。

     タップダンサーとの恋愛において、タップダンスとバレエを合わせることもできる。


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    「踊らん哉」におけるバレエの割合

     ところが「踊らん哉」においてバレエの占める割合はそれほど大きくない。

     第一に、フレッド・アステアの演ずるバレエダンサーは、映画のはじめからタップダンスを好んでやっていて、バレエはそれほどやらない。

    フレッド・アステアのソロ

     フレッド・アステアが一人で踊るのも、バレエではなくタップダンス。(冒頭の個室、”Slap That Face” )

    二人のダンス

     フレッド・アステアの演ずるバレエダンサーと、ジンジャー・ロジャーズの演ずるタップダンサーとが二人で踊るところでも、タップダンスが多く、バレエの割合は少ない。

    “They All Laughed”

     二人が初めて一緒に踊る “They All Laughed” では、フレッド・アステアのバレエから始まるが、バレエは間もなく終わって、二人はタップダンスを一緒に踊る。そして意気投合している。

    “Let’s Call the Whole Thing Off”

     その次に二人が一緒に踊る “Let’s Call the Whole Thing Off” は、ローラースケートによるタップダンス。

    “Shall We Dance”

     「踊らん哉」の終盤に、フレッド・アステアとハリエット・ホクター(Harriet Hoctor)と大勢のダンサーによるバレエがある。

     そのバレエの後に、楽曲 “Shall We Dance” に合わせたタップダンスがある。


    シャル・ウィ・ダンス(『踊らん哉』より)

     ここでは、たしかにバレエの分量は多くなっている。

     しかしやはりタップダンスに中心はある。

     前半のバレエと、後半のタップダンスとでは、明らかに後者の方が重要である。

     そのバレエにおいても、フレッド・アステアより、ストーリー上意味のないハリエット・ホクタ―の方が中心になっているように見える。

    映画「踊らん哉」の問題

     映画「踊らん哉」は、バレエを大きく取り入れたミュージカル映画の初期のものである。

     しかしそのバレエの入れ方には疑問がある。

     タップダンスとバレエとの融合が企てられているはずであるのに、バレエの割合が少ない。

     フレッド・アステアのバレエの割合が少ないことに問題はある。

     バレエダンサーを演ずるフレッド・アステアがバレエを担当し、タップダンサーを演ずるジンジャー・ロジャーズがタップダンスを担当して、両者がのダンスが合わさって恋愛が成就する、というかたちにすればいいと思われる。

     実際には、フレッド・アステアの演ずるバレエダンサーはそれほどバレエをやらず、タップダンスを好んでやっていて、ジンジャー・ロジャーズ演ずるタップダンサーはタップダンスをやっているので、全体としてタップダンスに偏って、バレエは少なくなっているのである。

     バレエを取り入れたミュージカル映画として問題があるのみならず、一本の映画として構造的に問題があるということもできる。

     タップダンスとバレエとの融合を主題としているにもかかわらず、バレエの割合が少なく、融合はできていない。

     もともとタップダンスとバレエとの融合などということを主題とせずに、タップダンサー同士の恋愛とした方がよかったのではないか?

     バレエの要素が、むしろマイナスになっているのではないか?

     「踊らん哉」は、全盛期のフレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズのコンビのためにジョージ・ガーシュウィンが作曲を担当したという豪華な映画であるが、物足りないところがある。

     たとえば「トップ・ハット」「有頂天時代」に比べると、物足りないところがある。

     それはバレエを取り入れながら、そのバレエが余計になっているからではないか?

     映画「踊らん哉」の収入は前作の半分以下であったと言われている。


    誰も奪えぬこの想い(『踊らん哉』より)

     映画「踊らん哉」について↓

    つづき

  • 映画「月とキャベツ」―山崎まさよし主演映画

    映画「月とキャベツ」―山崎まさよし主演映画

     映画「月とキャベツ」は1996年に公開された映画。

     1996年度の文化庁優秀映画作品賞を受賞している。

     山崎まさよし主演で、劇中で “One more time, One more chance” が歌われる。


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    映画「月とキャベツ」は

     映画「月とキャベツ」は、若い男女のひと夏のやりとりを描いた作品。

     主人公の花火(山崎まさよし)は、東京で人気のあるバンドのヴォーカルであったが、そのバンドが解散してから一年、新曲を作らず、都会から離れたところ(群馬)で古い家屋に一人で住んで畑でキャベツを作って暮らしていた。

     ある日、草原ばかりで人のいないところで花火が車を停めていると、土手で踊っている少女(真田麻垂美)がいた。

     そこで二人は知り合った。

    映画「月とキャベツ」の主題

     映画「月とキャベツ」は、新曲を作らなくなった主人公がどうするか、という話である。

     ヒバナという少女(真田麻垂美)とのやりとりがそのことに関わってくる。

      “One more time, One more chance” もそのことと関わっている。

    「月」と「キャベツ」とは?

     キャベツは、主人公の花火が育てる作物として出て来る。

     キャベツは、花火という人物を象徴している。

     それに対して月は、ヒバナという人物を象徴している。

     ヒバナという人物は、月によって象徴されるような人物ということができる。

    絵画

     映画「月とキャベツ」では、絵画的な表現に気が遣われている。

     地平線によって画面の上下が区切られて、下は草原、上は空という構図で、その草原の中で、白のノースリーブのワンピースの少女が細い手足を動かして踊っている、というのはこの映画の特徴的な映像である。

     特にヒバナという、白くほそい、透明感のある少女の表現に気が遣われている。

     まさに、夢のような少女。

    音楽

     映画「月とキャベツ」は、主人公がミュージシャンであって、新曲をどうするかという話である。

     そこでミュージシャンである山崎まさよしの歌が、物語の重要な要素となっている。

      “One more time, One more chance” も物語の重要な要素として出て来る。

     ただし “One more time, One more chance” は映画「月とキャベツ」のために作られたのではなく、映画「月とキャベツ」と関係なく作られていた。


    One more time, One more chance

     映画と関係なく作られていたにもかかわらず、 “One more time, One more chance” の歌詞は、映画「月とキャベツ」に合っている。

     踏み切りとか、桜木町とかは、映画「月とキャベツ」とは関係がない。

    「月とキャベツ」のDVD

     映画「月とキャベツ」はDVDが出ている。

     特典映像は、劇場予告と監督インタビュー。

     監督インタビューでは、篠原哲雄監督が、脚本を選んだいきさつ、出演者を選んだいきさつなどについて語っている。


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