月: 2022年8月

  • 紀藤正樹弁護士に対する違和感 統一教会の名称変更に関して

    紀藤正樹弁護士に対する違和感 統一教会の名称変更に関して

     たまたまBS朝日で紀藤正樹弁護士が統一教会について語っているところを観て、違和感を覚えた。

     その番組は紀藤氏自ら紹介している↓

    違和感をおぼえたところ

     その番組で紀藤氏は次のように語っていた。

    ・安倍晋三元首相が銃撃された事件を防ぐ機会はあった。

    ・2015年の統一教会の名称変更がその機会であった。(その他に2009年にもその機会があったと語っていた。)

    ・その機会が生かされなかった結果、安倍氏が銃撃される事件は起こった。

     紀藤氏はそう語っていた。(正確ではないかもしれないが、そういうものとして話を進める。)

    違和感

     2015年に統一教会の名称変更がなされなかったならば、安倍氏は銃撃されなかったということには違和感がある。

     第一に、名称変更は容疑者とそれほど関係がないことではないかと思うからである。

     第二に、名称変更の認証は法律によって決まったことであるとすると、紀藤氏のようにそのことの責任を問うことはできないのではないか。

    名称変更を問題とすること

     統一教会の名称変更は、紀藤氏、全国霊感商法対策弁護士連絡会が前から反対していたことであった。

     たとえば2015年3月26日に、文科大臣、文化庁長官、宗務課担当課長宛てに出した統一教会の名称変更に反対する申入書で全国霊感商法対策弁護士連絡会は次のように語っている。

    この名称変更は、これまでの組織的違法行為による悪評が日本社会に広く浸透していることから、名称変更して新たな被害者を獲得するとともに、被害回復請求を抑制する目的で行うものであり、このような名称変更を認証しないよう申し入れます。

    申入書(統一教会の名称変更申請について)

     同年9月25日に、文科大臣、文化庁長官、宗務課担当課長宛てに出した名称変更申請認証に反対する抗議文では次のように語っている。

    文化庁(宗務課)は、当連絡会の再三の申し入れ、特に本年3月26日付の申入書を無視して、本年8月27日に統一教会の名称を「世界平和統一家庭連合」に名称変更する申請を認証しました。当連絡会はこのような消費者被害と人権侵害を増長させる行政処分に強く抗議します。

    抗議文(統一教会の名称変更申請の認証について)

     統一教会は名称変更によって新たな被害者を獲得しようとしているとし、名称変更がなされると被害が拡大するとして、反対しているのである。

     これは全国霊感商法対策弁護士連絡会の問題意識である。

     容疑者は直接に関係がないのではないか?

     それとも容疑者は全国霊感商法対策弁護士連絡会と同じような問題意識をもっていたのであろうか?

    「政治の力」

     紀藤氏は、統一教会の名称変更は、安倍政権の政治的な意図によってなされたと考えているようである。

     そのことに関しては前川喜平氏と同じように考えているようである。

     前川氏は1997年に統一教会が名称変更を求めて来た時に断ったと言っている。

     そのことには全国霊感商法対策弁護士連絡会の要望もあったという

    当時、全国霊感商法対策弁護士連絡会も、文化庁に名称変更を認めないでくれと要望していました

    Smart FLASH 旧統一教会「名称変更」を 止められなかった文科省・前川元次官「辞表を叩きつけてNOと言えなかった悔いはある

     2015年には文部科学審議官になっていた前川氏のところに、宗務課長が統一教会の名称変更の説明をしにきたという。

    宗務課長が説明に来たときに、私は『NO』と言いました。名称変更は認めるべきではない、と。ただ、裏には何か政治的な圧力があるとは思っていました。私は『NO』と言ったけど、結局、認証されてしまった。私よりも上には、事務次官と大臣しかいないわけです。私は、(認証された理由は)大臣の意向が働いたことは間違いないと思っています。当時の下村博文・文部科学大臣がゴーサインを出しているのは間違いない。これは確信しています。

