カテゴリー: オードリー・ヘプバーン

  • 「マイ・フェア・レディ」とオードリー・ヘプバーン

    「マイ・フェア・レディ」とオードリー・ヘプバーン

     1964年に公開された映画「マイ・フェア・レディ」では、オードリー・ヘプバーンが輝いている。

     しかし「マイ・フェア・レディ」という作品には、オードリー・ヘプバーンと合っていないところもある。


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    ブロードウェイの「マイ・フェア・レディ」

     オードリー・ヘプバーンは「ローマの休日」で「映画スター」になった。

     それからはオードリー・ヘプバーンを生かすような映画が作られた。

     その中で「マイ・フェア・レディ」は、オードリー・ヘプバーンを生かすように作られた映画ではなかった。

     映画「マイ・フェア・レディ」は、ブロードウェイで歴史的な成功を収めたミュージカル「マイ・フェア・レディ」をもとにして作られた。(もとはバーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」)

     ブロードウェイの「マイ・フェア・レディ」ではジュリー・アンドリュースがイライザを演じて評判が良かった。


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     「マイ・フェア・レディ」のイライザ役は、ジュリー・アンドリュースに合っていたのである。

     ところがジャック・ワーナーは、映画「マイ・フェア・レディ」が成功するためには、無名のジュリー・アンドリュースではなく、有名なオードリー・ヘプバーンが主役を演じなくてはならないと考えた。

     ジュリー・アンドリュースは映画「マイ・フェア・レディ」と同じ年に映画「メリー・ポピンズ」に出演して、映画女優として有名になるが、それまでは映画女優として有名でなかったのである。

     そうしてオードリー・ヘプバーンは映画「マイ・フェア・レディ」のイライザ役をやることになった。

    変身の物語としての「マイ・フェア・レディ」

    合っているところ

     「マイ・フェア・レディ」にはオードリー・ヘプバーンに合っているところがある。オードリーの素質が十二分に発揮されているところがある。

     変身するところである。

     「マイ・フェア・レディ」は、下層階級のイライザが、上流階級であるかのような輝かしい姿に変身する物語である。

     オードリー・ヘプバーンはそれまで変身する物語を多くやっている。―「ローマの休日」、「麗しのサブリナ」、「パリの恋人」など。

     オードリー・ヘプバーンは変身して輝くことである。それゆえに変身する物語が合うのである。

     映画「マイ・フェア・レディ」でも、イライザが上流階級に変身するところは輝いている。

    合っていないところ

     ところでイライザが変身する前は、それまでのオードリー・ヘプバーンの変身する映画と違うところがある。

     それまでの映画では、変身する前にも実は輝いていた。―「麗しのサブリナ」のパリに行く前、「パリの恋人」のファッションモデルでない時、いずれもそれはそれで輝いていた。

     「ローマの休日」では、もともと王女であったのが、庶民に変身して輝いている。

     それに対して「マイ・フェア・レディ」では、変身する前のイライザは、衣装も言葉づかいも汚いものとされている。

     変身する前のイライザは、オードリー・ヘプバーンがそれまでにやってきた役とは違う。オードリー・ヘプバーンの素質から離れていると思われる。

    オードリー・ヘプバーンの歌声

     映画「マイ・フェア・レディ」のイライザの歌は、大体においてマーニ・ニクソンが歌っている。

     オードリー・ヘプバーンの歌声は生かされず、そのかわりにマーニ・ニクソンの歌声が用いられているのである。

     このことも、映画「マイ・フェア・レディ」においてオードリー・ヘプバーンに合っていなかったところということができる。

     オードリー・ヘプバーンは特に高い音に関して技術的な問題をかかえていた。

     ただし映画「マイ・フェア・レディ」でマーニ・ニクソンが高い音をのびのびと歌っているところは、歌としてはすぐれているが、オードリー・ヘプバーンの声質とかけ離れたものになっている。

     たとえば「スペインの雨」( “The Rain in Spain” )は、物語の感動的なところで歌われるが、その歌声はオードリー・ヘプバーンの口から出ているように聞こえない。

     その後の「踊り明かそう」( “I Could Have Danced All Night” )も快く歌われているが、オードリー・ヘプバーンの声質からかけ離れている。

    まとめ

     評判のよかったジュリー・アンドリュースの代わりに映画「マイ・フェア・レディ」でイライザの役を演じたことによって、オードリー・ヘプバーンは批判された。

     映画「マイ・フェア・レディ」はアカデミー賞8部門を受賞したが、オードリー・ヘプバーンは主演女優賞にノミネートされず、ジュリー・アンドリュースがその年の主演女優賞を受賞した。

     ここで映画「マイ・フェア・レディ」におけるオードリー・ヘプバーンについてまとめる。

     オードリー・ヘプバーンの、「変身した後のイライザ」はよくできている。

     しかし「変身する前のイライザ」は、それほどではない。

     また、マーニ・ニクソンの歌はうまいが、オードリー・ヘプバーンと合わないところがある。


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  • 映画「マイ・フェア・レディ」

    映画「マイ・フェア・レディ」

     1964年に公開された映画「マイ・フェア・レディ」(原題は “My Fair Lady” )は、大ヒットして、その年のアカデミー賞8部門を受賞した。

     ミュージカル映画の中でも特に売れた作品の一つであって、日本にも大きな影響を与えた。


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    映画「マイ・フェア・レディ」の話の入り口

     英国の言語学者ヒギンズ(レックス・ハリソン)は、下層階級も教われば上流階級のように話すことができる、という考えをもっていた。

     そこでたまたま出会った花売りのイライザに、上流階級のよう話すことを教えることになった。

    映画「マイ・フェア・レディ」の見どころ

    ストーリー

     下層階級の女性が、訓練を受けて上流階級の女性のようになる、という話は面白い。

     女性を訓練する男性が根っからの女性嫌いであることによって、話の全体に緊迫感が生じている。

    巨額の製作費

     映画「マイ・フェア・レディ」には1700万ドルというそれまでにない巨額の製作費がかけられている。

     エドワード7世時代(1901~1910年)の衣装、美術がセシル・ビートンによって巨額の費用をかけて再現されている。

     競馬での白と黒の衣装は

     オードリー・ヘプバーンはそれまでの映画でも変身を演じてきたが、この映画では変身が特に豪華になっている。

     この映画には多くの有名な楽曲がある。

     ヒギンズ役のレックス・ハリソンの話すような歌もみどころ。

    映画「マイ・フェア・レディ」のもと

    バーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」

     映画「マイ・フェア・レディ」は、バーナード・ショーが1910年代に書いた戯曲「ピグマリオン」をもとにしている。

    1938年の映画「ピグマリオン」

     1938年に英国で映画「ピグマリオン」が作られて成功した。

     この映画によってバーナード・ショーはアカデミー賞脚本賞を受賞している。

     レスリー・ハワードはベネチア国際映画祭で主演男優賞を受賞している。


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    ブロードウェイの「マイ・フェア・レディ」

     1950年代にミュージカル化が企画された。

     しかしオスカー・ハマースタイン二世、リチャード・ロジャーズのコンビはできないということで断った。

     アラン・ジェイ・ラーナー、フレデリック・ロウのコンビも、1952年にはできないと考えた。(映画「ピグマリオン」の製作者ガブリエル・パスカルから話が来たという)

     ラーナー、ローのコンビは1954年から再度挑戦して、1956年に初演が行われるに至った。

     ミュージカル「マイ・フェア・レディ」はブロードウェイ史上記録的な成功を収めた。

    映画「マイ・フェア・レディ」

     1962年にワーナーブラザーズが「マイ・フェア・レディ」の映画化権を獲得したが、そのためにそれまでの最高額550万ドル余りを払った。

     ブロードウェイではジュリー・アンドリュースがイライザを演じていたが、映画版では当時まだ知名度の低かったジュリー・アンドリュースの代わりに、オードリー・ヘプバーンが起用された。

     レックス・ハリソンはそのまま。

     映画版の脚本は、ブロードウェイ版と同じアラン・ジェイ・ラーナー。映画版にはブロードウェイ版と同じものが多く取り入れられている。

     批判的考察↓


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  • オードリー・ヘプバーンの映画「パリの恋人」が出来るまで

    オードリー・ヘプバーンの映画「パリの恋人」が出来るまで

     映画「パリの恋人」は明るく華やかな映画である。

     映画「パリの恋人」は、その裏側でもネガティヴなことは少なかったようである。

     当時パリで降り続いた雨など、映画にとってよくないこともあった。

     しかし共演者、スタッフの間には創造的な関係があったようである。


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    「結婚の日」

     映画「パリの恋人」のもとになったのは、「結婚の日」(”Wedding Day”)という脚本であった。

      「結婚の日」 は、「パリの恋人」の脚本家レナード・ガーシュ( Leonard Gershe )が書いたものである。

     レナード・ガーシュは、親しくなっていた人気ファッション写真家リチャード・アヴェドン( Richard Avedon )をモデルにした。

     リチャード・アヴェドンは、ファッションモデルを発見して、育てて、結婚していた。そのことをもとにして「結婚の日」は作られたのである。

    https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Avedon

    MGM

     「結婚の日」はその後にMGMで映画化されることになった。

     そしてその写真家の役にミュージカル映画のスター、フレッド・アステアが考えられた。

     フレッド・アステアはカクテルパーティーで出会ったMGMのプロデューサー、ロジャー・イーデンスに「結婚の日」に出るように言われた。 (「フレッド・アステア自伝」、407頁)


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    ファニー・フェイス

     「結婚の日」の映画化の企画が進むうちに、タイトルが「ファニー・フェイス」( Funny Face )にかわった。(「パリの恋人」の原題は「ファニー・フェイス」)

     「ファニー・フェイス」とは、1927年にフレッド・アステアがブロードウェイでやっていた公演のタイトルである。

     新たに作る映画のタイトルを「ファニー・フェイス」にして、1927年の「ファニー・フェイス」から、話はとらず、ガーシュウィンの作った楽曲をとることにしたのである。

     ところで、当時「ファニー・フェイス」の権利を持っていたのはワーナー・ブラザーズであった。

     MGMはガーシュウィンの楽曲を映画に取り入れるために、ワーナーブラザーズから「ファニー・フェイス」の権利を買った。

    パラマウント

     フレッド・アステアの自伝によると、フレッド・アステアがMGMのプロデューサー、ロジャー・イーデンスに「結婚の日」に出るように言われた時に、オードリー・ヘプバーンも乗り気になっていた。

     ところが、当時オードリーと契約していたパラマウントは、オードリーをMGMに貸し出すことを受け入れなかった。

     パラマウントが映画「ファニー・フェイス」を製作することになった。

     そしてロジャー・イーデンスなど、MGMで映画を作っていた人も、パラマウントで働くことになった。

     この映画のBlu-rayに特典映像が入っていないのはそのことと関係があるのではないか?


