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  • 映画「マイ・フェア・レディ」

    映画「マイ・フェア・レディ」

     1964年に公開された映画「マイ・フェア・レディ」(原題は “My Fair Lady” )は、大ヒットして、その年のアカデミー賞8部門を受賞した。

     ミュージカル映画の中でも特に売れた作品の一つであって、日本にも大きな影響を与えた。


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    映画「マイ・フェア・レディ」の話の入り口

     英国の言語学者ヒギンズ(レックス・ハリソン)は、下層階級も教われば上流階級のように話すことができる、という考えをもっていた。

     そこでたまたま出会った花売りのイライザに、上流階級のよう話すことを教えることになった。

    映画「マイ・フェア・レディ」の見どころ

    ストーリー

     下層階級の女性が、訓練を受けて上流階級の女性のようになる、という話は面白い。

     女性を訓練する男性が根っからの女性嫌いであることによって、話の全体に緊迫感が生じている。

    巨額の製作費

     映画「マイ・フェア・レディ」には1700万ドルというそれまでにない巨額の製作費がかけられている。

     エドワード7世時代(1901~1910年)の衣装、美術がセシル・ビートンによって巨額の費用をかけて再現されている。

     競馬での白と黒の衣装は

     オードリー・ヘプバーンはそれまでの映画でも変身を演じてきたが、この映画では変身が特に豪華になっている。

     この映画には多くの有名な楽曲がある。

     ヒギンズ役のレックス・ハリソンの話すような歌もみどころ。

    映画「マイ・フェア・レディ」のもと

    バーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」

     映画「マイ・フェア・レディ」は、バーナード・ショーが1910年代に書いた戯曲「ピグマリオン」をもとにしている。

    1938年の映画「ピグマリオン」

     1938年に英国で映画「ピグマリオン」が作られて成功した。

     この映画によってバーナード・ショーはアカデミー賞脚本賞を受賞している。

     レスリー・ハワードはベネチア国際映画祭で主演男優賞を受賞している。


    ピグマリオン(字幕版)

    ブロードウェイの「マイ・フェア・レディ」

     1950年代にミュージカル化が企画された。

     しかしオスカー・ハマースタイン二世、リチャード・ロジャーズのコンビはできないということで断った。

     アラン・ジェイ・ラーナー、フレデリック・ロウのコンビも、1952年にはできないと考えた。(映画「ピグマリオン」の製作者ガブリエル・パスカルから話が来たという)

     ラーナー、ローのコンビは1954年から再度挑戦して、1956年に初演が行われるに至った。

     ミュージカル「マイ・フェア・レディ」はブロードウェイ史上記録的な成功を収めた。

    映画「マイ・フェア・レディ」

     1962年にワーナーブラザーズが「マイ・フェア・レディ」の映画化権を獲得したが、そのためにそれまでの最高額550万ドル余りを払った。

     ブロードウェイではジュリー・アンドリュースがイライザを演じていたが、映画版では当時まだ知名度の低かったジュリー・アンドリュースの代わりに、オードリー・ヘプバーンが起用された。

     レックス・ハリソンはそのまま。

     映画版の脚本は、ブロードウェイ版と同じアラン・ジェイ・ラーナー。映画版にはブロードウェイ版と同じものが多く取り入れられている。

     批判的考察↓


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  • アフリカのオミクロン株の感染のピークアウトとワクチン

    アフリカのオミクロン株の感染のピークアウトとワクチン

     2022年1月半ば、アフリカの新型コロナウイルスの感染がピークを越えたという。

     もともと「オミクロン株」は、2021年11月末に南アフリカの保健当局が発見したと発表したものであった。

     その後に感染が拡大したが、1月半ばには収まってきているというのである。

    感染は「横ばいに転じた」

     1月13日のWHOの発表をNHKは次のようにまとめている。

    新型コロナの変異ウイルス、オミクロン株によって感染の拡大が続いてきたアフリカの状況について、WHO=世界保健機関は「新規感染者の数は横ばいに転じた」としたうえで、感染拡大の波はこれまでで最も短い期間で収束に向かうとの見通しを示しました。

    NHK オミクロン株で拡大のアフリカ感染者数「横ばいに転じた」WHO

    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220114/k10013429891000.html

     「オミクロン株」を初めに発見したと発表した南アフリカも、1日あたりの感染者数が12月17日に過去最多の2万3473人を記録した後、減少を続けて、1月16日には2659人になっている。

     ただしアフリカでもモロッコ、チュニジアなどは増加傾向にあるという。

    https://graphics.reuters.com/world-coronavirus-tracker-and-maps/ja/countries-and-territories/south-africa/

    追記

     南アフリカの感染者数は2021年12月半ば以降、減少を続けているようである。

     死者数はそれより遅れて1月前半に跳ね上がって、減少しているように見えた後、また増加して2月中頃に跳ね上がったが、3月上旬には減少している。

    アフリカでのワクチン接種

     アフリカではワクチン接種が遅れていると言われている。

     2022年1月12日にWHOのテドロス事務局長はアフリカのワクチン接種が遅れていることを問題としている。

    テドロス事務局長は記者会見で、人口の40%にワクチンを接種する目標は90カ国以上で達成されていないほか、アフリカでは人口の85%以上がまだ1回目の接種も済ませていないと指摘。「世界で多くの人が接種を受けることができていない中、新型コロナの拡散を許してはならない」と述べた。

    REUTERS オミクロン株、重症化リスク低い 未接種者には危険=WHO

    https://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-who-omicron-idJPKBN2JM1TT

