月: 2022年3月

  • 伊藤詩織氏の事件をめぐるリツイート等に関して

    伊藤詩織氏の事件をめぐるリツイート等に関して

     伊藤詩織氏はツイッターの投稿のみならず、その投稿をリツイートした行為によっても名誉を傷つけられたとして訴訟を起こした。

    https://www.asahi.com/articles/ASPCZ62RMPCZUTIL01G.html

     伊藤詩織氏はまた杉田水脈議員が伊藤詩織氏を誹謗中傷するツイートにいいねを押したことで名誉を傷つけられて損害賠償を求める訴訟を起こした。

    https://www.tokyo-np.co.jp/article/167738

     そのことを受けて、伊藤詩織氏の事件をめぐるリツイート等にで気になるものがあったことを思い出した。

    小田嶋隆氏の引用ツイート

     2019年12月18日、伊藤詩織氏が損害賠償を求めた訴訟の判決で東京地裁は山口敬之氏に330万円の支払いを命じた。

     その日の夜、小田嶋隆氏は次のような引用ツイートをした。

     引用元は、判決後の山口敬之氏の記者会見の画像をきりとったものである。

     小田嶋隆氏はその画像から山口敬之氏の「理屈」を引き出している。

    本当に性被害に遭った女性は、笑顔や表情の豊かさを失っていて、人前にも出られないはずだ。

    してみると、事件後、テレビに出る勇気を示し、時には笑顔を見せることさえある詩織さんは、性被害に遭った女性とはいえない

     小田嶋隆氏は、山口敬之氏を「加害者」として、その「加害者」が上のようなことを言うことを問題としている。

     この小田嶋隆氏のツイートには多くのリツイート、いいねがついた。小田嶋隆氏自ら次のように語っている。

     おどろくべきことに、私の最初のRTは、現時点ですでに2.7万回以上RTされ、4.7万件以上の「いいね」を集めている。
     RTに付加したリプライのツイートも、6800回のRTと1.4万件の「いいね」を稼ぎ出している。

    「うそつき」をめぐる奇天烈な話

     ところで小田嶋隆氏の発言は奇妙ではないか?

     小田嶋隆氏が引用したツイートの画像のテロップをみると、山口敬之氏の言葉は「性被害にあった方」の言ったことを伝えるものである。

     小田嶋隆氏はその言葉から山口敬之氏の主張、考え方を引き出しているのであるが、その言葉は山口敬之氏の主張、考え方を現わすものではなく、山口敬之氏が話を聞いた「性被害にあった方」の主張、考え方を現わすものではないか?

    小田嶋隆氏は会見を見ていなかった

     小田嶋隆氏は上に挙げた引用ツイートについて「日経ビジネス電子版」の「「うそつき」をめぐる奇天烈な話」という記事で詳しく書いている。

    https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00050/

     その記事によると、小田嶋氏は上のツイートをした時にはまだ山口敬之氏の会見を見ていなかった。

    私は、会見の当日、外出していたため、ライブ配信の会見動画は見ていないのだが、そのハイライト部分は、テレビのニュース番組でも紹介されている。

    「うそつき」をめぐる奇天烈な話

     小田嶋隆氏は山口敬之氏の記者会見を見ずに、山口敬之氏の記者会見での発言を非難していたわけである。

     ただし記者会見を見ずに、小田嶋隆氏が引用したツイートの画像を見ても、山口敬之氏が「性被害にあった方」の言葉を伝えていることは明らかである。

    記者会見での山口敬之氏の発言

     山口敬之氏の会見での発言はどういうものであったか?

     当時YouTubeでみることができたが、いつしかみつからなくなってしまった。(外国特派員協会の会見とは別のもの)

     その記者会見は、山口敬之氏、山口敬之氏側の弁護士、小川榮太郎氏、日本平和学研究所の平よお氏がそれぞれ判決に対する反論を述べ、記者からの質問に答えるというものであった。

     山口敬之氏の問題とされた発言は、記者の次の質問を受けたものであった。

    今回の伊藤さんの主張、実名で顔出してという今回の伊藤さんのアクションをもって#MeTooという流れのひとつと(聞き取れず)、性被害に関して、女性が告発するっていう、この流れ、行動については、今回の裁判でも争いがあってなかなかコメントも難しいと思うんですけど、この社会的な流れに関しては、何かその思うところありますか?

    元TBS記者に賠償命令 山口氏控訴へ 会見ノーカット – YouTube

     この記者会見は山口敬之氏側が判決に反対する意見を主張するために開いたものであって、そのことに多くの時間が割かれている。

     その中で、上の質問はそれとは別の角度のものである。

     上の質問に対して、山口敬之氏はまず次のように答えている。

    本当の性被害を受けた方は、顔を出すか出さないかではなくて、それを訴えることは、僕は、当然の権利だし、それを受け止めるのは社会の義務だと思います。ただ、伊藤さんは、性犯罪被害者ではありません。

    元TBS記者に賠償命令 山口氏控訴へ 会見ノーカット – YouTube

     山口敬之氏は、「本当の性被害を受けた方」が「それを訴えること」は「当然の権利」であって、「それを受け止めるのは社会の義務」だと言っている。

     山口敬之氏は、「性被害に関して女性が告発する行動」に対してそのように主張しているのである。

     小田嶋隆氏は、山口敬之氏は「本当に性被害に遭った女性は、笑顔や表情の豊かさを失っていて、人前にも出られないはずだ。」、「性被害から立ち直るために歩みはじめている女性は、本物の性被害者ではない」と考えていると語った。

     しかし山口敬之氏は記者会見で上のように語っていたのである。

     山口敬之氏は、「性被害に関して女性が告発する行動」に反対したのではなく、伊藤詩織氏が性犯罪被害者であるということに反対したのである。

     小田嶋隆氏が問題とした発言はその後に出て来る。

    本当に性被害に遭った方は、伊藤さんが本当のことを言っていない……それから、たとえば、こういう記者会見の場で笑ったり、上を見たり、テレビに出演してあのような表情をすることは、絶対にないと証言してくださった。

    元TBS記者に賠償命令 山口氏控訴へ 会見ノーカット – YouTube

     この発言は、山口敬之氏は性犯罪被害者から聞いた話を伝えるという流れの中で出て来る。

     そして、伊藤詩織氏が性犯罪被害者ということで出て来たことによって「本当の性被害に遭った#Me Tooの方が、うそつきだと言われるといって、出られなくなっているのだとすれば、これは残念なことだ」と語っている。

     小田嶋隆氏は以上の山口敬之氏の答えのうち、上に引用した一部だけを見て、山口敬之氏はそのことを根拠として伊藤詩織氏は性被害者に遭った女性ではないと主張しているとみなしている。

     しかし山口敬之氏の一連の発言は、「性被害に関して女性が告発する行動」について思うところを問う質問に答えたものであって、伊藤詩織氏は性被害者ではないということを論証するものではない。

     山口敬之氏は、伊藤詩織氏は性被害者ではないと言う根拠を別のところで示している。山口敬之氏側は記者会見の多くの部分をそのことにあてて、様々な「客観的な証拠」を出している。

    会見を見た小田嶋氏

     小田嶋氏はその引用ツイートを投稿した後にその記者会見の動画を見たという。

    それにしても、山口氏はいったい何を考えてあんな言葉を発したのだろうと思って、彼の真意を確認するために、1時間半ほどの会見映像を一通り視聴してみた。

    「うそつき」をめぐる奇天烈な話

     動画を一通りみたことによって、山口敬之氏が性被害にあった方から聞いた言葉を伝えていたことも、記者会見のどういう部分で、どういう質問に対する答えとして言ったのかも、明らかになったと思われる。

     ところが小田嶋隆氏の文章は奇妙な展開を見せている。

    日本平和学研究所の平よお氏の発言に対して

     山口敬之氏の問題とされた発言は、山口敬之氏自身が語っているように、その前に日本平和学研究所の平よお氏が詳しく語ったことを、要約して語ったものである。

     小田嶋隆氏は会見の動画を一通りみて、そのことに気が付いた。

     そこでまず平よお氏の発言を書き起こして、批判を試みている。

     通読していただければおわかりになる通り、タイラ氏は、名前も属性も年齢も何一つ明らかにしていない「匿名の性被害者たちの言葉」をもとに、伊藤さんの証言を「うそ」だと決めつけている。
     しかも、その根拠は、
    「性被害に遭った女性は、人前に出られないはずだ」
    「堂々と海外のメディアに自分の性被害を語れるのはおかしい」
    といった調子の、およそファクトでもエビデンスでもない「観測」に過ぎない。

    「うそつき」をめぐる奇天烈な話

     この小田嶋隆氏の批判は当たっていない。

     平よお氏は『「匿名の性被害者たちの言葉」をもとに、伊藤さんの証言を「うそ」だと決めつけている』のではない。

     「伊藤さんはうそをついていると。みなさんそうおっしゃいました。」と小田嶋隆氏が書き起こしたところをみても明らかであるが、平氏は性被害者の言葉を伝えているのである。

     平氏の発言は、性被害者が伊藤詩織氏について語ったことを伝えるものである。そして性被害者に「力を貸していただきたいと願っています。」というものである。

     伊藤詩織氏の主張は「うそ」だと論証しようとするものではない。

     平氏が「伊藤さんに深く同情し、応援していた」性被害者が「実際に動いてしゃべる伊藤さんの姿を見て、強い違和感を覚えるようになった」というのを、

     小田嶋隆氏が「性被害に遭った女性は、人前に出られないはずだ」と言い換えているのはおかしくないか?

