カテゴリー: 政治

  • 町山智浩氏の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」論について

    町山智浩氏の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」論について

     町山智浩氏の著書「最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル)」(2016年、集英社)に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」論が収められている。

     私はたまたまAMAZONの長いレビューが町山氏の議論を批判しているのをみた。

     そこで町山氏の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」論を読んでみた。

     読んでみると、町山氏のイデオロギー批評の問題となるところが出ていた。


    最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル)

    町山智浩氏の主張

    Photo by mentatdgt from Pexels

     まず町山智浩氏の主張をまとめる。

    歴史のねじ曲げ

     町山智浩氏は、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は同じロバート・ゼメキス監督の「フォレスト・ガンプ」とともに「ねじ曲がったアメリカの戦後史を形成している」と語る。(最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル)、210頁)

     この2作品は「歴史の歪曲と捏造と虚偽に満ちている」という。(同、211頁)

    白人の気持ち

     「バック・トゥ・ザ・フューチャー」冒頭の主人公とその家族の「惨めな現実」は、「当時のアメリカ白人の気持ちを代弁している」と町山氏は語る。(最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル)、212頁)

     当時のアメリカ白人には、他の人種によって脅かされているという気持ちがあって、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」はそういう気持ちを代弁しているというのである。

    歴史との関係

     町山智浩氏は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と歴史との関係について次のように論じている。

     「アメリカン・ドリームが崩れた60年代に、アメリカン・ドリームをスクリーンで見せてきたハリウッド映画も観客を失った」

     そこで「経営難に陥った映画会社は70年代に入ると若い監督を起用して、セックス、ドラッグ、ロックンロール、バイオレンス、それに反体制的メッセージを盛り込んだ映画で若者を劇場に取り戻そうとした」

     それに対して「70年代末、スティーヴン・スピルバーグとジョージ・ルーカスの『JAWS/ジョーズ』(75年)、『スター・ウォーズ』(77年)、『未知との遭遇』(77年)は、セックスやドラッグを排し、現実ではなくSFXで作られた、明るく楽しい家族向けの娯楽を提供した。」

     80年代にロナルド・レーガンは「50年代の古き良きアメリカ、強いアメリカ、豊かなアメリカ、神を愛し、家族を愛するアメリカの復活を掲げて選挙に圧勝した」

     その時に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は「50年代の古き良きアメリカをスクリーンに蘇らせる」映画としてスピルバーグがプロデュースした作品である。(以上、最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル)、213~214頁)

     「バック・トゥ・ザ・フューチャー」はレーガン政権と同じような歴史的な意義をもっていると町山智浩氏は語る。

    人種差別

     町山智浩氏によると、60年代以後、アメリカの伝統的な文化に対抗した文化は、人種差別に反対した文化であった。

     「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は、そういう文化に反対するものと町山智浩氏は語る。そして人種差別に反対する運動に反対するものと語る。

    検討

    Michaił NowaによるPixabayからの画像

     町山氏の主張を一つ一つ検討してみよう。

    主人公の惨めな現実

     町山氏は、冒頭の主人公とその家族の惨めな現実は、「当時のアメリカ白人の気持ちを代弁している」と語る。(最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル)、212頁)

     2010年に行われたスティーブン・スピルバーグ(製作総指揮)、ロバート・ゼメキス(監督・脚本)、ボブ・ゲイル(製作・脚本)の3人による鼎談で映画の主人公の設定について、ボブ・ゲイルが次のように語っていることは、そのことと関係がある。

    はじめ彼は何もうまくいかず、人生に打ちひしがれていて、自殺まで考えているようなキャラだったんだ。
    (中略)
    そこで意見が一致した。「主人公が自殺したがっている設定だなんて、絶対に間違ってるぞ」と。

    スティーブン・スピルバーグ論」、フィルムアート社、2013年、104頁

    スティーブン・スピルバーグ論

     「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主人公は「何もうまくいかず、人生に打ちひしがれていて、自殺まで考えているようなキャラ」と考えられていた。

     ところが作り手はその考えを変えた。

     その結果として、主人公とその家族の「惨めな現実」は深刻に描かれていない。

    主役

     「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の作り手は、マイケル・J・フォックスを主役と考えていたが、他の番組のために断られたので、エリック・シュトルツを主役として撮影を始めた。しかし結局マイケル・J・フォックスを主役とした。

     なぜそこまでしてマイケル・J・フォックスを主役としたかったのか? 町山氏は当時マイケル・J・フォックスが「ファミリー・タイズ」(=家族の絆)というテレビコメディで人気スターになっていたことを指摘する。

     そのテレビコメディでマイケル・J・フォックスは、「60~70年代のカウンター・カルチャーの中で青春を送った元ヒッピー」の両親に対して、「80年代の新保守主義、レーガン大統領を支持した層を代表している」人物を演じていたというのである。( 最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル) 、222~223頁)

     しかしロバート・ゼメキス監督が「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主役を「80年代の新保守主義、レーガン大統領を支持した層を代表している」人物にしたかったとしても、そのためにそういう役を演じていたマイケル・J・フォックスをどうしても起用したいということになるであろうか?

     ロバート・ゼメキス監督は、何故にエリック・シュトルツではいけないと考えたかについて、明らかにしている。―「彼のコメディ感覚が、ぼくがこの映画で思い描いていたものと違っていたということだ」というのである。(「スティーブン・スピルバーグ論」、108頁)


    スティーブン・スピルバーグ論

     ブルーレイの特典映像にエリック・シュトルツが主役を演じている映像が収められている。断片的なものであるが、タイムトラベルの衝撃を深刻に受け止める演技のように見える。マイケル・J・フォックスの明るいコミカルな演技と比べて暗いように見える。

     マイケル・J・フォックスの「コメディ感覚」こそロバート・ゼメキス監督が「この映画で思い描いていたもの」だったということではないか?

    レーガン政権との関係

     はじめに挙げたAMAZONのレビューは、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」にレーガン政権の思想があるという町山氏の主張に反対している。

     私は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」には、同時代のレーガン政権と共通するところがあると思う。

     レーガン政権も「バック・トゥ・ザ・フューチャー」も、それ以前の「若者文化」による家族の解体に対して家族の再生を主題としているという町山氏の指摘には正しいところがあると思う。(最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル)、221~222頁)

     「俺たちに明日はない」とか「イージーライダー」のような社会からはみ出した人が殺されるという暗い話に対して、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は明るい話である。

     勿論、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」がレーガン政権の思想を体現しているというのではない。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」はレーガン政権から独立した娯楽作品である。

     ましてや「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に町山氏が言うような白人の黒人や日本人に対する差別的な気持ちが描かれているとは思えない。

    理由なき反抗

     私は今度「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を見返して、「理由なき反抗 Rebel Without a Cause」をもとにして作られたところがあるのではないかと思った。

     「理由なき反抗」は、まさに1955年に制作され、公開された映画である。

     ロバート・ゼメキス監督は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で1955年を舞台にすることを考えた時に、「理由なき反抗」のことを考えたのではないか。

     「理由なき反抗」は、主人公の若者が、「親たちに反抗」するところを描いた作品である。まさに「若者文化」を代表する作品である。

     「理由なき反抗」において「父親の権威は失墜」している。主人公が、エプロン姿の父親を見て笑うところは特徴的である。

     「理由なき反抗」では、主人公は、同級生の不良集団と対立する。そのことも「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主人公が不良集団と対立することと似ている。不良集団がオープンカーに乗っているところ、服装なども似ている。

     主人公が「チキン」と言われると興奮するところも同じである。


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    50年代の位置づけ

     町山智浩氏が「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を「50年代の古き良きアメリカをスクリーンに蘇らせる」作品と語ることには疑問がある。

     「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は、60年代から70年代にかけてのアメリカン・ニューシネマなどと言われる暗い映画に対して、50年代以前のアメリカ映画と同じように明るい映画に帰ったものということはできる。

     しかし「バック・トゥ・ザ・フューチャー」には、特に50年代をよしとする思想はない。

    発端

     脚本を担当したボブ・ゲイルは、自分の父の卒業アルバムを見て「自分がもし親父と同級生だったら、友だちにはなれそうにないな」と考えたことがこの映画の発端だったと語っている。(「スティーブン・スピルバーグ論」、103頁)


    スティーブン・スピルバーグ論

     「自分がもし親父と同級生だったら」という発想は、50年代をよしとする思想とは異なるものである。

     映画の中でも50年代が特にいいとされていないようである。

    主人公

     主人公は50年代を変わった世界として見ている。特にいい世界として見ていない。

     町山智浩氏は次のように書いている。

    マーティは、パステルカラーに彩られた美しいダウンタウンに圧倒される。聴こえてくるのはコーデッツの54年のヒット曲「ミスター・サンドマン」。眠りの砂を撒く妖精のことを歌っているが、マーティも夢心地だ。
     マーティは荒れ果てたダウンタウンしか見たことがなかった。

    最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル)、214頁

    最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル)

     町山氏は私と違う映像を見ているのであろうか?

     「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主人公は、1985年の文化に生きている人物である。スケボーで移動し、バンドでヒューイ・ルイス&ザ・ニュースの楽曲を演奏している。

    hueylewisofficial
    Huey Lewis & The News – The Power Of Love (Official Video)

     もともと1950年代の文化に対して特別な思い入れはない。1950年代に行きたくて行ったのではない。1950年代の文化に対する愛着から1950年代にとどまっていたいということもない。

    若者文化

     ロバート・ゼメキス監督は1955年を舞台とした理由の一つとして若者文化が誕生した年であることを挙げている。

     1955年には「理由なき反抗」とか、ロックンロールとかがあった。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」はそういう文化をとりいれている。

     そこで問題は複雑になっている。

     町山智浩氏は「50年代に生まれた若者文化は60年代の若者革命の起爆剤となり、アメリカン・ドリームを解体していく」と語っている。(最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル)、217頁)

     「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は、1950年代に行くことによって、「若者革命」が出て来る前に帰るのではなく、「若者革命」の出て来るもとの「若者文化」のところに行くのである。

     「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は、「若者文化」以後の流れにある作品である。

    歴史

     「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の歴史的意義について考える。

    母親

     町山智浩氏は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」にとりいれられた「若者文化」について、なぜか第一に主人公の母親の男性に対する態度に認めている。(最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル)、217頁)

     たしかにそういう描き方は、「若者文化」以後のものと思われる。

     たとえば「若草の頃 Meet me in St.Louis 」(1944年)は、「若者文化」以前に古き良きアメリカの家族を描いた作品で売れたものであるが、主人公の少女の男性に対する恋愛感情は上品に描かれている。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の母親のように露骨ではない。


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     そういう意味でも、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」はそれほど過去に回帰している作品ではないということができる。

     しかしまた、ロバート・ゼメキス監督がまわりの露骨な映画に比べて甘いと言われたと語っているように、それらの作品に比べて過去に近くなっていたということもできる。

    父親

     町山智浩氏は60年代からの「カウンター・カルチャー」を「父親殺し」として、それに対して「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は「父”生かし”」の物語であるという。(最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル)、220頁)

     たしかに主人公の父親は、はじめ頼りないが、主人公が過去に行って帰ってきたときには頼れる存在になっている。

     ただし「若者文化」以前の家族に帰ったのではなく、あくまでも若者が主人公の「若者文化」になっているということができる。

    人種差別

     町山氏が「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を人種差別と関係づけていることについて考えよう。

    ロックンロール

     「バック・トゥ・ザ・フューチャー」では、劇中の歴史改変によって、「ジョニー・B・グッド」の作者はチャック・ベリーではなく、この映画の主人公になってしまう。

     ロバート・ゼメキス監督は「ただのジョーク」のつもりであったが、「白人による、黒人の功績の横取りだと叩かれた」という。

     そのことについて町山氏は、「確かにジョークには違いない。しかし、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』における黒人の描き方を見ると、軽いジョークとは言い切れなくなる」と言っている。(最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル)、225頁)

     しかしロバート・ゼメキス監督の考えは、「ただのジョーク」のつもりであって、「白人による、黒人の功績の横取り」ではなかったと自ら語る通りである。

    黒人の地位

     町山氏は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で、1955年に食堂で掃除をしていた黒人男性が、1985年に市長になっていたという話をとりあげて、黒人の地位の歴史について次のように語っている。

    60~70年代は黒人にとって南北戦争と並ぶ解放と地位向上の時代だったのだが、『バック・トゥ~』では、マクフライ家が没落した時代として否定的に扱われている。マクフライ家が、レーガン大統領とその支持者が「あの頃はよかった」と言う50年代は黒人にとって暗黒の時代だった。けっして帰りたいなどとは願わないだろう。

    最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル)、226~227頁

    最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル)

     色々と気になるところがある。

     まず「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で60~70年代は「マクフライ家が没落した時代」であるかもしれないが、そのことは黒人の地位向上と関係ないのではないか?

     黒人が解放され地位向上したゆえにマクフライ家が没落したのではない。

     マクフライ家には、黒人の地位が低かった時代を「あの頃はよかった」という思想はない。

     主人公の母は過去を懐かしんでいるが、そのことは黒人の地位と関係ない。

     主人公は50年代を「よかった」と思っていない。

     1955年に食堂で掃除をしていた黒人男性が、1985年に市長になっていたという話はむしろ黒人の地位が向上した80年代をよしとしているように見える。

    白人の没落

     町山氏は、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」三部作は、「猿の惑星」と同じく「白人の没落を裏テーマにしている」という。(最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル)、227頁)

     しかし「バック・トゥ・ザ・フューチャー」三部作のどれも、「白人の没落」をテーマとしているように見えない。

     第1作に関しては、すでに言ったように、「マクフライ家の没落」も、それに対する歴史改変も、黒人の地位向上と関係なく、「白人の没落」とも関係ない。


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     町山氏は「『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズでアメリカを乗っ取るのは、日本だ。」と書いている。(最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル)、228頁)

     しかし第1作で主人公は日本製品をよろこんでいる。日本製品は「白人の没落」という意味で扱われていないのである。

     第2作で未来の主人公は、日本人社長にぺこぺこした挙句クビにされてしまうが、そのことは作品の主題というほどのこととは思えない。


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     町山氏は「「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズは一貫して、黒人や日本人を白人文化の破壊者として描いている」と語る。(最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル)、230頁)

     しかしそういうところは見当たらない。どこのことを言っているのであろうか?

