ブログ

  • 池内恵東京大学教授がチャンネルくららに対してしたこと イスラエル・ハマス問題の手前で

    池内恵東京大学教授がチャンネルくららに対してしたこと イスラエル・ハマス問題の手前で

     2023年11月末、池内恵東京大学教授とチャンネルくららの間で対立が生じた。

     まず池内氏がチャンネルくららの番組を非難した。それに対してチャンネルくららは池内氏に答える動画を出した。

     その後の池内氏の言動は驚くべきものであった。

     池内氏は今度のイスラエルの行動に対して批判的であるが、池内氏自身、イスラエルと同じように必要がないところで敵を増やしている。

     そのことをどう受け取ればいいのか?

     池内氏は身を以て国際政治の問題を教えてくれている、と受け取ることをここでは提案する。

    流れ

     池内氏とチャンネルくららの間で起こったことは以下の通り。

    発端

     発端はチャンネルくららが11月16日に公開した次の動画。

    チャンネルくらら
    イスラエル・ガザ最大病院に突入 中東専門家はなぜ偏っている?陸海空軍人から見たシリーズ【チャンネルくらら】 2023/11/16

    池内氏の非難

     これに対して池内恵東京大学教授が次のように非難した。

     まず「中東専門家が偏っているか否かについて特に論証はなく」ということ。

     次に「シファー病院の包囲についてイスラエル側の事前の広報を鵜呑みにした議論はその後の展開と乖離しており」ということ。

     この2点を問題としている。

     そしてこのように小川元陸将を非難し、疑問を呈している。

     しかし、中東専門家はなぜ偏っているのか? ということについて、番組では小川元陸将以外の出演者が語ることが多く、小川元陸将はそれほど語っていない。

     それにもかかわらず、小川元陸将一人を名指しで非難していることには、違和感がある。

     池内氏が小川元陸将を名指しで非難しているのは、小川元陸将が病院のことを言っていたからであろうとは思う。しかし小川元陸将一人を名指しして、番組の中東専門家はなぜ偏っているのか? という題について問うかたちになっているので、違和感がある。

     番組に対しても、小川元陸将に対しても、丁寧に向き合わずに乱暴にやっていないかという疑問が生ずる。

     ちなみにチャンネルくららは「中東専門家はなぜ偏っているのか?」ということについて次のように説明している↓

    チャンネルくららの緊急配信

     池内氏はポストを連投してチャンネルくららの番組を非難し、疑問を呈した。

     そこでチャンネルくららは池内氏に答える動画を出した。

    チャンネルくらら
    【緊急配信】池内恵先生にお答えします 小川清史元陸上自衛隊西部方面総監・陸将 憲政史家倉山満 東京大学イスラム学研究室出身・救国シンクタンク客員研究員内藤陽介【チャンネルくらら】 2023/11/23

     この動画では、内藤陽介氏が司会して、小川元陸将、倉山満氏がそれぞれ自分の考えを述べている。そして公開討論を呼び掛けている。

     池内氏に対して礼を尽くした動画である。

     この動画をみて、これから理性的な議論が始まるのではないかと期待した。

    池内氏どこへいく?

     ところがその期待を破壊したのは池内氏であった。

     池内氏はチャンネルくららに答えずに、X(旧ツイッター)でチャンネルくららを非難し続けていた。

     そもそも小川元陸将がチャンネルくららの番組で池内氏に答えたことを問題としている。

     何を問題としているのかよくわからない。「事態を認識できていない」とは何なのか?

     チャンネルくららのその動画で「もし必要があれば、こちらの方にお越しいただければ、あるいは、必要があればこちらの方からスタッフが出向きますので、必要があればご議論の機会を設けたいとこちらは思っておりますので」と内藤陽介氏が言っていた。

     池内氏が求める答えをそれほど聞きたいのであれば、直接聞けばいいのではないか?

     池内氏こそ「事態を認識できていない」のではないかと思われる。

     池内氏が他の人とのやりとりで上のようなことを言っているところをみると、周りにいる人の言うことによって判断してしまっているのではないか? とも思われる。

     ロシアのプーチン大統領や中国の習近平国家主席は、取り巻きのイエスマンの言うことしか聞かず現実を知らないと言われることを思い出してしまう。

     一方的な感情をもった人たちが集まって感情ばかりを高め合って、周りを正しく見ることができなくなることがあるが、そういうことが起こっているのではないか? とも思われる。

     逆に言うと、池内氏の言動によって、安全保障に関して問題となることを考えることができるということもできる。

     いずれにせよ、池内氏の問題は議論の内容以前にある。

    「クーデター」

     池内氏はチャンネルくららの「中東専門家はなぜ偏っている?」という番組を「クーデター未遂事件っぽい」危険なものとみなしていた。

     あの番組をみて「クーデター未遂事件っぽい」という池内氏の想像力についていくことは困難である。

     東京大学の国際政治の専門家の想像力がそういうものでいいのか? と思ってしまう。

     そういうことについて考える機会を与えてくれていると受け取るべきであるかもしれない。

    暴言問題

     チャンネルくららから公開討論を呼びかけられているのに、池内氏は答えずにいた。

     そのことについて聞かれて、池内氏は次のように語っている。

     チャンネルくららのあれだけ礼を尽くした動画に対する言葉として、理解しがたいものである。

     司会をしていた内藤陽介氏に対しても、議論が深まることを求めていた倉山氏、小川元陸将に対しても、失礼である。

     そこで倉山満氏は次のように言った。

    https://office-kurayama.co.jp/?p=2107157

     そこに寄付したいという話があった。それを受けて、

     ところが池内氏はその倉山氏の言葉を問題として相手にしないと言い出した。

     池内氏は倉山氏の「アカハラ・パワハラ」云々という言葉を問題としているが、その言葉は、池内氏の「研究室に黙って若手人件費一年分寄付したら出てもいい」という言葉に答えたものである。

     池内氏が「私に「東大の若手教員の一年分の寄付」なんかさせたら」「アカハラ・パワハラしてさしあげます」というのである。池内氏の過大な要求を問題としているのである。

     問題は、池内氏がチャンネルくららの礼を尽くした討論の呼びかけに対して「研究室に黙って若手人件費一年分寄付したら出てもいい」と言ったことにあるのではないか?

     池内氏がそのことを問題とせずに、倉山氏のことを問題としていることにはどういう意味があるのか?

     「印象操作」ではないか?

     ここまでの池内氏とチャンネルくららのやりとりを見てきた者には、池内氏の言葉にこそ問題はあると思われる。

     ところが池内氏が倉山氏の言葉を問題とするところだけをを見た人には、倉山氏に問題があると思われる。

     池内氏の言葉を受けて倉山氏に問題があると受け取っている人は少なからずいた。「印象操作」が功を奏しているわけである。

     このような事態に対しては、池内氏が国際政治における印象操作の問題を身を以て教えてくれている、とでも受け取らなくては、救いがない。

     それにしても、ここでの池内氏の倉山氏に対する「非常識極まりない」とか「商売の種にしようと寄って来る人」とか「付き合っちゃいかん筋の人」とかいう言葉は、そこまで言っていいのか? と他人事ながら心配になる。

     印象操作においては強い言葉を使うほど効果があるということを考えさせてくれていると受け取るべきであろうか?

     その印象操作に乗った国際政治学者が一人。

     倉山氏の言葉を「絶対に合意できない条件突きつけて」「明確に契約を成立させたくないという意思表示」とみなしていることに驚く。

     その前の池内氏の「研究室に黙って若手人件費一年分寄付したら出てもいい」という言葉こそ「絶対に合意できない条件突きつけて」「明確に契約を成立させたくないという意思表示」ではないのか?

     この人が引用している倉山氏の記事にもそのことは書いてある。倉山氏は池内氏が「私に「東大の若手教員の一年分の寄付」なんかさせたら」ということを問題としている。その前の池内氏の言葉があったからこそ、倉山氏はそう言っているのである。

     この国際政治学者はそのやりとりを知っているのか? 知っていないのか?

     そのことを知っていて、その上でそのように語っているとすると、都合のいいように歴史を切り取って印象操作をしている、という困ったことになる。

     そのことを知らずにそのように言っているとすると、そのくらいのことを確かめもせずに、印象操作されるままに攻撃を行っている、というこれまた困ったことになる。

     いずれとしても困ったことになる。

     印象操作の問題について教えてくれていると受け取らなくては、救いがない。

     印象操作は拡散されて、集団によって攻撃する手段になる、ということをも教えてくれる。

     この国際政治学者は、倉山氏から「揶揄されている国際政治学者」と自ら認めているのであるが、倉山氏と戦っていることにおいて戦わずに、倉山氏が暴言を吐いているという池内氏による印象操作に乗って、倉山氏を攻撃しているのである。

     ついに池内氏は次のように言うに至った。

     いつの間にか池内氏が番組に出ることを脅迫されたという話になっている。

     そもそもチャンネルくららの番組を非難しておいて、チャンネルくららから礼を尽くした公開討論の呼びかけを受けたにもかかわらず答えずにいて、「研究室に黙って若手人件費一年分寄付したら出てもいい」と言ったことを、池内氏は忘れてしまったのか?

     印象操作をするにはここまで堂々としていなくてはならないということを身を以て教えてくれているのか?

     それともそう思い込んでしまっているのか?

    おわりに

     2023年10月7日にハマスがイスラエルを襲撃してから、ガザ地区の問題は多くの人の関心を集めている。

     ところで日本では、その問題を巡って学者の間の戦争が激しくなっている。

     ここで取り上げた池内氏と倉山氏の対立はその一つということができる。

     池内氏はその前から他の相手と戦っていて、チャンネルくららに対してもちゃんと向き合わずに、思い込みで攻撃したように見える。

     そうだとすると、これまた戦争中の誤爆のようなことになる。

  • 「犯人の思う壺」? 安倍元首相銃撃事件以後の動きについての考察 ②紀藤弁護士等

    「犯人の思う壺」? 安倍元首相銃撃事件以後の動きについての考察 ②紀藤弁護士等

     安倍元首相が殺害された後、日本の社会も政府も犯人の望みを叶える方向に進んでいるのではないか、「犯人の思う壺」になる方向に進んでいるのではないか、と言われている。

     そのことについて詳しく考える。

     関連記事↓

     犯人の望みを叶える、ということは、犯人の望みと、それを叶える動きとからなる。

     まず安倍氏を銃撃した山上徹也の意図について↓

     次に犯人の望みを叶える動きについて考える。

     ここでは事件の後の日本を導いてきた紀藤正樹弁護士を取り上げる。

    紀藤弁護士の二つの主張

     事件の後の紀藤弁護士の主張は、7月11日の紀藤弁護士のツイートにおいて明確に示されている。

     紀藤弁護士の7月11日のツイートには二つの主張がある。

    ・安倍氏殺害事件は統一教会の反社会性が暴発したもの

    ・安倍氏殺害事件は安倍氏が統一教会に対して適切に対処しなかったゆえに起こった

     第1の主張によると、事件の原因は統一教会の「反社会性」にある。

     問題を解決するためには、統一教会の「反社会性」をどうにかしなくてはならないということになる。

     第2の主張によると、事件の原因は政治家と統一教会の関係にある。

     問題を解決するためには、政治家と統一教会の関係をどうにかしなくてはならないということになる。

    その後の流れ

     その後、紀藤弁護士は統一教会の専門家のようなかたちで盛んにテレビに出演して、上のような主張を広めた。

     マスメディアも紀藤弁護士の主張する通りに統一教会の「反社会性」を問題とし、統一教会と政治家の関係を問題とした。

     共産党、そして立憲民主党もそのことを問題とし、岸田首相もそのことを問題とするに至った。

     たとえば2022年8月31日、岸田首相は、自民党所属国会議員は統一教会との関係を絶つと宣言した。

    https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2022/0831kaiken2.html

     これは紀藤弁護士等の第2の主張を受けたものということができる。

     第1の主張に関しては、紀藤弁護士はテレビで盛んに語ったほかに、2022年8月26日から開催された消費者庁の「霊感商法等の悪質商法への対策検討会」に委員として参加している。(霊感商法等の悪質商法への対策検討会の開催について

     岸田首相はそういう紀藤弁護士等の動きを受けて、2022年末に新法を成立させるに至った。

    https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2022/1210kaiken.html

     そして2023年10月13日、岸田政府は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に対して解散命令請求を行うに至った。

    https://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/detail/mext_00421.html

     紀藤弁護士は「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に対する解散命令請求に関して、令和5年10月12日に行われた」盛山正仁文部科学大臣の臨時記者会見を「歴史に遺すべき素晴らしい」会見と評している。

     紀藤弁護士の望む通りのことを岸田政権は行ったということである。

     このように、紀藤弁護士の事件後の主張は7月11日のツイートにまとめられており、その主張にマスメディア、野党、そして岸田政権は従っていったのである。

    犯人の望みを叶える

      紀藤弁護士の主張を「犯人の望みを叶える」ということから考えてみよう。

    紀藤弁護士の主張と犯人の主張

     事件後の紀藤弁護士の二つの主張は、山上被告の二つの主張と対応している。

     統一教会の「反社会性」をどうにかしなくてはならないという紀藤弁護士の第1の主張は、統一教会について「人類の恥」という山上被告の考えと近いようである。

     政治家と統一教会の関係をどうにかしなくてはならないという紀藤弁護士の第2の主張のうち、安倍元首相と統一教会のこれまでの関係には問題があったということは、安倍元首相と統一教会の関係ゆえに安倍元首相を撃ったという山上被告と近いようである。

     紀藤弁護士の主張によって統一教会に対する解散命令請求が行われるに至った流れは、山上被告が望むものであったのか、よくわからない。

     紀藤弁護士の主張によって岸田首相が自民党議員と統一教会の関係を絶つと宣言するなどの流れは、山上被告が望むものであったのか、よくわからない。

     いずれにせよ、紀藤弁護士は山上被告と同じ考えを持っていて、その考えを推し進めた限りにおいて、犯人の望みを叶えている、ということができる。

     ただし、紀藤弁護士はもともと持っていた自分の考えによって動いているのであって、山上被告の望みを叶えているのではないというであろう。

    問題のすり替え

     いずれにせよ、紀藤弁護士はその考えのために、問題のすり替えを行っている。

     その7月11日のツイートでは、

     第1に、安倍元首相殺害事件は統一教会を恨んでいるという人物の反社会性が暴発したことであるにもかかわらず、紀藤弁護士は統一教会の反社会性が暴発したこととしている。

     第2に、安倍元首相殺害事件は犯人のせいで起こったことであるにもかかわらず、安倍氏に責任があるとしている。

     安倍元首相殺害事件において、統一教会の「反社会性」は明らかではない。統一教会と政治家の関係の問題は明らかではない。しかし紀藤弁護士はそのことこそ事件の原因だと語った。

     それに対して安倍元首相殺害事件において、犯人の暴力は明らかであるが、紀藤弁護士はそのことを問題としない。

     統一教会の「反社会性」をどうにかしなくてはならないとか、統一教会と政治家の関係をどうにかしなくてはならないとかいうことは、事件の前からの紀藤弁護士の主張である。

     その主張によって、問題のすり替えは行われた。

     マスメディアは紀藤弁護士の問題のすり替えに乗った。

     安倍元首相殺害事件に対して、犯人を問題とせず、統一教会を問題とし、統一教会と政治家の関係を問題とすることによって、関心は犯人から統一教会、政治家に向けられた。統一教会、政治家に対する追及が行われるうちに、犯人のことはかえりみられなくなっていった。

     そのことは犯人の考えと同じである限りにおいて、犯人の望みを叶えるものということができる。

     紀藤弁護士の言動において注意すべきは、そういう問題のすり替えである。

    反社会性

     紀藤弁護士は統一教会の「反社会性」を問題としているが、紀藤弁護士の問題のすり替えこそ問題とされなくてはならないことではないか?