     平氏が話を聞いた性被害者は「性被害に遭った女性は、人前に出られないはずだ」と言っているのではなく、人前に出た時の具体的な姿に違和感を覚えたということではないか?

     平氏が「被害者たちからすると人前であんなに堂々と時に笑顔もまじえながら自分の被害を語る姿はとても信じられないということだった」というのを、

     小田嶋隆氏が「堂々と海外のメディアに自分の性被害を語れるのはおかしい」と言い換えているのも元と違うことになっていないか?

     「人前であんなに堂々と時に笑顔もまじえながら自分の被害を語る姿はとても信じられない」というのは、具体的な姿に対して違和感があるということではないか?

     ところが小田嶋氏はさらに進んで、その性被害者の言葉は「性被害から立ち直るために歩みはじめている女性は、本物の性被害者ではない」というものであるとし、「一度でも性被害を経験した女性は、告発はおろか、笑うことも上を向くこともできない」というものであるとして、「こんなべらぼうな話があるだろうか」と言っている。

     小田嶋隆氏が書き起こした平よお氏の発言をみれば明らかであるが、そこには「性被害から立ち直るために歩みはじめている女性は、本物の性被害者ではない」ということも「一度でも性被害を経験した女性は、告発はおろか、笑うことも上を向くこともできない」ということもない。

     小田嶋氏は「人間というのは、そこまでねじ曲がった考えに至ることがあるものなのだろうか。」というが、「そこまでねじ曲がった考え」は、性被害者の言葉にあるのではなく、小田嶋隆氏が作ったものである。

     小田嶋隆氏はこのように平氏が性被害者に聞いた話をねじ伏せている。

     小田嶋氏は「タイラ氏という女性が会見の場で持ち出した匿名の性犯罪被害者のみなさんの証言を、そのまま鵜呑みにすることはできない」というが、刑事で不起訴になっている伊藤詩織氏の主張に対しては何故に「そのまま鵜呑みにする」ことができるのか?

    山口敬之氏の発言

     小田嶋隆氏はその次に山口敬之氏の発言に取り組んでいる。

     山口敬之氏の発言は、平氏が語ったことを要約したものである。

     小田嶋隆氏は「山口氏の証言は、前段のタイラ氏の証言を核心部分をなぞるカタチのものだ。」と言っているが、その通りである。

     ところがそういう山口敬之氏の発言に対して小田嶋氏は次のように語っている。

     あえて感想を述べるなら、「論外」の二文字に尽きる。
     もっと強い言葉を使っても良いのだが、その必要はないと思っている。
     ご本人の言葉を聴いてもらえれば、私が付け加えるべきことは何もない。

    「うそつき」をめぐる奇天烈な話

     山口敬之氏がそこで語っていることは、平氏が語ったことと同じことである。それに対して小田嶋隆氏は同じことを言わなくては筋が通らないのではないか?

     山口敬之氏は性被害者から聞いた言葉を伝えているのに、それに対して「「論外」の二文字に尽きる」というのはおかしくないか?

     そもそも小田嶋隆氏は、山口敬之氏の言葉を歪曲して拡散したことについて、訂正しないのか?

     小田嶋隆氏はそこで次のように語っている。

     ともあれ、山口氏は、世間の空気を読みそこねた。
     原因はご自身が閉鎖環境の中で暮らしていたからだと思う。つまり、山口氏はあまりにも自分と似た考え方の仲間に囲まれて暮らしていたがために、自分の考えの異常さに気づくことができなかった。
     お仲間たちも、せっかく擁護のためにセッティングした記者会見の中で本人が持ち出す論陣の非常識さを事前にチェックすることができなかった。

    「うそつき」をめぐる奇天烈な話

     小田嶋氏はまた、山口敬之氏が性被害者から聞いたことを伝えたことを、山口敬之氏が「非常識」な「論陣」を持ち出したと語っている。

     これまで見て来たことからは理解できないことであるが、小田嶋隆氏は、山口敬之氏は「性犯罪被害者は、性犯罪加害者を告発できない」という「理屈」を主張したというはじめの引用ツイートに戻ってきたようである。

     私が憂慮しているのは、
     「性犯罪被害者は、性犯罪加害者を告発できない」
     という、性犯罪加害者にとってあまりにも魅力的に聞こえるこの背理を、異常だと思わないとんでもない人々のお仲間が、日本の中枢に座を占めていることだ。

    「うそつき」をめぐる奇天烈な話

     「性犯罪被害者は、性犯罪加害者を告発できない」ということを、小田嶋隆氏以外の誰が言っているのか?

     「閉鎖環境の中で暮らして」いるのは誰だろう?

     小田嶋氏の記事が「「うそつき」をめぐる奇天烈な話」と題されていることは考えさせられることである。

    AERAの記事

     AERAの「「性被害者は笑わない」発言は全性被害者への侮辱だ」という記事では小田嶋隆氏と同じようなことが言われている。

    記事の論調

     「元TBS記者の山口敬之氏が、ジャーナリストの伊藤詩織さんに向けた言葉は、 必死に前を向こうとする被害者たちに向けた刃だ。」というのは、山口敬之氏が性被害者から聞いたことを伝える言葉を、「必死に前を向こうとする被害者たち」を傷つける言葉とみなすものであって、小田嶋隆氏と同様である。

     記事では、山口敬之氏の発言を次のように伝えている。

    判決から約3時間半後、単独会見を開いた山口氏が言い放った言葉に、唖然とした。

    「本当の性被害者は、記者会見の場で笑ったりすることは絶対にない」

     性被害を受けた女性から聞いた話として、そう言った。伊藤さんが記者会見で笑ったことを指し、伊藤さんは被害者ではない、だから自分は違法なことをしていないという理屈だ。

    「性被害者は笑わない」発言は全性被害者への侮辱だ

     記事は「性被害を受けた女性から聞いた話として、そう言った。」と伝えている。

     そうだとすると、AERAの記者は、山口敬之氏が「性被害を受けた女性から聞いた話」に「唖然とした」ことになるが、それでいいのか?

     「本当の性被害者は、記者会見の場で笑ったりすることは絶対にない」というところをもとになった発言と比べてみよう。↓

    本当に性被害に遭った方は、伊藤さんが本当のことを言っていない……それから、たとえば、こういう記者会見の場で笑ったり、上を見たり、テレビに出演してあのような表情をすることは、絶対にないと証言してくださった。

    元TBS記者に賠償命令 山口氏控訴へ 会見ノーカット – YouTube

     山口敬之氏は伊藤詩織氏の具体的な表情について言っているのに、AERAの記事では「笑ったりすることは絶対にない」ということになっている。

     山口敬之氏は性被害者から聞いたことを伝えているのに、山口敬之氏が自分の考えを言ったような印象を与えようとしていないか?

     「伊藤さんが記者会見で笑ったことを指し、伊藤さんは被害者ではない、だから自分は違法なことをしていないという理屈だ。」というところは、

     小田嶋隆氏が引用ツイートで「事件後、テレビに出る勇気を示し、時には笑顔を見せることさえある詩織さんは、性被害に遭った女性とはいえない」という理屈なのか?」と言ったことと似ている。

     いずれも山口敬之氏はそのことを根拠として伊藤詩織氏は性被害者ではない、自分は違法なことをしていないと主張したことにしている。

     山口敬之氏側は会見で様々な客観的な証拠を出しているが、なぜかそのことを無視している。

    一般社団法人「Spring」代表理事の山本潤さん

     記事は次に、刑法性犯罪規定の改正に取り組む一般社団法人「Spring」代表理事の山本潤さんは「二次加害、セカンドレイプだと思いました」と語ったと伝えている。

     性被害に遭った人は笑ったりしないのではないか、と誤解する人がいるのはわかるという。
     だが、そういう被害者の苦しく複雑な感情を踏みにじり、「性被害者は笑ったりしない」と言葉にして攻撃するのは、セカンドレイプに等しいと感じている。
     「私たちすべての被害当事者に対する侮辱です」(山本さん)

    「性被害者は笑わない」発言は全性被害者への侮辱だ

     色々と気になるところがある。

     まず山口敬之氏は「性被害に遭った人は笑ったりしない」と言っていない。性被害者が伊藤詩織氏の具体的な姿について違和感を覚えたと伝えたのである。

     山口敬之氏が性被害者から聞いた言葉を伝えているのであるから、「誤解」とか「セカンドレイプに等しい」とかいうことは、山口敬之氏が話を聞いた性被害者に対して言うことになるのではないか?