     第3作で主人公が1885年の西部劇の世界に行くことについて、町山氏は、「アメリカの凋落は、もはや50年代の保守主義をもってしても救いようがない、ということなのか」とか、「アジア人がおとなしかった古き良き時代に見えるだろう」とか言っている。( 最も危険なアメリカ映画 『國民の創世』から『バック・トゥ・ザ・フューチャー』まで(集英社インターナショナル) 、230、231頁)


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     アジア人による抑圧に対して白人が満足するためには、1950年代では不十分で、西部劇の世界でなくてはならない、ということだろうか?

     しかしあの西部劇を見て、「アジア人がおとなしかった古き良き時代に見える」などという人は少ないのではないか? そのことは作品の主題から離れたことではないか?

     第3作の最後に主人公が「銃を撃つことなく勝利を収める」ことを、町山氏は、「結局、アメリカは経済と軍事のライバルたちに、一発の銃弾を撃つこともなく勝利した」ことと関係づけている。(同、231頁)

     しかし第三作の主人公の相手が、当時のアメリカの「経済と軍事のライバルたち」、日本とかソ連とかをあらわすものとして描かれているとは思えない。


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  • 伊藤詩織氏の事件に対する疑問

    伊藤詩織氏の事件に対する疑問

     2020年9月に、「TIME」誌が2020年世界で最も影響のある100人を発表した。その中に、台湾の蔡英文総統、香港のネーサン・ローが入っていることを知って、世界の多くの人の注目を集めてよかったと思っていると、伊藤詩織氏もその中に入っているという。

    https://time.com/collection/100-most-influential-people-2020/

     伊藤詩織氏が裁判所の前で勝訴と書いた紙を持っている写真が掲載されている。

     その記事を書いているChizuko Uenoというのは、あの上野千鶴子氏であろうか?

     伊藤詩織氏は、「TIME」誌が「世界で最も影響ある100人」のうちの1人に選ぶほど大きな存在である。

     そこで、控訴審に際して、私がこれまで伊藤詩織氏の事件について考えたことをまとめておこうと思った。

    一方的な報道

     2019年12月18日、裁判所の前で勝訴の紙を持ったコート姿の女性が一斉に報道された。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/faf0c91f3ed776c3f64f31ef11df95a727aaad15

    https://news.yahoo.co.jp/byline/ogawatamaka/20191218-00155386/

    https://news.yahoo.co.jp/articles/cde22bfd70829f4d9a73f5e5c6b43af46c7dd4d9

     私はそれまでその事件について全く知らなかった。伊藤詩織氏の勝訴をよしとする報道ばかり並んでいるのをみて、それだけ事実関係が明らかになっているのだろうと思った。

     しかし相手の山口敬之氏は直ちに控訴するという。言い分があるということである。どういう言い分があるのか? 多くのメディアは伝えないので、自分でしらべてみた。

     しらべてみると、事実はそれほど明らかではない。山口敬之氏の主張は相当に筋が通っている。現状のように一方的に報道されるような事件ではないのではないのではないかと思った。

     左翼勢力が左翼運動として伊藤詩織氏を支持しているように見えることも気になった。事件に対する判断は、あくまでも事件そのものを検証することによってきまるべきであるのに、伊藤詩織氏を支持している人たちの中に政治的な党派性によってきめようとしている人が多いように見えた。

     ここでは、政治的な党派性と関係なく、事件そのものについて考える。

    資料

     伊藤詩織氏の主張は著書「Black Box ブラックボックス」(文藝春秋者、2017年)にある。


    Black Box

     山口敬之の主張は、「月刊HANADAプラス」にある。

    https://hanada-plus.jp/articles/250

    https://hanada-plus.jp/articles/260

    事件の概要

    伊藤詩織氏の主張

     2015年4月3日金曜日の夜、伊藤詩織氏は山口敬之氏と待ち合わせして、山口敬之氏のいきつけの串焼き屋、鮨屋で食事をした。(「ブラックボックス」45~48頁)

     山口敬之氏は伊藤詩織氏に、TBSが伊藤詩織氏をプロデューサーとして採用する話があると語った。二人が会ったのはそのことのためであった。(同、42~45頁)

     伊藤詩織氏は二軒目の鮨屋で二度目にトイレに入った時から「記憶はない」という。(同、49頁)

     伊藤詩織氏が目を覚ました時に、山口敬之氏に「のしかかられていた」。(同、49頁)

     伊藤詩織氏は「トイレに行きたい」といって、「トイレに駆け込んで鍵をかけた」。(同、50頁)しかしトイレから出ると、「再びベッドの引きずり倒された」。(同、50頁)それに対して伊藤詩織氏は「抵抗し続けた」。(同、51頁)そして英語で「罵倒」した。(同、51~52頁)山口敬之氏は「「ごめんね」と一言謝った」。(同、53頁)伊藤詩織氏は「服を急いで身にまとった」、そして「荷物をまとめて足早に部屋を出た」(同、54頁)

    山口敬之氏の主張

    手記

     山口敬之氏によると、伊藤詩織氏は「自分の酒量を過信して飲みすぎた」。(【独占手記】私を訴えた伊藤詩織さんへ「前編」)

     山口敬之氏は伊藤詩織氏をホテルの自分の部屋に連れて行ったことについて、「神奈川県に住んでいるあなたを送っていったら作業が時間内に終わらない。しかし、あなたは自力では帰れそうにない。私はやむなく、当時逗留していたホテルで休んで酔いを醒ましてもらい、自分の作業を終えてから送って帰るしかないと判断しました。」と説明している。(同)

     そして「私はあの日、あなたに薬物を飲ませたり、いやがるあなたを部屋に連れ込んだりしなかったのと同様に、部屋のなかでもあなたの意思に反する行動は一切していない」と語っている。(同)

     同意があったということである。

     伊藤詩織氏は「「朝まで意識がなかった」のでは決してなく、未明の時間に自ら起き、大人の女性として行動し、そしてまた眠った」という。(同)

     そしてその後のことについて、「1度未明に起きたあと、再び眠りに落ちたあなたは、朝になってもう1度起きた。そして、私とごく普通の会話をし、ごく普通にホテルの部屋を出ていった。」と語っている。(同)

    二段階の問題

     山口敬之氏の、伊藤詩織氏に対する反論は、二段階になっている。多くの人がそのことを知らないのではないかと思う。

     第一段階の問題は、性交に対して伊藤詩織氏の同意はあったか? という問題である。

     その第一段階の問題に対して、伊藤詩織氏は同意はなかったといい、山口敬之氏は同意はあったという。

     山口敬之氏によると、伊藤詩織氏が2015年に訴えて、2017年まで刑事事件として問題とされていたのは、性交に同意があったかどうか、というこの第一段階の問題であった。

     ところが2017年から伊藤詩織氏は、それまでと異なる主張をしだした、と山口敬之氏側は言う。それが第二段階の問題である。

     伊藤詩織氏が2017年から言い出したことは、著書「ブラックボックス」にまとめられている。

     伊藤詩織氏は「ブラックボックス」において次のように語っている。

     伊藤詩織氏は、前の夜の二軒目の鮨屋で気を失って、目を覚ますとレイプされていた。(「ブラックボックス」、49頁)しばらく犯された後に、一度トイレに逃れたが、出てきたところをベッドに押し付けられた。しばらく抵抗すると山口氏は動きを止めた。(同、51頁)そこで伊藤氏は着替えて「ホテルの前からタクシーに乗った」。それは「五時五十分頃」であった。(同、55頁)

     以上の記述を考えると、伊藤詩織氏が目を覚ましてから、ホテルを出てタクシーに乗った「五時五十分頃」まで、それほど時間はたっていなかったと思われる。伊藤詩織氏は「目覚めたのはホテルを出た時間から逆算して午前五時台であることは確かだった」と語っている。(同、92頁)

     それに対して山口敬之氏は次のように語っている。

     伊藤詩織氏は「未明の時間に自ら起き、大人の女性として行動し、そしてまた眠った」。そして再び眠って、起きた後に「ごく普通の会話をし、ごく普通にホテルの部屋を出ていった。」という。(同)

     山口敬之氏によると、山口敬之氏のホテルの部屋で、伊藤詩織氏はしばらく眠った、そして未明に起きた時に、性交は行われた。その後に二人は再び眠った。そして、朝起きて、会話して別れた。

     山口敬之氏側によると、はじめに問題とされたのは、未明に行われた性交に、同意があったかどうかということであった。

     ところが伊藤詩織氏は「ブラックボックス」において、性交は、伊藤氏がホテルを出る少し前の「五時台」に行われた、と言い出した。

     伊藤詩織氏は「五時台」に目が覚めた後の記憶はあると言っている。記憶がある時間帯に、「ブラックボックス」に書かれているような強姦、暴行、強姦未遂があった、というのである。

     それに対して山口敬之氏は、伊藤詩織氏が「ブラックボックス」に書いているような、「五時台」のことは、伊藤詩織氏が2017年から言い出したことであって、それまで言われておらず、問題とされていなかったという。

     要するに、第二段階の問題とは、伊藤詩織氏が「ブラックボックス」において語っているような、朝五時頃の強姦、暴行は、虚偽ではないか、という問題である。

    考察

    ブラックアウト

     まず第一段階の問題、性交に同意があったか、ということについて。

     山口敬之氏は捜査員から「ブラックアウト」ということによって説明できると言われたという。

     「ブラックアウト」とは「アルコールの影響で、記憶の一部または全部が欠落してしまう現象」である。(【独占手記】私を訴えた伊藤詩織さんへ「前編」)

     伊藤詩織氏はアルコールによって記憶がなくなった、とすると、伊藤詩織氏が未明のことについて記憶がないと言うことと、伊藤詩織氏は性交に同意していたと山口敬之氏が言うこととは、矛盾しない、というのである。

     山口敬之氏は伊藤詩織氏に対して「あなたは記憶がないからこそ、「ブラックアウトではなかった」と断言することは絶対にできない。」といっている。(【独占手記】私を訴えた伊藤詩織さんへ「後編」)

     たしかに伊藤詩織氏には記憶がなかったのであるから、その記憶のない時間帯において、山口敬之氏との性交に同意していた可能性を否定することはできない。

     伊藤詩織氏は「ブラックボックス」において、警察に「密室の中で起こったことは第三者にはわからない」、「ブラックボックス」と説明されたという。(「ブラックボックス」、172~173頁)

     しかし次のように反論している。

    しかし、意識の無い状態で部屋に引きずり込まれた人が、その後、どう「合意」するのだろうか? こんなことを克明に証明しなければならないなら、それは法律の方がおかしいと思う。

    「ブラックボックス」、173頁

     伊藤詩織氏は、「意識の無い状態で部屋に引きずり込まれた」ので、「合意」することができないというのである。

     しかし伊藤詩織氏は、他のことにおいて、その記憶の無い時間帯における自分の言動を、自分の意思によるものだと主張している。

     4月3日の夜、鮨屋からホテルまで二人がタクシーで行った時に、伊藤詩織氏が「近くの駅で降ろして下さい」と言ったというタクシー運転手の証言を聞いて、伊藤詩織氏は、「やはり、最後まで自分は家に帰ろうとしていたのだ」と書いている。(同、126~127頁)

     伊藤詩織氏が、記憶の無い時間帯に昏睡状態であったとすると、性交に同意しなかったということはできる。しかしそうでなかったことは、伊藤詩織氏自身が認めていることである。

     伊藤詩織氏は「法律の方がおかしいと思う」と言うが、伊藤詩織氏が性交に同意したかしなかったか、第三者にも、伊藤詩織氏自身にもわからないのに、強姦罪は成立すべきであろうか?

     まとめよう。

     伊藤詩織氏が記憶のない時間帯に性交が行われた。伊藤詩織氏がその性交に同意していたかどうかは、第三者にはわからない。伊藤詩織氏自身にもわからない。

    Tシャツ

     伊藤詩織氏が性交に同意していたかどうか、第三者にも、伊藤詩織氏自身にもわからない。

     そこで前後の状況から考えるほかない。

     伊藤詩織氏の「ブラックボックス」と、山口敬之氏の手記とを読み比べて、Tシャツのことは決定的ではないか、と私は思った。

    両者の主張

     伊藤詩織氏は、ホテルの山口敬之氏の部屋から出るときに、山口敬之氏のTシャツを身に着けていた。そのことは、山口敬之氏も、伊藤詩織氏も、認めていることである。

     山口敬之氏によると、伊藤詩織氏は「ブラウスが少し生乾きなんだけど、Tシャツみたいなものをお借りできませんか」といった。それに対して山口敬之氏は「別に断る理由もなかったので、パッキング途中のスーツケースを指し、「そのなかの、好きなものを選んで着ていっていいですよ」」といった。そこで伊藤詩織氏は山口敬之氏の「Tシャツのうちの1つを選び、その場で素肌に身に着け」た。(【独占手記】私を訴えた伊藤詩織さんへ「後編」)

     山口敬之氏はそのことに関して「レイプの被害に遭ったと思っている女性が、まさにレイプされた翌朝、レイプ犯のTシャツを地肌に進んで身に着けるようなことがあるのでしょうか?」と言っている。(同)

     レイプされた直後に、自分をレイプしていた人のTシャツを身に着けることに抵抗を感じない人は少ないのではないか、と私も思う。特にTシャツは肌に触れる面積の広いものである。

     伊藤詩織氏も部屋に帰るとすぐに「ゴミ箱に叩き込んだ」と語っている。(「ブラックボックス」、55頁)

     しかし伊藤詩織氏は、部屋に帰るとすぐに「ゴミ箱に叩き込んだ」という気持ちを持っていたのに、部屋に帰るまでそのTシャツを身に着けるという、その気持ちに反することをしていた。

     伊藤詩織氏はTシャツを身に着けたことについて次のように書いている。

    ようやく見つけたブラウスは、なぜかびしょ濡れだった。なぜ濡れているのか聞くと、山口氏は「これを着て」とTシャツを差し出した。
     他に着るものがなく、反射的にそれを身につけた。

    「ブラックボックス」、54頁

     これによると、伊藤詩織氏は自ら進んで山口敬之氏のTシャツを身に着けたのではない。ブラウスが「びしょ濡れ」で、他に着るものがなく、何か着るものをもとめていたところに、山口敬之氏がTシャツを差し出していたので、「反射的」に身に着けた、というのである。

     しかしよく考えてみるとおかしいようである。

    疑問一

     第一に、伊藤詩織氏は、少し前まで自分をレイプしていた人のTシャツを借りなくてはならないほどの状況にあったであろうか?

