カテゴリー: 能登半島地震

2024年1月1日に起こった能登半島地震に関する記事

  • 能登半島地震―岸田首相・馳知事の「初動」に問題はあったか? 情報の整理

    能登半島地震―岸田首相・馳知事の「初動」に問題はあったか? 情報の整理

     2024年1月1日に起こった能登半島地震では、岸田文雄首相・馳浩石川県知事の「初動の遅れ」ということが早くから問題とされた。

     しかしその「初動の遅れ」ということは必ずしも明らかにされていないまま言われているのではないか?

     岸田首相・馳知事の「初動」の情報を整理しよう。

    問題

     岸田首相の「初動」に問題があったか? ということを考えるためには次のことを明らかにしなくてはならない。

    ・岸田首相は被災地についてどのような認識をもっていたか? (「認識の甘さ」が問題とされているが、どうであったのか?)

    ・そしてどのように対応したか? (「初動の遅れ」が問題とされているが、どうであったのか?)

    被災地に対する認識

     2024年1月1日16時10分頃、石川県能登地方の深さ約15kmでマグニチュード7.6の地震が発生したが、その後の岸田首相・馳知事の「初動」はどうであったか?

     時事通信の「首相動静」では、地震発生後の岸田首相の動きは次のようにまとめられている。

    1月1日の地震後の岸田首相の動静
    • 16時10分
      地震発生

    • 17時16分
      岸田首相、官邸に到着
    • 17時17~18分
      報道各社のインタビュー
    • 17時19~34分
      林芳正、村井英樹、栗生俊一正副官房長官、松村祥史防災担当相、鈴木敦夫官房副長官補、原和也内閣情報官、高橋謙司内閣府政策統括官、森隆志気象庁気象防災監。
    • 18時25~51分
      林、村井、森屋宏、栗生正副官房長官、松村防災担当相、鈴木官房副長官補、原内閣情報官、高橋内閣府政策統括官、森気象庁気象防災監。
    • 21時26~22時01分
      林、村井、森屋、栗生正副官房長官、松村防災担当相、鈴木官房副長官補、原内閣情報官、高橋内閣府政策統括官、森気象庁気象防災監。
    • 22時15~25分
      坂口茂石川県輪島市長と電話
    • 22時30~40分
      泉谷満寿裕同県珠洲市長と電話
    • 23時35~38分
      報道各社のインタビュー
    • 23時39分
      官邸発
    https://www.jiji.com/jc/article?k=2024010100096&g=pol

     地震が発生して1時間後に官邸に到着。

     23時51分、官邸から出た後に岸田首相は次のようなポストをしている。

    ・「能登半島地震に対し、現地の情報を全力で収集して」いるといっている

    ・自衛隊機で防災担当副大臣以下の内閣府調査チームも金沢に到着しているという

    ・自衛隊の災害派遣、警察の広域緊急援助隊の派遣、消防の緊急消防援助隊の派遣を順次行っているという

     以上のことについて考えてみよう。

    東京から現地へ

     まず防災担当副大臣以下の内閣府調査チームを自衛隊機で現地に派遣したことについて。

     古賀防災担当副大臣は1月1日から1月19日まで現地に派遣されていたという。1月1日23時51分には金沢に到着していたと岸田首相は語っている。

     馳知事も地震が発生した時には東京にいて、その日のうちに石川県庁に入った。

    馳氏によると、地震当時は首都圏にいたが、交通機関が止まっていたため林芳正官房長官らに連絡した上で官邸に駆け付けたという。
     馳氏はオンライン会議で「人命最優先で対応をお願いしたい」と要請。終了後、記者団に「県庁の災害対策本部に入り、今後の対応を取ろうと思う」と述べ、官邸を出て自衛隊機を使い、同日中に地元に戻った。

    時事ドットコム 馳石川知事、官邸で初動指揮 県庁とオンラインで―能登半島地震
    https://www.jiji.com/jc/article?k=2024010100225&g=soc

     このことに関して興味深いことがあった。―その後に馳知事が「元日から24時間知事室に滞在して適時適切に指示を決裁していた」と言ったという記事に対して、立川雲水氏が「歴史修正発言」と言ったのである。

     「戦史/紛争史研究家」山崎雅弘氏も「ウソ」だと言っている。

     震災が発生した時に馳知事が石川県庁にいなかったことを問題としているようである。

     しかし1月1日の23時からであっても「24時間知事室に滞在」をしているとすると、「1月1日から24時間、知事室に滞在しております」ということは「ウソ」にはならない。

     岸田首相・馳知事の「初動の遅れ」に対する非難にはこういうことがあるので気を付けなくてはならない。

    現地の情報の収集

     次に、岸田首相の「能登半島地震に対し、現地の情報を全力で収集して」いるという言葉について考える。

     能登半島地震では岸田首相の「認識の甘さ」が問題とされた。そのことと関わることである。

     「能登半島地震に対し、現地の情報を全力で収集して」いるということは、まだ現地の情報を十分に把握していないということである。そういう意味で「認識の甘さ」があるということはできる。しかしまた「全力で収集して」いるということは、「認識の甘さ」にとどまろうとしていないということでもある。

     1月1日23時51分の岸田首相の被災地に対する認識は上に引用した通りであった。地震発生から23時ころまではどうであったか?

     1月8日の朝日新聞の記事は、題に「「初動を甘く見た」首相批判も」とあるように岸田首相が「初動を甘く見た」という批判を取り上げている。しかしその時のことを記した本文は、そういう批判とは違うことを示しているようである。

     地震発生直後の1日夕、首相は官邸幹部らに「これはひどい災害になるんじゃないか」と語っていた。だが、道路や通信インフラが破壊され、状況はなかなか分からなかった。日没直前というタイミングに加え、集落が点在する半島という地理的な特性が障壁になり、被害の深刻さの一端が見えてきたのは、同日午後10時を回ってからだ。

    朝日新聞DIGITAL 「初動を甘く見た」首相批判も 能登地震1週間、被害の全容つかめず
    https://www.asahi.com/articles/ASS1763HNS15OXIE01Y.html?iref=pc_ss_date_article

     まず、岸田首相は地震直後に「これはひどい災害になるんじゃないか」と語っていたことが伝えられている。岸田首相が「ひどい災害になる」可能性を考えていたということは、「初動を甘く見た」ということに反することではないか?

     岸田首相は地震直後に「これはひどい災害になるんじゃないか」という可能性を考えていたが、「状況はなかなか分からなかった」と言われている。「道路や通信インフラが破壊され」ていたからである。「日没直前というタイミング」「集落が点在する半島という地理的な特性」が「障壁」になったからである。

     状況が分からなかったことの原因はそういう「障壁」にあったということは、岸田首相にはなかったということではないか?

     2月1日の朝日新聞の記事も題に「認識甘かった」という言葉が使われている。しかしその記事で伝えている1月1日の官邸の様子は、「認識甘かった」という言葉と合わないようである。

     1月1日夜、官邸の執務室で岸田文雄首相は焦燥感に包まれていた。
     午後4時過ぎに石川県能登半島を震源とする震度7の激震が発生。首相はその約1時間後から、執務室で秘書官らと共に待機していた。つけっぱなしのNHKのテレビは、アナウンサーが津波からの避難を呼びかけ、炎に包まれる輪島市の市街地を映し出していた。
     だが、首相にもたらされるのは「道路が寸断されている」「生き埋めが発生している」といった断片的な報告ばかり。全体状況が分からないまま、刻々と時が過ぎた。

    朝日新聞DIGITAL 「認識甘かった」地震5時間、情報なき首相官邸 危機感共有されず
    https://www.asahi.com/articles/ASS215DNTS1ZUTFK017.html?iref=pc_ss_date_article

     この記事によると、岸田首相は地震発生約1時間後に官邸の執務室に入ってから、被災地の状況を知ろうとしていたが、明らかにならず「焦燥感に包まれていた」ようである。

     「認識甘かった」ということが問題とされるのは、厳しい現実と異なる甘い認識によって動いた(あるいはとどまった)場合であろう。

     しかしこの記事では、岸田首相は自分の認識は不十分であることを自覚して、正確な認識を求めていたとされている。どこに「認識甘かった」と問題とされるところがあるのか?