     ところでワクチン接種が遅れているアフリカで、上に引用したように、感染拡大が収まってきているとすると、ワクチン接種が遅れていても感染は収まるということになる。

     南アフリカでは2022年1月16日現在、ワクチン接種完了は27.3%、完了していないものも含めると32.43%になっている。(オックスフォード大学「Our World in Data」)

    https://ourworldindata.org/covid-vaccinations

     その南アフリカで感染が収まっているとすると、ワクチン接種が30%前後でも、感染は収まるということになる。

     テドロス氏も、オミクロン株について、「デルタ株と比べて重篤度が低い」が、「ワクチン未接種者は重症化する恐れがあると警告した。」というように、ワクチンの役割は重症化を抑えることにあると考えているようである。

     しかしまた「感染して入院している人の大部分はワクチン未接種者となっている」というように、ワクチンを接種することによって感染をおさえることができるとも考えているようである。

     テレ朝の記事によると、現地保健当局は「国民の60〜80%が新型コロナの感染をすでに経験しているとみられ、多くの国民が何らかの免疫を獲得している」と語っているという。

    https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000240998.html

  • 映画「サウンド・オブ・ミュージック」

    映画「サウンド・オブ・ミュージック」

     映画「サウンド・オブ・ミュージック」(原題は “The Sound Of Music” )。

     1965年に公開されると大ヒットして、アカデミー賞5部門受賞。

     日本でも影響は大きく、「ドレミの歌」など広く浸透している。


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    「サウンド・オブ・ミュージック」の話の入り口

     修道女の見習いであったマリア(ジュリー・アンドリュース)は、トラップ大佐(クリストファー・プラマー)の7人の子供の家庭教師を務めることになった。

     その豪邸では、前妻を亡くしたトラップ大佐が子供を厳しく育てていた。

     マリアは子供に歌を教えて、明るく自由にさせようと考えた。

     そこでマリアとトラップ大佐との間に対立が生ずる。

     一方で、ナチス・ドイツの手がオーストリアに伸びて来ていた。

     トラップ大佐はオーストリアの愛国者で、オーストリアがナチス・ドイツに従属することに反発していた…

    映画「サウンド・オブ・ミュージック」の見どころ

    Photo by Dimitry Anikin on Unsplash

    映画「サウンド・オブ・ミュージック」の背景

     映画「サウンド・オブ・ミュージック」は、屋内はLAの20世紀フォックスのスタジオで撮影されたが、屋外はザルツブルクとその周辺で撮影された。

     アルプスの景色、ザルツブルクの街、修道院、宮殿、教会などが映画の背景となって、映画を豊かにしている。

     アルプスの高原でジュリー・アンドリュースが歌うところがまず心に残る。

     「ドレミの歌」は、ザルツブルクの様々な美しいところを背景としている。

    https://www.salzburg.info/ja/salzburg/the-sound-of-music

    映画「サウンド・オブ・ミュージック」の楽曲

     この映画は楽曲がすぐれている。

     日本ですでに浸透しているものが多い。

     「ドレミの歌」、「エーデルワイス」などは子供の音楽教育で広く使われている。

     1993年から始まったJR東海のCM「そうだ 京都、行こう。」には「サウンド・オブ・ミュージック」の「 “My Favorite Things” 」が使われている。

    https://souda-kyoto.jp/campaign/index.html

     その中から2018年のWEB動画「勧修寺の春」。

    そうだ 京都、行こう。【公式】
    【WEB動画】そうだ 京都、行こう。Archive 2018年 勧修寺の春 2020/03/06

     2020年のTVCM「石庭編」。

    そうだ 京都、行こう。【公式】
    【TVCM】2020年 早春「石庭編」 そうだ 京都、行こう。 2019/12/11

    https://www.youtube.com/channel/UCP40QiZo7EjfltE3QkStkCw

    映画「サウンド・オブ・ミュージック」のストーリー、演出

    映画「ウェスト・サイド物語」と共通するところ

     映画「サウンド・オブ・ミュージック」の脚本を書いたのはアーネスト・レーマン( Ernest Lehman)。

     映画「ウェスト・サイド物語」と同じ。

     監督も映画「ウェスト・サイド物語」と同じロバート・ワイズ。

     ちなみに「サウンド・オブ・ミュージック」も「ウェスト・サイド物語」もヒロインの名はマリアで、それぞれマリアについての歌がある。

     はじめに空から撮った映像が出て来ることも同じ。

     ミュージカル映画は現実離れした甘いものになりがちであるが、映画「サウンド・オブ・ミュージック」は映画「ウェスト・サイド物語」と同じように、ストーリーも演出も重みがあり緊迫感があるものになっている。

     トラップ大佐(クリストファー・プラマー)の、厳格で複雑な性格はその代表的なもので、そのことによって映画全体が緊張感あるものになっている。

    家族

     映画「サウンド・オブ・ミュージック」は、それまでうまくいっていなかった家族が愛し合って一つになるに至るまでを、ミュージカルというかたちで音楽によって見事に表現している。

     それゆえに多くの家族に愛されている。

    マーニ・ニクソン

     映画「サウンド・オブ・ミュージック」でシスター・ソフィアを演じているマーニ・ニクソン(Marni Nixon)は、1950年代60年代の多くの有名なミュージカル映画の歌を吹き替えている人。