     そういう状況にあったとすると、Tシャツを借りてもしかたがないということになる。

     たしかにブラウスは「びしょ濡れ」であった。「びしょ濡れ」のブラウスは着心地のいいものではないであろう。しかしレイプされた直後である。着心地がよくなくても、部屋を出ることを優先するのではないか?

     ましてや自分のブラウスが「びしょ濡れ」であるからといって、その代わりに、少し前まで自分をレイプしていた人のTシャツをわざわざ借りて着る人がいるだろうか?

     その上に、伊藤詩織氏は当時コートを着ていた。(「ブラックボックス」、47~48頁)

     Tシャツを借りなくては人前に出ることができない状況であっただろうか?

    疑問二

     第二に、山口敬之氏がTシャツを差し出した、ということは、不自然ではないか?

     「ブラックボックス」では山口敬之氏がTシャツを差し出したと書かれている。山口敬之氏が差し出したのであって、伊藤詩織氏がもとめたのではないということである。

     しかし伊藤詩織氏がTシャツを山口敬之氏にもとめないのに、山口敬之氏が自分からTシャツを伊藤詩織氏に差し出すであろうか?

    疑問三

     第三に、伊藤詩織氏が山口敬之氏のTシャツを「反射的」に身に着けた、ということは、不自然ではないか?

     「反射的」に身に着けたということは、よく考えずにしたということである。伊藤詩織氏は、ほかに着るものがないことで頭がいっぱいになっていたので、少し前まで自分をレイプしていた人のTシャツを身に着ける、ということを考えていなかった、ということであろうか。

     しかしブラウスが「びしょ濡れ」だったからといって、今身に着けるTシャツは、少し前まで自分をレイプしていた人のものだ、ということを意識しないでいることができるであろうか?

     その上に、Tシャツは、身に着けるのにそれなりに手間がかかるものである。両手を通し、首を通さなくてはならない。そして広い範囲の肌と触れなくてはならない。上半身は、人が身近に感ずるところである。

     Tシャツを身に着ける間に、そのTシャツは少し前まで自分をレイプしていた人のものである、ということに思いを致さないでいられるであろうか?

    第二段階の問題との関係

     伊藤詩織氏が山口敬之氏のTシャツをわざわざ借りて、部屋に帰るまで身に着けていた事実は、伊藤詩織氏がその少し前まで山口敬之氏に強姦され、暴行されていたという「ブラックボックス」の記述とつじつまが合わないのではないか?

    早朝の出来事について

     伊藤詩織氏が「ブラックボックス」において、4月4日の早朝、ホテルの山口敬之氏の部屋で起こったこととして書いていることには、いろいろと気になるところがある。

     第一に、山口敬之氏は何故に伊藤詩織氏が目を覚ます時にレイプしたのか?

     伊藤詩織氏が語るように、山口敬之氏がデートレイプドラッグを使っていたとしても、伊藤詩織氏をアルコールで酔わせたとしても、伊藤詩織氏が目を覚ます前にするためではないか?

     第二に、伊藤詩織氏が目を覚ました後に、山口敬之氏は何故に事態をつくろおうとか、関係を修復しようとかいうことを全くしないのか?

     山口氏は社会的地位を持っていたゆえに、そういうことを気にしなかったと伊藤詩織氏は主張しているようである。

     しかし山口敬之氏はそれほどの地位をもっていただろうか? 現に伊藤詩織氏に訴えられているではないか? 伊藤詩織氏が語っているような山口敬之氏の言動の証拠を伊藤詩織氏が持っていたならば、山口敬之氏は追い詰められていたのではないか?

     第三に、伊藤詩織氏は山口敬之氏のレイプから一度トイレに逃げ込むことができたのに、そのトイレの中で得られる安全をすぐに捨てて、ドアを開けて自分を直前までレイプしていた人のところへ行った、というが、おかしくないか?

     第四に、伊藤詩織氏は山口敬之氏に対して必死の抵抗をし、英語で罵倒したと言っている。山口敬之氏に反対する意思をそれだけ明らかにしたというのである。

     ところが、伊藤詩織氏はその後にそういう意思を示さなくなっている。それどころか、山口敬之氏のTシャツをわざわざ身に着けている。不自然ではないか?

     山口敬之氏も、伊藤詩織氏が自分に反対するところをそれだけはっきりと見たのに、全く関係を修復しようとしていない。これまた不自然ではないか?

    カルテ

     第二段階の問題に関しては、カルテという証拠がある。

     判決直後の双方の記者会見で、カルテのことがとりあげられている。

    SankeiNews
    【ノーカット】ジャーナリストの伊藤詩織氏が日本外国特派員協会で会見 2019/12/18

     34分40秒あたりで伊藤詩織氏が語っている。

    「ブラックボックス」とカルテ

     「ブラックボックス」でも書かれているが、伊藤詩織氏は、そのことのあった4月4日土曜日、自分の部屋に帰った後に、産婦人科へ出かけた。(「ブラックボックス」、61頁)

     その産婦人科のカルテには「coitus(性交)AM2~3時頃、コンドームが破れた」と記されていた。―その時に伊藤詩織氏は医師に性交が行われた時間帯はAM2~3時頃であったと言った、ということである。

     「ブラックボックス」において伊藤詩織氏は、「五時台」に目を覚ました時にレイプされていた、と語っている。(「ブラックボックス」、92頁)

     当時のカルテに記載は、「ブラックボックス」の記述と合わないのである。

     それに対して山口敬之氏が、性交は未明に行われて、それから「五時台」に別れるまで二人は眠っていた、ということは、カルテの記載と合う。

     山口敬之氏側は、このことを証拠として、伊藤詩織氏が2017年から事実に反することを言い出したと主張している。第二段階の問題の証拠になると言うのである。

    伊藤詩織氏の説明

     伊藤詩織氏は、そのカルテの記載は正確でないと主張する。伊藤詩織氏はその時に医師にそういうことを言わなかったというのである。

     伊藤詩織氏は、その時に医師との間でなされたやりとりについて、記者会見で次のように説明している。

     医師は性交の時間帯を聞いただけであった。それに対して伊藤詩織氏は早朝とこたえた。それだけであった。コンドームのことなど一言も言わなかった。(All she said was, “what time did it fail?”, and I said “early morning”. That’s it. That was the only conversation. We never discussed about condome.)

     「ブラックボックス」には、「四十歳前後のショートカットの女医さん」が「いつ失敗されちゃった?」と「淡々と言い放ち、パソコンの画面から顔も上げずに処方箋を打ち込む姿は、取りつく島もなかった」とある。(「ブラックボックス」、62頁)

    疑問

     2019年の第一審の判決では、伊藤詩織氏の言う通りに、「カルテの記載内容の正確性には疑義がある」とされた。2019年の伊藤詩織氏の主張によって、2015年の当時のカルテの記載内容の正確性を否定したわけである。

     しかし伊藤詩織氏の言うことはおかしくないか?

     伊藤詩織氏によると、その医師は、カルテに性交の時刻を書くために、伊藤詩織氏に聞いた。それに対して伊藤詩織氏は「早朝」とだけ答えた。そこで医師はカルテに性交はAM2~3時に行われたと記した。そう伊藤詩織氏は語っている。

    疑問一

     第一に、医師はそういう場合、聞き返すのではないか? 聞き返さないということがあるであろうか?

     医師は、カルテに性交の時間帯を書くために、伊藤詩織氏にその時間帯を聞いた。聞く必要があった。

     それに対して、伊藤詩織氏は「早朝」とだけ答えた。医師が答えてほしいことを答えなかったのである。

     しかし医師はカルテに性交の時間帯を書かなくてはならない。そういう場合に、医師はまず聞き返すのではないか?

     伊藤詩織氏によると、伊藤詩織氏が「早朝」とだけ答えたのを聞いて、医師は聞き返すことがなかったようであるが、そういうことがあるであろうか?

    疑問二

     第二に、医師が自分で勝手に他人の性交の時間帯を捏造して記載するだろうか?

     伊藤詩織氏の説明によると、医師は、性交の時間帯について、伊藤詩織氏が「早朝」とだけ答えたことを受けて、勝手に自分で「AM2~3時頃」と書いた。

     医師は、目の前に伊藤詩織氏がいるのに、伊藤詩織氏に性交の時間帯を聞き返すこともせず、自分で勝手に性交の時間帯を考え出してカルテに記載したというのである。これはおかしなことではないか?

     まじめな医師であれば、捏造などしない。

     ふまじめな医師であれば、自分で勝手に他人の性交の時間帯を考え出すような面倒なことをしないのではないか?

    疑問三

     もう一つ。

     伊藤詩織氏は医師に「early morning(早朝)」と言ったというが、「早朝」という言葉は、どちらかというと、「2~3時頃」より、5時頃をさすのではないか?

     「早朝」と言われて、「2~3時頃」のことだと思うということは、不自然ではないか?

    証拠の重み

     2019年の判決では、2019年の伊藤詩織氏の主張によって、2015年の当時のカルテの記載内容の正確性を否定した。

     しかし2019年の伊藤詩織氏の主張は、2015年のカルテの記載と比べて、証拠としての価値は劣る。

  • 橋下徹氏、ついに百田尚樹氏に答える!

    橋下徹氏、ついに百田尚樹氏に答える!

     9月15日に、橋下徹氏が百田尚樹氏に答えるツイートをした。

     質問されてから何日経っているのか。はじめに思ったのはそのことであった。

     前に書いた記事をみると、質問は7月に出されていた。7月に聞かれたことを、9月15日に答えているわけである。

     何があったのか?

     私は橋下徹氏を追いかけているものではない。今回のこともたまたま気が付いたくらいである。

     それにしてもこのことをめぐる橋下氏の言葉はひっかかる。

     解きほぐさなくては気持ち悪いのである。

    橋下氏のツイート

    考察

     現在、日本の保守といわれる人の中でも対立がある。

     橋下徹氏も、維新も、保守ともいわれるが、保守でないともいわれる。保守に反対する親中派ではないかとして、保守派から批判されることがある。

     今度、百田尚樹氏という、保守派で影響力のある人が、橋下徹氏に対して、親中派でないかと、その核心をつく質問をした。そして答えをもとめた。そこで多くの保守派の人が橋下徹氏に答えをもとめた。

     そういう状況があった。

     それに対して橋下徹氏は、「直接答える」のは「100万年早い」と言ったり、「しゃあないから答えてやる」と言ったり、答えることをもったいぶっている。そもそも7月に聞かれたことを9月に「答えてやる」というのは、大変にもったいぶったことである。

     答えると都合の悪いことがあるのか? と思ってしまう。

     いずれにせよ、よほど緊張しているようである。

     もったいぶっておいて、答えは貧相である。橋下氏の思想が貧相なのか? 何かかくそうとしているのか?

     橋下徹氏は、百田尚樹氏を「オッサン」とよび、その人物に対して、その小説に対して罵倒を栗化している。それほど嫌なことをされたのであろうか? いずれにせよ橋下徹氏の言葉は見苦しい。橋下徹氏は親中派か、ということが問われているのに、問題は百田尚樹氏にあるということによって注意をそらせようとしているのではないか、とおもってしまう。

    私の意見

     橋下徹氏は、論客としてテレビ番組に出演して、中華人民共和国に対してどうすべきかという現在の日本の大きな問題について語っている人である。

     百田尚樹氏に聞かれようが聞かれまいが、そのことについて日本国民に説明しなくてはならない。説明しないならば、国家の戦略についての考えを説明することができない、そのくらいの論客だということになる。

     それとも「繋がりを持っておくことこそが外交安全保障の基礎や」というので説明できたと思っているのであろうか? 1ツイートで説明できるくらいのことだと思っているのであろうか?

  • 江川紹子氏の安倍首相の休校要請に関する記者会見に対する批判

    江川紹子氏の安倍首相の休校要請に関する記者会見に対する批判

     2020年2月29日に安倍晋三首相が新型コロナウイルスに関して記者会見を行なった。その記者会見に対して、江川紹子氏が批判した。マスメディア、野党はそれに追随した。

     そこで現れた現在の日本の左翼、マスメディアのおかしな姿を見て、私は衝撃を受けた。

    2月29日の安倍首相の記者会見

     2020年2月29日の安倍晋三首相の記者会見の様子は、首相官邸ホームページに、動画として、文字に起こされたものとして、のこされている。

     安倍首相は、「これから1、2週間が、急速な拡大に進むか、終息できるかの瀬戸際となる」という専門家の見解をふまえて、「今からの2週間程度、国内の感染拡大を防止するため、あらゆる手を尽くすべきである」と考えたという。「多数の方が集まるような全国的なスポーツ、文化イベントについては、中止、延期又は規模縮小などの対応を要請いたします」といい、「全国すべての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校について、来週月曜日から春休みに入るまで、臨時休業を行うよう要請いたしました」というのはそのためだというのである。

     そして、経済財政政策、医療体制の構築についても語っている。

     この記者会見は、その数日前に行われたイベント・学校に対する要請について説明するものであった。その説明は次の通りである。

     安倍首相は新型コロナウイルスについて、「未知の部分」の多いものととらえていた。

    今回のウイルスについては、いまだ未知の部分がたくさんあります。よく見えない、よく分からない敵との闘いは容易なものではありません。

    首相官邸ホームページ

     そしてそれに対して「危機にあっては、常に最悪の事態を想定し、あらかじめ備えることが重要です」と考えていた。「あらゆる可能性を想定し、国民生活への影響を最小とする」ことを考えていた。

     イベントに対する要請、一斉休校の要請は、そういう考えからなされていたのである。

     安倍首相はそのために国民に対して協力をよびかけている。

    率直に申し上げて、政府の力だけでこの闘いに勝利を収めることはできません。最終的な終息に向けては、医療機関、御家庭、企業、自治体を始め、一人一人の国民の皆さんの御理解と御協力が欠かせません。

    首相官邸ホームページ

    安倍首相の会見に対する私の感想

     私は2月のはじめころまで、新型コロナウイルスについて、それほど大きなこととは思っていなかった。

     しかし2月のうちに、このウイルスの脅威を論ずる記事を読んだり、動画を見たりして、このウイルスは大変なものだと考えるに至っていた。

     2月29日に安倍首相の記者会見を聞いて、安倍首相も本腰をいれたか、と私は思った。 

     これから日本国民は新型コロナウイルスという共通の敵に対して、協同して立ち向かっていくだろう、と思った。

    YAHOOニュース

     安倍首相の会見の翌日、YAHOOニュースをみると、トップに安倍首相の記者会見を批判する記事が並んでいた。

     今YAHOOニュースを検索してみると、次のような記事が並んでいる。

     3月2日以降にもそういう記事が並んでいる。

     いずれも、江川紹子氏による批判をとりあげている。江川紹子氏は安倍首相の記者会見に出席していたという。

     江川紹子氏自身の記事もある。

    https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20200301-00165497/

    江川紹子氏の批判の内容

     江川紹子氏の批判は2月29日のツイートから始まっている。

     上に挙げたYAHOOニュースの記事に続いて、3月3日にも安倍首相の2月29日の記者会見について論じた記事を発表している。

    https://biz-journal.jp/2020/03/post_144510.html

     江川紹子氏は、安倍首相の記者会見に対して何を批判したのか?