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     DVDには、オリジナル劇場予告、フォトギャラリーの他に「パラマウントin1950’s」というのが入っている。

     「パラマウントin1950’s」というのはその名の通り1950年代のパラマウントの作品を紹介する10分足らずの映像であって、その中でオードリー・ヘプバーンの映画も紹介され(グレース・ケリーの映画も紹介され)、その中で「パリの恋人」も紹介されているというものである。


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    オードリー・ヘプバーン

     フレッド・アステアがロジャー・イーデンスに「結婚の日」に出るように言われた時には、オードリー・ヘプバーンが相手役になるという話になっていた。(「フレッド・アステア自伝」、407頁)

     オードリーは脚本を受け取ってすぐに出演を決めたと言われている。

     その時オードリーと結婚していたメル・ファラーは、その時のことについて次のように語ったという。

    「オードリーはふつう脚本を読んで検討するのに三日かかるところを」と、メルが語っている。「この脚本は二時間で読みおえてしまった。それからわたしが仕事をしていた部屋にとびこんできて叫んだ。『これよ! わたしはうまく歌えないけど、でも、ああ、フレッド・アステアと一緒にこの映画に出られさえしたら!』」

    「オードリー・ヘップバーン物語」上、264頁

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     その脚本はそれだけオードリーの気持ちにあっていたのである。

     オードリーにとって、フレッド・アステアと一緒にその映画に出ることは、それだけ望ましいことであった。

     オードリーはその前の映画「戦争と平和」で深刻な役をやって、その次には軽い作品がいいと考えていたとも言われている。


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     オードリーの母エラは「パリの恋人(ファニー・フェイス)」の脚本を読んで、脚本を書いたレナード・ガーシュに次のように言ったという。

    彼女を知らない人が書いたものだとは信じられなかったわ。彼女のあらゆる面がそこにあるじゃないの。ほんと、これこそオードリーよ。

    「オードリー・ヘプバーン物語」上、267頁

    オードリー・ヘップバーン物語(上) (オードリー・ヘップバーン物語) (集英社文庫)

     オードリーの母にとってオードリーそのものと思われるような脚本だったというのである。

     レナード・ガーシュも「ファニー・フェイス」のガーシュウィンの歌詞などオードリーにぴったりだと思ったという。

     「パリの恋人」は、オードリー・ヘプバーンにとって夢を叶えた作品であった。

     オードリーは幼いころからバレエを習っていたが、踊りによって世に出ることはできず、映画によって世に出ていた。

     「パリの恋人」でオードリーは、フレッド・アステアの相手役としてミュージカル映画で踊ることができたのである。

    フレッド・アステア

     フレッド・アステアが「パリの恋人」の企画に乗り気になったのは、オードリーが相手役になると聞いたからであった。

     フレッド・アステアは次のように語っている。

    偉大なる美しきオードリー・ヘプバーンと共演できるのは、これが唯一にして最後の機会であるかもしれない。この機会を逃したくはなかった。

    「フレッド・アステア自伝」、408頁

    フレッド・アステア自伝 Steps in Time

     フレッド・アステアもそれだけオードリー・ヘプバーンとこの映画で共演することを望んでいたのである。

    しあわせな作品

     オードリー・ヘプバーンはフレッド・アステアと共演することを望み、フレッド・アステアはオードリー・ヘプバーンと共演することを望んだ。

     映画が企画されてから、製作されるまで、MGMからパラマウントに移るなど、大変なことがあった。

     しかし2人が共演することを強く望んでいたゆえに、映画「パリの恋人」は出来た。

     そうして作られた映画「パリの恋人」は、しあわせな作品であった。

      フレッド・アステア は次のように言っている。

    この映画は何もかもが楽しかったので、終わるのがいやだとみんな思った。

    「フレッド・アステア自伝」、410頁

    フレッド・アステア自伝 Steps in Time

     オードリー・ヘプバーンとフレッド・アステアとはその後も敬愛し合っていた。


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  • 「麗しのサブリナ」―ハンフリー・ボガートが悪かったのか?

    「麗しのサブリナ」―ハンフリー・ボガートが悪かったのか?

     1954年に公開された映画「麗しのサブリナ」(SABRINA)を作る時に、ハンフリー・ボガートが他の共演者、監督と対立していたと言われている。

     監督ビリー・ワイルダーの自伝でも、オードリー・ヘップバーンの伝記でも、ハンフリー・ボガートの人格に問題があったと言われている。

     ハンフリー・ボガートが悪かったのか?

     ハンフリー・ボガートの主張には理解できるところがある。

     そのことをもとにして「麗しのサブリナ」という映画の問題について考えてみようというのが私の考えである。


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    ハンフリー・ボガートが悪かったという人々

     ハンフリー・ボガートが悪かったという人々として、オードリー・ヘプバーンの伝記の筆者と、ビリー・ワイルダーとをとりあげる。

    オードリー・ヘプバーンの伝記

     オードリー・ヘプバーンの伝記では、ハンフリー・ボガートが悪かったと書かれている。

     ここではチャールズ・ハイアムの1984年の「オードリー・ヘプバーン 映画に燃えた華麗な人生」(The Life of Audrey Hepeburn by Charles Higham ) をとりあげよう。


    オードリー・ヘプバーン―映画に燃えた華麗な人生

     この伝記では、「『麗しのサブリナ』の抱えていた最大の難問は、ハンフリー・ボガートだった」と言われている。

     そして、ハンフリー・ボガートは「『カサブランカ』の余計なことは言わないクールそのもののリックと正反対の人物」であって「神経過敏でとげとげしく、どこか偏執狂的なところがあった」とか、「健康を害するほどに酒を飲み、オードリーが嫌いであることを隠そうともしなかった」とか、言われている。(「 オードリー・ヘプバーン 映画に燃えた華麗な人生」 、87頁)

     ハンフリー・ボガートの人格に問題があって、それゆえにオードリーなど他の共演者と対立したというのである。

    オードリー・ヘプバーン本人

     上に挙げたようなことを言っているのはオードリー・ヘプバーンの伝記の筆者であって、オードリー・ヘプバーン本人ではない。

    ビリー・ワイルダーの自伝

     ビリー・ワイルダーはハンフリー・ボガートと対立していた当人である。

    アルコール依存症

     ビリー・ワイルダーもハンフリー・ボガートのアルコール依存症を問題としている。

    のちにわかったことだが、彼はアルコール依存症で、遅くとも午後五時には化粧室に戻り、用意した酒をひと飲みしないではいられなかった。だから、午後の遅い時間になるとよく神経質になり、怒りっぽくなったり不機嫌になったりしていたのだ。

    「ビリー・ワイルダー自作自伝」、435~436頁

    ビリー・ワイルダー自作自伝

     ハンフリー・ボガートはアルコール依存症ゆえに周りの人と対立したというのである。

     ハンフリー・ボガートは「不慣れな役」に不安を感じていたとビリー・ワイルダーは言う。

    ずっとあとになってから、ボガートがあのときどんな苦痛を覚えていたかを知った。不慣れな役どころを与えられて、彼は自分が滑稽な演技をしているのではないかという不安を感じていた。

    「ビリー・ワイルダー自作自伝」、435頁

    ビリー・ワイルダー自作自伝

     「麗しのサブリナ」のライナスの役はもともとケーリー・グラントが演ずることになっていた。

     ところが撮影開始の一週間前に突然ケーリー・グラントが降りて、ハンフリー・ボガートがその代わりとされた、とDVDの特典映像では言われている。

     ハンフリー・ボガートとケーリー・グラントとは持っているものが違う。それまでやってきた役も違う。

     そのことによって生じる問題に、ビリー・ワイルダーが「ずっとあとになってから」気づいたというのは、ビリー・ワイルダーの方がおかしいのではないか?

    ストーリー

     ハンフリー・ボガートはビリー・ワイルダーに対する不満を次のように語ったと言われている。

    ワイルダーは、一緒に仕事をしたくないタイプの監督だ。手に鞭を持ち、重々しい口調で話すプロイセン的ドイツ人でね。脚本家としか話をせず、俳優なんていっさい相手にしない。映画がどんなふうに進んでいくのか、サブリナは最後には誰のものになるのか、私にはなんにも教えてもらえなかったんだから!