    伊藤さんの代理人を務める西廣陽子弁護士

     最も気になるのは「伊藤詩織氏の代理人を務める西廣陽子弁護士」の言葉である。

     伊藤さんの代理人を務める西廣陽子弁護士は、山口氏の発言の背景には「嫌なら必死に抵抗したはずだ」など、ゆがんだ「強姦神話」があると指摘する。
    「このように言われることで、性犯罪被害者は傷つき、二次被害に遭ってきました。しかし、『本当の性犯罪被害者は笑ったりしない』のでしょうか。性犯罪に遭っても、自分の生活を送らなければならないし、自分の人生を前向きに生きていくことが認められて当然。このような型にはめる考えを捨て去る時代に入ったのではないでしょうか」

    AERA 「性被害者は笑わない」発言は全性被害者への侮辱だ

     西廣弁護士も山口敬之氏が『本当の性犯罪被害者は笑ったりしない』と言ったとしてそのことを問題としている。

     山口敬之氏は性犯罪に遭った人に「自分の人生を前向きに生きていくこと」を認めない考え方をもっていると西廣弁護士は考えている。

     これまで見てきたように、山口敬之氏はそのようなことを言っていない。

     そもそも山口敬之氏はその言葉によって性被害者に聞いたことを伝えていたのである。

     西廣弁護士は伊藤詩織氏の代理人として、山口敬之氏の会見における発言を正確に把握しなくてはならないのではないか?

     西廣弁護士は山口敬之氏の発言が「裁判で彼に優位には働かないだろう」とも語っている。

     山口氏は控訴を表明したが、彼の発言が、裁判で彼に優位には働かないだろうと西廣弁護士。
    「もし影響すれば、このような考え方、偏見に裁判所がお墨付きを与えることになる。性被害者に対する、理解のない時代に後戻りしてしまいます」

    AERA 「性被害者は笑わない」発言は全性被害者への侮辱だ

     西廣弁護士は山口敬之氏の発言を実際のものと違うものとして、「偏見」であり、「性被害者に対する、理解のない時代」のものであるとして、それに対して「裁判所がお墨付きを与え」ないように言っている。

    まとめ

     山口敬之氏が性被害者から聞いたことを伝えた言葉が山口敬之氏のおかしな考えを示すものとして拡散されたことは、奇妙なことであった。

     その言葉が出て来た記者会見では、山口敬之氏側が判決に反対する客観的な証拠を出しているところが多くの時間を占めていたのに、そのことは無視されて、一部の発言ばかりが歪曲されたかたちで拡散されたことも、奇妙なことであった。

     伊藤詩織氏が「性被害に関して女性が告発する行動」を代表するものとされていることに鍵があるようである。

     山口敬之氏の問題とされた発言は、「性被害に関して女性が告発する行動」に反対するものとして拡散された。

     「性被害に関して女性が告発する行動」をとる伊藤詩織氏と、それに反対する悪玉・山口敬之氏とが対立しているという図式は、わかりやすい図式である。

     しかし山口敬之氏は「性被害に関して女性が告発する行動」に反対したのではなく、伊藤詩織氏が性被害者であるということに反対したのである。

     山口敬之氏と伊藤詩織氏との間には、伊藤詩織氏が性犯罪被害者であるかどうかということで対立がある。

     ところが伊藤詩織氏が「性被害に関して女性が告発する行動」を代表するものだと考える人々にとって、伊藤詩織氏はすでに性犯罪被害者と決まっている。

     山口敬之氏側が性被害者の言葉を聞いてきたことは、伊藤詩織氏と「性被害に関して女性が告発する行動」との関係を考える上で重要なことであった。

     ところが伊藤詩織氏が「性被害に関して女性が告発する行動」を代表するものだと考える人々は、意識してか、無意識にか、山口敬之氏側が聞いたという性被害者の言葉を無視あるいは軽視した。

  • 台湾の2021年度の調査で最も親しくすべき国一位は日本

    台湾の2021年度の調査で最も親しくすべき国一位は日本

     日本台湾交流協会は2022年3月22日、台湾の人に対して行った「2021年度対日世論調査」の結果を発表した。

     調査によると、「今後台湾が最も親しくすべき国」で最も多かったのは日本であった。

    調査

     調査は、台湾全土の20歳から80歳の男女のうち1068人をサンプルとして行われた。

     期間は、2022年1月5日から1月22日まで。

     設問および回答の対象は2021年全体。

    設問と回答

     その中からいくつかとりあげてみよう。

    最も好きな国

     「台湾を除き、あなたの最も好きな国(地域)はどこですか」という問いに対しては、日本が最も多くて他を引き離している。

     日本は60%。その次の中国は5%。

     中国が2位であることは注目すべきことであるが、2021年には2018年より減っている。(8%→5%)

     「日本に親しみを感じますか」という問いに対しては、「親しみを感じる」という答えが多く、2022年には2018年より増えている。(70%→77%)

     「親しみを感じない」という答えは少なく、3年の間にさらに減っている。(8%→6%)

    最も親しくすべき国

     「今後台湾が最も親しくすべき国(地域)はどこですか」という問いに対しては、日本が最も多い。その上に、2021年には2018年より多くなっている。(37%→46%)

     2018年には中国がその次であったが、2021年には減っている。(31%→15%)

     米国は2018年には中国の次であったが、2021年には中国を超えている。(15%→24%)

     2018年から2021年までの情勢を反映しているのであろうか?

     それだけの変化があったということであろうか?

    日台関係

    現状

     「現在の日台関係をどう思いますか」という問いに対しては、良いと答えた人が多いが、2018年には53%であったのが、2021年には70%に増えている。

     悪いと答えた人は少ないが、2018年には4%であったのが2021年には2%にまで減っている。

     以前と比べて良くなったと答えた人は65%と多く、悪くなったと答えた人は2%と少ない。

    良くなった原因

     良くなった原因として、次のようなことが上位になっている。

     一、「日本からのワクチン供与」(27%)

     二、「助け合う関係(東日本大震災では台湾が日本を、コロナでは日本が台湾を助けた)」(20%)

     三、「相互の民間関係が良好で、旅行や往来も頻繁」(16%)

     四、「日本は何度も台湾への支持を公に発言」(13%)

     五、「東日本大震災の際の台湾による義援金」(10%)

     六、「国際情勢に鑑み、双方はより緊密に協力する必要がある」(10%)

    将来

     日本と台湾の関係は将来どうなるかという問いに対しては、発展するという答えが多いが、2021年には2018年より多くなっている。(59%→64%)

     悪化すると答えた人は少ないが、減っている。(4%→3%)

    おわりに

     この調査がどのくらい台湾の実情を反映しているかわからないが、色々と考えるべきことがあるようである。

     調査結果はこちら

  • 【考察】映画「バンド・ワゴン」とフレッド・アステアの関係

    【考察】映画「バンド・ワゴン」とフレッド・アステアの関係

     1953年に公開された映画「バンド・ワゴン」は、米国のミュージカル映画の名作とされている。

     映画の中で歌われた「ザッツ・エンタテインメント」は、1974年にMGMの創立50周年を記念してMGMミュージカルの名場面を集めた映画のタイトルにもなった。

     フレッド・アステアの映画としても傑作と言われている。

     映画「バンド・ワゴン」はフレッド・アステアにとってどういう意味をもっていたのか?


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    落ちぶれた主人公

    mobinovycによるPixabayからの画像

     映画「バンド・ワゴン」でフレッド・アステアは、かつて映画スターとして人気があったが、今では人気がなくなってニューヨークの舞台での再起をはかる人物を演じている。

    ミュージカル映画の類型

     ミュージカル映画では、挫折した人物が舞台での再起を図るというストーリーは、必ずしも珍しいものではなかった。

    フレッド・アステアとの関係

     問題はフレッド・アステアがそういう役をやっていることである。

    ひっかかるところ

     フレッド・アステアがかつて映画スターであったが、今では人気がなくなった人物を演ずることは、映画の中のことにすぎない。ミュージカル・コメディ映画の中のことにすぎない。

     しかし映画の中だけのことであっても、フレッド・アステアはそういう人物として表現される。そのことはフレッド・アステアに重ねられる。

     フレッド・アステアは当時、映画「バンド・ワゴン」のようにMGMが力を入れた映画の主演をやるような立場にあった。映画「バンド・ワゴン」の主人公のように、映画をやめてニューヨークの舞台で再起を図るような立場にはなかった。

     それにもかかわらず、映画「バンド・ワゴン」の主人公のような人物を演じたのは何故か?

     フレッド・アステアはそれまでに多くのミュージカル映画で主演をやっているが、映画「バンド・ワゴン」のように、かつて人気があったのに今では人気がなくなっているという人物を演じたことはなかった。

     フレッド・アステアがそれまでそういう役を演じなかったことには意味があるのではないか?

     映画「バンド・ワゴン」においてそういう役を演じていることには意味があるのではないか?

