カテゴリー: ミュージカル映画

  • 映画「イースター・パレード」の出演者・監督・脚本家の変更について

    映画「イースター・パレード」の出演者・監督・脚本家の変更について

     1948年に公開された映画「イースター・パレード」は大ヒットした作品であるが、製作の途中で出演者、スタッフが大きく変わった作品でもある。


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    1947年2月の発表

     1947年2月に発表された出演者は次の通りであった。

     ジュディ・ガーランド、ジーン・ケリー、フランク・シナトラ、キャスリン・グレイスン、レッド・スケルトン。

    はじめの脚本家

     「イースター・パレード」の脚本は、はじめフランシス・グッドリッチとアルバート・ハケットが書いていた。

    監督交代

     1947年9月18日、それまで5日監督をしていたヴィンセント・ミネリが監督をやめた。

     理由はジュディ・ガーランドとの関係にあった。

     ヴィンセント・ミネリは当時ジュディ・ガーランドと結婚していた。

     ヴィンセント・ミネリはそれまで映画「踊る海賊」(原題は “The Pirate” )の監督をしていたが、主役のジュディ・ガーランドが当時心身脆弱で、映画撮影がうまくいかず、結婚生活にも支障をきたすに至っていた。

     それゆえに、「イースター・パレード」でまたジュディ・ガーランドの映画の監督はすることは避けた方がいいということになったのである。

     ヴィンセント・ミネリの代わりにチャールズ・ウォルターズが監督になった。

    フレッド・アステア

     1947年9月にはリハーサルを始めていたが、10月13日にジーン・ケリーがリハーサルの間に遊んでいる時に足首を骨折した。

     そこでフレッド・アステアにジーン・ケリーの代役をたのむことになった。

     フレッド・アステアは、1946年の映画「ブルー・スカイ」で引退していたが、話を聞いて快諾した。

    シドニィ・シェルダン

     新たに監督になったチャールズ・ウォルターズは、映画の脚本がよくないと考えた。

     それまでの脚本では、ジーン・ケリーの演ずる人物は自己中心的な男であったが、それではよくないと考えたという。

     ジーン・ケリーはブロードウェイの「パル・ジョイ」でそういう役でスターになった人であり、映画デビュー作「フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル」でもそういう役であった。それゆえにこの映画でもそういう役とされたと言われている。

     そこでチャールズ・ウォルターズはシドニィ・シェルダンに書き直させることにした。

     シドニィ・シェルダンは後に小説家として有名になった人である。

     シドニィ・シェルダンによって、それまでシリアスであった脚本はコメディーになったと言われている。

    アン・ミラー

     映画「イースター・パレード」でアン・ミラーが演じている人物は、もともとシド・チャリースがやることになっていた。

     1947年9月にリハーサルを始めた時にもシド・チャリースがやることになっていたようである。

     ところがシド・チャリースは靱帯を損傷して、映画に出演できなくなってしまった。

     そこでオーディションが行われてアン・ミラーが代わりに選ばれた。

     アン・ミラーが選ばれたことも、映画がシリアスでなくコミカルになった原因と言われている。

    まとめ

     ジュディ・ガーランド、フランク・シナトラ、キャスリン・グレイスン、レッド・スケルトンが出演する映画と発表されていたのに、

     リハーサルが始まるころには、ジュディ・ガーランド、ジーン・ケリー、シド・チャリースが出演する映画になっていて、

     その主要人物のうちの2人が抜けて、ジュディ・ガーランド、フレッド・アステア、アン・ミラーを主要人物とする映画になったのである。

     ジュディ・ガーランド以外は全く違う人になっている。

     監督もヴィンセント・ミネリからチャールズ・ウォルターズにかわって、

     脚本もフランシス・グッドリッチとアルバート・ハケットからシドニィ・シェルダンにかわっている。

     はじめは自己中心的な男を主人公としたギスギスした三角関係などを描くシリアスな物語であったのが、出演者・スタッフがかわったことによって明るくコミカルな物語になったと言われている。

     そうして大ヒット作品となった。

    資料

     ジュディ・ガーランドについてのサイト。

    https://www.thejudyroom.com/ep/


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  • 映画「イースター・パレード」 フレッド・アステアとジュディ・ガーランドの唯一の共演

    映画「イースター・パレード」 フレッド・アステアとジュディ・ガーランドの唯一の共演

     映画「イースター・パレード」(原題は “Easter Parade” )は1948年に公開された映画。

     1940年代から1950年代にかけてMGMでアーサー・フリードのプロデュースによってミュージカル映画の傑作が生み出されていったが、「イースター・パレード」はその傑作のひとつ。

     ミュージカル映画の歌うスター、ジュディ・ガーランドと、ダンスのスター、フレッド・アステアが初めて共演して、傑作となった。(しかし最後の共演となった)

     「イースター・パレード」をはじめとするアーヴィング・バーリンの名曲の数々。

     ジュディ・ガーランドの歌、フレッド・アステアのダンス、それぞれひとりで魅せるところ、ふたりで歌、踊りを合わせて魅せるところ、見どころは多い。

     その上にアン・ミラーがフレッド・アステアと踊るところ、ひとりで踊るところも素晴らしい。


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    イースター

     イースター(英語ではEaster)は「復活祭」とも訳される。キリストの復活を祝う祝日。

     春分の日の後の最初の満月の日の次の日曜日、と決められている。

     年によって違うが、3月の終わりか4月の初め。

     冬の寒さがゆるんで、暖かい風が吹き始める。日差しが明るくなって人の心も浮き浮きしてくる。

     映画「イースター・パレード」もそういう感じで始まる。

     明るい街の中をフレッド・アステアが口笛を吹きながら浮き浮きした様子で歩いて行く。

    豪華

     フレッド・アステア(の演ずる人物)が女性の帽子を買いに店に入るところから映画は始まる。

     どうして帽子を買いに来たのかというと、イースター・パレードのためである。

     イースター・パレードとは、イースターの日に、ニューヨーク5番街の49番通りから57番通りの間、特にセント・パトリック大聖堂のあたりで、イースターバニーや、大きな花の飾りをつけた帽子をかぶる人達が歩くというもの。

