月: 2020年8月

  • 江川紹子氏の安倍首相の休校要請に関する記者会見に対する批判

    江川紹子氏の安倍首相の休校要請に関する記者会見に対する批判

     2020年2月29日に安倍晋三首相が新型コロナウイルスに関して記者会見を行なった。その記者会見に対して、江川紹子氏が批判した。マスメディア、野党はそれに追随した。

     そこで現れた現在の日本の左翼、マスメディアのおかしな姿を見て、私は衝撃を受けた。

    2月29日の安倍首相の記者会見

     2020年2月29日の安倍晋三首相の記者会見の様子は、首相官邸ホームページに、動画として、文字に起こされたものとして、のこされている。

     安倍首相は、「これから1、2週間が、急速な拡大に進むか、終息できるかの瀬戸際となる」という専門家の見解をふまえて、「今からの2週間程度、国内の感染拡大を防止するため、あらゆる手を尽くすべきである」と考えたという。「多数の方が集まるような全国的なスポーツ、文化イベントについては、中止、延期又は規模縮小などの対応を要請いたします」といい、「全国すべての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校について、来週月曜日から春休みに入るまで、臨時休業を行うよう要請いたしました」というのはそのためだというのである。

     そして、経済財政政策、医療体制の構築についても語っている。

     この記者会見は、その数日前に行われたイベント・学校に対する要請について説明するものであった。その説明は次の通りである。

     安倍首相は新型コロナウイルスについて、「未知の部分」の多いものととらえていた。

    今回のウイルスについては、いまだ未知の部分がたくさんあります。よく見えない、よく分からない敵との闘いは容易なものではありません。

    首相官邸ホームページ

     そしてそれに対して「危機にあっては、常に最悪の事態を想定し、あらかじめ備えることが重要です」と考えていた。「あらゆる可能性を想定し、国民生活への影響を最小とする」ことを考えていた。

     イベントに対する要請、一斉休校の要請は、そういう考えからなされていたのである。

     安倍首相はそのために国民に対して協力をよびかけている。

    率直に申し上げて、政府の力だけでこの闘いに勝利を収めることはできません。最終的な終息に向けては、医療機関、御家庭、企業、自治体を始め、一人一人の国民の皆さんの御理解と御協力が欠かせません。

    首相官邸ホームページ

    安倍首相の会見に対する私の感想

     私は2月のはじめころまで、新型コロナウイルスについて、それほど大きなこととは思っていなかった。

     しかし2月のうちに、このウイルスの脅威を論ずる記事を読んだり、動画を見たりして、このウイルスは大変なものだと考えるに至っていた。

     2月29日に安倍首相の記者会見を聞いて、安倍首相も本腰をいれたか、と私は思った。 

     これから日本国民は新型コロナウイルスという共通の敵に対して、協同して立ち向かっていくだろう、と思った。

    YAHOOニュース

     安倍首相の会見の翌日、YAHOOニュースをみると、トップに安倍首相の記者会見を批判する記事が並んでいた。

     今YAHOOニュースを検索してみると、次のような記事が並んでいる。

     3月2日以降にもそういう記事が並んでいる。

     いずれも、江川紹子氏による批判をとりあげている。江川紹子氏は安倍首相の記者会見に出席していたという。

     江川紹子氏自身の記事もある。

    https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20200301-00165497/

    江川紹子氏の批判の内容

     江川紹子氏の批判は2月29日のツイートから始まっている。

     上に挙げたYAHOOニュースの記事に続いて、3月3日にも安倍首相の2月29日の記者会見について論じた記事を発表している。

    https://biz-journal.jp/2020/03/post_144510.html

     江川紹子氏は、安倍首相の記者会見に対して何を批判したのか?

    「エビデンス」、見通しの説明

     江川紹子氏は第一に、そのYAHOOニュースの記事のサブタイトルにあるように、安倍首相は説明責任を果たすべきだったと批判した。

     安倍首相は、そのイベント・学校に対する要請について「どういう根拠に基づいて、この方針を決めたのか、それによってどういう効果が期待できるか、という説明」を行うべきだと批判したのである。

     根拠、「エビデンス」に関しては、次のように語っている。

    中国のデータでは、子どもの患者は極めて少なく、10歳未満の死者は1人もいない。逆に、高齢者は死者が多く、リスクが高いのは明らか。専門家会議も、まずは死者を減らすことが大事だと指摘している。そのうえで、全国の学校の休校を選択した判断の根拠、その元となるエビデンスは何か。

    新型コロナ対策・首相記者会見で私が聞きたかったこと~政府は国民への説明責任を果たせ

     「見通し」に関しては、次のように語っている。

    全国一斉の長期の休校を実施することによって、期待される効果や獲得目標を具体的に示して欲しい(たとえば、罹患者を何%減らせる見込みだ、とか、死亡する人をどれくらい減らす、とか)。

    新型コロナ対策・首相記者会見で私が聞きたかったこと~政府は国民への説明責任を果たせ

    私の反論

     江川紹子氏の批判は、安倍首相の記者会見とかみ合っていない。

     安倍首相は記者会見において、その決断を行った理由を十分に説明している。

     安倍首相は、当時の日本は感染拡大の瀬戸際にあるという専門家の見解をもとにして、「未知の部分」が多い新型コロナウイルスに対して、「最悪の事態を想定し」て、「あらかじめ備える」ために、イベント、学校に対する要請を行ったと説明している。

     その説明によって、安倍首相は、江川紹子氏が言うような、「エビデンス」、「見通し」をもつことができない状況と考えていたことは、明らかである。そういう状況では、江川紹子氏が言うような、「エビデンス」、「見通し」を言わなかったことは、しかたがないことになる。

     安倍首相が「エビデンス」、「見通し」の説明責任を果たさなかったと批判するためには、その前に、安倍首相に反対して、「エビデンス」、「見通し」をもつことができる状況にあると証明しなくてはならない。

     しかしその後に各国で休校が行われて、半年たっても制限の緩和が簡単にできないところをみると、2020年2月29日に、江川紹子氏が言うような「エビデンス」、「見通し」をもつことはできなかったと思われる。

     江川紹子氏は、安倍首相に超人的な能力をもとめているようにみえる。

     江川紹子氏は「「質問がつきるまで答えましょう」と言えば、国民はどれだけ政府を心強く感じただろうか」と言っているが、やはり安倍首相に全知全能をもとめているようである。たしかにそういうことができれば、国民は力強く感じたであろう。しかしそういうことができた人はいなかったのではないかと思われる。

     江川紹子氏自身も「エビデンス」、「見通し」を持っていなかったと思われる。

     江川紹子氏は、3月3日に次のようなツイートをしている。

     休校中の中高校生が都内の繁華街に出てきたことを「根拠」として、休校を考え直すべきだと言っているようである。安倍首相より説得力があるであろうか?