    特定災害対策本部と非常災害対策本部

     岸田首相は1月1日、まず特定災害対策本部を設置、23時ころ非常災害対策本部に格上げした。

     そのことを問題としている人がいる。

    https://note.com/hayakawayukio/n/n509c405f4219

     「能登半島地震で政府の初動が遅れたのは誤って特定災害対策本部を設置したから」というのである。そのことについて考えてみよう。

     1月1日23時51分、岸田首相はそれまで設置していた特定災害対策本部非常災害対策本部に格上げして、岸田首相が本部長になったことを伝えている。

    災害対策基本法

     特定災害対策本部も非常災害対策本部も、災害対策基本法によるものである。

     災害対策基本法では、災害が発生した時に、特定災害対策本部を設置する場合と非常災害対策本部を設置する場合が分けられている。

     非常災害対策本部を設置する場合は「非常災害が発生し、又は発生するおそれがある場合」である。

    第二十四条 非常災害が発生し、又は発生するおそれがある場合において、当該災害の規模その他の状況により当該災害に係る災害応急対策を推進するため特別の必要があると認めるときは、内閣総理大臣は、内閣府設置法第四十条第二項の規定にかかわらず、臨時に内閣府に非常災害対策本部を設置することができる。

    災害対策基本法

     特定災害対策本部を設置する場合は、災害の「規模が非常災害に該当するに至らないと認められるものに限る」。

    第二十三条の三 災害(その規模が非常災害に該当するに至らないと認められるものに限る。以下この項において同じ。)が発生し、又は発生するおそれがある場合において、当該災害が、人の生命又は身体に急迫した危険を生じさせ、かつ、当該災害に係る地域の状況その他の事情を勘案して当該災害に係る災害応急対策を推進するため特別の必要があると認めるもの(以下「特定災害」という。)であるときは、内閣総理大臣は、内閣府設置法第四十条第二項の規定にかかわらず、臨時に内閣府に特定災害対策本部を設置することができる。

    災害対策基本法

     非常災害対策本部の長は「内閣総理大臣」。

    第二十五条 非常災害対策本部の長は、非常災害対策本部長とし、内閣総理大臣(内閣総理大臣に事故があるときは、そのあらかじめ指名する国務大臣)をもつて充てる。

    災害対策基本法

     特定災害対策本部の長は「防災担当大臣その他の国務大臣」。

    第二十三条の四 特定災害対策本部の長は、特定災害対策本部長とし、防災担当大臣その他の国務大臣をもつて充てる。

    災害対策基本法

     それゆえに岸田首相は「特定災害対策本部を非常災害対策に格上げして」自ら本部長を務めることになったのである。

    状況の認識

     今取り上げている「能登半島地震で政府の初動が遅れたのは誤って特定災害対策本部を設置したから」という記事は、2024年1月の能登半島地震は「非常災害」に当たると主張する。したがって特定災害対策本部ではなく、非常災害対策本部を設置しなくてはなかったというのである。

    2021年5月の法改正で新設した特定災害対策本部は、非常災害に至らない、死者・行方不明者数十人規模の災害のとき設置するものとされる。能登半島地震には当てはまらない。これは、230人の死者がカウントされたいまだから言えるわけではない。地震学の知識を少しでも持っていれば、地震後ただちに発表された震源位置と震度7,そしてマグニチュード7.6、深さ16キロを聞いてただちにわかったことである。

    能登半島地震で政府の初動が遅れたのは誤って特定災害対策本部を設置したから

     問題になるのは「地震学の知識を少しでも持っていれば、地震後ただちに発表された震源位置と震度7,そしてマグニチュード7.6、深さ16キロを聞いてただちにわかったことである」というところ。

     後から振り返ると、2024年1月の能登半島地震は「非常災害が発生し、又は発生するおそれがある場合」に違いない。

     岸田首相は1月1日23時ころに非常災害対策本部を設置するまで、どうしてそう考えていなかったのか?

     上に引用した記事によると、「断片的な報告ばかり」で「全体状況が分からない」からということのようである。

     早川氏は1月1日20時に開催された第1回特定災害対策本部会議での気象庁から出席した気象防災監の発言を取り上げて次のように語っている。

    じっさい、1日20時03分に開催された特定災害対策本部会議の冒頭で、気象庁から出席した気象防災監が「震源はごく浅く、マグニチュード7.6。速報値であるが、これは阪神・淡路大震災のマグニチュード7.3を上回ったもの。揺れそのもので、相当の被害が出ている可能性を考えている」と発言した(議事録)。大津波警報にばかり世間の目が向いていたとき、気象防災監は地震専門家として、揺れによって大きな被害が発生していると正しく警告した。いまそのとき大勢が生き埋めになっているとする深刻な指摘だ。しかし、会議は途中で立ち止まることなくそのまま進行した。

    能登半島地震で政府の初動が遅れたのは誤って特定災害対策本部を設置したから

     気象防災監は地震専門家として、早川氏と同様の認識を持っていたというのである。「しかし、会議は途中で立ち止まることなくそのまま進行した。」というのである。

     しかし議事録に記されていることは、早川氏が語ることと違うようである。

     気象防災監はたしかに「揺れそのもので、相当の被害が出ている可能性を考えている」と言っている。しかしそのことについてはそれだけしか言っていない。そしてそれより多く津波について言っている。この議事録で最も多く津波について語っているのが気象防災監である。

     建物倒壊に関しては他の人が語っている。

     内閣府政策統括官は「建物倒壊等による生き埋めが 6 件発生している」こと、「建物等の被害については、倒壊が多数発生しているとのこと」を取り上げている。

     警察庁の警備局長も、「石川県警に多数の通報。建物倒壊に関するものが多い。」と言っている。ただし「人的被害に関するものは調査中で不明」と言っている。

     何故にそのことを取り上げないのか?

     議事録によると、建物倒壊が多いことは伝わっていたが、人的被害に関しては明らかになっていなかったようである。

    非常災害対策本部

     朝日新聞の1月8日の記事によると、第1回特定災害対策本部会議を開いて間もなく、岸田首相は輪島、珠洲両市長と電話して被害の深刻さを知ったことによって、特定災害対策本部を非常災害対策本部に格上げした。

     「住宅の倒壊が多数あり、道路も寸断され重機も入らない。金沢市からの輸送も無理だ」「過去にない広範囲の被災だ。電気・水も止まっている。携帯電話もつながらない」
     石川県の輪島、珠洲両市長から電話で聞き取った首相は、初会合を開いたばかりだった特定災害対策本部を一転、非常災害対策本部に格上げするように指示し、自らが本部長に就いた。

    朝日新聞DIGITAL 「初動を甘く見た」首相批判も 能登地震1週間、被害の全容つかめず

     その記事では次のようなことも伝えられている。

    官邸幹部は「初めは被害の程度がわからず、役所も非常災害対策本部にする段階ではないと言っていた」と話す。

    朝日新聞DIGITAL 「初動を甘く見た」首相批判も 能登地震1週間、被害の全容つかめず

     これによると、「初動を甘く見た」のは岸田首相個人の問題ではなく、役所も情報が把握できていなかったということではないか?

     読売新聞の2月5日の記事では、岸田首相は17時ころに地震の規模が大きいことを聞いて17時30分に特定災害対策本部を「いったん設置」し、その約5時間後に非常災害対策本部に格上げしたと伝えている。

    発生直後、政府内には「被害は軽微ではないか」との希望的観測さえあったが、「道路の寸断で被害状況の把握もままならない」といった情報が次々と寄せられた。
     岸田首相も1日午後5時頃、能登地方を地盤とする自民党の西田昭二衆院議員との電話で、「昨年の地震とは揺れが全く違う。能登を助けてください」と窮状を訴えられた。
     政府は、同日午後5時30分に「特定災害対策本部」(本部長・松村防災相)をいったん設置。首相は「空振りでも構わない」と判断し、約5時間後に首相をトップとする「非常災害対策本部」に格上げした。

    読売新聞 道路・情報寸断で「陸の孤島」になった能登、自衛隊の救助難航…初動対応の「定石」通じず
    https://www.yomiuri.co.jp/national/20240205-OYT1T50005/

     ここでは呉語5時ころの西田議員との電話がきっかけとなったとされている。

     岸田首相が特定災害対策本部を非常災害対策に格上げする時に「空振りでも構わない」と判断していたということは、「空振り」になるかもしれないと思われ情報しか与えられていなかったということであろう。そしてそれにもかかわらず格上げすることを決めたということであろう。

     このように各社の報道において、岸田首相は与えられた情報が増えるに従って対策を格上げするのみならず、与えられた情報以上に積極的に動いていたと伝えられている。

    震災対応

     次に問題となるのは、岸田首相・馳知事の認識と、震災対応との関係である。岸田首相・馳知事の認識のために震災対応が遅れたのか?

    馳知事

     馳浩石川県知事は1月1日18時25分に、陸上自衛隊に派遣要請をして「明朝、朝一での対応をお願いした」とポストした。

     早川氏はそれを取り上げて「正気か」と言った。

     直ちに投入しなくてはならないのに、明朝、朝一から投入するのはおかしい、ということのようである。

     早川氏は後日、馳知事が『19時30分ころ記者団に対して「午後5時過ぎには、副知事を通じて自衛隊の派遣要請も出し、速やかに対応していただけると思うが、夜に入ったので、あすの朝、明けてから本格的な情報収集や救命活動に入ることになる」と述べていた』ことを知ったらしい。

     馳知事が地震発生後間もない時に自衛隊に派遣要請していたことを、それまで知らなかったようである。しかし早川氏は「これでは自衛隊は明朝まで動けない。明朝まで動きを封じられた」と断じている。馳知事の「認識の甘さ」のために自衛隊は動きを封じられたというのである。

     この主張には疑問がある。

     馳知事によって自衛隊は動きを封じられたのであろうか? できるだけ早く動こうとしても時間がかかったということはないのであろうか? 早川氏が後日知ったことは、そのことと関わることではないか?