     フレッド・アステアはパートナー(アン・ミラー)のイースター・パレードの帽子を買いに来たのである。

     そのためにフレッド・アステアは帽子屋に入る。そして様々な女性が帽子をかぶって見せる中から選ぶのであるが、これはいわばファッションショーである。豪華な店で華やかな若い女性たちが豪華な衣装を着てみせるファッションショー。

     ここだけでなく、「イースター・パレード」という映画は全体としてファッションショーのようである。後にファッション雑誌を映画でやってみせたりもしている。( “The Girl on the Magazine Cover” )

     ファッションショーということは「イースター・パレード」という映画の本質に関わることである。

     もともとニューヨーク5番街のイースター・パレードはファッションショーのようなものともいえる。

     ファッションショーといっても、気取って背伸びしているのではなく、落ち着いて堂々としている。色が鮮やかであるが、深みもある。

     フレッド・アステアと多くの作品で共演していたジンジャー・ロジャーズはこの映画をみて作り手に手紙を送って「真のアメリカの美」( A TRUE AMERICAN BEAUTY )と称賛したという。

    CONGRATULATIONS EASTER PARADE IS A TRUE AMERICAN BEAUTY

    MGM’s GREATEST MUSICALS The Arthur Freed Unit p.234

    M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

     ジンジャー・ロジャーズがどういう意味でそういったのか、必ずしも明らかではない。

     しかし当時のアメリカの美の粋を集めたものにちがいない。

     アメリカはそれぞれの時代にさまざまな印象を与える。その中でこの映画「イースター・パレード」が与えるアメリカの豪華な印象には、その後の時代にはない力強さがある。

     双葉十三郎は「第二次大戦後に輸入された最初の本格的カラー・ミュージカルの傑作」と語っている。(「ミュージカル洋画 ぼくの500本」、文春新書、30頁)

     戦後の日本でこの映画をみて、当時のアメリカの大きさを感じた気持ちは理解できる。

    「イースター・パレード」のみどころ

     この映画の第一の見どころは、アーヴィング・バーリンの数々の楽曲によるジュディ・ガーランド、フレッド・アステア、アン・ミラーの歌、踊りであるが、ジュディ・ガーランド、アン・ミラーのコミカルなところも面白い。

     もともとフレッド・アステアの役はジーン・ケリーがやることになっていた。アン・ミラーの役はシド・チャリースがやることになっていた。もともと実際にできた作品ほどコミカルではなかったと言われている。

     高級レストランで人が出たり入ったりして、結局何も飲食せずに帰ってしまうところなど面白いと思う。

     はじめは仕事においても人間関係においてもうまくいかなかった二人が、仕事においてうまくいくとともに、人間関係においてもうまくいって、しかしその間に問題が生じて、という話の流れは自然に盛り上がる。

      “Drum Crazy” のフレッド・アステアのドラムをつかったダンスには驚かされるが、ジーン・ケリーの振り付けのようにも見える。フレッド・アステアがジーン・ケリーの振り付けをそのままやっているのではないだろうか?

     ジュディ・ガーランドが酒場で歌う “I Want to Go Back to Michigan” は郷愁がいい感じ。

     フレッド・アステアとジュディ・ガーランドが組んでからのヴォードヴィルのメドレー、 “I Love a Piano” 、”Snooky Ookums” 、”Ragtime Violin” 、”When a Midnight Choo-Choo Leaves for Alabam’ ” の流れは、楽曲が次々と続いて盛り上がっていくところがよくできている。

     話のつながりとしても、フレッド・アステアが自宅でジュディ・ガーランドに”I Love a Piano” を歌わせて、その才能に気づいて二人で踊りをはじめて、そのまま舞台で歌い踊っているところになって、舞台での”Snooky Ookums” 、”Ragtime Violin” が続いて、公演前に”When a Midnight Choo-Choo Leaves for Alabam’ “をやって見せるところになって、という流れはよくできている。

     アン・ミラーが舞台で一人でタップダンスを見せる “Shaking’ the Blues Away” は圧巻。黒と黄色の衣装もあざやか。

      “It Only Happens When I Dance With You” の歌がそれぞれの場面で3人の気持ちを現わすために使われているところも面白い。

     そして2人がホームレスの恰好をして歌い踊る名作 “A Couple of Swells” 。

     それからジュディ・ガーランドが夜の酒場で歌う情感豊かな “Better Luck Next Time” 。

     そして最後に “Easter Parade” で盛り上がる。

    Warner Bros. Entertainment
    Easter Parade | Digital Trailer | Warner Bros. Entertainment

     この歌での性別の転換について↓

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  • ビング・クロスビーが「ホワイト・クリスマス」を歌った3本の映画

    ビング・クロスビーが「ホワイト・クリスマス」を歌った3本の映画

     アーヴィング・バーリンが作曲した楽曲「ホワイト・クリスマス」は、クリスマスの名曲として広く知られている。

     「ホワイト・クリスマス」はもともと映画「スイング・ホテル」のために作られた楽曲である。

     その後に映画「ブルー・スカイ」でも使われた。

     そして、ついには「ホワイト・クリスマス」という映画が作られるに至った。

     3本の映画は、いずれもそれぞれ公開された年に大ヒットしている。

     その3作品はどのように連続しているか? どのように変わっていったか?