     安倍首相は、専門家会議に諮らずに、イベント・学校に対する要請を行ったとか、その科学的根拠を示さなかったとかいうことで、科学を尊重すべきだ批判された。しかしそのように批判する人は、江川紹子氏をみても、必ずしも科学を尊重していなかった。安倍首相を批判する手段として科学を利用していた。

     たとえば英国政府が科学を尊重しているという報道が安倍首相を批判する手段としてつかわれた。江川紹子氏もそういう報道をリツイートしている。

     しかし英国ではその会見の直後に感染が爆発して、集会自粛、学校閉鎖が行われた。英国の感染者数、死者数は日本よりはるかに多くなった。

     安倍政権を叩くことを目的として、そのために科学を利用するのでは、科学を尊重することにならないのである。

    迅速な説明

     江川紹子氏によると、安倍首相は迅速に説明する責任があった。ところが安倍首相はその責任を果たさなかったという。

    首相は2月26日、27日と、立て続けに国民生活に大きな影響を与える判断をしたが、それについて説明が遅れたのはなぜか(「首相動静」によれば、27日には午後6時40分には官邸を出て公邸に戻り、その後も来客はない。28日の夜には作家の百田尚樹氏、ジャーナリストの有本香氏と公邸で会食をし、私邸に帰っている)。

    新型コロナ対策・首相記者会見で私が聞きたかったこと~政府は国民への説明責任を果たせ

     安倍首相は26日にイベントに対する要請、27日に学校に対する要請を行ったが、そのことについて説明する記者会見を29日に行った。そのことについて「説明が遅れた」と批判しているのである。

     その間にイベントの「主催者や地域は大きな損失を抱える不安を抱いている」といい、学校に関しても「多くの人や自治体が不安を抱え、対応に追われ、混乱を来した」という。

    私の考え

     江川紹子氏は大変な問題のように語っているが、それほどの問題があるであろうか?

     そもそも江川紹子氏がもとめるような説明のできない状況にあったとすると、説明がなかったとか、説明が遅れたとかいうことは的外れになる。

     その状況でできるだけの説明はなされていたということもできる。イベント・学校に対する要請は、新型コロナウイルスの感染を避けるためになされたことは明らかである。

     混乱はあったであろう。しかしそのもとは新型コロナウイルスにある。休校は正しくないと言う「エビデンス」がないかぎり、安倍首相より前に新型コロナウイルスを問題としなくてはならないはずである。

     その後に欧米の先進国でも休校が行われた。安倍首相の休校要請に対する批判もおさまるかとおもっていた。ところが左翼の中で、安倍首相の休校要請が混乱を招いたということは、後々まで言い続けられた。

    その他に聞きたかったこと

     江川紹子氏はその他にも「聞きたかったこと」を列挙している。

     たとえば。

    専門家会議のメンバーは全国一斉の休校は議論していないと言っているが、(専門家会議以外の)他の専門家の助言があったのか。あったとしたら、それは誰で、どのような内容だったか。

    新型コロナ対策・首相記者会見で私が聞きたかったこと~政府は国民への説明責任を果たせ

     これは意味のない質問である。

     安倍首相は「最悪の事態を想定し」て、「あらかじめ備える」という考えで一斉休校を要請したと説明している。専門家でも十分な根拠にもとづいた対策を考えることができない状況で、政治的決断を行ったというのである。

     それに対して誰が助言を行ったかを質問しても意味がない。

    準備期間もほとんどないまま、休校に踏み切ることで、様々な弊害やリスクがある。そうした弊害やリスクと、休校を実施することによるメリットの兼ね合いを、誰とどのような形で検討し、それぞれの弊害やリスクについて、どのように調整、もしくは克服することにしたのか

    新型コロナ対策・首相記者会見で私が聞きたかったこと~政府は国民への説明責任を果たせ

     これも、2020年2月29日の安倍首相に説明責任があったというのは酷である。半年たってみると一層そう思う。

     江川紹子氏はその他にもいろいろなことについて「聞きたかった」という。しかし2月29日の記者会見で安倍首相に説明する責任があることではないようである。

     たとえば江川紹子氏は、学童保育に関する質問を三つ、給食の生産者に関する質問を一つ挙げているが、そういうことは後で考えればいいことであって、2月29日の記者会見で答えなくてはならないこととは思えない。

     江川紹子氏は、休業に対する補償についても聞きたかったという。このことはその後に問題となってきたことである。しかしこれまた、2月29日の記者会見で答えなくてはならないこととは思えない。

     そもそもこの時には国会が開かれていて、安倍首相は連日、野党議員の質問を受けていた。そういう状況で、江川紹子氏が2月29日の記者会見で「聞きたかった」ことが聞けなかったとしても、問題があるとは思えなかった。

    「記者会見」のやり方に対する批判

     江川紹子氏の批判は、記者会見の内容に対してだけでなく、そのやり方に対するものでもあった。

     3月3日付の「江川紹子が目撃した、不健全で堕落した「安倍首相やらせ会見」…記者クラブは今すぐ是正を」という記事では、その題にもあらわれているように、記者会見のやり方に対する批判が中心となっている。

     江川紹子氏は、安倍首相の記者会見において、質問者も、質問内容も、事前に決まっていたことを問題としている。

    複数の証言によると、首相会見では事前に質問者が指名されており、質問内容も事前に提出している、とのこと

    新型コロナ対策・首相記者会見で私が聞きたかったこと~政府は国民への説明責任を果たせ

     そしてそのことを安倍首相の問題として批判している。

    安倍首相自身が、「国民が知りたいこと」ではなく、「自分が言いたいこと」を言うのが広報であると勘違いしている(中略)彼の情報発信はいつもそうである。

    江川紹子が目撃した、不健全で堕落した「安倍首相やらせ会見」…記者クラブは今すぐ是正を

    私の考え

     安倍首相の記者会見のやり方には、改善すべきところがあるかもしれない。メディアをめぐる状況が変わっているのに、古いやり方が行われているところがあるかもしれない。

     しかし2020年2月29日の記者会見がどういうものであったかを考えると、江川紹子氏が問題としていることは、私には問題と思えない。

     2月29日の記者会見は、日本国民が新型のウイルスの危険に直面しているという非常事態において、安倍首相がイベント・学校に対する要請という政治的決断を行った事情を説明して、日本国民に協力をもとめるというものであった。

     江川紹子氏が安倍首相の要請は正しくないということの十分な「エビデンス」を持っていたならば、そのことを記者会見から締め出すことは正しくないといわなくてはならない。

     しかし江川紹子氏はそういう「エビデンス」も「見通し」も持っていなかった。そういう質問がとりあげられなくてはならないということはおかしくないか? 江川紹子氏のように、十分な「エビデンス」なしに、安倍首相は正しくないかのような印象をつくりあげる人に発言させることは、国民を危険においやることではないか?