    「ビリー・ワイルダー自作自伝」、432頁

    ビリー・ワイルダー自作自伝

     ビリー・ワイルダーは「俳優なんていっさい相手にしない」ということは、上でビリー・ワイルダーがハンフリー・ボガートのことを思いやらなかったということと通ずることである。

     ビリー・ワイルダー、ウィリアム・ホールデン、オードリー・ヘプバーンがハンフリー・ボガート抜きで集まってマティーニを飲み談笑していたことに、ハンフリー・ボガートは不満であった。(「ビリー・ワイルダー自作自伝」、432、434頁)

     ビリー・ワイルダーにも問題があったのではないか?

     ハンフリー・ボガートは、ビリー・ワイルダーが俳優に「映画がどんなふうに進んでいくのか」、最後にどうなるのか、を教えなかったことを不満としていたと言われる。

    ボガートはたえず、先のストーリー展開を知りたがった。彼に見せることができたのは、前の晩に書き上げたばかりの二ページか三ページだけだったのだが、彼はさっと目を通してから(もちろん、スタッフの大勢いる前でのことだ)私に尋ねた。(中略)「これはお嬢さんが書いたのかい?」

    「ビリー・ワイルダー自作自伝」、434頁

    ビリー・ワイルダー自作自伝

     ビリー・ワイルダーはハンフリー・ボガートに先のストーリー展開を教えずに、「前の晩に書き上げたばかりの二ページか三ページだけ 」を見せていたことを明らかにしている。

     そのことに問題はなかったか?

    ストーリーの問題

    athree23によるPixabayからの画像

     ビリー・ワイルダーのストーリーの作り方に問題があったのではないか?

     ビリー・ワイルダーは後半のストーリーについて、ライナスは「キッチュな夢見る乙女をだまそうとして逆に虜になってしまう」と説明している。(「ビリー・ワイルダー自作自伝」、430頁)

     そのことに色々と問題があると思われる。

    ライナス

     まずハンフリー・ボガートが演じたライナスという人物の問題。

     ライナスはサブリナ(オードリー・ヘプバーン)を「だまそうとして」いた。

     ところが「逆に虜になってしまう」とビリー・ワイルダーは語る。

     しかしライナスは終盤まで、初めに考えていたようにサブリナを「だまそうとして」いるので、「逆に虜になってしまう」というところがよくわからない。

     「逆に虜になってしま」って、その気持ちが盛り上がって、それまで考えていたことを覆したようには見えないのである。

     それまで弟デーヴィッドを政略結婚させるために、デーヴィッドの心を奪っていたサブリナをだましてパリに追いやる計画を着実に進めていた人物が、突然それまでの計画を捨て去ってしまうという心の動きが十分に描かれていないと思うのである。

     そういうライナスを、デーヴィッドが後押しして、サブリナが受け入れる、ということもおかしいのではないか?

    サブリナ

     サブリナはそれまでライナスに対して好意を持っていたが、ライナスにだまされていたとわかっている。

     その間にライナスが「逆に虜になって」いても、そのことはライナスの中だけのことである。

     ライナスにだまされていたと思っているサブリナが再びライナスに対して好意を持つためには、越えなくてはならないことがあるのではないか?

    デーヴィッド

     デーヴィッドはサブリナと相思相愛の関係になっていたのに、ライナスによって傷つけられ、だまされて、サブリナを奪われている。

     デーヴィッドはライナスを一発殴っているが、それですむことであろうか?

     そしてライナスとサブリナをくっつけようとしているが、それでいいのであろうか?

    善悪

     デーヴィッドは働かずに遊んでいて、その女性関係で生じた損害をライナスに払わせてきた。

     それに対してライナスが家のためにデーヴィッドの意思を無視して政略結婚させようとしたことには言い分がある。

     しかしそれにしても、相思相愛のデーヴィッドとサブリナの関係を、それぞれをだますことによって引き裂いたことは、悪役のようである。

     今やまじめになったデーヴィッドが、ライナスの企みを見破って、サブリナを結ばれる、という話になってもよさそうである。

     ハンフリー・ボガートは、そういうことを考えていたのではないか?

    恋愛

     恋愛ものとしても物足りない。

     すでに言ったように、ライナスのサブリナに対する気持ちの盛り上がりが弱い。

     それに対するサブリナの気持ちの描き方も十分でない。

     ライナスは、デーヴィッドと正々堂々と戦って勝ったのではなく、だまして奪っているので、すっきりしない。

     それまでデーヴィッドのことばかり考えていたサブリナがどうしてデーヴィッドをおいて、ライナスに傾いてしまったのか?

     サブリナに心を奪われていたデーヴィッドがどうしてサブリナを奪い取ったライナスを簡単にサブリナとくっつけようと思うのか?

    その他

     その他にも、ライナスがサブリナをデーヴィッドから引き離すために、自らサブリナを誘惑する役を買ってでるのはおかしい。

     ケーリー・グラントであれば納得できたのであろうか?

     ライナスがサブリナを誘惑しておいて、サブリナを一人でパリへの船に追いやるということも、よくわからないことである。

     ライナスが突然、パリへの船に追いやったサブリナにデーヴィッドをくっつけようとすることも、相手の気持ちを思いやっていないようである。

     その後にデーヴィッドがライナスとサブリナをくっつけようとすることも、相手の気持ちを思いやっていないように見える。

    ビリー・ワイルダーの考え

     恐らくビリー・ワイルダーは終盤まで観客が結末を予測できないように作ったのであろう。

     ライナスの突然の改心まで、結末はわからない。

     そしてライナスの突然の改心で話がひっくり返されたかと思うと、デーヴィッドの突然の改心によってまたひっくり返される。

     最後はハッピーエンドらしく終わる。

     恋愛喜劇としてはそれでいいとも思う。

     しかしまた登場人物の気持ちが重んじられていないとも思う。

    私の主張

     「麗しのサブリナ」で最も心に残るのは、サブリナの変身した姿である。

     オードリー・ヘプバーンの若々しさとジバンシイの衣装とが相まって、心に残るものになっている。

     それまでサブリナに振り向きもしなかったデーヴィッドが、そういうサブリナに夢中になる話は面白い。

     ところがその面白いところを、ライナスが終わらせてしまう。

     ライナスがだましてサブリナがだまされるという話はそれほど面白くない。

     もっと面白くできたのではないか? と私は思うのである。

    ハンフリー・ボガートの風貌

     私はこの映画のハンフリー・ボガートが気になっていた。

     ハンフリー・ボガートは、もともと険しい顔立ちである。その上に年をとっていた。

     ハンフリー・ボガートは1899年生まれで、「麗しのサブリナ」の時には50代中頃になっていた。そして1957年には亡くなっている。

     オードリー・ヘプバーンは1929年生まれ。

     当時20代中頃の若々しいオードリー・ヘプバーンと合っていないようにも見える。


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    「麗しのサブリナ」でその他に気になること

    「麗しのサブリナ」 の料理教室

     サブリナがパリの料理学校に行くということから、「麗しのサブリナ」の話は動き出す。

     ただしサブリナがパリに行って帰ってきたということは、その後の話に大いに関係があるが、サブリナが料理学校に行ったということは、その後の話とあまり関係がない。

     終盤にライナスの部屋で料理をするというところで少し使われるくらいである。

     そうだとすると、料理学校の描写に時間をかけるより、男爵とのやりとりに時間をかけた方がよかったのではないか?

    「麗しのサブリナ」のパリ

     「麗しのサブリナ」ではパリが重要な土地とされている。

     ただし「麗しのサブリナ」での、パリの描き方は抽象的である。

     オードリー・ヘプバーンがこの前に出演した映画「ローマの休日」ではローマで撮影が行われた。この後に出演した「パリの恋人」ではパリで撮影が行われた。しかし「麗しのサブリナ」では、パリで撮影が行われていない。

     「バラ色の人生 la vie en rose 」の歌によって表現するというような抽象的な描き方になっている。

     サブリナがパリを天国のように言うことも抽象的である。


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  • オードリー・ヘプバーンの出演した映画リスト

    オードリー・ヘプバーンの出演した映画リスト

     「ローマの休日」によって世界的な映画スターになったオードリー・ヘプバーンは、その後に様々な映画に出演した。

     オードリー・ヘプバーンが出演した映画は多くないが、話題になった作品は多い。

    「ローマの休日」まで

     オードリー・ヘプバーンは「ローマの休日」によってスターになった。

     それまでオードリーは英国の映画に出ていた。

     「ローマの休日」に出演するまでのことは下の記事に書いた↓

     この時期に英国で出演した映画は次の通り。

    「天国の笑い声」

     原題は「 Laufghter in Paradise 」

     1951年。

     英国の映画会社 アソシエーション・ブリティッシュ・ピクチャー・コーポレーション Associated British Picture Corporation 。


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    「若気のいたり」

     原題は「 One Wild Oat 」

     1951年。

     エロス=コロネット Eros-Coronet、英国。


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    「ラヴェンダー・ヒル一味」

      原題は「 The Lavender Hill Mob 」

     1951年。

     イーリング・スタジオ Ealing Studios 。

     アレック・ギネス Alec Guinness 主演の映画。


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    「若妻物語」

     原題は「 Young Wives’ Tale 」

     1951年。

     アソシエーション・ブリティッシュ・ピクチャー・コーポレーション 。


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    「初恋」

     原題は「 The Secret People 」

     1952年。

     イーリング・スタジオ 。

     オードリーの名が三番目に出て来る。


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    「モンテカルロへ行こう」

     原題は「 Monte Carlo Baby 」

     1952年。

     フェイヴァリット・ピクチャーズ Favourite Pictures 。

     フランスで撮影された。


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     「モンテカルロへ行こう」の撮影中にオードリー・ヘプバーンは、「ジジ」の作者コレットに見いだされて、ブロードウェイ劇「ジジ」の主役となった。