    自衛隊

     震災直後に自衛隊を能登に派遣することには困難な状況があったと言われている。

     たとえば時事通信の記事では「北陸3県の陸自定員は1400人で、初日に投入した1000人はほぼ総動員に近かった」と言われている。

    https://www.jiji.com/jc/article?k=2024020300376&g=soc

     地震発生後の金沢駐屯地からの先遣隊の動きを、2月5日の読売新聞の記事は次のように伝えている。

     地震発生から1時間後。陸自の金沢駐屯地(金沢市)では先遣隊20人が高機動車2台に分乗し、約100キロ離れた輪島、珠洲市に向けて出発した。地割れや陥没に阻まれ、輪島中心部入りを断念。 迂回うかい 路を探すうち1台が動けなくなった。残る1台が珠洲市にたどり着いたのは翌2日の正午頃。すでに20時間近くたっていた。

    読売新聞 道路・情報寸断で「陸の孤島」になった能登、自衛隊の救助難航…初動対応の「定石」通じず

     地震発生から1時間後に金沢を出発した先遣隊が「輪島中心部入りを断念」、1台が動けなくなって、2日の正午に珠洲市に到着している。

     地震直後から動くものは動いていた。そしてできるだけ早く動こうとしても時間がかかった。ということではないか?

     名古屋市に司令部がある陸自第10師団は、地震発生直後に馳知事から派遣を要請されたという。そして間もなく派遣を開始した。

     地震発生から約30分後の午後4時45分、酒井秀典・第10師団長が馳浩石川県知事の要請を受けて災害派遣を開始。兵庫剛副師団長らが夜に守山駐屯地を車で出発し、2日未明に石川県庁の対策本部に着いた。

    朝日新聞DIGITAL 道路寸断、渋滞に阻まれた「前進」 陸自隊員、難渋の能登地震初動
    https://www.asahi.com/articles/ASS216WKWS1YUTFK001.html?iref=pc_ss_date_article

     朝日新聞の4月3日の記事で、兵庫剛・副師団長はその時のことを次のように語っている。

     元日夕の発災直後、石川県庁の対策本部経由で自衛隊に「数百人単位のヘリコプター空輸」を要望されたが、趣旨がわからない。兵庫氏は深夜に司令部を陸自車両で発ち、翌日未明に県庁に着いた。
     対策本部の拠点は6階。危機対策課に自衛隊と警察、消防が集まった。消防は消防庁長官の指示で東海・関西各府県から緊急援助隊が来ていたが、現状認識が共有されない。兵庫氏が呼びかけた。
     「頭をそろえましょう。被災状況がわからない。被災地へどうやって行けばいいかもわからない。情報を『見える化』しましょう」

    朝日新聞DIGITAL 能登地震直後 自衛隊副師団長が呼びかけた情報共有、見えた支援方針
    https://www.asahi.com/articles/ASS425WQJS36UTFK00B.html?iref=pc_ss_date_article

     「被災状況がわからない。被災地へどうやって行けばいいかもわからない」という状況だったというのである。自衛隊も消防も警察もそういう状況に対応して動いていたようである。

     馳知事の言葉によって動きを封じられたのではないのではないか?

    緊急消防援助隊

     次に消防庁の緊急消防援助隊について。

     石川県の災害危機管理アドバイザーも務めてきた神戸大名誉教授の室崎益輝氏は朝日新聞の1月14日の記事において、緊急消防援助隊に関して次のように語っている。

    今回は遅れた。緊急消防援助隊の投入も小出しで、救命ニーズに追いついていない。本来は「想定外」を念頭に、迅速に自衛隊、警察、消防を大量に派遣するべきでした。

    朝日新聞DIGITAL 「初動に人災」「阪神の教訓ゼロ」 能登入りした防災学者の告白

     「迅速に自衛隊、警察、消防を大量に派遣するべきでした」というのであるが、特に緊急消防援助隊の投入について「小出し」であったと批判している。

     緊急消防援助隊は「被災地からの要請を待たずに地震発生直後から出動」したと伝えられている。

     総務省消防庁は今回、地震発生の約20分後に各地の消防に出動を要請。東日本大震災に匹敵する揺れや大津波警報の発令に加え、正月休み中であることも加味した判断だった。同庁担当者は「甚大な被害が想定され、元日だったことから状況の把握と要請に時間を要すると危惧した」と振り返る。
     意識したのは、生存率が急激に下がるとされる「発生後72時間」。72時間を迎える1月4日には、約1800人が救命・救助に当たり、輪島市で80代の女性を救出した。同庁幹部は「消防の使命は人命救助。72時間を意識して、初動から大規模な人員を投入した」と語る。

    時事ドットコム 初の「要請前出動」 活動広がる緊急援助隊―東日本以来の大規模投入・能登地震
    https://www.jiji.com/jc/article?k=2024022700760&g=soc

     陸自第10師団の兵庫副師団長も、1月2日未明の石川県庁に「消防は消防庁長官の指示で東海・関西各府県から緊急援助隊が来ていた」と語っている。

     1月1日20時の特定災害対策本部会議で総務省は「被災自治体からの応援要請はないが、総務省では、ニーズ把握実施中」と言っていた。

     総務省消防庁は甚大な被害を想定して、人命救助のために「初動から大規模な人員を投入した」というのである。まさに早川氏のような考えを持って動いていたようである。

     しかしそれでも1月4日までにその半数しか「被害集中地域」に行くことができなかったと共同通信の1月28日の記事は伝える。

     能登半島地震当日に指示を受け被災地に向かった11府県の「緊急消防援助隊」約1900人のうち、発生72時間以内の1月4日までに石川県珠洲市や輪島市の被害集中地域に入り活動できた隊員が約半数にとどまったことが28日、各消防への取材で分かった。道路損壊や土砂崩れの多発で大型消防車などの走行が阻まれたのが要因で、ルートが限られている半島特有の災害対応への課題が改めて明らかになった。

    共同通信 72時間以内の援助隊入り半数 珠洲、輪島の被害集中地域
    https://nordot.app/1124308515280355625

     室崎氏は「緊急消防援助隊の投入も小出しで、救命ニーズに追いついていない」と言ったが、緊急消防援助隊を実際より多く投入することはできたのであろうか?

    警察の広域緊急援助隊

     室崎氏は自衛隊、消防のみならず警察も「大量に派遣するべきでした」と語っている。

     警察は石川県の要請を受けて広域緊急援助隊を派遣した。こちら

     埼玉県の派遣した広域緊急援助隊の記事がある。

    1日の夜に車で埼玉県を出発し、翌2日朝には石川県に入りました。そのあと七尾市に向かいますが道路の被害や激しい渋滞でたどりつけず、最終的には3日になって、ようやく能登半島の先端部に近い珠洲市に到着することができました。

    NHKさいたま放送局 能登半島地震 埼玉県警広域緊急援助隊「まともな道路がひとつもない」 困難な救助活動振り返る
    https://www.nhk.or.jp/shutoken/saitama/article/018/47/

    岸田首相による非常災害対策本部の初会合

     早川氏は岸田首相がすぐに非常災害対策本部を設置しなかったことを非難したが、その上に、次の日の朝に初会合を開いたことを非難した。

    翌朝、岸田首相が官邸にあらわれたのは8時52分。馳知事と電話会談したあと非常災害対策本部の初会合を9時23分に開いた。じつに地震から17時間後だった。わずか55分で初会合を開いた2016年4月熊本地震と比べると、無為に過ぎた時間の長さに慄然とする。

    能登半島地震で政府の初動が遅れたのは誤って特定災害対策本部を設置したから

     しかし能登半島地震の発生後17時間後に非常災害対策本部の初会合を開いたことを、熊本地震の発生後55分で初会合を開いたことと比較して、前者の「無為に過ぎた時間の長さ」を問題とすることはおかしくないか?

     岸田首相は地震発生後、17時16分から23時39分まで官邸にいて被災地の情報収集をしていた。そしてその情報をもとにして「いったん」特定災害対策本部を設置し、その後に非常災害対策本部に格上げした。わからなかった状況が次第に明らかになってくるとともに対応を上げていったということではないか?

     第1回非常災害対策本部会議で岸田首相は「時間の経過、夜明けとともに被害状況が徐々に明らかになってきている」と語っている。

    時間の経過、夜明けとともに被害状況が徐々に明らかになってきている。被災者の救命救助は時間との勝負。特に建物の倒壊等による被害者は一刻も早く救出する必要がある。

    非常災害対策本部会議(第 1 回)議事録

     室崎氏は「被災状況の把握が直後にできなかったために、国や県のトップがこの震災を過小評価してしまったのではないでしょうか。初動には人災の要素を感じます。」と語った。室崎氏は岸田首相のように「時間の経過、夜明けとともに被害状況が徐々に明らかになってきている」というのと違うやり方を知っているのか?