    トップハットと杖

     映画「バンド・ワゴン」における主人公の落ちぶれたさまの描き方も気になる。

     映画のはじめ、タイトルバックにトップハットと杖と手袋が置かれている。

     話が始まると、そのトップハット、杖、手袋は競売にかけられている。

     フレッド・アステアの演ずる人物がかつて人気のあった映画でつかっていたトップハットや杖を売りに出していたのである。

     ところが値を下げてもそのトップハットや杖は売れない。

     フレッド・アステアの演ずる人物が、かつては人気ある映画スターであったが、今では人気がなくなっている、ということを表現しているわけである。

     気になるのは、トップハットや杖はフレッド・アステア自身を象徴するものでもあるということである。

     フレッド・アステアは代表作「トップ・ハット」(1935年)をはじめとして、トップハットに杖という姿をその代表的な姿としていた。

     一度目の引退作「ブルー・スカイ」(1946年)での最後のダンス “Puttin’ on the Ritz” もトップハットに杖という姿であった。

     映画「バンド・ワゴン」の主人公の過去のトップハットや杖が売れないほど人気がなくなっているということは、フレッド・アステア自身のトップハットや杖にも重なってしまうのである。

     フレッド・アステアのトップハットや杖、そして過去の映画まで人気がなくなったと言われているような気持ちになる。

     コメディとしての表現にちがいないが、気楽に笑うことができない。突き刺さるところがある。

    シド・チャリースとのやりとり

     映画の中でシド・チャリースの演ずる人気バレリーナが、フレッド・アステアの演ずる人物のことを、一昔前の人物のように言うところがある。

     映画の中のことにすぎず、コメディとして作られたことにすぎないが、現実のシド・チャリースとフレッド・アステアに重なることでもある。

    脚本家の言葉

     映画「バンド・ワゴン」の脚本を担当したベティ・コムデンとアドルフ・グリーンは “By Myself” という楽曲によって映画「バンド・ワゴン」の話を考え、フレッド・アステアが演ずるキャラクターとその話を考えたと語っている。

    Out of the mass of songs Edens extricated “By Myself,” a little-known song from Between the Devil. This triggered off the springboard for Comden and Green’s story and served to introduce Astaire’s character.

    MGM’s Greatest Musicals p.400

    M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

     ”By Myself” という楽曲は、映画「バンド・ワゴン」の中で、フレッド・アステアが駅からひとりで出ていく時に歌っているが、ひとりになって自分に立ち返って生きようという歌である。

     映画「バンド・ワゴン」はそういう歌をもとにして、人気のなくなったかつての映画スターが再起を図る話になったわけである。

     しかしフレッド・アステアがそういう人物を演ずることは、フレッド・アステアと重ねられることになる。

     ベティ・コムデンとアドルフ・グリーンもそのことに気を遣っていたという。

     コムデンによると、映画「バンド・ワゴン」の主人公のキャラクターは、フレッド・アステア自身の人生における位置をもとにしたところが多かった。

     フレッド・アステア自身は、映画の主人公のように落ちぶれてはいなかったが、キャリアの途中にあって引退あるいは新たな場をもとめるところにあった、とコムデンは語る。

    “We were very nervous in the beginning about Fred’s [Astaire] character,” says Comden, “because it was based in so many ways on his actual position in life. It was not a man down, out and broke, but a man midway in his career, a man thinking of possibly retiring, or continuing to look for fresh fields.” When they timidly presented the character they had drawn to Astaire, he loved it immediately.

    MGM’s Greatest Musicals p.400

    M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

     フレッド・アステアはそういう役を演ずることをすぐに喜んで受け入れたという。

     フレッド・アステアの自伝にはそのことは書かれていない。

     ベティ・コムデンとアドルフ・グリーンにとって、フレッド・アステアは子供の時の崇拝の的であった。

    ~he was someone we had worshipped when we were kids. He was the essence of everything one wanted to be.

    Fred Astaire His Friends Talk 1988 p.16

    Fred Astaire: His Friends Talk

     2人が映画「バンド・ワゴン」の主人公をあのようなキャラクターにしたことは、軽い気持ちでなされたとは思われない。フレッド・アステアに重ねられることを十分に考えた上でつくったに違いない。

     2人は “By Myself” という楽曲をもとにして脚本を作ったが、その脚本はフレッド・アステアの当時の状況と関わると考えて作ったのである。

     2人が子供の時にフレッド・アステアを崇拝していた、というように、その間にある時が問題となっていた。

    映画「バンド・ワゴン」の主題

     映画「バンド・ワゴン」は、フレッド・アステアの当時の問題を主題としているということができる。

     具体的には次の通り。

    年齢の問題

     フレッド・アステアは恋愛をダンスで表現する映画スターであった。

     それゆえに年を取ると、映画スターであり続けることが困難になる。

     ジンジャー・ロジャーズとやり続けるのでは、2人とも年を取って流行から離れてしまう。

     若い女優とやると、流行に乗ることができるが、その女優とフレッド・アステアとの年齢差が問題となる。

     映画「バンド・ワゴン」でフレッド・アステアの相手役をやったシド・チャリースは、フレッド・アステアと年が離れていた。(フレッド・アステアは1899年生まれ、シド・チャリースは1921年生まれ)

     映画の中でも、シド・チャリースの演ずる人物は、子どもの時にフレッド・アステアの演ずる人物の映画を観ていたと語っている。

    ダンスの流行の変化

     フレッド・アステアの年齢の問題は、ミュージカルにおけるダンスの流行の変化の問題と関わっている。

     フレッド・アステアは、1920年代にはブロードウェイにおいて、1930年代には映画界において、タップダンスを中心とするダンスによってスターになった。

     1920年代から1930年代にかけて、タップダンスが流行の中心であって、フレッド・アステアはその代表的人物であった。

     ところが1930年代後半からブロードウェイでバレエの占める割合が大きくなっていった。映画でも次第にバレエの占める割合が大きくなっていった。

     ジーン・ケリーはその流れを代表する人物である。―ジーン・ケリーはタップダンスの名手でもあったが、バレエも積極的にとりいれていった。

     シド・チャリースもその流れを代表する人物である。―タップダンスではなくバレエを得意とする。

     フレッド・アステアもその流れの中でバレエをとりいれることをもとめられていた。

     映画「バンド・ワゴン」でフレッド・アステアがバレエを得意とするシド・チャリースを相手役としていることもその流れによることである。

     フレッド・アステアはジーン・ケリーほど積極的にバレエをとりいれなかった。

     映画の中でフレッド・アステアの演ずる人物が、シド・チャリースの演ずるバレリーナと組むことに難色を示すところ、そして組んでうまくいかないところは、フレッド・アステアがバレエを積極的にとりいれなかったことと関係がある。

     フレッド・アステアとシド・チャリースの年齢差は、その流行の差をあらわしているということもできる。

    「ベル・オブ・ニューヨーク」の挫折

     映画「バンド・ワゴン」でフレッド・アステアが落ちぶれた人物を演じていることは、フレッド・アステアがその前に主演した映画「ベル・オブ・ニューヨーク」が失敗したことと関係があるのではないかと思われる。

     フレッド・アステアは「ベル・オブ・ニューヨーク」に対する思い入れを語っているが、興行的に失敗した。

     映画「バンド・ワゴン」はその「ベル・オブ・ニューヨーク」の次に作られている。

     作り手がそのことを意図していたか、明らかでないが、「ベル・オブ・ニューヨーク」が失敗した次に挫折した主人公が再起を図る「バンド・ワゴン」が作られている。

     フレッド・アステアがその役をすぐによろこんで受け入れたのは、そのためではないか?

    映画「バンド・ワゴン」の問題の解決

     映画「バンド・ワゴン」では、人気のなくなった主人公が再起しようとするところが描かれているのであるが、それまでの道のりは複雑になっている。

    一、主人公はそれまでのやり方でうまくいかず、新たなやり方をしようとNYに来た。

    二、演出家は主人公にそれまでのやり方ではなく、時代に合った新たなやり方をさせようとする。―それは「現代版ファウスト」であり、バレリーナとの共演である。

     ところがその演出家による舞台は失敗する。

    三、そこで主人公は、自分に立ち返るとともに新たなことにも挑戦する。

     そうして成功する。

     時代に合った新たな演出によって成功したのではなく、また自分に立ち返ったことによって成功したのである。

     自分に立ち返るということは “By Myself” という楽曲と関係があると思われる。

     そして主人公が立ち返ったのは “That’s Entertainment” の精神である。

     具体的には次の通り。

    バレエとの関係

     NYに来て主人公はまず「現代版ファウスト」のためにバレエダンサーと組むことをもとめられる。

     その「現代版ファウスト」が失敗して、主人公は自分に立ち返ることにするが、シド・チャリースの演ずるバレエダンサーも共に行くという。

     フレッド・アステアからすると、自分に合うかたちでバレエダンサーと組むということである。

     シド・チャリースからすると、そういうフレッド・アステアとともにやるダンスを選ぶということである。

     そうして結実したのが「ガール・ハント」バレエである。

     シド・チャリースの振付師でもあり恋人でもあるというポールという人物は、「現代版ファウスト」のような舞台におけるバレエには力を入れるが、フレッド・アステアとともにやるダンスは認めないという人物である。

     シド・チャリースの演ずるバレリーナは、振付師であり恋人でもあるポールと別れて、フレッド・アステアの演ずる人物についていくことを選んだ。

    恋愛

     映画「バンド・ワゴン」では、フレッド・アステアの演ずる人物とシド・チャリースの演ずる人物との関係が重要なものとなっている。

     ふたりははじめ対立していたが、中ほどの “Dancing in the Dark” のダンスで深い仲になる。

     「現代版ファウスト」が失敗した後には、シド・チャリースの演ずる人物は、振付師でもあり恋人でもあるポールと別れて、フレッド・アステアの演ずる人物についていく。

     しかし映画「バンド・ワゴン」は、ふたりが結ばれて終わるのではない。

     映画「バンド・ワゴン」は、共演者が皆で “That’s Entertainment” を歌って終わる。

     ”That’s Entertainment” ということは、ふたりが結ばれることより重要なことになっているようである。

     そのことは年齢の問題とも関係があるのではないかと思われる。

    トップハットと杖

     映画「バンド・ワゴン」の主人公は映画のはじめに、トップハットと杖を競売に出していたが、自分に立ち返った後ではまたトップハットと杖の姿にもなっている。

     ジャック・ブキャナンとともにトップハット姿で杖をもって “I Guess I’ll Have to Change My Plan” を歌っている。

    おわりに

     映画「バンド・ワゴン」は、当時フレッド・アステアが直面していた年齢の問題とか流行の問題とかを主題とした映画である。

     そういう意味において映画「バンド・ワゴン」は、Blu-rayの特典映像でベティ・コムデンが語っているように大人の映画である。

     映画「バンド・ワゴン」には明るいところ楽しいところも多いが、その底には暗いところ寂しいところがある。


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  • 映画「バンドワゴン」 フレッド・アステアの50年代の名作