    「エビデンス」、見通しの説明

     江川紹子氏は第一に、そのYAHOOニュースの記事のサブタイトルにあるように、安倍首相は説明責任を果たすべきだったと批判した。

     安倍首相は、そのイベント・学校に対する要請について「どういう根拠に基づいて、この方針を決めたのか、それによってどういう効果が期待できるか、という説明」を行うべきだと批判したのである。

     根拠、「エビデンス」に関しては、次のように語っている。

    中国のデータでは、子どもの患者は極めて少なく、10歳未満の死者は1人もいない。逆に、高齢者は死者が多く、リスクが高いのは明らか。専門家会議も、まずは死者を減らすことが大事だと指摘している。そのうえで、全国の学校の休校を選択した判断の根拠、その元となるエビデンスは何か。

    新型コロナ対策・首相記者会見で私が聞きたかったこと~政府は国民への説明責任を果たせ

     「見通し」に関しては、次のように語っている。

    全国一斉の長期の休校を実施することによって、期待される効果や獲得目標を具体的に示して欲しい(たとえば、罹患者を何%減らせる見込みだ、とか、死亡する人をどれくらい減らす、とか)。

    新型コロナ対策・首相記者会見で私が聞きたかったこと~政府は国民への説明責任を果たせ

    私の反論

     江川紹子氏の批判は、安倍首相の記者会見とかみ合っていない。

     安倍首相は記者会見において、その決断を行った理由を十分に説明している。

     安倍首相は、当時の日本は感染拡大の瀬戸際にあるという専門家の見解をもとにして、「未知の部分」が多い新型コロナウイルスに対して、「最悪の事態を想定し」て、「あらかじめ備える」ために、イベント、学校に対する要請を行ったと説明している。

     その説明によって、安倍首相は、江川紹子氏が言うような、「エビデンス」、「見通し」をもつことができない状況と考えていたことは、明らかである。そういう状況では、江川紹子氏が言うような、「エビデンス」、「見通し」を言わなかったことは、しかたがないことになる。

     安倍首相が「エビデンス」、「見通し」の説明責任を果たさなかったと批判するためには、その前に、安倍首相に反対して、「エビデンス」、「見通し」をもつことができる状況にあると証明しなくてはならない。

     しかしその後に各国で休校が行われて、半年たっても制限の緩和が簡単にできないところをみると、2020年2月29日に、江川紹子氏が言うような「エビデンス」、「見通し」をもつことはできなかったと思われる。

     江川紹子氏は、安倍首相に超人的な能力をもとめているようにみえる。

     江川紹子氏は「「質問がつきるまで答えましょう」と言えば、国民はどれだけ政府を心強く感じただろうか」と言っているが、やはり安倍首相に全知全能をもとめているようである。たしかにそういうことができれば、国民は力強く感じたであろう。しかしそういうことができた人はいなかったのではないかと思われる。

     江川紹子氏自身も「エビデンス」、「見通し」を持っていなかったと思われる。

     江川紹子氏は、3月3日に次のようなツイートをしている。

     休校中の中高校生が都内の繁華街に出てきたことを「根拠」として、休校を考え直すべきだと言っているようである。安倍首相より説得力があるであろうか?

     安倍首相は、専門家会議に諮らずに、イベント・学校に対する要請を行ったとか、その科学的根拠を示さなかったとかいうことで、科学を尊重すべきだ批判された。しかしそのように批判する人は、江川紹子氏をみても、必ずしも科学を尊重していなかった。安倍首相を批判する手段として科学を利用していた。

     たとえば英国政府が科学を尊重しているという報道が安倍首相を批判する手段としてつかわれた。江川紹子氏もそういう報道をリツイートしている。

     しかし英国ではその会見の直後に感染が爆発して、集会自粛、学校閉鎖が行われた。英国の感染者数、死者数は日本よりはるかに多くなった。

     安倍政権を叩くことを目的として、そのために科学を利用するのでは、科学を尊重することにならないのである。

    迅速な説明

     江川紹子氏によると、安倍首相は迅速に説明する責任があった。ところが安倍首相はその責任を果たさなかったという。

    首相は2月26日、27日と、立て続けに国民生活に大きな影響を与える判断をしたが、それについて説明が遅れたのはなぜか(「首相動静」によれば、27日には午後6時40分には官邸を出て公邸に戻り、その後も来客はない。28日の夜には作家の百田尚樹氏、ジャーナリストの有本香氏と公邸で会食をし、私邸に帰っている)。

    新型コロナ対策・首相記者会見で私が聞きたかったこと~政府は国民への説明責任を果たせ

     安倍首相は26日にイベントに対する要請、27日に学校に対する要請を行ったが、そのことについて説明する記者会見を29日に行った。そのことについて「説明が遅れた」と批判しているのである。

     その間にイベントの「主催者や地域は大きな損失を抱える不安を抱いている」といい、学校に関しても「多くの人や自治体が不安を抱え、対応に追われ、混乱を来した」という。

    私の考え

     江川紹子氏は大変な問題のように語っているが、それほどの問題があるであろうか?

     そもそも江川紹子氏がもとめるような説明のできない状況にあったとすると、説明がなかったとか、説明が遅れたとかいうことは的外れになる。

     その状況でできるだけの説明はなされていたということもできる。イベント・学校に対する要請は、新型コロナウイルスの感染を避けるためになされたことは明らかである。

     混乱はあったであろう。しかしそのもとは新型コロナウイルスにある。休校は正しくないと言う「エビデンス」がないかぎり、安倍首相より前に新型コロナウイルスを問題としなくてはならないはずである。

     その後に欧米の先進国でも休校が行われた。安倍首相の休校要請に対する批判もおさまるかとおもっていた。ところが左翼の中で、安倍首相の休校要請が混乱を招いたということは、後々まで言い続けられた。

    その他に聞きたかったこと

     江川紹子氏はその他にも「聞きたかったこと」を列挙している。

     たとえば。

    専門家会議のメンバーは全国一斉の休校は議論していないと言っているが、(専門家会議以外の)他の専門家の助言があったのか。あったとしたら、それは誰で、どのような内容だったか。

    新型コロナ対策・首相記者会見で私が聞きたかったこと~政府は国民への説明責任を果たせ

     これは意味のない質問である。

     安倍首相は「最悪の事態を想定し」て、「あらかじめ備える」という考えで一斉休校を要請したと説明している。専門家でも十分な根拠にもとづいた対策を考えることができない状況で、政治的決断を行ったというのである。

     それに対して誰が助言を行ったかを質問しても意味がない。

    準備期間もほとんどないまま、休校に踏み切ることで、様々な弊害やリスクがある。そうした弊害やリスクと、休校を実施することによるメリットの兼ね合いを、誰とどのような形で検討し、それぞれの弊害やリスクについて、どのように調整、もしくは克服することにしたのか

    新型コロナ対策・首相記者会見で私が聞きたかったこと~政府は国民への説明責任を果たせ

     これも、2020年2月29日の安倍首相に説明責任があったというのは酷である。半年たってみると一層そう思う。

     江川紹子氏はその他にもいろいろなことについて「聞きたかった」という。しかし2月29日の記者会見で安倍首相に説明する責任があることではないようである。

     たとえば江川紹子氏は、学童保育に関する質問を三つ、給食の生産者に関する質問を一つ挙げているが、そういうことは後で考えればいいことであって、2月29日の記者会見で答えなくてはならないこととは思えない。

     江川紹子氏は、休業に対する補償についても聞きたかったという。このことはその後に問題となってきたことである。しかしこれまた、2月29日の記者会見で答えなくてはならないこととは思えない。

     そもそもこの時には国会が開かれていて、安倍首相は連日、野党議員の質問を受けていた。そういう状況で、江川紹子氏が2月29日の記者会見で「聞きたかった」ことが聞けなかったとしても、問題があるとは思えなかった。

    「記者会見」のやり方に対する批判

     江川紹子氏の批判は、記者会見の内容に対してだけでなく、そのやり方に対するものでもあった。

     3月3日付の「江川紹子が目撃した、不健全で堕落した「安倍首相やらせ会見」…記者クラブは今すぐ是正を」という記事では、その題にもあらわれているように、記者会見のやり方に対する批判が中心となっている。

     江川紹子氏は、安倍首相の記者会見において、質問者も、質問内容も、事前に決まっていたことを問題としている。

    複数の証言によると、首相会見では事前に質問者が指名されており、質問内容も事前に提出している、とのこと

    新型コロナ対策・首相記者会見で私が聞きたかったこと~政府は国民への説明責任を果たせ

     そしてそのことを安倍首相の問題として批判している。

    安倍首相自身が、「国民が知りたいこと」ではなく、「自分が言いたいこと」を言うのが広報であると勘違いしている(中略)彼の情報発信はいつもそうである。

    江川紹子が目撃した、不健全で堕落した「安倍首相やらせ会見」…記者クラブは今すぐ是正を

    私の考え

     安倍首相の記者会見のやり方には、改善すべきところがあるかもしれない。メディアをめぐる状況が変わっているのに、古いやり方が行われているところがあるかもしれない。

     しかし2020年2月29日の記者会見がどういうものであったかを考えると、江川紹子氏が問題としていることは、私には問題と思えない。

     2月29日の記者会見は、日本国民が新型のウイルスの危険に直面しているという非常事態において、安倍首相がイベント・学校に対する要請という政治的決断を行った事情を説明して、日本国民に協力をもとめるというものであった。

     江川紹子氏が安倍首相の要請は正しくないということの十分な「エビデンス」を持っていたならば、そのことを記者会見から締め出すことは正しくないといわなくてはならない。

     しかし江川紹子氏はそういう「エビデンス」も「見通し」も持っていなかった。そういう質問がとりあげられなくてはならないということはおかしくないか? 江川紹子氏のように、十分な「エビデンス」なしに、安倍首相は正しくないかのような印象をつくりあげる人に発言させることは、国民を危険においやることではないか?

     その他の江川紹子氏が「聞きたかったこと」も、上に見たように、2月29日の会見でとりあげられなくてはならないとは思われないことばかりであった。

    私の受けた衝撃

     安倍首相の記者会見に対する江川紹子氏の批判はおかしいと私は思った。マスメディア、野党が江川紹子氏に追随したことはさらにおかしいと思った。

    批判になっていない

     すでに明らかにしたように、安倍首相の2020年2月29日の記者会見に対する江川紹子氏の批判は、安倍首相の記者会見とかみ合っていない。

     たとえば、安倍首相の休校の要請に反対するためには、それだけの「エビデンス」を示さなくてはならない。江川紹子氏はそれだけの「エビデンス」を示していない。

     安倍首相が休校の要請の十分な「エビデンス」を持っていないとしても、だからといって、休校の要請が正しくないということにはならないのである。

     安倍首相が専門家会議に諮らずに休校の要請を行ったとしても、だからといって、休校の要請が正しくないということにはならないのである。

     江川紹子氏は安倍首相の休校の要請に反対する「エビデンス」をもっていなかった。ところが江川紹子氏の記事では、安倍首相の休校の要請は正しくないことのようである。論理においては、反論できていないのに、修辞においては、反論できているかのように見せているのである。

     反論できているかのように見せていても、反論はできていないのである。江川紹子氏も、江川紹子氏に追随した左翼、マスメディアも、反論できていないことがわからないほど愚かだったのであろうか? それとも、わかっていて、その上で受け手をだまそうと考えていたのであろうか?