     紀藤弁護士は、安倍元首相殺害事件という重大な事件に対して、加害者を被害者とし、被害者を加害者として秩序を混乱させた。

     その後の統一教会の問題、統一教会と政治家の関係の問題に対する追及は、いずれも紀藤弁護士等によって必ずしも十分な根拠なしに行われた。

     そういう紀藤弁護士が現実には日本の政治を動かしていった。

     紀藤弁護士は統一教会の「政治への浸透」を問題としたが、そういう紀藤弁護士の「政治への浸透」が現実には起こっている。

     紀藤弁護士は、統一教会は「組織的な政界浸透作戦」を行ってきたと主張した。それに対して日本は「対処法を持たなかった」と主張していた。

     しかし安倍氏殺害事件以後、紀藤弁護士等の主張によって、政府が解散命令請求を行うに至った流れは、紀藤弁護士自身による「政治への浸透」が成功したことを示すことである。

     そのことはまた、紀藤弁護士が「政治への浸透」を問題とした統一教会は、そういう紀藤弁護士の「政治への浸透」に対抗することができるほど「政治への浸透」を行っていなかった、ということを示すことでもある。

     そもそも紀藤弁護士が語ったような統一教会の「政治への浸透」があったのか? ということが問題となる。

    7月12日の声明と記者会見

     事件後の紀藤弁護士の考えは、これまで述べてきたように7月11日のツイートに示されているが、その考えが広く示されたのは7月12日の全国霊感商法対策弁護士連絡会の声明と記者会見であった。

     紀藤弁護士も加わっている全国霊感商法対策弁護士連絡会は7月12日「安倍晋三元首相 銃撃事件に対する声明」を出した。

    https://www.stopreikan.com/seimei_iken/2022.07_seimei_abe.htm

     紀藤弁護士もツイッターでその声明について知らせている。

     その声明を読み上げる記者会見が行われて、紀藤弁護士等がその声明の趣旨を敷衍している。

    ニコニコニュース ノーカット版【”統一教会”の献金などの活動を非難】紀藤正樹弁護士ら全国霊感商法対策弁護士連絡会が記者会見 2022/07/20

     向うからこちらをうかがうような山口弁護士の表情が印象的。

     文字起こし↓

    https://www.mbs.jp/news/feature/kansai/article/2022/07/090064.shtml

     この声明・記者会見から、世の中の論調が、犯行に対する非難から統一教会に対する非難に導かれていった。

    声明 代表世話人山口広弁護士

     記者会見では、はじめに声明が川井康雄弁護士によって読み上げられた。

     そしてまず代表世話人の山口広弁護士がその声明に関して発言した。

    会見の意図

     山口弁護士のはじめの言葉はこの会見の意図を明らかにしている。

    今日の会見設定を弁護団で決めた理由はですね、この声明に掲げています2と3と4につきます。

    MBSNEWS 【記者会見の全容】「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の会見『夫からの暴力』『自己破産』旧統一教会の二世信者も出席し”苦悩” 語る

     「この声明に掲げています2と3と4」とは何か?

     声明は1から5まである。

     1は犯人の行為は「許されない」と言うもの。

     2は、統一教会の献金による苦悩、教会に対する憤りを問題として「今回の行為は決して許されることではありませんが、こうした問題に対し社会としてどう取り組むべきかが改めて問われているとも思います」というもの。「行政も政権を担う党の政治家もこの30年以上何も手を打ってきませんでした」ということを問題としている。

     3は、安倍氏が統一教会の関連団体UPFにビデオメッセージを送ったような行為を非難するもの。

     4は、統一教会の霊感商法や勧誘の手口の問題に対する理解を求めるもの。

     5は、報道によって現役信者が傷つき苦しむことへの配慮をもとめるもの。

     弁護団がこの会見設定を決めた理由は「2と3と4につきます」ということは、弁護団が会見を開いて訴えたいことは、声明の2と3と4につきる、ということである。

     2と3と4は、統一教会の問題に対して手を打たなくてはならない、政治家のこれまでの統一教会との関係には問題があって改めていかなくてはならない、というものである。

     そのほかの1も5も会見で訴えたいことではないというのである。

     1の、犯人の行為に対して「許されない」と言うことは、会見で訴えたいことではないというのである。

     5の、報道によって現役信者が苦しむことへの配慮をもとめることも、会見で訴えたいことではないというのである。

     この会見は、事件を起こした犯人を問題とせず、事件との関係の明らかではない統一教会を問題とし、統一教会と政治家の関係を問題とするものだというのである。

     「安倍晋三 元首相 銃撃事件に対する声明」と題する声明、そしてその声明を読み上げる記者会見であるにもかかわらず、その銃撃という犯行は軽く扱われているのである。

     声明においても、記者会見においても、はじめに犯人の行為に対して「いかなる理由があろうとも決して許されないことです」と言うが、そのことについてはそれだけで終わる。そしてその後に別の問題が重要な問題として語られる。

     産経新聞は事件の1年後の2023年7月に、「殺人は許されないが」と前置きして、その後に「テロリストと背景・動機を絡め、過度に意味を与える」言説を批判する記事を出した。

    https://www.sankei.com/article/20230712-LUYNEDZCNVOCJCMBU2NJCE4CPQ/

     そういう言説は弁護士連絡会の2022年7月12日の声明、記者会見に始まっている。

     弁護士連絡会の2022年7月12日の声明、記者会見を問題としなくてはならない。

     声明の3において、安倍氏がUPFにビデオメッセージを送ったことを問題として、「統一協会のために人生や家庭を崩壊あるいは崩壊の危機に追い込まれた人々にとってたいへんな衝撃でしたし、当会としても厳重な抗議をしてきたところです。」というところも問題とされなくてはならない。

     安倍氏のビデオメッセージはそのような非難を受けなくてはならないものではない。

     それにもかかわらず、被害者である安倍氏を、十分な根拠なしに加害者であるかのように語っているのである。

     7月8日の安倍元首相殺害事件から間もない7月12日に、安倍元首相殺害事件という重大な事件の問題をすり替え、加害者を被害者とし、被害者を加害者とする記者会見が弁護士団体によって行われた。

     そしてその後、マスメディアはその弁護士団体の弁護士や同じ考えをもった学者、ジャーナリストばかりを出演させて、その論調が日本を覆った。

    犯人の望みを叶える?

     7月12日の声明、記者会見は、紀藤弁護士の7月11日のツイートと同じく、統一教会を悪としてその問題を追及しなくてはならないということ、そういう統一教会と政治家の関係を問題とするものである。

     その主張には、犯人の考えと同じところがあると思われる。その限りにおいて犯人の望みを叶えるものということができる。

     事実は明らかになっていないのに、「山上被疑者の苦悩や教会に対する憤りも理解できます」と理解を示していることは、犯人のことを理解しているのか? いないのか?

     犯人との関係ということでは、山口弁護士が「山上さんのお母さん」と言っているところは気になるところである。

    私達が許せないのはですね、山上さんのお母さんが、平成14年、2002年に奈良地裁で自己破産しています。この自己破産は明らかに統一教会に対する過度の献金のためですよ。それ以外考えられませんよ。それを昨日の記者会見では、あたかも他人事のように言った上で、その後の言及はありません。おそらく献金させてます。

    MBSNEWS 【記者会見の全容】「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の会見『夫からの暴力』『自己破産』旧統一教会の二世信者も出席し”苦悩” 語る

     母親に対して「さん」をつけているのであろうか? それとも安倍元首相を銃撃した人物に対して「さん」をつけているのであろうか?

     その言葉に続く山口弁護士の言葉も、推測に過ぎないことを事実と断定する、思い込みが強い考え方が現れているので、取り上げておこう。

     「昨日の記者会見」とは、7月11日の世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の田中富広会長の記者会見である。それに対して異を唱えているのである。

    MBS NEWS
    【ノーカット】「旧統一教会」が会見『山上徹也容疑者の母親は会員、破産も把握』『高額献金要求かの記録はない』【安倍元総理銃撃事件】

     この記者会見において田中会長は「犯行の動機や一部メディアで報じられている献金問題に関しましては、警察が捜査中であると思われますので、この場での言及は避けさせていただきます」と言う。そして「この御家庭が破綻された諸事情は私どもも把握しておりません。そして現場に問い合わせても、なお当時のことを分かっている方もおられなくて、把握しきれていないのが現状です。ただ破綻されていたということは知っております」と語っている。

     山口弁護士はこういう発言を非難して「あたかも他人事のように言った上で、その後の言及はありません」と言うのである。

     しかし、20年前の事実について「この自己破産は明らかに統一教会に対する過度の献金のためですよ。それ以外考えられませんよ。」と根拠なしに推測で決めつけている山口弁護士は正しいのか?

     「把握しきれていない」という田中会長は正しくないのか?

     ちなみにこのことに関して次のような文春の記事がある。

     ある信用調査会社によると、1996年度まで黒字が続いていた会社は母親が社長を引き継ぐ前年の1997年度には4000万円を超える負債を抱え、その後銀行からの融資も認められなくなった。2002年には母親が自己破産。2009年から2017年までは、統一教会側も連絡が取りづらい状態が続いたという。

    《安倍元首相銃撃》「母親はつながりが切れない、縁が切れない」親族が明かす山上徹也容疑者(41)の母親への“葛藤”と“宗教2世”の深い苦悩「私たちには幸福追求権がない」

    https://bunshun.jp/articles/-/55887?page=4

    紀藤弁護士

     7月12日の記者会見では紀藤弁護士も発言しているが、そこでも問題のすり替えを行っている。

     紀藤弁護士はまず、安倍元首相の殺害事件に、石井紘基氏の殺害事件の時の自分の経験を重ねて、「どれほど罪作りなのか」という。

    1人の政治家をですね、自分の意見と違うとか、その自分の立場と違うとかあるいは怨恨とかですね、そういうことで殺めることが、どれほど罪作りなのかっていうのは、正直言ってとても重いものだと思います。

    MBSNEWS 【記者会見の全容】「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の会見『夫からの暴力』『自己破産』旧統一教会の二世信者も出席し”苦悩” 語る

     ここまでは、罪を重く考えているようである。

     ところが今度の事件の背後の話になって次のように語る。

    でも、そのエネルギー、今自民党の政治家の人たちも…当然悲しみの中に憤りをお持ちだ、それはもう十分わかります。ですけどこの事件の背景に何があったか、つまりそのエネルギーを向けてほしいのはむしろ巨悪なんです。(中略)今回の事件も、単純にその個人の怨恨なのか、個人の怨恨が引き金になったっていうのはその背後には、統一教会のですね、かなり過酷な、献金ノルマみたいなものがあって、そして家族が崩壊したと、それが怨恨に繋がった可能性もありますよね。そうするとですね、やっぱりこれは憤りの対象の対象はですね、個々の信者とかに向けられるものではなく、やっぱり統一教会、巨悪にも向け向かうべきだと私は思います。

    MBSNEWS 【記者会見の全容】「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の会見『夫からの暴力』『自己破産』旧統一教会の二世信者も出席し”苦悩” 語る

     まさに問題のすり替えである。

     事件の背景には統一教会があるゆえに統一教会を「憤りの対象」とすべきだというのである。

     犯行に対する憤り、犯人に対する憤りを、統一教会に向けてほしい、向かうべきだと紀藤弁護士は言う。

     何故か? 統一教会の献金が「怨恨に繋がった可能性」がある、「そうするとですね、やっぱり」憤りは統一教会に向かうべきだと紀藤弁護士は言う。

     山口弁護士と同じく、可能性があるにすぎないことを事実のようにみなして、統一教会に憤りを向けるべきだというのである。

     犯人に対する憤りを統一教会に向けるということは、犯人の望みを叶えることかどうか、わからない。しかし統一教会は憤りを向けられるべき団体だということは、犯人の考えにちがいない。

     ちなみに紀藤弁護士が殺害された安倍元首相と重ねている石井紘基氏は、紀藤弁護士とともに反統一教会運動をしていた政治家である。

    渡辺博弁護士

     その他の弁護士の発言についても考えておこう。

     渡辺博弁護士は記者会見において、統一教会に対する非難、政治家のこれまでの統一教会との関係に対する非難に終始している。

     統一教会については次のように語っている。

    全ての財産は神様、今で言えば韓鶴子様のもので全て捧げなさいというのが残念ながら統一教会の教えですから、その結果が家庭崩壊になってしまうということです。

    MBSNEWS 【記者会見の全容】「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の会見『夫からの暴力』『自己破産』旧統一教会の二世信者も出席し”苦悩” 語る

     統一教会の教えでは信者は必ず「家庭崩壊になってしまう」というのであるが、これは事実であろうか?