    「ローマの休日」

     原題は「 Roman Holiday 」

     1953年。

     オードリー・ヘプバーンはアメリカ映画「ローマの休日」の主役に選ばれた。

     パラマウント Paramount 。

     監督はウィリアム・ワイラー William Wyler 。

     共演はグレゴリー・ペック Gregory Peck 。

     公開は1953年。日本では1954年。


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    「麗しのサブリナ」

     原題は「 Sabrina 」

     1954年。

     パラマウント。

     監督はビリー・ワイルダー Billy Wilder 。

     共演はハンフリー・ボガート Humphrey Bogart 、ウィリアム・ホールデン William Holden 。


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     「麗しのサブリナ」を作る時に、ハンフリー・ボガートが監督、他の共演者と対立していたと言われる。

     そのことから「麗しのサブリナ」のストーリーの気になるところについて考えてみた。

    「戦争と平和」

     原題は「 War and Peace 」

     1956年。

     パラマウント。

     監督はキング・ヴィダー King Vidor 。

     共演はヘンリー・フォンダ Henry Fonda 。メル・ファラー Mel Ferrer (当時の夫)。


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    「パリの恋人」

     原題は「 Funny Face 」

     1957年。

     パラマウント。

      監督は スタンリー・ドーネン Stanly Donen 。

     共演はフレッド・アステア Fred Astaire 。


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    https://cocoro-mi.com/funnyface-movie/

     「パリの恋人」は、できるまでに複雑な話があった。ただし出演者、スタッフの関係はよかったようである。

    https://cocoro-mi.com/funnyface-backstage/

    「昼下りの情事」

     原題は「 Love in the Afternoon 」

     1957年。

     アライド・アーティスツ・ピクチャーズ・コーポレーション Allied Artists 。

      監督は ビリー・ワイルダー。

     共演はゲーリー・クーパー Gary Cooper 。


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     特典DVD「想い出のオードリー・ヘプバーン」つき。ゲーリー・クーパーが覆われている。


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    「緑の館」

     原題は「 Green Mansions 」

     1959年。

     メトロ・ゴールドウィン・メイヤー Metro Goldwyn Mayer 。

      監督は メル・ファーラー。

     共演はアンソニー・パーキンス Anthony Perkins 。


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    「尼僧物語」

     原題は「 The Nun’s Story 」

     1959年。

     ワーナー・ブラザーズ Warner Bros. 。

     監督は フレッド・ジンネマン Fred Zinnemann 。


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    「許されざる者」

     原題は「 Unforgiven 」

     1960年。

     ユナイテッド・アーティスツ United Artists 。

     監督はジョン・ヒューストン John Huston 。

     共演はバート・ランカスター Burt Lancaster 。


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    「ティファニーで朝食を」

     原題は「 Breakfast at Tiffany’s 」

     1961年。

     パラマウント。

     監督はブレイク・エドワーズ Blake Edwards 。

     共演はジョージ・ペパード George Peppard 。


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    「噂の二人」

     原題は「 The Children’s Hour 」

     1961年。

     ユナイテッド・アーティスツ。

      監督は ウィリアム・ワイラー。

     共演はシャーリー・マクレーン Shirley MacLaine 。


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    「シャレード」

     原題は「 Charade 」

     1963年。

     ユニヴァーサル Universal 。

      監督は スタンリー・ドーネン。

     共演はケーリー・グラント Cary Grant 。


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    「パリで一緒に」

     原題は「 Paris when it Sizzles 」

     1963年。

     パラマウント。

     監督はリチャード・クワイン Richard Quine 。

     共演はウィリアム・ホールデン。


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    「マイ・フェア・レディ」

     原題は「 My Fair Lady 」

     1964年。

     ワーナー・ブラザーズ。

     監督はジョージ・キューカー George Cukor 。

     共演はレックス・ハリソン Rex Harrison 。


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     こういうのも出ていた。


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     批判的考察↓

    「おしゃれ泥棒」

     原題は「 How to Steal a Million 」

     1966年。

     20世紀フォックス 20th Century Fox 。

     監督はウィリアム・ワイラー。

     共演はピーター・オトゥール Peter O’Toole


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    「いつも二人で」

     原題は「 Two for the Road 」

     1967年。

     20世紀フォックス。

     監督はスタンリー・ドーネン。

     共演はアルバート・フィニー Albert Finney 。


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     他にも。


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    「暗くなるまで待って」

     原題は「 Wait Until Dark 」

     1967年。

     ワーナー・ブラザーズ。

     監督はテレンス・ヤング Terence Young 。


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    「ロビンとマリアン」

     原題は「 Robin and Marian 」

     1976年。

     コロンビア Columbia 。

     監督はリチャード・レスター Richard Lester 。

     共演はショーン・コネリー Sean Connery 。


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    「華麗なる相続人」

     原題は「 Bloodline 」

     1979年。

     パラマウント。

     監督はテレンス・ヤング。

     シドニー・シェルダンの小説「血族」の映画化。


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    「ニューヨークの恋人たち」

     原題は「 They All Laughed 」

     1981年。

     タイム=ライフ/ムーン Time-Life/Moon 。

     監督はピーター・ボグダノヴィッチ Peter Bogdanovich 。


    They All Laughed

    「オールウェイズ」

     原題は「 Always 」

     1989年。

     ユニヴァーサル/ユナイテッド・アーティスツ。

     監督はスティーヴン・スピルバーグ Steven Spielberg 。


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    映画以外

     オードリー・ヘプバーンは家族を大事にしたと言われている。

     長男ショーン・ファラーの著書の日本語版。


    AUDREY HEPBURN―母、オードリーのこと

     次男ルカ・ドッティの著書の日本語版 。


    オードリーat Home―母の台所の思い出 レシピ、写真、家族のものがたり

     オードリーの2人の息子との関係についての記事。

    https://www.foxnews.com/entertainment/audrey-hepburn-sons-sean-hepburn-ferrer-luca-dotti-life-outside-of-hollywood

     オードリー・ヘプバーンは晩年、ユニセフに力を注いだ。

     自身が第2次世界大戦で体験したことによるところが大きかったようである。

  • 「昼下りの情事」 オードリー・ヘプバーンとゲーリー・クーパー

    「昼下りの情事」 オードリー・ヘプバーンとゲーリー・クーパー

     1957年に公開された映画「昼下りの情事 Love in the Afternoon 」は、オードリー・ヘプバーンが「パリの恋人」の次に出演した作品である。

     監督は「麗しのサブリナ」と同じビリー・ワイルダー。 「麗しのサブリナ」と同じ ように、恋愛をコミカルに描いている。

     共演はゲーリー・クーパーGary Cooper。(敬称略)

     オードリー・ヘプバーンが出演したその他の映画↓


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    暗さ

    Sara VaccariによるPixabayからの画像

     映画「昼下りの情事」は、私には暗い印象がある。

     脚本も演出もビリー・ワイルダーによるコミカルなものであるが、絵が暗いi印象がある。

    白黒

     「昼下りの情事」は白黒映画である。

     それゆえに暗く見えるということはあるであろう。

     「昼下りの情事」の前に作られた「パリの恋人」は、カラーであるだけでなく、カラーの中でも特に色の鮮やかな映画であった。

     「パリの恋人」と比べると一層「昼下りの情事」の暗さが目立つということもあるであろう。

     オードリー・ヘプバーンがそれまでに出演した映画では、「ローマの休日」(1953年)と「麗しのサブリナ」(54)は白黒、「戦争と平和」(56)、「パリの恋人」(57)はカラーであった。

     白黒からカラーに進んでいたのに、「昼下りの情事」ではまた白黒に後退したように見える、ということはある。

    内容

     ただし同じ白黒でも、「ローマの休日」には明るい印象がある。

     「麗しのサブリナ」も比較的に明るかったのではないかと思う。

      「ビリー・ワイルダー自作自伝」では、次のように薄暗くした室内で撮影が行われたと記されている。

    顔のしわが目立たないようにするために、ワイルダーはクーパーをホテル・リッツの薄暗くした室内で撮るようにし、ガーゼ越しに撮影するという手段も採用した―これは通常は、しわの多い女優を撮る場合にやむをえず実行される方法である。

    「ビリー・ワイルダー自作自伝」、484頁

    ビリー・ワイルダー自作自伝

     ゲーリー・クーパーのしわを目立たなくするために、薄暗くした室内で、ガーゼ越しに撮影が行われた。

     その結果、ゲーリー・クーパーのしわは目立たなくなったかもしれないが、画面が薄暗くもやのかかったものになった。

     オードリーの演ずる主人公の父親が探偵をやっているが、探偵というものは薄暗いものだということもできる。

     オードリーの演ずる主人公はチェロの奏者であるが、チェロも重く暗いものである。

    年齢

    AquilatinによるPixabayからの画像

     「昼下りの情事」でオードリー・ヘプバーンの相手役を務めるのはゲーリー・クーパーである。

    ゲーリー・クーパーとの差

     ゲーリー・クーパーは1920年代から1950年代に至るまでアメリカ映画で美男の役を演じ続けてきた人である。

     しかしそれゆえにゲーリー・クーパーの年齢とオードリー・ヘプバーンの年齢とは離れていた。

     オードリー・ヘプバーンは1929年生まれであるが、ゲーリー・クーパーは1901年生まれであった。

     20代の女性と50代の男性である。

     監督のビリー・ワイルダーはもともとケーリー・グラントを考えていたという。

     ビリー・ワイルダーは次のように語っている。

    『昼下りの情事』で残念だったのは、主役にケイリー・グラントを起用できなかったことだ。私の思い描くエレガントな主人公像にもっとも近い俳優だった彼を主人公に据えた映画を撮る夢はついに実現できなかった。

    「ビリー・ワイルダー自作自伝」、481~482頁

    ビリー・ワイルダー自作自伝

     ケーリー・グラントは1904年生まれで、年齢差はそれほど違わないようである。

    オードリーと年齢差

     このあたりのオードリー・ヘプバーンの映画では、オードリーと相手の男優との年齢は大きく離れている。

     「麗しのサブリナ」のハンフリー・ボガートも「パリの恋人」のフレッド・アステアも1899年生まれであった。

     1900年前後に生まれて1930年代、1940年代に映画スターであった人々が1950年代にも映画スターであったということでもあろう。

     オードリー・ヘプバーンはそういう男性を相手としても合うと思われていたのでもあろう。

     しかしまたそれだけ年齢の離れた男女の恋愛はおかしいとも言われる。

    ゲーリー・クーパーの場合

     「昼下りの情事」のゲーリー・クーパーはたしかに年老いているように見える。

     「パリの恋人」のフレッド・アステアより年老いているようにも見える。フレッド・アステアが軽やかなダンスを見せているのと比べると、動きが鈍くなっているように見える。

     そういう見せ場がないだけであろうか?