     その他の江川紹子氏が「聞きたかったこと」も、上に見たように、2月29日の会見でとりあげられなくてはならないとは思われないことばかりであった。

    私の受けた衝撃

     安倍首相の記者会見に対する江川紹子氏の批判はおかしいと私は思った。マスメディア、野党が江川紹子氏に追随したことはさらにおかしいと思った。

    批判になっていない

     すでに明らかにしたように、安倍首相の2020年2月29日の記者会見に対する江川紹子氏の批判は、安倍首相の記者会見とかみ合っていない。

     たとえば、安倍首相の休校の要請に反対するためには、それだけの「エビデンス」を示さなくてはならない。江川紹子氏はそれだけの「エビデンス」を示していない。

     安倍首相が休校の要請の十分な「エビデンス」を持っていないとしても、だからといって、休校の要請が正しくないということにはならないのである。

     安倍首相が専門家会議に諮らずに休校の要請を行ったとしても、だからといって、休校の要請が正しくないということにはならないのである。

     江川紹子氏は安倍首相の休校の要請に反対する「エビデンス」をもっていなかった。ところが江川紹子氏の記事では、安倍首相の休校の要請は正しくないことのようである。論理においては、反論できていないのに、修辞においては、反論できているかのように見せているのである。

     反論できているかのように見せていても、反論はできていないのである。江川紹子氏も、江川紹子氏に追随した左翼、マスメディアも、反論できていないことがわからないほど愚かだったのであろうか? それとも、わかっていて、その上で受け手をだまそうと考えていたのであろうか?

    盲目的な安倍首相叩き

     安倍首相の2月29日の記者会見に対する江川紹子氏の批判を見たときに、それまでの森友事件、加計事件、「桜を見る会」などにおいて左翼が安倍首相を攻撃したのと同じやり方ではないかと私は思った。

     江川紹子氏は3月3日付の「江川紹子が目撃した、不健全で堕落した「安倍首相やらせ会見」…記者クラブは今すぐ是正を」という記事において、安倍首相の2月29日の記者会見について「彼の情報発信はいつもそうである」といって、「桜を見る会」に関する記者会見をとりあげている。2月29日の記者会見は、それまでの「桜を見る会」と同じように安倍首相の批判されるべき「情報発信」がなされたものとみているのである。

     森友事件でも加計事件でも安倍首相が悪いことをしたという証拠はない。しかし「疑惑」はあるとして、安倍首相を責めていた。

     安倍首相の休校要請に対して、専門家会議に諮らなかったことを問題として、その間に何があったのか追及しようとしている姿は、まさに「疑惑」を追及する姿である。「説明責任」をもとめているところも、同じである。

     しかし安倍首相の休校要請は「疑惑」の対象になるようなことではない。休校要請は、安倍首相にとってもいいことでないにちがいない。新型コロナウイルスという大きな悪を避けるために、それより小さな悪としてとったことにちがいない。私腹を肥やすためではなかったにちがいない。

     ところが江川紹子氏をはじめとして、多くの人が、安倍首相が私腹を肥やすためにやったのではないかという「疑惑」を追及するやり方をとっている。それがどうにもおかしかった。

    国民の安全

     新型コロナウイルスは、森友事件とか、加計事件とか、「桜を見る会」とかと違って、国民の安全と直接に関わることである。そこでそれまでと同じやり方をとることは、国民を危険にさらすことになりうる。

     たとえば安倍首相の休校の要請には、十分な根拠がなかった。しかし正しくないという根拠もなかった。

     そういう状況で、江川紹子氏は、安倍首相に反対するのに十分な根拠をもっていないのに、安倍首相が正しくないかのような印象をひろめた。安倍首相は、国民の安全をより多く守る可能性のためにはたらいていたのに、江川紹子氏は、その可能性を減らすためにはたらいていたわけである。

     安倍首相は、国民を新型コロナウイルスから守ることを目的としていたのに、江川紹子氏はそれより安倍首相をやっつけることを目的としていたように見える。江川紹子氏の頭の中には、安倍首相をやっつけることだけがあって、国民の安全も、新型コロナウイルスもないのではないかと私は思った。

     江川紹子氏は新型コロナウイルスの脅威を軽く見ていたのではないかと思われる。

     私は新型コロナウイルスを前にして、専制的な政府もおそろしいが、日本のように政府を批判することに凝り固まった勢力が一定の勢力をもっていることもおそろしいと思った。専制的な政府が情報を統制してしまうことはおそろしい。日本では政府に反対する勢力も自由を認められているので、そういうことはない。ただし日本では政府に反対することに凝り固まった勢力が、国民の安全をその「倒閣ごっこ」の手段として利用するというおそろしさがある。

    記者会見のやり方に対する批判

     安倍首相の記者会見に対して、江川紹子氏はその記者会見のやり方を批判した。マスメディアも、野党も、江川紹子氏に追随して記者会見のやり方を批判した。そしてそれから安倍首相の記者会見が行われるたびに、記者会見のやり方に対する批判が行われることになった。

     安倍首相が、国民に、新型のウイルスの脅威を知らせて、協力をもとめた記者会見に対して、記者会見のやり方を問題としている姿は、どうにもおかしい。国民が新型のウイルスと戦うという非常事態において、それとは別の、それほど重要ではないことを、それより重要なことであるかのように騒いでいたのである。

     江川紹子氏の批判は、蓮舫議員等によってとりあげられて、国会で安倍首相に対して質問というかたちでぶつけられた。それを江川紹子氏がとりあげて、次のように言っている。

     蓮舫氏も江川紹子氏もおかしいと私は思った。

     そもそも記者会見において質問を制限することは必ずしも悪いことではない。特に新型のウイルスの危険が迫っているという非常事態の記者会見においては、相当の理由があると思う。それを「やらせ」とか「堕落」とか言って悪いことと決めつけていることはおかしい。

    民主主義ごっこ

     江川紹子氏は、安倍首相の記者会見は民主主義に反すると批判していた。

     3月2日の記事には次のような言葉がある。

    「黙って俺について来い」は独裁国家のやり方だ。民主主義国家であるならば、どれだけ対応を急ぐ時でも、「かくかくしかじかなのでついてきてほしい」と、その根拠や理由、あるいは効果や見通しなどを、誠意を持って説明し、国民の協力を求めるのが筋だ。それをできるだけ効果的に、効率よく行うのが、首相の広報対策であるべきだろう。

    江川紹子が目撃した、不健全で堕落した「安倍首相やらせ会見」…記者クラブは今すぐ是正を

     このように江川紹子氏は、安倍首相は2月29日の記者会見を「独裁国家のやり方」であって、「民主主義国家」に反するものとして批判している。

     しかし安倍首相の記者会見は、江川紹子氏の言うように、国民に説明せずに「黙って俺についてこい」というものではなかった。安倍首相は、緊迫した事態にあるという専門家会議の認識を伝えて、そこで「最悪の事態を想定し」て、「あらかじめ備える」という考えで、イベント・学校に対する要請を行ったことを説明している。

     安倍首相は民主主義に反することをしていないのに、江川紹子氏はしたと決めつけて批判しているのである。このように、客観的には民主主義運動でないのに、主観的にそう思い込んでいるものを「民主主義ごっこ」とよぶ。