     教えによってそうなると語っているところによると、事実を観察した上でそう言っているのではないのではないかと疑われる。

     常識的に考えて、その教えによって信者が必ず「家庭崩壊になってしまう」ような団体が、何十年もの間、一時期を除いてそれほど話題にならずに続いているということは、理解しがたい。

     ちなみに渡辺弁護士の「全ての財産は神様、今で言えば韓鶴子様のもので全て捧げなさいというのが残念ながら統一教会の教え」という言葉は、山上被告が米本氏に送った手紙の中の次の言葉と似ている。

    世界の中の金と女は本来全て自分のものだと疑わず、
    その現実化に手段も結果も問わない自称現人神。

    REUTERS 元首相銃撃、手紙で示唆か

     たまたま同じようなことを考えたのであろうか? 影響を受けたのであろうか?

     いずれにせよ、渡辺弁護士は山上被告と同じような考えをもっていて、それを推し進めようとしている。望みを叶えようとしているようである。

     次に政治家と統一教会の関係について。

    統一教会の被害者にとっては、政治家との繋がりがあるから、警察がきちんとした捜査をしてくれないというような思いがずっとあると思います。私どもにもあります。ぜひその点を、国会議員の先生方は、今回の事件を気にしていても、あの考えていただきたい。

    MBSNEWS 【記者会見の全容】「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の会見『夫からの暴力』『自己破産』旧統一教会の二世信者も出席し”苦悩” 語る

     渡辺弁護士は「政治家との繋がりがあるから、警察がきちんとした捜査をしてくれない」ということを問題としているのである。

     しかしそういう「ような思い」が統一教会の被害者に「ずっとあると思います」とか、「私どもにもあります」とかいうところをみると、証拠なしに思っているだけではないかと疑われる。

     ちなみに山上被告が同じようなことを語っていたということが伝えられている。

     一方、山上容疑者に誘われて西大寺の飲食店で食事をしたことがあるという男性は、山上容疑者からある悩みを打ち明けられていたという。
    「(略)
     山上さんは続けて、『統一教会は、安倍と関わりが深い。だから、警察も捜査ができないんだ』と、あまり感情を出さない山上さんが、怒りにまかせたように話していました」

    Smart FLASH 安倍元首相銃撃の山上容疑者 優等生バスケ少年を変えた“統一教会で家庭崩壊“…事件前には近隣トラブルで絶叫【原点写真入手】
    https://smart-flash.jp/sociopolitics/190743/1/1/

     たまたま同じようなことを考えたのであろうか? 影響を受けたのであろうか?

     いずれにせよ、渡辺弁護士は山上被告と同じような考えをもっていて、それを推し進めようとしている。望みを叶えようとしているようである。

    郷路征記弁護士

     次に郷路弁護士。

    私達がやっている仕事の限りでは、統一教会は100%の悪であり、山上容疑者のお母さんも、それに発生して、山上容疑者自身も、その限りでは、統一教会との関係に限定すれば100%の被害者です。

    MBSNEWS 【記者会見の全容】「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の会見『夫からの暴力』『自己破産』旧統一教会の二世信者も出席し”苦悩” 語る

     「私達がやっている仕事の限りでは」というのは、統一教会から「被害者」、「信者」を救済するという仕事の観点から見る限りでは、ということであろうか。

     しかしそもそも事実が明らかになっていないのに「統一教会は100%の悪であり、山上容疑者のお母さんも、それに発生して、山上容疑者自身も、その限りでは、統一教会との関係に限定すれば100%の被害者です」ときめつけることは、異様である。

     郷路弁護士は、統一教会の信者は皆被害者であるという理解しがたい思想を持っている。

    私達は、山上容疑者のお母さんが脱会してきた場合、そのお母さんの依頼を受けて、お母さんを被害者として、加害者である統一教会に対して損害賠償請求訴訟を提起し、統一教会から、献金として、取られたお金を回収して、それをお母さんにお渡しして、それをもとに、できるのであれば、失われた傷ついた家族の絆を回復していただきたい。失われた人生のいくらかでもとり戻していただきたい。そういった気持ちで仕事をさせていただいています。

    MBSNEWS 【記者会見の全容】「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の会見『夫からの暴力』『自己破産』旧統一教会の二世信者も出席し”苦悩” 語る

     現在信者であって統一教会等に対して被害を訴えていない人をも、被害者とすることを考えているのである。そして統一教会を訴えさせることを考えているのである。

     統一教会の信者として満足している人のことを考えていないのである。

     郷路弁護士の「統一教会は100%の悪」ということは、山上被告の考えと同じようである。

     その考えを推し進めることは、犯人の望みを叶えることになるのではないか。

    二世

     記者会見には「顔も声も一切出さない、本日の会見で一切そのその後の取材等もなしという前提」で話をした二世信者が次のように語っている。

    犯人のしたことに関しては、何一つ擁護することもないですし、正しいと思ってもいませんが、ただ、人生を統一教会によって破綻させられた身としては、理解できてしまうという苦しい心情があります。やったことに関しては、私は反対をして、反対というか間違っていると思いますが、それだけ統一教会は人生を破壊します。統一教会に関わってきた人たち、また二世と呼ばれる人たちがどんなに苦しい思いでいるかということも私はよく理解できます。そこの思いがですね、正しい方向に報道されて、今まで放置されてきたこの問題が少しでも解決に向かう方向に進んでいってくれればいいなというふうに思っています

    MBSNEWS 【記者会見の全容】「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の会見『夫からの暴力』『自己破産』旧統一教会の二世信者も出席し”苦悩” 語る

     この人も犯人の行為に対して「何一つ擁護することもない」「正しいと思ってもいません」とはじめに言って置いて、それから本題の統一教会非難に移っている。

     犯人の行為について「それだけ統一教会は人生を破壊します」というところは問題がある。

     犯人の行為を、「統一教会は人生を破壊します」ということを示す実例としていることのであるが、そもそも犯人と統一教会の関係は、明らかにされてはいない。

     「統一教会は人生を破壊します」と普遍的なかたちで断言していることも、渡辺弁護士と同様、多様な信者を観察した上で言っているのか、疑われる。

     犯人の行為は、統一教会がどれだけ悪いかを示すことにはならないのであるが、安倍元首相殺害事件では、犯人の行為によって統一教会がどれだけ悪いかを示すということが感情的になされているところがある。

     これも犯人に寄り添うことによって問題をすり替えるものである。

    まとめ

     安倍晋三元首相殺害事件の後、間もなくマスメディアの論調が変わった。

     統一教会を問題とし、統一教会と自民党政治家の関係を問題とする論調になったのである。

     その論調の変化を主張したのが紀藤正樹弁護士と、紀藤弁護士が属する全国霊感商法対策弁護士連絡会であった。

     安倍元首相を銃撃した人物は、統一教会を問題とし、統一教会と安倍元首相の関係を問題としていた。

     その主張が重なる限り、紀藤弁護士と全国霊感商法対策弁護士連絡会は犯人の望みを叶えているということができる。

     ただしその主張は、紀藤弁護士と全国霊感商法対策弁護士連絡会の前から主張であった。自分たちの前からの主張を推し進めたにすぎないというかもしれない。

     いずれにせよ、問題のすり替えによって、秩序を混乱させてその主張を推し進めていることは、注目されなくてはならない。

     その主張は、事件を利用して推し進められている。事件後に彼等がその主張を推し進めることができたのは、事件があったからにちがいない。

     安倍元首相を銃撃した人物が、紀藤弁護士等と同じような主張を持っていたことに関して、その前に紀藤弁護士等の影響を受けていたのではないかということは問題になる。

     犯人は事件後の紀藤弁護士等の動きを期待していなかったか? ということも問題となる。

     前の記事で論じたように、犯人が20年前の統一教会との関係を理由として事件を起こしたことも、統一教会を恨んでいると言いながら関係の明らかではない安倍元首相を殺害したことも、理解に苦しむことである。

     ところが紀藤弁護士等が根拠なく統一教会を事件の原因ときめつけ、安倍元首相と統一教会の関係を事件の原因ときめつけて、そういう論調でマスメディアを導く中で、その理解に苦しむところはそれほど問題とされなくなった。

     安倍元首相殺害事件以後の問題のすり替えは、紀藤弁護士と全国霊感商法対策弁護士連絡会が主導したことである。紀藤弁護士と全国霊感商法対策弁護士連絡会は引き続き統一教会問題を主導している。その間、問題のすり替えは続くのである。

    別れるところ

     ところで紀藤弁護士は、内田樹・白井聡両氏の対談を引用して次のように評している。

     紀藤弁護士の望むものではなかったようである。

     どういうことであろうか?

     紀藤弁護士が「せっかくの論者なのにもったいない」というのは、紀藤弁護士がいいと思う思想を持っている論者であるのに、その対談では紀藤弁護士がいいと思わない主張をしているということであろう。

     たとえば白井聡氏は1年前には次のように語っていた。

    (旧統一教会との関係を騒ぎ立てるのは、安倍氏を銃撃した)山上徹也容疑者の思うつぼだとの批判があるが、暴力でなければ変えられないような状況を私たちが作ってしまった。テロが起きる前に我々の日本社会は腐り切り敗北していた。

    東京新聞 「安倍政権の問題を示す必要ある」 元首相国葬を考えるシンポ、3200人視聴 東大の國分教授研究室が開催

     事件前の日本には「暴力でなければ変えられないような状況」があったとして、統一教会の問題を追及することは「犯人の思う壺」でもいいと語っていた。

     そうして国葬に対して「許してはならない」と主張していた。

     ところがその1年後の対談では、内田樹氏は、犯人に対して、犯人の行為に対して突き放すように語っている。

     内田樹氏は安倍元首相を銃撃した人物に対して、伝統的なテロリストと違って「精神的に未熟」なものとみなしている。そしてそれゆえに「自分の政治的主張を広く世間に伝え」ず、「自分の行動の意味を第三者の解釈に委ねる」と語っている。「どういう意図でやったのかはっきりさせないほうが、いろいろな人がああでもない、こうでもないと仮説を立ててくれる可能性がある。」とも言う。

    https://dot.asahi.com/articles/-/200822?

     内田氏によると、犯人は自分の考えを自分で明らかにすることができないほど「精神的に未熟」で「社会的承認を得たい」という欲求をもった身勝手な人物である。

     統一教会の問題を伝え、統一教会と政治家の関係の問題を伝えた人物という、紀藤弁護士の考えとは違う。1年前の白井氏の考えとも違う。

     内田氏の考えによると、そういう自分の考えを自分で明らかにしない人物に対して、まわりが解釈を加えていることになっている。

     それでは紀藤弁護士等が勝手に解釈を加えて話を進めているということになってしまう。

     ところで、内田氏は、紀藤弁護士と近い思想を持っていると思われたのに、どうして紀藤弁護士から離れた考えを持つようになったのか?

     宮台真司氏襲撃事件を受けて、安倍元首相殺害事件を、内田氏が標的とされる可能性のある流れにあるものとして考え直したのではないかと思われる。

     対談中に内田氏が「安倍さん、岸田さん、宮台さんに対する襲撃」と言っているように、内田氏はその三つの事件に共通することを問題としている。

  • 「犯人の思う壺」? 安倍元首相銃撃事件以後の世の中の動きについての考察 ①犯人の思い

    「犯人の思う壺」? 安倍元首相銃撃事件以後の世の中の動きについての考察 ①犯人の思い

     安倍晋三元首相が銃撃され、死亡した後の日本の社会・政治は、犯人の望みを叶える方向に動いているのではないか? 「犯人の思う壺」になっているのではないか?

     その問題について、詳しく考えてみる。

     関連記事↓

     「犯人の思う壺」というのは、犯人の思う通りになることである。

     犯人の望みを叶えるというのは、犯人の望む通りになることである。

     まず「犯人の望み」ということについて考える。

    山上被告の望み

     安倍晋三元首相を銃撃した山上徹也という人物の望みは、必ずしも明らかにされていない。

     そのことに関する言葉はあるが、その言葉によっては必ずしも明らかにされていない。

     その問題に関して、内田樹氏が下の対談で言及している。

    https://dot.asahi.com/articles/-/200822

     内田氏の語ることによりつつ考えてみよう。

    形式

     まず形式。

     内田樹氏が対談で語るように、

     山上被告の言葉の出し方は「自分の行動の意味を第三者の解釈に委ねる」かたちになっている。

     これは「自分の政治的主張を周知する」ことを目的とする伝統的なテロリズムとは異なるかたちである。

    供述

     事件の後、供述が報道された。

     山上被告が語ったことが伝えられたのであるが、そのことは、警察、報道機関を通して世に伝えられた。

     警察とか報道機関に委ねるかたちである。

    手紙

     7月17日、山上被告が事件の前にジャーナリストの米本和弘氏に送った手紙が報道された。

    https://jp.reuters.com/article/idJP2022071701000224

     この手紙は、山上被告が自分の考えをそのまま現わしたものということができる。

     しかし山上被告はこの手紙を米本氏に送っている。―直接世に訴えているのではなく、米本氏に委ねているのである。

     米本氏は7月13日に気づいたといわれている。

     差出人名を記さず、氏名住所の書かれた合意書のコピーを同封したと伝えられているが、そのことも相手に委ねているようである。

    https://www.yomiuri.co.jp/national/20220717-OYT1T50010/

    ツイッターアカウント、書き込み

     山上被告のものとされるツイッターアカウントのツイート、米本氏のブログへの書き込みも見出された。

     しかしいずれも山上被告が事件を起こした自分の主張を明らかにするものとして世の中に訴えた言葉ではない。

    内容

     次に内容。

     山上被告が語った言葉では、犯行の理由は必ずしも明らかにされていない。

     内田氏が語るように「自分自身の言葉で「私はこういう理由でこの行為に至った」という開示をしていない」。

    供述

     まず、報道された山上被告の供述では、山上被告が何故に犯行を決意したのか、よくわからない。

     山上被告は事件後、警察に次のように語ったとされている。

     「安倍元首相ではなく、統一教会のトップ、韓鶴子(ハンハクチャ)総裁を撃ちたかった。でも、コロナで日本に来ないので、統一教会と深い関わりのある安倍元首相を撃ちました」

     弁解録取書が作成されたのは、銃撃からわずか30分後。警察はこの時点で、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への恨みから安倍元首相を襲ったという犯行動機を把握したのだった。

     さらにその日の夕方までの取り調べで、山上容疑者は安倍元首相との「深い関わり」についても詳しく説明していく。「もともと統一教会を日本に引き込んだのは、岸信介元首相だ。ただ、すでに死んでいるので、その孫の安倍元首相を狙った」。教団友好団体のイベントに安倍元首相がビデオメッセージを送ったことも知っていたという。

    朝日新聞 銃撃直後に語っていた「深い関係」 教団名を伏せ続けた警察の内幕

     このような言葉では犯行の理由は理解できず、逆に様々な疑問が生ずる。

    統一教会への恨み

     第一に、犯行動機は「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への恨み」にあるというところ。

     朝日新聞の記事には次のように書かれている。

    教団を恨む原因は、教団の信者になった母親の高額献金で一家の生活が苦しくなったことだった。こうした供述は一貫し、ぶれることがなかった。

    朝日新聞 銃撃直後に語っていた「深い関係」 教団名を伏せ続けた警察の内幕

     しかし「教団の信者になった母親の高額献金で一家の生活が苦しくなった」ということは、事件の20年前のことである。

     20年前のことを理由として事件を起こしたということは、理解に苦しむことである。

    https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/232836

    山上容疑者にとっては忘れられないことなのだろうが、20年もたってから旧統一教会との関係を理由に安倍氏を銃撃するとは何とも理解に苦しむ。

    東スポ 安倍元首相銃撃の山上容疑者の背後に2つの〝反アベ団体〟か 捜査当局が重大関心

     長い年月をかけた敵討ちの話は古今東西にあるが、いずれも意思はあるのに機会を得るまでに時間がかかった場合である。

     山上被告の場合、20年の間機会が得られなかったとか、20年後にはじめて機会を得たとかいう話は伝えられていない。

     山上被告は、韓鶴子総裁を撃ちたかったが「コロナで日本に来ないので」安倍氏を撃ったと語ったと伝えられている。「コロナ」は2020年からで、「コロナで日本に来ないので」韓総裁を撃つ機会が失われたということは、その犯行の意思は2020年前後からでなくてはならない。

     相手が変わっているのではないか? ということも問題となる。

     20年前の母親の献金に関する統一教会に対する恨みは、20年前の母親の献金に関わった人に対するものである。20年後の統一教会では中の人が変わっているのではないか?