    Smart FLASH 旧統一教会「名称変更」を 止められなかった文科省・前川元次官「辞表を叩きつけてNOと言えなかった悔いはある

     前川氏は反対したが、下村博文氏による「政治的な圧力」によって認証は行われたというのである。

     立憲民主党や共産党の合同ヒアリング。

    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220805/k10013756051000.html

     前川氏のような主張に対して、末松信介文部科学相は、「「信教の自由」に対する配慮から文化庁の裁量を抑えるなどの考え方があるため、宗教法人の名称変更などに関しては、法律に定める要件以外の事項を考慮することは想定されていない。」といい、「受理を拒むことは行政上の不作為として違法性を問われる恐れがある」と言っている。

    https://www.sankei.com/article/20220805-44YS3NIZGFJTFA3IHVRBVKTZLM/

     2015年の名称変更の認証には、前川氏の上の者によって前川氏と反対のことがなされたにちがいない。

     前川氏、紀藤氏はそのことを問題としている。

     しかし法律で認証することになっているのであれば、認証しないようにしていた前川氏の方が違法性を問われる恐れがある。

     紀藤氏の主張するように名称変更に問題があったとすると、背後の政治的な力を問題とするより、法律を問題とすべきだったのではないか?

  • 山上容疑者はビデオメッセージをみて安倍晋三元首相に殺意を抱いたのか?

    山上容疑者はビデオメッセージをみて安倍晋三元首相に殺意を抱いたのか?

     安倍晋三元首相が銃撃され死亡した後、逮捕された山上容疑者の供述が次々と報道された。

     その中に、2021年9月に統一教会の代表らが設立したNGOの集会に安倍氏が寄せたビデオメッセージを容疑者が見て、安倍氏は統一教会とつながりがあると思い込んで、安倍氏に対する殺意を抱いたというものがあった。

     その報道には奇妙なところがあるので取り上げてみる。

    日テレNEWSの報道

     7月12日に日テレNEWSは次のように伝えている。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/93c41ea8bba6ba7a1e306d57744e1098151aea18

     動画

    日テレNEWS 2022/07/12
    【安倍元首相銃撃】山上容疑者「動画みたころに殺害決意」

    報道の奇妙なところ

     記事には次のように書いてある。

    メッセージを見て安倍元首相が宗教団体とつながりがあると思い込み、去年の秋から安倍元首相への殺意を募らせるようになったとみられます。

    日テレNEWS 安倍元首相銃撃事件 山上容疑者“動画みたころに殺害決意”

     容疑者は「メッセージを見て安倍元首相が宗教団体とつながりがあると思い込み、去年の秋から安倍元首相への殺意を募らせるようになった」というのは、広く伝わっていることだと思う。

     しかし「みられます」と書かれているように、そのことはこの記事を書いた記者が推測したことである。

     記者は「捜査関係者」が語ったことからそう推測したのであるが、その推測のもとになった「捜査関係者」の言葉は、その推測と同じではない。

     「捜査関係者」は次のように語ったとされている。

    捜査関係者によりますと、山上容疑者は「去年9月、宗教団体の代表らが設立したNGOの集会に寄せられた安倍元首相のメッセージを見たころに殺害を決意した」と供述していることが新たに分かりました。

    日テレNEWS 安倍元首相銃撃事件 山上容疑者“動画みたころに殺害決意”

     「去年9月、宗教団体の代表らが設立したNGOの集会に寄せられた安倍元首相のメッセージを見たころに殺害を決意した」というのでは、「メッセージを見たころに」、そのことと関係なく「殺害を決意した」ということでもありうるのではないか?

    捜査関係者によりますと、山上容疑者は「去年9月、宗教団体の代表らが設立したNGOの集会に寄せられた安倍元首相のメッセージを見た」「そのころに殺害を決意した」と供述しているということです。

    日テレNEWS 安倍元首相銃撃事件 山上容疑者“動画みたころに殺害決意”

     こちらでは「去年9月、宗教団体の代表らが設立したNGOの集会に寄せられた安倍元首相のメッセージを見た」ということと「そのころに殺害を決意した」ということとを分けて書いている。

     一層、メッセージを見たことと殺害を決意したこととは時期が近かっただけで関係はなかったようにも見える。

     メッセージを見た結果、殺害を決意したと解釈できないことはないが、そうだとすると何故にそのことがわかるように書かないのか?