     ちなみに「独裁」というのは、古代ローマの共和制が非常事態に対処するために作られた制度であって、共和制と矛盾するものではない。

     江川紹子氏はその「民主主義ごっこ」を記者会見のやり方を批判するというかたちで行ったわけである。

    安倍政権で行われているのは、「記者会見」とはとても呼べない。1人ひとりの記者が、官邸の意向にあらがうのは難しいかもしれない。けれども、権力者がメディアをコントロールしようとする時に、それと対峙し、取材の自由、報道の自由を守るためにこそ、記者クラブは存在するのではないか。

    江川紹子が目撃した、不健全で堕落した「安倍首相やらせ会見」…記者クラブは今すぐ是正を

     江川紹子氏は安倍首相の記者会見について「権力者がメディアをコントロールしようとする」ものと評している。

     記者会見のテレビ放送に限って言うと、「権力者がメディアをコントロールしようと」したということはできるかもしれない。

     しかし、江川紹子氏のように、記者会見を批判する記事を発表することに対して、「権力者がメディアをコントロールしようとする」ことは全く見られなかった。現代の日本において「取材の自由」、「報道の自由」はそれだけ守られているのである。

     安倍首相の記者会見には、改善されるべきところもあるかもしれない。しかしそれは日本国民の自由にとって部分的な問題にすぎない。国民の自由の一部、「取材の自由」、「報道の自由」の一部にすぎない。国民の「知る権利」の限られた部分にすぎない。部分的な問題は、部分的に扱われるべきではないか? 江川紹子氏のように、首相の記者会見において自分の「聞きたいこと」がとりあげられなかったことを、新型コロナウイルスから国民を守ることより重要なことでもあるかのように発信することは、おかしくないか? マスメディア、野党が江川紹子氏に追随したことも、おかしくないか?

     官邸とジャーナリストとの闘いは、これより前に、東京新聞の望月衣塑子記者と菅官房長官との間で行われたものが話題となっていた。その時に東京新聞は「記者は国民の代表として質問に臨んでいる」と言っていた。それに対して江川紹子氏はジャーナリストは「国民の代表」ではないと言った。

     どういうことか?

     「1人のジャーナリストが国民に成り代わって意思表示をしたり、国民全体のモノの見方を表明することなどできない。国民から選抜された存在でもない。なにより、取材活動というのは、国民を代表してやるものではなく、基本的には記者本人や所属する媒体の「知りたい」「伝えたい」という関心に突き動かされて行うものだと思う。」と言い、「取材の対象も情報の受け手も、日本の国民とは限らない。」と言い、「ジャーナリストの活動は、「国民の代表」ではなく、「人々の代理」として行っていると言うのがふさわしいのではないか」と言うところをかんがえると、ジャーナリストは、国民全体を代表するものではなく、国民の一部の「考えや好み」を代表するものということのようである。(【官邸vs東京新聞・望月記者】不毛なバトルの陰で危惧される「報道の自由」の後退

     江川紹子氏は、その記事においては、望月衣塑子記者に対して批判的であって、その、ジャーナリストを「国民の代表」とよぶことに対しても批判的であった。ただし官邸に対しても批判的であった。

     ジャーナリストは「国民の代表」ではないということは、自分が国民全体を代表しているのでなく、その一部を代表しているにすぎないことをわきまえるべきだということのようである。

     しかし江川紹子氏自らジャーナリストを「国民の代表」であるかのように語っている。

     ここでは、記者会見において記者は国民の代表であるべきだと語っている。前にジャーナリストは「国民の代表」ではないと言ったこととどうして一貫するのか、説明してほしいところである。

     いずれにせよ、自分が「聞きたいこと」がとりあげられなかったゆえにその記者会見は「堕落」したものだと言って攻撃することは、自分を「国民の代表」とすることである。

     江川紹子氏は自分のツイートが多くの人の賛同を得たという。

    「質問があります」と述べたのに打ち切られた、という趣旨の私のツイートは、20時間ほどで280万以上の人に見られ、2万1000回リツイートされ、4万1000もの「いいね」がついた。それを見ても、今回の会見に落胆した人は、相当数に上ると言えるのではないか。

    新型コロナ対策・首相記者会見で私が聞きたかったこと~政府は国民への説明責任を果たせ

     たしかに多いといえば多い。

     しかし現在の日本の野党の支持者の数について考えてみよう。数としては大きいが、日本国民全体の中で占める割合はそれほど大きくない。与党に比べるとけた違いに少ないのである。

     安倍首相に反対することに凝り固まっていて、ことあるごとに安倍首相を批判する人は、数としては多くいる。しかし国民全体の中で小さな部分に過ぎないと私は思う。

     江川紹子氏を支持した人は、国民の一部分にすぎず、しかも全体の中で小さな部分にすぎないと私は思う。

     江川紹子氏は、部分的なものを全体的なものと思い込む、「木を見て森を見ず」式の考え方をとっている。江川紹子氏に追随したマスメディア、左翼も同じようにおかしな考え方をとったわけである。

     江川紹子氏は、安倍首相の記者会見を批判して、「堕落」とまで評した。しかし私には、江川紹子氏と、それに追随したマスメディア、野党こそ批判されるべき「堕落」したものと見えた。

     

  • 橋下徹氏の中国についての発言(2020年8月16日の「日曜討論the PRIME」)

    橋下徹氏の中国についての発言(2020年8月16日の「日曜討論the PRIME」)

     2020年8月16日のフジテレビの「日曜報道the PRIME」で、橋下徹氏の言うことを聞いていて、理解に苦しんだので、整理してみた。

     7月26日の「日曜報道the PRIME」で、橋下徹氏が、二階氏のような政治家を増やすべきだと言ったことも理解に苦しんで、整理してみた。今回の発言も、前回の発言と関係があるが、やはり理解に苦しんだ。

     それほど重要なことかと何度も思った。しかし橋下氏は、現在の日本において影響力のある人である。それよりまず、私が橋下氏の言葉を聞いて不快に感じたことを解きほぐして気持ちよくなりたいとおもった。

    議題

     香港の国家安全維持法によって黎智英氏、周庭氏が逮捕されたことに対して、日本政府は重大な懸念を有しているという声明を出した。それに対して中華人民共和国は内政干渉をやめるように言った。

     そのことについて、スタジオにいる、橋下氏、櫻井氏、甘利氏の三人はどう考えるか、というかたちで討論は始まった。

     櫻井氏、甘利氏は、中華人民共和国が国内において、自由、民主、人権に反対し、国際的な信義に反対することに対しては、米国をはじめとして非難する流れができている現在、日本は言うべきことを言うべきだという。

     橋下氏は、それに対して、中華人民共和国に「内政干渉」と言われないようにすべきだという。

     橋下氏は、言い方に気を付けるべきだという。簡単に反論されるような言い方はすべきでないという。

     あくまでも日本の安全保障ということから言うべきだという。

     そこまでは、理解に苦しむことはない。

    域外適用

     橋下氏は、香港の国家安全維持法に対して、「域外適用」ということを問題とすることに反対する。「域外適用」は他の国にもあるというのである。

     その主張は、それだけでみると、問題ないようである。

     しかし今回の番組において、橋下氏がそのことを力説することにどういう意味があるのか、理解に苦しむ。

     橋下氏の主張は、香港国家安全維持法の問題は「域外適用」ということだけにあるという人に対してのみ意味があることである。

     今回の討論の相手である櫻井氏も甘利氏も、香港国家安全維持法の問題は「域外適用」ということだけにあると言っていない。

     討論番組において、討論の相手が言っていないことを反駁することに意味があるだろうか?