     恨みを韓鶴子総裁に向けることにも疑問がある。 安倍元首相に向けてることにはさらに疑問がある。

     20年の間に母親の献金の返金が行われていることも問題になる。―山上被告の母親は、20年前に破産した後に統一教会から5000万円の返金を受けている。山上被告自身も署名している。

    https://www.yomiuri.co.jp/national/20220821-OYT1T50114/#r1

     返金によって「母親の高額献金で一家の生活が苦しくなった」という状況は変わっているのではないか?

     山上被告も署名したということは、山上被告にとってもそこで問題は解決していたのではないか?

     読売新聞の記事は全国弁連の弁護士の「返金請求を困難にさせる狙いなのは明らか」という言葉を引用している。統一教会が返金すべきであるのに合意書によって相手に請求権を放棄させたというのである。

     山上被告の場合どうであったかわからないが、5000万円の返金がなされて、母親がそれ以上の返金を求めていないと伝えられているが、そういう場合に統一教会にそれ以上の返金義務があるのであろうか?

     いずれにせよ、「母親の高額献金で一家の生活が苦しくなったこと」は統一教会だけによることではなく、信者である母親によることでもある。母親が返金を求めていないとすると母親によることになる。

     それにもかかわらず、山上被告の恨みが統一教会に対してだけ向けられていることも、問題となることである。

    安倍元首相を撃った理由

     次に、統一教会への恨みから「安倍元首相を襲った」というところ。

     安倍氏は統一教会との「深い関わり」があったと山上被告は語ったようであるが、「深い関わり」とは何か、明らかでない。

     「詳しく説明していく」というので、どういうことが明らかにされるかと思っていると、「もともと統一教会を日本に引き込んだのは、岸信介元首相だ。ただ、すでに死んでいるので、その孫の安倍元首相を狙った」というだけである。

     岸氏が「統一教会を日本に引き込んだ」かどうかはさておいて、ここでは岸氏のことが語られているだけである。安倍氏と統一教会との「深い関わり」については何も語られていない。

     岸氏が「すでに死んでいるので、その孫の安倍元首相を狙った」というのは、岸氏に対する恨みから孫の安倍氏を撃ったということであるが、そうだとすると安倍氏を撃つ理由はなかったようである。

     「教団の信者になった母親の高額献金で一家の生活が苦しくなったこと」と安倍氏とはどういう関係があるのか?

    手紙

     山上被告が米本氏に送った手紙を読んでも、どうして犯行を決意したのか、よくわからない。

    統一教会への恨み

     まず統一教会への恨みに関わるところ。

    私と統一教会の因縁は約30年前に遡ります。
    母の入信から億を超える金銭の浪費、家庭崩壊、破産、、、
    この経験と共に私の10代は過ぎ去りました。
    その間の経験は私の一生を歪ませ続けたと言って過言ではありません。

    個人が自分の人格と人生を形作っていくその過程、
    私にとってそれは、
    親が子を、家族を、何とも思わない故に吐ける嘘、
    止める術のない確信に満ちた悪行、
    故に終わる事のない衝突、その先にある破壊。

    REUTERS 元首相銃撃、手紙で示唆か

     10代のころのことで統一教会を恨んでいるようである。

     しかしそれだけでは、40代になって犯行を決意した理由はよくわからない。

    安倍氏を撃った理由

     安倍氏を撃ったことに関しては次のような言葉がある。

    苦々しく思っていましたが、安倍は本来の敵ではないのです。
    あくまでも現実世界で最も影響力のある統一教会のシンパの一人に過ぎません。

    REUTERS 元首相銃撃、手紙で示唆か

     ここでも「本来の敵ではない」という安倍氏を銃撃したのは何故か? という大きな問題が明らかにされないままになっている。

     多くの人は行間を読み込んでいるが、本人は明らかにしていない。

    犯行

     この手紙では、肝心の犯行についても明確に書いていない。暗示するような書き方をしている。

    安倍の死がもたらす政治的意味、結果
    最早それを考える余裕は私にはありません。

    REUTERS 元首相銃撃、手紙で示唆か

     読売新聞の記事も「手紙には「安倍(元首相)の死」という文言があるが、犯行を示唆しつつも明確に予告しているわけではなく、不可解な点もある」と書いている。

    https://www.yomiuri.co.jp/national/20220718-OYT1T50064/

    まとめ

     山上被告の言葉から次の要素を取り出すことができる。

    ・20年以上前の統一教会との関係による苦しみ

    ・文鮮明氏の一族に対する犯行の意思

    ・安倍氏に対する犯行

     山上被告は、20年以上前の統一教会との関係による苦しみから統一教会に対して恨みを抱いていた。その恨みから文鮮明氏の一族に対する犯行を企てていたが、結局安倍氏に対する犯行を決意した、というのである。

     しかし、

     20年以上前の苦しみからその20年後に犯行を決意した、ということは理解に苦しむことである。

     統一教会に対する恨みから安倍氏に対する犯行を決意した、ということも理解に苦しむことである。

     そういう理解に苦しむことを山上はそのまま投げ出している。

    20年の問題

     山上被告が20年前のことを持ち出して統一教会に対する恨みを述べていることについて、考えてみよう。

    私怨と義憤

     白井聡氏は次のように語っている。

    山上被告がツイッターなどに書き込んだ内容を読むと、個人として統一教会を恨んでいただけでなく、より普遍的な見地から同教団の反社会性を絶対に許せないという思いが滲んでいます。

    AERAdot. 「政治的テロリズム」よりも「社会的承認」 安部元首相殺傷事件から変わった権威に対する暴力の動機

     山上被告の書いたことの中には二つのことがあるというのである。

    ・統一教会に対する個人的な恨み

    ・より普遍的な見地から許せないという思い

     私怨もあるが義憤もある、ということである。

     そのことは、山上被告が事件前に米本和弘氏に送った手紙にもみることができる。

    私と統一教会の因縁は約30年前に遡ります。
    母の入信から億を超える金銭の浪費、家庭崩壊、破産、、、
    この経験と共に私の10代は過ぎ去りました。
    その間の経験は私の一生を歪ませ続けたと言って過言ではありません。

    REUTERS 元首相銃撃、手紙で示唆か

     というところは「個人として統一教会を恨んでいた」ことを現わすところ。

     それに対して、

    世界の中の金と女は本来全て自分のものだと疑わず、
    その現実化に手段も結果も問わない自称現人神。

    私はそのような人間、それを現に神と崇める集団、それが存在する社会、
    それらを「人類の恥」と書きましたが、今もそれは変わりません。

    REUTERS 元首相銃撃、手紙で示唆か

     というところは「より普遍的な見地から同教団の反社会性を絶対に許せないという思い」のようである。

     内田樹氏は、テロリストは「自分の言いたいことのほとんどを諦めて、政治的意図だけに限定する」ものであるとして、山上被告のように「トラウマがどうしたというような個人史的な事情なんかをつらつらと書き連ねる」ものには「テロリストの資格はない」というように語っている。

     「政治的意図だけに限定する」というのは、義憤に限定することである。

     「トラウマがどうしたというような個人史的な事情なんかをつらつらと書き連ねる」というのは、私怨を述べることである。

     テロリストは義憤から事をなすものである。それに対して山上被告は私怨を述べているのでテロリストではない、というのである。

     しかし白井氏が言うように、山上被告は私怨も義憤も持っている。

     テロリストと対立する類型というより、テロリストと異なるところと同じところとを合わせもった類型とみるべきではないか。

    飛躍

     山上被告の義憤、「より普遍的な見地から同教団の反社会性を絶対に許せないという思い」には、飛躍がある。

     山上被告は米本氏のブログへの書き込み(2020年9月7日)に「統一さんは既に統一教会の奴隷」と書いている。そして統一教会は「文一族による人類奴隷化計画」だと語っている。

    まさか統一教会が文一族による人類奴隷化計画だというのが陰謀論だとおっしゃる訳ではないでしょう?(笑)

    あと10年をポジティブに生きる記録 [2020/09/07 11:34] まだ足りない
    http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-1170.html#comment_list

     統一教会が滅ぶことが「全ての統一教会に関わる者の解放」というのは、統一教会は信者を奴隷にするという考えによることであろう。

    必要なのは許す事でも忘れる事でもない。
    彼等の罪を償わせ切ること。
    (中略)

    統一教会が滅んで悲しむのはこの世に害なす事が生き甲斐の者しかいない。
    何の遠慮がいろうか?

    我、一命を賭して全ての統一教会に関わる者の解放者とならん

    あと10年をポジティブに生きる記録 2020/12/12 23:41 まだ足りない
    http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-1188.html#comment_list

     (「まだ足りない」のところにプロトンメールへのリンクがある)

     統一教会は「文一族による人類奴隷化計画」という思想は、山上被告自身の経験から飛躍していている。

     山上被告の経験では山上被告の母親は自主的に統一教会を信仰していた。しかし統一教会は「文一族による人類奴隷化計画」という思想では、奴隷にされたもの、自主性をなくされたものとされる。

     その飛躍によってすべての信者は奴隷とされ、自主性のないものとされ、そういう山上被告によって解放されるものとされる。

     これは他の人の自主性を認めない思想である。

     他の人の自主性によって行われていることを理解しない思想である。

     そういう思想では、自分の母親も自主性をもっていないことにされる。

     山上被告の「より普遍的な見地から同教団の反社会性を絶対に許せないという思い」はこういうものであった。

     普遍的であるかのようなかたちをとっているが、一人よがりになっている。義憤のかたちをとっているが、私怨になっている。

     山上被告は9月7日の書き込みで、「文一族による人類奴隷化計画」という山上被告の主張は陰謀論ではない、と笑っている。

     しかし具体的な現象の背後に単純な原因があると論証もなくきめつけて、その「原因」によって具体的な現象を説明する陰謀論である。

     山上被告は2020年にはそういう思想を持っていた。

     米本氏に送った手紙にもそういう思想が示されている。文鮮明氏一族に対する殺意はそういう思想からきている。

     安倍氏に対する犯行もそういう思想からきているようである。

     山上被告がいつどうしてそういう思想を自分のものとしたのか、よくわからない。

     「世界日報」の記事は、2005年から返金のことで山上家を訪れ山上被告と交流があった奈良の教会の元幹部の「教会に対する反発は当然ありました。しかし自分が教会を潰しに掛かろうと思っていたわけではないと思う」という言葉を載せている。

     その交流は2009年まで続いたという。

     早くからもっていたかもしれないが、2009年以後に凝り固まっていったものではないかと思われる。

     山上被告がその後に統一教会について語ること、自分と統一教会の因縁について語ることは、そういう飛躍した思想によってである。

    「精神的に未熟」?