    映画「バンドワゴン」 フレッド・アステアの50年代の名作

     1953年に公開された映画「バンドワゴン」(原題は “Band Wagon” )は、フレッド・アステアの1950年代の名作。

     アメリカのミュージカル映画の歴史の中でもすぐれた作品と言われている。


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    映画「バンド・ワゴン」のあらすじ

     トニー・ハンター(フレッド・アステア)は、かつて人気のある映画スターであったが、今では人気がなくなって、ニューヨークの舞台で再起することを考えていた。

     トニーのファンの脚本家夫婦(オスカー・レヴァント、ナネット・ファブレイ)が書いたミュージカル・コメディーの脚本をトニーは気に入ったが、演出を担当する有名な演出家ジェフリー・コルドヴァ(ジャック・ブキャナン)は、それをシリアスなドラマに変えていった。

     トニーの相手役として有名なバレエダンサー、ガブリエル・ジェラール(シド・チャリース)が選ばれたが、トニーとガブリエルとの間はぎくしゃくしている。

     舞台の準備で様々なトラブルが起こる。

     舞台も失敗する。

     そこで今度は自分たちのやり方でやりなおそうということで、様々な土地で舞台をやる。

    映画「バンド・ワゴン」のみどころ

     映画「バンド・ワゴン」は、まずゴタゴタがあって、そのゴタゴタを超えてすぐれた公演が出来た、というかたちになっている。

    ストーリー

     みどころはまず、そのゴタゴタからすぐれた公演に至るストーリーにある。

     「雨に唄えば」の脚本家、ベティ・コムデンとアドルフ・グリーンによる脚本は、コミカルなところもあり、シリアスなところもあり、起伏があって、エンタテインメント賛歌に至る。

     ちなみに劇中の脚本家夫婦(オスカー・レヴァントとナネット・ファブレイが演じている)はベティ・コムデンとアドルフ・グリーン自身がモデル。

    パフォーマンス

     映画「バンド・ワゴン」では、フレッド・アステアをはじめとした出演者によるパフォーマンスが賞賛されている。

     まずフレッド・アステアが歌う “By Myself” は哀愁がある。

     フレッド・アステア、ジャック・ブキャナン、オスカー・レヴァント、ナネット・ファブレイの4人で歌う「ザッツ・エンタテインメント」(”That’s Entertainment”)は、この映画の精神を歌うものである。

     1974年にMGMのミュージカル映画の名場面を集めた映画が作られた時に、この歌のタイトルがその映画のタイトルとされた。この歌は、MGMのミュージカル映画の精神を歌うものとされたのである。

     フレッド・アステアの映画では女性と「ロマンティック」なダンスを踊るところがみどころであるが、この映画ではシド・チャリースと夜のセントラルパークの人気のないところで “Dancing in the Dark” を踊るところは陶酔させる。

     フレッド・アステア、ジャック・ブキャナン、ナネット・ファブレイの3人が3つ子の赤ん坊の恰好をして “Triplets” を歌うところはコミカルなところ。

     映画「バンド・ワゴン」の最大のみどころはフレッド・アステアとシド・チャリースとその他大勢でやる「ガール・ハント」バレエ(The Girl Hunt (ballet))。

     当時流行していたミッキー・スピレーンの探偵小説のパロディ。

     音楽も、背景も、衣装も、色彩も、演出も、マイケル・キッドによる振り付けもスタイリッシュ。

     フレッド・アステアはマイケル・キッドの振り付けによって新たな魅力を出している。

     シド・チャリースの妖艶な衣装、身のこなし、特に手の動きによる魔性の女の表現は映画史に残る。

     フレッド・アステアのナレーションはアラン・J・ラーナー(「マイ・フェア・レディ」の脚本家・作詞家)が書いている。

    映画「バンド・ワゴン」の考察

     映画「バンド・ワゴン」とフレッド・アステアの関係についての考察↓

    「バンド・ワゴン」

     映画「バンド・ワゴン」は、1931年のブロードウェイのレヴュー「バンド・ワゴン」をもとにしている。

     1931年のブロードウェイのレヴュー「バンド・ワゴン」は、1953年の映画と同じく作曲はアーサー・シュワルツ、作詞はハワード・ディーツが担当していて、映画デビューする前のブロードウェイのスター時代のフレッド・アステアが姉のアデルとともに出演していた。

     映画でも使われている “I Love Louisa” 、”New Sun in the Sky” 、”Dancing in the Dark” などの楽曲は1931年のレヴューでも歌われていたものである。

     映画ではその他にシュワルツ・ディーツの楽曲も使われている。

     ”That’s Entertainment” はこの映画のために作られたもの。

    Blu-ray

     Blu-rayには、ナネット・ファブレイ、シド・チャリースなどが映画撮影時のことを語った特典映像などがある。


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  • 映画「イースター・パレード」の出演者・監督・脚本家の変更について

    映画「イースター・パレード」の出演者・監督・脚本家の変更について

     1948年に公開された映画「イースター・パレード」は大ヒットした作品であるが、製作の途中で出演者、スタッフが大きく変わった作品でもある。


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    1947年2月の発表

     1947年2月に発表された出演者は次の通りであった。

     ジュディ・ガーランド、ジーン・ケリー、フランク・シナトラ、キャスリン・グレイスン、レッド・スケルトン。

    はじめの脚本家

     「イースター・パレード」の脚本は、はじめフランシス・グッドリッチとアルバート・ハケットが書いていた。

    監督交代

     1947年9月18日、それまで5日監督をしていたヴィンセント・ミネリが監督をやめた。

     理由はジュディ・ガーランドとの関係にあった。

     ヴィンセント・ミネリは当時ジュディ・ガーランドと結婚していた。

     ヴィンセント・ミネリはそれまで映画「踊る海賊」(原題は “The Pirate” )の監督をしていたが、主役のジュディ・ガーランドが当時心身脆弱で、映画撮影がうまくいかず、結婚生活にも支障をきたすに至っていた。

     それゆえに、「イースター・パレード」でまたジュディ・ガーランドの映画の監督はすることは避けた方がいいということになったのである。

     ヴィンセント・ミネリの代わりにチャールズ・ウォルターズが監督になった。

    フレッド・アステア

     1947年9月にはリハーサルを始めていたが、10月13日にジーン・ケリーがリハーサルの間に遊んでいる時に足首を骨折した。

     そこでフレッド・アステアにジーン・ケリーの代役をたのむことになった。

     フレッド・アステアは、1946年の映画「ブルー・スカイ」で引退していたが、話を聞いて快諾した。

    シドニィ・シェルダン

     新たに監督になったチャールズ・ウォルターズは、映画の脚本がよくないと考えた。

     それまでの脚本では、ジーン・ケリーの演ずる人物は自己中心的な男であったが、それではよくないと考えたという。

     ジーン・ケリーはブロードウェイの「パル・ジョイ」でそういう役でスターになった人であり、映画デビュー作「フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル」でもそういう役であった。それゆえにこの映画でもそういう役とされたと言われている。

     そこでチャールズ・ウォルターズはシドニィ・シェルダンに書き直させることにした。

     シドニィ・シェルダンは後に小説家として有名になった人である。

     シドニィ・シェルダンによって、それまでシリアスであった脚本はコメディーになったと言われている。

    アン・ミラー

     映画「イースター・パレード」でアン・ミラーが演じている人物は、もともとシド・チャリースがやることになっていた。

     1947年9月にリハーサルを始めた時にもシド・チャリースがやることになっていたようである。

     ところがシド・チャリースは靱帯を損傷して、映画に出演できなくなってしまった。

     そこでオーディションが行われてアン・ミラーが代わりに選ばれた。

     アン・ミラーが選ばれたことも、映画がシリアスでなくコミカルになった原因と言われている。

    まとめ

     ジュディ・ガーランド、フランク・シナトラ、キャスリン・グレイスン、レッド・スケルトンが出演する映画と発表されていたのに、

     リハーサルが始まるころには、ジュディ・ガーランド、ジーン・ケリー、シド・チャリースが出演する映画になっていて、

     その主要人物のうちの2人が抜けて、ジュディ・ガーランド、フレッド・アステア、アン・ミラーを主要人物とする映画になったのである。

     ジュディ・ガーランド以外は全く違う人になっている。

     監督もヴィンセント・ミネリからチャールズ・ウォルターズにかわって、

     脚本もフランシス・グッドリッチとアルバート・ハケットからシドニィ・シェルダンにかわっている。

     はじめは自己中心的な男を主人公としたギスギスした三角関係などを描くシリアスな物語であったのが、出演者・スタッフがかわったことによって明るくコミカルな物語になったと言われている。