     橋下氏も、香港の国家安全維持法の中身には問題があるという。櫻井氏、甘利氏と同じ考えであるとすると、櫻井氏も甘利氏も言っていないことのために時間を浪費したことの意味はますますわからなくなる。

    英中共同声明

     次に橋下氏は、中華人民共和国中共同声明に反して香港の一国二制度をなくしたことに対して、日本がどこまで口をはさむことができるかを問題とする。

     中共同声明は中二国間のことである。そのことについて、日本が口を出すならば、日本は、日共同宣言の北方領土問題に関して中華人民共和国が口をはさんでくることを認めなくてはならない、という。

     このあたりも理解に苦しむ。

     思うに、理想論と現実論とが混ざり合っている。

     第一に、日本の北方領土問題と、中華人民共和国の香港問題とは違うと多くの日本人が考えるであろう。日本の北方領土問題に中華人民共和国が口を出すことと、中華人民共和国香港問題に日本が口を出すこととは違うと考えるであろう。

     自己中心的な主観的な感情によって違うと考えるのではなく、客観的に違うと考えるであろう。

     日本の北方領土において、日本はソ連に侵略された領土の返還をもとめている。

     中華人民共和国香港に関して、国際的な信義に反対し、自由、民主、人権に反対することを行っている。

     日本が、自由、民主、人権、国際的な信義のために、中華人民共和国香港に対してやっていることを批判することと、中華人民共和国が日本の北方領土問題に口をはさむことに反対することとは、矛盾することではない。

     以上は理想論である。

     現実論としては、日本は米国のような力を持っていないゆえに、中華人民共和国に対して理想論の通りに言うことができないのではないか、という問題がある。

     橋下氏は、その現実論を主張しているようである。

     ただし橋下氏の主張では、理想論と現実論とが混同されているように聞こえる。

    TikTok

     甘利氏は、TikTokによって情報が中華人民共和国政府に抜き取られることを問題とする。

     そのことはすでに様々な国で問題になっている。日本も問題としなくてはならないという。

     それに対して橋下氏は、日本は米国についていくほかなく、安全保障上断ち切るべきところは断ち切らなくてはならないが、経済上利益をとるべきところはとるというように賢くやるべきだという。

     橋下氏の考えでは、TikTokは、「安全保障上断ち切るべき」ところに入るのであろうか、それとも「経済上利益をとるべき」ところに入るのであろうか、よくわからない。

    米国に対する認識

     橋下氏は、米国の現在の対中政策はトランプ大統領個人によるものであって、今度の大統領選で大統領がかわると、政策も変わるかもしれない、そのことに備えるべきだという。

     橋下氏は前回もそう言っていた。橋下氏の「現実論」の根拠はそこにあるようだ。

     たしかに大統領によって政策が変わるおそれはある。

     しかし甘利氏、櫻井氏も言うように、米国の現在の対中強硬政策は、トランプ大統領が主導しているものではなく、議会が主導している。現在、続々と出されている対中強硬法案は、米国議会で、与野党によって支持されて可決されたものである。

     大統領が変わっても、その流れはとどまらないのではないか。

     今度の大統領選で民主党も対中強硬策を出している。

     民主党の経済外交について、「中国包囲に照準」と伝えられている。

     現在、台湾の蔡英文政権も、ファイブアイズの国々も、米国とともに中華人民共和国に対抗することに踏み出している。そういう状況で、米国がそのはしごを外すことを考えるべきであろうか?

    日本国内に対する認識

     甘利氏も櫻井氏も、日本の企業は、中華人民共和国の企業と関わると情報、技術がとられる危険があって、そのために米国中華人民共和国と関係を持つものを制裁しようとしているにもかかわらず、そのことについて警戒心が薄いことを問題としている。

     それに対して橋下氏は、日本は経済上利益をとるべきところはとるというように賢くやるべきであるのに、自民党をはじめ国会議員の様子をみると、全部断ち切れなどというので、懸念をもっているという。

     橋下氏は前も同じようなことを言っていたが、やはり理解に苦しむ。

     現在、日本の政府も、経済界も、甘利氏、櫻井氏が言うように、中華人民共和国に対して断ち切る方向に行き過ぎておらず、逆に、警戒心が薄くて、断ち切らなすぎている。

     橋下氏は、自民党をはじめ国会議員の様子を問題としているが、甘利氏、櫻井氏が問題としている日本の政府、経済界に対してどう考えるのか? 日本全体にとってはそちらの方が問題ではないか?

    難民

     橋下氏は、周庭氏をサポートするという議論で、抗議すべきだということに対して、異論があるという。

     日本は、香港だけでなく、ウイグルでも、どこでもいいから、政治的な難民をどこからもどんどん受け入れるという制度を作るべきだという。

     え・・・?

     香港、ウイグルはともかく、なにゆえにそのほかに、「どこでもいいから、政治的な難民をどこからもどんどん受け入れるという制度を作るべきだ」ということになるのか?

     そもそも難民を受け入れることには問題がある。

     それより前に抗議すべきではないのか?

    終わりに

     今回の番組を見ていて、橋下氏の言動に対して不快に感ずるところが多かった。

     自分なりに分析してみると、こういうことではないかとおもう。

     橋下氏は、安全保障の観点から、日本は中華人民共和国との関係を重視すべきだという立場をとっているようである。そういう立場に同意するとしても、反対するとしても、橋下氏がどっしりと構えて、相手を納得させるように語ったならば、不快に感じなかったのではないかとおもう。

     橋下氏が、櫻井氏の言うことをさえぎって、「そこはわかってます」と言うのは不快であった。「そこはわかってます」というのは、部分的に同意するということであろうが、どこまで同意して、どこから反対するのか、よくわからない。それゆに不快に感じたのである。

  • 安倍内閣の支持率について 反安倍派に対する疑問

    安倍内閣の支持率について 反安倍派に対する疑問

     8月14日に蓮舫氏が米山隆一氏のツイートをリツイートしていた。

     米山隆一氏は時事通信の世論調査をみて、「潮目は完全に変わって」いるとみなした。

     そのツイートを、蓮舫氏がリツイートしたわけである。

    「潮目」は変わっているか?