     内田樹氏は、山上被告は「精神的に未熟」であった、とみなしている。

    自分の意図を適切に伝えるような言葉を持っていなかった。それだけ精神的に未熟だったということです。

    AERAdot. 「政治的テロリズム」よりも「社会的承認」 安部元首相殺傷事件から変わった権威に対する暴力の動機

     古来のテロリストは「わずかな文字数のうちに自分の意図を誤解の余地なく書く」という「かなりの知的な成熟」を備えていた。

     山上被告はそういう「知的な成熟」を備えておらず、「精神的に未熟」であったというのである。

     山上被告は自分の意図を明らかにしないことによる効果を考えている可能性があるとも内田氏は語っている。

    どういう意図でやったのかはっきりさせないほうが、いろいろな人がああでもない、こうでもないと仮説を立ててくれる可能性がある。

    AERAdot. 「政治的テロリズム」よりも「社会的承認」 安部元首相殺傷事件から変わった権威に対する暴力の動機

     そのことを考えてやっているというのである。

     内田氏は、山上被告はそのことを「無意識的な計算」によってやっていると語る。

    行動の意図を明らかにしない方がむしろ効果的だという無意識的な計算が働いている。

    AERAdot. 「政治的テロリズム」よりも「社会的承認」 安部元首相殺傷事件から変わった権威に対する暴力の動機

     「無意識的な計算」ということは「精神的に未熟」であることからきていることのようである。

     しかし山上被告は「意識的な計算」によってやっているかもしれない。

     内田氏は山上被告が自分の意図を適切に伝えないことの効果は「被言及回数が増える」ことにあるという。そうして「社会的承認を得たい」とか「集団的記憶に自分の名前を刻み込みたい」とかいう欲求を満足させようとしたというのである。

     実際には、山上被告を被害者と見て手を差し伸べようとする動きが起こっている。

     山上被告の表現によってそういう効果が生じている。

    減刑を求める声

     「女性自身」の2022年9月8日の記事。

     山上被告の境遇に同情し、山上被告を被害者として、減刑を求める声が報道されている。

     上の記事では、そういう動きに対して嫌悪感を示す声をも取り上げている。

     内田樹氏もその嫌悪感に近い考えを持っているようである。

     内田氏は、上に取り上げた対談において、テロリストの条件として「その代償として自分の命を差し出す」ことを挙げて、山上被告にはそのことがないゆえにテロリストの条件を満たしていないと語っている。

    自分の行為の意味を明らかにして、かつ自分が殺す相手の命と引き換えに自分も死ぬという覚悟がない行動を「政治的テロリズム」と呼ぶわけにはゆかない。仮に行為の政治的目的が開示されていたとしても、相手を殺すだけで自分は生き延びるつもりなら、それはただの「暴力」です。独裁者が反対派を虐殺するのと変わらない。

    AERAdot. 「政治的テロリズム」よりも「社会的承認」 安部元首相殺傷事件から変わった権威に対する暴力の動機

     「ただの「暴力」」「独裁者が反対派を虐殺するのと変わらない」などと厳しく批判している。

     山上被告自身が厳刑、「生き延びる」ことを求めているかどうか、わからないが、山上被告の減刑を求める人は、山上被告が「生き延びる」ことを求めるのである。

     山上被告を被害者として生き延びさせようとする動きは、山上被告の暴力を無視、あるいは軽視しているのではないか、という問題を内田氏は出しているのである。

     内田氏はまた次のように言う。

    政治的テロリズムというのは、自分の政治的主張を広く世間に伝え、それを実現する合法的な手立てが他にないので、最後の手段として暴力を選ぶというもののはずです。だから、刑事罰を受ける覚悟で行なう。

    AERAdot. 「政治的テロリズム」よりも「社会的承認」 安部元首相殺傷事件から変わった権威に対する暴力の動機

     ここでも山上被告に「自分が殺す相手の命と引き換えに自分も死ぬという覚悟」がないことを問題としているのであるが、ここでは自分の主張を「実現する合法的な手立てが他にないので、最後の手段として」ということを「政治的テロリズム」の条件としている。

     山上被告が暴力を用いる時に「実現する合法的な手立てが他にない」状況があったかどうかという問題を内田氏は出しているのである。

     2022年6月12日、安倍晋三元首相銃撃事件の第1回公判前整理手続きが行われることになっていたが、不審物が届いたとして奈良地裁は手続きを中止した。

    https://jp.reuters.com/article/idJP2023061301000022

     量刑の減軽を求める署名を入れた段ボール箱1箱が不審物と見なされて、手続きは中止されたのである。

     6月12日の公判前整理手続きには山上被告も出席する予定であった。

     第1回公判前整理手続きは10月13日に行われたが、山上被告は出席しなかった。弁護団に対し「手続きに自分が出席しようとしたことで騒ぎになった。次回以降出席するかどうか、よく考えたい」と話していたという。

    https://www.asahi.com/articles/ASRBF3D05RBCPTIL017.html

     山上被告の減刑を求める動きによって、山上被告その人が表に出ず裏に隠れることになる、ということは、事件後に起こったことを象徴することである。

    参観日

     「精神的に未熟」ということに関して、山上被告の言葉で気になるものをとりあげる。

     共同通信の2022年12月7日の記事では、授業参観に関する山上被告の言葉を伝えている。

     安倍晋三元首相の銃撃事件で、殺人容疑で送検され鑑定留置中の山上徹也容疑者(42)が「母親が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の用事に行って授業参観に来なかった」などと、精神鑑定の担当医に少年期の不満を漏らしていることが7日、関係者への取材で分かった。

    共同通信 「母が参観来ず」と容疑者不満
    https://jp.reuters.com/article/idJP2022120701001005

     山上被告の母は統一教会のために子供の養育をおろそかにしたと言われている。

     そのことで山上被告は統一教会を恨んだと言われている。

     「母親が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の用事に行って授業参観に来なかった」ということは、その例のようである。

     しかし山上被告の母親が統一教会に入信したのは山上被告が10代の時である。

     10代で母親が授業参観に来ないことのために統一教会を恨んだというのは、異常ではないかと思われる。

     それとも実際はそうではなかったのであろうか?

    大学

     次にNHKの1月13日の、山上被告が服役したあとは「大学へ行きたい」と言ったという記事。

    https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20230113/2000069873.html

     山上被告は「母親が旧統一教会、「世界平和統一家庭連合」に入信し多額の献金をしたことなどで、家庭が困窮し大学に進学できなかった」と言われている。

     大学に進学したかったにもかかわらず、統一教会のために進学できなかった。そこで服役したあとに大学へ行きたいというのである。

     拘置所では大学に行くための勉強をしていたという。

    今月10日まで、鑑定留置が行われた大阪拘置所では、大学に行くための勉強をして過ごし、親族からは英語の資格の教材や英和辞典が差し入れられ、特に英語に力を入れて学んでいたということです。

    NHK 安倍元首相銃撃事件 被告“服役したあとは大学へ行きたい”

     まず、内田樹氏の「相手を殺すだけで自分は生き延びるつもりなら、それはただの「暴力」です」という批判が問題となる。

     次に、山上被告が20年前に大学に進学できず、服役した後に大学に行きたいということは、20年の間大学に行きたかったということのようであるが、それほど大学に行きたかったという人が、20年の間大学に行かなかったのは何故か? という問題がある。

     服役した後には、その20年の間より状況はよくなっているのか?

     記事によると、「服役後の費用として使ってください」などとして金が送られて、2022年10月までに100万円を超えていたというが、そういうことで状況はよくなっているのか?

     山上被告が大学に進学できなかった時から間もない時に大学に行きたいと言っているとすると、理解できるかもしれない。

     ただしこの記事で山上被告が言ったとされている言葉は、山上被告の伯父が言ったことであるかもしれない。

    若く見える?

     事件の後、山上被告は何度かテレビに出たが、いつも前髪で額を覆うような髪型にしていた。

     前髪で額を覆う髪型は、初期のビートルズと同じように、若く見えるという効果がある。

     意識してそうしているのか、無意識にそうしているのか、わからない。

     山上被告が若く見えれば見えるほど、10代の統一教会との経験は近いことのように思われる。

     若く見えれば見えるほど、周りが手を差し伸べなくてはならない未成年のように見えるかもしれない。

    切迫感

     山上被告が米本氏に送った手紙の最後の言葉。

    安倍の死がもたらす政治的意味、結果
    最早それを考える余裕は私にはありません。

    REUTERS 元首相銃撃、手紙で示唆か

     ここで余裕がないという言葉が何のことを言っているのか、明らかではない。

     しかし余裕がないということは、追い詰められているということである。

     何かよくわからないが、犯行の前に追い詰められているというのである。

     被害者であるかのような印象を与える言葉である。

    まとめ

     山上被告の望み、思いは明らかにされていない。

     統一教会に対する恨みということは、了解できないことではない。

     しかし40代の人物が自分の10代の時のことを理由として恨みを晴らすということは、了解しがたいことであるのに、そのことについての説明はない。

     山上被告には、私怨だけでなく義憤もあったようである。統一教会には普遍的な観点から問題があるとして、その問題の解決を考えたというのである。

     しかしその義憤にも説明が欠けている。

     統一教会には普遍的な見地から問題があるというには、統一教会に対する客観的な分析がなくてはならない。

     山上被告が持っているのは統一教会は「文一族による人類奴隷化計画」という陰謀論のような思想である。

     そういう思想では、山上被告は母親のことも理解できないであろう。

     山上被告は近年母親からか離れていたと言われている。統一教会から離れて行きながら、近年の統一教会の実情を知ることができたのであろうか?

     統一教会の相談件数は近年減ってきているのに、減る前に事件を起こさずに、減った後に事件を起こしていることも、奇妙である。

     統一教会は「文一族による人類奴隷化計画」という陰謀論のような思想においては、信者の具体的な姿も、時間も、問題とならないということであろうか?

     山上被告が何故に安倍元首相を銃撃したのか、ということも説明が欠けている。

     安倍氏と統一教会の関係を問題としたようであるが、何を問題としたのか、よくわからない。

     あれだけ大きな事件を起こしたのに、理由がよくわからないというのは奇妙なことである。

     このように山上被告の望み、思いは明らかではない。

     内田樹氏が言うように伝統的なテロリストと違うのである。したがってその望みを叶えるということも、違うかたちになる。

     たとえば五・一五事件は伝統的なテロリストによるものであって、専ら義憤によってなされている。そしてその述べた明確な政治的主張が人を動かしたのである。

     それに対して山上被告の言葉は私怨と義憤が混在したものである。

     まず私怨における被害の主張に対して救わなくてはならないという声が出てきた。

     そして義憤における、統一教会は「文一族による人類奴隷化計画」とか、安倍氏と統一教会の関係とかいう根拠のない陰謀論が推し進められた。

     次に、犯人の望みを叶えていると言われる動きの中で重要な人物について考える↓

  • 映画「君たちはどう生きるか」 宮崎駿監督のイメージあふれる映画

    映画「君たちはどう生きるか」 宮崎駿監督のイメージあふれる映画

     2023年7月14日、宮崎駿監督の映画「君たちはどう生きるか」が公開された。

     その前に「君たちはどう生きるか」という題は示されていた。しかしそれだけでは、どういう作品が出来るか見当がつかない。

     「君たちはどう生きるか」という題では倫理的求道的な作品のようでもある。エンターテインメントではないようである。

     前作「風立ちぬ」が公開された2013年7月20日から10年たっている。

     その間に宮崎駿監督はどういう方向へ向かったのか?

     どういう映画か明らかにされないまま、公開の日を迎えた。

    自由

     映画のはじめは前作「風立ちぬ」に近いようにも見えた。

     しかし次第に「風立ちぬ」と大きく異なる世界に進んで行った。

     「風立ちぬ」より前の宮崎駿監督の作品に近いところがある。

     宮崎駿監督がこれまでの作品で見せてきた想像力の集大成とも思われる。

     勿論新たな形になってはいる。

     「風立ちぬ」では、宮崎駿監督の想像力が素材に縛られて、自由になっていないのではないかと思ったところがあったが、「君たちはどう生きるか」では、何にも縛られることなくのびのびとしているように見えた。

     その他の作品でも、たとえば原作がある作品で、宮崎駿監督の想像力が原作と対立しているのではないかと思ったところがあったが、「君たちはどう生きるか」では、そういうことはない。

     そのことと関連して、構成は比較的にすっきりしている。

    命が伸びる気持ち

     前作で終わりかと思われた宮崎駿監督が、それから10年後にこのような作品を作ったことをみて、生きる力を受け取った。

     高畑勲監督、大塚康生さんなど、10年前には健在だった人々が、この10年の間に亡くなるということもあった。

     叶精二氏の記事。

    https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g01161/

     昔からのスタッフも集まっている。

     「風立ちぬ」までは、宮崎駿監督は権威のように見えていたが、「君たちはどう生きるか」では違うことを感ずる。

  • 山上被告は統一教会のせいで大学に行けなかったのではない? マスメディアの闇

    山上被告は統一教会のせいで大学に行けなかったのではない? マスメディアの闇

     安倍晋三元首相暗殺事件の山上徹也被告は、母親が統一教会に高額の献金をしたことによって大学に行くことができなかったと言われている。

     ところが事実はそうではなかったという証言が出てきた。

    早い時期の記事

     母親が統一教会に高額の献金をしたことによって大学に行くことができなかったという話は、暗殺事件から間もなく広まった。

     2022年7月15日に次のような記事が出ている。

    https://nordot.app/920491196673671168?c=39550187727945729

    山上容疑者の伯父は、容疑者が経済難で大学に進学できなかったと明らかにした。

    共同通信 「山上容疑者、経済難で大学進学できず」

     統一教会に対する恨みには、それだけの原因があったというのである。

     統一教会はそれだけ悪いことをしたということでもある。

     しかしこの話に対しては疑問も出ていた。

     親が金を出せなくても、大学に行くことはできるのではないか?

     奨学金制度を使うとかアルバイトによって金を稼ぐとかによって大学に通っている人はいるのではないか?

     実際には大学に行かずに、伯父の支援によって予備校に通って公務員試験を受けているのであるが、伯父はそれだけの支援をしたのに、何故に大学受験の支援をしなかったのか?

     伯父の話。

    頭脳は明晰だし勉強する意欲もあった。ところが家庭の経済状況から大学進学は断念せざるをえなかった。消防士になるための公務員試験向け予備校に通いたいというので、私が費用の75万円を工面した。
    それで何度か受験したのだが、筆記試験は通っても、最後は合格できなかった。徹也は強度の近眼でね。それがネックになったようだ。これが2001年頃のこと。

    東洋経済 山上容疑者を凶行に駆り立てた一族の「壮絶歴史」

    https://toyokeizai.net/articles/-/616833?

     「消防士になるための公務員試験向け予備校に通いたい」と言ったというのは、どういうことなのか?

    それまでの”山上像”を否定する証言

     「週刊文春」2023年5月4・11日ゴールデンウィーク特大号は、「山上の遠戚にあたる人物」による「これまでの”山上像”を否定する」証言を取り上げている。

    https://bunshun.jp/denshiban/articles/b5817?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&utm_campaign=denshibanPublished

     その人物はまず山上被告の母親が破産したゆえに大学進学をあきらめたということを否定する。

    こうした経済状況が原因で、徹也が大学進学を諦めたというのはちょっと違うと思います

    「週刊文春」2023年5月4・11日ゴールデンウィーク特大号34頁

     そして次のように語る。

    徹也は、いろんな大学を受験したものの、志望校ではない奈良産業大学しか受からなかった。それで大学進学を選ばなかったと聞きました

    「週刊文春」2023年5月4・11日ゴールデンウィーク特大号34頁

     経済状況が原因で大学進学を諦めたのではなく、大学受験に失敗したゆえに大学進学を選ばなかったというのである。

     大学に進学しなかったのは、統一教会のせいではなく、自分のせいだというのである。

    根拠のない言説

     母親が統一教会に献金したことによって大学に進学できなかった、という広く伝わっている話は何であったのか?

     検証せずに伝えられているのではないか?