    盲目的な安倍首相叩き

     安倍首相の2月29日の記者会見に対する江川紹子氏の批判を見たときに、それまでの森友事件、加計事件、「桜を見る会」などにおいて左翼が安倍首相を攻撃したのと同じやり方ではないかと私は思った。

     江川紹子氏は3月3日付の「江川紹子が目撃した、不健全で堕落した「安倍首相やらせ会見」…記者クラブは今すぐ是正を」という記事において、安倍首相の2月29日の記者会見について「彼の情報発信はいつもそうである」といって、「桜を見る会」に関する記者会見をとりあげている。2月29日の記者会見は、それまでの「桜を見る会」と同じように安倍首相の批判されるべき「情報発信」がなされたものとみているのである。

     森友事件でも加計事件でも安倍首相が悪いことをしたという証拠はない。しかし「疑惑」はあるとして、安倍首相を責めていた。

     安倍首相の休校要請に対して、専門家会議に諮らなかったことを問題として、その間に何があったのか追及しようとしている姿は、まさに「疑惑」を追及する姿である。「説明責任」をもとめているところも、同じである。

     しかし安倍首相の休校要請は「疑惑」の対象になるようなことではない。休校要請は、安倍首相にとってもいいことでないにちがいない。新型コロナウイルスという大きな悪を避けるために、それより小さな悪としてとったことにちがいない。私腹を肥やすためではなかったにちがいない。

     ところが江川紹子氏をはじめとして、多くの人が、安倍首相が私腹を肥やすためにやったのではないかという「疑惑」を追及するやり方をとっている。それがどうにもおかしかった。

    国民の安全

     新型コロナウイルスは、森友事件とか、加計事件とか、「桜を見る会」とかと違って、国民の安全と直接に関わることである。そこでそれまでと同じやり方をとることは、国民を危険にさらすことになりうる。

     たとえば安倍首相の休校の要請には、十分な根拠がなかった。しかし正しくないという根拠もなかった。

     そういう状況で、江川紹子氏は、安倍首相に反対するのに十分な根拠をもっていないのに、安倍首相が正しくないかのような印象をひろめた。安倍首相は、国民の安全をより多く守る可能性のためにはたらいていたのに、江川紹子氏は、その可能性を減らすためにはたらいていたわけである。

     安倍首相は、国民を新型コロナウイルスから守ることを目的としていたのに、江川紹子氏はそれより安倍首相をやっつけることを目的としていたように見える。江川紹子氏の頭の中には、安倍首相をやっつけることだけがあって、国民の安全も、新型コロナウイルスもないのではないかと私は思った。

     江川紹子氏は新型コロナウイルスの脅威を軽く見ていたのではないかと思われる。

     私は新型コロナウイルスを前にして、専制的な政府もおそろしいが、日本のように政府を批判することに凝り固まった勢力が一定の勢力をもっていることもおそろしいと思った。専制的な政府が情報を統制してしまうことはおそろしい。日本では政府に反対する勢力も自由を認められているので、そういうことはない。ただし日本では政府に反対することに凝り固まった勢力が、国民の安全をその「倒閣ごっこ」の手段として利用するというおそろしさがある。

    記者会見のやり方に対する批判

     安倍首相の記者会見に対して、江川紹子氏はその記者会見のやり方を批判した。マスメディアも、野党も、江川紹子氏に追随して記者会見のやり方を批判した。そしてそれから安倍首相の記者会見が行われるたびに、記者会見のやり方に対する批判が行われることになった。

     安倍首相が、国民に、新型のウイルスの脅威を知らせて、協力をもとめた記者会見に対して、記者会見のやり方を問題としている姿は、どうにもおかしい。国民が新型のウイルスと戦うという非常事態において、それとは別の、それほど重要ではないことを、それより重要なことであるかのように騒いでいたのである。

     江川紹子氏の批判は、蓮舫議員等によってとりあげられて、国会で安倍首相に対して質問というかたちでぶつけられた。それを江川紹子氏がとりあげて、次のように言っている。

     蓮舫氏も江川紹子氏もおかしいと私は思った。

     そもそも記者会見において質問を制限することは必ずしも悪いことではない。特に新型のウイルスの危険が迫っているという非常事態の記者会見においては、相当の理由があると思う。それを「やらせ」とか「堕落」とか言って悪いことと決めつけていることはおかしい。

    民主主義ごっこ

     江川紹子氏は、安倍首相の記者会見は民主主義に反すると批判していた。

     3月2日の記事には次のような言葉がある。

    「黙って俺について来い」は独裁国家のやり方だ。民主主義国家であるならば、どれだけ対応を急ぐ時でも、「かくかくしかじかなのでついてきてほしい」と、その根拠や理由、あるいは効果や見通しなどを、誠意を持って説明し、国民の協力を求めるのが筋だ。それをできるだけ効果的に、効率よく行うのが、首相の広報対策であるべきだろう。

    江川紹子が目撃した、不健全で堕落した「安倍首相やらせ会見」…記者クラブは今すぐ是正を

     このように江川紹子氏は、安倍首相は2月29日の記者会見を「独裁国家のやり方」であって、「民主主義国家」に反するものとして批判している。

     しかし安倍首相の記者会見は、江川紹子氏の言うように、国民に説明せずに「黙って俺についてこい」というものではなかった。安倍首相は、緊迫した事態にあるという専門家会議の認識を伝えて、そこで「最悪の事態を想定し」て、「あらかじめ備える」という考えで、イベント・学校に対する要請を行ったことを説明している。

     安倍首相は民主主義に反することをしていないのに、江川紹子氏はしたと決めつけて批判しているのである。このように、客観的には民主主義運動でないのに、主観的にそう思い込んでいるものを「民主主義ごっこ」とよぶ。

     ちなみに「独裁」というのは、古代ローマの共和制が非常事態に対処するために作られた制度であって、共和制と矛盾するものではない。

     江川紹子氏はその「民主主義ごっこ」を記者会見のやり方を批判するというかたちで行ったわけである。

    安倍政権で行われているのは、「記者会見」とはとても呼べない。1人ひとりの記者が、官邸の意向にあらがうのは難しいかもしれない。けれども、権力者がメディアをコントロールしようとする時に、それと対峙し、取材の自由、報道の自由を守るためにこそ、記者クラブは存在するのではないか。

    江川紹子が目撃した、不健全で堕落した「安倍首相やらせ会見」…記者クラブは今すぐ是正を

     江川紹子氏は安倍首相の記者会見について「権力者がメディアをコントロールしようとする」ものと評している。

     記者会見のテレビ放送に限って言うと、「権力者がメディアをコントロールしようと」したということはできるかもしれない。

     しかし、江川紹子氏のように、記者会見を批判する記事を発表することに対して、「権力者がメディアをコントロールしようとする」ことは全く見られなかった。現代の日本において「取材の自由」、「報道の自由」はそれだけ守られているのである。

     安倍首相の記者会見には、改善されるべきところもあるかもしれない。しかしそれは日本国民の自由にとって部分的な問題にすぎない。国民の自由の一部、「取材の自由」、「報道の自由」の一部にすぎない。国民の「知る権利」の限られた部分にすぎない。部分的な問題は、部分的に扱われるべきではないか? 江川紹子氏のように、首相の記者会見において自分の「聞きたいこと」がとりあげられなかったことを、新型コロナウイルスから国民を守ることより重要なことでもあるかのように発信することは、おかしくないか? マスメディア、野党が江川紹子氏に追随したことも、おかしくないか?

     官邸とジャーナリストとの闘いは、これより前に、東京新聞の望月衣塑子記者と菅官房長官との間で行われたものが話題となっていた。その時に東京新聞は「記者は国民の代表として質問に臨んでいる」と言っていた。それに対して江川紹子氏はジャーナリストは「国民の代表」ではないと言った。

     どういうことか?

     「1人のジャーナリストが国民に成り代わって意思表示をしたり、国民全体のモノの見方を表明することなどできない。国民から選抜された存在でもない。なにより、取材活動というのは、国民を代表してやるものではなく、基本的には記者本人や所属する媒体の「知りたい」「伝えたい」という関心に突き動かされて行うものだと思う。」と言い、「取材の対象も情報の受け手も、日本の国民とは限らない。」と言い、「ジャーナリストの活動は、「国民の代表」ではなく、「人々の代理」として行っていると言うのがふさわしいのではないか」と言うところをかんがえると、ジャーナリストは、国民全体を代表するものではなく、国民の一部の「考えや好み」を代表するものということのようである。(【官邸vs東京新聞・望月記者】不毛なバトルの陰で危惧される「報道の自由」の後退

     江川紹子氏は、その記事においては、望月衣塑子記者に対して批判的であって、その、ジャーナリストを「国民の代表」とよぶことに対しても批判的であった。ただし官邸に対しても批判的であった。

     ジャーナリストは「国民の代表」ではないということは、自分が国民全体を代表しているのでなく、その一部を代表しているにすぎないことをわきまえるべきだということのようである。

     しかし江川紹子氏自らジャーナリストを「国民の代表」であるかのように語っている。

     ここでは、記者会見において記者は国民の代表であるべきだと語っている。前にジャーナリストは「国民の代表」ではないと言ったこととどうして一貫するのか、説明してほしいところである。

     いずれにせよ、自分が「聞きたいこと」がとりあげられなかったゆえにその記者会見は「堕落」したものだと言って攻撃することは、自分を「国民の代表」とすることである。

     江川紹子氏は自分のツイートが多くの人の賛同を得たという。

    「質問があります」と述べたのに打ち切られた、という趣旨の私のツイートは、20時間ほどで280万以上の人に見られ、2万1000回リツイートされ、4万1000もの「いいね」がついた。それを見ても、今回の会見に落胆した人は、相当数に上ると言えるのではないか。

    新型コロナ対策・首相記者会見で私が聞きたかったこと~政府は国民への説明責任を果たせ

     たしかに多いといえば多い。

     しかし現在の日本の野党の支持者の数について考えてみよう。数としては大きいが、日本国民全体の中で占める割合はそれほど大きくない。与党に比べるとけた違いに少ないのである。

     安倍首相に反対することに凝り固まっていて、ことあるごとに安倍首相を批判する人は、数としては多くいる。しかし国民全体の中で小さな部分に過ぎないと私は思う。

     江川紹子氏を支持した人は、国民の一部分にすぎず、しかも全体の中で小さな部分にすぎないと私は思う。

     江川紹子氏は、部分的なものを全体的なものと思い込む、「木を見て森を見ず」式の考え方をとっている。江川紹子氏に追随したマスメディア、左翼も同じようにおかしな考え方をとったわけである。

     江川紹子氏は、安倍首相の記者会見を批判して、「堕落」とまで評した。しかし私には、江川紹子氏と、それに追随したマスメディア、野党こそ批判されるべき「堕落」したものと見えた。

     

  • 橋下徹氏の中国についての発言(2020年8月16日の「日曜討論the PRIME」)

    橋下徹氏の中国についての発言(2020年8月16日の「日曜討論the PRIME」)

     2020年8月16日のフジテレビの「日曜報道the PRIME」で、橋下徹氏の言うことを聞いていて、理解に苦しんだので、整理してみた。

     7月26日の「日曜報道the PRIME」で、橋下徹氏が、二階氏のような政治家を増やすべきだと言ったことも理解に苦しんで、整理してみた。今回の発言も、前回の発言と関係があるが、やはり理解に苦しんだ。

     それほど重要なことかと何度も思った。しかし橋下氏は、現在の日本において影響力のある人である。それよりまず、私が橋下氏の言葉を聞いて不快に感じたことを解きほぐして気持ちよくなりたいとおもった。

    議題

     香港の国家安全維持法によって黎智英氏、周庭氏が逮捕されたことに対して、日本政府は重大な懸念を有しているという声明を出した。それに対して中華人民共和国は内政干渉をやめるように言った。

     そのことについて、スタジオにいる、橋下氏、櫻井氏、甘利氏の三人はどう考えるか、というかたちで討論は始まった。

     櫻井氏、甘利氏は、中華人民共和国が国内において、自由、民主、人権に反対し、国際的な信義に反対することに対しては、米国をはじめとして非難する流れができている現在、日本は言うべきことを言うべきだという。

     橋下氏は、それに対して、中華人民共和国に「内政干渉」と言われないようにすべきだという。

     橋下氏は、言い方に気を付けるべきだという。簡単に反論されるような言い方はすべきでないという。

     あくまでも日本の安全保障ということから言うべきだという。

     そこまでは、理解に苦しむことはない。

    域外適用

     橋下氏は、香港の国家安全維持法に対して、「域外適用」ということを問題とすることに反対する。「域外適用」は他の国にもあるというのである。

     その主張は、それだけでみると、問題ないようである。

     しかし今回の番組において、橋下氏がそのことを力説することにどういう意味があるのか、理解に苦しむ。

     橋下氏の主張は、香港国家安全維持法の問題は「域外適用」ということだけにあるという人に対してのみ意味があることである。

     今回の討論の相手である櫻井氏も甘利氏も、香港国家安全維持法の問題は「域外適用」ということだけにあると言っていない。

     討論番組において、討論の相手が言っていないことを反駁することに意味があるだろうか?

     橋下氏も、香港の国家安全維持法の中身には問題があるという。櫻井氏、甘利氏と同じ考えであるとすると、櫻井氏も甘利氏も言っていないことのために時間を浪費したことの意味はますますわからなくなる。

    英中共同声明

     次に橋下氏は、中華人民共和国中共同声明に反して香港の一国二制度をなくしたことに対して、日本がどこまで口をはさむことができるかを問題とする。

     中共同声明は中二国間のことである。そのことについて、日本が口を出すならば、日本は、日共同宣言の北方領土問題に関して中華人民共和国が口をはさんでくることを認めなくてはならない、という。

     このあたりも理解に苦しむ。

     思うに、理想論と現実論とが混ざり合っている。

     第一に、日本の北方領土問題と、中華人民共和国の香港問題とは違うと多くの日本人が考えるであろう。日本の北方領土問題に中華人民共和国が口を出すことと、中華人民共和国香港問題に日本が口を出すこととは違うと考えるであろう。

     自己中心的な主観的な感情によって違うと考えるのではなく、客観的に違うと考えるであろう。

     日本の北方領土において、日本はソ連に侵略された領土の返還をもとめている。

     中華人民共和国香港に関して、国際的な信義に反対し、自由、民主、人権に反対することを行っている。

     日本が、自由、民主、人権、国際的な信義のために、中華人民共和国香港に対してやっていることを批判することと、中華人民共和国が日本の北方領土問題に口をはさむことに反対することとは、矛盾することではない。

     以上は理想論である。

     現実論としては、日本は米国のような力を持っていないゆえに、中華人民共和国に対して理想論の通りに言うことができないのではないか、という問題がある。

     橋下氏は、その現実論を主張しているようである。

     ただし橋下氏の主張では、理想論と現実論とが混同されているように聞こえる。

    TikTok

     甘利氏は、TikTokによって情報が中華人民共和国政府に抜き取られることを問題とする。

     そのことはすでに様々な国で問題になっている。日本も問題としなくてはならないという。

     それに対して橋下氏は、日本は米国についていくほかなく、安全保障上断ち切るべきところは断ち切らなくてはならないが、経済上利益をとるべきところはとるというように賢くやるべきだという。

     橋下氏の考えでは、TikTokは、「安全保障上断ち切るべき」ところに入るのであろうか、それとも「経済上利益をとるべき」ところに入るのであろうか、よくわからない。

    米国に対する認識

     橋下氏は、米国の現在の対中政策はトランプ大統領個人によるものであって、今度の大統領選で大統領がかわると、政策も変わるかもしれない、そのことに備えるべきだという。

     橋下氏は前回もそう言っていた。橋下氏の「現実論」の根拠はそこにあるようだ。

     たしかに大統領によって政策が変わるおそれはある。

     しかし甘利氏、櫻井氏も言うように、米国の現在の対中強硬政策は、トランプ大統領が主導しているものではなく、議会が主導している。現在、続々と出されている対中強硬法案は、米国議会で、与野党によって支持されて可決されたものである。

     大統領が変わっても、その流れはとどまらないのではないか。

     今度の大統領選で民主党も対中強硬策を出している。

     民主党の経済外交について、「中国包囲に照準」と伝えられている。

     現在、台湾の蔡英文政権も、ファイブアイズの国々も、米国とともに中華人民共和国に対抗することに踏み出している。そういう状況で、米国がそのはしごを外すことを考えるべきであろうか?