    ・「王様と私」(1956年)のデボラ・カーの歌。

    ・「ウェスト・サイド物語」(1961年)のナタリー・ウッドの歌。

    ・「マイ・フェア・レディ」(1964年)のオードリー・ヘプバーンの歌。

     映画「サウンド・オブ・ミュージック」で初めて映画に出演して歌うことができたのである。

    「サウンド・オブ・ミュージック」に関して

    ロジャーズ&ハマースタイン

     「サウンド・オブ・ミュージック」はもともとブロードウェイのミュージカルで、1959年に開幕して記録的な大ヒットになったものである。

     作曲リチャード・ロジャーズ、作詞オスカー・ハマースタイン2世のコンビの最後の作品。

     オスカー・ハマースタイン2世は1960年に亡くなった。「エーデルワイス」が最後の作品となった。


    「サウンド・オブ・ミュージック」オリジナル・サウンドトラック

    現実のトラップ・ファミリー

     マリア・フォン・トラップの自伝 “The Story of the Trapp Family Singers” がもとになっている。


    The Story of the Trapp Family Singers

     トラップ・ファミリーのCDも出ている。


    One Voice

    映画「サウンド・オブ・ミュージック」のBlu-ray

     Blu-rayの画像はきれい。

     出演者のコメント等がある。


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  • 宮崎駿監督の映画「紅の豚」の「豚」ということにはどういう意味があるのか?

    宮崎駿監督の映画「紅の豚」の「豚」ということにはどういう意味があるのか?

     1992年に公開された宮崎駿監督の映画「紅の豚」。

     「紅の豚」の「豚」ということにはどういう意味があるのか?

     「紅の豚」の主人公が「豚」であることにはどういう意味があるのか?


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    「紅の豚」ができるまで

     映画「紅の豚」は、「飛行艇時代」という漫画をもとにしている。


    飛行艇時代―映画『紅の豚』原作

     「飛行艇時代」は宮崎駿監督が描いた漫画で、「月刊モデルグラフィックス」1990年3、4、5月号に掲載された。

     その「飛行艇時代」をもとにして映画「紅の豚」が企画された。

     はじめは「15分程度の短編映画」として企画されたが、作っていくうちに60分を超える長編映画になったという。(鈴木敏夫「ジブリの仲間たち」、60~61頁)


    ジブリの仲間たち(新潮新書)

     そうして1992年に公開された映画「紅の豚」には、はじめに考えられていたものと、その後に付け加わえられたものとが混ざっている。

     「紅の豚」の「豚」ということの意味にも、はじめに考えられていたものと、その後に付け加えられたものとが混ざっている。

     どのように混ざっているのか?

    はじめに考えられていた「紅の豚」

     宮崎駿監督がはじめに考えていた「紅の豚」は、

    ・漫画「飛行艇時代」(1990年)

    ・宮崎駿監督が書いた「紅の豚メモ―演出覚書」(1991年)

     によって知ることができる。

    疲れた中年男が楽しむための映画

     「紅の豚メモ―演出覚書」で宮崎駿監督は、「紅の豚」は疲れた中年男のための映画だと語っている。

    国際便の疲れきったビジネスマンたちの、酸欠で一段と鈍くなった頭でも楽しめる映画。少年少女たちや、おばさまたちにも楽しめる作品でなければならないが、まずもって、この作品が「疲れて脳細胞が豆腐になった中年男のための、マンガ映画」であることを忘れてはならない。

    「出発点1979~1996」、徳間書店、1996年、413頁

    出発点―1979~1996

     「紅の豚」はそのように考えられた映画である。

     その映画の主人公の「豚」もそのために考えられたキャラクターである。

     疲れた「中年男」のヒーロー。―疲れた「中年男」が共感できる存在であり、疲れた「中年男」がやりたいことをやってみせる存在である。

     「紅の豚」の主人公が「豚」であることは、疲れた「中年男」が共感できるということと関わる。疲れた「中年男」が共感できるような体形を現している。

     そういう主人公が、疲れた「中年男」の望みをかなえる。

    こんな町に行ってみたい町。こんな空を飛んでみたいと思える空。自分も欲しい秘密のアジト。悩みなく、壮快に明るい世界。

    「出発点1979~1996」、415頁

    出発点―1979~1996

     女性キャラクターも、疲れた「中年男」のために描かれる。

     たとえば「飛行艇時代」のはじめに主人公が観光艇に出くわして、その乗客の多くの女性に「カッコイイー」と言われるところがある。(「紅の豚」のはじめにもある)

     主人公は「豚」であってかっこよくない。特にかっこいいことをして見せているのでもない。それにもかかわらず、「カッコイイー」と言われるのである。

     「飛行艇時代」の第一話は、悪者に捕らえられた少女を主人公が救い出すという、古くからある英雄の話のかたちであるが、変わっている。(「紅の豚」では多くの幼女を救い出す話になっている)

    ・主人公は悪者と戦って勝つかたちになっているが、主人公と悪者の間に、まじめな、生々しい戦いはない。(戦争はない)

    ・主人公はヒロインを救い出すかたちになっているが、主人公が救い出したというより、ヒロインが自分で出てきたように見える。それでもヒロインは主人公に好意を寄せている。

     いわば戦わずに勝っているようなかたちになっているのである。

     第二話、第三話のフィオをめぐる話は、少し複雑になっているが、同じような構造になっている。

     フィオという美少女はなぜか一方的に主人公に好意を持っている。

     そのフィオをめぐって悪漢米人と戦うことになる。

     そもそもフィオは主人公に対して一方的に好意を持っているのに、そのフィオをめぐって戦うことは、コメディであって、まじめな戦いではない。

     空中で決着をつけずに、海で殴り合いをするところも、コメディであって、まじめな戦いではない。かっこよく勝つということもない。

     宮崎駿監督は次のように書いていた。

    ダイナミックだが、破壊的ではない。
    愛はたっぷりあるが、肉慾はよけいだ。

    「出発点1979~1996」、414頁

    出発点―1979~1996

     「ダイナミックだが、破壊的ではない」というのは、生々しい戦いがない(戦争がない)ことを示すことのようである。

     「愛はたっぷりあるが、肉慾はよけいだ」というのは、主人公は女性にもてるが、生々しいことはないことを示すことのようである。

    その後に付け加えられたこと

     映画「紅の豚」には、ここまで語ってきたことのほかに、新たに付け加えられたことがある。

    マダム、リアリティ

     「飛行艇時代」にはなくて、新たに付け加えられたことは、「紅の豚メモ―演出覚書」にすでにあった。

     ポルコ、フィオ、ドナルド・カーチス、ピッコロ、ホテルのマダム、マンマユート団の面々、その他の空賊達、これ等主要な登場人物が、みな人生を刻んで来たリアリティを持つこと。