     安倍氏暗殺事件に関する報道、そしてその後の統一教会に関する報道には、このように根拠の曖昧なまま広まっているものが多い。

     統一教会のせいで大学に進学できなかったすると、それだけ統一教会が悪かったことになる。

     自分で大学進学を選ばなかったとすると、統一教会はそれほど悪くなかったことになる。

     暗殺事件を考える上でも統一教会について考える上でも重要なことであるにもかかわらず、根拠の曖昧な報道がなされていたことになる。

     「週刊文春」が取材した「山上の遠戚にあたる人物」に取材すればわかったことが、事件から10カ月後に報道されている。

     報道機関は何をしているのか?

    疑問

     大学進学に関しては、その前にも気になる記事があった。

     たとえば1月13日の記事。

    https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20230113/2000069873.html

     被告が「服役したあとは「大学へ行きたい」などと話した」と伝える記事である。

     被告はそれまでいた大阪拘置所で大学に行くための勉強をしていたという。

    今月10日まで、鑑定留置が行われた大阪拘置所では、大学に行くための勉強をして過ごし、親族からは英語の資格の教材や英和辞典が差し入れられ、特に英語に力を入れて学んでいたということです。

    NHK 安倍元首相銃撃事件 被告“服役したあとは大学へ行きたい”

     以上のことを、記事は「被告は、母親が旧統一教会、「世界平和統一家庭連合」に入信し多額の献金をしたことなどで、家庭が困窮し大学に進学できなかったといいます。」ということと関係づけているようである。

     以前に大学に進学できなかったので、将来大学に進学しようということであろうか?

     それまで大学進学には障壁があったが、「服役したあと」にはなくなるということであろうか?

     それほど大学に行きたいという気持ちがあって、成人して20年以上の間何をしていたのであろうか?

     次のようなところも気になる。

    被告は医師に対して、「20歳ごろに、勉強のために伯父にパソコンを買ってもらったが、勉強しなかった」などの出来事も話していたということです。

    NHK 安倍元首相銃撃事件 被告“服役したあとは大学へ行きたい”

     伯父の支援を受けていた時のことのようであるが、その時に勉強の機会を与えられても「勉強しなかった」というのである。

     その時には、大学に行きたいという気持ちはなかったようである。

     その20年後に大学に行きたいという気持ちが出てきたのか?

     大学の話が伯父からばかり語られていることも気になる。

     7月15日の記事で「容疑者が経済難で大学に進学できなかったと明らかにした」のは伯父であった。

     1月13日の記事で被告が「服役したあとは「大学へ行きたい」などと話した」ことを伝えたのも伯父である。

     伯父は被告に対して大学に行くことをもとめたという。

    妹との手紙を通じて、伯父は「服役後は大学で学を身につけ、世の中のためになってほしい」などという思いも伝えているということです。

    NHK 安倍元首相銃撃事件 被告“服役したあとは大学へ行きたい”

     被告が大学に行きたいというのは、事実であるのか? 伯父の思いが混じっていないか?

  • 「小西文書」―高市大臣の主張する問題点の考察・整理

    「小西文書」―高市大臣の主張する問題点の考察・整理

     2023年3月初め小西洋之参議院議員が文書を公開して岸田内閣を追及しようとしたが、高市早苗経済安全保障担当大臣はその文書は事実に反すると主張した。

     高市大臣の主張をもとにして、文書の問題点について考察・整理する。

    高市大臣の主張

     高市大臣は、小西議員が公開した文書のうち、高市大臣に関わる4枚について事実に反すると主張している。

     第一に、「高市大臣レク結果(政治的公平性について)」と題する文書について、そのようなレクはなかったと主張している。

     そのことに関して高市大臣が挙げている根拠について考えてみよう。

     まず、礒崎陽輔総理補佐官(当時)に関して。

    私が、礒崎元総理補佐官が放送法にご関心があったこと、また総務省情報流通行政局とやり取りをしていたのかもしれないことを初めて知ったのは、小西参議院議員が当該文書をマスコミに公開された今年(令和5年)の3月2日でした。
    (中略)
     従って、平成27年2月の時点で、当該文書にあるような「補佐官からの伝言」(礒崎元総理補佐官と総務省情報流通行政局とのやり取り)や「平成27年5月12日の参議院総務委員会の答弁案」など、放送法の政治的公平の解釈に関するレクを受けたはずがありません。

    公式ホームページ 総務省文書に関して参院予算委に提出した資料②

     文書には礒崎補佐官からの伝言が高市大臣に伝えられたと記されているが、そういうことはなかったというのである。

     次に「官邸」という言葉について。

    私の発言として、「官邸には『総務大臣は準備をしておきます』と伝えてください」との記載も、明らかに不自然です。
     私は、指示をする時には、「官邸」という曖昧な表現ではなく、相手が「総理」なのか「官房長官」なのか「副長官」なのかを明確に致します。

    公式ホームページ 総務省文書に関して参院予算委に提出した資料②

     高市大臣は、文書にあるような「官邸」という言葉の使い方をしないというのである。

     以上の二つの根拠はいずれも高市大臣の個人的な記憶、認識である。

     しかしさらに深く考えることもできる。

    考察

     まず小西議員が公開した文書の「ストーリー」について、高市大臣がまとめているところをみておこう。

    安倍内閣で総理補佐官を務めておられた礒崎前参議院議員が、前年(平成二十六年)秋以降、『放送法』第四条の解釈について、総務省の情報流通行政局長や放送政策課長と何度かやり取りをし、安倍晋三総理と私も電話でやり取りをし、官邸の意向を受けた私が、平成二十七年五月十二日の参議院総務委員会で、『放送法』第四条の解釈変更をするような答弁をしたというようなストーリーでした。

    「月刊Will」5月号、29頁

     この「ストーリー」には、おかしなところがある。

     問題は、高市大臣が「官邸の意向を受けた」というところである。

     文書にある平成27年2月13日の「高市大臣レク」の時点では、礒崎氏はまだ安倍総理大臣に対する説明を行っていないことになっている。

     礒崎氏は12月18日に「政治的公平に係る放送法の解釈について、年明けに(補佐官から)総理にご説明しようと考えている。」と言ったと記されている。

     12月18日の磯崎氏は「具体的な進め方」について、安藤情報流通行政局長に次のように語ったと記されている。

    磯崎補佐官 もちろん、官邸(補佐官)からの問合せということで、(多分変わらないだろうから)高市大臣にも話を上げてもらって構わない。こちら(官邸)で作るペーパーとそちら(総務省)で作るペーパーの平仄を合わせる作業を進めてほしい。こちらの資料も高市大臣にお見せしてもらって構わないし、こちらのペーパーを埋めるための回答ぶりについても早急に検討してほしい。政治プロセスは来年に入ってからだが、ペーパー自体は年内に整理したい。
    安藤局長 一定の整理が出来た段階で、官邸(補佐官)からの問合せということでそのペーパーで返したいと高市大臣に説明した上で政治プロセスに入る形でお願いしたい。

    礒崎総理補佐官ご説明結果(2R概要)

     このやりとりの中で「官邸」という言葉は礒崎補佐官のことをさすものとされている。

     そうすると、高市大臣は、「官邸」すなわち磯崎補佐官の「意向を受けた」という「ストーリー」になる。

     高市大臣は、この時点ではまだ安倍総理に説明もしていない磯崎補佐官の「意向を受けた」ことになるのである。

     礒崎氏は、高市大臣レクの直前の1月29日にも安藤局長に対して「高市大臣のご了解が得られれば、自分(補佐官)から今回の整理について総理にご説明し、(国会での質問等について)総理の指示を受ける形にしたい。」と語ったと記されている。

     安倍総理への説明は、高市大臣の了解の後に考えられていたというのである。

     2月13日の「高市大臣レク」で、高市大臣は安藤局長から「大臣のご了解が得られればの話であるが、礒崎補佐官からは、本件を総理に説明し、国会で質問するかどうか、(質問する場合は)いつの時期にするか、等の指示を仰ぎたいと言われている。」と言われたと記されている。

     つまり「高市大臣レク」は安倍総理への説明の前にあったとされている。

     そうだとすると、高市総務大臣は、安倍総理に説明がまだ行われていない、磯崎補佐官が進めているだけのことを、そのまま受け入れたことになる。

     そういうことがあるのであろうか?

     そして高市大臣は次のように答えたと記されている。

    官邸には「総務大臣は準備をしておきます」と伝えてください。補佐官が総理に説明した際の総理の回答についてはきちんと情報を取ってください。総理も思いがあるでしょうから、ゴーサインが出るのではないかと思う。

    高市大臣レク結果(政治的公平について)

     高市大臣はその中の「官邸」という言葉について、「私は、指示をする時には、「官邸」という曖昧な表現ではなく、相手が「総理」なのか「官房長官」なのか「副長官」なのかを明確に致します。」と主張している。

     この「官邸」という言葉は、たしかに奇妙である。

     上に述べたように12月18日の文書では、「官邸」とは磯崎補佐官のこととされていた。

     2月13日の「高市大臣レク」では、「官邸」が何を指すのか、曖昧になっている。

     高市大臣が誰に対しては「総務大臣は準備をしておきます」と伝えようとしたのか、曖昧になっている。

     高市大臣はこのレクが15分で行われたということもおかしいと指摘している。

    そもそも、当該文書では15:45~16:00の15分間でレクが行われたことになっていますが、礒崎総理補佐官からの伝言を伺い、4枚の添付資料も含めて、放送法の解釈について説明を受けた上で、質疑応答を行ったとしたら、15分間では到底収らないはずだと考えております。

    総務省文書に関して参院予算委に提出した資料②

     たしかに15分の間に高市大臣が、磯崎補佐官の考えをそのまま受け入れて、「官邸には「総務大臣は準備をしておきます」と伝えてください」と答えるまでのことをしたということは、理解しがたい。

     それまで磯崎氏と総務省官僚の間で数カ月の間、やりとりを重ねてきたことであるのに、高市大臣は15分のレクですべて理解して受け入れたということは、不自然ではないか?

     そもそも小西議員が公開した文書では、礒崎氏と総務省官僚の間のやりとりが多くて、高市大臣、安倍総理に関するものは少ない。

     「ストーリー」から考えると、高市大臣に関する分、安倍総理に関する分が多くなるはずではないか?

     実際には、高市大臣に関する分には、上に述べたようなことがある。

     高市大臣と安倍総理の電話に関する文書にも問題がある。

  • 「イースター・パレード」における性別の転換について

    「イースター・パレード」における性別の転換について

     1948年に公開された映画「イースター・パレード」では、性別の転換が重要な意味を持っている。


    イースター・パレード [Blu-ray]

     映画終盤にジュディ・ガーランドの演ずる人物がアーヴィング・バーリンの名曲「イースター・パレード」を歌うところは、映画の中で重要なところであるが、そこで性別の転換が行われているのである。

     男性が女性に対して歌うところを、女性が男性に対して歌うようにしているのである。

    Warner Bros. Entertainment
    Easter Parade | Digital Trailer | Warner Bros. Entertainment

     「イースター・パレード」の歌詞は、女性とイースター・パレードに行く約束をしていた男性が、朝、ドアを開けてその女性の美しい姿をみて、気持ちが高まるというものである。

     映画「イースター・パレード」では、その歌をジュディ・ガーランドの演ずる女性が歌っている。

     そのために歌詞を変えているところがある。

     たとえば、相手をレディ( “lady” )とよぶところを、奴( “fellow” )と変えている。

     しかし変えずにそのままにしているところもある。

    帽子

     たとえば、相手の女性の、帽子の上をフリルで飾った姿の美しさを歌うところを、そのままにしている。

     ジュディ・ガーランドがそう歌う時に、前にいるのはフレッド・アステアである。

     フレッド・アステアはトレードマークのトップ・ハットをかぶっている。

     ただしそのトップ・ハットにはピンクのリボンが巻かれている。

     ジュディ・ガーランドはそのピンクのリボンを巻いたトップ・ハットを指しながら、帽子の上をフリルで飾った姿の美しさを歌うかたちになっている。

     そう見立てているということができる。

     そもそもそのリボンを巻いたトップ・ハットは、その直前にジュディ・ガーランドの演ずる人物が、フレッド・アステアの演ずる人物に贈ったものであった。

    膝の上に

     ジュディ・ガーランドが歌に合わせて膝の上にフレッド・アステアを座らせるところがあるが、男性と女性が入れ替わっていると考えることができる。

    ドアを開けて

     そもそも男性ではなく女性であるジュディ・ガーランドが、朝ドアを開けて、出かける前の相手の姿を見に来るところから、性別の転換が行われている。

     男性が女性の美しさを見て歌うのではなく、女性が男性の美しさを見て歌うというかたちになっている。

     相手の部屋に入ってきて、腕を組んで相手をみて、「まだ支度ができていないの? 男はこれだから」( “Aren’t you ready yet? Just like a man.” )と言うところも。

    性別の転換の理由

     何故に性別の転換は行われたのか?