     岸田首相が非常災害対策本部初会合を開くまでに時間がかかったことによって、震災対応が遅れたということにも疑問がある。

     自衛隊、警察には地震直後に石川県から派遣要請があって、動いていた。消防は要請されずに動いていた。

     岸田首相が第1回非常災害対策本部会議で言うように、自衛隊も、警察の広域緊急援助隊も、消防の緊急消防援助隊も非常災害対策本部会議の前から動いていたのであって、非常災害対策本部会議の後から動くのではない。

    自衛隊、警察の広域緊急援助隊、消防の緊急消防援助隊については、昨夜のうちに自衛隊の航空機などあらゆる手段をもちいて現地に部隊を進め、順次救命・救助等の活動を開始しているが、引き続き、部隊を最大限動員し、住民の安全確保を最優先に救命救助活動に全力を尽くしていただきたい。

    非常災害対策本部会議(第 1 回)議事録

     岸田首相が「部隊を最大限動員」することを求めていることは重要である。岸田首相を批判した人が語ったように、わざと小出しにすることを岸田首相は求めていない。

     早川氏は非常災害対策本部初会合が遅かったために次のようなことになったと語っている。

    1日20時03分の特定災害対策本部会議で決めた応急対策が、翌2日9時23分まで13時間継続した。本部長が防災担当大臣で、総理大臣でなかったことは自衛隊の士気に大きく影響しただろう。消防の救命救急活動も、必要最大限のものにはならなかっただろう。

    能登半島地震で政府の初動が遅れたのは誤って特定災害対策本部を設置したから

     しかし自衛隊も消防も自分達で情報を把握して、その情報に対応して動くのではないか?

     現実には兵庫副師団長が言うように、当初、自衛隊、警察、消防で「現状認識が共有されない」状況であった。それぞれの現状認識がバラバラであったということであろう。それぞれ「被災状況がわからない。被災地へどうやって行けばいいかもわからない。」という状況にあった。そこで「情報を『見える化』しましょう」ということになった。

     岸田首相・馳知事はその動きを妨げたのであろうか?

     早川氏は最後に次のように語っている。

    地震の翌日2日から4日まで、救命救急のために重要だとされる最初の72時間は冬の北陸地方にはめずらしい好天が続いた。風が弱くて視界もよく、ヘリコプターを飛ばすのに支障ない天候だった。不幸中に訪れたあの幸いを生かすことができなかったのが残念だ。

    能登半島地震で政府の初動が遅れたのは誤って特定災害対策本部を設置したから

     しかし自衛隊も警察も消防も地震発生直後から動いていた。そして発生後72時間を意識して動いていたのに、困難な状況があったのである。

     それに対して早川氏は何をすべきであったと言っているのであろうか?

    おわりに

     まとめよう。

     能登半島地震では、岸田首相は被災地の状況についてはじめは正確な情報が得られなかったが、次第に明らかになっていった。そのことは自衛隊なども同様だったようである。岸田首相個人の認識の甘さなどということではないようである。

     岸田首相個人の認識の甘さなどということを問題とするより、能登半島地震では「被災状況がわからない。被災地へどうやって行けばいいかもわからない。」という状況が生じたことを問題としなくてはならないのではないか?

     室崎氏は「被災地で起きていることを把握するシステムが機能しなかった」と語っているがどういうことか? そういうシステムがあったということか?

     能登半島地震では、自衛隊、警察、消防などは震災直後から動いていた。それぞれ独自に情報を集めて、その情報をもとにして動いていた。岸田首相・馳知事によってその動きを妨げられることはなかったようである。

  • 能登半島地震における自粛要請とそれに反対する思想

    能登半島地震における自粛要請とそれに反対する思想

     2024年1月に起こった能登半島地震では、これまでの地震で問題にならなかったことが問題になった。たとえば被災地能登への移動に対して自粛が要請されたことである。

     自粛の要請に対して反対する思想が出て来た。山本太郎議員の能登入りはその思想を代表するものであった。山本議員の能登入りを巡って両者の対立は高まった。

    自粛の要請

     能登半島地震が起こって間もなく、交通の問題が起こった。能登はもともと道路が限られているが、地震によってその道路が寸断された。そこで能登への支援物資輸送の妨げにならないようにということで、能登へ行くことを自粛することが求められた。

     馳知事も

     岸田首相も

    与野党党首会談

     1月5日に与野党党首会談が行われた。この与野党党首会談は能登半島地震における自粛に関して重要である。

     岸田首相は1月4日、野党に党首会談を申し入れた。

     時事通信は5日の記事で「首相側近の木原誠二幹事長代理が4日朝、党国対に野党との調整を要請し、実現に至った」という関係者の言葉を伝えている。

    https://www.jiji.com/jc/article?k=2024010501010&g=pol

     立憲民主党、公明党、日本維新の会、国民民主党、共産党はその申し入れを受け入れた。

     そうして1月5日に行われた与野党党首会談において、日本維新の会が当面の能登視察自粛を提言、6与野党は合意した。

     立憲民主党が与野党党首会談で当面の能登視察に同意したことは重要なことである。

     立憲民主党は2023年からパーティ券不記載問題で自民党を厳しく追及してるところであった。震災対応に関しても、与野党党首会談でも31項目からなる「『令和6年能登半島地震』に関する申し入れ」を渡して、内容の実現を求めている。

     しかし1月6、7、8日の3連休は国会議員が被災地に入らないようにすることについて合意するなど、力を合わせてもいた。立憲民主党は与野党党首会談で「復旧の妨げにならないように一般車両の乗り入れ規制について政府から全国的にメッセージを発信すること」を申し入れていたという。

    https://cdp-japan.jp/news/20240105_7196

     立憲民主党は震災に対しては「現場にいる党所属の近藤和也衆院議員と頻繁に連絡をとりながら対応」して、「党災害対策本部を開き、順次状況をヒアリングし、政府の後押しをしていきたい」というように、現場の実情を基にして「政府の後押し」をしていた。

    https://cdp-japan.jp/news/20240109_7201

     近藤議員は自民党石川県連代表の宮本周司参議院議員、石川3区の西田昭二衆議院議員と力を合せていた。

     そうして1月6、7、8日の3連休は国会議員が被災地に入らないようにすることについても合意していたのである。

     馳知事も1月6、7、8日の3連休の能登への不要不急の移動の自粛を求めた。

    山本太郎議員の能登入り

     ところが山本太郎議員は1月5日、能登に入った。与野党党首会談の日である。

     そして2日間「様々聞きとりした」という。与野党党首会談で国会議員が被災地に入らないようにすることについて合意した1月6、7、8日の3連休に入っている。

     自粛を提言した日本維新の会の音喜多議員が、山本議員の能登入りを非難することは当然のことである。

     その一方で山本議員の行動は、左派のインフルエンサーに支持されている。

     たとえば内田樹氏は山本議員に同意しているようである。総理大臣がやらなくてはならないのにやっていないことをやっていると語っている。

     山崎雅弘氏も山本議員の投稿を重要なものとみなしている。「いかなる従属的秩序にも属していない」ことによって、被災地の住民の実情について『「本当のこと」をありのままに言える』と考えているようである。

     ちなみに山崎氏はその1週間後、岸田首相の被災地訪問に対しては『現地視察の目的が「やってる感の宣伝に使う写真と動画を撮るため」なのが丸わかり』とか『本当に自国民の命や暮らしに「関心がない」』とか酷評している。山本議員に対して言ったことと正反対である。

     しかしたとえば音喜多議員によると、岸田首相は山本議員より前に山本議員が報告したことは知っていて、そのために動いていたのであるから、「自国民の命や暮らし」のために働いていたことになり、山本議員は被災地への交通を困難にさせたのであるから『自国民の命や暮らしに「関心がない」』ことになる。山本議員の方が『現地視察の目的が「やってる感の宣伝に使う写真と動画を撮るため」なのが丸わかり』と言われるのではないか?

     立憲民主党員であるが小西洋之議員が、6与野党の自粛に反対していることは重要なことである。立憲民主党の中でも小西議員のような人は、6与野党の自粛に合意した立憲民主党より、それに反対した山本議員に近い考えを持っているようである。

     近藤和也議員が自粛を求めたポストに対して、渡辺輝人弁護士が「自分は今回の能登半島の被災について門外の者だと言ってるのと同じでは」と言ったことは、多くの人に非難された。

     渡辺弁護士は、山本議員の能登入りをよしとする考えを持っているようである。

    まとめ

     2024年1月の能登半島地震への対応を巡って、SNSでは激しい対立があった。被災地への移動の自粛は、激しい対立が生じたことであった。

     ただしその対立は、自民党と立憲民主党の対立では必ずしもなかった。立憲民主党はむしろ自民党と合意していた。6与野党の合意と、それに対するれいわ新選組、左派インフルエンサー、立憲民主党左派の対立であった。

     能登半島地震では、被災地救援のために被災地への移動の自粛が要請されなくてはならないと言われた。

     それに対して後者は、制限に反対した。後者は、山本議員が言うように「あまりの政府の後手後手に、命が蔑ろにされている」という考えを持っているので、自身が観に行かなくてはならないということになる。

  • 能登半島地震―首相は新年会に出席してはいけないのか?

    能登半島地震―首相は新年会に出席してはいけないのか?

     2024年1月5日に岸田首相が新年会に出席したことについて、1月1日に起こった能登半島地震との関係で問題とされた。

     地震が起こった時に首相は新年会に出席してはいけないのか?