    日本国内に対する認識

     甘利氏も櫻井氏も、日本の企業は、中華人民共和国の企業と関わると情報、技術がとられる危険があって、そのために米国中華人民共和国と関係を持つものを制裁しようとしているにもかかわらず、そのことについて警戒心が薄いことを問題としている。

     それに対して橋下氏は、日本は経済上利益をとるべきところはとるというように賢くやるべきであるのに、自民党をはじめ国会議員の様子をみると、全部断ち切れなどというので、懸念をもっているという。

     橋下氏は前も同じようなことを言っていたが、やはり理解に苦しむ。

     現在、日本の政府も、経済界も、甘利氏、櫻井氏が言うように、中華人民共和国に対して断ち切る方向に行き過ぎておらず、逆に、警戒心が薄くて、断ち切らなすぎている。

     橋下氏は、自民党をはじめ国会議員の様子を問題としているが、甘利氏、櫻井氏が問題としている日本の政府、経済界に対してどう考えるのか? 日本全体にとってはそちらの方が問題ではないか?

    難民

     橋下氏は、周庭氏をサポートするという議論で、抗議すべきだということに対して、異論があるという。

     日本は、香港だけでなく、ウイグルでも、どこでもいいから、政治的な難民をどこからもどんどん受け入れるという制度を作るべきだという。

     え・・・?

     香港、ウイグルはともかく、なにゆえにそのほかに、「どこでもいいから、政治的な難民をどこからもどんどん受け入れるという制度を作るべきだ」ということになるのか?

     そもそも難民を受け入れることには問題がある。

     それより前に抗議すべきではないのか?

    終わりに

     今回の番組を見ていて、橋下氏の言動に対して不快に感ずるところが多かった。

     自分なりに分析してみると、こういうことではないかとおもう。

     橋下氏は、安全保障の観点から、日本は中華人民共和国との関係を重視すべきだという立場をとっているようである。そういう立場に同意するとしても、反対するとしても、橋下氏がどっしりと構えて、相手を納得させるように語ったならば、不快に感じなかったのではないかとおもう。

     橋下氏が、櫻井氏の言うことをさえぎって、「そこはわかってます」と言うのは不快であった。「そこはわかってます」というのは、部分的に同意するということであろうが、どこまで同意して、どこから反対するのか、よくわからない。それゆに不快に感じたのである。

  • 安倍内閣の支持率について 反安倍派に対する疑問

    安倍内閣の支持率について 反安倍派に対する疑問

     8月14日に蓮舫氏が米山隆一氏のツイートをリツイートしていた。

     米山隆一氏は時事通信の世論調査をみて、「潮目は完全に変わって」いるとみなした。

     そのツイートを、蓮舫氏がリツイートしたわけである。

    「潮目」は変わっているか?

     私には、特に潮目が変わっているようには見えない。

     「潮目が変わる」というのは、日本国民の支持が、安倍政権とは違う勢力に向かっているということであろう。

     米山隆一氏がとりあげている時事通信の世論調査では、各党の支持率は次のようになっている。

    政党支持率は、自民党が24.2%、立憲民主党が3.5%。以下、公明党3.3%、共産党1.6%、日本維新の会1.5%、国民民主党0.6%、れいわ新選組0.6%、社民党0.5%、NHKから国民を守る党0%で、「支持政党なし」は61.6%だった

    時事ドットコム 「内閣支持32%、過去最低目前 コロナ対応「評価せず」6割―時事世論調査」

     野党の支持率はこれだけ低いのである。単独で自民党と拮抗できる党はなく、野党を合わせても、自民党に遠く及ばない。

     60%以上いる「支持政党なし」という人は、自民党を支持しないと同時に、野党を支持しないのである。

     こういう状況は長いこと変わっていない。

     むしろ自民党政権は安定しているというべきではないか。

     その自民党の中で安倍首相より支持されている人がいるわけでもない。

     新型コロナウイルスは世界中で感染を拡大している。半年たってますます拡大している。その感染を防ぐために、経済に自ら打撃を加えることを余儀なくされている。

     安倍政権のやってきたことは必ずしも完全ではなかったと思うが、そもそも大変な被害の生ぜざるを得ない事態である。

    反安倍派に対する疑問

     現在、安倍政権の支持率が下がっているが、野党の支持率はそれよりはるかに低い。

     安倍政権より支持される勢力は出てきていない。潮目は変わっていない。

     中身がないのに、中身があるかのように言うことは、むしろ中身があるようにすることに反対することではないか?

     蓮舫氏は第一野党立憲民主党の副代表である。与党自民党の支持率が24.2%であるのにたいして、3.5%の支持率しかない政党の副代表である。

     蓮舫氏はその米山隆一氏のツイートをリツイートして、何がしたかったのであろうか?

     安倍政権の支持率が下がっていると言っても、蓮舫氏が副代表を務める立憲民主党の支持率はそれよりはるかに低いのであるから、安倍政権にとってかわるような力はない。安倍政権にとってかわるような野党の連合があるわけでもない。

     蓮舫氏は、米山隆一氏が言うように「潮目が完全に変わって」いると思っているのであろうか?

     そうだとすると、それほど政治を見る目がない人が政権をとることはできないと思われる。

     蓮舫氏は、潮目が変わっていないと知っていて、その上で米山隆一氏のツイートをリツイートしているのであろうか?

     しかし潮目が変わっていないと知っているにも関わらず、潮目が変わっているというツイートをリツイートすることは、私には理解できないことである。

     安倍政権にかわる政権を求める人は、むしろ蓮舫氏をこそ責めるべきではないか?

    反安倍の病理

     反安倍派の言動をみていると、精神的な病理があるのではないか、と思うことがある。

     その思想自体が矛盾しているゆえに、実現せず、苦しんでいるという病理である。実はほかならぬ自分のせいで苦しんでいるのである。

    追記 辞任直前の支持率上昇

     2020年8月28日、安倍首相は辞意を表明した。

     その後に視聴率は大幅にあがった。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/a0ada38e9842f2cd76ebb361cccc5c10d6298c62

     このことについて様々な説明ができるであろう。

     私の思うに、それまで支持率が下がっていたのは、安倍政権を前提とした上でのことであった。マスメディアが安倍政権批判を繰り返すので、支持率は下がった。しかし今度の支持率は、安倍政権を他と比べたものであった。その支持率は高かった。そういうことではないか?

  • トランプ米大統領のTikTok排除をめぐる報道

    トランプ米大統領のTikTok排除をめぐる報道

     2020年7月31日、トランプ米大統領は米国内でのTikTokの使用を禁止することを発表した。

     そのことを受けて、そのことをトランプ大統領の個人的な理由によるとし、それに対して米国の若いTikTok利用者が反発するという記事が出てきた。

    TikTokの使用禁止をトランプ大統領の個人的理由によるものとする記事

    Forbes

     まずForbesの8月1日の記事。

    https://www.forbes.com/sites/abrambrown/2020/08/01/is-this-the-real-reason-why-trump-wants-to-ban-tiktok/#32c7fe764aed

     日本語版。

    https://forbesjapan.com/articles/detail/36261

     トランプ大統領は、TikTokを使用禁止にする理由は国家安全保障上の問題にある、ユーザーのデータが中華人民共和国に渡ってしまうことにあると公的に語っていた。

     この記事はそのことを認めながら、それに対して、トランプ大統領にはそのことと別に個人的理由があるという。TikTokの利用者がそういっているという。

     トランプ大統領の個人的な理由とは、トランプ大統領が6月20日にタルサで集会をやった時に、トランプ大統領に反対するTikTok利用者が集会の席を買い占めて、集会の参加者を少なくした、そのことに対する報復として、TikTokは使用禁止とされたということである。

     民主党のオカシオコルテス下院議員は当時、このことをやったTikTok利用者を称賛していた。

     オカシオコルテス下院議員はこのように、うそのチケット予約を称賛している。

     ちなみにオカシオコルテス下院議員は同時にKPOPファンが同じようなことをしていたことをも称賛している。

     FORBESによると、トランプ大統領はそのことに対する報復として、TikTokの使用禁止をきめたと言われているというのである。

     しかしそもそもトランプ大統領の今度のTikTok使用禁止ということは、それまでに米議会の上下院が賛成多数で可決してきた法案を受けてのことである。それをトランプ大統領の個人的な理由によって起こったことのように言うことはおかしい。

     ついでにいうと、うそのチケット予約によって、集会の参加者を少なくすることは正しくないことである。TikTokが正しくないことによって政治を動かしてしまうものだとすると、それを排除することは、国家の安全のために正しいことになるのではないか。

     タルサの集会でも、TikTok利用者は、オカシオコルテス下院議員のような考えで動いただけでなく、トランプ大統領再選を嫌う中華人民共和国の考えで動いていたかもしれない。

    人民網

     次に中華人民共和国の人民網。8月3日。

    http://j.people.com.cn/n3/2020/0803/c94476-9717625.html

     この記事でもトランプ大統領の「個人的な恨み」を原因として、タルサの集会のことをとりあげている。

     この記事ではまた、米国に多いTikTok利用者がトランプ大統領に反対すると言われている。

    時事ドットコム

     次に日本の時事ドットコムの記事。8月12日。

    https://www.jiji.com/jc/article?k=2020081100770&g=int

     トランプ大統領がTikTokを使用禁止とした理由は、11月の大統領選の再選にあるとして、しかしTikTok利用者の若者の反発を買って逆効果になっているという。ここでも6月のタルサの集会のことがとりあげられている。

    同じような記事が出てきた理由

     上に挙げた三つの記事はそれぞれ似ている。

     同じ事実を報道したから似ているのではない。いずれも同じ事実を報道したというには、内容が偏っている。

     いずれも同じ報道をそのまま受け取ったというべきではないか?

     そのもとは何であろう?

     単に偏った記事であるかもしれない。

     米国内のトランプ大統領に反対するジャーナリストが、トランプ大統領に反対するということのために偏った記事を書いたのかもしれない。

     中華人民共和国がトランプ大統領に反対するということのために偏った記事を書いたのかもしれない。

    ウォールストリートジャーナルの記事

      ウォールストリートジャーナルの記事によって論調が変わったと私は思った。TikTok寄りの論調が減ったと思った。

     日本版。

     時事ドットコムもそのことを伝えている。

    https://www.jiji.com/jc/article?k=2020081200847&g=int

    終わりに

     これまで米国の中華人民共和国に対する非難は、トランプ大統領という乱暴な個人の、再選を目的とする個人的な理由によってなされているという報道が多くなされてきた。

     そうだとすると、トランプ大統領という乱暴者がいなくなればいいということになる。

     しかしTikTokに実際に問題があるとわかると、それをせめるトランプ大統領が悪いということはできなくなる。

     またトランプ大統領より、米国議会が中華人民共和国に対して強硬であるという事実を覆い隠すこともできない。

  • 台湾の李登輝元総統の20年前の予想と、20年後の現状

    台湾の李登輝元総統の20年前の予想と、20年後の現状

     2020年7月30日、日本時間の午後8時すぎ(台湾時間の午後7時すぎ)、李登輝元総統が台北市内の病院で亡くなった。97歳。

    李登輝元総統の予言

     李登輝元総統は、1999年に出版した著書「台湾の主張」(PHP研究所、1999年)において、「大陸の二十年後を見据える」という見出しで、中華人民共和国の20年後について予想している。

     1999年は、李登輝元総統が亡くなる20年前である。その時にそれから20年後のことを予想していたのである。

    アメリカなどの予測では、大陸はこれから二十年をかけてこの矛盾と対決し、やがては活路を見出すことになっている。しかし、それは可能だろうか。

    「台湾の主張」113頁

     1999年において、アメリカは、中華人民共和国は二十年でよくなるだろうと考えていた。

     それに対して李登輝元総統は疑問を持っていた。

     海峡のこちら側からみれば、その転換はきわめて困難なもののように思われる。アメリカは二十年と踏んでいるが、このままではそれ以上の年月が必要であろう。そして転換したからといって、すべてがうまくいくわけでないことは、この十年あまりのロシアの例をみれば明らかなのである。

    「台湾の主張」114頁

     李登輝元総統のみるところによると、20年では中華人民共和国は当時アメリカが考えたようによくならないであろうというのである。そのことを「この十年あまりのロシア」、すなわちソ連崩壊後のロシアを例として語っている。

     中華人民共和国は、経済においては変わったが、政治においては変わっていない、その「基本的矛盾を解消しない限り」混乱が生ずる、と李登輝元総統はいう。(「台湾の主張」、113頁)

     大陸は経済的な生産は上昇しているが、政治的にはいまだに中国共産党の一党独裁体制に支配されている地域であることは変わっていない。少数者の権威主義的かつ独裁的な支配は続いている。そしてまた、中国共産党がその体質を根本的に改革したというわけでは決してない。

    「台湾の主張」113頁

     このように「少数者の権威主義的かつ独裁的な支配」という「体質」が続いていることに問題はあると考えていた。

     1999年に李登輝元総統が20年後の中華人民共和国について上のような予想を語ってから、20年後の2020年に李登輝元総統は亡くなった。その時に、20年前の李登輝元総統の予想は当たっていたであろうか?