     「メッセージを見て安倍元首相が宗教団体とつながりがあると思い込み」ということが記者の推測にあって、「捜査関係者」の言葉にないことも気になる。

     メッセージを見たことと、殺害を決意したこととがどういう関係になるのか、「捜査関係者」が明確に語っていないことも奇妙であり、記者がメッセージを見た結果殺害を決意したと明確に語っていることも奇妙である。

     「捜査関係者」が語っていない物語を記者が勝手に作ってしまったのか?

     記者の推測の根拠となることを「捜査関係者」が語ったにもかかわらず、記者が伝えていないのか?

     いずれにしてもおかしなことである。

    FNNの報道

     7月13日のFNNの報道。

    https://www.fnn.jp/articles/-/388878

     「安倍元首相のメッセージ動画を見て宗教団体とつながりがあると思った」という新たな供述がでてきたと伝えている。

     この報道では「つながりあると思った」という供述があったとつたえられているが、そのことと殺害を決意したこととの関係は必ずしも明らかではない。

    「安倍元首相のメッセージ動画を見て宗教団体とつながりがあると思った」
    安倍元首相が街頭演説中に銃撃され、死亡した事件で逮捕された山上容疑者(41)は犯行動機について、新たにこう供述していることが分かった。

    FNNプライムオンライン 「メッセージ動画を見てつながりがあると思った」山上容疑者が新供述 90m離れた駐車場に弾痕…強い威力か

     「犯行動機について、新たにこう供述している」というところをみると、 動機についてかたるという文脈で出て来た言葉とも思われるが、必ずしも明らかではない。

    捜査関係者によると、さらに山上容疑者は「安倍元首相のメッセージ動画を見て団体とつながりがあると思った」と話していることが新たに分かった。

    FNNプライムオンライン 「メッセージ動画を見てつながりがあると思った」山上容疑者が新供述 90m離れた駐車場に弾痕…強い威力か

     こういうところをみると、山上容疑者は「安倍元首相のメッセージ動画を見て団体とつながりがあると思った」と話しているとだけ捜査関係者はつたえたのではないかとも思われる。

  • フレッド・アステアの映画「絹の靴下」 ミュージカル版「ニノチカ」

    フレッド・アステアの映画「絹の靴下」 ミュージカル版「ニノチカ」

     「絹の靴下」(原題は “Silk Stockings” )は、1957年に公開されたミュージカル映画。

     パリに来たソ連の女性の役人に、アメリカ人の映画プロデューサーが惚れ込んで口説く、という話。

     ソ連の女性の役人をシド・チャリース、アメリカ人の映画プロデューサーをフレッド・アステアが演じている。

     「バンド・ワゴン」の次にフレッド・アステアとシド・チャリースが共演した映画で、この映画の二人のダンスも見どころが多い。

     この映画の後、フレッド・アステアはミュージカル映画に出演しなくなる。(その次は10年後の1968年)


    絹の靴下(字幕版)

    「絹の靴下」の話

     映画「絹の靴下」は、1939年に公開された映画「ニノチカ」をもとにしている。


    ニノチカ [DVD]