    「ホワイト・クリスマス」3部作

     3本の映画は次の通り。

    「スイング・ホテル」

     1942年6月公開。

     原題は “Holiday Inn”


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    「ブルー・スカイ」

     1946年9月公開。

     原題は “Blue Skies”


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    「ホワイトクリスマス」

     1954年8月公開。

     原題は “White Christmas”


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    3作品の連続性

     3本の映画には連続性がある。

    ・いずれもパラマウントでビング・クロスビーを主演として企画されている。

    ・いずれもビング・クロスビーとフレッド・アステアの共演作品であるか、共演作品として企画された作品である。

     ただし話がつながっているのではない。役名も違う。

    ・いずれもアーヴィング・バーリンの楽曲によるミュージカル映画である。

    ・いずれも前の作品で歌われた歌を歌っている。―特に「ホワイト・クリスマス」を。

    「スイング・ホテル」

     1942年の映画「スイング・ホテル」は、ビング・クロスビーの主演作として企画されたが、フレッド・アステアが共演することになった。

     そこで、歌のスター、ビング・クロスビーとダンスのスター、フレッド・アステアが競演する映画になったのである。

     ビング・クロスビーは歌、フレッド・アステアはダンスを同等に披露しているが、話としてはビング・クロスビーが主演であって、ビング・クロスビーとヒロインとの関係が中心になっている。

    「ブルー・スカイ」

     1946年の映画「ブルー・スカイ」は、もともとビング・クロスビーとフレッド・アステアの共演作品として企画されたのではない。

     ビング・クロスビーの相手役は、はじめポール・ドレイパーとされていた。

     途中でポール・ドレイパーの代わりにフレッド・アステアが出演することになったのである。

     したがってはじめは、ビング・クロスビーの主演作品ということでは連続性があるが、ビング・クロスビーとフレッド・アステアの共演作品ということでは連続性はなかった。

     ところがフレッド・アステアが出演したことで、共演作品としても連続性ができた。

    「ホワイト・クリスマス」

     1954年の映画「ホワイト・クリスマス」は、ビング・クロスビーとフレッド・アステアの共演作品として企画された。

     2人の共演作品の3作目として連続性あるものとして企画されたわけである。

     実際には、フレッド・アステアは出演しなかった。

     したがって2人の共演作品としての連続性はなくなった。

     ただしビング・クロスビーが主演でもうひとりの男性芸人と組むという意味での連続性はある。

    楽曲「ホワイト・クリスマス」の位置

     3作品のいずれでも楽曲「ホワイト・クリスマス」が歌われている。

     ただしその扱われ方は変わっていっている。

    「スイング・ホテル」

     「スイング・ホテル」は、アーヴィング・バーリンのそれぞれの祝日の楽曲によるミュージカル映画であって、「ホワイト・クリスマス」はそのうちのひとつにすぎない。

     ただし「スイング・ホテル」の中で「ホワイト・クリスマス」は極めて重要なところで使われた楽曲でもある。

     「スイング・ホテル」の話の中心は男女の恋愛にあって、「ホワイト・クリスマス」はその恋愛のために使われている。


    Holiday Inn (Original Soundtrack Recording) [Explicit]

    「ブルー・スカイ」

     「ブルー・スカイ」では「ホワイト・クリスマス」は本筋とあまり関係ないが、それでも歌われている。

     終盤にビング・クロスビーの演ずる人物が、第二次世界大戦の間に米軍の兵士たちに歌を歌っていたという話の中で、他の歌とともに「ホワイト・クリスマス」を歌うところが描かれている。

     実際にビング・クロスビーがそういうかたちで「ホワイト・クリスマス」を歌っていたことを映画に取り入れたのであろう。

     「スイング・ホテル」の後に、「ホワイト・クリスマス」は兵士たちに歌う歌になっていったのである。


    War montage: Any Bonds Today / This Is The Army / White Christmas / God Bless America (from “Blue Skies”) [Explicit]

    「ホワイト・クリスマス」

     1954年には、「ホワイト・クリスマス」は、パラマウントがヴィスタ・ヴィジョンの第1作のタイトルとするほどになっていた。

     映画「ホワイト・クリスマス」では、楽曲「ホワイト・クリスマス」はみんなで歌う歌になっている。

     「ホワイト・クリスマス」は兵士たちに歌う歌になっている。

     そのことと関連して、映画「ホワイト・クリスマス」は、兵士たちに歌を歌うということが映画の重要な部分になっている。―映画「ホワイト・クリスマス」は、ビング・クロスビーが兵士たちに歌を歌う場面から始まって、兵士たちに歌を歌う場面で終わっている。

     「スイング・ホテル」でも「ブルー・スカイ」でも、ビング・クロスビーとヒロインとの関係が映画の中心になっていたが、「ホワイト・クリスマス」では、将軍との関係がそれより重要になっている。

     その他にも。

     映画「ホワイト・クリスマス」では、「ホワイト・クリスマス」、すなわち雪の降るクリスマスということが劇中で感動的なことであるように演出されている。

     「スイング・ホテル」では、終盤の「ホワイト・クリスマス」で降る雪は、劇中で人工的なものとされている。


    White Christmas (Original Soundtrack) [1954]

    戦争との関係

     3作は戦争―第二次世界大戦と関係するところがある。

    「スイング・ホテル」

     「スイング・ホテル」の企画はもともと第二次世界大戦と関係なかった。

     「スイング・ホテル」が製作されている時に米国が第二次世界大戦に参加したゆえに、映画の中に戦争と関係するところが加えられたようである。

     独立記念日にビング・クロスビーが歌う「自由の歌」(”Song of Freedom”)は米国の主張を歌うものであって、米軍の映像などが使われている。

    「ブルー・スカイ」

     「ブルー・スカイ」では、ビング・クロスビーの演ずる人物とフレッド・アステアの演ずる人物とは軍隊で一緒だったという設定になっている。

     ビング・クロスビーが「私の大尉が今私のために働いている」( “I’ve Got My Captain Working for Me Now” )という歌を歌っている。そのことをよろこばしいこととする歌である。コメディアン、ビリー・デウルフを大尉としてコミカルに歌っている。