    経済3団体共催の新年会

     2024年1月5日、岸田首相は経済3団体共催の新年会に出席してあいさつした。

    HAYABUSA氏

     同日、HAYABUSA氏はその日の首相動静にそのことが記されていることを取り上げて、問題とした。

     HAYABUSA氏が問題としているのは、

    ・「こういう非常時に」首相が「新年会に挨拶に行くこと」は「常識的に有り得る話なのか」?

    ・「代理に任せるならまだ分かる」―ということは「代理に任せる」方がいいのにそうしなかったこと

    ・沖縄の玉城知事が首里城消失の時に「現地の予定を全てキャンセルして帰国した」ことと比較して、そうしなかったことを問題としている

     以上の主張に対しては疑問がある。

     玉城氏が首里城消失を知った2019年10月31日と比べられるのは、能登半島地震が起こった2024年1月1日であって、2024年1月5日ではないのではないか?

     玉城氏は首里城消失を知って、それから対応を始めなくてはならなかった。岸田氏は1月1日に地震が起こってから1月5日まで対応をしてきている。しなくてはならないことは、はじめに多くて次第に少なくなってくるのではないか?

     経済3団体の新年会に出席してあいさつすることは、どうしても止めなくてはならなかったことなのか? 積極的な意味はないのか?

     代理に任せるとよかったことなのか?

    2024年の経済3団体共催の新年会

     2024年の経済3団体共催の新年会は『名称から「祝賀」を取って「新年会」に変更』されたというように、震災に配慮して行われた。

    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240105/k10014310191000.html

    会場では3団体のトップが「金びょうぶ」の前で出席者らを出迎えるのが恒例でしたが、ことしは金びょうぶは取り除かれ、会の冒頭、出席者らは地震や事故で亡くなった人たちに黙とうをささげました。
    また、会場ではアルコールの提供もとりやめとなり、乾杯の発声も行われませんでした。
    経団連の十倉会長は、あいさつで「すでにさまざまな企業が物資の供給やインフラの復旧、生活サービスの維持、生活復旧支援などに取り組んでいる。経済界は引き続き、被災地の皆さまに寄り添った支援を行っていく」と述べました。
    経団連では会員企業に対して寄付や物資などの提供を呼びかけています。
    また、日本商工会議所も被災した地域の商工会議所で中小企業や小規模事業者の資金繰りなどの相談に応じる窓口の設置をサポートするなど、経済界でも支援の動きが進んでいます。

    NHK 経済3団体の新年会 祝賀ムードは自粛 地震被災地を支援の考え

     その後に各企業の代表が震災対応について語っている。

     経済界の震災に対する取り組みを明らかにする場としての意味があったのではないか?

     朝日新聞の1月6日の記事では次のように伝えられている。

     能登半島地震の被災地を支援する企業の動きが本格化している。食品や日用品大手の物資支援だけでなく、中には自社の「強み」を生かした取り組みも。被災地に向けては、5日に開かれた経済団体の新年の会合でも企業トップの発言が相次いだ。

    朝日新聞 山パン、日清、ユニ・チャーム 翌日から物資輸送→費用は国が後払い
    https://www.asahi.com/articles/ASS156QC2S15ULFA01M.html

     岸田首相はその新年会で「経済の好循環を確かなものにしていくためには物価上昇を上回る賃上げが不可欠だとして、実現に向けた経済界の協力を要請し」たという。

     震災対応とは別のことである。しかし経済のことを語ってはいけないのか? 経済のことは震災からの復興とも関わってくることではないか?

    山崎雅弘氏

     ところで「戦史/紛争史研究家」山崎雅弘氏はHAYABUSA氏の上の言葉を引用しつつ、さらに激しいことを言っている。

     首相の新年会出席は「災害対応の最高責任者である総理大臣が、生き埋めの被災者そっちのけで「財界人のご機嫌取り」を優先しているという話」であると言うのである。また「財界人との関係だけが大事で、下級国民は死んでても興味ない」とも語っている。

     これは言い過ぎではないか?

     第一に「生き埋めの被災者そっちのけ」とか「下級国民は死んでても興味ない」とかいうことは明らかではない。震災直後から震災対応を続けていた岸田首相がその間に新年会に出たことは、そのように言われなくてはならないことなのか?

     第二に経済3団体の新年会に出たことをもって『「財界人のご機嫌取り」を優先している』とか「財界人との関係だけが大事」とかいうことにも疑問がある。岸田首相はその新年会で財界人に対して賃上げを求めている。そして国民の所得が増加することを求めている。

     賃上げのことは、次の連合の新年互礼会と関わる。

    連合2024新年互礼会

     岸田首相は同日、連合の新年互礼会にも出席していた。

    https://www.gov-online.go.jp/press_conferences/prime_minister/202401/video-277511.html

     そこでもまず震災について述べた後、賃上げについて述べている。

     連合の新年互礼会ではまず芳野会長が震災に対する対応について語ったという。

     冒頭、芳野友子会長は主催者を代表し、1月1日の令和6年能登地方地震発生について、被災された方へのお悔やみとお見舞いを述べ、今後の連合の対応として、対策本部の設置や救援カンパ等の支援活動、政府・政党、経済団体への要請行動といった取り組みの実施を表明しました。

    聯合ニュース 連合2024新年互礼会を開催
    https://www.jtuc-rengo.or.jp/news/news_detail.php?id=2070

     2024年の連合の新年互礼会には、震災に対する取り組みについて表明すること、賃上げを求めること、という意味があったようである。

     連合の新年互礼会には、立憲民主党の泉健太代表も出席している。

    1月1日に発生した令和6年能登半島地震により大きな被害が発生したことを踏まえ、互礼会では予定をしていた鏡割りなどを取りやめ、また会の冒頭では犠牲者の方々を追悼する黙祷を出席者全員で行いました。
     互例会には泉代表の他、大島敦企業団体交流委員長らも出席し、連合や各産別の役員と懇談し、また能登半島地震の被害者の救命・救助、被災地の復興についても意見交換を行いました。

    立憲民主党公式サイト 泉代表、「連合2024新年互礼会」に出席
    https://cdp-japan.jp/news/20240109_7203

     ところで、鳩山由紀夫元首相は1月25日に、岸田首相が連合の新年会に出席したことについて「唖然とした」と語っている。

     岸田首相が新年会に出席したことを「初動の遅れ」と関係づけている。「対応の遅れが大きく命に関わる」とか「時間との勝負である」とか言うことはその通りだと思うが、岸田首相が連合の新年会に出席することによってそういう問題が生ずるのであろうか?

     連合の新年会に対して山崎雅弘氏の言葉はさらに激しくなっている。

     「常に電力会社を含む大企業側」というのは原発に対する態度について言っているようである。

     しかし「自民党や財界人など支配層との関係だけが大事で、下級国民は死んでても興味ない」と言うのは言い過ぎではないか? 連合の新年会では震災に対する取り組みについて意見交換されていたというのであるから、被災した国民のことを考えていたにちがいない。

    時事通信社の新年互礼会

     岸田首相は同日時事通信社の新年会にも出席していた。

    https://www.gov-online.go.jp/press_conferences/prime_minister/202401/video-277525.html

     山崎雅弘氏は時事通信社に対しても「住民が大勢生き埋めの状態で新年会に招いた」と強烈な言葉で責めている。

     しかし生き埋めの住民に対する政府の対応は、首相が数分新年会に出席するかどうかによって変わることなのであろうか?

     山崎氏は首相が新年会で震災について触れたところがいかに少なかったかを強調している。そして「すぐに経済の話」に移ったと言っている。そのことは岸田首相が「一般国民の命の重さ」を軽くみていることを現わしているというのである。

     しかしマスメディアの人が集まった新年会で、震災に対する取り組みについて述べることには意味があるのではないか? また経済について語ることは「一般国民」のためではないか?

     「時事通信社は岸田首相を新年会に呼んだことで、岸田首相の震災対応の不備を厳しく批判できなくなったのではないですか?」ということに関しては、時事通信社は山崎氏ほど岸田首相の震災対応は悪いときめつけることはしていないようである。

     たとえば1月5日の次の記事では、5日の4年ぶりの与野党党首会談、既に閣議決定した2024年度予算案を修正し、予備費を増額するよう財務省に指示したこと、元日の地震発生以来、首相は記者団の取材に毎日2回応じていることを取り上げて、「異例の対応を矢継ぎ早に繰り出している」と語っている。

    https://www.jiji.com/jc/article?k=2024010501010&g=pol

     そして岸田首相の意図について「派閥の裏金疑惑で内閣支持率が2割前後に落ち込む中、震災対応を通じて指導力を演出する意図もあるとみられ」ると推測している。

     たしかに岸田首相がいいところを見せるために震災対応に努力したという方が、山崎氏のように「財界人との関係だけが大事で、下級国民は死んでても興味ない」という断定より真実に近いと思われる。

     山崎雅弘氏の発言もう一つ。

     1月5日の新年会への出席は非難されなくてはならないことになっている。岸田首相は「失策の責任をごまかす人間」ときめつけられている。そういうことは検証がなされた後でなくては言うことはできないのではないか?