     そうして大ヒット作品となった。

    資料

     ジュディ・ガーランドについてのサイト。

    https://www.thejudyroom.com/ep/


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  • 映画「イースター・パレード」 フレッド・アステアとジュディ・ガーランドの唯一の共演

    映画「イースター・パレード」 フレッド・アステアとジュディ・ガーランドの唯一の共演

     映画「イースター・パレード」(原題は “Easter Parade” )は1948年に公開された映画。

     1940年代から1950年代にかけてMGMでアーサー・フリードのプロデュースによってミュージカル映画の傑作が生み出されていったが、「イースター・パレード」はその傑作のひとつ。

     ミュージカル映画の歌うスター、ジュディ・ガーランドと、ダンスのスター、フレッド・アステアが初めて共演して、傑作となった。(しかし最後の共演となった)

     「イースター・パレード」をはじめとするアーヴィング・バーリンの名曲の数々。

     ジュディ・ガーランドの歌、フレッド・アステアのダンス、それぞれひとりで魅せるところ、ふたりで歌、踊りを合わせて魅せるところ、見どころは多い。

     その上にアン・ミラーがフレッド・アステアと踊るところ、ひとりで踊るところも素晴らしい。


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    イースター

     イースター(英語ではEaster)は「復活祭」とも訳される。キリストの復活を祝う祝日。

     春分の日の後の最初の満月の日の次の日曜日、と決められている。

     年によって違うが、3月の終わりか4月の初め。

     冬の寒さがゆるんで、暖かい風が吹き始める。日差しが明るくなって人の心も浮き浮きしてくる。

     映画「イースター・パレード」もそういう感じで始まる。

     明るい街の中をフレッド・アステアが口笛を吹きながら浮き浮きした様子で歩いて行く。

    豪華

     フレッド・アステア(の演ずる人物)が女性の帽子を買いに店に入るところから映画は始まる。

     どうして帽子を買いに来たのかというと、イースター・パレードのためである。

     イースター・パレードとは、イースターの日に、ニューヨーク5番街の49番通りから57番通りの間、特にセント・パトリック大聖堂のあたりで、イースターバニーや、大きな花の飾りをつけた帽子をかぶる人達が歩くというもの。

     フレッド・アステアはパートナー(アン・ミラー)のイースター・パレードの帽子を買いに来たのである。

     そのためにフレッド・アステアは帽子屋に入る。そして様々な女性が帽子をかぶって見せる中から選ぶのであるが、これはいわばファッションショーである。豪華な店で華やかな若い女性たちが豪華な衣装を着てみせるファッションショー。

     ここだけでなく、「イースター・パレード」という映画は全体としてファッションショーのようである。後にファッション雑誌を映画でやってみせたりもしている。( “The Girl on the Magazine Cover” )

     ファッションショーということは「イースター・パレード」という映画の本質に関わることである。

     もともとニューヨーク5番街のイースター・パレードはファッションショーのようなものともいえる。

     ファッションショーといっても、気取って背伸びしているのではなく、落ち着いて堂々としている。色が鮮やかであるが、深みもある。

     フレッド・アステアと多くの作品で共演していたジンジャー・ロジャーズはこの映画をみて作り手に手紙を送って「真のアメリカの美」( A TRUE AMERICAN BEAUTY )と称賛したという。

    CONGRATULATIONS EASTER PARADE IS A TRUE AMERICAN BEAUTY

    MGM’s GREATEST MUSICALS The Arthur Freed Unit p.234

    M-G-M’s Greatest Musicals: The Arthur Freed Unit

     ジンジャー・ロジャーズがどういう意味でそういったのか、必ずしも明らかではない。

     しかし当時のアメリカの美の粋を集めたものにちがいない。

     アメリカはそれぞれの時代にさまざまな印象を与える。その中でこの映画「イースター・パレード」が与えるアメリカの豪華な印象には、その後の時代にはない力強さがある。

     双葉十三郎は「第二次大戦後に輸入された最初の本格的カラー・ミュージカルの傑作」と語っている。(「ミュージカル洋画 ぼくの500本」、文春新書、30頁)

     戦後の日本でこの映画をみて、当時のアメリカの大きさを感じた気持ちは理解できる。

    「イースター・パレード」のみどころ

     この映画の第一の見どころは、アーヴィング・バーリンの数々の楽曲によるジュディ・ガーランド、フレッド・アステア、アン・ミラーの歌、踊りであるが、ジュディ・ガーランド、アン・ミラーのコミカルなところも面白い。

     もともとフレッド・アステアの役はジーン・ケリーがやることになっていた。アン・ミラーの役はシド・チャリースがやることになっていた。もともと実際にできた作品ほどコミカルではなかったと言われている。

     高級レストランで人が出たり入ったりして、結局何も飲食せずに帰ってしまうところなど面白いと思う。

     はじめは仕事においても人間関係においてもうまくいかなかった二人が、仕事においてうまくいくとともに、人間関係においてもうまくいって、しかしその間に問題が生じて、という話の流れは自然に盛り上がる。

      “Drum Crazy” のフレッド・アステアのドラムをつかったダンスには驚かされるが、ジーン・ケリーの振り付けのようにも見える。フレッド・アステアがジーン・ケリーの振り付けをそのままやっているのではないだろうか?

     ジュディ・ガーランドが酒場で歌う “I Want to Go Back to Michigan” は郷愁がいい感じ。

     フレッド・アステアとジュディ・ガーランドが組んでからのヴォードヴィルのメドレー、 “I Love a Piano” 、”Snooky Ookums” 、”Ragtime Violin” 、”When a Midnight Choo-Choo Leaves for Alabam’ ” の流れは、楽曲が次々と続いて盛り上がっていくところがよくできている。

     話のつながりとしても、フレッド・アステアが自宅でジュディ・ガーランドに”I Love a Piano” を歌わせて、その才能に気づいて二人で踊りをはじめて、そのまま舞台で歌い踊っているところになって、舞台での”Snooky Ookums” 、”Ragtime Violin” が続いて、公演前に”When a Midnight Choo-Choo Leaves for Alabam’ “をやって見せるところになって、という流れはよくできている。

     アン・ミラーが舞台で一人でタップダンスを見せる “Shaking’ the Blues Away” は圧巻。黒と黄色の衣装もあざやか。

      “It Only Happens When I Dance With You” の歌がそれぞれの場面で3人の気持ちを現わすために使われているところも面白い。

     そして2人がホームレスの恰好をして歌い踊る名作 “A Couple of Swells” 。

     それからジュディ・ガーランドが夜の酒場で歌う情感豊かな “Better Luck Next Time” 。

     そして最後に “Easter Parade” で盛り上がる。

    Warner Bros. Entertainment
    Easter Parade | Digital Trailer | Warner Bros. Entertainment

     この歌での性別の転換について↓

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  • ビング・クロスビーが「ホワイト・クリスマス」を歌った3本の映画

    ビング・クロスビーが「ホワイト・クリスマス」を歌った3本の映画

     アーヴィング・バーリンが作曲した楽曲「ホワイト・クリスマス」は、クリスマスの名曲として広く知られている。

     「ホワイト・クリスマス」はもともと映画「スイング・ホテル」のために作られた楽曲である。

     その後に映画「ブルー・スカイ」でも使われた。

     そして、ついには「ホワイト・クリスマス」という映画が作られるに至った。

     3本の映画は、いずれもそれぞれ公開された年に大ヒットしている。

     その3作品はどのように連続しているか? どのように変わっていったか?

    「ホワイト・クリスマス」3部作

     3本の映画は次の通り。

    「スイング・ホテル」

     1942年6月公開。

     原題は “Holiday Inn”


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    「ブルー・スカイ」

     1946年9月公開。

     原題は “Blue Skies”


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    「ホワイトクリスマス」

     1954年8月公開。

     原題は “White Christmas”


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    3作品の連続性

     3本の映画には連続性がある。

    ・いずれもパラマウントでビング・クロスビーを主演として企画されている。

    ・いずれもビング・クロスビーとフレッド・アステアの共演作品であるか、共演作品として企画された作品である。

     ただし話がつながっているのではない。役名も違う。

    ・いずれもアーヴィング・バーリンの楽曲によるミュージカル映画である。

    ・いずれも前の作品で歌われた歌を歌っている。―特に「ホワイト・クリスマス」を。

    「スイング・ホテル」

     1942年の映画「スイング・ホテル」は、ビング・クロスビーの主演作として企画されたが、フレッド・アステアが共演することになった。

     そこで、歌のスター、ビング・クロスビーとダンスのスター、フレッド・アステアが競演する映画になったのである。

     ビング・クロスビーは歌、フレッド・アステアはダンスを同等に披露しているが、話としてはビング・クロスビーが主演であって、ビング・クロスビーとヒロインとの関係が中心になっている。