     そして終盤、第二次世界大戦の時期になって、ビング・クロスビーの演ずる人物が兵士たちに「ホワイト・クリスマス」などを歌っていたということになっている。

    「ホワイト・クリスマス」

     映画「ホワイト・クリスマス」は、ビング・クロスビーとダニー・ケイが軍隊で歌を披露している場面から始まる。

     そして軍隊で理解ある存在であった将軍が、戦後に雑用をやっていることを悲しいこととして、そういう人を救うということが話の中心になっている。

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  • 映画「ホワイト・クリスマス」

    映画「ホワイト・クリスマス」

     映画「ホワイト・クリスマス」は、アーヴィング・バーリンの名曲「ホワイト・クリスマス」をもとにした映画。

     映画の中で「ホワイト・クリスマス」が歌われる。

     1954年に公開されて、その年最も売れた映画となった。


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    映画「ホワイト・クリスマス」のあらすじ

     戦争中、兵隊になっていたボブ(ビング・クロスビー)とフィル(ダニー・ケイ)は、仲間の軍人相手に歌を歌ったりしていた。

     戦争が終わって米国に帰って、2人は芸人として組んだ。そして成功していた。

     ある日、2人は戦友の妹で、姉妹2人でショーをやるベティ(ローズマリー・クルーニー)、ジュディ(ヴェラ・エレン)と会った。

     ひょんなことから、その男2人、女2人は、雪景色の有名なヴァーモントに行くことになった。

     ヴァーモントの宿では、戦争中、ボブとフィルの上司であった将軍(ディーン・ジャガー)が雑用をやっていた。

     そこで2人は、ベティ、ジュディ姉妹とともに、将軍のためにショーをやることを考えた。

    映画「ホワイト・クリスマス」の雰囲気

     コミカル。明るく楽しい感じ。

     パラマウントの最初のヴィスタ・ヴィジョンの映画でもあって力が入っている。

     2人の女優、ローズマリー・クルーニー、ヴェラ・エレンをはじめとして、衣装も背景もテクニカラーで色鮮やか。

     1950年代風の華やかな演出の歌、踊りが次々と出て来る。

     映画「ホワイト・クリスマス」はまた、センチメンタルでもある。―将軍に関するところなど。

    出演者

    ビング・クロスビーとダニー・ケイ

     映画「ホワイト・クリスマス」では、ビング・クロスビーとダニー・ケイが組んでいる。

     もともとビング・クロスビーと組む相手はフレッド・アステアと考えられていた。

     ビング・クロスビーとフレッド・アステアは、名曲「ホワイト・クリスマス」が初めて歌われた映画「スイング・ホテル」で共演して、その後に映画「ブルー・スカイ」でも共演していた。

     映画「ホワイト・クリスマス」は共演3作目として企画されたが、フレッド・アステアが出演をことわった。

     その次に考えられたドナルド・オコナ―も病気で出演できなくなった。

     そこでダニー・ケイが出演することになったのである。

     ビング・クロスビーとフレッド・アステアの共演は、ダンスのスターと歌のスターが悪友として張り合うかたちになっていた。

     映画「ホワイト・クリスマス」でダニー・ケイは、ビング・クロスビーのためにはたらく年下の友人という感じになっている。(そのことが自分のためになるということになっているが。)

     ビング・クロスビーは名曲「ホワイト・クリスマス」をはじめとして、色々な歌を歌っている。

     ダニー・ケイも歌ったり踊ったりしているが、フレッド・アステアほどは踊っていない。

    ローズマリー・クルーニーとヴェラ・エレン

     女性側では、ローズマリー・クルーニーは歌、ヴェラ・エレンはダンスと、それぞれの得意とするところを存分に披露している。

     ヴェラ・エレンのはじめのダンスではダニー・ケイが相手役をしているが、その後の2つのダンス「マンディ」、「コレオグラフィ」、「エイブラハム」では、ダニー・ケイではなく、ジョーン・ブラシアが相手役をしている。

     どちらもフレッド・アステアがやることになっていたのであろうか?

    「コレオグラフィ」のダンス

     「コレオグラフィ」と題された楽曲では、かつてはタップダンスが流行していたのに、現在では「コレオグラフィ」が流行している、と歌われている。

     フレッド・アステアが映画デビューした1930年代は、タップダンスの時代であった。映画「ホワイト・クリスマス」が撮られた1950年代には、タップダンスではなく「コレオグラフィ」が流行していた。―バレエをとりいれたものが主流になっていた。

     これをフレッド・アステアがやったらどうなっていたか、観たかったとも思う。

     実際には、ダニー・ケイがバレエをコミカルにやって、ヴェラ・エレンとジョーン・ブラシアがタップダンスをやっている。

     その後の映画「ウェスト・サイド物語」のジョージ・チャキリスが出ている。

    https://web.archive.org/web/20120203070157/http://www.tcm.com/this-month/article/148002%7C0/White-Christmas.html

    テレビ

     映画「ホワイト・クリスマス」ではテレビに出演するということが物語において重要なことになっている。

     それだけテレビが力をもってきていた時代であった。

     ヴィスタ・ヴィジョンもテレビに対抗して作られたものであった。

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     特典映像としてローズマリー・クルーニーのインタビューなどが入っている。

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  • 映画「ブルー・スカイ」 アステア・クロスビー共演2作目

    映画「ブルー・スカイ」 アステア・クロスビー共演2作目

     1946年に公開された映画「ブルー・スカイ」(原題は “Blue Skies” )は、ダンスのスター、フレッド・アステアと歌のスター、ビング・クロスビーが共演した映画。