     問題を解決するためにソ連の女性の役人ニノチカがパリに来る。

     パリでその問題に関わっていたフランスの侯爵は、ニノチカが資本主義的な享楽を否定することに驚くが、惚れ込んで口説く。

     「絹の靴下」の話は大体において同じ。

     ただしニノチカを口説くのは、フランスの侯爵ではなく、アメリカの映画プロデューサーになっている。

    主題

     話が変わったことによって主題も変わっている。

    対立

     「ニノチカ」は、資本主義に反対するソ連の文化と、資本主義を代表するバリの文化との対立を描いていた。

     「絹の靴下」は、資本主義に反対するソ連の文化と、資本主義を代表するアメリカの文化の対立をパリを舞台として描いている。

    アメリカ文化

     主人公をアメリカの映画プロデューサーとしたことによって、「絹の靴下」はアメリカの文化を正面から扱うことができた。

     アメリカ映画はアメリカの文化を代表するものである。

     そういうアメリカ文化がソ連の文化と対立する。―たとえばソ連の音楽と対立する。

    ソ連の文化

     ソ連の文化が資本主義と対立するものと描かれていることは同じ。

     「絹の靴下」ではソ連の音楽の特殊性が問題となる。

     また、ソ連がバレエの国として特徴づけられている。―そのことによってシド・チャリースのバレエが生きる。

    「ニノチカ」から「絹の靴下」へ

     1939年に公開された映画「ニノチカ」はヒットした。

     そこで映画「ニノチカ」をもとにしたミュージカルが作られた。

     音楽はコール・ポーターが作った。

     そうしてできたブロードウェイ・ミュージカル「絹の靴下」は1955年に開幕した。

     映画「絹の靴下」はそのブロードウェイ・ミュージカルをもとにして作られて、1957年に公開された。

    「絹の靴下」ということ

     日本語の題は「絹の靴下」とされているが、原題は “Silk Stockings” 、シルクのストッキングである。

     シルクのストッキングが、資本主義的な享楽を象徴するものとされているのである。

     映画「ニノチカ」では、そのことは帽子によって表現されていた。

     ニノチカがシルクのストッキングを履くところに、コール・ポーターは「絹の靴下」( “Silk Stockings” )という楽曲を作った。

     映画「絹の靴下」では、ニノチカがそれまで着ていた服を脱いで、絹の靴下を身に着けていくところは、シド・チャリースのバレエによって表現されている。

     豪華なホテルの中で豪華な下着姿の伸びやかな踊りが美しいところ。

     しかしその下着姿での踊りは、撮影当時、ヘイズオフィスの検閲によって問題があるとされたと言われている。

     映画「絹の靴下」の日本語版のポスターには「おシャレをしたい女性はゼヒ!コウ奮したい殿方もゼヒ!」と書いてある。(「華麗なるミュージカル映画の世界」、98頁)


    ’S Wonderful―“Musical” The Graphic Work 華麗なるミュージカル映画の世界。

     そういう映画でもある。

     映画女優役のジャニス・ペイジが下着姿で「サテンとシルク」( “Satin and Silk” )を歌うところも、そういう方向だということができるかもしれない。

    ナンバー

     「絹の靴下」、「サテンとシルク」以外の楽曲について。

    「あなたのすべて」 “All of You”

     フレッド・アステアがニノチカ(シド・チャリース)を口説く「ロマンティック」な歌。

     この楽曲によって対立していた二人が踊りを合わせていく。

    「結ばれる運命」 “Fated to Be Mated”

     フレッド・アステアがシド・チャリースと意気投合したところで歌う。

     そして二人で広い空間で楽しそうに踊る。

     やはり二人の踊りには独特の魅力がある。

    「ザ・レッド・ブルース」 “The Red Blues”

     ソ連に帰ったニノチカが、大勢の隣人とともに踊る。

     たのしい踊り。

     シド・チャリースはうまい。

    「ステレオフォニック・サウンド」 “Stereophonic Sound”

     1950年代後半に映画が売りにしていたテクニカラー、シネマスコープ(横長の画面)、ステレオフォニック・サウンドをからかう歌。

     ジャニス・ペイジとフレッド・アステアが歌い、踊る。

     ダンスの流行がタップダンスからバレエに移ったことも。

    「ザ・リッツ・ロール・アンド・ロック」 “The Ritz Roll and Rock”