    「出発点1979~1996」、414頁

    出発点―1979~1996

     まず、「飛行艇時代」の登場人物には「人生を刻んで来たリアリティ」はなかったように見える。

     ここで「中年男」に深みを付け加える考えが出てきている。

     次に「ホテルのマダム」である。

     その他のキャラクターは、名前は必ずしも同じではないが、「飛行艇時代」に出ていた。

     「ホテルのマダム」は「飛行艇時代」には出ていなかった。

     「紅の豚」では、「ホテルのマダム」はジーナという名で出てくる。

     「紅の豚」のジーナは、亡くなった飛行艇乗りの仲間を、主人公と共有しているとされる。

     そういうかたちで「人生を刻んで来たリアリティ」を表現するキャラクターとなっている。

     主人公の「豚」ということには、そのことによって新たな意味が付け加えられる。

     それに対して「飛行艇時代」にも出ていた米人は、そういう深みがわからないキャラクターとされている。

    ファシズム

     「紅の豚」には、その上にファシズムということが付け加えられている。

     主人公が「豚」になっていることには、ファシズムに対して、国家から独立した個人となるという意味が付け加えられている。

     「豚」ということは、怠惰になることと解釈することができるが、「飛行艇時代」と「紅の豚」とでその意味が変わっている。

     「飛行艇時代」では、怠惰になることは、疲れた中年男を癒すためであった。

     「紅の豚」では、怠惰になることは、ファシズムから独立するという意味が付け加えられた。

    新旧の要素

     「紅の豚」には、はじめに考えていたことと、その後に付け加えられたこととが混ざっている。

     「紅の豚」の主人公は、

    ・はじめに考えていたように、疲れた「中年男」をいやす存在であるが、

    ・ファシズムと対立して、国家から独立した「豚」となっている存在でもある

     両面があるからいいということもできるかもしれない。

     しかしちぐはぐになっているということもできる。

     たとえば、ファシズムと対立して国家からも独立しているという主人公が、「中年男」をいやすことをやっていることは、筋が通っているのか?

     米人とフィオを取り合うところにジーナが来るのは、「飛行艇時代」のフィオの話と、後で付け加えられたジーナの話が混ざっているからである。しかしそれぞれで完結すべき話が、一つの話の中で鉢合わせして、奇妙なことになっている、ということもできる。


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    森山周一郎

     「紅の豚」の主人公の「豚」は森山周一郎のハードボイルド風味の低い声をもっている。

     「飛行艇時代」の主人公はそういう声を持っていなかった。

    https://www.asahi.com/articles/ASP296QN8P29UCLV00G.html

    「紅の豚」のDVD、Blu-ray

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  • 手を洗う救急医Taka氏の「接種者よりも非接種者の方が感染している割合が高い」という発言の気になるところ

    手を洗う救急医Taka氏の「接種者よりも非接種者の方が感染している割合が高い」という発言の気になるところ

     2022年1月12日、東京の感染者数が2198人と発表された。

     それまで1000人前後の日が続いていたのに、突然2000人を超えた。

     その発表を受けて手を洗う救急医Taka(木下喬弘)氏がツイートしたことが気になった。

    手を洗う救急医Taka(木下喬弘)氏の気になる発言

     気になったのは次のスレッド。

     木下氏は、今日の東京都の感染者数のうち、「ワクチン接種してる人半分しかいない」ことを問題としている。

     そして全人口の78%がワクチン2回接種済みという事実と考え合わせて、「接種者よりも非接種者の方が感染している割合が高い」という結論を出している。

    気になるところ

    全人口というところ

     まず、全人口のワクチン2回接種済みの割合ではなく、東京都のワクチン2回接種済みの割合を考えなくてはならないのでは?

    新規感染者の中のワクチン非接種者の割合

     次に新規感染者の中のワクチン非接種者の割合が問題となる。

     木下氏は引用しているNHKの記事で「全体の半数近い1071人がワクチンを2回、接種していました。」というところをもとにして、「ワクチン接種してる人半分しかいない」と言っているのであろうか。

     東京都の「新型コロナウイルス感染症対策サイト」の2022年1月12日の「最新のおしらせ」には次のように書いてある。

    2022年1月12日 【新規陽性者のワクチン接種状況】2回接種1,071人、1回接種26人、接種なし474人、不明627人

    東京都 新型コロナウイルス感染症対策サイト 最新のおしらせ 

     新規感染者2198人のうち、半数近くの1071人が2回接種済みであるが、その他の半数以上が接種していないということではない。

     非接種者は474人。

     その他に不明とされる人が627人いる。

    年齢層

     今回の感染拡大では、若年層の感染者数が多いと言われている。

     東京都の発表でも、20代が745人で最も多くなっている。(30代436人、40代302人、50代228人、10代201人と続く)

     10代では201人、10歳未満では107人の感染者が出ている。

     もともと接種に関しては年齢層によって区別してきている。

    https://www.cov19-vaccine.mhlw.go.jp/qa/0044.html

     それぞれの年齢層によって分けて考えなくてはならないのではないか?