     2人は1942に公開された映画「スイング・ホテル」で初めて共演して、「ブルー・スカイ」は2作目。

     楽曲は「スイング・ホテル」と同じくアーヴィング・バーリン。

     「スイング・ホテル」は白黒であったが、「ブルー・スカイ」はカラー。

     フレッド・アステアが引退作として力の入ったダンスを見せている。


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    映画「ブルー・スカイ」のあらすじ

     ジェド(フレッド・アステア)がラジオ番組で過去を語る。そして過去の映像が流れる。

     ダンサーのジェドは、マリー(ジョーン・コールフィールド)が好きで結婚をもとめていた。

     ところがマリーはジョニー(ビング・クロスビー)のことが好きになった。

     ジョニーもマリーのことが好きになった。

     しかしジョニーには付き合っている女性に言わずに自分の好きなことをやって、女性を苦しめるところがあった。

    映画「ブルー・スカイ」の雰囲気

     3人の関係は映画「スイング・ホテル」と似ているということもできる。(フレッド・アステアが好意を寄せる女性がビング・クロスビーに好意を寄せているという関係)

     「スイング・ホテル」ではその関係はコミカルに描かれていた。

     「ブルー・スカイ」ではその関係はそれより暗く描かれている。

     「ブルー・スカイ」では、主要人物3人が皆苦しんでいる。しかも結婚とか、時間の経過とか、その苦しみに重みがある。

     「ブルー・スカイ」はフレッド・アステアの引退作として作られていた。そのことと関係があるのであろうか?

    (実際には、フレッド・アステアは数年後に復帰している)

    映画「ブルー・スカイ」のみどころ

     映画「ブルー・スカイ」のみどころは、アーヴィング・バーリンの楽曲、ビング・クロスビーの歌、フレッド・アステアのダンス。

     ビング・クロスビーは「ブルー・スカイ」その他多くの歌を歌っている。

     前作「スイング・ホテル」で有名になった楽曲「ホワイト・クリスマス」を「ブルー・スカイ」でもビング・クロスビーは歌っている。

     ”a Couple of song and dance men” では、ビング・クロスビーとフレッド・アステアが2人で歌い、踊り、芸を見せている。

     フレッド・アステアは、引退作ということもあってか、特に力が入っている。

     はじめの “a pretty girl is like a melody” から華やかな衣装の多くの女性の間で、フレッド・アステアは軽やかに遊ぶようなタップダンスをみせている。

     終盤の “Heat Wave” (ヒート・ウェイブ)では、オルガ・サン・ホワンを相手に、背後の多くのダンサーとともに踊っている。

     特にすぐれているのが “Puttin’ on the Ritz” (プッティン・オン・ザ・リッツ)。

     トップ・ハット姿で、タップダンスも杖さばきもキレがあるが、背後の9人のフレッド・アステアとともに踊るところは、映像として面白い。

    狂乱の20年代

     フレッド・アステアが狂乱の20年代(Roaring Twenties)について語っている。

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  • 映画「やさしく愛して」―エルヴィス・プレスリーの映画デビュー作

    映画「やさしく愛して」―エルヴィス・プレスリーの映画デビュー作

     1956年に公開された映画「やさしく愛して」(原題は “Love Me Tender” )は、エルヴィス・プレスリーの映画デビュー作。

     エルヴィス・プレスリーは1956年1月に発売したシングル「ハートブレイク・ホテル」が大ヒットして有名になっていた。

     タイトルの「やさしく愛して」( “Love Me Tender” )は、エルヴィス・プレスリーが劇中で歌う楽曲から来ている。


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    映画「やさしく愛して」のあらすじ

     南北戦争が終わるところから話は始まる。

     南軍で戦っていた三人の兄弟は、南北戦争が終わって、母と末の弟の待つ家に帰ってきた。

     長兄は家の近くに住む女性と結婚するつもりであった。

     ところがその女性は、愛する男性が戦死したと聞いて、末の弟(エルヴィス・プレスリー)と結婚していた。

     長兄は自分の気持ちを隠して立ち去ろうとする。

     そこに連邦政府から派遣された者が現れて、長兄たちが南北戦争の時に北軍から奪った金のことを追及する、という話になる。

     女性をめぐる兄弟の話と、連邦政府の追及にどう対処するかという話が絡み合っていく。

    映画「やさしく愛して」におけるエルヴィス・プレスリー

     映画「やさしく愛して」はエルヴィス・プレスリーのデビュー作であるが、エルヴィス・プレスリーの映画というより、西部劇の中にエルヴィス・プレスリーが入っているという感じ。

     映画の主人公は、エルヴィスの演ずる末の弟ではなくて、長兄。(リチャード・イーガンが演じている)

     長兄が悲劇的な運命に対して、苦しみつつも理性的に対処していこうとするところを中心に描いている。

     それに対してエルヴィスの演ずる末の弟は、映画の終盤まで、周りで起こっていることを知らずに突き進んでいる。

     初めて出て来るのも映画が始まってから20分くらいたってからである。

     主人公として活躍することはない。

     それでもエルヴィス・プレスリーは熱演している。

     ポスターの絵ではエルヴィス・プレスリーが最も大きくなっている↓


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    映画「やさしく愛して」の楽曲

     映画「やさしく愛して」の見どころはエルヴィス・プレスリーが歌うところ。

    「やさしく愛して」( “Love Me Tender” )

     特に映画のタイトルにもなっている楽曲「やさしく愛して」( “Love Me Tender” )は大ヒットして、スタンダードとなった。(映画より前に大ヒットしていた)

     映画の中では、夜、家族の前でエルヴィスが弾き語りする。そして映画の終わりにもエルヴィスが弾き語りしている。

     「やさしく愛して」は、南北戦争中の1861年に発売された楽曲「オーラ・リー」(原題は “Aura Lee” )をもとにしてエルヴィス等が作り替えたもの。

    “We’re Gonna Move”

     夜、家族の前でエルヴィスが「やさしく愛して」を歌う前に歌うのが “We’re Gonna Move”