     フレッド・アステアの最後の見せ場。

     フレッド・アステアはコール・ポーターに当時流行り出したロックンロールをとりいれた楽曲をもとめた。

     そうしてできたのがこの曲。

     フレッド・アステアはトップハット姿で踊る。

    「絹の靴下」のDVD

     「絹の靴下」はDVDが出ている。

     特典映像「コール・ポーター・イン・ハリウッド Satin and Silk」では、シド・チャリースのナレーションによって映画撮影の時の様子が語られている。―監督ルーベン・マム―リアンのこと、作詞作曲家コール・ポーターのこと、フレッド・アステアのことなど。


    絹の靴下(字幕版)
  • フレッド・アステアとバレエの因縁④「足ながおじさん」「パリの恋人」「絹の靴下」

    フレッド・アステアとバレエの因縁④「足ながおじさん」「パリの恋人」「絹の靴下」

     フレッド・アステアは、バレエとどういう関係にあったのか?

     ここでは、「バンド・ワゴン」以後の映画―「足ながおじさん」「パリの恋人」「絹の靴下」をとりあげる。

     フレッド・アステアが映画デビューしてからRKOでジンジャー・ロジャーズと共演している間のこと↓

     フレッド・アステアがRKOから離れ、ジンジャー・ロジャーズから離れてから、「ブルー・スカイ」で引退するまで↓

     フレッド・アステアが「イースター・パレード」で復帰してから、MGMで「バンド・ワゴン」を生み出すまで↓

    「ホワイト・クリスマス」

     まず、1954年に公開されて大ヒットした映画「ホワイト・クリスマス」( “White Christmas” )をとりあげる。


    ホワイト・クリスマス [Blu-ray]

    「ホワイト・クリスマス」とフレッド・アステア

     「ホワイト・クリスマス」にはフレッド・アステアは出ていない。

     しかしフレッド・アステアと関係のない映画ではない。―「ホワイト・クリスマス」はもともとフレッド・アステアが出演する映画として企画された。

     その前にフレッド・アステアは

    「スイング・ホテル」(1942年)


    スイング・ホテル [DVD]

    「ブルー・スカイ」(1946年)


    ブルー・スカイ [DVD]

    でビング・クロスビーと共演していて、「ホワイト・クリスマス」はそれに続くものとして企画された。

     ところがフレッド・アステアは「ホワイト・クリスマス」に出演することをことわった。

    「コレオグラフィー」

     「ホワイト・クリスマス」には、アーヴィング・バーリン作詞作曲の「コレオグラフィー」( “Choreography” )と題する楽曲がある。


    Choreography [feat. The Skylarks]

     まず、バレエダンサーの女性たちに囲まれて自分もバレエダンサーの恰好をしたダニー・ケイが、バレエ風の踊りをしながら歌う―かつてはタップダンスが流行していたが、今ではバレエが流行している、と。

     タップダンスは過去のものであって、現在ではバレエが流行しているという歌なのである。

     そこにヴェラ・エレンが現れてタップダンスを見せる。

     一方でヴェラ・エレンがタップダンスを踊り、一方でダニー・ケイがバレエを踊るというかたちになる。

     バレエはコミカルにされて、それに対してヴェラ・エレンのタップダンスが輝くように演出されているところをみると、この映画はタップダンスに傾いているようにも見える。

     「ホワイト・クリスマス」にはその他にも「エイブラハム」(” Abraham” )など、ヴェラ・エレンがタップダンスを見せるところが多い。


    Abraham [feat. Ken Darby Singers & John Scott Trotter And His Orchestra]

    「足ながおじさん」

     これからフレッド・アステアが出演した映画。

     1955年に公開された映画「足ながおじさん」( “Daddy Long Legs” )


    足ながおじさん [AmazonDVDコレクション]

    レスリー・キャロン

     「足ながおじさん」でフレッド・アステアの相手役のレスリー・キャロンは、バレエダンサー。

     フレッド・アステアはまたバレエダンサーを相手とすることになったのである。

     フレッド・アステアが亡くなった時に、レスリー・キャロンはその時のことについて語っている。


    Fred Astaire: His Friends Talk

     レスリー・キャロン曰く「「足ながおじさん」でフレッド・アステアの相手役になることをもとめられた時、気が気でなかった。私はローラン・プティのバレエ団で「シンデレラ」を踊ったばかり。私はタップダンサーではなく、タップダンスのやり方を知らなかった。」

    When he asked for me for Daddy Long Legs, I was really beside myself. I had just danced Cinderella with Roland Petit’ s company. I wasn’t a hoofer, I didn’t know how to tap.