    「ブルー・スカイ」

     1946年の映画「ブルー・スカイ」は、もともとビング・クロスビーとフレッド・アステアの共演作品として企画されたのではない。

     ビング・クロスビーの相手役は、はじめポール・ドレイパーとされていた。

     途中でポール・ドレイパーの代わりにフレッド・アステアが出演することになったのである。

     したがってはじめは、ビング・クロスビーの主演作品ということでは連続性があるが、ビング・クロスビーとフレッド・アステアの共演作品ということでは連続性はなかった。

     ところがフレッド・アステアが出演したことで、共演作品としても連続性ができた。

    「ホワイト・クリスマス」

     1954年の映画「ホワイト・クリスマス」は、ビング・クロスビーとフレッド・アステアの共演作品として企画された。

     2人の共演作品の3作目として連続性あるものとして企画されたわけである。

     実際には、フレッド・アステアは出演しなかった。

     したがって2人の共演作品としての連続性はなくなった。

     ただしビング・クロスビーが主演でもうひとりの男性芸人と組むという意味での連続性はある。

    楽曲「ホワイト・クリスマス」の位置

     3作品のいずれでも楽曲「ホワイト・クリスマス」が歌われている。

     ただしその扱われ方は変わっていっている。

    「スイング・ホテル」

     「スイング・ホテル」は、アーヴィング・バーリンのそれぞれの祝日の楽曲によるミュージカル映画であって、「ホワイト・クリスマス」はそのうちのひとつにすぎない。

     ただし「スイング・ホテル」の中で「ホワイト・クリスマス」は極めて重要なところで使われた楽曲でもある。

     「スイング・ホテル」の話の中心は男女の恋愛にあって、「ホワイト・クリスマス」はその恋愛のために使われている。


    Holiday Inn (Original Soundtrack Recording) [Explicit]

    「ブルー・スカイ」

     「ブルー・スカイ」では「ホワイト・クリスマス」は本筋とあまり関係ないが、それでも歌われている。

     終盤にビング・クロスビーの演ずる人物が、第二次世界大戦の間に米軍の兵士たちに歌を歌っていたという話の中で、他の歌とともに「ホワイト・クリスマス」を歌うところが描かれている。

     実際にビング・クロスビーがそういうかたちで「ホワイト・クリスマス」を歌っていたことを映画に取り入れたのであろう。

     「スイング・ホテル」の後に、「ホワイト・クリスマス」は兵士たちに歌う歌になっていったのである。


    War montage: Any Bonds Today / This Is The Army / White Christmas / God Bless America (from “Blue Skies”) [Explicit]

    「ホワイト・クリスマス」

     1954年には、「ホワイト・クリスマス」は、パラマウントがヴィスタ・ヴィジョンの第1作のタイトルとするほどになっていた。

     映画「ホワイト・クリスマス」では、楽曲「ホワイト・クリスマス」はみんなで歌う歌になっている。

     「ホワイト・クリスマス」は兵士たちに歌う歌になっている。

     そのことと関連して、映画「ホワイト・クリスマス」は、兵士たちに歌を歌うということが映画の重要な部分になっている。―映画「ホワイト・クリスマス」は、ビング・クロスビーが兵士たちに歌を歌う場面から始まって、兵士たちに歌を歌う場面で終わっている。

     「スイング・ホテル」でも「ブルー・スカイ」でも、ビング・クロスビーとヒロインとの関係が映画の中心になっていたが、「ホワイト・クリスマス」では、将軍との関係がそれより重要になっている。

     その他にも。

     映画「ホワイト・クリスマス」では、「ホワイト・クリスマス」、すなわち雪の降るクリスマスということが劇中で感動的なことであるように演出されている。

     「スイング・ホテル」では、終盤の「ホワイト・クリスマス」で降る雪は、劇中で人工的なものとされている。


    White Christmas (Original Soundtrack) [1954]

    戦争との関係

     3作は戦争―第二次世界大戦と関係するところがある。

    「スイング・ホテル」

     「スイング・ホテル」の企画はもともと第二次世界大戦と関係なかった。

     「スイング・ホテル」が製作されている時に米国が第二次世界大戦に参加したゆえに、映画の中に戦争と関係するところが加えられたようである。

     独立記念日にビング・クロスビーが歌う「自由の歌」(”Song of Freedom”)は米国の主張を歌うものであって、米軍の映像などが使われている。

    「ブルー・スカイ」

     「ブルー・スカイ」では、ビング・クロスビーの演ずる人物とフレッド・アステアの演ずる人物とは軍隊で一緒だったという設定になっている。

     ビング・クロスビーが「私の大尉が今私のために働いている」( “I’ve Got My Captain Working for Me Now” )という歌を歌っている。そのことをよろこばしいこととする歌である。コメディアン、ビリー・デウルフを大尉としてコミカルに歌っている。

     そして終盤、第二次世界大戦の時期になって、ビング・クロスビーの演ずる人物が兵士たちに「ホワイト・クリスマス」などを歌っていたということになっている。

    「ホワイト・クリスマス」

     映画「ホワイト・クリスマス」は、ビング・クロスビーとダニー・ケイが軍隊で歌を披露している場面から始まる。

     そして軍隊で理解ある存在であった将軍が、戦後に雑用をやっていることを悲しいこととして、そういう人を救うということが話の中心になっている。

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  • 映画「ホワイト・クリスマス」

    映画「ホワイト・クリスマス」

     映画「ホワイト・クリスマス」は、アーヴィング・バーリンの名曲「ホワイト・クリスマス」をもとにした映画。

     映画の中で「ホワイト・クリスマス」が歌われる。

     1954年に公開されて、その年最も売れた映画となった。


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    映画「ホワイト・クリスマス」のあらすじ

     戦争中、兵隊になっていたボブ(ビング・クロスビー)とフィル(ダニー・ケイ)は、仲間の軍人相手に歌を歌ったりしていた。

     戦争が終わって米国に帰って、2人は芸人として組んだ。そして成功していた。

     ある日、2人は戦友の妹で、姉妹2人でショーをやるベティ(ローズマリー・クルーニー)、ジュディ(ヴェラ・エレン)と会った。

     ひょんなことから、その男2人、女2人は、雪景色の有名なヴァーモントに行くことになった。

     ヴァーモントの宿では、戦争中、ボブとフィルの上司であった将軍(ディーン・ジャガー)が雑用をやっていた。

     そこで2人は、ベティ、ジュディ姉妹とともに、将軍のためにショーをやることを考えた。

    映画「ホワイト・クリスマス」の雰囲気

     コミカル。明るく楽しい感じ。

     パラマウントの最初のヴィスタ・ヴィジョンの映画でもあって力が入っている。

     2人の女優、ローズマリー・クルーニー、ヴェラ・エレンをはじめとして、衣装も背景もテクニカラーで色鮮やか。

     1950年代風の華やかな演出の歌、踊りが次々と出て来る。

     映画「ホワイト・クリスマス」はまた、センチメンタルでもある。―将軍に関するところなど。

    出演者

    ビング・クロスビーとダニー・ケイ

     映画「ホワイト・クリスマス」では、ビング・クロスビーとダニー・ケイが組んでいる。

     もともとビング・クロスビーと組む相手はフレッド・アステアと考えられていた。

     ビング・クロスビーとフレッド・アステアは、名曲「ホワイト・クリスマス」が初めて歌われた映画「スイング・ホテル」で共演して、その後に映画「ブルー・スカイ」でも共演していた。

     映画「ホワイト・クリスマス」は共演3作目として企画されたが、フレッド・アステアが出演をことわった。

     その次に考えられたドナルド・オコナ―も病気で出演できなくなった。

     そこでダニー・ケイが出演することになったのである。

     ビング・クロスビーとフレッド・アステアの共演は、ダンスのスターと歌のスターが悪友として張り合うかたちになっていた。

     映画「ホワイト・クリスマス」でダニー・ケイは、ビング・クロスビーのためにはたらく年下の友人という感じになっている。(そのことが自分のためになるということになっているが。)

     ビング・クロスビーは名曲「ホワイト・クリスマス」をはじめとして、色々な歌を歌っている。

     ダニー・ケイも歌ったり踊ったりしているが、フレッド・アステアほどは踊っていない。

    ローズマリー・クルーニーとヴェラ・エレン

     女性側では、ローズマリー・クルーニーは歌、ヴェラ・エレンはダンスと、それぞれの得意とするところを存分に披露している。

     ヴェラ・エレンのはじめのダンスではダニー・ケイが相手役をしているが、その後の2つのダンス「マンディ」、「コレオグラフィ」、「エイブラハム」では、ダニー・ケイではなく、ジョーン・ブラシアが相手役をしている。

     どちらもフレッド・アステアがやることになっていたのであろうか?