     軽快な楽曲にあわせたエルヴィスの下半身の動き。

    “Let Me” “Poor Boy”

     学校の屋外のステージでエルヴィスが2曲続けて弾き語り。

     ステージの前に若い女性が集まっていて、エルヴィスが下半身を動かすたびに声を上げる。


    監獄ロック&やさしく愛して

    その他

     映画「やさしく愛して」は白黒映画である。

     20世紀フォックスのシネマスコープという横に長い画面になっている。(シネマスコープが初めて導入されたのは1956年の「やさしく愛して」の3年前の1953年の映画「聖衣」)

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  • 「マイ・フェア・レディ」とオードリー・ヘプバーン

    「マイ・フェア・レディ」とオードリー・ヘプバーン

     1964年に公開された映画「マイ・フェア・レディ」では、オードリー・ヘプバーンが輝いている。

     しかし「マイ・フェア・レディ」という作品には、オードリー・ヘプバーンと合っていないところもある。


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    ブロードウェイの「マイ・フェア・レディ」

     オードリー・ヘプバーンは「ローマの休日」で「映画スター」になった。

     それからはオードリー・ヘプバーンを生かすような映画が作られた。

     その中で「マイ・フェア・レディ」は、オードリー・ヘプバーンを生かすように作られた映画ではなかった。

     映画「マイ・フェア・レディ」は、ブロードウェイで歴史的な成功を収めたミュージカル「マイ・フェア・レディ」をもとにして作られた。(もとはバーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」)

     ブロードウェイの「マイ・フェア・レディ」ではジュリー・アンドリュースがイライザを演じて評判が良かった。


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     「マイ・フェア・レディ」のイライザ役は、ジュリー・アンドリュースに合っていたのである。

     ところがジャック・ワーナーは、映画「マイ・フェア・レディ」が成功するためには、無名のジュリー・アンドリュースではなく、有名なオードリー・ヘプバーンが主役を演じなくてはならないと考えた。

     ジュリー・アンドリュースは映画「マイ・フェア・レディ」と同じ年に映画「メリー・ポピンズ」に出演して、映画女優として有名になるが、それまでは映画女優として有名でなかったのである。

     そうしてオードリー・ヘプバーンは映画「マイ・フェア・レディ」のイライザ役をやることになった。

    変身の物語としての「マイ・フェア・レディ」

    合っているところ

     「マイ・フェア・レディ」にはオードリー・ヘプバーンに合っているところがある。オードリーの素質が十二分に発揮されているところがある。

     変身するところである。

     「マイ・フェア・レディ」は、下層階級のイライザが、上流階級であるかのような輝かしい姿に変身する物語である。

     オードリー・ヘプバーンはそれまで変身する物語を多くやっている。―「ローマの休日」、「麗しのサブリナ」、「パリの恋人」など。

     オードリー・ヘプバーンは変身して輝くことである。それゆえに変身する物語が合うのである。

     映画「マイ・フェア・レディ」でも、イライザが上流階級に変身するところは輝いている。

    合っていないところ

     ところでイライザが変身する前は、それまでのオードリー・ヘプバーンの変身する映画と違うところがある。

     それまでの映画では、変身する前にも実は輝いていた。―「麗しのサブリナ」のパリに行く前、「パリの恋人」のファッションモデルでない時、いずれもそれはそれで輝いていた。

     「ローマの休日」では、もともと王女であったのが、庶民に変身して輝いている。

     それに対して「マイ・フェア・レディ」では、変身する前のイライザは、衣装も言葉づかいも汚いものとされている。

     変身する前のイライザは、オードリー・ヘプバーンがそれまでにやってきた役とは違う。オードリー・ヘプバーンの素質から離れていると思われる。

    オードリー・ヘプバーンの歌声

     映画「マイ・フェア・レディ」のイライザの歌は、大体においてマーニ・ニクソンが歌っている。

     オードリー・ヘプバーンの歌声は生かされず、そのかわりにマーニ・ニクソンの歌声が用いられているのである。

     このことも、映画「マイ・フェア・レディ」においてオードリー・ヘプバーンに合っていなかったところということができる。

     オードリー・ヘプバーンは特に高い音に関して技術的な問題をかかえていた。

     ただし映画「マイ・フェア・レディ」でマーニ・ニクソンが高い音をのびのびと歌っているところは、歌としてはすぐれているが、オードリー・ヘプバーンの声質とかけ離れたものになっている。

     たとえば「スペインの雨」( “The Rain in Spain” )は、物語の感動的なところで歌われるが、その歌声はオードリー・ヘプバーンの口から出ているように聞こえない。

     その後の「踊り明かそう」( “I Could Have Danced All Night” )も快く歌われているが、オードリー・ヘプバーンの声質からかけ離れている。

    まとめ

     評判のよかったジュリー・アンドリュースの代わりに映画「マイ・フェア・レディ」でイライザの役を演じたことによって、オードリー・ヘプバーンは批判された。

     映画「マイ・フェア・レディ」はアカデミー賞8部門を受賞したが、オードリー・ヘプバーンは主演女優賞にノミネートされず、ジュリー・アンドリュースがその年の主演女優賞を受賞した。