     ゲーリー・クーパーは1961年に亡くなっている。すでにその予兆が現れていたのかもしれない。

     「昼下りの情事」においてゲーリー・クーパーは、世界中で次々と違う女性と浮名を流すような男性を演じているが、それほど活発な男性に見えない。

     「昼下りの情事」のゲーリー・クーパーは、オードリーの演ずる女性の心をつかむ男性を演じているが、その力が弱いように見える。

     ゲーリー・クーパーは年老いたといっても、アメリカの映画の歴史において有名な美男である。

     力のある絵を撮ることはできなかったのであろうか?

     オードリーの演ずる主人公が探偵の娘として知った情報によって、ゲーリー・クーパーの演ずる男性の命を救おうとして、そのことによって相手に関心を持たれるというところなど、話の組み立てが面白い。

     オードリーの演ずる主人公がゲーリー・クーパーの演ずる男性に心をつかまれるというところは、すでに言ったように、説得力が弱い。

     オードリーの演ずる主人公は、ゲーリー・クーパーの演ずる男性に対抗するために大変な男性遍歴があると言う。

     そのことについて、オードリー・ワイラーは「そんなことはだれも信じません。ブリジット・バルドーが言ったのなら信じるでしょうけど」と言っている。(「オードリー・ヘプバーン物語」上、291頁)


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     たしかにオードリー・ヘプバーンのような女性が、大変な男性遍歴を語って相手に信じさせることができるか、という問題はある。

     ビリー・ワイルダーは原作を「一種のエディプス的コメディーへと変更した」と語っている。

    つまり、父を殺害した犯人を探すうちに自分に突き当たるエディプスと同じように、探偵であるアリアーヌの父は、嫉妬深い億万長者からの依頼でひとりの女を探すうちに、自分の娘を発見してしまう。

    「ビリー・ワイルダー自作自伝」、485頁

     たしかにモーリス・シュヴァリエの演ずる父親が、探偵としてさがすうちに自分の娘であったと知るところは面白い。

    日本

    Photo by Jie on Unsplash

     「昼下りの情事」では日本のことがとりあげられているところがある。

     はじめのモーリス・シュヴァリエの独白で、パリ、ロンドン、ニューヨーク、東京と並べられているところ。

     ゲーリー・クーパーの演ずる男性は世界各地の新聞でその艶聞が報じられるが、その中に日本語の新聞がある。

    他の作品との比較

     「昼下りの情事」を観ていると私は他の作品を思い出してしまう。

    「青髭八人目の妻」

     1938年に公開された「青髭八人目の妻 Bluebeard’s Eighth Wife 」は、ゲーリー・クーパー主演でビリー・ワイルダーの脚本であったということでも、「昼下りの情事」と関係がある。

     ゲーリー・クーパーの演ずるアメリカ人実業家は、クローデット・コルベールの演ずるフランス人女性と結婚するところまでいったが、それまで結婚離婚を繰り返してきたことをその女性に言ったことを受けて、その女性が対抗措置をとった。それに対して男性も対抗する、という話である。

     その男性がそれまで結婚離婚を繰り返してきたことをその女性に言うところが、少し似ている。

     「青髭八人目の妻」が男女の戦争を描いていたのと比べると、「昼下りの情事」は互いにやさしい。


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    「恋の手ほどき」

     映画「恋の手ほどき Gigi 」は、「昼下りの情事」の一年後の1958年に公開された映画である。

     「昼下りの情事」を観る前に観ていたせいか、似ていると思った。

     「昼下りの情事」では、主人公の少女アリアーヌは気になる男性フラナガンが次々と違う女性と浮名を流すさまをみる。

     「恋の手ほどき」では、主人公の少女ジジは親しい男性ガストンが次々と違う女性と浮名を流すさまをみる。

     どちらでもモーリス・シュヴァリエが、主人公の少女と相手の男性との関係に対して傍観者の役を演じている。


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     「恋の手ほどき」は、オードリー・ヘプバーンが「ローマの休日」の前にブロードウェイの劇の主役に抜擢された作品である。

    ビリー・ワイルダー

     ビリー・ワイルダーはエルンスト・ルビッチ、ハワード・ホークスに学んだ人である。

     「昼下りの情事」は、エルンスト・ルビッチやハワード・ホークスの恋愛喜劇に似ているようでもある。

     ゲーリー・クーパー、モーリス・シュヴァリエはエルンスト・ルビッチの恋愛喜劇に出演していた訳者である。

     しかし蓮實重彦は、ビリー・ワイルダーはエルンスト・ルビッチやハワード・ホークスと比べて泥臭いと言っていた。

    ただ、ぼくはビリー・ワイルダーって、好きなのはあるんだけど、やはりギャグが泥くさい…。
    (中略)
    ああいうのは、ホークスはやらないですよね。やっぱり、スクリューボール・コメディー、とくに、セックス・ウォー・コメディーはワイルダーまでは生き延びていないとぼくは思うんです。

    「ハワード・ホークス映画読本」、国書刊行会、2016年、266~267頁

    ハワード・ホークス映画読本

     私もそう思う。

     たとえば「昼下りの情事」のはじめにモーリス・シュヴァリエの独白で、パリでは至る所で恋する人がいるというのに合わせて、そういう映像が次々と出て来るところがある。

     そのあたりは、たとえばエルンスト・ルビッチ監督の「生きるべきか死ぬべきか」のはじめに、ポーランド人らしい名前の商店の看板の映像を、ナレーションとともに二、三出して、それでここはポーランドだ、というようなところを思い出す。

     ところがビリー・ワイルダーはくどい。

     たとえばセーヌ川の左岸で恋する人がいて、右岸で恋する人がいる、というところまではいいが、中間にもいるといって船の上のカップルを出すとか、昼でも夜でもとか、肉屋でもパン屋でもとか、それをまだまだ続けていくのは、くどい。

     それだけのために多くの男女を出しているのは、それだけ余裕があるということであろうか?

     また、はじめに抱き合う男女が、車に水をかけられても抱き合い続けるというところがある。

     そういうことは、エルンスト・ルビッチも、ハワード・ホークスもやらないのではないかと思う。

     思うに、そういうことはドタバタコメディである。チャップリンやキートンの映画にあるようなことである。

     エルンスト・ルビッチやハワード・ホークスは、そういうドタバタコメディと違う恋愛喜劇を作った。

     ビリー・ワイルダーはそういう恋愛喜劇にまたドタバタコメディを入れた、ということではないか。

     恋愛喜劇は登場人物の気持ちを主とする。ドタバタコメディは登場人物を笑う観客を主とする。

     ジプシー楽団はコミカルであるが、サウナで演奏するところなど、まさにドタバタコメディである。

     ここで問題がある。

     ビリー・ワイルダーは、エルンスト・ルビッチ、ハワード・ホークスの代表的な作品の脚本を担当している。

     それにもかかわらず、ビリー・ワイルダーが脚本を書いた作品と、ビリー・ワイルダーが監督した作品との間に違いがあるということはどういうことであろうか?

     ビリー・ワイルダーは、ルビッチ、ホークスの映画の脚本と、自分の監督した映画の脚本と、違うように書いていたのか?

     エルンスト・ルビッチ、ハワード・ホークスによってビリー・ワイルダーは抑えていたのか?

     オードリー・ヘプバーンが出演したその他の映画↓


    オードリー・ヘプバーン 生誕80周年 『昼下りの情事』+『想い出のオードリー』スペシャルDVDボックス(2枚組)
  • オードリー・ヘプバーンはどこで生まれ育ったのか~「ローマの休日」に出演するまで

    オードリー・ヘプバーンはどこで生まれ育ったのか~「ローマの休日」に出演するまで

     オードリー・ヘプバーンはアメリカの映画「ローマの休日」に出演して、多くの人に知られる人物となった。

     ところでオードリー・ヘプバーンはどこの国の人であったのか?

     どこで生まれ、どこで育ったのか?