    裏の事情

     裏の事情を考えると、ジュディ・ガーランドに歌わせたかったからであろう。

     「イースター・パレード」の映画では、当然楽曲「イースター・パレード」を歌うことになる。

     フレッド・アステアは踊りの人、ジュディ・ガーランドは歌の人であるから、「イースター・パレード」を歌うのはジュディ・ガーランドになる。

     しかし「イースター・パレード」は男性が女性に対して歌う歌であるゆえに、ジュディ・ガーランドが歌うと、性別の転換が生ずるのである。

    劇中の意味

     「イースター・パレード」の歌での性別の転換は、劇の中で意味があることになっている。

     ジュディ・ガーランドの演ずる人物が性別の転換を行って「イースター・パレード」を歌うことは、その人物がそれまで抱えていた問題を解決することになっているのである。

     その前の夜、ジュディ・ガーランドの演ずる人物は、フレッド・アステアの演ずる人物が好きであるにもかかわらず、つきはなしてしまう。

     しかしやはり好きなので、その夜は眠れずにすごした。

     次の朝、部屋に訪ねてきた友人(ピーター・ローフォード)を迎え入れて、自分の気持ちを述べると、好きな相手には自分の気持ちを伝えればいいと言われる。

     それに対して、そういうことは男性には容易なことであるが、自分は男性ではないので容易なことではないと答える。

     すると、なぜ? と聞かれる。

     それを聞いて、ジュディ・ガーランドの演ずる人物はひらめいたように目を輝かせる。

     その時ひらめいたのが、性別を転換して「イースター・パレード」を歌うことである。

     そしてニューヨーク五番街のイースター・パレードでのデートに誘うことである。

     ふたりは前にイースター・パレードでデートをしようと約束していた。

     そもそもふたりで仕事を始めたのは前の年のイースターの日であった。ふたりでニューヨーク五番街のイースター・パレードをみて、次の年のイースター・パレードの時にはジュディ・ガーランドの演ずる人物がスターになっているとフレッド・アステアの演ずる人物は語っていた。

     ふたりでディリンガムのショーをやることになった時にも、ふたりでイースター・パレードに行こうと言い合っていた。

     ふたりはそのディリンガムのショーで成功した。

     ところがジュディ・ガーランドの演ずる人物は、フレッド・アステアの演ずる人物をつきはなしてしまった。

     そしてどう関係を修復すればいいか、わからなくなっていた。

     そういう状況で、ジュディ・ガーランドの演ずる人物が男性のように振る舞って、「イースター・パレード」を歌うと、関係は修復した。

    第三段階

     映画「イースター・パレード」は、性別の転換だけで終わっていない。

     ジュディ・ガーランドはピンクのリボンを巻いたトップ・ハットを指して歌うが、その歌の途中でフレッド・アステアはトップ・ハットに巻かれたリボンを取り除いている。

     ジュディ・ガーランドはフレッド・アステアを膝に乗せるが、フレッド・アステアはすぐに立ち上がっている。

     フレッド・アステアは女性のようにも振る舞うが、男性に戻る。

     元の歌詞では、男性が相手の女性の美しい姿をみて自分はイースターパレードで最も誇らしい男になると歌うが、ジュディ・ガーランドは、自分たちは最も誇らしいカップルになると歌う。

     いわば男性の目線の歌であったのを、ふたりの目線の歌にしているということができる。

     フレッド・アステアはリボンをとり除いたトップ・ハットを、ジュディ・ガーランドは自分で持ってきた飾りのついた帽子をかぶって、ふたりで部屋を出てイースター・パレードに行く。

     そもそもこの映画は、フレッド・アステアの演ずる人物が女性(アン・ミラー)のためにイースターの帽子を買うところから始まっていた。

     その女性は去って、一年後にフレッド・アステアの演ずる人物にトップ・ハットを贈る女性とともにイースター・パレードに行くことになっているのである。

     そしてニューヨーク五番街のイースター・パレードでは、フレッド・アステアが「イースター・パレード」の後半を歌っている。


    イースター・パレード [Blu-ray]
  • 「小西文書」問題からの小西洋之参議院議員とマスメディアの戦い

    「小西文書」問題からの小西洋之参議院議員とマスメディアの戦い

     2023年3月初め、小西洋之参議院議員は総務省の「内部文書」を公開して、参議院予算委員会などで岸田首相、高市経済安全保障担当大臣を追及したが、3月28日、予算は滞りなく成立した。

     そこで問題は一段落したと思われた。

     ところがその後の小西議員の言動によって事態は意外な方向へ進んだ。

    小西議員とマスメディアの対立

     小西議員が総務省の「内部文書」なるものを公開して、放送法に関して岸田首相、高市大臣を追及し始めると、マスメディアも同様に放送法に関して岸田首相、高市大臣を追及した。

     高市大臣がその文書について捏造されたものといい、そうでない場合は辞職すると言ったことを受けて、マスメディアにも力が入ったようであった。

     3月28日までは、小西議員とマスメディアとは同じ方向に向かっているように見えた。

     ところが3月28日以後、小西議員の言動によって両者は対立する方向へ進んだ。

    時事通信に対して

     まず3月28日の時事通信の記事に対して、小西議員は次のように批判している。

     時事通信の記事は、高市大臣の捏造発言によって文書の正確性が焦点となって、本丸の放送法の解釈に関しては議論が深められず、うやむやになっているというものである。

     放送法の解釈には問題があるということでは、小西議員と同じような方向を向いている。

     ただし小西議員によると、3月17日の参議院外交防衛委員会で、2015年の高市大臣の答弁以降の放送法の解釈の変更を小西議員が全面撤回させたことになっている。

     それゆえに時事通信の「新解釈の撤回を目指したが、予算委で議論が深まったとは言い難い」というのは「誤報」だということになる。

     しかし小西議員が挙げる3月17日の外交防衛委員会で総務省は2015年の高市大臣の答弁でも放送法の解釈は変わっていないと語っている。解釈の変更がなかったということは、小西議員による撤回もなかったということではないか?

     小西議員と同様に、放送法の解釈の問題を追及してきた時事通信も、小西議員によるそれまでの解釈の撤回を認識していなかった。

     小西議員の語る、2015年の解釈変更の「全面撤回」は、総務省にも時事通信にも認められていないが、本当にあったのであろうか?

     いずれにせよ、予算成立後、小西議員はマスメディアを攻撃しだした。

     時事通信だけでなく日経新聞に対してもその報道を問題としている。

    「サル」発言

     次に、3月29日に小西議員が衆議院の憲法審査会について「サル」とか「蛮族」とか評していたことが問題とされた。

     そのことについて小西議員はオフレコだったと主張。

     オフレコを報道されたということは、2月3日の荒井総理大臣秘書官(当時)のオフレコの発言が報道されて問題とされ、更迭されたことを思い起こさせる。

    https://mainichi.jp/articles/20230204/k00/00m/010/203000c

     しかし毎日新聞は、オフレコということも、撤回したということも、否定している。

     29日の小西氏への取材は、毎日新聞を含む複数社が参加。実名報道を前提とする「オンレコ」取材で、ICレコーダーで録音していた。小西氏は「サル発言」の前後に「オフレコ発言しないほうがいいかもしれないけど」「サルって言ったら差別発言になるのかな?」などと述べたが、撤回や修正はしなかった。

    毎日新聞 立憲・小西氏が発言陳謝 「憲法審、毎週開催ってサルのやること」

    https://mainichi.jp/articles/20230330/k00/00m/010/228000c

     FNNも明確な発言撤回はなかったと語っている。

    小西氏は、“あくまでもオフレコ取材と認識していて、すぐに撤回修正した”と主張している。

    しかしFNNが、29日の小西氏の発言内容を精査したところ、記者団に対し、発言を撤回するとは明確に述べてはいなかった。

    FNNプライムオンライン 小西議員「サル」発言を陳謝 「冒とくだ!」批判相次ぐ

    https://www.fnn.jp/articles/-/507096

     3月30日、小西議員は国会内で会見を開いて、「サル」などの発言について謝罪した。

     ところが「お詫び」のツイートでも、オフレコの場での発言で、即時に撤回の意志を表示したにもかかわらず、前半だけが切り取られて報道されたと主張している。

     自分が悪かったというより、報道機関が悪かったというのである。

     テレビ東京がその会見を「ほぼノーカット」で配信している。

    テレ東BIZ 【ほぼノーカット】立憲・小西議員「サルがやること、蛮族行為だ」の発言で謝罪・釈明(2023年3月31日)

     ここでも小西議員は、オフレコでの発言であって即時に撤回したにもかかわらず、前半だけが切り取られて報道されたと語っている。

     しかし小西議員の説明を聞いても、オフレコであったとか、即時に撤回したとかいうことは明確でないようである。

     3月の間、小西議員が公開した文書の正確性をめぐる議論が行われてきたからか、正確性が気になるが、小西議員の言動に十分な正確性はあるであろうか?

     上の動画の35分くらいから、産経新聞の記者が前の晩、小西議員からその記事に関してLINEを受けたと語っている。

     次のような文面であったという。

    オフレコで、しかもその場で撤回した発言を、よくも書くなあと呆れますが、書くのであれば、以下の発言をちゃんと追記するように伝えて下さい。修正しないなら、意図的な記事として法的措置をとります。

    産経新聞記者

     小西議員も認めているので事実であったようである。

     産経新聞の記者は、まずその記事は共同通信の記事だという。

     そして小西議員の言動は、編集権への介入ではないかと小西議員に問うた。

     それに対して小西議員は、(その記事を出したことが?)違法行為であるゆえに、編集権への介入ではないと語っている。

     そして記者会見における産経新聞の記者の「態度」も含めて法的措置をとるという。

     小西議員は3月の間、高市大臣等によって、政治権力が報道の自由に対して圧力をかけてきたとして、それに対して報道の自由を守る立場をとってきたかのように語ってきた。

     ところがその小西議員自身が報道の自由に対して政治権力によって圧力をかけているのではないかと疑われることになったのである。

    フジテレビと産経新聞に対して

     小西議員はフジテレビ(と産経新聞)を責めるツイートを連投した。

     まず「産経とフジテレビについては今後一切の取材を拒否します」

     そしてフジテレビを放送法第4条違反でBPO等に告発することができるという。

     放送法がどのように適用されるかが問題となっていたが、小西議員は積極的に適用されると考えているようである。

     「フジテレビは政治圧力以前に局内に元々そうした歪んだ人材がいることが深刻だ」

     「元放送政策課課長補佐に喧嘩を売るとはいい度胸だと思うが」

     政治権力による圧力にならないのか?

     「放送法に違反し偏向報道を続けるNHKとフジテレビに対し、放送法などあらゆる手段を講じて、その報道姿勢の改善を求めたいと考えます」

    https://twitter.com/konishihiroyuki/status/1641072454914416645?s=20

    TBS

     小西議員はTBS社長の発言をも問題としている。

    https://mainichi.jp/articles/20230401/dde/018/040/008000c

     TBSの社長は「小西文書」に関して「現場は委縮していない」と言ったという。

     それに対して小西議員は「文書が示す報道の自由への侵害、今国会での違法解釈の全面撤回など、自らの見解を国民に説明する責務を負っている」と語っている。

     しかし「文書が示す報道の自由への侵害」ということも「今国会での違法解釈の全面撤回」ということも小西議員が言っていることではあるが、必ずしも他の人が同意していることではない。

     総務省は、解釈は一貫して変わっていないと言っている。

     それにもかかわらず、報道機関は小西議員の主張を「国民に説明する責務を負っている」のか?

     そういうことは「報道の自由への侵害」にならないか?

    テレビ朝日

     ついでに、テレビ朝日の社長が、「小西文書」に関して現場への影響はなかったと語ったことを取り上げて置こう。

     テレビ朝日の篠塚浩社長は28日の定例記者会見で、放送法の「政治的公平」の解釈に関する総務省の行政文書を巡り「これまでも常に放送法に基づいて公平・公正な報道に努めてきたし、今後も同じように公平・公正な報道に努めたい」と述べた。

     2015年作成の行政文書には、同局の「報道ステーション」の番組名も登場していた。篠塚社長は文書の中身の評価は避けた上で「当時、何かがあったかというと一切ないし、現場への影響もありません」と強調した。

    「今後も公平公正に報道」 テレビ朝日の篠塚社長 | 共同通信

    朝日新聞

     3月31日には、小西議員と朝日新聞との対立が生じている。

     朝日新聞政治部記者の鬼原民幸氏は、「放送法の政府統一見解は、今この瞬間も現存し続けて」いると考えていた。

     それに対して小西議員は、2015年の高市大臣の答弁以来の放送法の解釈は、3月17日に小西議員によって撤回されたことになっていると反対している。

     3月28日の時事通信の記事に反対したのと同じである。

     朝日新聞は3月初めに小西文書が総務省の「内部文書」を公開した時から、小西議員と近い立場をとってきたようであったが、他のテレビ局、新聞とともに距離を置いているようである。

     朝日新聞の記事を批判↓

     朝日新聞官邸クラブが小西議員の発言を、「小西文書」における磯崎陽輔氏の発言と並べた。

     それに対して小西議員が反発している。

    終わりに

     3月初めに小西議員が総務省の「内部文書」を公開して、参議院の予算委員会などで高市大臣などを追及した時には、マスメディアも同じように高市大臣等による放送法の解釈の変更を問題としていた。

     ところが28日に予算が成立して、小西議員と高市大臣の対立が一段落ついて間もなく、小西議員とマスメディアの対立が生じたことで、情勢は変わった。

     それまで小西議員は、報道の自由を守るために高市大臣等と戦っているようなことを語っていた。

     マスメディアが小西議員の側についたのはそれゆえでもあった。

     ところが今度は、小西議員は自分を守るために報道に対して圧力をかけているように見える。

     それまで主張していたのは何だったのか?

     法のためではなく自分のためだったのではないか?

     そのことは直接にマスメディアと対立することであるゆえに、マスメディアも小西議員と対立するに至った。

  • 高市大臣の「政治的公平について」のレク、出席者全員記憶がない!?

    高市大臣の「政治的公平について」のレク、出席者全員記憶がない!?

     令和5年3月22日に総務省は「「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について」と題する文書を出した。

     3月初めに小西洋之参議院議員が出した文書に対して、高市早苗経済安全保障担当大臣は、文書に記されている平成27年2月13日のレクなどは事実に反すると主張してきた。

     総務省がその大臣レクに出席したと文書に記載されている人物に聞き取りを行った結果が、上の文書である。

     それによると、問題の大臣レクに出席していたと記載されている人物の中に、その大臣レクの記憶がある人はいないようである。

    各人の発言

     文書には「②レクや電話連絡の有無及びそのテーマ」と題して、その大臣レクに出席していたと記載されている人に大臣レクの有無などについて聞き取りをした結果が記されている。

     大臣レクは、総務省が公表した文書の30枚目に記載されている。今度の文書では「文書整理 No.21」とよばれている。

     大臣室に6人が出席して行われたと記されている。

     今度の文書では「関係者A」「関係者B」「関係者C」「関係者E」「関係者F」と高市元総務大臣と記されている。

     「関係者A」「関係者B」「関係者C」は文書の作成に関わった人。

     「関係者A」は文書の「原案」作成者。「関係者B」は「確認しながら進めていた」、「関係者C」は「それほど多くの修正は必要なかった」という人。「それほど多くの修正は必要なかった」ということは「修正」をしていたということではないか?