    2024年1月5日の新年会のまとめ

     ここで2024年1月5日の岸田首相の行動をまとめよう。

     まず、10時45分に自民党新年仕事始めに出席して、あいさつしている。

     14時7分にホテルニューオータニ「鶴の間」で経済3団体共催の新年会に出席し、あいさつ、20分には同ホテルを出ている。

     15時1分から46分まで国会で与野党党首会談。

     16時14分、東日暮里のアートホテル日暮里ラングウッドの宴会場「ラングウッドホール」で連合の新年互礼会に出席し、あいさつ。27分、同ホテルを出る。

     17時、帝国ホテルでエマニエル駐日米大使と面会。7分~15分、ホテル内の宴会場「富士の間」で時事通信社、内外情勢調査会など主催の新年互礼会に出席し、あいさつ。18分、同ホテルを出る。

    https://www.nhk.or.jp/politics/souri/2024/01/05.html

    おわりに

     岸田首相が新年会に出席したことを巡る議論は、震災という非日常的な災害と、日常的な行事とがどのように関わるか? という問題でもある。

     音喜多議員は「気遣いは心に持ちつつ、日常活動・経済活動はできるかぎり通常通り行うべきだと思います」と語っている。

     2011年の東日本大震災の時と比べると、2024年の能登半島地震では、日常的なものの復帰は早かったと思われる。NHKが早くから日常の放送を再開したことは話題になった。東日本大震災の時には日常的なものの自粛が長く続いていた。そしてそのことによる弊害も言われていた。

  • 能登半島地震ではヘリコプターを多用できたか? 「知識人」の発言の問題

    能登半島地震ではヘリコプターを多用できたか? 「知識人」の発言の問題

     2024年1月1日に起こった能登半島地震では、ヘリコプターを巡る議論が激しくなっていた。

     ヘリコプターを多用すべきであったにもかかわらず、多用していないという批判が早くから行われた。それに対して、多用することができない状況があったという反論がなされた。

     そのやり取りの中での「知識人」の発言は注目に値すると思われた。

    ヘリコプターを多用すべきだったという主張

     ヘリコプターを多用すべきであったという主張の例として、五百旗頭真ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長の言葉を挙げよう。

     五百旗頭氏は「元防衛大学校長で東日本大震災の国の復興構想会議で議長を務めた」人物である。

     ◆自衛隊の初動は今回、手抜かりがあったとみている。陸上自衛隊の全ての駐屯地に「ファスト・フォース」と呼ばれる初動部隊がある。24時間代わる代わる待機し、大きな災害があったらすぐに出動する部隊だ。最も被害が深刻だった石川県の輪島市や珠洲市は陸自の駐屯地がある金沢市から100キロも離れていた。道路が寸断され陸路から行けないと分かったら、すぐに海と空から救助に向かうことを決断しなければならなかった。
     ただ、海底が隆起して海から上陸することも難しかった。実際、発生2日目にはヘリ数十機の態勢を取ったというが、輪島市や珠洲市の寸断された集落への救助に時間を要した。今の自衛隊の能力からみればヘリ100機を出せたのではないか。陸からも、海からも大量の人員で救助に向かうことができないとなれば、空からの救助にすぐ切り替えなければならないのに、それができなかったのは非常に遺憾だ。

    毎日新聞 五百旗頭真氏がみる能登地震の対応 「自衛隊の初動に手抜かり」
    https://mainichi.jp/articles/20240301/k00/00m/040/350000c

    (この記事は2024年3月2日に配信されているが、五百旗頭真氏は3月6日に亡くなっている。亡くなる直前の記事である。)

     五百旗頭氏は能登半島地震に、他の地震と違う特殊な事情があったことを認めた。

    ・「道路が寸断され陸路から行けない」

    ・「海底が隆起して海から上陸することも難しかった」

     「陸からも、海からも大量の人員で救助に向かうことができないとなれば、空からの救助にすぐ切り替えなければならない」と五百旗頭氏は語る。

     ところが「今の自衛隊の能力からみればヘリ100機を出せた」にもかかわらず、「それができなかった」ことを五百旗頭氏は問題とする。そのことをもって「自衛隊の初動は今回、手抜かりがあったとみている」と言っているようである。

    現場の声

     「朝日新聞」の4月3日の記事「能登地震直後 自衛隊副師団長が呼びかけた情報共有、見えた支援方針」では、陸自第10師団の兵庫剛・副師団長のインタビューが載せられている。

    https://www.asahi.com/articles/ASS425WQJS36UTFK00B.html?iref=pc_ss_date_article

     まず『元日夕の発災直後、石川県庁の対策本部経由で自衛隊に「数百人単位のヘリコプター空輸」を要望された』というように、発災直後に石川県から「数百人単位のヘリコプター空輸」が求められていた。

     ところが「趣旨がわからない」という。

    ・「被災状況がわからない

    ・「被災地へどうやって行けばいいかもわからない

     兵庫氏は1月2日未明に石川県庁に着いた。そして「危機対策課に自衛隊と警察、消防が集まった」が、「現状認識が共有されない」状態であった。

     そこで兵庫氏が「情報を『見える化』しましょう」と言ったという。

     以上の兵庫氏の発言によると、五百旗頭氏が語るように「ヘリ100機を出せた」にもかかわらず出さなかったのではなく、「被災状況がわからない。被災地へどうやって行けばいいかもわからない。」という状況に対応せざるを得なかったようである。五百旗頭氏が語るように初動に「手抜かりがあった」のではなく、そうせざるを得ない状況があったようである。

     鬼木防衛副大臣は次のように語っている。

    ―初動が逐次投入との批判がある。

     情勢認識の差だ。地理的条件がほかの震災と全く違い、たくさんの人を入れられる状況ではなく、効果的でもなかった。政府はそこを認識した上で、適切な手順で人を入れた。きちんと状況を把握しつつ動くべきだ。2次被害もある。

    時事ドットコム 能登、大量投入「できる状況になし」 鬼木防衛副大臣インタビュー
    https://www.jiji.com/jc/article?k=2024012100192&g=soc

    伊賀治氏と地元民のやりとり

     SNSでは、ヘリコプターを使うことについて激しい論争が行われていた。

     その中で1月9日、伊賀治名誉教授と「地元民」を名乗る人との間に興味深いやりとりがあったので取り上げよう。

     1月8日、伊賀氏は画像を示して、被災地でヘリを使うことができないという主張を否定した。

     「できない理由を創作される方」というように、伊賀氏は、できない理由を言う人は、創作していると決めつけている。ないことをつくり出しているというのである。

     伊賀氏の主張に対して、地元民という人物が反論した。―ヘリが来ることのできるところにはすでに来ている。しかし能登には来ることのできないところが多いというのである。

     伊賀氏はその反論に対して、写真を示してヘリが降せないという主張に反対した。

     ここで「儲ける?」と言っているのは、伊賀氏の次の言葉に対するもの。

     伊賀氏は突然「付き合いきれんな」と言って「無視する」ことにしている。

     伊賀氏の主張と違うことが言われているのであるから、証拠を示して反論するか、相手の主張を受け入れるか、しなくてはならないと思われる。

     ところが、そういうことをせずに相手を「無視する」ことにして、自分の主張は正しいとして、相手の言葉は「儲ける」ためのものと決めつけている。

    「知識人」の陰謀論

     伊賀氏は上のやりとりの少し前のポストでは、次のように相手を「バイト」ときめつけている

     「ヘリが少ない」「初動が遅い」という伊賀氏の主張に対して反論してくる者は「バイト」であるというのである。―その背後に伊賀氏の「ヘリが少ない」「初動が遅い」という主張を「嫌がってる」者がいて、その者が「バイト」を使って伊賀氏に群がるようにしているというのである。

     しかしその背後に伊賀氏の「ヘリが少ない」「初動が遅い」という主張を「嫌がってる」者がいるということにも、その者が「バイト」を使って伊賀氏に群がるようにしているということにも、証拠はない。伊賀氏が想像しているだけのことのようである。

     根拠なく背後に動く力があるときめつけることを陰謀論という。

     仏文学者内田樹氏はそういう伊賀氏の言葉を引用して同意している。

     内田氏は「政府が決して触れて欲しくない」と語っている。伊賀氏は「ヘリが少ない」「初動が遅い」という主張を「嫌がってる」者がバイトを使っていると語ったが、「決して触れて欲しくない」のは政府だというのである。

     内田氏が『専門家だったら「ヘリを飛ばせるかどうか」の可否なんか自明のはず』と語っているところは重要なところである。内田氏も伊賀氏も、ヘリコプターを活用することはできるのに、活用されていない、という主張を「自明」のこととしている。

     「自明」のことに反対して「絡む」のは、そのことに「決して触れて欲しくない」政府によって動かされているにちがいないというのである。

     しかし上に挙げた伊賀氏と「地元民」のやりとりをみても、伊賀氏の正しさは自明ではないようである。

     「戦史/紛争史研究家」山崎雅弘氏も伊賀治氏の言葉を引用して次のように語っている。

     山崎氏も伊賀氏と同じように、伊賀氏に対する反論を「できない理由を創作」したものとみなしている。―「実際には「日本政府のやり方に問題はない」という結論から逆算して、それに都合のいい「知識の断片」だけをもっともらしく並べているだけです。」というように、日本政府のために正しくないことを「もっともらしく」語るものとみなしている。

     しかし上に挙げた「地元民」とのやりとりをみても、伊賀氏の正しさは自明ではないようである。

     逆に伊賀氏等の方が「実際には「日本政府のやり方に問題がある」という結論から逆算して、それに都合のいい「知識の断片」だけをもっともらしく並べているだけ」ではないかとも疑われる。

    おわりに

     2024年1月の能登半島地震では、能登半島の事情はどうなっているかということについても、どういう対応をしなくてはならないかということについても、議論が対立して、わかりにくくなっている。

     震災の実情を知ること、そしてどういう対応をすべきか知ることは、誰もが求めることである。そのことを妨げることは問題とされなくてはならない。

  • 能登半島地震 自衛隊の「逐次投入」批判は当たっていたか?