    オードリー・ヘプバーンの母

     オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)の母は、オランダの貴族であった。

     オードリーの母エラ(Ella)は、オランダのファン・ヘームストラ(van Heemstra)家に生まれた。男爵の家であった。

      ファン・ヘームストラ家は、ユトレヒトの近くのドールン城を持っていたが、1920年にドイツ皇帝ヴィルヘルム2世に売った。―ヴィルヘルム2世は第1次世界大戦の戦争犯罪人とされてオランダに逃亡していた。

     そしてファン・ヘームストラ家はオランダ東部アルンヘム(アーネム、Arnhem)の領地に住んでいた。

     オードリーの母エラは、1920年、19歳の時にオレンジ=ナッサウ勲爵士と結婚して、夫の任地オランダ領東インド諸島のバタヴィア(現在のインドネシアの首都ジャカルタ)で2人の息子を生んだ。

     1925年にエラは離婚した。

      エラは 一度オランダのアルンヘムに帰った後にまたインドネシアに行って、そこで知り合った英国人のビジネスマン、ジョゼフ・ラストン(Joseph Ruston)と1926年に結婚した。

     1929年5月4日にジョゼフ・ラストンとエラ・ラストンの娘オードリー・ヘプバーンはブリュッセルで生まれた。

    オードリー・ヘプバーンの父

    国籍

     オードリー・ヘプバーンの父ジョゼフ・ラストンは英国籍であった。

     それゆえにオードリーは英国籍とされた。

    ヘプバーン

      オードリーの出生証明書には、名はオードリー・キャスリーン・ラストン(Audrey Kathleen Ruston)と記されている。

     ヘプバーンとは記されていない。

     オードリー・ヘプバーンの長男ショーン・ヘプバーン・ファラーはそのことについて次のように語っている。

    第一次世界大戦後、母の父親であるアンソニー・ヴィクター・ラストンは家系図を探し出し、先祖がかつてヘップバーンと名乗っていたことを知った。そこで彼は名前にヘップバーンをつけ足し、母の戸籍上の名前にもヘップバーンが足されることになった。

    「母、オードリーのこと」、竹書房、2004年、XIV

    AUDREY HEPBURN―母、オードリーのこと

     そうしてオードリー・ヘプバーンの父の名にヘプバーンがつけ足されて、アンソニー・ジョゼフ・ヴィクター・ヘプバーン―ラストンになったという。(「母、オードリーのこと」、7頁)

     オードリーの次男ルカ・ドッティの「オードリー at Home 」では次のように記されている。

    彼女のヘップバーンというのは祖父の苗字で、1939年4月6日に加えられた

    「オードリー at Home 」改訂版、フォーイン スクリーンプレイ事業部、2019年、245頁

    オードリーat Home―母の台所の思い出 レシピ、写真、家族のものがたり

     ただしオードリーの出生証明書でも、1944年の身分証明書でも、1946年~1951年のパスポートでも、名はオードリー・ラストンと書かれていて、ヘプバーンは付け足されていない。

    オードリーの家族の離合

    Photo by Jakob Owens on Unsplash

    離婚

     1935年5月に、オードリー・ヘプバーンの父ジョゼフ・ラストンは、妻と娘を残して家を出た。

     エラの父親(オードリーの祖父)がジョゼフ・ラストンの反ユダヤ主義のこと、財産管理のことで怒ったからだという。

     エラとジョゼフとはそれまでしばしば口論していたようであるが、ジョゼフが家を出た時にエラは一晩で髪の毛が真っ白になるほど苦しんで泣いたという。

     1938年にエラとジョゼフは正式に離婚した。

     母エラがオードリーの優先保護権を得たが、父ジョゼフは娘(オードリー)が英国にとどまること、自分に訪問権が与えられることを要求した。

     オードリーはその後も英国に住み続けた。

    第2次世界大戦

     第2次世界大戦はオードリー・ヘプバーンの人生に大きな影響を与えた。

    イギリス

     1939年9月にナチスがポーランドに侵入した。それに対して英国はドイツに宣戦布告した。

     その時に、エラはオードリーをオランダに連れ帰る裁判所の許可を得た。

     オードリーは英国からオランダに出国することになったが、その時に空港に連れて行ったのは、父ジョゼフであった。

     オードリーはそれから20年、父ジョゼフと会うことはなかった。(1959年にその時の夫メル・ファラーのおかげでオードリーはアイルランドで父と再会することができた。)

    オランダ

     英国より安全だからということで、オードリーはオランダのアルンヘムで暮らすことになったのであるが、1940年にドイツがオランダに侵攻してオランダは降伏した。

     オードリーの母エラは、オードリーの名をエッダ(Edda)とし、姓をファン・ヘームストラ(van Heemstra)として、オランダの学校に通わせた。

     オードリーの長男ショーン・ヘプバーン・ファラーはそのことについて次のように語っている。

    オードリーという名はあまりにイギリス的だと心配し、戦時中のみ母の名をエッダに変えた。

    「母、オードリーのこと」、XIV

     危険を避けるために、オードリー・ヘプバーンという英国風の名前を、オランダ風のエッダ・ファン・ヘームストラに変えたというのである。

     1942年8月に、エラの姉ミーシェの夫オットー・ファン・リンブルグ・シュティルムが、ドイツに抵抗したということで、ドイツ兵によって森の中で射殺された。

     1944年9月17日に始まったマーケット・ガーデン作戦で、アルンヘムは英国軍とドイツ軍の戦場となった。

    イギリス

     1945年に第2次世界大戦が終わった後、オードリー ・ヘプバーンは母エラとともに アムステルダムに移り住んだ。

     1948年にオードリーとエラは英国に渡った。

     以上のことは、バリー・パリスの「オードリー・ヘップバーン物語」(集英社、2001年)などの伝記、ショーン・ヘプバーン・ファラーの 「母、オードリーのこと」、 ルカ・ドッティの「オードリー at Home 」 による。


    オードリー・ヘップバーン物語(上) (オードリー・ヘップバーン物語) (集英社文庫)

    バレエ

    Eric BlochetによるPixabayからの画像

     オードリー・ヘプバーンは、はじめバレエによって世に出ようと考えていた。母もその考えを支えていた。

     オードリーがバレエを稽古していた時期は第2次世界大戦と重なっていた。

     1941年にオードリーはアルンヘム音楽学校のウィニア・マロ―ヴァのもとで本格的なバレエの稽古を始めた。

     1945年にオードリーは母とともにアムステルダムに移住した。当時のオランダ・バレエ界の第一人者ソニア・ガスケル(1904~1974年)のもとでバレエをやるためであった。ウィニア・マロ―ヴァの推薦状による。

     1948年にオードリーは母とともに英国に渡った。その前にマリー・ランパート(1888~1982年)のバレエ・スクールのオーディションを受けて、入学することがきまっていた。

     結局オードリーはランパートからクラシックダンサーとして成功する肉体も才能もないと言われてしまった。

    映画

    Andreas GlöcknerによるPixabayからの画像

    オランダ

     1948年にオードリーがガスケルのスタジオにいた時に、オランダの映画製作者による「 Dutch in Seven Lessons 」という映画に出た。

    イギリス

     1949年には、アメリカのヒットミュージカル「ハイ・バトン・シューズ」のイギリスのプロデューサーによるロンドン公演のダンサーに応募して、出演した。

     「ハイ・バトン・シューズ」を観たロンドンの興行師セシル・ランドーは、自ら制作演出する「ソース・ピカント」にオードリーを出演させた。

     イギリスの映画会社アソシエーション・ブリティッシュ・ピクチャー・コーポレーション Associated British Picture Corporation の映画の配役担当部長ロバート・レナードは、 「ソース・ピカント」 のオードリーを気に入って映画「天国の笑い声」に出演させた。

     「天国の笑い声」はその年のイギリス映画で最大の興行収入を上げた。

     オードリーは続いてABPCの映画「若気のいたり」、「若妻物語」、「ラヴェンダーヒル一味」に出演した。

     1952年の映画「初恋 The Secret People 」でオードリーは3番手の役を演じた。

     次の映画「我らモンテカルロに行く」の撮影中、モンテ・カルロでオードリーは作家コレットに見出されて、コレットの「ジジ」のブロードウェイ劇の主役とされた。

     パラマウントのロンドン制作部長リチャード・ミーランドは「天国の笑い声」のオードリーに感銘を受けていて、「ローマの休日」に推薦した。

    アメリカ

     オードリーは「ジジ」、「ローマの休日」のためにアメリカに行った。

     そしてスターになった。

     オードリー・ヘプバーンが「ローマの休日」以前に出演した映画、「ローマの休日」以後に出演した映画は、今手に入る日本語版とともに、下の記事にまとめた↓

    終わりに

     オードリー・ヘプバーンの国籍がわかりにくいことにはそれだけの理由があった。

     オードリー・ヘプバーンは「ローマの休日」をはじめとするアメリカ映画によって多くの人に知られている。

     しかしオードリー・ヘプバーンはアメリカで生まれたのでも、アメリカで育ったのでもない。

     ヨーロッパで生まれ育った人である。

     オードリー・ヘプバーンの父は英国籍であったが、母はオランダの貴族であった。

    ・両親が離婚して、母が優先保護権を得たが、第2次世界大戦が始まるまでは英国にいた。

    ・第2次世界大戦が始まってからオランダで母とともに暮らした。

    ・第2次世界大戦の後に母とともに英国に渡った。そして英国で出演した映画がきっかけでアメリカ映画「ローマの休日」に出演することになった。

     このようにわかりにくくなる理由があったのである。


    AUDREY HEPBURN―母、オードリーのこと

    オードリーat Home―母の台所の思い出 レシピ、写真、家族のものがたり
  • 「麗しのサブリナ」

    「麗しのサブリナ」

     1954年に公開された映画「麗しのサブリナ SABRINA 」は、「ローマの休日」でスターになったオードリー・ヘプバーンがその次に出演した映画である。

     そして「麗しのサブリナ」もオードリー・ヘプバーンの代表作になった。


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    「麗しのサブリナ」とシンデレラ

    Thomas B.によるPixabayからの画像

    変身

      「麗しのサブリナ」 の見どころは変身である。

     豪邸の運転手の娘サブリナは、その豪邸の次男に惚れていたが、見向きもされなかった。

     ところがサブリナはパリに行って洗練された女性になって帰ってくる。

     変身したサブリナに対して、豪邸の人々はどう反応するか?