     私には、特に潮目が変わっているようには見えない。

     「潮目が変わる」というのは、日本国民の支持が、安倍政権とは違う勢力に向かっているということであろう。

     米山隆一氏がとりあげている時事通信の世論調査では、各党の支持率は次のようになっている。

    政党支持率は、自民党が24.2%、立憲民主党が3.5%。以下、公明党3.3%、共産党1.6%、日本維新の会1.5%、国民民主党0.6%、れいわ新選組0.6%、社民党0.5%、NHKから国民を守る党0%で、「支持政党なし」は61.6%だった

    時事ドットコム 「内閣支持32%、過去最低目前 コロナ対応「評価せず」6割―時事世論調査」

     野党の支持率はこれだけ低いのである。単独で自民党と拮抗できる党はなく、野党を合わせても、自民党に遠く及ばない。

     60%以上いる「支持政党なし」という人は、自民党を支持しないと同時に、野党を支持しないのである。

     こういう状況は長いこと変わっていない。

     むしろ自民党政権は安定しているというべきではないか。

     その自民党の中で安倍首相より支持されている人がいるわけでもない。

     新型コロナウイルスは世界中で感染を拡大している。半年たってますます拡大している。その感染を防ぐために、経済に自ら打撃を加えることを余儀なくされている。

     安倍政権のやってきたことは必ずしも完全ではなかったと思うが、そもそも大変な被害の生ぜざるを得ない事態である。

    反安倍派に対する疑問

     現在、安倍政権の支持率が下がっているが、野党の支持率はそれよりはるかに低い。

     安倍政権より支持される勢力は出てきていない。潮目は変わっていない。

     中身がないのに、中身があるかのように言うことは、むしろ中身があるようにすることに反対することではないか?

     蓮舫氏は第一野党立憲民主党の副代表である。与党自民党の支持率が24.2%であるのにたいして、3.5%の支持率しかない政党の副代表である。

     蓮舫氏はその米山隆一氏のツイートをリツイートして、何がしたかったのであろうか?

     安倍政権の支持率が下がっていると言っても、蓮舫氏が副代表を務める立憲民主党の支持率はそれよりはるかに低いのであるから、安倍政権にとってかわるような力はない。安倍政権にとってかわるような野党の連合があるわけでもない。

     蓮舫氏は、米山隆一氏が言うように「潮目が完全に変わって」いると思っているのであろうか?

     そうだとすると、それほど政治を見る目がない人が政権をとることはできないと思われる。

     蓮舫氏は、潮目が変わっていないと知っていて、その上で米山隆一氏のツイートをリツイートしているのであろうか?

     しかし潮目が変わっていないと知っているにも関わらず、潮目が変わっているというツイートをリツイートすることは、私には理解できないことである。

     安倍政権にかわる政権を求める人は、むしろ蓮舫氏をこそ責めるべきではないか?

    反安倍の病理

     反安倍派の言動をみていると、精神的な病理があるのではないか、と思うことがある。

     その思想自体が矛盾しているゆえに、実現せず、苦しんでいるという病理である。実はほかならぬ自分のせいで苦しんでいるのである。

    追記 辞任直前の支持率上昇

     2020年8月28日、安倍首相は辞意を表明した。

     その後に視聴率は大幅にあがった。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/a0ada38e9842f2cd76ebb361cccc5c10d6298c62

     このことについて様々な説明ができるであろう。

     私の思うに、それまで支持率が下がっていたのは、安倍政権を前提とした上でのことであった。マスメディアが安倍政権批判を繰り返すので、支持率は下がった。しかし今度の支持率は、安倍政権を他と比べたものであった。その支持率は高かった。そういうことではないか?

  • トランプ米大統領のTikTok排除をめぐる報道

    トランプ米大統領のTikTok排除をめぐる報道

     2020年7月31日、トランプ米大統領は米国内でのTikTokの使用を禁止することを発表した。

     そのことを受けて、そのことをトランプ大統領の個人的な理由によるとし、それに対して米国の若いTikTok利用者が反発するという記事が出てきた。

    TikTokの使用禁止をトランプ大統領の個人的理由によるものとする記事

    Forbes

     まずForbesの8月1日の記事。

    https://www.forbes.com/sites/abrambrown/2020/08/01/is-this-the-real-reason-why-trump-wants-to-ban-tiktok/#32c7fe764aed

     日本語版。

    https://forbesjapan.com/articles/detail/36261

     トランプ大統領は、TikTokを使用禁止にする理由は国家安全保障上の問題にある、ユーザーのデータが中華人民共和国に渡ってしまうことにあると公的に語っていた。

     この記事はそのことを認めながら、それに対して、トランプ大統領にはそのことと別に個人的理由があるという。TikTokの利用者がそういっているという。

     トランプ大統領の個人的な理由とは、トランプ大統領が6月20日にタルサで集会をやった時に、トランプ大統領に反対するTikTok利用者が集会の席を買い占めて、集会の参加者を少なくした、そのことに対する報復として、TikTokは使用禁止とされたということである。

     民主党のオカシオコルテス下院議員は当時、このことをやったTikTok利用者を称賛していた。

     オカシオコルテス下院議員はこのように、うそのチケット予約を称賛している。

     ちなみにオカシオコルテス下院議員は同時にKPOPファンが同じようなことをしていたことをも称賛している。

     FORBESによると、トランプ大統領はそのことに対する報復として、TikTokの使用禁止をきめたと言われているというのである。

     しかしそもそもトランプ大統領の今度のTikTok使用禁止ということは、それまでに米議会の上下院が賛成多数で可決してきた法案を受けてのことである。それをトランプ大統領の個人的な理由によって起こったことのように言うことはおかしい。

     ついでにいうと、うそのチケット予約によって、集会の参加者を少なくすることは正しくないことである。TikTokが正しくないことによって政治を動かしてしまうものだとすると、それを排除することは、国家の安全のために正しいことになるのではないか。

     タルサの集会でも、TikTok利用者は、オカシオコルテス下院議員のような考えで動いただけでなく、トランプ大統領再選を嫌う中華人民共和国の考えで動いていたかもしれない。

    人民網

     次に中華人民共和国の人民網。8月3日。

    http://j.people.com.cn/n3/2020/0803/c94476-9717625.html

     この記事でもトランプ大統領の「個人的な恨み」を原因として、タルサの集会のことをとりあげている。

     この記事ではまた、米国に多いTikTok利用者がトランプ大統領に反対すると言われている。

    時事ドットコム

     次に日本の時事ドットコムの記事。8月12日。

    https://www.jiji.com/jc/article?k=2020081100770&g=int

     トランプ大統領がTikTokを使用禁止とした理由は、11月の大統領選の再選にあるとして、しかしTikTok利用者の若者の反発を買って逆効果になっているという。ここでも6月のタルサの集会のことがとりあげられている。

    同じような記事が出てきた理由

     上に挙げた三つの記事はそれぞれ似ている。

     同じ事実を報道したから似ているのではない。いずれも同じ事実を報道したというには、内容が偏っている。

     いずれも同じ報道をそのまま受け取ったというべきではないか?