     その問題に対して、アメリカのポンペオ国務長官が一つの答えを出している。

    U.S. Department of State
    Communist China and the Free World’s Future: Secretary Pompeo at the Nixon Presidential Library 2020/07/24

     ポンペオ国務長官は、李登輝元総統の亡くなった2020年7月に、ニクソン大統領図書館で画期的な演説を行った。

     アメリカはこれまで中華人民共和国が自由な民主的な国になることを期待して見守ってきたが、中華人民和共和国は変わることなく専制的な国である、アメリカのこれまでの中華人民和共和国に対するやり方は間違えていた、と語ったのである。

     ニクソン大統領以来のアメリカの対中政策は間違っていた、とニクソン大統領図書館で語ったのである。

     李登輝元総統は20年前に、20年後の中華人民共和国についてアメリカが予想していたことに反対していた。その20年後に、アメリカの国務長官がアメリカのこれまでの対中政策は間違っていたと語ったのである。

     ポンペオ国務長官は、李登輝元総統逝去の報を受けて、次のようにツイートしている。

     ポンペオ国務長官は、李登輝元総統を、台湾と米国との関係のもとになる民主的価値のためにはたらいた人として敬意を払っている。

     蔡英文総統の返事。

    蔡英文総統

     現在の台湾の総統蔡英文氏は、李登輝元総統の思想を受け継ぐ人である。

    アイデンティティにもとづく民主主義

     蔡英文総統は、李登輝元総統を、台湾の自主的な民主主義の創設者として、その死を悼んでいる。

     李登輝元総統は、アイデンティティにもとづく民主主義を創設した、と蔡英文総統は言う。

     李登輝元総統は、「台湾の主張」において、アイデンティティにもとづく民主主義ということについて語っていた。―「台湾に住む人たちがすべて参加して」、「参加の中から生み出される、「われわれは台湾人だ」というアイデンティティを基礎にして育つ」という「民主主義文化」を、李登輝元総統は台湾に打ち立てようとしたというのである。(「台湾の主張」、58頁)

     李登輝元総統は、その前の蒋経国総統とは、「台湾のアイデンティティということを考える場合には、決定的に異なっていた」という。(同、49頁)

     李登輝元総統は、「台湾にアイデンティティをもつ政治」、すなわち「台湾を非常に愛し、そして台湾のために粉骨砕身、大いに奮闘する」政治がなくてはならないと考えたが、蒋経国総統は「台湾人のための政治とはなにかを考えたことはなかっただろう」という。(同、49頁)

     李登輝元総統も、自分が台湾にはじめてアイデンティティにもとづく民主主義をもたらしたと考えていたのである。

    「台湾に生まれた幸福」

     蔡英文総統は同時に日本語でもツイートしている。

     蔡英文総統は、李登輝元総統を、日本と台湾との関係において重要な存在と考えているようである。

     蔡英文総統はそこで「李元総統の遺志を継ぎ「台湾に生まれた幸福」を追求し続けます」と語っている。どういうことか。

     李登輝元総統は「台湾の主張」第八章「二十一世紀の台湾」の最後に「李登輝がいなくなった台湾」について語っている。

     私は、本書の冒頭より「台湾人に生まれた悲哀」から「台湾人に生まれた幸福」へと話を進めてきた。私は台湾に生まれたがゆえに、この地を舞台としてこの数十年のあいだ必死の努力を続けてきた。その結果、もしこのハンティントン教授のいうことが正しければ、私がいなくなった後も、私の努力はこの美しい台湾に残り、限りない発展を続けていくだろう。
     これもまた、私にとっての「台湾人に生まれた幸福」に他ならないのである。

    「台湾の主張」(PHP出版社、1999年)223頁

     李登輝元総統は「台湾の主張」を「台湾人に生まれた悲哀」ということから始めている。「台湾人に生まれた悲哀」とは、「台湾人は長いあいだ、自分たちの国を自分たちで治めることができなかった」ことである。(「台湾の主張」、16頁)

     「必死の努力」によって、李登輝元総統は、「台湾人に生まれた幸福」を感ずることができるまでに至った。

     そしてアメリカの国際政治学者ハンティントン教授が「台湾のデモクラシーは、李登輝が死んでも継続するだろう」と言ったことは「かなり本質を衝いた洞察だ」というのである。(同、222~223頁)

     蔡英文総統は、その李登輝元総統が望んだように、「李登輝がいなくなった台湾」において、デモクラシーを継続させていくというわけである。

    葬式

     李登輝元総統は、民主台湾を永遠に見守る存在としてまつられる。

    他の国の反応

     李登輝元総統の逝去に対する各国の反応に、2020年の情勢があらわれている。

    日本

     李登輝元総統逝去の報を受けて、日本では安倍首相が痛惜の念をのべた。

     安倍首相は、第一に、李登輝元総統が、日台関係の礎を築いたという。

     第二に、台湾に、自由と民主主義、人権、普遍的な価値を築いたという。

     その「普遍的な価値」が安倍首相の外交を基準である。

     蔡英文総統の返事。

     蔡英文総統も「自由と民主の理念」による協同を言う。

    香港

     香港の民主派、Joshua Wong氏も李登輝元総統の逝去をかなしんでいる。

     李登輝元総統は、台湾の民主主義の父であって、その精神は、現在の香港のJoshua Wong氏等民主派の運動に生きているというのである。

     香港の民主派の運動と、李登輝元総統が築いた台湾の民主主義とはつながっているというのである。

     この日に、Joshua Wong氏は、9月の選挙に立候補する資格を取り消されている。

     中華人民共和国側はそのことについて次のように言っている。

     7月31日、香港政府は、新型コロナウイルスを理由として、選挙を一年延期すると発表した。

    中華人民共和国

     中華人民共和国の「國台辦」は、李登輝元総統の逝去に際して、台湾の独立は間違った道であって、台湾は中華人民共和国と統一されなくてはならないと語っている。誰もその道を阻むことはできないと語っている。

     環球時報Global Times。

     李登輝元総統は、中国人民の統一に反対した罪人だという。

     ここでも、李登輝元総統の民主主義が、台湾と大陸とを分断するものであったことを非難している。

    独立について

     李登輝元総統は1999年の著書「台湾の主張」においても、中華人民和共和国から台湾を独立させようとする者として非難されたと語っている。

    大陸の当局はいまだに闘争的な態度を崩さず、自分たちの考える「一つの中国」に固執して、この枠組みに編入せしめるか、あるいは台湾が独立を強行しようとしているという根も葉もないキャンペーンを展開する。

    「台湾の主張」117頁

     中華人民共和国によると、中華人民共和国の考える「一つの中国」に台湾がくみさないということは、独立を強行しようとしているということになる、というのである。

     李登輝元総統も、中国の統一、「一つの中国」を求めていた。しかし中華人民共和国の「一つの中国」には反対していた。

     李登輝元総統は、1997年7月12日の「国家統一委員会」の開幕談話で次のように語っていた。

    中国は統一されなければならないが、統一には全中国人の利益を考慮したものでなければならず、同時に世界の潮流である民主・自由・均富の制度に合致したものであって、すでに実践の過程において失敗が証明されている共産制度、あるいはいわゆる『一国二制度』によるものであってはならないと考える。

    「台湾の主張」118頁

     統一は、共産制度によってでも、共産制度を上においた「一国二制度」によってでもなく、民主・自由・均富の制度によってでなくてはならないというのである。

     李登輝元総統は、両国が互いに尊重しあって、民主、自由の制度によって、統一されるべきだと主張していた。

     それに対して中華人民共和国は、両国が互いに尊重しあうことも、民主、自由の制度をとることも認めず、中華人民共和国の考えるやり方を一方的に台湾におしつけようとした。そしてそのことに同意しない李登輝元総統を非難した。

     今度の中華人民共和国の「國台辦」の言葉でも、台湾の自由な意思を尊重する考えは見えず、あくまでも中華人民共和国が一方的に統一をおしつけているようである。「環球時報」も同じである。

    チベット

     ダライラマ。

     蔡英文総統の返事。

    まとめ

     今、世界は、米国をはじめとして、自由、民主の価値観によって協同して中華人民共和国に対抗しようとする国々と、中華人民共和国の側につく国々とが対立する流れにある。

     その対立の中で、自由、民主の価値観によって協同しようとする国々、人々は、李登輝元総統を、その価値観を台湾で築いた人として讃えている。

     それに対して中華人民共和国の側の国々、人々は、李登輝元総統を、中華人民共和国との統一に反対する主張のもとになったものとして非難している。

  • 橋下徹氏「二階氏のような政治家を増やせ」

    橋下徹氏「二階氏のような政治家を増やせ」

     2020年7月26日、フジテレビの「日曜報道THE PRIME」での橋下徹氏の発言が話題になった。

    https://sn-jp.com/archives/4636

     橋下徹氏はその番組で、米中の対立が緊迫化している現状にたいする意見を求められて、二階氏のような政治家を増やすべきだと主張した。

     二階俊博自民党幹事長は、現在の安倍政権を、親中の方向に傾かせていると言われている。

     橋下徹氏が、二階氏のような政治家を増やすべきだと言うのはどういうことか?

    実際の発言

     政治的な問題に関する発言が話題になるときには、受け取る側の政治的関心によって歪曲されることもある。
     なるべく歪曲しないように、正確に伝えよう。

     番組は、メインキャスター二人が米中の現状を紹介して、スタジオにいる橋下徹氏、宮家邦彦氏、オンラインで参加している櫻井よしこ氏に意見を聞くというかたちになっていた。

     番組では、トランプ政権が中華人民共和国に対してますます強硬な言動をしていること、それに対して中華人民共和国も強硬に反発していることを紹介すると同時に、日本の経済が中華人民共和国に大きく依存していることをもとりあげて、その関係をどうするかを問題としている。

    櫻井よしこ氏の主張

     日本にとって、民主主義とか人道とかいう大きな価値観の面で存在感を示すべきチャンスであって、そういう大きな戦略の面から考えるべきだ。

     そういう戦略のためには、経済をある程度犠牲にしなくてはならない。

     米国も、英仏も今、経済を犠牲にしても、それより価値観を重視する方向をとっている。

    橋下徹氏の主張

     現在、日本の国会議員に、米国の勢いに乗じて、中国の体制を変えようという人がいるが、トランプ政権が続くかわらかないのであるから、二階幹事長のように、中国との関係を、「パイプをあのように太くする政治家」を増やさなくてはいけない。

     これに対して櫻井氏は、現実には経済的につながっているところがあって、全部断ち切ることはできないが、戦略は変えなくてはいけないと反論した。

    宮家邦彦氏の主張

     宮家氏は、櫻井氏のいうように、戦略的なレベルで考えた上で判断していかなくてはいけないという。

     宮家氏も、日本に帰ってくることのできないところがあることを認める。しかし戦略的な価値については、戦略的に考えて、日本に帰るようにしなくてはいけないという。

    考察

     橋下氏も、日本は自由民主という価値観を基軸として、そのためにはたらくべきだという。その上で、中華人民共和国とのパイプをもった方がいいという。

     そこだけを聞くと、櫻井氏、宮家氏と同じことを言っているように聞こえなくもない。

     しかし橋下氏の考えは、櫻井氏、宮家氏と違うようである。

     櫻井氏、宮家氏は、戦略と戦術とを区別している。日本は戦略において、方向転換しなくてはならない。その上で、現実的につながらなくてはならないところについては、戦術として考える。これが櫻井氏、宮家氏の考えである。

     それに対して、橋下氏のように、二階氏のような政治家を増やせということは、戦術にとどまることではなく、戦略に関わることになる。

     今の日本は、二階氏によって、中華人民共和国寄りになっていると言われている。

     今の日本において、橋下氏のように、二階氏のような政治家を増やせということは、櫻井氏、宮家氏のように、日本はこれまでのような中華人民共和国との関係から方向転換しなくてはならない、という戦略に反対することではないか。現在、二階氏によって中華人民共和国に傾いていると言われる日本の戦略を変えないということではないか。それどころか、橋下氏は、二階氏のような政治家を増やせというのであるから、今以上に日本を中華人民共和国寄りにしろということではないか。

    二階俊博氏

     7月7日に、自民党の外交部会、外交調査会が、香港国家安全維持法の施行を受けて、習近平中華人民共和国国家主席の国賓としての来日の中止を要請する決議文をまとめた。

     しかし二階氏によって、自民党の決議ではなく、自民党の外交部会、外交調査会の決議というかたちにおさえられた。

     このことによって二階氏が現在の国際関係に対してどのようなはたらきをしているか、多くの人にわかりやすくなった。

     次のテレ東の動画には、二階氏の反応がそのまま映っていて、興味深い。

    テレ東NEWS
    自民党「習近平主席の国賓来日中止要請」決議の本文読み上げ+政権幹部の反応をじっくり見せます(2020年7月10日)

     二階氏は、自民党として香港国家安全維持法に抗議して、習近平国家主席の国賓としての来日に反対することに、反対しているのである。

     ついでに、石破氏、公明党の山口氏も二階氏と同じ立場をとっていることをおぼえておこう。

     ちなみに、宮家邦彦氏は、前に、番組で、習近平国家主席を国賓としてよぶことはすでにきまっているのであるから、日本は、よんだ上で、言うべきことを言うべきだと言っていた。
     その考えは変わったのであろうか?

     橋下氏は、今、米国とともに中華人民共和国に対抗すべきだという意見をもった国会議員が多くて、二階氏のようなことを言うことが憚られるようになっているという。

     それを聞いて、橋下氏が語ることと、私が見ていることと、違うと思った。

     香港国家安全維持法に対する動きを見ても、米国とともに自由民主の価値観の側に立って中華人民共和国に対抗すべきだという意見をもった国会議員の主張は、二階氏などによって抑えられている。

     橋下氏によると、今、日本は行き過ぎているゆえに、それに対してバランスをとらなくてはならないようであるが、今、日本は行き過ぎておらず、二階氏のような人によって抑えられている。

     今の日本は、米国に比べても、英国、オーストラリアに比べても、インド、フランスに比べても、中華人民共和国に対抗する動きは弱い。

     その上に、橋下氏のいうように、二階氏のような人が増えると、日本は逆方向に行き過ぎることになるのではないか?