     次男はどう反応するか?

     オードリー・ヘプバーンは、変身して輝くことができるので、こういう話に合っている。

     オードリー・ヘプバーンはもともと変身する前から夢の世界の人のようであるので、こういうおとぎ話のような映画に合っている。


    Audrey: The 50s

    「麗しのサブリナ」のファッション

     サブリナの変身では、衣装が重要な役割を果たしている。

     パリに行く前のサブリナは、地味な服装であった。(「ローマの休日」の衣装も担当したイーディス・ヘッド Edith Head による)

     パリに行った後のサブリナは、ジバンシイ Hubert de Givenchy による洗練された衣装を身に着けている。

     「麗しのサブリナ」でジバンシイの衣装を着たオードリー・ヘプバーンは、特に輝いている。

     ドレスも、サブリナ・パンツも、オードリーの個性、若々しさと相まって、特別な輝きを放っている。

     「麗しのサブリナ」の時のオードリーの写真を集めた本も出ている。

     サブリナの衣装を着て撮影の現場にいるオードリーの写真、自分の部屋で自由にしているオードリーの写真。

     オードリーの言葉、オードリーを知る人の言葉も入っている。


    Charmed by Audrey: Life on the Set of Sabrina

     日本語版。


    オードリーに魅せられて~サブリナの日々~

    「麗しのサブリナ」の豪華さ

     「麗しのサブリナ」は豪華な感じがする映画である。

     舞台になっている豪邸には、パラマウントの最高幹部バーニー・バラバンのロングアイランドの邸宅が使われている。

     監督のビリー・ワイルダー Billy Wilder は、1950年代のアメリカ映画を代表する監督の一人であるが、恋愛喜劇の監督として有名であったエルンスト・ルビッチに学んだ人でもあった。

     「麗しのサブリナ」も、その流れにある夢のような恋愛喜劇とになっている。

     「麗しのサブリナ」が夢のような映画になっていることは、オードリー・ヘプバーンによるところが大きい。

     しかしその他の共演者によるところも少なくない。

     ハンフリー・ボガートも、ウィリアム・ホールデンも、アカデミー主演男優賞を受賞した俳優である。特にウィリアム・ホールデンはビリー・ワイルダーの喜劇と合う俳優であったと思われる。

     サブリナの父を演じたジョン・ウィリアムズをはじめとして、脇役にもいい俳優が起用されている。

     今はBlu-rayで観ることができる。


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  • 【映画】「パリの恋人」 ファッションモデルを演じたオードリー・ヘプバーン

    【映画】「パリの恋人」 ファッションモデルを演じたオードリー・ヘプバーン

     1957年に公開された映画「パリの恋人」(原題は “Funny Face”)は、オードリー・ヘプバーンがファッション雑誌のモデルになってパリで撮影をするという映画。

     パリの様々な名所を背景として、ジバンシイの様々な衣装を着たオードリー・ヘプバーンがファッション雑誌のための写真を撮っていく。

     ガーシュウィン兄弟の名曲を、オードリー、フレッド・アステアが歌い、踊る。


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    「パリの恋人」

    エッフェル塔
    Photo by Andrea Maschio on Unsplash

     「パリの恋人」の原題は “Funny Face”(=ファニー・フェイス)。

     「ファニー・フェイス」は1927年のブロードウェイ・ミュージカルで、フレッド・アステアが姉のアデルとともに主演、ガーシュウィン兄弟が楽曲を作った。

     「パリの恋人」は1927年の「ファニー・フェイス」からガーシュウィン兄弟の楽曲を使って、話は変えたもの。

     ガーシュウィン兄弟の名曲の他に新たに曲が付け加えられた。


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    映画「パリの恋人」とファッション雑誌

    Photo by Joyce McCown on Unsplash

     映画「パリの恋人」はファッション雑誌をもとにして作られている。

    リチャード・アヴェドン

     「パリの恋人」は、ファッション写真家リチャード・アヴェドン(Richard Avedon)の話をもとにしている。

     リチャード・アヴェドンはモデルを発見し、育てて、愛し合うようになったということがあった。

     映画でフレッド・アステアが演ずるカメラマンのディックは、リチャード・アヴェドンをもとにして作られた人物である。

    https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Avedon

     リチャード・アヴェドン は「視覚コンサルタント」( Special Visual Consultant )として映画に参加している。

     「パリの恋人」には、リチャード・アヴェドンによってファッション雑誌のような映像になっているところが多い。


    Funny Face

    ダイアナ・ヴリーランド

     「パリの恋人」に出て来るファッション雑誌の編集長マギーは、ダイアナ・ヴリーランド( Diana Vreeland )をもとにしていると言われている。

     ダイアナ・ヴリーランドは、「ハーパーズ・バザー」で1939年からファッションエディターを務めて、1963年から「ヴォーグ」の編集長に就任した人である。

    https://en.wikipedia.org/wiki/Diana_Vreeland

    カーメル・スノウ

     またカーメル・スノウ Carmel Snow をもとにしているとも言われている。

     カーメル・スノウは、1934年に「ハーパーズ・バザー」の編集長に就任していて、ダイアナ・ヴリーランドを見出した人である。

     「パリの恋人」の初めにカーメル・スノウと「ハーパーズ・バザー」誌に対する感謝の意がのべられている。

    https://en.wikipedia.org/wiki/Carmel_Snow

    「パリの恋人」のDVD、Blu-ray

     「パリの恋人」のように凝った映像は高画質で観たい。


    パリの恋人 (字幕版)

     ただしBlu-rayには映像特典がついてない。

     DVDにはドキュメンタリー「パラマウント1950’s」という映像特典がついている。(フォトギャラリー、オリジナル劇場予告編も)


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  • 「ローマの休日」 オードリー・ヘプバーンの出世作

    「ローマの休日」 オードリー・ヘプバーンの出世作

     「ローマの休日 Roman Holiday 」は1953年に公開されたアメリカ映画。日本では1954年に公開された。

     この映画によってオードリー・ヘプバーンはスターになった。


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    あらすじ

    Photo by Mathew Schwartz on Unsplash

     ヨーロッパの王国の王女アン(オードリー・ヘプバーン)は、ロンドン、アムステルダム、パリ、そしてローマを訪問していた。

     ローマを訪れた夜、王女は公務に対する不満が爆発して、ひそかに町に抜け出した。

     ところがその前にうたれていた眠り薬のために道端で眠りかけていた。

     そこに新聞記者のブラッドリー(グレゴリー・ペック)が通りかかった。

     やりとりの末、ブラッドリーは相手をアン王女と知らないまま自分の部屋に連れて行った。

     翌朝、ブラッドリーが寝坊して職場に行って、自分の取材対象のアン王女の写真をみると、昨夜自分が部屋に連れて行った女性であった。

     ブラッドリーはアン王女の記事を書こうと考えた。

     アン王女は、この機会に自分のやりたいことをやろうと考えていた。

     ブラッドリーはアン王女のやりたいことを手伝うというかたちで、アン王女に気づかないふりをして一緒に過ごした。

     ローマの町で一日遊んで、追手から逃れるなどしている間に、2人の間に恋愛感情が生じた。

    おとぎばなし

    Photo by Zoltan Tasi on Unsplash

     「ローマの休日」の物語は全体的におとぎばなしのようである。

     王女という高貴な身分の人物の話。

     いつも暮らしているところとは異なるところを冒険する話。

    休日

    写真ACから

     「ローマの休日」は「休日」の話である。

    王女

     アン王女は公務を休んで遊ぶ。

     そういう意味で「休日」である。

     アン王女は公務によって疲労していた。

     そのために自分で「休日」をとったのである。

    新聞記者

     ブラッドリーも「休日」を装ってアン王女の「休日」に付き合っていた。

     しかし実は仕事のつもりであった。

     ところがブラッドリーはアン王女と遊んで、そのことを仕事とすべきか、悩むようになった。

    休むこと

     「休日」は、仕事をしない日である。

     仕事をせずに、休み、遊ぶ日である。

     「ローマの休日」は、「休日」に遊ぶところを描いた映画である。

     もともと観客は、「休日」に遊ぶために映画を観にきている。

     その映画で登場人物が「休日」に遊んでいるところを観て、共に遊ぶ気持ちになる。

     「休日」に人はいつもと異なるものになる。

     王女は王女でなくなる。新聞記者は新聞記者でなくなる。

     「ローマの休日」はその可能性を描いている。

    関係

    Moshe HaroshによるPixabayからの画像

    恋愛

     「ローマの休日」では、アン王女と新聞記者ブラッドリーの恋愛が描かれている。

    一緒に遊んでいるうちに

     2人にはそれぞれ他にやりたいことがあって、そのために「休日」を一緒に過ごしていた。

     アン王女はそれまでできなかったことをやろうと思っていた。

     そのためにブラッドリーと一緒にいた。

     ブラッドリーはアン王女の記事を書くために、アン王女と一緒にいた。

     ところがそうして2人で「休日」を遊んでいる間に、2人の間に恋愛感情が生じた。

    別れ

     しかし2人はそれぞれ元に戻っていった。

     王女は王女に。新聞記者は新聞記者に。

     恋愛感情がありながら、2人は結ばれることなく別れた。

    恋愛以外

     映画の最後に2人が別れることには、恋愛が成就しなかったということのほかの意味もある。

     元に戻ったアン王女は、目の前にブラッドリーが新聞記者として来ているのを見る。

     そこでブラッドリーがそれまで嘘をついていたことを知るのである。

     これからブラッドリーは自分の利益のために、「休日」のことを記事に書くかもしれない。

     ところがブラッドリーは「休日」の写真をアン王女に渡して、その記事を書かない気持ちを示した。

     そのことによって、ブラッドリーはアン王女に対して、裏切らないことを示したのである。

     「ローマの休日」の最後に描かれているのはそういうことである。

     そのことは「休日」の写真を撮っていたカメラマン(エディ・アルバート)も同じである。

     カメラマンも、写真を公にすることによって得られる利益を捨てて、アン王女に対して、裏切らないことを示しているのである。

    成長

     ブラッドリーはそれまで自分の利益のために、嘘をついてアン王女に近づいて記事を書こうとしていたが、アン王女と「休日」を過ごして、アン王女を裏切らないことを重んずるようになった。