     ここで映画「マイ・フェア・レディ」におけるオードリー・ヘプバーンについてまとめる。

     オードリー・ヘプバーンの、「変身した後のイライザ」はよくできている。

     しかし「変身する前のイライザ」は、それほどではない。

     また、マーニ・ニクソンの歌はうまいが、オードリー・ヘプバーンと合わないところがある。


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  • 映画「マイ・フェア・レディ」

    映画「マイ・フェア・レディ」

     1964年に公開された映画「マイ・フェア・レディ」(原題は “My Fair Lady” )は、大ヒットして、その年のアカデミー賞8部門を受賞した。

     ミュージカル映画の中でも特に売れた作品の一つであって、日本にも大きな影響を与えた。


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    映画「マイ・フェア・レディ」の話の入り口

     英国の言語学者ヒギンズ(レックス・ハリソン)は、下層階級も教われば上流階級のように話すことができる、という考えをもっていた。

     そこでたまたま出会った花売りのイライザに、上流階級のよう話すことを教えることになった。

    映画「マイ・フェア・レディ」の見どころ

    ストーリー

     下層階級の女性が、訓練を受けて上流階級の女性のようになる、という話は面白い。

     女性を訓練する男性が根っからの女性嫌いであることによって、話の全体に緊迫感が生じている。

    巨額の製作費

     映画「マイ・フェア・レディ」には1700万ドルというそれまでにない巨額の製作費がかけられている。

     エドワード7世時代(1901~1910年)の衣装、美術がセシル・ビートンによって巨額の費用をかけて再現されている。

     競馬での白と黒の衣装は

     オードリー・ヘプバーンはそれまでの映画でも変身を演じてきたが、この映画では変身が特に豪華になっている。

     この映画には多くの有名な楽曲がある。

     ヒギンズ役のレックス・ハリソンの話すような歌もみどころ。

    映画「マイ・フェア・レディ」のもと

    バーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」

     映画「マイ・フェア・レディ」は、バーナード・ショーが1910年代に書いた戯曲「ピグマリオン」をもとにしている。

    1938年の映画「ピグマリオン」

     1938年に英国で映画「ピグマリオン」が作られて成功した。

     この映画によってバーナード・ショーはアカデミー賞脚本賞を受賞している。

     レスリー・ハワードはベネチア国際映画祭で主演男優賞を受賞している。


    ピグマリオン(字幕版)

    ブロードウェイの「マイ・フェア・レディ」

     1950年代にミュージカル化が企画された。

     しかしオスカー・ハマースタイン二世、リチャード・ロジャーズのコンビはできないということで断った。

     アラン・ジェイ・ラーナー、フレデリック・ロウのコンビも、1952年にはできないと考えた。(映画「ピグマリオン」の製作者ガブリエル・パスカルから話が来たという)

     ラーナー、ローのコンビは1954年から再度挑戦して、1956年に初演が行われるに至った。

     ミュージカル「マイ・フェア・レディ」はブロードウェイ史上記録的な成功を収めた。

    映画「マイ・フェア・レディ」

     1962年にワーナーブラザーズが「マイ・フェア・レディ」の映画化権を獲得したが、そのためにそれまでの最高額550万ドル余りを払った。

     ブロードウェイではジュリー・アンドリュースがイライザを演じていたが、映画版では当時まだ知名度の低かったジュリー・アンドリュースの代わりに、オードリー・ヘプバーンが起用された。

     レックス・ハリソンはそのまま。

     映画版の脚本は、ブロードウェイ版と同じアラン・ジェイ・ラーナー。映画版にはブロードウェイ版と同じものが多く取り入れられている。

     批判的考察↓


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  • 映画「サウンド・オブ・ミュージック」

    映画「サウンド・オブ・ミュージック」

     映画「サウンド・オブ・ミュージック」(原題は “The Sound Of Music” )。

     1965年に公開されると大ヒットして、アカデミー賞5部門受賞。

     日本でも影響は大きく、「ドレミの歌」など広く浸透している。


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    「サウンド・オブ・ミュージック」の話の入り口

     修道女の見習いであったマリア(ジュリー・アンドリュース)は、トラップ大佐(クリストファー・プラマー)の7人の子供の家庭教師を務めることになった。

     その豪邸では、前妻を亡くしたトラップ大佐が子供を厳しく育てていた。

     マリアは子供に歌を教えて、明るく自由にさせようと考えた。

     そこでマリアとトラップ大佐との間に対立が生ずる。

     一方で、ナチス・ドイツの手がオーストリアに伸びて来ていた。

     トラップ大佐はオーストリアの愛国者で、オーストリアがナチス・ドイツに従属することに反発していた…

    映画「サウンド・オブ・ミュージック」の見どころ

    Photo by Dimitry Anikin on Unsplash

    映画「サウンド・オブ・ミュージック」の背景

     映画「サウンド・オブ・ミュージック」は、屋内はLAの20世紀フォックスのスタジオで撮影されたが、屋外はザルツブルクとその周辺で撮影された。

     アルプスの景色、ザルツブルクの街、修道院、宮殿、教会などが映画の背景となって、映画を豊かにしている。

     アルプスの高原でジュリー・アンドリュースが歌うところがまず心に残る。

     「ドレミの歌」は、ザルツブルクの様々な美しいところを背景としている。

    https://www.salzburg.info/ja/salzburg/the-sound-of-music

    映画「サウンド・オブ・ミュージック」の楽曲

     この映画は楽曲がすぐれている。

     日本ですでに浸透しているものが多い。

     「ドレミの歌」、「エーデルワイス」などは子供の音楽教育で広く使われている。

     1993年から始まったJR東海のCM「そうだ 京都、行こう。」には「サウンド・オブ・ミュージック」の「 “My Favorite Things” 」が使われている。

    https://souda-kyoto.jp/campaign/index.html

     その中から2018年のWEB動画「勧修寺の春」。

    そうだ 京都、行こう。【公式】
    【WEB動画】そうだ 京都、行こう。Archive 2018年 勧修寺の春 2020/03/06

     2020年のTVCM「石庭編」。

    そうだ 京都、行こう。【公式】
    【TVCM】2020年 早春「石庭編」 そうだ 京都、行こう。 2019/12/11

    https://www.youtube.com/channel/UCP40QiZo7EjfltE3QkStkCw

    映画「サウンド・オブ・ミュージック」のストーリー、演出

    映画「ウェスト・サイド物語」と共通するところ

     映画「サウンド・オブ・ミュージック」の脚本を書いたのはアーネスト・レーマン( Ernest Lehman)。

     映画「ウェスト・サイド物語」と同じ。

     監督も映画「ウェスト・サイド物語」と同じロバート・ワイズ。

     ちなみに「サウンド・オブ・ミュージック」も「ウェスト・サイド物語」もヒロインの名はマリアで、それぞれマリアについての歌がある。

     はじめに空から撮った映像が出て来ることも同じ。

     ミュージカル映画は現実離れした甘いものになりがちであるが、映画「サウンド・オブ・ミュージック」は映画「ウェスト・サイド物語」と同じように、ストーリーも演出も重みがあり緊迫感があるものになっている。