     橋下氏は、トランプ大統領が再選されなかった場合のことを問題とする。たしかにトランプ大統領が再選されなった場合、米国の政策は変わるかもしれない。
     しかし大統領選は11月であって、7月現在、まだどうなるかわからない。そういう状況で日本は、トランプ大統領が再選されなかった場合のことを考えて、トランプ政権と反対の行動をとることが正しいことなのか?
     現在、米国は次々と中華人民共和国に対して厳しい法案を作っているが、それは議会が作っているのであって、米国議会は、与野党ともに中華人民共和国に対して強硬である。

    「維新」と中華人民共和国との関係

     今度の橋下徹氏の発言を聞く限り、橋下徹氏は中華人民共和国に偏っているように見える。

     今、「維新」と中華人民共和国との関係が問題とされている。

     新型コロナウイルスの感染が拡大してから、他の野党の支持率が伸び悩む中で、「維新」の支持率は伸びた。

     吉村大阪府知事は人気者になっているようである。

     「維新」は、思想的には保守寄りということで、保守派にも支持されているようである。

     しかし「維新」に対して中華人民共和国寄りではないか、と疑う人はいた。

    ソフトバンク

     たとえば吉村大阪府知事がソフトバンクの孫正義氏とツイッターでやりとりをしたときなど話題になった。

     孫正義氏は、中華人民共和国と関係の深い人である。

     米国は、中華人民共和国と関係の深い企業を排斥する方針をとってきている。その中でソフトバンクに対しても高く評価していない。

     米国務省は5Gのクリーンな会社CLEAN COMPANIESを選んで発表しているが、日本からは、NTTとKDDIだけが選ばれていて、ソフトバンクは選ばれていない。

    https://www.state.gov/5g-clean-networks/

    Tik Tok

     大阪府はまた、ByteDance株式会社と連携すると発表した。ByteDance株式会社は「TikTokを活用した若年層を含む幅広い世代に向けた府政情報や大阪の魅力発信支援」をするという。

    https://osakameikan.news/news/osakasm20200721/

     米国では、Tik Tokを利用すると、個人情報が中華人民和共和国に渡る恐れがあるとして、利用を禁止する法案が作られている。

     ロイターによると、7月22日、米議会上院の国土安全保障・政府活動委員会は、中国系の動画投稿アプリ「TikTok(ティックトック)」を連邦政府職員が政府支給の端末で利用することを禁止する法案を全会一致で可決した。

     下院も、連邦政府職員によるTikTok利用禁止が盛り込まれた防衛政策法案を賛成多数で可決している。

     上院でも可決されれば、法案は成立するという。

    https://jp.reuters.com/article/usa-tiktok-vote-idJPKCN24N2S5

    (追記)8月1日にトランプ大統領はTik Tokの米国での利用を禁止する意向を明らかにした。

    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200801/k10012545141000.html

     2020年7月、米国でTik Tokの利用を禁止する法案が作られている、その時に、大阪府は、Tik Tokを利用することを自ら発表している。

     大阪府は、米国などと反対の道をとるようである。

     大阪府が米国などの動きを知らなかったとすると、愚かだと言わなくてはならない。

     大阪府が米国などの動きを知っていたとすると、わざわざそれと反対の道をとっていることになる。

     「維新」はこのように米国と反対に中華人民共和国に近づく道をとっている。

     橋下氏が二階氏のような政治家を増やすべきだという言葉は、大阪府と同じく、米国に反対して中華人民共和国と親しくするという考えを示しているのではないか?

    追記(7月28日)

     橋下徹氏の上の発言に対して、百田尚樹氏が批判した。そのことは私にとってどうでもいいことであったので、放っていた。

     ところが7月28日に、橋下徹氏が百田尚樹氏にかみついたというので、とりあげざるをえなくなった。

     百田尚樹氏のことは、今どうでもいい。問題は橋下徹氏だ。

     橋下氏は、「政治なんて表と裏、あの手この手でずる賢くやるもの」という。これは番組でも言っていたことである。
     私もそうだとおもう。

     問題は橋下氏がそのことの具体例として二階氏の名を出したことである。それでは「威勢よく吠えるだけの連中」に対してバランスをとることにはならない。「威勢よく吠えるだけの連中」を抑え込むことになる。

     そもそも今、中華人民共和国に対して批判的な立場をとることを、「威勢よく吠えるだけ」と言うことができるだろうか。

     今はむしろ米国に近い立場をとってみせることが「ずる賢くやる」ことでもあるのではないか?

     橋下氏の言い方にも問題がある。

     橋下氏も、二階氏と同じように、自分の立場を日本国民に納得させるつもりがないように見える。

     二階氏の上の動画での発言を聞いて納得できる人はいないであろう。

     橋下氏の発言でも、政治は「ずる賢くやる」ものだという一般論と、二階氏のような人を増やせという個別の論議との関係が説明されていないことに問題があるのに、橋下氏はそのことをちっとも説明してくれない。「俺の真意がわからん者は一から近現代史を勉強しなおせ」などと突き放している。

     たしかに対米戦争の時に日本は「自分たちの力を弁えず威勢よく吠えるだけの連中」によって誤ったかもしれない。
     しかしそのことを反省しなくてはならないというならば、日本の力、米国側の力、中華人民共和国側の力を明らかにした上で、二階氏のような人を増やすことが正しいということを納得させなくてはならない。

    足立康史議員の発言

     「維新」はみな橋下徹氏のように、日本は二階俊博氏のような人を増やすべきだと考えているのであろうか?

     私は足立康史議員のような人が何と言うか、気になっていた。

     7月30日に、足立氏の発言が出た。

     足立議員は常々、「維新」以外の野党を厳しく批判し、与党に対しても厳しく批判している。
     そういう人が橋下徹氏の発言に対して何を言うかと思っていると、無条件の擁護であった。

     橋下徹氏の「真意」には価値がある、しかし理解されていないというならば、何故に足立氏はそのことを理解されるように説明しないのか?

     そもそも橋下氏の発言の問題は「真意」がわからないということにある。

     橋下氏の「真意」が、櫻井氏、宮家氏と同じように、戦略としては、米英の側に立ち、ただ戦術として、中華人民共和国とのつながりを考えるというものであるとすると、橋下氏は多くの人に誤解されているということになる。
     しかしその誤解の原因は、橋下氏がわざわざ二階氏の名を出したことにある。橋下氏の説明が拙劣だったことにある。

     しかし橋下氏が、米英側とタッグを組むことを基軸とするといいながら、櫻井氏、宮家氏の言う戦略的な方向転換に同意すると言わず、二階氏のような政治家が増えることを望むと言っているところを聞くと、橋下氏の「真意」は、現状維持、あるいは中華人民共和国との関係を進める方向にあるように聞こえる。

     足立氏の立場は、橋下氏の立場と違うのではないか、と思うのである。

     今の足立氏の立場は次のツイートにあるとみていいだろう。

     この足立氏の言葉、門田氏の言葉は、橋下氏の言葉と一致しているのか?

     二階氏の考えが足立氏、門田氏の考えと一致しているとは思えない。橋下氏が二階氏のような人を増やすべきだということは、足立氏、門田氏の考えと一致しないことではないか?

     橋下氏の考えでは、足立氏、門田氏の考えは「自分たちの力を弁えず威勢よく吠えるだけ」ということになるのではないか?

     「日本の内弁慶が治るのに5年10年かかる」というのも、私には理解できない。

     今の日本に、5年10年かけて治さなくてはならないような「内弁慶」があるのか?

     そもそも「内弁慶」というのはどこの国にもあることではないか? 問題はバランスである。

     韓国、北朝鮮、中華人民共和国などは、「内弁慶」が前面に出ているように見える。

     それに比べると、日本の右派言論人に「内弁慶」のところがあるとしても、はるかに抑えられている。
     5年10年かけてどう治すというのか?

    橋下徹氏

     追記はここまで、と思っていると、橋下氏がまだ続けていた。

     いまだに百田氏にこだわっている。「百田のオッサン」などとよんでいる。

     橋下氏は誰に向かって物を言っているのか? 百田氏の言葉を気にする人だけに向かって物を言っているのか? すべての政治家、すべての国民に向かって物を言うつもりはないのか?

     あいかわらず、橋下氏は説明すべきことを説明していない。

     表で殴り合っても、裏ではつながっていなくてはならない、それが「政治の基本」だという。そこまではよい。

     問題は、橋下氏がそのために二階氏のような政治家が必要だと言っていることである。

     二階氏は現在多くの人に批判されている政治家である。橋下氏がわざわざ、そういう二階氏が必要だということを納得させるためには、それだけ二階氏が役に立つということを説明しなくてはならない。
     ところが橋下氏は二階氏がどう役に立つというのか、全く説明しない。
     それでは誰も納得するわけがない。

     橋下氏は、二階氏と同じように、中華人民共和国に傾いているようにも見える。そのことに対する明確な反証はない。

     橋下氏は、ただ言葉を弄しているようにも見える。何かうまいことを言って見せたかっただけのようにも見える。
     具体的なことを考えていたのではなく、ただ表で殴り合っても裏でつながっていなくてはならないという「政治の基本」を言いたかっただけであったかもしれない。
     そうだとすると、具体的なことを考えずに混乱を招いたことの責任があることになる。

     そもそもテレビのような表の場で、表の戦略をどうするかを聞かれているのに、表の戦略をあいまいにして、裏のことばかり言うのがおかしい。裏のことが必要だと思うならば、裏で動いていればいいのではないか?

     橋下氏自身、表のことと、裏のこととを区別するという「政治の基本」を行うことができなかったようである。

     いまだに百田氏のことを「気にして」いる。

     与党に対して、他の野党に対して、厳しいことを言う足立氏が、橋下氏に対してこのように甘いことを言っているところを見ると、痛ましい。

     「いい意味でプロレスみたいなもの」というのも、橋下氏に媚びすぎではないか?
     橋下氏の考えが、足立氏の言うことと一致しているとすると、橋下氏が余計な発言によって、余計な批判を大量に引き起こしたということになる。「いい意味」に解釈できるものではないのではないか?

     橋下氏の考えが、足立氏の言うことと一致しているかどうか、橋下氏の返事を見ても、やはりわからない。橋下氏は、そのまず作る「体制」というものを、二階氏によって語っている。それでは、足立氏の言うことと一致しないのではないか?

  • 米中対立とまわりの国々―香港国家安全維持法の影響

    米中対立とまわりの国々―香港国家安全維持法の影響

     2020年、中華人民共和国米国との対立はますます緊迫したものになってきている。

     その対立を進める原因となったのが香港の国家安全維持法であった。

     香港の国家安全維持法をめぐって、それぞれの国がどのように動いてきたか、それぞれの国を代表する人々のツイートを並べて、再構成してみよう。

     新型コロナウイルスの影響で、5月22日に始まった全国人民代表大会で、中華人民共和国は、香港国家安全法を提出した。

    英国

     英国のラーブ外相はそれに対して懸念を示した。

     英国はこの時に、オーストラリアカナダとともに懸念を示している。

     その懸念にもかかわらず、香港国家安全法は5月28日に採択された。

     ラーブ外相は、香港の国家安全法は英中共同声明と相いれないという。そして、米国オーストラリアカナダとともに懸念を示している。

    EU

     英国の立場にEUも同調した。

     英国を含む「ファイブ・アイズ」と、EUとが、香港問題に関して同じ立場に立って中華人民共和国に反発しているというのである。

    ファイブ・アイズ Five Eyes

     香港問題に関して、英国カナダ米国オーストラリアニュージーランドが団結している。

     「ファイブ・アイズFive Eyes」といわれる国々である。

     ラーブ外相は、この国々が英国の「最も親しい国closest friends and allies」であるという。

     オーストラリア外相。

     ニュージーランド副首相、外相。

     カナダ外相。

     ラープ外相は、フランスとの関係も強化している。

     そして、中華人民共和国に対しては、再考を求めている。

    それぞれの国の動き

     6月4日、オーストラリア首相、インド首相の会談。

     オーストラリア首相。

     インド首相。

     6月17日、首脳会談。

     英国首相。

     ジョンソン首相は、オーストラリアとの密接な関係を強調している。

     G7もまた、香港国家安全法について、中華人民共和国に反対する立場をとる。

     サイバーアタックに対してオーストラリアとともに戦うという。

     中華人民共和国は6月30日、香港国家安全維持法を可決、7月1日から施行されることにした。

     台湾

     蔡英文総統は、香港の民主派を支持する立場を明らかにした。

     オーストラリアも香港の民主派を支持する。

     香港返還の一方の当事者であった英国中華人民共和国が約束を破ったことを非難した。

     そしてまたこの問題に関して、ファイブ・アイズの団結を強めている。

     ロシア

     プーチン大統領は、中華人民共和国の国家安全維持法を支持する立場を明らかにしている。

     イランシリア

     いずれも中華人民共和国に近づいている国であって、米国を嫌い、米国に対抗するために結びついている。

    ロシア、シリアとファイブ・アイズ

     ファイブ・アイズは、シリア、ロシアに対して批判的である。

     ラーブ英外相は、ロシアに支持されたシリア政権の戦争犯罪を非難している。

     そして英国米国カナダとともにロシアのサイバーアタックを非難している。

    日本の立場

     7月9日に、日本の安倍首相とオーストラリアのモリソン首相との会談が行われた。

     モリソン首相は、2年にわたって日本との関係を進展させてきたこと、日本と価値観を共有していること、ポストコロナのことについて近い立場にあることを強調している。

     それに対して日本の安倍首相。

     安倍首相はここで立場を明らかにしているようである。

     日本は、オーストラリア米国インドと「自由で開かれたインド太平洋を目指す」という「共通の目標をもつ」というのが、安倍首相の立場である。

     モリソン首相と「認識を完全に共有しました」というのは強い言葉である。

     日本オーストラリアは、米国とともに、中華人民共和国を牽制する共同訓練を行った。

    緊迫

    ポンペオ国務長官、訪英。

     米国のポンペオ国務長官は英国を訪れた。

     英国首相と会談。

     英国首相。

     ポンペオ国務長官はこの時に、香港の民主派、香港衆志demosistoの党首であって、英国に亡命しているNathan Law羅冠聰と会談していた。

     Nathan Lawはこの訪問を非常に歓迎している。

     二人は香港について語り合った後に、新疆のこと、チベットのことについても語り合ったという。

    ポンペオ国務長官、ニクソン大統領図書館でスピーチ

     ニクソンは、大統領として、米国中華人民共和国との国交を再開させた人である。
     そのニクソンの大統領図書館で、ポンぺオ国務長官は、中華人民共和国を非難した。

     ニクソンは、中華人民共和国が自由な国家になることを考えて、国交を再開しようとした。

     しかし中華人民共和国は、いまだに自由を抑圧する国家だとポンペオ国務長官はいう。

     中華人民共和国は、旧ソ連と同じように、信用できない国だという。自由を容認しない体制になっているという。

     自由世界は今、中華人民共和国を変えなくてはならない、とよびかけている。

     以上の演説は、米国務省のYOUTUBE動画にすべておさめられている。

    U.S. Department of State
    Communist China and the Free World’s Future: Secretary Pompeo at the Nixon Presidential Library 2020/07/24

     ポンペオ国務長官のスピーチで言及された香港の民主派Jimmy Laiのツイート。

    https://twitter.com/JimmyLaiApple/status/1286433945551347712?s=20

     ポンペオ国務長官の言葉は、香港の民主派の考えと一致しているのである。

     同じ時に、米国は、ヒューストンの中華人民共和国総領事館の閉鎖をもとめ、立ち入って捜査するに至っている。

     事態は緊迫している。

    ペイン豪外相、訪米

     7月末にオーストラリアのペイン外相が米国を訪問した。

     ペイン外相も両国の間で共有されている自由と民主の価値が両国の関係の基盤となっていると語っている。

     米国務省の動画。