     アン王女にとっては、それまで王女としての公務に対してただ不自由を感じていたが、庶民の生活を身をもって体験したことによって、庶民のことを知ったと同時に、王女としての公務に対してもまじめに取り組むようになった、ということがある。

    「楊貴妃」

     1955年に公開された溝口健二監督の映画「楊貴妃」で、主人公お楊貴妃が庶民の祭りを自ら楽しむところがある。

     設定は違うが、「ローマの休日」と似ていると私は思った。

    作劇

    athree23によるPixabayからの画像

     「ローマの休日」では、それぞれの登場人物の動機が巧みに組み合わされている。

     王女と新聞記者とそれぞれ異なる考えをもちながら一緒に遊ぶところなどそうである。

    都合

     王女が抜け出して新聞記者の男性の部屋に泊まるなどしながら、きれいなことだけですんでいるところは、都合のいいところであるが、気にならないように脚本が作られている。

     たとえば、新聞記者のブラッドリーが、道端に寝ているアン王女に近づいたのは、落ちそうになったからである。

     アン王女をタクシーに乗せたのに、寝ぼけていて行き先を言わないゆえに、ブラッドリーの部屋に行った。そしてタクシーの運転手に預けて行こうとしたが、タクシーの運転手が拒否したゆえに、ブラッドリーの部屋に連れて行った。

     このようにそれなりに根拠はつけている。

     しかし道端に寝ていた見知らぬ若い女性を、独身の男性が自分の部屋に連れて帰って寝させることは、奇妙なことではある。

    カメラマン

     「ローマの休日」の脚本で一つ私が気になることがある。

     ブラッドリーがカメラマンに対してやることが乱暴すぎるのではないかと思うのである。

     カフェにブラッドリーとアン王女がいるところにカメラマンが来る。

     カメラマンはアン王女に対してアン王女に似ていると言おうとする。また、ブラッドリーと自分の職業を言おうとする。

     ブラッドリーはアン王女に気づいていないふりをしてアン王女の記事をつくるつもりであるゆえに、カメラマンを突き飛ばしたり、飲み物をかけたりして妨害する。

     しかしそもそもカメラマンが来た時に、ブラッドリーからカメラマンに事情を伝えることはできたのではないかと思うのである。(2人で仕事の話をすると言って)

     嘘が知られそうになるという面白さがあることはわかるが、カメラマンが必要もなく傷つけられすぎているように思うのである。

     ブラッドリーが編集長にアン王女の記事はできなかったとうところにカメラマンが写真を持って来たときにも、同じようなことがある。

    オードリー・ヘプバーン

     この映画において第一に輝いているのはオードリー・ヘプバーンである。

      オードリー・ヘプバーンは、ヨーロッパの王女という役を納得させるような気品をそなえている。

      そして町に抜け出して遊ぶところも、魅力的である。

     監督のウィリアム・ワイラーはアン王女を演ずる女優を次のような条件で探していたという。

    「王女役にはアメリカ的アクセントの無い女性がほしい。王女として育ったことが信じられる女性が。それが一番の条件だ―演技と容姿と個性以外ではね」

    「オードリーの愛と真実」、日本文芸社、平成5年、118頁

    オードリーの愛と真実―映画より華麗でドラマチックなオードリー・ヘプバーンの生涯

     オードリー・ヘプバーンはその条件にあてはまっていたようである。

     オードリーの母はオランダの男爵の家系であった。

     その気品はそのことと関係があるようである。

     オードリーはそれまで、英国、オランダを行き来していた。

     「アメリカ的アクセント」がないのはそのためである。

     ウィリアム・ワイラーはラッシュを観た時のことを次のように語っている。

    オードリーはまさに王女だった―あの悠揚迫らぬ身のこなし…バレエの経験とおかあさんの貴族的家系を考えれば充分うなずけるがね。それだけじゃない、彼女は初めてローマに来て夢中になっている若い娘をみごとに体現していた。実に自然でのびやかにそんな情熱につき動かされている彼女を見ている内に、涙があふれてきた。

    「オードリー・ヘプバーン 映画に燃えた華麗な人生」、近代映画社、1986年、81頁

    オードリー・ヘプバーン―映画に燃えた華麗な人生

    グレゴリー・ペック

     新聞記者のブラッドリーを演じたのはグレゴリー・ペック Gregory Peck である。

     映像特典によると、はじめにワイラーがオファーしたのはケーリー・グラントであった。

     しかしケーリー・グラントは脚本を読んで、新聞記者ブラッドリーより王女アンが中心になる作品だということで、出演を拒否した。

     そこで代わりにグレゴリー・ペックが選ばれたのである。

     グレゴリー・ペックは、ケーリー・グラントに断れた役がくることが多かったと語っている。

     ケーリー・グラントの代わりになると考えられていた俳優だったのである。

     「ローマの休日」は、ケーリー・グラントが考えたように、王女アンが輝く話になっている。

     グレゴリー・ペックが演じたブラッドリーはそれを支える役になっている。

    舞台

    Photo by Michele Bitetto on Unsplash

     「ローマの休日」は、ローマの町をそのまま背景に使っている。―コロッセオ、マルグッタ通り、スペイン広場、トレヴィの泉、ブランカッチョ宮殿などがそのまま背景になっている。

     それまでのハリウッド映画では、その場所に行かずに、スタジオで撮影してしまうことが多かった。

     ウィリアム・ワイラー監督がローマでのロケをもとめたと言われている。

    観光

     「ローマの休日」がローマの町をそのまま背景にしていることには次のような効果がある。

     第一に、観客が映画を観ている間にローマに行った気持ちを味わうということである。

     第二に、観客が映画を観た後に、映画で観たところに行こうと思うことである。

     その二つの意味で、「ローマの休日」は観光と関係がある。

     映画そのものが休日におけるローマの遊び方を示しているということもできる。

    精神

     スタジオで撮る方が、ロケで撮るより、作り手がコントロールすることができる。

     「ローマの休日」でも、交通を制限するとか、周囲の騒音を排除するとか、気温の高さに対処するとか、ストライキやデモに対処するとか、様々な問題があったようである。( 「オードリー・ヘプバーン 映画に燃えた華麗な人生」、 76~78頁)


    オードリー・ヘプバーン―映画に燃えた華麗な人生

     ウィリアム・ワイラー監督は何故にローマでロケすることをもとめたのか?

     それまでウィリアム・ワイラー監督の助手をしていたレスター・コーニッグが共産主義者と判明してハリウッドから追放された。

     ところがウィリアム・ワイラー監督はそのコーニッグを「ローマの休日」のロケに同行させたという。(「ハリウッド「赤狩り」との闘い」、175~179頁)

     「赤狩り」にもかかわらずコーニッグに仕事をさせるためにローマでのロケを行ったようである。

     1977年のコーニッグの死に際してウィリアム・ワイラーが贈った讃辞には次の言葉があったという。

    我々はローマを解放した最初のアメリカ軍の部隊のひとつだった。

    「ハリウッド「赤狩り」との闘い」、 180頁

     これによると、ウィリアム・ワイラー監督とコーニッグとの間には、「ローマの休日」より前に、「ローマを解放した最初のアメリカ軍」ということがあったようである。

     以上のことは 「ハリウッド「赤狩り」との闘い」 による↓


    ハリウッド「赤狩り」との闘い:「ローマの休日」とチャップリン

     まとめるとこういうことであろうか。

     第2次世界大戦が終わるまでは、映画を撮るのに、米国からローマへ行くことは、政治的に容易でなかったのではないか。

     ところが米国を中心とした連合国がローマを「解放」したということになった。

     ウィリアム・ワイラー監督には自身その「解放」に加わったという自負があった。

     映画の歴史では、第2次世界大戦後に、イタリアでネオリアリズモとよばれる運動が起こった。

     その代表作「無防備都市 Roma città aperta 」などで、ローマの町が舞台として撮影された。(1945年公開)

     ウィリアム・ワイラー監督にも、その「解放」されたローマを、セットによってではなく、ロケによって撮影したいという考えがあったのかもしれない。

    英国王室

     「ローマの休日」が公開された時は、ちょうど英国王室が注目されている時でもあった。

     1952年2月6日にエリザベス2世が英国王に即位した。1953年6月2日に戴冠式が行われた。

     エリザベス2世の妹マーガレット王女はタウンゼント大佐と交際していたが、周囲に反対されて、1955年10月の出会いを最後に、別れることになった。

     マーガレット王女のことは、「ローマの休日」の話と似ている。

     オードリー・ヘプバーンが出演したその他の映画↓


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