    おわりに

     私はワクチン2回接種済みの人が多く感染しているということが印象に残った。

  • コロナ禍で医師が感染者を馬鹿にすることについて

    コロナ禍で医師が感染者を馬鹿にすることについて

     2022年1月、それまで新型コロナウイルスの感染がおさまっていた日本でも、感染が拡大し始めた。

     その中で、筋肉博士Takafumi Osaka@muscle_penguin_という人のツイートが話題になった。

    問題のツイート

     問題のツイート↓

     Dr.丼という人の「発熱外来の嘆き事例ミニ~第6波編~」の①から④までをとりあげている。

     筋肉博士という人はそれに続けて次のようなことを言っている。

    賛否両論

     Dr.丼も、筋肉博士という人も、認識不足ゆえに感染が起こっていることを問題としている。

     筋肉博士、Dr.丼が認識不足を戒める教えを広めたことに対して感謝している人も多い。

     しかし、筋肉博士、Dr.丼に対して批判している人も多い。

     両者が多くて、全体として多くなっている。

    疑問

     筋肉博士、Dr.丼に対して、気になるところがある。

     診察してこれこれの問題が見つかったとして、広く警戒を呼び掛けることは、有益なことであろう。

     しかしそのために個々の診察を公開することは、倫理的に問題があることではないか?

     しかも、患者を馬鹿にするかたちで公開している。

     そういう人の診察を受けたいであろうか?

     現実とは違う例を作り上げたのかもしれないが、それはそれで問題があるのでは?

     筋肉博士がDr.丼の四つの例から結論を引き出していることもよくわからない。

     認識不足によって感染は起こっているかのように語ることにも疑問がある。

     感染者を愚者として差別することにならないか?

     Dr.丼の挙げた例をみると、ワクチン2回接種をすませて、日本で10月から12月まで感染者数が極めて少なくなっていた中で、仲間内でマスクを外していた者が多いが、それほど批判されるべきことなのか?

     そもそも専門家でない人が、専門家の思うように行動していなかったということは、それほど批判されなくてはならないことなのか?

     新型コロナウイルスに関して専門家でない人も、それぞれの仕事をもち、専門をもっていて、新型コロナウイルスの専門家も他の面ではその恩恵を受けている。新型コロナウイルスの専門家が上位にいるのではない。

     筋肉博士、Dr.丼のように感染者を馬鹿にするやり方は、多くの人を、そういうやり方を避けるように導くであろうが、その感染者を馬鹿にするというかたちになる。

     一方で、感染者を馬鹿にすることに反発する人も多い。

     必要のない対立を作っていると思われる。

    四つの例

    例①

     ワクチン2回接種済みの大学生。

     年末年始に大学のグループ13人でキャンプに行ってマスクをしていなくて感染したという。

    女性「でも、コロナ、ずっと感染者いなくなってましたよね?」
    Dr.丼「いなくなってましたね…確かに。当院も10~12月は陽性者全然いませんでした」
    女性「でっしょ?だから、コロナもう終わったんだなーって思ってました。
    Dr.丼「いや…あの…終わっては…」

    発熱外来の嘆き事例ミニ~第6波編①~

     コロナはもう終わったと言って感染した人の認識不足を問題としているわけである。

    例②

     ワクチン2回接種済み。44歳男性。

     12月17日から29日まで13日連続で飲み会(職場6回、友人4回、家族1回、実家で親戚と2回)

    男性「いやー。感染経路不明ですよね。海外渡航とかしてませんよ!」
    Dr.丼「ハイ、感染経路不明デスネ。(棒読み)」
    男性「こうやってコロナは広がるんですね。」
    Dr.丼「コレダケ、飲ミ会ガアレバ、広ガリマスネ(棒)」
    男性「いや、時短営業にもなってないし、緊急事態宣言も解除されてますしね。飲みまくりました!」
    Dr.丼「飲ミマクリマシタネ…(棒読)」

    発熱外来の嘆き事例ミニ~第6波編②~

     これは連続の飲み会がいいかどうかということはあるが、ワクチン2回接種済みで、知り合いの間でマスクを外していたというケース。

     「飲ミマクリマシタネ…(棒読)」というところににじむ上から目線。

    例③

     74歳男性。ワクチン2回接種済み。心疾患。12月24日から12月29日まで、息子夫婦とどんちゃん騒ぎ、テーマパーク、旅行。

     これもワクチン2回接種済みで、身内と遊んでいたというケース。

    男性「オミクロンですかね?オミクロンだったらいいなあ!」
    Dr.丼「な、なぜですか?」
    男性「だってオミクロンは全員軽症なんでしょ?最高じゃないですか。」
    Dr.丼「あなたは高齢者なので、わかりません。基礎疾患もあるので、あなたは入院で、コロナの新しい治療薬の使用を検討します」
    男性「え?だってオミクロンだったらそんなのいらないんですよね?」
    Dr.丼「オミクロンかどうかわかるのは数日かかります。」
    男性「オミクロンだったら全員軽症ですよね?治療要らないんじゃないんですか?」
    Dr.丼「全員軽症ではありません!イギリスの最近の報告では、成人は入院率は1/3、小児では1/2になる程度です。1/100や1/1000になるわけではないのです。」
    男性「え?だってマスコミはオミクロンは全員軽症って言ってますよ?」
    Dr.丼「それに、重症化するのは数日後です。初診時に重症なわけではありません。初診時に中等症なわけでもありません。中等症になるのは数日後、そして重症になるのはさらにその後です!来院した時は全員軽症なのは当然なのです。」
    男性「えええ…?じゃあ、まだ、わからないってことですか?」
    Dr.丼「わかりません。だからこそ、ハイリスク要因が揃っているあなたは、即入院なのです!」

    発熱外来の嘆き事例ミニ~第6波編③~

     こんなことをグダグダ書くより、患者の中で、オミクロンについて誤解を持った人がいる、と言った方がいいのではないか?