     トラップ大佐(クリストファー・プラマー)の、厳格で複雑な性格はその代表的なもので、そのことによって映画全体が緊張感あるものになっている。

    家族

     映画「サウンド・オブ・ミュージック」は、それまでうまくいっていなかった家族が愛し合って一つになるに至るまでを、ミュージカルというかたちで音楽によって見事に表現している。

     それゆえに多くの家族に愛されている。

    マーニ・ニクソン

     映画「サウンド・オブ・ミュージック」でシスター・ソフィアを演じているマーニ・ニクソン(Marni Nixon)は、1950年代60年代の多くの有名なミュージカル映画の歌を吹き替えている人。

    ・「王様と私」(1956年)のデボラ・カーの歌。

    ・「ウェスト・サイド物語」(1961年)のナタリー・ウッドの歌。

    ・「マイ・フェア・レディ」(1964年)のオードリー・ヘプバーンの歌。

     映画「サウンド・オブ・ミュージック」で初めて映画に出演して歌うことができたのである。

    「サウンド・オブ・ミュージック」に関して

    ロジャーズ&ハマースタイン

     「サウンド・オブ・ミュージック」はもともとブロードウェイのミュージカルで、1959年に開幕して記録的な大ヒットになったものである。

     作曲リチャード・ロジャーズ、作詞オスカー・ハマースタイン2世のコンビの最後の作品。

     オスカー・ハマースタイン2世は1960年に亡くなった。「エーデルワイス」が最後の作品となった。


    「サウンド・オブ・ミュージック」オリジナル・サウンドトラック

    現実のトラップ・ファミリー

     マリア・フォン・トラップの自伝 “The Story of the Trapp Family Singers” がもとになっている。


    The Story of the Trapp Family Singers

     トラップ・ファミリーのCDも出ている。


    One Voice

    映画「サウンド・オブ・ミュージック」のBlu-ray

     Blu-rayの画像はきれい。

     出演者のコメント等がある。


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  • 映画「ウェスト・サイド物語」(1961年)

    映画「ウェスト・サイド物語」(1961年)

     1961年に公開された映画「ウェスト・サイド物語」(原題は “West Side Story” )はその年に大ヒットして、アカデミー賞10部門受賞した。

     アメリカのミュージカル映画の代表的な作品である。

     日本でも多くの人が影響を受けている。


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    「ウェスト・サイド物語」のあらすじ

     ニューヨークのウェスト・サイドでは、プエルトリコ系移民の若者のシャーク団と、ポーランドなどからの移民の若者のジェット団とが対立していた。

     その両者を集めたパーティーで、ジェット団の元リーダーのトニーと、シャーク団のリーダーの妹マリアは、出会ってすぐに互いに愛し合う仲になってしまった。

     ところがジェット団とシャーク団は喧嘩をすることが決まった・・・

    「ウェスト・サイド物語」の見どころ

    厳しい状況の中での恋愛

     「ウェスト・サイド物語」は、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」をその当時のアメリカの話にしたものである。

     「ロミオとジュリエット」と同じように、憎悪の連鎖の中で運命的に生じた恋愛が、その憎悪の連載に巻き込まれるという話になっている。

    緊迫感

     緊迫感のある話が続く。

     恋愛という緊迫感を緩和することも描かれるが、そういう恋愛がまた緊迫感のある状況に巻き込まれ、また緊迫感のある状況を作り出してしまう。

     この映画はそういう緊迫感の演出がすぐれている。

    若者文化

     映画「ウェスト・サイド物語」では、若者の間で相手を「チキン」とよんであざ笑って、そのことによって事態が悪い方向に進んでいる。

     「理由なき反抗」の流れにあるようである。


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    暗さ

     「ウェスト・サイド物語」は、暗いところが多い。

     恋愛は明るいことであるが、この映画では暗いことに取り巻かれ、巻き込まれている。

     憎悪の連鎖は、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」にもあるが、当時のアメリカの移民の間の対立、警察との対立など、シェークスピアにはないことが付け加えられている。

     それまでのアメリカのミュージカルは、現実離れした夢のような世界を描くものが多かった。そういうものと対立するものとなっている。

    楽曲、ダンス

     「ウェスト・サイド物語」には心に残る楽曲、ダンスが多い。

    「ウェスト・サイド物語」の作り手

     映画「ウェスト・サイド物語」は、ブロードウェイで1957年に開幕した舞台「ウェスト・サイド物語」(原題は “West Side Story” )をもとにしている。

     作曲はレナード・バーンスタイン。

     作詞はスティーヴン・ソンドハイム。

     演出・振り付けはジェローム・ロビンス。

     ジェローム・ロビンスは映画版でもロバート・ワイズとともに監督を担当している。

     作詞を担当したスティーブン・ソンドハイムは当時27歳の若手であった。2021年に亡くなった。(レナード・バーンスタインは1990年。ジェローム・ロビンスは1998年。ロバート・ワイズは2005年)

    https://www.jiji.com/jc/article?k=2021112700309&g=int

     映画「ウェスト・サイド物語」でアニタ役を演じたリタ・モレノは、プエルトリコ出身の女優。「雨に唄えば」にも出ていた。

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