    “Fred Astaire His Friends Talk” p.14

     レスリー・キャロンは、フレッド・アステアの相手役をするためにはタップダンスができなくてはならないと考えていた。

     レスリー・キャロンが得意とするバレエを、フレッド・アステアはやらないと考えていたのである。

     フレッド・アステアはバレエが好きでなかったともレスリー・キャロンは語っている。

    He didn’t like ballet -ballet was a bore for him.

    “Fred Astaire His Friends Talk” p.14

    ローラン・プティ

     「足ながおじさん」の振り付けは、フランスの振り付け家ローラン・プティ(Roland Petit)。

     レスリー・キャロンはローラン・プティのバレエ団で踊っていたバレエダンサーであった。

     ローラン・プティによると、それまでローラン・プティがやってきたようなクラシックバレエの振り付けを「足ながおじさん」でもやろうとしたが、うまくいかず、リハーサルは大惨事になった。

    “Being a classical choreographer, it was difficult for him to do the kind of steps I did to my classical dancers. So we had the first rehearsal was just a catastrophe.

    「フレッド・アステアのすべて」

     そこでローラン・プティはやめると言った。

     ところがフレッド・アステアはローラン・プティを引き留めて、

    ・ローラン・プティはレスリー・キャロンのダンスを担当する

    ・フレッド・アステアは他の人をよんで自分のダンスをやる

    というかたちにすることを求めた。

    “You stay please, and do Leslie’s dance and everything, and I would try to manage by myself.

    「フレッド・アステアのすべて」

     以上のローラン・プティの発言は「フレッド・アステアのすべて」でのもの。

     「フレッド・アステアのすべて」はコスミック出版の「ミュージカル・パーフェクトコレクション フレッド・アステアサードステージ」に入っている。


    DVD>ミュージカル・パーフェクトコレクション<フレッド・アステアサードステージ ()

    「足ながおじさん」の踊り

     具体的にはどうなったか?

    守護天使

     レスリー・キャロンの演ずる人物は、フレッド・アステアの演ずる人物について、守護天使としていつも背後で自分を見守っていて、危険から守り、望むものをもたらしてくれる、と空想する。

     その空想(夢)が踊りで表現される。

    ・レスリー・キャロンはバレエを踊る。

    ・フレッド・アステアはレスリー・キャロンの後ろで、その動きに合わせた踊りをする。

     レスリー・キャロンのバレエと、フレッド・アステアの独自の踊りが、合わされるのである。

     レスリー・キャロンはそうしてそれぞれ異なる踊りが一つに合わさっていいものになったと語っている。(「フレッド・アステアのすべて」)

    悪夢のバレエ

     「足ながおじさん」の終盤に、レスリー・キャロンの演ずる人物の悪夢を表現したバレエがある。

     この映画で最も大がかりな踊りである。

    フレッド・アステア

     このバレエでは、レスリー・キャロンを中心として多くの人が踊っているが、フレッド・アステアは踊っていない。

     はじめは観客席で観ているだけ、次は奥の席に座っているだけ、そして奥で歩いているだけ。

     多くの人が踊る中でフレッド・アステアだけが踊らずにいるというのは、ミュージカル映画で珍しいことである。

     このバレエは、レスリー・キャロンの演ずる人物がフレッド・アステアの演ずる人物を愛しているにもかかわらず、遠くに行ってしまった、ということを表現するものである。

     フレッド・アステアが踊らず、奥にいるだけということは、そのことを表現しているということもできる。

     しかしフレッド・アステアも踊って、その後で遠くに行ってしまうというかたちでもいいのではないか?