    能登半島地震 自衛隊の「逐次投入」批判は当たっていたか?

     2024年1月1日に発生した能登半島地震に対して、岸田首相の「初動の遅れ」に対する批判が早くからあった。自衛隊の「逐次投入」が批判された。

     しかし岸田首相等は、能登半島にはそれだけの事情があって、その事情に対応することをやってきたと語っている。

     能登半島の事情はどうであったか? その事情に対する自衛隊の対応はどうであったか? ということが問題となる。

    マスメディアの「初動の遅れ」批判

     能登半島地震に対する岸田首相の「初動の遅れ」、自衛隊の「逐次投入」を非難する記事は早く出ていた。

    Smart FLASH

     まず「Smart FLASH」の記事を取り上げる。1月4日の『「全くスピード感ない」岸田首相 自衛隊派遣の「初動1000人」に集まる疑問…識者も“人数不足”を指摘』と題する記事。

    https://smart-flash.jp/sociopolitics/267886/1/1/

     1月1日夜、1000人規模の自衛隊員が活動を始めたことを木原防衛相が明らかにしたことに対して、2022年12月の北陸地方の大雪の時と比べて少なすぎるという「政治ジャーナリスト」の言葉を載せている。

     2022年12月17日、北陸地方への大雪で、国道に多くの車が立ち往生したときは柏崎市・小千谷市・長岡市で延べ940人の自衛隊員が派遣され救助と復旧にあたりました。待機自衛官は8500人程度いたとされますが、今回の災害規模の初動で1000人は少なすぎます」(政治ジャーナリスト)

    Smart FLASH 「全くスピード感ない」岸田首相 自衛隊派遣の「初動1000人」に集まる疑問…識者も“人数不足”を指摘

     「前出・政治ジャーナリスト」はさらに東日本大震災の時とも比較している。

    「災害の規模・広さは大きく違いますが、防衛日報デジタルによると、2011年3月11日に発生した東日本大震災では、発生当日に約8400人の自衛隊員が派遣され、2日後の13日には5万人超、1週間後の18日には10万人超の隊員が派遣されたといいます。
     また3月12日には枝野幸男官房長官が会見で自衛隊の航空機300機、艦艇約40隻、海上保安庁の巡視艇322隻、航空機44機、特殊救難隊10名がすでに活動していることなどを明らかにしています。当時の民主党政権の対応が“迅速だった”と評価する声は後を絶ちません」(前出・政治ジャーナリスト)

    Smart FLASH 「全くスピード感ない」岸田首相 自衛隊派遣の「初動1000人」に集まる疑問…識者も“人数不足”を指摘

     他の災害、他の震災において派遣された自衛隊の数字と比較して、能登半島地震における自衛隊の派遣は遅く少ないという批判である。

     しかし「政治ジャーナリスト」という肩書で政府を批判するのはどういう気持ちだろうと思う。

    東京新聞

     次に東京新聞の1月6日の記事「自衛隊派遣、なぜ小出し?熊本地震時の5分の1 対応できない救助要請たくさんあったのに…首相の説明は。」

    https://www.tokyo-np.co.jp/article/300853

     この記事では、2016年の熊本地震の時に派遣された自衛隊員の数と比較して、「2016年に震度7を記録した熊本地震の5分の1にとどまる」と言い、「熊本地震と比べて規模が小さく見える。」と述べている。

     自衛隊の「逐次投入」を批判するのは立憲民主党の主張であった。

     立憲民主党の泉健太代表は5日、記者団に「自衛隊が逐次投入になっており、あまりに遅く小規模だ」と批判。別の立民幹部も「物資が届かず、被害の全容が明らかにならないのは、自衛隊員が足りない影響だ」と指摘する。

    東京新聞 自衛隊派遣、なぜ小出し?熊本地震時の5分の1 対応できない救助要請たくさんあったのに…首相の説明は

    岸田首相・木原防衛相の反論

     他の災害、震災の時と比べて能登半島地震における自衛隊の「逐次投入」を批判する声に対する岸田首相の反論を、東京新聞は次のように記している。

    (陸上自衛隊西部方面隊の拠点がある)熊本にはそもそも1万人を超える自衛隊が存在したが、今回は大規模部隊はいなかった。単に人数だけを比較するのは適当ではない

    東京新聞 自衛隊派遣、なぜ小出し?熊本地震時の5分の1 対応できない救助要請たくさんあったのに…首相の説明は

     次に木原防衛相の反論。

    道路の復旧状況も見ながら人数を増やした。逐次投入との批判は全く当たらない

    東京新聞 自衛隊派遣、なぜ小出し?熊本地震時の5分の1 対応できない救助要請たくさんあったのに…首相の説明は

     自衛隊の派遣は状況に対応して行われたというのである。

     読売新聞1月6日の記事では、「逐次投入」などと批判が出ていることに対する木原防衛相の反論は次の通り

    能登半島の中でも特に北部での被害状況が大きく、道路が寸断され、インフラ網が途絶えてしまっている今回の災害の特性を踏まえ、初期の段階では、航空機を活用した被害状況の把握に努めていた

    読売新聞 被災地の自衛隊員5400人体制に…防衛相、「逐次投入」批判に反論「被害把握に努めていた」
    https://www.yomiuri.co.jp/politics/20240106-OYT1T50125/

     東京新聞の記事でも岸田首相、木原防衛相の反論は載せられているが、全体の構成からみると政府を批判する方向に傾いているように見える。

     読売新聞の記事は「逐次投入」批判に対する木原防衛相の反論の方を中心として取り上げている。

     防衛省の「令和6年能登半島地震に係る災害派遣」をみると、「地域特性に応じた総合戦力の集中」を考えて自衛隊の派遣は行われていたように見える。

    令和6年能登半島地震に係る災害派遣
    https://www.mod.go.jp/js/activity/domestic/2024notohantou.html

     上に引用した「Smart FLASH」の記事でも触れられているように、1月1日に防衛省は1000人の隊員を派遣することにしていたが、その時に8500人を待機させていた。

     木原稔防衛相は1日、石川県能登地方を震源とする地震を受け、防衛省で記者団に「ファスト・フォース(初動対処部隊)が珠洲市と輪島市で既に活動している」と明らかにした。1000人の隊員が被災地への派遣に向け準備中で、8500人が待機中だとも説明した。

    時事ドットコム 自衛隊、珠洲と輪島で活動 木原防衛相「航空機20機が情報収集」―能登半島地震
    https://www.jiji.com/jc/article?k=2024010100295&g=soc#goog_rewarded

     1月1日には派遣する1000人と待機する8500人、合わせて9500人を動員していたことは、過去の震災と比べてそれほど少なくないようである。その中の1000人だけ派遣したことも、その後も過去の震災と比べて多く派遣できなかったことも、能登の特殊な事情に対応するためであったのではないか?

     1月22日の記事であるが、鬼木防衛副大臣は「逐次投入」との批判に対して、状況が他の震災と全く違うと語っている。

    ―初動が逐次投入との批判がある。

     情勢認識の差だ。地理的条件がほかの震災と全く違い、たくさんの人を入れられる状況ではなく、効果的でもなかった。政府はそこを認識した上で、適切な手順で人を入れた。きちんと状況を把握しつつ動くべきだ。2次被害もある。

    時事ドットコム 能登、大量投入「できる状況になし」 鬼木防衛副大臣インタビュー
    https://www.jiji.com/jc/article?k=2024012100192&g=soc

    問題

     そこで問題は、能登半島の事情はどうであったか? その事情に対する自衛隊の対応はどうであったか? ということになる。

     能登半島は、木原防衛大臣、鬼木防衛副大臣が語ったように、他の震災と全く違う状況であったか? 自衛隊の対応はその状況に対応したものであったか? その時に知りえたことをもとにした対応としてどうであったか?