     このDr.丼という人は、何に時間を使っているのだろうか?

    例④

     ワクチン未接種。「怖いので打っていない」とのこと。

     12月27日から沖縄に旅行。1月3日に東京に帰る。

     これはワクチン未接種のケース。

    考察

     医クラの間で、マスコミがオミクロンを軽く言いふらしたゆえに、軽く考えて感染する人が増えたという人が多いようである。

     マスコミに責任があるというのである。

     しかしそういう論法では、医クラがワクチンの効果を過度に持ち上げたゆえに、ワクチンを過信して感染する人が増えたということもできるのではないか?

  • 映画「素晴らしきヒコーキ野郎」

    映画「素晴らしきヒコーキ野郎」

     映画「素晴らしきヒコーキ野郎」の原題は “Those Magnificent Men in Their Flying Machines

     1965年に公開された。

     1910年に世界各国の飛行機乗りを集めて、ロンドンーパリの飛行機レースを行うという話をめぐる娯楽大作。


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    「素晴らしきヒコーキ野郎」のあらすじ

     1910年、英国の新聞社主ローンズレー卿は、ロンドンからパリまでの飛行機レースを開催することを発表した。

     その高額の賞金のために、様々な国から参加者が集まってきた。

     レースまで、相互のやりとりとか、各々が飛行機を飛ばしてみるとかがある。

     レース本番。

    各国の出場者

    英国

     ローンズレー卿の娘(サラ・マイルズ)の恋人(ジェームズ・フォックス)

     英国からはパーシーという男も出ている。(テリー・トーマス)

    米国

     アリゾナ出身のカウボーイのようなワイルドであるが落ち着いた男。(スチュアート・ホイットマン)

    ドイツ

     プロイセンの軍隊。隊長(ゲルト・フローべ)

     いつも規律に従う、参考書を読む、ということがコミカルに描かれている。

    フランス

     遊び人のような男。(ジャン・ピエール・カッセル)

    イタリア

     明るい色の衣装を着た多くの子供に囲まれている。(アルベルト・ソルディ)

    日本

     石原裕次郎。

    恋愛

     話の軸になっているのは、レースの主催者ローンズレー卿の娘と、その恋人で英国の代表としてレースに出場する男との関係。

     娘はその男を愛しているが、不満もある。

     娘は飛行機に乗りたいが、父が許してくれない。恋人は父の言うことに従うだけ。

     そこに現れた米国の男が、娘を飛行機に乗せてくれるというので、心が傾く。

     娘を演じたのはサラ・マイルズ、その恋人を演じたのはジェームズ・フォックス。

     ジョゼフ・ロージー監督の映画「召使」(1963年)と同じ組み合わせである。


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     ジェームズ・フォックスが少し気の弱い英国貴族を演じていることも同じ。

     サラ・マイルズは「召使」では誘惑する女を演じていたが、この映画では明るく活発な女性を演じている。

    その他

    日本

     石原裕次郎の出番は多くない。

     石原裕次郎はこの映画で大物のように演出されているように見える。

    パーシー


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     このDVDの表紙をみると、一人で映っているこの男がこの映画の主人公のように見える。

     実際にはこの男はレースで汚いことをする人物にすぎない。

     この男はむしろ「素晴らしきヒコーキ野郎」ではない。

    飛行機

     初期の飛行機が面白い。

     次々と違う形の飛行機が出て来る。

     後から見ると手作りのようであるところに独特の面白さがある。

     空間が広い。

    宮崎駿監督

     「素晴らしきヒコーキ野郎」には、宮崎駿監督の「紅の豚」とか「風立ちぬ」とかのもとになったのではないかと思われるところがある。

    ・初期の飛行機

    ・大勢の明るい衣装の子どもに囲まれたイタリア人飛行機乗り

    ・飛行機の活劇

    ・飛行機に並んで乗る恋人(衣装)

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  • 映画「ウェスト・サイド物語」(1961年)

    映画「ウェスト・サイド物語」(1961年)

     1961年に公開された映画「ウェスト・サイド物語」(原題は “West Side Story” )はその年に大ヒットして、アカデミー賞10部門受賞した。

     アメリカのミュージカル映画の代表的な作品である。

     日本でも多くの人が影響を受けている。


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    「ウェスト・サイド物語」のあらすじ

     ニューヨークのウェスト・サイドでは、プエルトリコ系移民の若者のシャーク団と、ポーランドなどからの移民の若者のジェット団とが対立していた。

     その両者を集めたパーティーで、ジェット団の元リーダーのトニーと、シャーク団のリーダーの妹マリアは、出会ってすぐに互いに愛し合う仲になってしまった。

     ところがジェット団とシャーク団は喧嘩をすることが決まった・・・

    「ウェスト・サイド物語」の見どころ

    厳しい状況の中での恋愛

     「ウェスト・サイド物語」は、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」をその当時のアメリカの話にしたものである。

     「ロミオとジュリエット」と同じように、憎悪の連鎖の中で運命的に生じた恋愛が、その憎悪の連載に巻き込まれるという話になっている。

    緊迫感

     緊迫感のある話が続く。

     恋愛という緊迫感を緩和することも描かれるが、そういう恋愛がまた緊迫感のある状況に巻き込まれ、また緊迫感のある状況を作り出してしまう。

     この映画はそういう緊迫感の演出がすぐれている。

    若者文化

     映画「ウェスト・サイド物語」では、若者の間で相手を「チキン」とよんであざ笑って、そのことによって事態が悪い方向に進んでいる。

     「理由なき反抗」の流れにあるようである。


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    暗さ

     「ウェスト・サイド物語」は、暗いところが多い。

     恋愛は明るいことであるが、この映画では暗いことに取り巻かれ、巻き込まれている。

     憎悪の連鎖は、シェークスピアの「ロミオとジュリエット」にもあるが、当時のアメリカの移民の間の対立、警察との対立など、シェークスピアにはないことが付け加えられている。