     3人とも「修正の有無」について記憶は定かではないと語っている。

     文書作成に関わった「関係者A」「関係者B」「関係者C」は、大臣レクはあった、あるいは、なかったとは考えにくいという。

     「関係者A」―「大臣レクは行われたのではないかと認識している」

     放送法4条の解釈という重要な案件を大臣に全く報告していないというのはあり得ないと思う。
     具体的な日付については、約8年前でもあり、詳細についての記憶は定かではないが、日頃確実な仕事を心がけているので、上司の関与を経てこのような文書が残っているのであれば、同時期に放送法に関する大臣レクは行われたのではないかと認識している。

    総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

     「関係者B」―「大臣レクが存在しなかったとは認識しにくいのではないかと思う」

     このような資料が残っているのであれば、また、本件の大きな流れとして、個々の発言内容は別として、放送法第4条に規定する「政治的公平」について大臣レクが存在しなかったとは認識しにくいのではないかと思う。
     礒崎補佐官自身が官邸内を仕切られるご意向だったので、こちらはその前に高市大臣へのご説明とご了解が得られることが大前提であるとの認識で動いていた。

    総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

     「関係者C」―「大臣レクがなかったとは考えにくいと認識している」

     作成者と同様の事実認識を有しており、当時の放送法第4条の解釈についての全体の対応は、大きな流れとして、放送法第4条の解釈について大臣レクがなかったとは考えにくいと認識している。

    総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

     高市大臣はそのような大臣レクはなかったという。―「担当局からレクや資料を受けたことはない」

     平成 27 年2月中旬の時期に、NHK予算やそれに付す大臣意見に関するレクを受けた可能性はありうるとは思うが、放送法の政治的公平の補充的解釈について、同年2月 13 日を含め5月 12 日の答弁前夜より前の機会に、担当局からレクや資料を受けたことはない。

    総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

     「関係者E」「関係者F」は、レクに同席していたとされている人。

     「関係者E」は文書に記載されているような大臣レクがあったとは思わないという。―「文書にあるような内容の大臣レクがあったとは思わない」

     この時期には、NHK予算など放送に関するレクがあったとしてもおかしくはないが、個々のレクについては覚えていない。
     放送法の政治的公平の答弁に関しては、5月 12 日の委員会前日に大臣の指示を受けて夜遅くまで答弁のやりとりがあったことを覚えており、その前の2月に文書にあるような内容の大臣レクがあったとは思わない。

    総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

     「関係者F」は記憶にないという。―「大臣レク文書に記載された内容のレクについても記憶にない」

     NHK予算の時期でもあり、この時期に放送に関するレクが何らかあったとしてもおかしくないが、8年も前のことであり、個々のレクの時期や内容は記憶にない。この2月 13 日付けの大臣レク文書に記載された内容のレクについても記憶にない。

    総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

    記憶がある人はいない

     このように、

    ・文書作成に関わった「関係者A」「関係者B」「関係者C」は、大臣レクはあったと思うと語っている。

    ・高市大臣、「関係者E」「関係者F」は、なかった、あるいは記憶にないと語っている。

     興味深いのは出席したとされる6人のうち、1人も大臣レクの記憶があるという人はいないということである。

     高市大臣、「関係者E」「関係者F」は、レクはなかった、あるいは記憶がないと言っているので当然である。

     問題は、大臣レクはあったという「関係者A」「関係者B」「関係者C」。3人は、自分の記憶を根拠としていない。

     「関係者A」は「詳細についての記憶は定かではない」と語っている。大臣レクがあったとする根拠は「このような文書が残っているのであれば」ということである。

     「関係者B」も「このような資料が残っているのであれば」ということを根拠としている。

     もう一つの根拠は「本件の大きな流れ」ということである。

     「関係者C」も「大きな流れ」ということを根拠としている。

     「③平成 27 年2月 13 日のレクにおける個別の発言内容について」と題するところでは、その3人は次のように答えている。

     「関係者A」

     個々の発言内容は記憶が定かではないが、上司の関与を経てこのような文書が残っているのであれば、概要として間違っていないと認識している。

    総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

     やはり記憶は定かではなく、「このような文書が残っているのであれば」ということを根拠としている。

     「関係者B」

     個々の発言内容は必ずしも記憶が定かではないが、このような資料が残っているのであれば、当時の情報流通行政局の同席者間での受け止めはこのようなものであったと思っている

    総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

     やはり記憶は定かではなく、「このような資料が残っているのであれば」ということを根拠としている。

     「関係者C」

    個々の発言内容は記憶が定かではない。

    総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

     やはり記憶は定かではない。

     小西議員は大変な出来事のように語っているのに、当事者には記憶がないのである。

    大きな流れ

     大臣レクがあった、あるいはなかったと語っている「関係者A」「関係者B」「関係者C」にも、大臣レクの記憶はなく(記憶は定かでなく)、その代わりに文書が残っていることと、「大きな流れ」ということを根拠としている。

     「大きな流れ」とは、文書のはじめにまとめられているように、平成26年11月から礒崎補佐官(当時)と総務省とのやりとりから平成27年5月12日の高市大臣の答弁までの「流れ」であろう。

     しかしその「流れ」について、大臣レクがあったという「関係者A」「関係者B」「関係者C」と、高市大臣、「関係者E」「関係者F」とで、認識が違っている。

     前者は、それまでの礒崎補佐官と総務省のやりとりが2月13日の大臣レクにつながり、そして5月12日の大臣答弁につながったという「流れ」があったという。

     それに対して後者は、2月13日の大臣レクはなく、5月12日の大臣答弁は礒崎補佐官と関係がないという。

     高市大臣はそもそも礒崎補佐官と放送法について連絡をとったことがないという。

     まず、総務大臣たる私の権限の範囲の話について礒崎補佐官が動いておられることを知った時点で、補佐官ご本人に直接連絡をとり、意図や内容をお尋ねしていたはず。私と礒崎補佐官が直接連絡をとりあっていないことは本件資料からも明らかである。

    総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

     礒崎氏も。

     高市大臣は、5月12日の答弁の前に大臣レクがなかった根拠として、答弁前夜に明け方近くまでドタバタしていたことを挙げている。

     本件の内容からみて、仮に、担当局から前もってレクを受け了解していたのだとすれば、5月 12 日の答弁前夜になって明け方近くまでドタバタすることはあり得ない。時間がない中、自分が納得いくまで、大臣室と担当局との間で前例や理論構成を詰めてもらったのが先日提出したペーパーであり、その上で答弁に臨んだ。

    総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

     奇妙なことに、答弁前夜のことについても、人によって認識が違っている。

     高市大臣の認識は上の通りである。

     「関係者E」の認識も同じようである。

     委員会前日に大臣が答弁案をチェックした際、大臣から指示があり、担当課に資料を作ってもらったこと、担当課とのやり取りが深夜までかかったことを覚えている。大臣が答弁案を了承されたのか、不安に思っていた記憶がある。

    総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

     「関係者F」も。

     答弁前日に高市大臣の確認が行われ、大臣から答弁に関する論点について原局に整理するよう指示があり、原局から提出された資料を確認した上で答弁されたことは覚えている。

    総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

     それに対して「関係者A」は、「大臣室からの指示で資料を作ったか」ということについては「はっきりしない」と語っているが、答弁前夜の「ほぼオールナイト」のやりとりを記憶している。

     大臣室からの指示で資料を作ったかもしれないが、はっきりしない。ほぼオールナイトで大臣室とやりとりしていた記憶はある。

    総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

     ところが「関係者B」は「大臣室からの指示で資料を作った」という「記憶はない」という。

     大臣室からの指示で資料を作った記憶はない。

    総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

     「関係者C」はやりとりについての記憶がないという。

     答弁前夜の大臣室とのやりとりについての記憶はない。

    総務省 「政治的公平」に関する行政文書の正確性に係る精査について

     「関係者B」「関係者C」が答弁前夜の大臣室とのやりとりについて記憶がないというのは、そういうやりとりはなかったということであろうか?

     高市大臣は「大きな流れ」がなかった根拠として答弁前夜のドタバタを挙げた。そのドタバタがなかったということは、「大きな流れ」と整合性があるか。

     しかし「関係者A」は「大臣室からの指示で資料を作ったか」は「はっきりしない」と言いつつも、「ほぼオールナイトで大臣室とやりとりしていた記憶はある」と語っている。

     高市大臣等と同じように答弁前夜に「ほぼオールナイトで大臣室とやりとりしていた記憶はある」のに、「大臣室からの指示で資料を作った」のではない、ということはあるだろうか?

     「関係者B」「関係者C」が語る「大きな流れ」は、「当時の情報流通行政局の同席者間での
    受け止め」として共有された物語であったかもしれないが、そのことが事実であったかというところに問題はある。

     文書がある、ゆえにその文書に記されたことがあったと考えることは、自然なことである。

     しかし文書に記された相手に確認をとっていない。

     その相手に、事実に反すると言われている。―高市大臣のみならず、他の同席者もそう語っている。

     それに対して文書作成者の側は「記憶が定かでない」。

  • 新海誠監督の映画「すずめの戸締り」の感想

    新海誠監督の映画「すずめの戸締り」の感想

     2022年11月11日に新海誠監督の映画「すずめの戸締り」が公開された。

    https://suzume-tojimari-movie.jp/

     2016年の「君の名は。」、2019年の「天気の子」に続く作品。

    全体的に

     個人的には、これまでの新海監督の映画の中で最も観やすかった。

     主人公の女子高校生すずめが話を引っ張るかたちになっているのであるが、その主人公の心の動きにそれほどひっかかることなくついていくことができる。

     部分的にひっかかるところはある。

     学校とあの場所はどれくらい離れているのかなどと思わないでもない。

     「すずめの戸締り」は「ロードムービー」として作られたということで、日本の様々な土地が描かれているのであるが、その「ロードムービー」の部分は甘くできている。愛媛の人とか、神戸の人とか、いかにも都合がいい。

     新海監督のこれまでの映画ではその甘いところが気になった。しかし「すずめの戸締り」では、その甘いところが話の中心とそれほど関係がないせいか、それほど気にならない。

     基本的に明るくコミカルに進んで行く中で、主人公は異様なことに出会って、それを追っていく。そうして話に起伏があるという構成はわかりやすい。急展開があるところもよくできている。

     これまでの新海監督の映画の恋愛要素には気になるところが多かったが、「すずめの戸締り」では、それほど気にならなかった。

    主題

     「すずめの戸締り」は過去に向き合う話である。

     特に、2011年の東日本大震災に向き合う話である。

     映画の中で主人公は過去の東日本大震災に向き合う。

     同時に、新海監督も東日本大震災に向き合っているのである。

    https://www.crank-in.net/news/116479/1

     2022年には、2011年の震災は離れたことのようにも思われる。

     新海監督には焦りがあったという。

    あの日、多くの人々がまざまざと感じた強い揺さぶりを、改めて共有するタイミングは、今でなくては遅くなるのではないかと思いました。

    映画.com 【インタビュー】新海誠監督がエンタメ映画に込めた覚悟 「すずめの戸締まり」で辿り着いた境地

    https://eiga.com/news/20221112/8/

     しかしなぜ2022年なのか?

     新海監督はその間に「星を追う子ども」(2011年)、「言の葉の庭」(2013年)、「君の名は。」(2016年)、「天気の子」(2019年)を作っている。

     その間ではなくて2022年なのか?

    11年の歳月が経ったことで、あの頃の自分たちには作れなかったものが今なら作れるのではないかと思いました。観客にしても、当時ならば震災を描く映画を見たくないと思っていたけれど、今であれば「見てもいい」と言ってくれる人もいるんじゃないかと思うんです。時間が経過し、自分や社会がそうやって変化したことも、直接扱おうと思った理由の一つです。

    映画.com 【インタビュー】新海誠監督がエンタメ映画に込めた覚悟 「すずめの戸締まり」で辿り着いた境地

     「観客にしても、当時ならば震災を描く映画を見たくないと思っていた」ということがあるのであろうか?

     宮崎駿監督は2013年に公開された映画「風立ちぬ」で関東大震災を描いていたが…。

     新海監督はまた「君の名は。」、「天気の子」でも震災を描いていたとも語っている。

    実際にどちらの作品でも、2011年の出来事を、形を変えながら、描いてはいたんです。1000年に一度の巨大な彗星がもらたす災害も、止まない雨がもたらす水害も、自分の中では震災のメタファーでした。世界が書き換わってしまった強烈な記憶がベースとなっていて、「君の名は。」から「すずめの戸締まり」まで、40代の10年間、ずっと2011年のことを考えながら映画を作っていたと言っても過言ではありません。

    映画.com 【インタビュー】新海誠監督がエンタメ映画に込めた覚悟 「すずめの戸締まり」で辿り着いた境地

     よくわからないが、新海監督は震災の5年後の「君の名は。」まで震災を映画に描かず、「君の名は。」、「天気の子」で描いて、「すずめの戸締り」で正面から東日本大震災を描くに至ったようである。

     時がたつとともに新海監督の作品の中で東日本大震災が大きくなっている。

     新海監督は「すずめの戸締り」において東日本大震災に向き合っているのであるが、また、「君の名は。」、「天気の子」という過去の作品と向き合っているのでもある。


    【メーカー特典あり】「君の名は。」Blu-rayコレクターズ・エディション 4K Ultra HD Blu-ray同梱5枚組 (初回生産限定)(「すずめの戸締まり」特製ICカードステッカー付)

    【メーカー特典あり】「天気の子」Blu-rayコレクターズ・エディション 4K Ultra HD Blu-ray同梱5枚組【初回生産限定】(「すずめの戸締まり」特製ICカードステッカー付)

    その他

     映画を観てその他に気づいたこと。

    椅子

     映画を観る前に新海監督自身が書いた「小説 すずめの戸締り」を読んでいた時には、椅子は早すぎるのではないか? と思っていた。

     その後長い間椅子でいなくてはならないことはどうなのか? と思っていた。


    小説 すずめの戸締まり (角川文庫)

     映画を観ると、椅子はコミカルになっていて、早くても問題ないと思った。

    芹沢

     「小説 すずめの戸締り」を読んでいる時に、芹沢という人物には違和感があった。

     しかし映画で観ると、それほど違和感はない。

     声は神木隆之介君。

    引用

     「すずめの戸締り」では、「ルージュの伝言」その他、1970年代、80年代の楽曲が多く出てくる。

     「ルージュの伝言」も「魔女の宅急便」と関係づけられているので、80年代ということができるかもしれない。


    魔女の宅急便 サントラ音楽集

     その出し方が気になる。

     意表を突く絶妙な出し方ではない。

     新海監督が2007年に公開された映画「秒速5センチメートル」で、さりげなくLINDBERGを聞かせていたことと比べると大きく違うようである。


    君のいちばんに・・・

     「千と千尋の神隠し」の引用について↓

    家族

     「すずめの戸締り」は女子高校生すずめの話である。

     第一にその世代に向けて作られているわけである。

     しかしまた子供の話でもある。家族の話でもある。

     子供のいる家族向けに作られているのでもある。

     子供の心をひきつけることができるであろうか?

    東宝MOVIEチャンネル
    映画『すずめの戸締まり』【行ってきますPV】