     それまでのミュージカル映画では、似たような位置の人物も踊っていた。

    ・フレッド・アステアの演ずる人物の悪夢を表現した「ヨランダと盗賊」のバレエでは、相手役のルシル・ブレマーも踊った。


    ヨランダと盗賊 [DVD]

    ・「巴里のアメリカ人」でジーン・ケリーの演ずる人物の、悪夢というより空想を表現したバレエでは、相手役のレスリー・キャロンも踊った。


    巴里のアメリカ人 [Blu-ray]

     「巴里のアメリカ人」のバレエはジーン・ケリーがレスリー・キャロンを想うというかたち、「足ながおじさん」のバレエはレスリー・キャロンがフレッド・アステアを想うというかたちになっている。

    推測

     上に引用したローラン・プティの言葉から考えると、次のようなことが推測される。

    ・はじめはフレッド・アステアも踊るバレエをローラン・プティはかんがえた。

    ・ところがうまくいかなかった

    ・そこで、バレエはやるが、フレッド・アステアは踊らないことになった。

    「パリの恋人」

     1957年に公開された映画「パリの恋人」( “Funny Face” )


    パリの恋人 [Blu-ray]

     「パリの恋人」でフレッド・アステアはオードリー・ヘプバーンを相手役とした。

     オードリー・ヘプバーンは、映画女優となる前にバレエダンサーになろうとしていた人である。

     振り付けはユージーン・ローリング。

     芝生の上で二人が踊るところなど、オードリーのバレエの素養と合わせた振り付けになっている。

    「絹の靴下」

     1957年に公開された映画「絹の靴下」( “Silk Stockings” )

     1939年に公開されてヒットした映画「ニノチカ」のミュージカル版。


    ニノチカ [DVD]

    ソ連の位置づけ

     もともと「ニノチカ」は、資本主義の享楽に反対するソ連を代表する女性ニノチカ(グレタ・ガルボ)が、パリで資本主義の享楽を代表するフランスの伯爵(メルヴィン・ダグラス)と出会って、資本主義の享楽を認めていくという話。

     「絹の靴下」もそのことは同じ。

     ただし「絹の靴下」では、ソ連はバレエの国と特徴づけられている。

     そしてニノチカは、以前にバレエをやっていた人とされている。

     そこでフレッド・アステアの演ずる人物がニノチカをダンスに誘うところは、

    ・「ニノチカ」と同じく、自分のたのしみより国家に奉仕することを上とする考えを持つ人を、自分のたのしみに誘うことでもあるが、

    ・アメリカのタップダンサーが、ソ連のバレエダンサーとともに踊ってみようと誘うことでもある。

     フレッド・アステアが「バンド・ワゴン」の時と同じように、バレエダンサーのシド・チャリースと二人で踊りをつくってみるということでもある。

    「ステレオフォニック・サウンド」

     「絹の靴下」には、「ステレオフォニック・サウンド」( “Stereophonic Sound” )というナンバーがある。

     当時の映画で、他のことよりテクニカラー(色)、シネマスコープ(横長の画面)、ステレオフォニック・サウンド(響く音)が重視されているということを風刺する歌である。

     その歌に、以前はタップダンスが流行していたが、当時はバレエが流行していたということも付け加えられた。

     そういう歌をフレッド・アステアがジャニス・ペイジと歌っているのである。

     DVDの特典映像には、シド・チャリースがそのことに言及しているところがあって興味深い。

    ロックンロール

     「絹の靴下」の最後に、フレッド・アステアは「ザ・リッツ・ロール・アンド・ロック」( “The Ritz Roll and Rock” )という楽曲を歌って踊る。

     これは当時流行していたロックンロールのような楽曲をフレッド・アステアがもとめてコール・ポーターが作ったものである。

     その楽曲に合わせてフレッド・アステアはトップハット姿で踊っている。

     フレッド・アステアはこのように新たなものを取り入れていく人であった。

     しかしバレエに関しては、苦労してきたのである。


    絹の靴下(字幕版)