     それまでのアメリカのミュージカルは、現実離れした夢のような世界を描くものが多かった。そういうものと対立するものとなっている。

    楽曲、ダンス

     「ウェスト・サイド物語」には心に残る楽曲、ダンスが多い。

    「ウェスト・サイド物語」の作り手

     映画「ウェスト・サイド物語」は、ブロードウェイで1957年に開幕した舞台「ウェスト・サイド物語」(原題は “West Side Story” )をもとにしている。

     作曲はレナード・バーンスタイン。

     作詞はスティーヴン・ソンドハイム。

     演出・振り付けはジェローム・ロビンス。

     ジェローム・ロビンスは映画版でもロバート・ワイズとともに監督を担当している。

     作詞を担当したスティーブン・ソンドハイムは当時27歳の若手であった。2021年に亡くなった。(レナード・バーンスタインは1990年。ジェローム・ロビンスは1998年。ロバート・ワイズは2005年)

    https://www.jiji.com/jc/article?k=2021112700309&g=int

     映画「ウェスト・サイド物語」でアニタ役を演じたリタ・モレノは、プエルトリコ出身の女優。「雨に唄えば」にも出ていた。

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  • 「千と千尋の神隠し」について

    「千と千尋の神隠し」について

     「千と千尋の神隠し」は2001年に公開された。

     当時記録的な興行収入を上げた。


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    「千と千尋の神隠し」と異世界

     「千と千尋の神隠し」は、異世界に行く話である。

     日本の古いものとそれ以外のものが入り混じった華美で俗悪な異世界に、観客は主人公とともに入っていく。

    「千と千尋の神隠し」と「労働」

     「千と千尋の神隠し」はまず子どもが労働者になるということを描いている。

     主人公の千尋はまだ子供であって労働する年齢ではないが、

    ・突然保護者としての親を失う。

    ・働かなくてはならないとされる。

     人は働かなくてはならないということを描いているようにも見える。

    「千と千尋の神隠し」の湯婆婆

     「千と千尋の神隠し」で千尋が働くのは、湯婆婆の下でである。

     千尋はただ労働するのでなく、湯婆婆の下で働くのである。

     湯婆婆の下での労働には、ただの労働とは違う意味がある。

    ・湯婆婆は千尋の両親を豚の姿にした者である。

     湯婆婆の下で働くことには、両親のために働くという意味がある。

    ・湯婆婆は名を奪う者である。―千尋の名を奪った。ハクの名を奪った。

     湯婆婆の下で働くことには、湯婆婆に隷属するという意味がある。

     その隷属に対して解放が求められることになる。

    「千と千尋の神隠し」の銭婆

     千尋はハクを救うために銭婆のところに行くことを決意する。

     銭婆のところに行くことは、行くことはできても帰ることができるかわからないことと言われている。

     日が暮れる水の上を走る鉄道に乗っていくところは、死の国に行くようにも見える。

     ところが銭婆のところに行ってみると、それまで言われていたような、帰ることができるかどうかわからないような障害はない。

     銭婆はひたすら千尋にやさしい。

     千尋は銭婆のところから帰る途中でハクを救う。そして湯婆婆のところに帰ってきて、両親を救う。

     いずれも千尋が簡単に解決してしまう。―湯婆婆との対決は簡単に決着がついてしまう。

    「千と千尋の神隠し」のハク

     「千と千尋の神隠し」は千尋がハクを救うという話になる。

     はじめに少女を救った少年を、次に少女が救うという話は、話として面白い。

     しかし湯婆婆に対して両親を救うという主題から考えると、とってつけたような話でもある。

     たしかにハクを救うことは、湯婆婆との対決という意味を持っている。

     また、千尋がハクを救うために湯婆婆の坊を連れて銭婆のところに行ったことによって、ハクが湯婆婆に坊を連れて来る代わりに千尋の両親を救うことを湯婆婆に申し出るという話になってもいる。

     千尋が両親を救うという話と、少年を救うという話と、二つの話が合わさっているということもできる。

     しかし二つの話を合わせるために、肝心の両親を救う話が映画の長い時間忘れられることになっていないか?

     二つの話を合わせるために、話が変に複雑になっていないか?

     ハクの正体もとってつけたもののように思われる。

    「千と千尋の神隠し」のカオナシ

     カオナシは「千と千尋の神隠し」の中でも印象深い存在である。

     ただし千尋と湯婆婆との対決という、「千と千尋の神隠し」のはじめからおわりまでを貫く主題と特に関係はない。

     くされ神の話のようなものではないか。

     ところが「千と千尋の神隠し」では、カオナシの部分が大きくなって、その一方で、千尋と湯婆婆との対決は小さくなってしまっている。

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  • 「雨に唄えば」の明るさと「巴里のアメリカ人」の暗さ

    「雨に唄えば」の明るさと「巴里のアメリカ人」の暗さ

     1951年に公開された映画「巴里のアメリカ人」。


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     1952年に公開された映画「雨に唄えば」。


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     いずれもアメリカのミュージカル映画の歴史の中で傑出した作品である。