     そのもとは何であろう?

     単に偏った記事であるかもしれない。

     米国内のトランプ大統領に反対するジャーナリストが、トランプ大統領に反対するということのために偏った記事を書いたのかもしれない。

     中華人民共和国がトランプ大統領に反対するということのために偏った記事を書いたのかもしれない。

    ウォールストリートジャーナルの記事

      ウォールストリートジャーナルの記事によって論調が変わったと私は思った。TikTok寄りの論調が減ったと思った。

     日本版。

     時事ドットコムもそのことを伝えている。

    https://www.jiji.com/jc/article?k=2020081200847&g=int

    終わりに

     これまで米国の中華人民共和国に対する非難は、トランプ大統領という乱暴な個人の、再選を目的とする個人的な理由によってなされているという報道が多くなされてきた。

     そうだとすると、トランプ大統領という乱暴者がいなくなればいいということになる。

     しかしTikTokに実際に問題があるとわかると、それをせめるトランプ大統領が悪いということはできなくなる。

     またトランプ大統領より、米国議会が中華人民共和国に対して強硬であるという事実を覆い隠すこともできない。

  • 気温38℃の銀座 2020年夏

    気温38℃の銀座 2020年夏

     2020年8月11日の東京の気温は朝から30℃を超えて、最高気温は38℃であった。

     8月11日というと、真夏というべき時である。
     暑いことは自然なことだということもできる。

     しかし今年は梅雨が長かった。梅雨明けは、8月1日であった。まだ梅雨が明けて間もない気持ちである。がはじまって間もない気持ちである。
     の暑さが高まってきたというより、梅雨が明けて突然暑くなった感じである。

     今年は新型コロナウイルスのせいで、季節感がおかしくなっている。

     四月から五月まで緊急事態宣言で、多くの人は活動を制限していた。
     そのために、例年のように、働いた後に夏休みが来るというかたちではなくなっている。
     その上に現在、第二波が高まっていて、お盆の帰省も気遣う状況である。

     要するに、が高まって暑くなったというのではなく、突然酷暑になったという感じである。

    朝9時。

     さが、強すぎて、何か禍々しい

    朝9時半。(時計)

     手前のに映るの強さ。

    これも朝9時半。

     強すぎるをうまく撮ることができたと思った。

    午前10時前。

     手前のビルの壁に照り付ける

    午後5時の歌舞伎座

     が強すぎて、痛い。

    午後5時。

     夕方の、心が落ち着いていくような気持ちのようでもあるが、暑すぎて頭がぼんやりしているようでもある。

    夕方5時の銀座。

     やはりが強すぎる。

     痛い暑さである。楽しい暑さではない。

     ただし、その暑さに体が痛みつつも、目がさえ、心は動こうとする。冬の寒さに縮こまるのとは違う。

  • 台湾の李登輝元総統の20年前の予想と、20年後の現状

    台湾の李登輝元総統の20年前の予想と、20年後の現状

     2020年7月30日、日本時間の午後8時すぎ(台湾時間の午後7時すぎ)、李登輝元総統が台北市内の病院で亡くなった。97歳。

    李登輝元総統の予言

     李登輝元総統は、1999年に出版した著書「台湾の主張」(PHP研究所、1999年)において、「大陸の二十年後を見据える」という見出しで、中華人民共和国の20年後について予想している。

     1999年は、李登輝元総統が亡くなる20年前である。その時にそれから20年後のことを予想していたのである。

    アメリカなどの予測では、大陸はこれから二十年をかけてこの矛盾と対決し、やがては活路を見出すことになっている。しかし、それは可能だろうか。

    「台湾の主張」113頁

     1999年において、アメリカは、中華人民共和国は二十年でよくなるだろうと考えていた。

     それに対して李登輝元総統は疑問を持っていた。

     海峡のこちら側からみれば、その転換はきわめて困難なもののように思われる。アメリカは二十年と踏んでいるが、このままではそれ以上の年月が必要であろう。そして転換したからといって、すべてがうまくいくわけでないことは、この十年あまりのロシアの例をみれば明らかなのである。

    「台湾の主張」114頁

     李登輝元総統のみるところによると、20年では中華人民共和国は当時アメリカが考えたようによくならないであろうというのである。そのことを「この十年あまりのロシア」、すなわちソ連崩壊後のロシアを例として語っている。

     中華人民共和国は、経済においては変わったが、政治においては変わっていない、その「基本的矛盾を解消しない限り」混乱が生ずる、と李登輝元総統はいう。(「台湾の主張」、113頁)

     大陸は経済的な生産は上昇しているが、政治的にはいまだに中国共産党の一党独裁体制に支配されている地域であることは変わっていない。少数者の権威主義的かつ独裁的な支配は続いている。そしてまた、中国共産党がその体質を根本的に改革したというわけでは決してない。

    「台湾の主張」113頁

     このように「少数者の権威主義的かつ独裁的な支配」という「体質」が続いていることに問題はあると考えていた。

     1999年に李登輝元総統が20年後の中華人民共和国について上のような予想を語ってから、20年後の2020年に李登輝元総統は亡くなった。その時に、20年前の李登輝元総統の予想は当たっていたであろうか?

     その問題に対して、アメリカのポンペオ国務長官が一つの答えを出している。

    U.S. Department of State
    Communist China and the Free World’s Future: Secretary Pompeo at the Nixon Presidential Library 2020/07/24

     ポンペオ国務長官は、李登輝元総統の亡くなった2020年7月に、ニクソン大統領図書館で画期的な演説を行った。

     アメリカはこれまで中華人民共和国が自由な民主的な国になることを期待して見守ってきたが、中華人民和共和国は変わることなく専制的な国である、アメリカのこれまでの中華人民和共和国に対するやり方は間違えていた、と語ったのである。

     ニクソン大統領以来のアメリカの対中政策は間違っていた、とニクソン大統領図書館で語ったのである。

     李登輝元総統は20年前に、20年後の中華人民共和国についてアメリカが予想していたことに反対していた。その20年後に、アメリカの国務長官がアメリカのこれまでの対中政策は間違っていたと語ったのである。

     ポンペオ国務長官は、李登輝元総統逝去の報を受けて、次のようにツイートしている。

     ポンペオ国務長官は、李登輝元総統を、台湾と米国との関係のもとになる民主的価値のためにはたらいた人として敬意を払っている。

     蔡英文総統の返事。

    蔡英文総統

     現在の台湾の総統蔡英文氏は、李登輝元総統の思想を受け継ぐ人である。

    アイデンティティにもとづく民主主義

     蔡英文総統は、李登輝元総統を、台湾の自主的な民主主義の創設者として、その死を悼んでいる。

     李登輝元総統は、アイデンティティにもとづく民主主義を創設した、と蔡英文総統は言う。

     李登輝元総統は、「台湾の主張」において、アイデンティティにもとづく民主主義ということについて語っていた。―「台湾に住む人たちがすべて参加して」、「参加の中から生み出される、「われわれは台湾人だ」というアイデンティティを基礎にして育つ」という「民主主義文化」を、李登輝元総統は台湾に打ち立てようとしたというのである。(「台湾の主張」、58頁)