     現場のことが明らかにされなくてはならない。

     その上で、自衛隊の対応について論ずることはできる。

    なおも他の震災と単純に比較する人々

     ところがその後も、能登半島の事情はどうであったか? という問題に答えずに、単純に他の震災と比較して政府・石川県の対応を非難する人は多かった。

    杉尾秀哉議員

     まず杉尾秀哉議員。1月6日午後11時8分に自衛隊の派遣状況を東日本大震災の時と比較して「政府の対応は遅すぎる」と批判している。

     「こんな非常時に政府を批判するな」とは思わないが、現場のことを明らかにしなくてはならない。岸田首相、木原防衛相が能登半島の特殊な事情を問題としているのに、そのことに答えずにただ東日本大震災の時の自衛隊の派遣状況と数字だけ比べて「政府の対応は遅すぎる」というのでは、現場のことを問題としていないのではないかと思われる。

    山崎雅弘氏

     次に「戦史/紛争史研究家」山崎雅弘氏。

     木原防衛相が「逐次投入」という批判に対して能登半島の状況に対応していたという言葉を載せた読売新聞の記事を引用して、熊本地震の時の数字と比較して否定している。木原防衛相の反論に答えていない。

     「これがもしミサイルの着弾による被害だったら?」ということも理解しがたい。

     山崎氏の頭の中では木原防衛相が迅速に動かなかったことは事実になっているようである。しかしそのことはまだ明らかになっていない。

     山崎氏は明らかになっていないにもかかわらず、「自民党政府は自国民を守る意識が異様に薄い」という結論に至ってしまっている。

    室崎益輝氏

     「防災研究の第一人者で、石川県の災害危機管理アドバイザーも務めてきた神戸大名誉教授の」室崎益輝氏の発言が1月14日の朝日新聞に出て来た。

    https://digital.asahi.com/articles/ASS1G2P91S1CUTFL01Y.html?ptoken=01HM4TTXGKTGQ19H6RE08WN9NW

     室崎氏も過去の震災の時と比べて、自衛隊、警察、消防が「小出し」であったことを問題としている。

     これまでの多くの大震災では、発災から2、3日後までに自衛隊が温かい食事やお風呂を被災された方々に提供してきました。
     でも今回は遅れた。緊急消防援助隊の投入も小出しで、救命ニーズに追いついていない。本来は「想定外」を念頭に、迅速に自衛隊、警察、消防を大量に派遣するべきでした。
     被災状況の把握が直後にできなかったために、国や県のトップがこの震災を過小評価してしまったのではないでしょうか。初動には人災の要素を感じます。

    朝日新聞 「初動に人災」「阪神の教訓ゼロ」 能登入りした防災学者の告白

     「被災状況の把握が直後にできなかったために、国や県のトップがこの震災を過小評価してしまった」ということは、事件直後にはあったかもしれない。しかし木原防衛相が言うように「今回の災害の特性を踏まえ」た対応と言うことはできないのであろうか?

     避難所への水や食べ物、物資の搬入が遅れたのは、半島で道路が寸断されるなどした地理的要因もありますが、被災地で起きていることを把握するシステムが機能しなかったことも要因です。それがトップの判断を誤らせています。
     迅速な初動体制の構築は、阪神・淡路大震災から数々の震災の教訓として積み重ねられ、受け継がれてきました。それが今回はゼロになってしまっている印象を受けました。

    朝日新聞 「初動に人災」「阪神の教訓ゼロ」 能登入りした防災学者の告白

     室崎氏は「半島で道路が寸断されるなどした地理的要因」を認めつつ、「被災地で起きていることを把握するシステムが機能しなかったこと」を問題としている。「被災地で起きていることを把握するシステムが機能しなかった」とはどういうことなのか? 何に問題があったというのであろうか?

     「迅速な初動体制の構築」が「今回はゼロになってしまっている印象を受けました」ということはどういうことであろうか?

     下の記事では室崎氏を批判して、「自衛隊やボランティアや重機といったあらゆる資源の「一斉投入」が、地震よりもさらに大きな二次災害を産み、被害者が一桁かそれ以上増えていても不思議ではなかった状況」であったとして、「政府が「資源の一斉投入」を行わず、焦らず逐次投入を行い続けたことは、多くの命を人知れず救ったスーパーファインプレー」と主張している。

    https://note.com/ishtarist/n/n097559ff813d?sub_rt=share_pb#cb1b3efb-e9ed-4841-83f4-6d668f38ff0a

     また「社会心理学領域における「災害ボランティアの専門家」の言説の検討――令和 6 年能登半島地震をめぐるマスメディア報道の問題性に関連して――」の註42でも論じられている。

    五百旗頭真氏

     「元防衛大学校長で東日本大震災の国の復興構想会議で議長を務めた」五百旗頭真ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長も自衛隊の初動を問題としている。

     ◆自衛隊の初動は今回、手抜かりがあったとみている。陸上自衛隊の全ての駐屯地に「ファスト・フォース」と呼ばれる初動部隊がある。24時間代わる代わる待機し、大きな災害があったらすぐに出動する部隊だ。最も被害が深刻だった石川県の輪島市や珠洲市は陸自の駐屯地がある金沢市から100キロも離れていた。道路が寸断され陸路から行けないと分かったら、すぐに海と空から救助に向かうことを決断しなければならなかった。
     ただ、海底が隆起して海から上陸することも難しかった。実際、発生2日目にはヘリ数十機の態勢を取ったというが、輪島市や珠洲市の寸断された集落への救助に時間を要した。今の自衛隊の能力からみればヘリ100機を出せたのではないか。陸からも、海からも大量の人員で救助に向かうことができないとなれば、空からの救助にすぐ切り替えなければならないのに、それができなかったのは非常に遺憾だ。

    毎日新聞 五百旗頭真氏がみる能登地震の対応 「自衛隊の初動に手抜かり」
    https://mainichi.jp/articles/20240301/k00/00m/040/350000c

     ヘリ100機を出せばよかったのに出さなかったというのである。

     ヘリコプターに関しては以下の記事↓

     五百旗頭氏は上の記事から間もない3月6日に亡くなっている。

    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240307/k10014381791000.html

     室崎益輝氏は「五百旗頭真さんとともに阪神・淡路大震災からの復興や防災・減災の対策について取り組んできた」ということであるが、能登半島地震の時には連絡がなかったという。

    大きな災害が起きるといつも電話で意見を求められましたが、ことし元日に発生した能登半島地震の際には電話がかかってこなかったので心配していました。

    NHK 政治学者 五百旗頭真さん死去 80歳 災害からの復興にも尽力

    おわりに

     能登半島地震には他の地震とは異なる事情があったのか? まずそのことが明らかにされなくてはならない。そのことが明らかにされないままでは、岸田首相、木原防衛相等のやったことがよかったか、悪かったかもわからない。

  • 能登半島地震―現場から離れた議論の問題 はじめに

    能登半島地震―現場から離れた議論の問題 はじめに

     2024年1月1日16時ころに能登半島で地震が起こった後、マスメディアでもSNSでも「現場から離れた議論」が生じていた。

     現場のことが知りたい。どのように救援活動が行われているか、支援が行われているか、知りたい。ところが現場のことがよくわからない。

     現場のことがよくわからないにもかかわらず、マスメディアでもSNSでも現場のことを決めつけることが盛んに言われた。そのために現場のことがわかりにくくなった。

    能登半島地震の震災対応を巡る議論

     2024年1月1日16時10分、石川県能登地方の深さ約15kmでマグニチュード7.6の地震が発生した。この地震によって石川県、富山県、新潟県に大きな揺れが起こったが、特に揺れが大きくて被害も大きかったのは石川県能登半島であった。

     地震調査研究推進本部地震調査委員会がまとめた「令和6年能登半島地震の評価」。

     ところで岸田首相・馳石川県知事の震災対応に対して、早くから非難する声があがっていた。

     能登半島地震の震災対応は、過去の震災の時と比べて数が少ないとか、動きが遅いとかいうことがあった。そのことによって非難されたのである。

     そういう非難に対して、能登半島地震には他の地震とは違う特殊な事情があったと言われた。

    ・もともと少ない半島の道路は地震によって寸断された。(1月3日の「令和6年能登半島地震による被害等の状況等について(土木部)」によると同日8時現在、「42路線87箇所」が通行止め)

    ・地震によって海岸が隆起して海路が使えなくなった

    山が多い地形で空路を使うことも容易でなかった

     能登半島地震では過去の地震と比べて交通が困難になっていた。それゆえに、その震災対応は他の地震の時と比べて、はじめから多くの人を投入することができず、時間がかかったというのである。

     そこで岸田首相・馳知事の震災対応を批判するとしても、能登の状況を掘り下げる方向でなされなくてはならないはずである。能登の現場はどうなっていたのか? そして現場の状況を踏まえると問題はどのように解決されるべきか? ということを明らかにする方向で議論は進まなくてはならなかったはずである。

     ところが現実には、能登の現場はどうなっていたのか? を明らかにする方向に進まずに、岸田首相・馳知事の震災対応を非難する方向に進む言説が、影響力のある人によって盛んになされていた。

     岸田首相・馳知事の「初動」について

     自衛隊の「逐次投入」について

     ヘリコプターを巡って

     自粛を巡る対立

     震災の時、首相は新年会に出席してはいけないのか?

    「現場から離れた議論」

     「現場から離れた議論」は批判されなくてはならない。特に震災においては現場を知ることが求められる。「現場から離れた議論」は、現場と現場から離れた人とを分断することになる。

     現場のことを知ることより、岸田首相・馳知事を非難することを優先しているのではないかと思われるものがあった。それでは現場のことを自分たちの政治的目的のための手段としていることになる。そういう主張は批判されなくてはならない。