     いずれもジーン・ケリーが主役であるが、「雨に唄えば」は明るく、「巴里のアメリカ人」は暗いところがある。

    「雨に唄えば」と「巴里のアメリカ人」の共通点

     「雨に唄えば」と「巴里のアメリカ人」は同じような構造を持っている。

    ・ジーン・ケリーの演ずる主人公は、第一の女性と仕事で深い関係になっている。(「雨に唄えば」では、映画の相手役リーナ。「巴里のアメリカ人」では、絵を売るために手伝うマイロ)

    ・その女性はジーン・ケリーの演ずる主人公に対して恋愛感情を持っている。

    ・ところがジーン・ケリーの演ずる主人公は、その第一の女性とは別の、その女性より若い女性に対して恋愛感情を抱く。(「雨に唄えば」では、女優志望のキャシー。「巴里のアメリカ人」では、化粧品店員リーズ)

    「雨に唄えば」と「巴里のアメリカ人」の相違点

     次に「雨に唄えば」と「巴里のアメリカ人」とで違うところ。

    第一の女性

     まず「第一の女性」が違う。

     「雨に唄えば」のリーナはドンに対して恋愛感情を見せるが、共感しがたい。

     リーナは、ドンが映画でリーナの相手役という地位を獲得してから、ドンに対して好意を示すようになった。それゆえに純粋な恋愛感情とは思えない。

     その上にリーナは権力によってキャシーを排除しようとした。

     「巴里のアメリカ人」のマイロのジェリーに対する恋愛感情は、それより共感される。

     マイロは自分の恋愛感情のために自分の地位を利用しない。

     それゆえに「雨に唄えば」で主人公がリーナを遠ざけても可哀想ではないが、「巴里のアメリカ人」で主人公がマイロを遠ざけることは可哀想である。

    主人公の性格

     「雨に唄えば」では、観客は安心して主人公に共感することができる。

     「巴里のアメリカ人」では、観客はそれほど安心して主人公に共感することはできない。共感するにも痛みが伴う。

    第一の女性との関係

     ドンはリーナから理不尽な損害を被っている。ドンがそれに対して反発することに、観客は共感する。

     ジェリーはマイロから理不尽な損害を被っておらず、逆に利益を受けている。それにもかかわらず、可哀想な目にあわせている。

    第二の女性との関係

     「巴里のアメリカ人」のジェリーがリーズと仲良くなろうとするところは、やり方が強引であって、単純に共感できない。

     「雨に唄えば」のドンがキャシーと仲良くなるところにはそういうことはない。

     「巴里のアメリカ人」の脚本を担当したアラン・ジェイ・ラーナーは、ガーシュウィンの「パリのアメリカ人」の音楽をもとにして、ジェリーの性格を “impudent” (図々しい)ものにしたと語っている。

     たしかに「巴里のアメリカ人」の主人公ジェリーは図々しいところのある人物であって、無条件にいい人とは言えない。

     ただし「巴里のアメリカ人」で主人公が子供と仲良くしているところは、「雨に唄えば」にはない明るいところではある。

    ヒロイン

     「雨に唄えば」で主人公の恋愛対象となるキャシーは、若々しく明るい。

     「巴里のアメリカ人」で主人公の恋愛対象となるリーズには、暗いところがある。

     「巴里のアメリカ人」のリーズには、ジェリーと出会う前に、特別な関係にある男性がいた。

     ジェリーとリーズがくっつくことは、その男性を傷つけることになる。(この設定は「カサブランカ」に似ている)

     「雨に唄えば」のキャシーにはそのようなことはない。

     「巴里のアメリカ人」のレスリー・キャロンはフランス人であって、アメリカ人からみるとミステリアスなところがあると思われる。

     「雨に唄えば」のデビー・レイノルズはアメリカ人であって、そういうところはない。

    主人公の友人

     「雨に唄えば」で主人公の友人を演じたのはドナルド・オコナ―である。

     そのことも「雨に唄えば」という映画が明るくなっていることと関係があると思われる。

     「巴里のアメリカ人」で主人公の友人を演じたのはオスカー・レヴァントである。

     オスカー・レヴァントにはコミカルなところもあるが、暗いところもある。

     ドナルド・オコナ―はスラップスティックの明るさをもっていて、オスカー・レヴァントのような暗さはない。

     「雨に唄えば」の主人公の友人の役にはもともとオスカー・レヴァントが考えられていたようであるが、ドナルド・オコナ―になったことによって明るさが増したと思われる。

    恋愛感情の違い

     「雨に唄えば」で最も有名なのは、ジーン・ケリーが雨の中「雨に唄えば」を歌い踊るところであろう。

     キャシーとの恋愛で高まった感情を、雨の中で歌い踊ることによって表現しているところは、映画スターであるにもかかわらず初めての恋愛を心から喜んでいるような若々しさがある。

     「巴里のアメリカ人」で最も有名なのは終盤のバレエであろう。

     ジェリーはリーズと結ばれることができなくなった。その気持ちがバレエで表現されている。

     「巴里のアメリカ人」の場合、結ばれないことによって傷つくが、結ばれても他の人を傷つけることになる。どちらに進んでも傷つくことになる。

     夜の雨の中でも明るい「雨に唄えば」と、色彩あふれる中で暗い「巴里のアメリカ人」。

    ミュージカルの歴史に関して

     「巴里のアメリカ人」は、ジーン・ケリーが有名になった1940年のブロードウェイの舞台「パル・ジョイ」に通ずるところがあると思われる。

     ジーン・ケリーはもともと自己中心的なところのある人物を演じて有名になった人であった。

     「巴里のアメリカ人」もその流れにある。

     映画ではジーン・ケリーの明るいところが生かされた。「雨に唄えば」はその明るいところが生かされた作品である。

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