     李登輝元総統は、その前の蒋経国総統とは、「台湾のアイデンティティということを考える場合には、決定的に異なっていた」という。(同、49頁)

     李登輝元総統は、「台湾にアイデンティティをもつ政治」、すなわち「台湾を非常に愛し、そして台湾のために粉骨砕身、大いに奮闘する」政治がなくてはならないと考えたが、蒋経国総統は「台湾人のための政治とはなにかを考えたことはなかっただろう」という。(同、49頁)

     李登輝元総統も、自分が台湾にはじめてアイデンティティにもとづく民主主義をもたらしたと考えていたのである。

    「台湾に生まれた幸福」

     蔡英文総統は同時に日本語でもツイートしている。

     蔡英文総統は、李登輝元総統を、日本と台湾との関係において重要な存在と考えているようである。

     蔡英文総統はそこで「李元総統の遺志を継ぎ「台湾に生まれた幸福」を追求し続けます」と語っている。どういうことか。

     李登輝元総統は「台湾の主張」第八章「二十一世紀の台湾」の最後に「李登輝がいなくなった台湾」について語っている。

     私は、本書の冒頭より「台湾人に生まれた悲哀」から「台湾人に生まれた幸福」へと話を進めてきた。私は台湾に生まれたがゆえに、この地を舞台としてこの数十年のあいだ必死の努力を続けてきた。その結果、もしこのハンティントン教授のいうことが正しければ、私がいなくなった後も、私の努力はこの美しい台湾に残り、限りない発展を続けていくだろう。
     これもまた、私にとっての「台湾人に生まれた幸福」に他ならないのである。

    「台湾の主張」(PHP出版社、1999年)223頁

     李登輝元総統は「台湾の主張」を「台湾人に生まれた悲哀」ということから始めている。「台湾人に生まれた悲哀」とは、「台湾人は長いあいだ、自分たちの国を自分たちで治めることができなかった」ことである。(「台湾の主張」、16頁)

     「必死の努力」によって、李登輝元総統は、「台湾人に生まれた幸福」を感ずることができるまでに至った。

     そしてアメリカの国際政治学者ハンティントン教授が「台湾のデモクラシーは、李登輝が死んでも継続するだろう」と言ったことは「かなり本質を衝いた洞察だ」というのである。(同、222~223頁)

     蔡英文総統は、その李登輝元総統が望んだように、「李登輝がいなくなった台湾」において、デモクラシーを継続させていくというわけである。

    葬式

     李登輝元総統は、民主台湾を永遠に見守る存在としてまつられる。

    他の国の反応

     李登輝元総統の逝去に対する各国の反応に、2020年の情勢があらわれている。

    日本

     李登輝元総統逝去の報を受けて、日本では安倍首相が痛惜の念をのべた。

     安倍首相は、第一に、李登輝元総統が、日台関係の礎を築いたという。

     第二に、台湾に、自由と民主主義、人権、普遍的な価値を築いたという。

     その「普遍的な価値」が安倍首相の外交を基準である。

     蔡英文総統の返事。

     蔡英文総統も「自由と民主の理念」による協同を言う。

    香港

     香港の民主派、Joshua Wong氏も李登輝元総統の逝去をかなしんでいる。

     李登輝元総統は、台湾の民主主義の父であって、その精神は、現在の香港のJoshua Wong氏等民主派の運動に生きているというのである。

     香港の民主派の運動と、李登輝元総統が築いた台湾の民主主義とはつながっているというのである。

     この日に、Joshua Wong氏は、9月の選挙に立候補する資格を取り消されている。

     中華人民共和国側はそのことについて次のように言っている。

     7月31日、香港政府は、新型コロナウイルスを理由として、選挙を一年延期すると発表した。

    中華人民共和国

     中華人民共和国の「國台辦」は、李登輝元総統の逝去に際して、台湾の独立は間違った道であって、台湾は中華人民共和国と統一されなくてはならないと語っている。誰もその道を阻むことはできないと語っている。

     環球時報Global Times。

     李登輝元総統は、中国人民の統一に反対した罪人だという。

     ここでも、李登輝元総統の民主主義が、台湾と大陸とを分断するものであったことを非難している。

    独立について

     李登輝元総統は1999年の著書「台湾の主張」においても、中華人民和共和国から台湾を独立させようとする者として非難されたと語っている。

    大陸の当局はいまだに闘争的な態度を崩さず、自分たちの考える「一つの中国」に固執して、この枠組みに編入せしめるか、あるいは台湾が独立を強行しようとしているという根も葉もないキャンペーンを展開する。

    「台湾の主張」117頁

     中華人民共和国によると、中華人民共和国の考える「一つの中国」に台湾がくみさないということは、独立を強行しようとしているということになる、というのである。

     李登輝元総統も、中国の統一、「一つの中国」を求めていた。しかし中華人民共和国の「一つの中国」には反対していた。

     李登輝元総統は、1997年7月12日の「国家統一委員会」の開幕談話で次のように語っていた。

    中国は統一されなければならないが、統一には全中国人の利益を考慮したものでなければならず、同時に世界の潮流である民主・自由・均富の制度に合致したものであって、すでに実践の過程において失敗が証明されている共産制度、あるいはいわゆる『一国二制度』によるものであってはならないと考える。

    「台湾の主張」118頁

     統一は、共産制度によってでも、共産制度を上においた「一国二制度」によってでもなく、民主・自由・均富の制度によってでなくてはならないというのである。

     李登輝元総統は、両国が互いに尊重しあって、民主、自由の制度によって、統一されるべきだと主張していた。

     それに対して中華人民共和国は、両国が互いに尊重しあうことも、民主、自由の制度をとることも認めず、中華人民共和国の考えるやり方を一方的に台湾におしつけようとした。そしてそのことに同意しない李登輝元総統を非難した。

     今度の中華人民共和国の「國台辦」の言葉でも、台湾の自由な意思を尊重する考えは見えず、あくまでも中華人民共和国が一方的に統一をおしつけているようである。「環球時報」も同じである。

    チベット

     ダライラマ。

     蔡英文総統の返事。

    まとめ

     今、世界は、米国をはじめとして、自由、民主の価値観によって協同して中華人民共和国に対抗しようとする国々と、中華人民共和国の側につく国々とが対立する流れにある。

     その対立の中で、自由、民主の価値観によって協同しようとする国々、人々は、李登輝元総統を、その価値観を台湾で築いた人として讃えている。

     それに対して中華人民共和国の側の国々、人々は、李登輝元総統を、中華人民共和国との統一に反対する主張のもとになったものとして非難している。