    「コレオグラフィ」のダンス

     「コレオグラフィ」と題された楽曲では、かつてはタップダンスが流行していたのに、現在では「コレオグラフィ」が流行している、と歌われている。

     フレッド・アステアが映画デビューした1930年代は、タップダンスの時代であった。映画「ホワイト・クリスマス」が撮られた1950年代には、タップダンスではなく「コレオグラフィ」が流行していた。―バレエをとりいれたものが主流になっていた。

     これをフレッド・アステアがやったらどうなっていたか、観たかったとも思う。

     実際には、ダニー・ケイがバレエをコミカルにやって、ヴェラ・エレンとジョーン・ブラシアがタップダンスをやっている。

     その後の映画「ウェスト・サイド物語」のジョージ・チャキリスが出ている。

    https://web.archive.org/web/20120203070157/http://www.tcm.com/this-month/article/148002%7C0/White-Christmas.html

    テレビ

     映画「ホワイト・クリスマス」ではテレビに出演するということが物語において重要なことになっている。

     それだけテレビが力をもってきていた時代であった。

     ヴィスタ・ヴィジョンもテレビに対抗して作られたものであった。

    DVD、Blu-ray

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     特典映像としてローズマリー・クルーニーのインタビューなどが入っている。

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  • 映画「ブルー・スカイ」 アステア・クロスビー共演2作目

    映画「ブルー・スカイ」 アステア・クロスビー共演2作目

     1946年に公開された映画「ブルー・スカイ」(原題は “Blue Skies” )は、ダンスのスター、フレッド・アステアと歌のスター、ビング・クロスビーが共演した映画。

     2人は1942に公開された映画「スイング・ホテル」で初めて共演して、「ブルー・スカイ」は2作目。

     楽曲は「スイング・ホテル」と同じくアーヴィング・バーリン。

     「スイング・ホテル」は白黒であったが、「ブルー・スカイ」はカラー。

     フレッド・アステアが引退作として力の入ったダンスを見せている。


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    映画「ブルー・スカイ」のあらすじ

     ジェド(フレッド・アステア)がラジオ番組で過去を語る。そして過去の映像が流れる。

     ダンサーのジェドは、マリー(ジョーン・コールフィールド)が好きで結婚をもとめていた。

     ところがマリーはジョニー(ビング・クロスビー)のことが好きになった。

     ジョニーもマリーのことが好きになった。

     しかしジョニーには付き合っている女性に言わずに自分の好きなことをやって、女性を苦しめるところがあった。

    映画「ブルー・スカイ」の雰囲気

     3人の関係は映画「スイング・ホテル」と似ているということもできる。(フレッド・アステアが好意を寄せる女性がビング・クロスビーに好意を寄せているという関係)

     「スイング・ホテル」ではその関係はコミカルに描かれていた。

     「ブルー・スカイ」ではその関係はそれより暗く描かれている。

     「ブルー・スカイ」では、主要人物3人が皆苦しんでいる。しかも結婚とか、時間の経過とか、その苦しみに重みがある。

     「ブルー・スカイ」はフレッド・アステアの引退作として作られていた。そのことと関係があるのであろうか?

    (実際には、フレッド・アステアは数年後に復帰している)

    映画「ブルー・スカイ」のみどころ

     映画「ブルー・スカイ」のみどころは、アーヴィング・バーリンの楽曲、ビング・クロスビーの歌、フレッド・アステアのダンス。

     ビング・クロスビーは「ブルー・スカイ」その他多くの歌を歌っている。

     前作「スイング・ホテル」で有名になった楽曲「ホワイト・クリスマス」を「ブルー・スカイ」でもビング・クロスビーは歌っている。

     ”a Couple of song and dance men” では、ビング・クロスビーとフレッド・アステアが2人で歌い、踊り、芸を見せている。

     フレッド・アステアは、引退作ということもあってか、特に力が入っている。

     はじめの “a pretty girl is like a melody” から華やかな衣装の多くの女性の間で、フレッド・アステアは軽やかに遊ぶようなタップダンスをみせている。

     終盤の “Heat Wave” (ヒート・ウェイブ)では、オルガ・サン・ホワンを相手に、背後の多くのダンサーとともに踊っている。

     特にすぐれているのが “Puttin’ on the Ritz” (プッティン・オン・ザ・リッツ)。

     トップ・ハット姿で、タップダンスも杖さばきもキレがあるが、背後の9人のフレッド・アステアとともに踊るところは、映像として面白い。

    狂乱の20年代

     フレッド・アステアが狂乱の20年代(Roaring Twenties)について語っている。

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  • 手を洗う救急医Taka氏、児童死亡の報道を受けてワクチン接種の必要を説く

    手を洗う救急医Taka氏、児童死亡の報道を受けてワクチン接種の必要を説く

     2022年3月10日、新型コロナウイルスによって10歳未満で基礎疾患のない児童が1人死亡したと報道された。

     その報道を受けて、手を洗う救急医Taka氏はツイッターで子どものワクチン接種の必要を説いた。

    手を洗う救急医Taka氏のツイート

     手を洗う救急医Taka氏は次のようにツイートした↓

     手を洗う救急医Taka氏は、今度のことについて、それまで「何度も言ってき」たことが起こったと語る。

     Taka氏はそれまで「感染者が増えたら日本でも」児童が死亡することが「起きる」と言ってきたというのである。

     そして「子どもの接種がもっと早く認められていたら」、児童が死亡することはなかったと考えているようである。

     それまで感染者が増えて児童が死亡するに至ることを防ぐために、子どもの接種が早く認められることを求めてきた。それにもかかわらず、早く認められなかった結果として、児童が死亡するに至ったと考えているようである。

     「日本でも同じことが起きる」というのは、他の国、特に米国と「同じことが起きる」ということのようである。

     次のツイートはそのことと関係がある。

     手を洗う救急医Taka氏は「全世界で10代以下で12,800人がコロナで死亡しており、アメリカでは894人にのぼります」と言う。

     「日本でも同じことが起きる」というのは、日本でも米国で10代以下で894人亡くなったことと同じくらいのことが起きるということのようである。

     ところが日本ではそれまで死亡の例はなかったことから、ワクチンの承認に「かなり時間をかけ」た結果、「接種で回避できたかもしれない」児童の死亡が起きてしまったと考えているようである。

     そして日本でワクチンの承認に「かなり時間をかけ」たことについて、「科学的な態度ではないし検証が必要です」と語っている。

    慎重派の反論

     手を洗う救急医Taka氏の以上の発言に対して、子どものワクチン接種は慎重にすべきだという人々から批判が寄せられた。

     慎重派はこれまで日本で11歳以下は1人も死亡していないゆえにワクチン接種は慎重にすべきだと語ってきた。

     今度手を洗う救急医Taka氏は、11歳以下の児童が1人死亡したという報道をもってワクチン接種の必要を説いている。

     慎重派の主張に反することが起こったと語っているようである。

     それに対して多くの慎重派が反論したのである。

     ここではその代表として宮澤大輔氏をとりあげよう。

     宮澤大輔氏は1人亡くなったことでは、科学的には変わらないという。

     手を洗う救急医Taka氏は日本でも米国と同じことが起きると語ったが、それに対して宮澤大輔氏は、国によってリスク・ベネフィットは違うと考えるのが科学的だと反論している。

    疑問

     手を洗う救急医Taka氏の主張には、気になるところがある。

    ワクチン接種と死亡

     手を洗う救急医Taka氏は、「子どもの接種がもっと早く認められていたら」、今度の児童の死亡はなかったと考えているようである。

     しかしそう言うことのできる根拠はないのではないか?

     ちなみに今度死亡した児童について、NHK、朝日、その他の報道機関は「10代未満の未就学児」と報道していた。

    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220310/k10013524881000.html

    https://www.asahi.com/articles/ASQ3B63PYQ3BPLZB014.html

     3月15日の京都新聞は、その児童の父親が「生後10カ月の女児」と語ったと伝えている。

    https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/750059

     現在進められている5~11歳のワクチン接種では、「生後10カ月の女児」に対して接種が行われることはない。

    米国の死亡者数と日本の死亡者数

     手を洗う救急医Taka氏は、日本でも、米国で多くの子どもが死亡したことと「同じことが起きる」と語っている。

     しかし日本でも米国でも2年以上、新型コロナウイルスの感染が広まって数度の波が起こっている中で、米国と日本とで死者数がけた違いであるにもかかわらず、「同じことが起きる」ということができるのであろうか?

    https://www.ipss.go.jp/projects/j/Choju/covid19/index.asp

    ワクチン接種のリスク

     手を洗う救急医Taka氏は、ワクチン接種のリスクを問題としていないようである。

     ワクチン接種にはベネフィットしかない、それゆえに接種を進めない手はないと考えているようである。

     それでいいのであろうか?

     慎重派はリスクを問題としている。

    https://cocoro-mi.com/5-11-children-covid-vaccine-risk-benefit/

    「承認にかなり時間をかけた」ということ

     手を洗う救急医Taka氏は、日本で「承認にかなり時間をかけ」たことを問題として、「これは科学的な態度ではないし検証が必要です」とまで言っている。

     「日本では亡くなった例はないことから」、「承認にかなり時間をかけ」たことは「科学的な態度ではない」というのである。

     しかしそれまで児童の亡くなった例のない国で、児童のワクチン接種の承認に時間をかけることは、それこそ「科学的な態度」ではないか?

     逆に、手を洗う救急医Taka氏のように、「日本では亡くなった例はない」にもかかわらず、承認に時間をかけてはならないということは「科学的な態度」であるのか?

    独裁気質

     以上のように、手を洗う救急医Taka氏の考えは異論のあるものである。

     ところが手を洗う救急医Taka氏は自分の考えが正しいと信じて疑わない。科学的だと信じて疑わない。

     そして手を洗う救急医Taka氏と違う考え人は科学的ではないとみなしている。

     5~11歳のワクチン接種が始まる前に慎重な意見が出ていたが、手を洗う救急医Taka氏はそういう意見と議論を戦わせることもなく、すでにきまったことのように「こびナビ」のリーフレットを紹介していた。

     手を洗う救急医Taka氏は、自分は科学的で、自分と異なる者は科学的でないと固く信じていたのである。